KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.今はなき我が愛車のニックネーム。歴史遺産。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 100m級の関東大型古墳完全制覇をサイクリングの目標としてきたが。目標達成後はE−バイクに転身。オフィス4階まで息切れして上る超弩貧脚がE−バイクで峠を目指す。

カテゴリ:自転車 > BMC


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5年前のゴールデンウィークにBMC4湖めぐりのベースとなった、『町営大池公園駐車場』に着いたのは5年前と同じAM5:30。




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5年前に4湖めぐりをしているので今回はさらにその先に進むとともに、前回惨敗した紅葉台にチャレンジする。サスペンションステムの効果検証も兼ねる。





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2番目に通過するのは『西湖』。看板に『サイコ』と書かれているのが、今回のサイクリングを象徴しているようにも思える。






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対岸は、『貞観の噴火』で長尾山から流れ出た大溶岩流の縁である。

溶岩流はかつてこの辺りにあった、広大な『剗の海』を埋め尽くし、わずかに西湖と精進湖を残すのみとなった。




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前回周った精進湖と本栖湖をスルーし、県境に向かう。






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長閑な牧草地(流石匂いは新鮮!)を走っていくと、公園の跡地(と思えるくらい牧草地化していた)のような場所がある。






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ここにはかつて『オウム真理教』のサティアン(真理という名の修行場)があった。『地下鉄サリン事件』をはじめ、多くの事件を起こしたオウム真理教の本拠地に、機動隊に守られた警察が入っていく報道が連日のようにテレビで流されていた。




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サティアンは一か所ではなく、当時は上九一色村だった『富士ヶ嶺』一体に拡散していた。







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サティアンがあったとされる場所(の周辺)に行ってみても当時を思わせるものは残っていない。







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現在は本当に長閑な酪農地帯となっている。木陰に行くと高原の風がさわやかだ。(ま、写真に匂いは写らないからね。)






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次に上九一色村当時の有名スポットに行ってみる。
富士クラッシックゴルフ場へと続く道から脇に入って

フェンスを隠すように茂った木立の道を進む。






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やがて閉ざされたゲートに突き当たる。『不法侵入者は警察に通報』と警告看板があるゲートの向こうは、20年以上前に閉園した『富士ガリバー王国』。心霊マニアには第一級スポットである。




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フェンスの周囲は高い木々で覆われ、中を覗き観ることはできない。ガリバー像や当時の建物は撤去されたが、いまだに土地の再利用はされていない。





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オウム風評を払拭するために誘致されたというが、これもバブルの負の遺産といえる。
こんな4車線の高速道路並みの道が車もろくに走らないまま高原を貫いている。
ちなみに突き当りのフェンスの標高は凡そ1,200m。本日の最高地点である。

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フェンスを避けて迂回して更に近づこうとすると、「別荘地のため関係者以外立ち入り禁止」となっていた。一旦麓に下りて県道71号を鳴沢方面に向かう。

大室山の麓に展望駐車場があるので立ち寄ったが、草気に展望を塞がれてなにも見えない。




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突き当りのR139を左折し、500mほど行くと『紅葉台』の標識がある。前回ドロップアウトした1.3km、平均斜度11.3%のダートクライムにチャレンジする。
途中の写真はない。止まったら再発進できないから‥‥。

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ここが頂上のレストハウス。途中、外国人旅行者の方と、下ってきた珍しいE−mtbのサイクリストさん2人に声をかけられる。止まって譲ってくれたのだが、こちらは止まることもできず、ろくな挨拶もできなかった。
旅行者さん、サイクリストさんごめんなさい。


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紅葉台のレストハウスはオバチャンおひとりで切り盛りしていた。今日は外国人ハイカーの方が殆どで、おばちゃんも今日は特別外人さんが多いといっていた。
朝綺麗に見えていた富士山頂は雲が掛かっていた。

 



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展望台は有料だが、富士山頂が見えない日は大人もオール子供料金なのだそうだ(半額ではない)。と、いうことで子供料金で展望台に上る。





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富士は雲に覆われていたが、眼下に広がる広大な樹海には感動。ここが本日の絶景である。かつてはここにはるか先まで続く広大な海があった。そしてそこには古代の王朝が栄えていた(かもしれない)と思うと心躍る。





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ミステリアンのドームはあの辺だとか、マーカライトハープの着陸地点はあそこだなどと子供じみたことを考えながら展望台を下りる。
何か作ってもらおうかと思ったが、オバチャン大忙しだったので、すぐできるという『絶品カレーパン』をもらう。
アツアツでまさに『絶品』であった。




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レストハウスから100m程もどると、『紅葉台と『三湖台』の分岐点で、ここから下りとなる。







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下りのほうが、上るよりはるかに怖い。砂利道となればなおさらである。怖いながらも比較的スムーズに下りられたのは、タイヤのおかげか。それともサスペンションステムの効果かな。





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昨日取り付けた『レッドシフト』であるが、正直目立った効果は感じられなかった。沈みこみの感覚はあるが、振動が和らいだわけでもない。逆に振動でバーエンドミラーが使えなくなった。
しかし、最後にわかったのは、毎回サイクリングで生じる掌の痛みが今回はないということだ。
これが効果なら見えない大成果なのであるが。
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ステムが変わったことすら気が付かない(ポジションは変わったが)程度であった。いづれにせよ、初動の沈みこみばかり気になるのはエラストマーの組み合わせを軽くしすぎたためかもしれない。
徐々に調整して、いいセッティングを見つけるしかないようだ。ま、ターボクレオSLエボの滑らかさを期待するのは浅はかというものである。
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この後GoogleMapで『日帰り入浴「泉水」富士山溶岩の湯』に行く。「すいていますのマップ情報を信じていったのだが、観光バスで団体が来ているとのことで超混雑であった。食事処も長蛇の列。それでも70分くらい休憩して帰途に。昼抜き渋滞はつらいので藤野PAでモスを食べる。

senoumi

本日の走行 67.1km
バッテリー残量57%
スタート時97%だったので、消耗は40%




音楽のお供

アンマレー 『so-far』『Love Song』
歌姫を独占リスニングなら、大渋滞も悪くない。


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先日、BMCアルペン3
BMC・AC−02が新しいオーナーのもとに引き取られて行った。
2012年新春に購入。TT565mmと162cmのオヤジには大きいすぎるフレームから、試行錯誤を繰り返して最もパーツチェンジの激かったバイクであった。
軽く小柄で車載も楽なため6ホイールライフの主役になり、取り回しの良さから、日帰り最長距離160kmを走破する、あわないサイズとは裏腹に我が家で最も乗りやすいバイクであった。



娘のBMCアルペン4もとに嫁いでいたトランジットセブンが、娘の新車購入で離縁されて戻ってきたが、我が家のシェッドに収容できるのは2台まで。車のカーゴスペースと書斎で4台をローテーションしていたが、車のカーゴスペースが使えなくなり、今年6月に人生後半の自転車ライフの原点ともいえるトランジットセブンを手放した。

腰を悪くしてからは長距離サイクリングを控えるようになり、3台の自転車を交互にリリースして乗るほどの回数もなくなった。SAGAをグラベルロード化してからは、AC−02は通勤と買物専用になっていたが、書斎にも自転車を置けなくなり、マンションの駐輪場では風雨にさらされ、乗らずして痛んでいってしまうため、断腸の思いでAC−02も手放す苦渋の選択となった。

現在AC−02ではほとんど乗る機会がなくなったMR−4だが、入院生活の時にMR−4の購入を決めたときからの夢、「元気になれたら、このバイクでしまなみ海道を走りたい」という夢のために手放さないでいる。
普段の脚と、6ホイールライフの主役をSAGAが受け持つことになる。






ローBMCアルペン1ドバイクに興味のないオヤジでさえ、『BMC』というロゴには強い衝動と心躍る高揚感がある。
万感の思いを込めて『ありがとう』





精進湖から本栖湖に向かう。
富士王朝都跡?ミステリアン古戦場?元前2,500〜3,000年ころ、大室山一帯の噴火で流れ出た溶岩は、古剗の海に岬のように突き出ていた城山の尾根に達し、古剗の海を本栖湖と剗の海に分断した。
三湖の水位は常に同様に上下するので地下で繋がっているといわれている。溶岩地質は透水層なので、ろ過装置のように全体で流すイメージだったが、同じ溶岩流でも河口湖や山中湖、日光の中禅寺湖などは湖水を形成している。これだけ大きな湖の水位がほぼ同時に水位の変化に同調するのは、水道管の本管のような地下水脈が何本も通っているのかもしれない。



富士王朝都跡?ミステリアン古戦場?2栖湖から望む富士山。
おお、ここから望む景色はかつて「半径3kmの土地と女性との結婚権」を巡って、ミステリアンと地球防衛軍が死闘を繰り広げた戦場跡?である。
あの樹海の中央にミステリアンドームがあり全高340mのマーカライトファープ2機が攻撃を仕掛けるところである。
現代なら地球防衛軍より先に、「女性の権利侵害」といって世の女性がミステリアンに先制攻撃を仕掛けているだろう。
氷穴の氷は夏でも溶けない。熱に弱いミステリアンは樹海の地下の冷水脈を使っていたのか。だが後に同じ場所に基地を構える、高温でなければ生きられないキラークは、富士火山帯の地熱を活用している。
ちょっとご都合良すぎじゃないの。

閑話赤池水なし休題。現実に戻る。
本栖湖を周回してR139を再び湖北ビューライン分岐点まで戻る。
赤池交差点を過ぎると国道は『赤池大橋』と『瀬々波橋』で樹海の上を抜けていく。ここでかつての国道跡を発見。R139は交通量も多く怖いのでこちらを回ってみる。
旧道から『瀬々波橋』を見ると、下に樹木のない窪地が見える。ここが富士六湖として有名な赤池である。数年に一度、異常な長雨の時などに出現するという。今年は雪が多かったからもしかして水があるかなぁ、などと覗いてみたが、湖水らしいものはなかった。もし湖沼があれば五湖回ってきましたといえるのだが‥‥。


廃道れにしてもこの道はひどい。まぁ廃道になっているから未整備は当然だが、本道のすぐ脇で廃道ツアーができるのも面白い。







西湖北岸から望む富士不思議な光景北ビューラインの分岐点はかつての剗の海の湖上である。
海抜965m。西湖の最深部が72mなので、その差140m。西湖と精進湖が剗の海の埋まらずに残ったわずかな部分と表現されているので、流れ出た溶岩の堆積層が半端な量でない事だけはわかる。
西湖から富士山を望む。手前が流れ込んだ溶岩流。その後ろに今朝上り損ねた紅葉台が見える。



西河口湖北岸から望む富士文化洞トンネルから望む河口湖湖から河口湖に抜ける、文化洞トンネル出口から下方に広がる河口湖を望む。結構海抜差がある。きつかったわけだ。
河口湖から望む富士山。また余談だが、白石亮一・江津子兄妹、亮一の婚約者広子と江津子の恋人渥美譲治が来ていた祭りは富士河口湖町のようだ。白石亮一はどこに移り住んだのか。地盤の陥没で消失した集落のモデルはどこだったのか、気にはなる。



暑いにかく町営駐車場に戻る。こんなにいいロケーションで無料なのはありがたい。観光含めて6時間のポタ。朝からのイベントはまだ続いていた。
朝は寒かったが、この時間では流石にパーカーを着ていられないくらい暑くなった。






代々木ドトールPA山中湖路は山中湖を経由して道志みちで帰る。山中湖から望む富士山を1ショット。これで名目上は富士五湖周遊になった。
最後のお茶タイムは代々木PAのドトールコーヒー。もう家まで近いのでいつも素通りであったが、一度立ち寄りたかったところだった。交通量が少なく本線への合流も楽勝であった。




富士四湖回来訪から10年以上たっている富士五湖。車では何気に素通りしてしまう風景に足を止めることができるのも自転車の楽しみ。
本日の走行 70km
風景に古代やSFへの思いを寄せながら走るのもまた楽しい‥‥注意力散漫で危ない奴だ‥‥

リハビリ中のすべり症があとから堪えてきてしまったが。


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ゴールデンウィーク。
町営駐車場士河口湖町に来た。連休初日とは思えず、NO渋滞で河口湖大橋を望む市営の無料駐車場についたのはAM5:30。トレイルランのイベントをやっていて駐車場は早朝から大賑わいであった。
今日のミッションは河口・西・精進・本栖の富士4湖の周遊ポタである。同時に『古剗の海』の観光もしたい。






『古古せの海剗の海(こせのうみ)
』、力士の四股名ではない。
今から5000年ほど前に存在した消失湖沼である。度重なる富士火山の噴火により中央部分が溶岩流で埋められ本栖湖・精進湖・西湖になったことはあまりにも有名。この三湖を周遊するということは、ほぼかつての古剗の海を周回することになる。





河口湖大橋西湖1M6:00前に出発。河口湖南岸を走る。トレイルランのイベントはかなり大規模なようでずっとランナーが続いていた。
河口湖から西湖へ。ほとんどノーマークだったトンネルまでの登坂に閉口。ここを通ったのは20年以上前だから覚えてもいない。予想外にばてた。
トンネルを抜けるとすぐに西湖に出る。G・Wということもあるのか、早朝にもかかわらず湖畔は釣り人やキャンパーで賑わっている。



西竜宮洞穴2竜宮洞穴1湖から紅葉台に向かう。途中に『竜宮洞穴』という案内板があった。道は未舗装だが比較的フラットなので行ってみる。
少し行くとまた竜宮洞穴の看板があったが道はない。樹海の中を歩くようだ。折れて倒れたままの看板が「忘れ去らられる場所」という樹海のイメージを醸し出す。今日は洞穴散策が目的ではないし、自転車を残して失踪などとネタ?になっても嫌なので引き返す。




R1紅葉台?39に出て一旦富士吉田方面に1.5km程もどると紅葉台入口の看板がある。ここが本日一番の難関となる場所。1.4km、平均斜度11度の登坂である。上には駐車場やレストハウスがあるようだし、押し歩きで登ってもいいと思っていたが、行って見てびっくり。未舗装!しかも未整備状態。4駆でもなければ腹をする。この先頑張って1/3ほど登ったが、下りのほうがよほど危険。かといって麓に戻って自転車置いて登り直しも嫌なので、今回は断念。恐る恐る引き返す。





期待精進湖風穴していた絶景を堪能してのお茶タイムは捲土重来を期すことにして、次のポイント『精進湖』に向かう。紅葉台で朝茶できなかったので、R139道の駅風穴で水分補給。別に心に風穴が空いたわけではない。
精進湖のレストハウスで朝食。8時を回ったばかりだが、夜明け前から動いていたのですでに昼食気分である。
小さいイメージの精進湖だが、自転車目線でゆっくり見ていると結構大きく見える。とはいえ、やはり周回コースは五湖の中で最も短い。


桜吹雪日予想の出ていた土曜日。でもさぶい。レストハウスではストーブがたかれていた。もしかしたらオヤジ客一人のためにつけてくれたのかもしれないが。
時折、桜吹雪が舞ってくるサイクリング。この辺の山桜は今が散際である。






精進湖から望む富士進湖北岸からの富士山。ここは1200年前までは西湖と繋がった『剗の海』という大きな湖だったと文献にも残っている。また、この剗の海と本栖湖の周辺にはかつて『富士王朝』といわれる古代文明があり、高度な金属加工や繊細かつ高強度な土器を持った古代権力が存在したという。貞観の大噴火以前のここからの風景は山麓に広がる樹海はなく、広大な湖の湖面とその湖畔に立ち並ぶ民家、そして豊かな田畑だったのかもしれない。
以前はカルト的超古代史ものと思っていたが、三内丸山によって昭和古代人の縄文認識が180度否定された現在では、逆に信憑性が上がってきたといえなくもない。文献に言う「多くの民家や人々が溶岩に飲み込まれた」というのは、あるいは富士王朝の末裔と高度な技術の継承の消滅の瞬間だったのかもしれない。

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 以前より振れとCNC加工面の荒れが気になっていたクロスライドを、行き付けショップに持ち込み見てもらった。異音とシューの片減りの原因はホイールの振れではなく、CNC加工面そのものが摩耗して波状になっているということだった。
2009年に購入し、今は娘が毎日通学と塾通いに使っている『アレックスリムズ・R390』や、2010年の購入でおそらく我が家で最も距離を乗っている『Aクラス・フォレックス24』は、今だブレも目立った摩耗もない。現在ジテ通メイン使用とは言え、それらより後に購入した強度と耐久性が売りのマビックさんが「何故?」という疑問は残る。
クロスライド1クロスライド2またまショップに在庫が1組残っているというので交換してもらうことにした。当時は海外通販で送料入れても2万円しない価格で手に入ったホイールだが、正規品はそうはいかない。
とはいえ現在入手できる26インチリムブレーキホイールは安い鉄下駄しかないので、絶滅危惧種であるクロスライドUBは貴重である(ショップに在庫していること自体、イエス様が起こした奇跡に近い気もする‥‥)。





XM1172月24日、クリスマスイブの日。新しいホイールが装着された。同時にこの度派手なデカールの復活でもある。このデカールは何かチープっぽくて好きではない。XM117のデザインならシンプルでよいのだが、それでもこのところはレアな存在なのでしばらくそのままにしておこう。
外したホイールは、その他使用済みパーツ数点とともにリサイクルショップに『ドナドナ』されて行き、クリスマスイブの夜の食卓を彩る食材へと変わった。


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川野ロープウェイ三頭山口駅跡を後にして、再びダム堰堤に戻る。ダムが見えない堰堤の下
ダム堰堤の真下を見ると、発電所に続く道がある。発電所は当然立ち入り禁止だろうが、近くまで行けば、ダムを直下から見上げられると思い、国道から下に下りる道を下る。
ところが坂を下りきったところでゲートに遮られる。あと100mほどで道が曲がっており、その先からは、見上げるようなダムの全容が見えるはずである。


道所橋?青梅古道念だが反転。だが道は川伝いにつながっている。これはダムができる前の青梅街道で、今は『むかし道』と呼ばれているらしい
道は舗装路だが、かなり荒れている
しばらく進むと吊橋発見。道所橋という橋だ。





惣岳渓谷道所橋2ても東京都とは思えない風情である。この辺りの深い谷は惣岳渓谷というそうだ。自転車で走れる自体超掘り出しコースである。







『む縁結びのお地蔵さま馬頭観音かし道には』ところどころに小さな道しるべがある。
『馬頭観音立像』や『縁結び地蔵』など、昔よりこの周辺の住民に信仰されていたもののようだ。







しば惣岳渓谷しだくら橋らく行くと第二の吊り橋があった。こちらはさらに長い橋で定員3名。しだくら橋と書かれている。下は淵となっている。
この辺のむかし道は沿道に民家もあり生活道路になっている。軽車両が時折往来する。





不動堂惣岳不動尊らに少し進むと山の中腹に不動堂があった。『惣岳不動尊』。明治10年に成田不動尊を勧請・祭祀したのが始まりとある。
ここは関東36不動霊場出はなさそうだが、ここで不動尊を見つけたのも、お不動さまのお導きかも知れない。
のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん‥‥




未舗装路になった水根貨物線廃線跡の先、むかし道の生活道路部分は国道に合流する。むかし道のすぐ上を現在の青梅街道、その遥か上の水根貨物船のコンクリート橋が見える。
この先旧道は未舗装になる。距離はわずかとわかっているのでそのまま進む。グラベルも対応するタイヤなので気にせず走れる。





道は今でも生きているよう国道の上上りだ。国道と交差するところがあるが、てっきり国道の橋の下を抜けるものと思っていたら、国道トンネルの上だった。
再び道が舗装になると、再び遥か上に水根貨物船の鉄橋が見えた。
残念ながら、あそこを車両が走ることはもうないだろう。
これも歴史遺産といえる。




map1どなく国道と合流。青梅までささやかな幸せに酔う。(上りも結構あったけど)

本日の走行 74.1km


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帰りにへそまんじゅうへそまんじゅうをお土産に購入した。




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台風青梅街道を奥多摩へ奥多摩大橋5号がもたらす前線によって不安定な天気が続く土曜日。
先週の続き、再び奥多摩にリトライ。先週は思わね天のシャワーを浴びたため、此度は用意周到、雨具一式を備えての出陣である。
今回はベースを東青梅まで前進させた。今回も仕事の都合で輪行でなくカートランポである。
先週来ているので今回は青梅街道を上りに使う。



白丸ダム発点東青梅から、奥多摩駅入り口までは21.3km、平均斜度0.7度。頑張らない走りを心がければ余裕のあるる行程だ。せっかくだからトンネルを抜けずに横の旧道を走る。白丸トンネルの旧道にある『白丸ダム』。発電用ダムだが、管理運営しているのは『東京都交通局』。まさか都電や都営地下鉄の電気をここで賄っているわけではあるまい?。






近代的消防署週は日原だったので、今週は奥多摩湖に向かう。
奥多摩駅は今回素通りで進むと市街の外れに、およそ付近の景観に合わない近代的建物。これは消防署だな。前回ここを通ったのは2014年。いつできたんだ?
奥多摩は通常の消防・救急より山岳・水難事故や捜索などのほうが圧倒的に多いだろうから、ここの隊員さんたちは国際救助隊並みにいろんなことをしなけらばならないのだろう。




素掘のまま梅街道は国道になってからかなり整備が進んだが、今でも素掘りにコンクリートを吹きかけた、昔の地方道のようなトンネルが残っている。
自転車で走っていると少し怖い(安全上です!)ところもあるが、ちょっとスリリングで近郊サイクリングとは違う雰囲気を味わえる。





副ダム川の日原街道入口交差点から、小河内ダムサイトまでは5.9km、標高差196m、平均斜度3.3度である。3年前に来た時は奥多摩駅からダムサイトまでタクシーで行った。
ビルの4階まで駆け上がれた当時と3階で必ず小休止する現在、では体力的にもかなりの差があるはずだが、軟弱に徹していたら、近辺では感動するコースがなくなってしまっている。副ダムが見える地点に到達。最後の約600mが斜度が5度強と最もきつい。




水根廃線ガード跡根貨物線終着駅『水根駅』手前のガード。以前も触れたが、もし水根貨物線の旅客線化が実現していたら、ホリデー快速の終着駅はここになっていたかもしれない。







自転車ゆりーと像小河内ダム本堤多摩湖畔の『水と緑のふれあい館』に到着。起工から76年、完成から丸60年になる小河内ダムの堰堤が、今なおその巨大な威容を保ち続けている。
ふれあい館前にあるオブジェ。『自転車ゆりーと像』。『ゆりーと』とは2013年の第68回国体・東京大会のマスコット。いわゆる『ゆるキャラ』である。八王子〜奥多摩湖畔までのロードレース開催を記念してつくられたようだ。



ドラム缶橋渡れない峰谷橋回はさらに奥多摩湖の奥に進む。
奥多摩湖に架かる橋で一番下にある峰谷橋を渡る。
湖の中央に突き出した小河内神社の峰に続く尾根をトンネルで抜けると、『ドラム缶橋』がある。橋の上で記念撮影するために立ち寄るが、あれ、両端がなくなっている。
残念ながら水量不足により通行止めとなっていた。今は樹脂のフロートになりちょっと風情がなくなってしまったが、やはり昔ながらのドラム缶橋と呼んだ方が愛着がある。

さて川野ロープウェイ川野駅付近の支柱川野トンネル、今回の奥多摩湖のポイントは『もう一つの廃線跡』を見ること。
かつては奥多摩湖の両岸を結ぶ、東京都で唯一の観光用ロープウエイが存在した。『川野ロープウェイ』といい、川野駅と対岸の三頭山口駅を、2基のゴンドラで結んでいた。営業期間は短く、経営不振で運休となり、その後運営会社が自然消滅。現在は所有者不明となっている。
川野トンネルの手前を左に曲がると当時の支柱とケーブルがそのまま残されている。
トンネルを出て右側から川野駅に上る道があるが、入口のところにある売店の女将曰く、私有地なので立ち入り禁止とのこと。行くまでの道が私道ということか?。まあ廃線マニアでも心霊マニアでもないから警告を無視してまで見に行く気もない。教えていただいたお礼をして引き返し、最終目的地、ロープウェイの対岸駅『三頭山口駅』に向かう。
『三三頭山口支柱深山橋と三頭橋頭山口駅』は奥多摩周遊道路の旧料金所の上にある。奥多摩周遊道路へはロープウエイのすぐ上流の深山橋と三頭橋を渡る。観光道路としての奥多摩周遊道路(当時は奥多摩有料道路)ができたことにより、経営不振になっとことは皮肉である。
旧料金所に隣接する川野駐車場に右岸側の支柱がある。





川野ロープウェイ三頭山口駅川野ロープウェイ三頭山口駅入口車橋から50mほど歩いたところにある石段を登ると、すぐ廃墟と化した駅舎が見えてくる。階段の先に見えるのは怖いものではなく、本物の人間である。心霊スポットとしてかなり有名で、アクセスもいいことから見物人が始終来ているようだ。





川野ロープウェイ三頭山口駅2三頭山口駅の破損はひどく、まさに廃墟マニア・心霊マニアの恰好の獲物である。
先にライダーのあんちゃん3人が潜入している。人がいるせいか、霊感オンチなのか、怖さや何かを感じるということはない。どちらかというと周囲の木々の陰から、ディロフォザウルスやブラキュラプトルでも出てきそうな雰囲気だ。
そしてオヤジの真の恐怖は全く別のところにある。石段の切れ目まで、ガラス片の飛び散った泥化した急斜面を、ほとんどグリップしないビンディングシューズで下りること。無事に下りられてほっとしたが、転んで怪我でもしたら本当に霊魂の仕業にされてしまうところだ。




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梅雨が明け、猛暑日とゲリラ異常豪雨の続く毎日。
涼を求めに今回は山に行く。
スカイタワー今日は隅田川花火の日日は、ベースキャンプとなる拝島駅までを車とした。
両国橋は歩道にネットが張られている。今日は隅田川花火大会の日だ。帰りに足止めを食らう可能性もある。
新青梅に入り西東京市の象徴??であるスカイタワー西東京を抜けて拝島に向かう。





車を友田水管橋羽村取水堰拝島の事業所におかせてもらい起点として出発。奥多摩街道で羽村取水堰を通過し、多摩川に掛かる友田水管橋を渡る。このルートは何度か通っているが、上流に向けて走るのは初めて。






櫛かんざし美術館ラフティング山街道を経由して多摩川右岸の奥多摩街道を通り、古里で青梅街道に合流する。
途中には『吉川英治記念館(夏季休館中)』や『櫛かんざし美術館』などがあったり、眼下の多摩川にはラフティングエリアなどがあったりする。





友田プチ山岳ツアー?御岳口管橋から、途中の御岳山口の鳥居まで13.2km。地形により下りもあるが、ほぼ緩やかな上りである。平均勾配0.8度。ならしたローディさんなら何でもない道だが、地下鉄の階段も上れない親父としては、体力温存のためママチャリおばちゃんの買い物ペースでゆっくり進む。
しかし朝市の限定特価品目当てに行くときのママチャリおばちゃんはロードレーサーより速いけど‥‥。
天候は曇りで、気温が比較的低いのはありがたいが、目指す奥多摩方面は「降っています」といわんばかりの厚く低い雲。降ってもにわか雨という予報を信じて進行。
奥多摩町に入ると山並みは深くなる、やはりただ下るだけと違い徐々に上っていく感慨はある。まぁ、ぺースが遅い分よそ見する余裕はあるし、その都度停まれば休憩にもなる。

奥多摩駅多摩駅に到着。今まではここが起点だったが、今回は中継地である。ここで飲料補給。
周囲にごみ箱がないので店内で飲料を買い飲みきったぺットボトルを引き取ってもらう。サイクリストは文字通り、飲食後のごみを処分しないと、新たな食料も飲料も補給できない。
店主曰く、店頭にごみ箱を置くとマナーのない観光客がごみをすべてまとめて捨てていってしまい、分別処理の負荷がかかりすぎるためだという。状況をイメージするに難くないが、現地調達・現地廃棄が原則のツーリングには頭の痛い話でもある。
せめてマナーは守ってもらいたいものである。


巨大な工場多摩駅から日原方面に進むと、やや勾配のきつい上り坂が1.8kmほど続く。平均斜度3.1度。居酒屋のカシスオレンジ程度だ。酒が全然苦手な親父でも何とか2〜3杯はいける。
奥多摩駅を過ぎるとすぐに街の上の中腹に、何かジブリのアニメに出てくるような巨大な構築物群が見える。調べてみると『奥多摩工業株式会社氷川工場』。『跡』ではなく、現役稼働施設である。
鍾乳洞があるくらいだから、奥多摩には石灰岩層が広く分布しているのだろう。日原方面には何十年も来ていないから忘れてしまっていた。



3.1度を飲み切る(もとい、登り切る)と、そ何の橋吊り橋こから斜度0.9度の平坦路がしばらく続く。左手に見えてきた吊り橋のところで小休止。
つり橋から先に道が続いているが、上の集落までつながっているようだ。谷は結構深く、ビルの3〜4階の高さはありそうだ。
つり橋から上流側のかなり高い部分に鉄橋が見えた。




トロッコ橋た廃線跡かと思ったが、何と現役の石灰輸送軌道であった。
免許取ったころ日原に来たときは、採掘場の中を通って細い道を通った記憶がある。2回目に来た時はきれいなトンネルになっていた。あの採掘場は今も現役で、採掘された石灰岩はこの軌道で先ほどのジブリの工場に運ばれて行くようだ。
車で何回か来ていながら発見できなかった(見つけていても関心がなかったか‥‥)ものが再発見できるのも自転車の醍醐味である。




日原トンネル日原渓谷ロッコ橋を過ぎると道は再び上り坂になる。
吊り橋あたりから懸念していた雨が降り出した。林の中ではあまりひどくなかったが、山腹に出ると結構降ってる。しかも坂は先ほどよりきつく、トンネル手前では遂にローマックスとなってしまった。
1.1kmの日原トンネルは結構きつい上がり坂である。トンネルなので斜度もわからず、曲がっていて出口もわからないまま永遠と同じ角度を上り続ける感じである。
但し今回は、苦しんだ分、帰路では同等の幸せを保証されているようなものなので、モチベーションは上がる。撮影で止まる以外の挫折は全くなかった。
日原の集落につくと再び平坦路になる。トロッコ鉄橋から日原集落まで4.5km。平均斜度4.7度。ビール並だ。下戸は1杯でダメになる。

燕岩?籠岩?入口乳洞を見ているうちに雨が収まるのを期待して見学申し込みをする。
鍾乳洞入口から望める1枚岩(籠岩?・燕岩?)の巨壁が圧巻である。







大ホール1狭い通路入る。1枚薄いパーカーを持っていたが、全身スブ濡れの体に冷気が容赦なく襲い掛かる。納涼どころか熱でそう!
日原鍾乳洞は何度か来ているし、ネット等で紹介もされているので割愛するが、前回まではこんな明るいLEDライトアップなんてなかったよ。自分で強力なライトをもちこんで見えないところを照らしてみたもんだ。




案内板はり新洞iphoneになって今までのカメラより画質がきれいになったので、結構いい写真がとれるようになった。
七色の大ホールはあまりにも有名だが、この新洞上りの頂上付近から下を見る光景も圧巻である。
龍泉洞の美しさ、あぶくま洞のスケールには及ばないかもしれないが、やはり東京が世界に誇れる遺産である。



雨がどおしようもない収まる期待もむなしく、外に出たら土砂降りの本降りであった。雨の日は乗らないというより俺が乗る日は雨は降ってはいけないという考えなので雨具はあまり持ち歩かない。売店でカッパを聞いたがないとのことなので、肉うどんで暖をとって、天に制裁を与えるべくずぶぬれ走行を決行する。
予想通り帰路はただただブレーキをかけるのみ。好天ならどんなに気持ちがよかったか‥‥これが俺が求めた幸せか!
唯一予測が当たったとしたら、氷川の街に近づくにつれ小雨になってきたということだ。案の定、鳩ノ巣辺りで雨はやんだ。鳩ノ巣から青梅までも大方は緩い下りになっている。わずかの間、ささやかな幸せが訪れるはずだったが、道路が乾いてきたにもかかわらず、自分だけは雨の中を走り続けていた。靴の中は池状態で、ヘルメットから絶えず雨水が顔に飛び散り、いつまでもメガネに水滴が残った。


神輿山車路は青梅街道で青梅市内を通り、再び滝山街道・奥多摩街道で拝島に戻る。福生で夏祭りの山車や神輿に遭遇した。
やっぱ夏である。神輿の掛け声がなぜか「ふっさぁ」「ふっさぁ」と聞こえるのは気のせいか‥‥。






日原島で車に戻ったころからまた雨が降り出した。
本日の走行92km
やはり甘く見ないでカッパとリュックカバーは携行すべきである。
悔しいのは、雨も予想したが、対応は『濡れたら温泉はいる』という安易さでシャツ・パンツとタオルは予備を持参していたことである。結局靴と靴下の替えを持ってきていなかったので温泉も断念せざるを得なかった。


PS
平地に来てから、ブレーキの利きが悪くなっている事に気付く。雨のせいだと思っていたが、ブレーキのパットがかなりなくなっていた。ベローチェ+アシマ怖い‥‥
最後まで取れないメガネの水滴は飛蚊症だったことが判明??そういえばいつの間にか増えていた‥‥

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初夏を通りこして、既に真夏の様相を呈している空梅雨の土曜日。
恐怖の行徳橋度のことだが、この時期海が見たくなり九十九里を目指す。
今までの、車で行ってベースを起点にするのではなく直接家からの往復にする。
検索での予定走行138km。

往路は御成街道をベースにするため、京葉道路から江戸川水閘門・行徳橋を渡り船橋に抜ける。
本日最初の難関行徳橋。架け替えが進んでいると聞いていたが、まだ桁の一部ができているだけだった。
歩道が狭くすれ違いに難儀するので、車の切れ目を図って、一気に車道で渡る。
土曜日朝で車も少なくゆっくりと渡れた。

花見川度か通っているとタカをくくり、ナビなしで走ったため、御成街道に入るまでに、船橋・習志野で迷走する。
津田沼から、大久保を抜けて御成街道に入る。







御茶屋御殿跡滞の四街道を越え、定石通り自衛隊横を通ればいいものを、横着したら、また迷走。無駄な遠回りをした後、再び御成街道に入る。佐倉街道から先の御成街道は、起伏が多く、道が細くて悪い昔ながらの道の印象が強いが、市街地化により整備が進んでいる。
市街地を抜け、埃っぽい畑と林が混在する長閑な風景に替わると『御茶屋御殿跡』の看板。家康のお鷹狩りの休息場としてつくられた借り屋敷で、井戸や土塁が残されている。




OXエンジニアリング道の時は気付かなかったが、『OXエンジニアリング』を発見。千葉の校外とは聞いていたがここにあったのか。
ミニベロの名車『ガゼル』のカスタムメーカーである。但しミニベロでいえば『ガゼル』より『ピコ』が有名。しかし主力商品はカスタムメイドや競技用の車いす。最近よく見る犬用車いすも造っている。






ニチレイレディズやってますの辺まで来ると、車も少ない長閑な田舎道だが、今日は観光バスに大型セダンや外車がやたら走っている。ところどころ警備員もいる。
そういえば途中に「袖ヶ浦CC」があったのだ。なんで袖ヶ浦と全然違うところに『袖ヶ浦』なんだという突っ込みは別として、今日はニチレイレディズの中日であった。





御成街道跡康の命により敷かれた御成街道(当時はそう呼んではいなかっただろう)は起点の船橋から東金までほぼ直線的に敷かれ、そのかなりの部分は現在も一般道として使われているが、時代の流れとともに道が変わり、寸断され現在ではその痕跡を見ることもできなところもある。
千葉市山王町周辺・東金市周辺とこの八街市沖地区である。沖地区に入ると斜めに突っ切る直線道は消失し、区画整理された、碁盤の目状の道に替わっている。今は全く痕跡のない道端に斜めに建てられた看板だけが当時を知る目印になっている。



雄蛇が池雄蛇が池一のポイント『雄蛇が池』に到着。金山トンネル・観音隧道と並び、千葉県でも五指に入る心霊スポットだが、昼は自然豊かなバス釣りスポットでもある。トイレ休憩も兼ねて立ち寄るが、確かにここのトイレには夜は近寄りたくない。
前回はここから東金市街までで前進を断念、反転帰投となったが、今回は海を目指してさらに前進する。



不動堂蛇が池からまたしても迷走して不動堂海岸まで14km。
やってきました九十九里浜。
しかしこの砂!。自転車を端に停めることもできず、ビンディングシューズに砂が入るのも嫌なので、ここで海を望むことは断念。
ここから、折り返し予定地点の『サンライズ九十九里』まではあとわずか。




智恵子抄の碑智恵子抄の碑ンライズ九十九里の手前に『智恵子抄の碑』というものがあるので寄ってみる。
文学にはトンと興味ないオヤジであるから高村智恵子が療養のためこの地にいたというのは初めて知った。
実際この場所に智恵子のいた別荘があったわけじゃないだろうが、車だと事前調査をしなければ見逃してしまうようなポイントである。
‥‥自転車立てかけてごめんなさい。‥‥


サンライズ九十九里っと到着。今回の目的地、「千葉のマリーナベイサンズ」??(‥‥といわれているかは不明)『サンライズ九十九里』。
屋上にプールはないが、屋内にサウナ付きの展望風呂がある。
これがリゾートホテルではなく『国民宿舎』だということが、〇〇ベイ〇〇〇に勝る唯一の勝機か‥‥
手頃な値段で泊まれるのだが、休日スケジュールが直前まで合わせづらい我が家では『ホテルシーサイド江戸川』とともになかなか取れない宿の一つである。




外海です。九十九里浜ンライズ九十九里のすぐ横で海にそそぐ『真亀川』の河口から海岸線に出る。
河口提の突端部。目前に広がる大洋。初めての自走による九十九里到達。今回のミッション達成。





スタバ飯路は白里から大網街道1本で本千葉に抜けるルート。すでに脚は引きつり状態だが、前回の渡良瀬と違うのは、予想通り帰路に追い風になったのと、お尻の苦痛が限界点に達していないことである。
大網の市街を抜けると、最後の難関、1.5km・平均斜度4.1度の上り坂。普通のサイクリストなら何でもない軟斜路だが、今の親父には獄門坂である。しかしここを登り切ると、千葉寺までの約17kmはほとんどペダルに力を入れる必要のない僅かな下りである。
千葉市街に入ってスタバで遅昼の糖分補給。超甘が休まる。



幕張りはR14から花見川を下り、『幕張の浜』に出る。太平洋と東京湾の両方の海を堪能?できた。








本日九十九里センチュリーライド達成??の走行160.67km。距離こそセンチュリーだが12時間かけているから、最初の4時間でNGである。
でも、この800円で買ったサイコンは「26インチ」としか指定できないのであまりあてにならない。GPSがなくなってちょっと不便だ。
記憶の限りルートラボで再現した距離は158km。
前回の渡良瀬サイクリングより距離も長く斜度もあったが、帰りの追い風と尻の苦痛軽度による精神的・肉体的余裕が幸いした。


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自転車通勤がなくなったため、年末の下野ライド以来の自転車出動となる。
銀座の某リサイクルショップで買い物をしてから晩飯のおかずを買って帰るまでの時間、久々に少しこぐ。
お茶してから、桜田門を通りBMCの故郷、赤坂の某大手チェーンのサイクルショップに物色しようと足を延ばしたが、店がなくなっている。
HPみたら半年も前に閉店していた。
他の店に行くのもつまらないので、このままポタに切り替える。

六本木通りから麻布通りに入り、外苑東通りに入る。今日は警備がとても物々しい。しかもやたらに旭日旗がはためいている。
『今日は何の日』。「お財布の日」。「モスバーガーの日」。右翼とも機動隊や警察隊とも関係ないなぁ。

天文台跡天文台跡2シア大使館の横の路地を入ると、小高い丘に突き当たる。今はアフガニスタン大使館の一部も含むこの突き出した台地の縁に東京天文台があった。あまり物々しいので警備の警官に「天文台跡に行ってもいいですか」と尋ねたら「天文台跡なんて知りません」と答えられた。
ここは以前にも一度来ているが、この史跡の正式名は『日本経緯度原点』という。三角点などの地理的測地はここを基準とされていた。関東大震災までここは天文台だったのだ。


今日は何の日?タワーのものしい飯倉交差点をこえて、東京タワーからタワー前交差点・赤羽橋を経由して芝公園に。またまた街頭演説がけたたましい。そしてバリケード。
『今日は何の日』。「スイーツの日」、「日曜休日・土曜半ドン制定の日」。そんないい日だったのか。
それとも誰か来た?サウジアラビアの国王陛下一行が大挙して来日するからか。それも関係ないな。何故なら石油燃料の宣伝車で走り回っているんだから。



今まで最も丸山古墳3多く訪れた古墳、『芝丸山古墳丸山古墳2』。案内板には『全長106m』とある。おやじはこの古墳の大きさを「墳丘長125m」と紹介する。『東京都遺跡台帳』の『港区遺跡癸横粥戮冒環坑隠横毅蹐筏載されているからだ。
南武蔵を実効支配していた豪族の墓だろうが、125mという大きさは鉄剣『稲荷山』の120m、同時期の『野本将軍塚』115mなどの北武蔵の墳墓も上回る規模である。
「王よ(「なんだ長嶋」‥‥とは返ってこないだろう)この周囲の騒然、どう思われますか‥‥。」「とりあえずお茶にしますか‥‥」

芝公古川河口園を貫き、丸山古墳の前方部を削いだ環状3号線は、日比谷通りから先は未整備の路地となる。JRの歩行者用ガードを超えると海岸通りに突き当たる。
海岸通りから見た古川河口。首都高が寄ってたかって古川を半暗渠化してしまっている。この惨劇は日本橋川より酷い。これがかつての『春の小川』の河口である。





またBMCレインボーループまたやってきたレインボーブリッジ。
橋げた高50m。最近知ったのだが航空機規制による高さ制限は150m。レインボーブリッジの主塔高は126m。24mのクリアランス(バーゲンじゃないよ)があるわけだ。
単純ではないが、主塔發鬘隠毅娃蹐泙念き挙げたら橋げた高は74mになる。もしかしたらタイタニック号もくぐれたかも知れない。どちらにしろあり得ない話ではあるが。
もともと買い物目的だったので、ショッパー仕様のAC−02。

2層ゆりかもめダイジョウブ構造の下層部が一般道とプロムナード、して中央を『ゆりかもめ』が通る。
以前仕事でビッグサイトの展示会へ行ったときは寿司詰めであった。ちょっとした展示会で通勤ラッシュ並みの混雑。
オリンピック、ホントに大丈夫なの?






プロ第3ダイバだった第六ダイバだったムナードから見えるのは第6ダイバダッタ。
その先にあるのが第3ダイバダッタ。
ダイバ・有明のビル街の向こうにゲートブリッジが見える。
江戸の外港の守りとして9基が計画・着工された台場。第1・第4・第5は大井の埋立地の中に埋もれた。第2は航路上の障害として撤去。第3と第6が現存。第7は未完のまま撤去。第8は有明埋立地に替わり、そして第9台場は、まさに今問題のスポット『豊洲市場』の場所に築かれるはずだった。


豊洲市場豊洲再び明から豊洲へ。前回とは逆ルートになった。
周辺整備を残して、ほとんど出来上がっている豊洲市場。
なんかほかの使い道ないのかねぇ。入る前から「使いずらい」なんてレッテル張られて、立つ瀬がないよね。某元都知事さん、無駄な銀行の分まで合わせて金返して。




さて、晩ライフで買い物ついでにソラマチ飯の買い物は、押上げのライフ。晩飯買って帰るには時間があるので、ソラマチでお茶をする。
『ライフセントラル押上店』。ライフはIYやイオンと違ってこじんまりしていて地元密着感があるが、ここは少し毛色が違う。変わった商品も置いてあり、クイーズほどではないがちょっと高級感もある。


久々の半日のんびりポタ。
コーヒー代ばかりやたらにかかった一日であった。
hirupota





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置き場復活BMCCIMG9548がないため、組んだまま狭い部屋で展示品となっていた『BMCアルペンチャレンジAC−02』。我家の最軽量バイク(といっても10kgを越えているが‥‥)をやっと再始動する。
最近極度の運動不足と体重増で、100km前後で音を上げる情けない状態なので、AC−02試運転を兼ねて岩槻に行く。
朝からうだるような暑さの中、久々のツリーと1枚。最終的にサドルとタイヤを変更。少しグラベル風雰囲気になった。



北千住か河川沿い遊歩道らR4元荒川を元荒川までひた走り、元荒川沿いに折れて岩槻を目指す。元荒川が文字通り荒川本流だったころは、倍以上の川幅があったろう。
土手を利用した遊歩道があり、のんびりサイクリング気分が味わえる。






金剛院山門業用のダムである末田須賀堰に出る手前に、立派な山門があった。『金剛院仁王門』は将軍徳川綱吉の生母桂昌院からの寄進を受けたものだそうで。左右の見事な仁王像は岩槻市(現さいたま市)指定文化財になっている。







BMC末田堰止湖?須賀末田須賀堰堰』によってせき止められた川筋は湖沼のような雄大さを見せている。
小さな公園の木陰でチョイ休憩。






まず浮城は岩槻サイクリングの第一ミッション。岩槻城の攻略から始めよう。
『岩槻城』は太田資清により築かれたとされ、当時の荒川流路を総構えの一部に利用して、周囲を沼で囲んだ浮城である。城構えはあの『のぼうの城』忍城を彷彿させる。北条攻めの際の城の明暗ははっきり分かれたが、城を生かすも殺すも人次第ということか。





岩槻城黒門岩槻城空堀址公園として残っているのは『新曲輪』・『鍛冶曲輪』という後に北条氏によって築かれた出丸だった。ここは土塁や空堀が残されている。今でもかなり深いが、当時は今よりさらに深く、土塁も高かったようである。
公園内には『黒門』という当時の城門が保存されている。一度は浦和に移され埼玉県庁の正門になっていたものが岩槻市に「払い下げ」になったという。この説明ちょっと違和感を覚えるのはおかしいだろうか?



懐かしい車内東武特急『きぬ』い公園敷地の大部分はかつての沼濠であり、その名残の菖蒲池を回ったところに『東武のロマンスカー』といわれた特急『きぬ』の車両が保存されていた。
なっつかしい〜。子供の頃、新幹線『ひかり』を筆頭に東武の『きぬ』・『けごん』、小田急の『ロマンスカー』、近鉄の『ビスターカー』は憧れの列車であった。今なら車で4時間程度の会津若松まで板張りベンチシートの『夜行急行ばんだい』に一晩揺られた時代である。
思わず乗り込む。中は冷房が効いていて涼しい。この懐かしいレトロな客席でおベントを食べたくなったが、「飲食禁止」であった。残念。

人形の博物館りあえず、城址公園を後にして第二のミッション、人形の博物館に行く。
まだ娘が赤子の頃、今のひな人形を探しに岩槻に訪れた。家から浅草橋はすぐなので足繁く通ったが、どうしてもよいものが見つからず、「人形だったらやっぱり岩槻だろ」ということで、かみさんと一緒に歩き回った。数軒回ったところでカミさんがここがいいといったのは小木人形という店だった。今でも口コミ評価は高いようで、人形選びだけ?はカミさんの目に脱帽。




さて、人形人形の博物館2人形の博物館1の博物館は、岩槻駅前の東玉総本店4階にある。写真撮影禁止なので東玉のサイトより画像をお借りする。
当日は受け付けもいないで、署名と入館箱に300円入れて自由見学。一人しかいないところでじっと人形を眺めていると、笑ったりウインクされたりしそうで、ちょいとミステリアス。古い人形は顔立ちからしてそんな雰囲気を醸し出す。




人形岩槻大師弥勒寺の博物館を見た後で、第三のミッション、岩槻郷土資料館に行く。薄ら覚えの地図しか記憶になかったので、うろうろしている間に『岩槻大師』というお寺の前に来た。
なんとなくお参り。すると大師がお知恵を授けてくれた。「駅前に交番があったからそこに戻って尋ねよう」。
駅まで戻り交番で聞く。郷土資料館は大師への参道を曲がらず少し行ったところであった。「だったらそのように授けてくれよ‥‥」と思ったが、やはり楽な道を授けてはいただけないものなのだ。




『岩郷土資料館槻郷土資料館』。建物そのものが展示品のような感じだが、実際旧岩槻警察署の旧庁舎を利用している。
岩槻の歩みを中心に、生活様式や暮らしの道具が展示されている。また、建物そのものが大正から昭和初期の作りがそのまま保存されていて、ちょっとしたタイムトリップ気分になる。
ここでは岩槻の県庁設置にかかわる情報や展示がないか探したが、残念ながら見つけられなかった。
その代わり、岩槻の観光地図をゲット。当時の城構えと現在の街並みの位置関係がわかったので、城攻略に再挑戦する。



先ほ岩槻城二の丸跡ど訪れ岩槻城三の丸跡た城址公園の北側に、現在の県道2号に沿って沼に囲まれた『三の丸』『二の丸』『本丸』があった。
県道に沿って進むと消防署の脇に三の丸跡の碑を発見。三の丸を落とした。ここの脇の路地を入ると大手口跡があるはずだが見つからない。
また県道の戻り、本丸を一気に突く‥‥はずだったが気が付かないうちに二の丸跡の碑を見つけた。
定石通り‥‥であるが二の丸も落ちた。


地図岩槻城本丸跡本丸制圧ではGSとコンビ二の間に本丸跡の碑があるはずだが、やはり見つからない。反対車線から何気にみたら、あった。道沿いだとばかり思っていたらスタンドの奥に本丸跡の碑を発見。
遂に本丸を攻略した。スタンドが休みなので勝鬨をあげられなかったが‥‥。




時の鐘一ルート上に『大手口跡』と『時の鐘』があるので再チャレンジ。
時の鐘は、道路沿いにはなかったので大きい割にはてこずったがほどなく発見。
大手口跡の碑は遂に発見できなかった。掃討戦に時間をかけられないので、後ろ髪をひかれる思いで断念する。(後で地図に書かれた位置と実際の位置にずれがあることがわかった。)
クエストゲームのようで結構熱が入ってしまったが、徒歩で順路道理にいけばもっとたやすく見つけられるのだろう。




さいスタ2002構遊んでしまい、時間を大幅に使ってしまったので早々に帰路につく。
帰りはR122.をひたすら南下。







岩槻日の走行 92km
暑さと運動不足でしんどかったが久々のBMCは軽かった。







人形のまち岩槻まつりメイン会場廃藩置県藩置県によりかつての武蔵国北部は『入間県』と『埼玉県』に分かれた。入間県の県庁所在地『川越』と同様に武蔵国の要衝であった『岩槻』が埼玉県の 県庁所在地とされた。これは教科書にさえ載っている事実である。しかし諸所の理由(浦和の陰謀か?)で県庁は浦和に置くことになり、そのまま両県の合併で『浦和』が名実ともに県庁所在地になった。
岩槻は主要幹線から外れたこともあり一地方都市に甘んじたまま、さいたま市に併合される。
歴史の重みなら岩槻のほうが浦和より上である。尤も歴史の重みで首府が語られるのなら明日香村が今でも日本の首都でもおかしくないが。
そんな岩槻がかつて県庁所在地であった証を見たかったがそれは見つけられなかった。
岩槻は祭りの準備で活気があった。やはり歴史と伝統の重みみたいなものが岩槻にはある。川越・行田とともに再び訪れたい街である‥‥

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チェーン・他ェーンとスタンドを残して部品の装着が終了したAC−02。
エスゲWレッグは安定はいいが重い。期せずして大幅に軽量化されたのでスタンドはなしかKOBAの軽量センタースタンドでいい。
エスゲはボツ。





クランク・SPDペダルSPDペダル回は極力自家ストックの消化に努めたが、クランクとSPDペダル、その他小物を追加購入。
クランクはシルバー・クランク長165mm・5ピンがきちんと露出している??という3条件とフォローテック2が必須だったためセコが必然となった(だいぶ歯がくたびれている)。最近低グレードにまで採用されている『HOLLOWGLIDE中空構造』は好きではない。ましてあの4本アームに囁かな嫌悪感を感じるのはオヤジだけだろうか。
三ヶ島FD−6はホント、過酷な使用に対してもガタやゴリの出ない奇跡のペダルであるが、大麻常習者同じくビンディング依存症に片足を突っ込んでいるため、SPDペダルの誘惑に勝てなかった。(しかしFD−6より重たいペダルって何!)

今回ケーブルプロテクトは定Oリング番のリサドル・テールライトクセンカウルシリーズとバッシュガードは未装着。
最終的に新たな購入パーツは
FC5750クランクとPD−M324ペダル
以下は新品購入、
インナーブレーキワイヤー前後
チェーン
フレームプロテクションシール
ワイヤー用Oリング(別に必要じゃないかも)

締めて13,000円ほど。
ルッククロスが買えるお金を使ってしまった。(ベローチェ同様名前が大好きだから「クラリス」のセコクランクでも良かったか‥‥)
その他の待機品はパナレーサーロードランナー+前後チューブ・ビームスプリングサドル・ケーンクリークサッドバスター等々。

ミニVブレーキうしろディレーラー・スプロケミニVブレーキまえイヤーケーブル系、保Wレバー安部品を取り付けたが、チェーンだけはまだ未装着。完成してしまうと簡単にバラシができないのでチェーンセッティングは保留。






ボトルケージブルホーンればスピードと距離積算だけでいいから1,000円くらいでメーターが欲しいところである。



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追伸
VERO5品箱の一番下から、娘用で使っていたキャットアイサイコンCC−VL110が出てきた。細かいタイヤサイズ設定ができないが動きそう。サイコンも買わずに済みそうだ。

bmc bygone days 2bmc bygone days 16月『嵯峨』にフレーム以外のパーツを移植し展示品となっていた在りし日のBMC。
先月、嵯峨を700C化したことによりクロスライドとベローチェライナープルカンチブレーキが戻ってきたので、ほぼ家のストックで主力パーツが組み上げ可能となった。




bmc refabrication 4bmc refabrication 1に組んでみたBMC。
ストック品の再利用なので、ブルホーン仕様となり、リア10速のフリクションタイプから9速のインデックスに変更となる。
ディレーラーはディオーレ⇒アリビオ。クランクは105だがBBは105⇒ティアグラにダウンしている。もともと全品セコで揃えているし、ちょい乗り用ならこれでも十分すぎる。



ベロbmc refabrication 3bmc refabrication 2ーチェショートVブレーキ(正式名がライナープルカンチブレーキとなる)が復活する。
我が家のお宝パーツ?である。別に我が家で唯一のカンパブランドだからというわけではない。『ベローチェ』という名前がとても気に入っている。『エクセルシオール』とか『タリーズ』という名前だったらここまで惚れ込まなかったろう。





bmc refabrication 5イヤーアッセンブリーとチェーンと保安部品をつけてセッティングすれば乗れる状態である。
我が家で最軽量のバイクである(といっても10kgはある)。ショッパー化せずそのままの状態で乗りたい。
すぐにでもスタンバイしたいが、トランクルームがいっぱいで新たな自転車の置き場がない。
駐輪場を借りるとほぼ雨ざらし状態となってしまうので、残念ながら当分部屋のインテリア状態のままになりそうである。


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本震の後には余震が来る。
4月29日の逗子大船めぐりの本震の後にクールダウンを兼ねて半日プチランに行く。
干潟?回は見沼通船堀までの往復。
何時ものように河口付近から荒川CRを北上する。
どこかで左岸に渡らなければならないので、船堀橋で左岸(中土手川)に入る。
結構引潮である。水不足なわけではない。足跡があるということは結構固いんだ。





芝川河口河口からほぼ20km地点で、芝川の合流点につく。
『みはらし茶屋』でトイレと水分補給。
ここから初めての『芝川サイクリングロード』に入る。
芝川。かつては見沼田んぼ周辺でとれた米を江戸に運ぶ水運の大動脈であった。





芝川サイクリングロー芝川CRドに向かうと最初の500mほどは、アートが彫られたような石畳状の舗装で未舗装路並だが、対岸に渡ると路面はよくなる。
特に狭くもなく、普通に走るなら人や対向自転車をやり過ごすのにつらくはない。
但し、橋のたびに車道を横切ったりわたる場所まで迂回したりするところは不便。





モーター旧芝川分岐芝川マリーナートをよく見るなと思ったら、係留場があった。流石水運で栄えた川である?
芝川河口から7km弱で、堅川・旧芝川のスクエア分岐点に出る。






芝川CR全容イクリングロードは標識もあり、気をつけて走っていれば迷うことはない。大半は右岸走行だが、いきなり左岸になったり、また戻ったり紛らわしい。
ほぼ終点に(というか逆からは始点になる)案内板があったので今までのルートを確認する。『芝川で「農」を体感するルート』とあるが、特に農を感じるところってなかったが‥‥





『芝八丁堤より芝川上流川サイクリングロード』の終点、八丁堤から先の芝川
かつてここから先は『見沼』と呼ばれた巨大湖沼であったという。見沼の水が下流の水田を潤していたが、たびたび水害になることから、干拓され、流入河川の川筋のみ残して広大な田園に変わった。そして消失した見沼の代わりに利根川より農業用水確保のために開削されたのが見沼代用水というわけである。
この先の左右から流入するのが『見沼通船堀』である。




東第二閘門岸に流れ東第一閘門込むのが東縁通船堀である。途中2つの閘門がある。
水位の違う見沼代用水と芝川との船の往来を、この閘門で水位調整して航行するのである。
我が江東区の小名木川にも有名な『小名木川ロックゲート』がある。構造的には同じものが、ここでは既に江戸時代に実用化されていたのだ。
因みに『見沼通船堀』や『小名木川ロックゲート』よりもほんの少し有名かもしれないが、中南米の『パナマ運河』という運河も同じ構造である。


東水路取水口沼代用水東水路からの取水口。勿論江戸時代はコンクリート護岸ではない。
水位差約3mということは、1つの閘門で1.5mの水位差をカバーしたことになる。
実際に昭和の初頭頃まで実用されていたそうで、今でも年一回実際に当時を再現したデモンストレーションが開催されているようだ。





一回西第一閘門りして西縁西縁通船堀へ行く。
西側にも閘門が2つあるはずだが、1つしかなく、案内板には『第二閘門跡』というものがあった。
今の閘門は20年前に復元されたものだ。できたての頃に来た以来である。





艦隊阻止りはもと来た道を引返す。
芝川マリーナの上流部にこんなものがあった。
こんなもので300艘の大艦隊を無力化できるんだぁと感慨深く見入ってしまう。
違うだろ!何考えているんだ?このバカオヤジは‥‥

帰りに『みはらし茶屋』で遅めの昼食。2階がレストランになっているのだが、金欠なので1階売店で済ます。
ここは荒川CRを利用するサイクリストの絶好の休息ポイントになっている。
写真撮るの忘れたので紹介まで。
http://www.seibu-la.co.jp/adachi-agri/resthouse/
見沼通船堀日走行71km。
129kmの余震としては結構大きかった。






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奇しくもちょうど丸1カ月前のアクシデントで中途断念した計画ルートをリベンジする。
目的地は逗子である。本日のミッションは長柄桜山古墳を散策すること。今回も午前6時出発。
神奈川の古墳探索は初めてである。神奈川にも数多の古墳があるが、今まで一度も来ていないのは、関東他県に比べてみるべき古墳がない‥‥平たく言うと100mを超える大型古墳がないという理由であった。
今回の長柄桜山古墳群の主墳2基は墳丘長約90m。100mには及ばないが神奈川県では最大級である。
サイクリングとしても横浜・三浦半島方面は初めてであるので、ぜひチャレンジしたかった。

まずにっぽん丸、途中ランドマークタワーのランドマークとなる、文字通り『ランドマークタワー』。真下に来るのは初めてである。高層ビルに囲まれた都心に住んでいても、バカはやはり見上げてしまう。南側には日本を代表する大型帆船『日本丸』がメモリアルパークに保存されている。
日本丸とランドマークタワー。
なんかアレキサンドリアの灯台みたいだ。さしずめ日本丸はエジプトの大型ガレー船ってところか???



廃線??沢八景から金沢八景逗子に向かうのだが、平潟湾を回っていく。
これが有名な『金沢八景』である。
歌川広重が今のこの景色を描いたらどうなるのかなぁ‥‥
峠を越えて逗子駅に行く途中の踏切。廃線かな。トンネルの向こうで子供が遊んでいる。今回のテーマとは全く関係ないが、ちょっと気になる。
地図では京急神武寺駅まで伸びている。かつては池子弾薬庫に伸びていたのだろう。


遊歩道て、逗子駅郷土資料館を越えて古墳へのアクセスポイントに向かう。
逗子市郷土資料館が最適そうだったので、ここから遊歩道を出発する。
道は結構きつい登りもあり、軽いトレッキングで筋肉痛をほぐそうと思ったが、追い打ちであった。





2号墳前方部より後円部を望むること10分弱。六代御前の墓方面からの道と合流と直ぐ2号墳がある。丘陵の小高い頂上に、前方部を相模湾に向けて造られている。墳丘長88m前方部中腹から後円部を見ているが、全形はわかりずらい。







前方部先端より人がたっ長柄桜山2号墳ている先が後円部である。イメージしていたより大きい。
前方部正面からは、木々の間より相模湾が一望できる。
葺石が見つかっているので、この古墳も建造当時は相模湾を航行する船から白亜のモニュメントが威容を誇っていたのだろう。





1号墳全景合墳から森の中を10分ほど歩くと視界が開け、目の前に1号墳が現れる。
墳丘長90m、消失古墳を除けば神奈川県最大級の古墳である。
2号墳よりも形ははっきりしている。保存整備中なのだろう、立ち入りが禁止されている。
後円部のすぐ下には住宅地が迫ってきている。ここの緑は貴重な自然だ。





逗子海岸て、2つの古墳を制覇した段階で多少予定時間オーバーだが、そのまま引っ返すのはつまらないので、予てより予定していた2つのポイントに行く。
とりあえず、せっかく湘南に来たのだから海沿いを走ろう。
逗子市郷土資料館を下ると、長柄トンネルの脇に出る。ここからR134に出て、鎌倉の滑川交差点まで行き、若宮大路・鎌倉街道を経由し大船に向かう。




一の一の鳥居鳥居を抜けると、鎌倉のメインストリートとなってくる。見どころ満載の鎌倉だが、今日は鎌倉観光に来たわけではない。
鶴岡八幡宮パス、建長寺パス。さだまさしを歌いながら東慶寺・円覚寺もパス。一路大船へ。






大船観音船と言ったらやはり観音様である。
名だたる名勝を素通りして、参ると言ったらここしかないでしょ。
『大船観音』。白衣観音とも言う。大船駅の裏手の尾根に鎮座する高さ25mの胸像である。遠方から見るとちょうど立像のような高さ配置に見える。もし立像なら東京湾観音より大きな観音様になりそうだ。
全国に巨大な観音像は多いが、顔立ちの好みなら東京湾観音様と二股をかけたいくらいである。




大船観音2ジア系の人が随分多いと思った。おやじのような観光客とは違いお祈りは丁寧である。
パンフレットには、近年この白衣観音像が近郊のアジア系在住外国人の方々の心の拠り所となっていると書かれている。毎年秋には『ゆめ観音』という各国の音楽舞踊のイベントも開催されているようだ。
余談だが、子供の頃は『横浜ドリームランド』という今で言うテーマパークがあって、大船からモノレールで行ったことを覚えているが、すぐに廃線になってしまった。湘南モノレールは今の現役だけど、大船って今で言う立川や千葉のようなモノレールの起点だったんだねぇ。



大船観瑜伽洞(田谷の洞窟)1音様から10分ちょっと走ると、真言宗のお寺で定泉寺というお寺がある。
あまりメジャーではないが、ここには通称『田谷の洞窟』という鎌倉時代から江戸時代にかけて掘り続けられたという大洞窟がある。
今でも修験場となっており、一般拝観ができる場所は限られている。もともと修行の道場であるから、観光スポットではない。メジャーでないのは当然である。




洞内瑜伽洞入口」へは手燭台に蝋燭の火を灯して入る。行者道と言われる巡拝コースは250mほどだが、蝋燭が消えないようにゆっくり歩くとかなり長いものである。洞内は三層構造になっていて、要所要所に広い空間が有り、仏像が安置されており、羅漢像や曼荼羅が掘られているのは見事。修行用の滝や人工の川まであり、鍾乳洞的な醍醐味もある。残念だが洞内撮影は厳禁。





ここでトラブル発生。パンクである。しかもリア。BMCのパンクは初めて。今のタイヤは劣化がだいぶ目立ってきた。そろそろ替え時と思っていた矢先である。
空気を入れても2キロもたない。これは観音様を色事で見たばちである。
次に限界が来たら、諦めてパンク修理と思っていたら、戸塚駅を過ぎたところにプロショップがあった。ここは自分でやって時間をかけるより、プロの任せる方が賢明。20分ほどチューブ交換で2,000円少々。逆に観音様の導きかも。

本日の走行 129km
長柄桜山古墳ルート今回は予備知識無しで行った『田谷の洞窟』が一番の「掘り出しもの」だった。 



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葛西橋9:00AM日までの雨が上がり、天候が回復した。
今日は川越に行く。距離は都内を抜けR246経由が最短だが、平日ということもあり荒川CR経由と決めていた。
スタート地点の葛西橋に着いたのがAM9:00。すでに北西寄りの風が強い。信号がない代わりに完全な向かい風だ。

流れるMP3は『L作戦マーチ』。伊福部昭のマーチは乗りがいい。
だけど勇ましいマーチとは裏腹に全然進まない。向かい風覚悟の上なので、体力を温存する為、ママチャリおやじにも抜かされる15km/hペースで行く。ほとんど『やる気のないダースベーダーのテーマ』状態である。


入間川分岐越線の鉄橋を超えると、川筋が荒川本流と入間川に分かれる。このまま右岸をR16まで進む。
川越は『小江戸』といわれる昔からの街並みが有名だが、廃藩置県により、武蔵を2分する入間県の県庁所在地だった街である。では本家埼玉県の県庁は浦和だったのかというと、これまた岩槻だったのである。どちらかというと浦和・大宮は成り上がりである。土地の盛衰は時代の常ではあるが、川越に比べて岩槻の衰退は気の毒なくらいである。




閑話休題。
天海僧正日、川越に来た目的は小江戸の街並みを見て、甘味処でお茶するためではない。まず第一は喜多院の慈眼堂古墳を訪れること。
喜多院は、『黒衣の宰相』天海僧正が住職となったことで、徳川幕府と結びつき、幕府の援助で飛躍的に拡大した。喜多院の山門の横に天海僧正の像がある。
『天海僧正』=『明智惟任光秀』説はその筋では有名だ。学術的にはほぼ否定されているが、義経=チンギスハン・聖徳太子=タルドウ・天草四朗=秀頼の遺児などとは次元が違う状況証拠の多さである。写楽=斉藤十郎兵衛くらいにきちんとした検証をしてもらいたいものである。

またまた閑話休題。
天海僧正墓碑多院に山慈眼堂古墳門をくぐると、慈恵堂のさらに左奥に『慈眼堂』という小さなお堂が小高い盛り土の上にあり、その奥には、天海僧正の墓碑(天海僧正は日光に埋葬されている)がある。
この小高い丘が古墳である。
墳丘長約50m。高さ5mの前方後円墳らしいが、立札等はない。




仙波東照宮こっちのが古墳らしくね眼堂から濠を挟んで南側に『仙波東照宮』がある。
こちらのほうが、よほど古墳の風格を備えているが、こちらは後世の盛り土で、残念ながら古墳ではない。






本丸御殿多院を後にし、もう一つの目的地に行く途中で、市立博物館に立ち寄ることにした。時間はあるし、いろいろ情報も取れるし、ティーラウンジで昼食休憩もしたかったのだが、なんと館内整理日の為休館であった!。普通こういうところって月曜日が休館じゃないの?!
しょうがないから向かい側の川越城本丸御殿で記念撮影。
この辺りは川越城の本丸跡だが、勿論江戸時代以降のものである。




東明寺て、次の目的地は、日本三大奇襲戦の一つに数えられる、『河越夜戦』の古戦場を見ること。
河越夜戦は、北条氏綱が占拠した扇谷上杉朝定(アサテイショクの略ではない)の居城河越城奪還の為、朝定が本家上杉憲政と関東公方に援軍を求め集まった、8万の軍勢に対して氏綱の子氏康が7千騎で夜襲をかけ、連合軍を完膚なきまでに撃退した戦である。
この戦で朝定は討死、憲政は戦場を離脱できたが、多くの重臣・兵卒を失い、北条の関東覇権を決定づける戦となった。




川越夜戦の碑戦場を示す碑は、本丸御殿から800mも離れていない、北側に位置する東明寺というお寺の境内にある。
現在は小さなお寺で、観光ルートからも外れているが、当時はかなり広い寺領を持ち、東明寺口という城門に面していたらしい。
ここに陣を張っていたのは上杉朝定の本体1万5千といわれ、2千ほどの北条勢に襲われ壊滅した。
ここには夜戦場跡の碑と、この夜襲による戦没者を弔う塚がある。資料館や食事処があるわけではないので、早々に退散する。





船塚古墳中昼食をとって再びCRに戻る途中に、もう一か所『船塚古墳』という50mほどの円墳(前方後円墳説あり)があるというので立ち寄る。
しかし古墳の看板がなければ絶対古墳とはわからい程破壊がひどい。建物がたっていたようで、盛り土もほとんど失っている。保存がよければかなりの規模のものだったろう。




ここからは来た道を引返す復路である。
自転車とともに‥い北西風が今度は追い風になり、往きとは違い快適である。
ところが昼食のステーキとコーヒーをがぶ飲みしたのがよくなかったのか、お腹のほうもストレートに来てしまった。
人気の少ない河川敷で『誰でもトイレ』があったので使わしてもらうことにしたが、自転車をつなげる杭やガードがない。
中を見たらかなり広いので、自転車ごとはいることにした。
トイレにチャリンコの持ち込みは、半世紀以上の人生で初めての経験である。




トイレももう日が暮れた無事にゴール過ごし、一路河口に。河口到着は18:00を回っていた。
行きつけのショップの店長の勧めもあり、ハンドル高を45mmほどあげたら、ポシションが疲れなくなった。サッドバスターの効果かは不明だが、パッド付インナーなしで100km以上のランとなったが、お尻の痛みはほとんどなかった。





本日川越までの走行121km



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ジャイアント補助ブレーキレバーレバードネット・エイドアーム・セーフティレバーに続く第四のブレーキレバーを入手した。ジャイアントの補修パーツ(アクセサリーオプションではない)補助ブレーキレバー。






昨年モデルあたりからエジャイアント補助ブレーキレバー2インラインレバーニーロードやインバイトに装備されている補助ブレーキレバー。『ERGO−CONTROL』という名前がついているようだが、発注時にはこの名称は通らない。インラインレバーではあるのだが、形状が特殊であり、ハンドルの肩部から制動がかけられる優れものだ。





装着例1装着例2在この手の市販レバーは、ディズナから出ている『Jクルーレバー』くらいである。デザイン的にはディズナに分があるが、価格では『ERGO−CONTROL』のコスパが際立つ。現在Jクルーレバーは入手できない状態なので、使い勝手の比較はできない





400装着例4mm/26Фのハンドルにイメージ装着する。肩から引き易い位置にすると下ハン使用時に干渉する。しかし肩部のグリップが最も多いことを考えると、多少犠牲にしていい部分だろう。ぜひディズナと使い比べしたいところだが、もう次のサイクルモードで、もっといいのが出てくるかも‥‥





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雪のため、行程僅か中ほどにして敗走した第一次城山攻略。
臥薪嘗胆、そして捲土重来‥‥いい言葉だ。
京王閣再び到来を予感させる温暖気候の中、第二次滝山攻略のため進撃する。
津久井湖サイクリングに再挑戦。
AM6:00には出発したかったが、諸所の都合で出発はAM8:00となる。アキレス腱の炎症で通院しており、体調にはやや不安。
前回吹雪で引き返した、京王閣前を順調に通過。前回の天候が嘘のようだ。但し、吹雪ほどではないが、遠方が霧のように霞んでいる。スギ花粉?黄砂?PM2.5か‥‥!!
コンスタンチヌスの柱ここにも武線の鉄橋を越えると、対岸に某国の軍事施設?のような建物。稲城市の清掃工場。
ここにも『コンスタンチヌスの柱』がある。上に大帝の像はないのだが‥‥



多摩美大前く多摩川左岸のCRを走り、四谷橋を渡り野猿街道に入る。あまり意識していなかったが、野猿街道から柚木街道を抜けて、東京環状に出るまでは、ほぼなだらかな登りルートである。いい加減疲れてくるうえに、多摩美大付近は傾斜がきつくなる。ここで一気に体力がなくなる。

東京環状から町田街道・津久井街道を経由して城山ダムに向かう。
城山ダムを目前にして、城山と津久井湖ファミレスで昼食。せっかくだから一気に攻めずに搦め手から攻略する。ダムの手前から県道513号線に入り、津久井街道の対岸を行く。
コンパクトクランクのおかげで、何とか対岸の最上部に。津久井湖と城山が一望できる。

さて、対岸を遠回りしたのには理由がある。噂の廃道県道515号を見るためだ。県道515号線県道515号は513号の三井から千木良でR20に合流するまで相模川左岸を抜ける道だが、一部が廃道になって久しく、廃道区間入り口には巨大な鉄柵がある。
せめてそこまでは行ってみたい。
県道515号の道幅は1.7m。うちの車じゃ通れん!!しかし軽には2回出会った。これでも立派な生活道路のようだ。

ミニヒルクライムはまたどんどん上り坂になっていく。
こんなところでミニヒルクライムになってしまった。軟弱ポタリストはついにF34T×R36Tの最強ギアまでいってしまった。はっきり言って押し歩いたほうが早くて楽だ!
ヒルクライムは長い距離ではない。鍛えていればコンパクトすら不要なのだろう。
噂の廃道して報酬のはずの快適なダウンヒルは一瞬の間。再び集落に出て、集落の最上部にあるお寺を越えると、ありました!噂の現場?

巨大な鉄の遮断機をやり過ごした奥に、更に巨大な鉄柵。馬防柵か?でもしっかり横から抜けられる。かなりの人間がここを越えているようだ。

けっこう山名手橋に戻り、途中から折れて、更に下ると津久井湖に掛かる大きなつり橋『名手橋』を渡る。
橋の中央から、先ほど走った県道515号方面を望む。結構山間に来た感じだ。まぁダムがあるくらいだからねぇ。

城山ダム久井街道に出て、城山ダムの観光センター駐車場に付く。
ついに城山を制覇した。
はぁ、城山の頂上まで行ってはじめて制覇じゃないのかって‥‥
ご冗談でしょ!

さて、すでに15時近い。いい加減疲れもたまっているので早々に撤退する。
ほぼもと来た道を戻る。御殿山から百草園までは、ロングダウンヒルである。クロスライドは惰性で結構走ってくれるのでほとんど漕がない。しかし流石に80kmを越えたくらいから、オマタが痛くてたまらなくなった。自転車なら摩擦部にはグリースを塗ることを考え、ドラッグでクリームを買って塗る。多少は和らぐかもしれないが、やはり『ZOOGELFIOW』サドルでも駄目か‥‥。Gパンにトランクスというもの自体に問題もありそうだが‥‥

多摩川CRまで来ると、テーピングしている腱がぴしぴし痛み出した。通院中の脚では無謀だったか。でもどうせシップ薬とロキソニンしかもらっていないのだが‥‥。ロキソニン飲んでもあまり効果がない。右足に力が入らなくなった。

コンスタンチヌスまたまたトワイライト路のように、世田谷通り⇒R246・渋谷と抜けていくのが最短だが、すでに脚には力が入らない。世田谷通りや246の起伏に耐えられそうもない。遠回りでも起伏のない道を選ぶ。イチコクまで粘るしかない。
二子玉ですでに17時をまわっている。CRの夜は照明もなくダーク色のランナーや「犬に散歩させられている人たち」がいるので危ない。
結局、闇に閉ざされニコクから降りて市街地を行く。

もうだめだぁ会の夜景は美しい。けれど今回は夜景にかまっている状況ではない。
右足はほとんど使えず、左足は引きつってきた。おまけに少しの段差でオマタの悲鳴。
浜松町で一旦休憩する。
木場公園前、家を目前にしてついにドロップアウト。押し歩きになる。筋肉痛などで、行程中に押し歩きしたのは、秩父輪行以来だ。

行程mapM20時過ぎ。何とか帰宅する。途中からメーターすら見なくなったが、本日の走行149.9km.あと100mで150kmだ!
MR−4での日帰り最長が114km、BMCの最長は74kmだから、最長記録を大きく更新した。
BMC流石也。
やはりオマタの課題は残された。今回は出発が遅れて、こまめな休憩が取れなかったこともある。足は故障中で、また翌日また通院である。

帰宅時までにまったく余力の残らないサイクリングであった。
100kmを越えると、もはや忍耐と距離数の達成感しかない。
本来、時間に縛られず気の向くまま、寄って・見て・楽しむのがポタリストのスタイルだ。
やはりポタリングを楽しめるのは50km〜70kmまでである。ポタリングは距離を気にしてはいけない。

とはいえ、もう少し頑張れば『センチュリーライド』も夢ではないことも実証できた。
第二次城山攻略により、城山ダムは陥落した。


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PS 翌日、通院に自転車を出してしまった‥‥
    自爆行為であった‥‥

MC後のBMCの試走コースを津久井湖にしたのは、それなりの距離と、きつい高低差が少ないからだ。
サドルを『ZOO GELF LOW』に替えて、股擦れと前立腺の痛み回避にどのくらいの効果があるかの検証もあるが、趣味でいじっているとはいえ、それなりのパーツを投入している。健脚なら200kmも楽勝な仕様である。軟弱ポタリストといえども100kmを余裕でクリアできなければ意味がない。
平日に休みを取って夕暮れ時までに帰る予定。翌日も4時半起きの仕事だ。
雪で足止め午前7時30分、天気予報は午前中一時雪と出ている。雲は低いが予想より寒くない。どうせ降ってもものの1時間くらいだろうとタカを括って出発。
新宿を抜け、R20で府中から聖蹟桜ヶ丘、橋本を経由するに抜けるのが最短ルートだが、走りやすいR246二子玉から多摩川CRを抜けるルートにした。
より深く垂れ込めた雲は、渋谷からついに雪になった。R246は首都高が上を通っているので、ある意味雪の直撃を避けられる。
降りはどんどん激しくなり、ついに用賀で足止めとなった。吹きっさらしのCRに入る前に様子見をする。
京王閣店でつぶすこと1時間。少し小降りとなったので出発。
程なく多摩川に出る。また雪が強くなった。風が吹くと横殴りになる。
雨具はない。雨を覚悟してまで行軍するほど強い意志で臨んでいるわけではない。防水を施していないコートとズボンは徐々に滲みてきている。
京王閣で記念撮影。過日MR−4で来た時は、すでに70km以上走っていた。今回はまだ36kmだが、天候のせいか疲労度は今日のほうが高い。
京王閣を過ぎると、降りは更に強くなった。すでに全身水がしみている状態なので、多摩川原橋多摩川原橋の桁下でまた様子見。やはり雪はやむ気配がない。牡丹雪となってきた。
体力的には続行可能だが、無理は禁物である。とある映画での三船敏郎演じる大村海軍少将の言葉を不意に思い出す。『このまま帰ろう。帰ればまた来ることが出来る』。そうだね、大好きな言葉である『捲土重来』をまた使うことも出来る。
服はずぶ濡れだが、ここまで来れたのは、先日松戸の某ショップで購入した手袋のおかげだろう。あの時は暖かい日で、こんな冬手袋、今年はもう使うまいと思っていたが、今回は手袋の防寒・防水効果で、手の悴みがないのが大きな効果だ。
途中ファミレスで暖をとりながら帰る。結局、東京駅雪が収束したのは、すでに東京駅を越えてからである。
走行69.5km
また、70km止まりとなってしまった。今回はスパッツにカーゴパンツだったため多少擦れたが、このサドルではまだまだいけそうである。
ほぼ全行程雪であった。雨ならば降り始めで退却していただろう。雨の日は乗らない主義だ。
雪の中でここまで走ったのは、どこかに残る『ヨンダブリスト』のサガだろう。
何の言って雪の中を走るのはすきなのだ。たとえ駆動が一輪であったとしても‥‥

第一次城山攻略は悪天候という伏兵の襲撃を受け、無様な敗退で終わった。


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延命地蔵ッティング終了後のならし運転。彩湖までの往復。やはり少し恥ずかしい『クロスライドUB』だが、慣性のよさは抜群であり、僅かな傾斜があれば、ずっと漕がなくてもいいのは楽。慣性の良さだけ見ると、フォレックス24以上だ。まあ26インチなら当然とも思えるが‥‥。快いラチェット音が走りのよさを予感させる‥‥。
南千住を通過した際、延命寺のお地蔵様が目に留まる。前回訪れたときは、震災で座から落ちて、ばらばらの痛々しい姿だった。今回直っていたので、立ち寄って浄銭を奉納。合掌する。

彩湖2ストだから一般道でこまめにシフトを繰り返す。北風の強い日、戸田までは一般道を使い、向い風を極力避ける。フ ロントは2速で稼動範囲が狭まる分クイックになった。但し、街中のSTOP&GOの繰り返しでは、風向きを差し引いてもMR−4のほうがやはり軽い。

途中から荒川土手に上がる。30kmも走ったらばてばてになってしまった。強い向い風のせい?
リアのギアチェンジが軽くスムーズになったのはU品ながらXTの効果か。チェーンラインのずれが気に なるところだが、クランクがシェル幅70mm対応とのことなので、右ワンに1.8mmのスペーサーを入れてみた。以前にしばしばあったミドルレンジでのシフト時のギ アの滑りがなくなって、確実にシフトするようになった。なぜ‥‥?

彩湖1ョートステムの影響が、強風を受けたり段差を越える際、押さえが利かずハンドリングが不安定になる。改善というより、滑るフリースの手袋をしていたという点が問題であり、滑り止めの付いたサイクルグローブにしたことでほぼ解決というお粗末さ。

CRも含め70kmほどの試運転だが、やはり脚とお尻に来た。MR−4でのサイクリング時のお尻の痛みは、パッドつきインナーでほぼ解消されたが、AC−02の場合は、同じインナーでも、股擦れを起こしてしまい、70kmがほぼ限界となってしまった。
脚力のないのは不精進なだけだが、お尻や内股も鍛え上げないと駄目なのか??
ポジション変更の効果で、多少肩・首は楽になったものの、お尻に関してはまた白紙となった。
無風状態では、面白いくらい軽く回るだけに、お尻と向き合う?ことが、AC−02のロングライドの課題だ。

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イブソラマチ2クリスマスイブ。
サンタになるためにソラマチにいく。
カミサンと娘にサンタさんからのプレゼントが届くよう、偽装工作である。

いまさら娘はサンタクロースなど信じてはいまい。
昔は「サンタさん、〇〇お願いします」とお手紙を書いてわたされたものだが、今欲しいものを書いたら、「サンタさんは、現在取り扱っていないそうです」と、却下されることがわかっているようである。
したがって、今回は本人の希望とは異なるプレゼントとなる。

イブソラマチ3つも激突しているカミサンにも、今日はプレゼントを用意する。しかし娘だけでは、不自然なのでカミサンのところにもサンタがくることになる。
以前よりクリスマスにあわせて届くように注文していた、おやじのプレゼントは残念ながら間に合わないようだ。
じゃ、とりあえず先日のイーストンがプレゼント?ということで、3人のプレゼントがそろう。

イブソラマチ1々のソラマチ。
連休最終日だが、すでに21時近いのにかなり混んでいる。25日までのスカイツリーはもみの木をイメージしたクリスマスライトアップになっている。今日は時間によってはキャンドルの赤色にもなるらしい。
まあ、開業前のライティングテストのときに、様々なライティングを見てたから別におどろかないけどね。


今年も残すところ後わずかになった。
片道2時間強の通勤で自分の時間も大幅に減った。
イブソラマチ何はともあれ、ここまで無事に過ごせたことに感謝。
帰りに、最後の追い込みで売っていたCVSのクリスマスケーキを買って帰る。
ささやかなイブのお祝いをする。

Merry Christmas 神の祝福があらんことを!
うちは仏教だから、勿論仏様のご加護もお願いします‥‥!!


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