KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

BMC

富士四湖−河口湖と古剗の海周遊−下つ巻

精進湖から本栖湖に向かう。
富士王朝都跡?ミステリアン古戦場?元前2,500〜3,000年ころ、大室山一帯の噴火で流れ出た溶岩は、古剗の海に岬のように突き出ていた城山の尾根に達し、古剗の海を本栖湖と剗の海に分断した。
三湖の水位は常に同様に上下するので地下で繋がっているといわれている。溶岩地質は透水層なので、ろ過装置のように全体で流すイメージだったが、同じ溶岩流でも河口湖や山中湖、日光の中禅寺湖などは湖水を形成している。これだけ大きな湖の水位がほぼ同時に水位の変化に同調するのは、水道管の本管のような地下水脈が何本も通っているのかもしれない。



富士王朝都跡?ミステリアン古戦場?2栖湖から望む富士山。
おお、ここから望む景色はかつて「半径3kmの土地と女性との結婚権」を巡って、ミステリアンと地球防衛軍が死闘を繰り広げた戦場跡?である。
あの樹海の中央にミステリアンドームがあり全高340mのマーカライトファープ2機が攻撃を仕掛けるところである。
現代なら地球防衛軍より先に、「女性の権利侵害」といって世の女性がミステリアンに先制攻撃を仕掛けているだろう。
氷穴の氷は夏でも溶けない。熱に弱いミステリアンは樹海の地下の冷水脈を使っていたのか。だが後に同じ場所に基地を構える、高温でなければ生きられないキラークは、富士火山帯の地熱を活用している。
ちょっとご都合良すぎじゃないの。

閑話赤池水なし休題。現実に戻る。
本栖湖を周回してR139を再び湖北ビューライン分岐点まで戻る。
赤池交差点を過ぎると国道は『赤池大橋』と『瀬々波橋』で樹海の上を抜けていく。ここでかつての国道跡を発見。R139は交通量も多く怖いのでこちらを回ってみる。
旧道から『瀬々波橋』を見ると、下に樹木のない窪地が見える。ここが富士六湖として有名な赤池である。数年に一度、異常な長雨の時などに出現するという。今年は雪が多かったからもしかして水があるかなぁ、などと覗いてみたが、湖水らしいものはなかった。もし湖沼があれば五湖回ってきましたといえるのだが‥‥。


廃道れにしてもこの道はひどい。まぁ廃道になっているから未整備は当然だが、本道のすぐ脇で廃道ツアーができるのも面白い。







西湖北岸から望む富士不思議な光景北ビューラインの分岐点はかつての剗の海の湖上である。
海抜965m。西湖の最深部が72mなので、その差140m。西湖と精進湖が剗の海の埋まらずに残ったわずかな部分と表現されているので、流れ出た溶岩の堆積層が半端な量でない事だけはわかる。
西湖から富士山を望む。手前が流れ込んだ溶岩流。その後ろに今朝上り損ねた紅葉台が見える。



西河口湖北岸から望む富士文化洞トンネルから望む河口湖湖から河口湖に抜ける、文化洞トンネル出口から下方に広がる河口湖を望む。結構海抜差がある。きつかったわけだ。
河口湖から望む富士山。また余談だが、白石亮一・江津子兄妹、亮一の婚約者広子と江津子の恋人渥美譲治が来ていた祭りは富士河口湖町のようだ。白石亮一はどこに移り住んだのか。地盤の陥没で消失した集落のモデルはどこだったのか、気にはなる。



暑いにかく町営駐車場に戻る。こんなにいいロケーションで無料なのはありがたい。観光含めて6時間のポタ。朝からのイベントはまだ続いていた。
朝は寒かったが、この時間では流石にパーカーを着ていられないくらい暑くなった。






代々木ドトールPA山中湖路は山中湖を経由して道志みちで帰る。山中湖から望む富士山を1ショット。これで名目上は富士五湖周遊になった。
最後のお茶タイムは代々木PAのドトールコーヒー。もう家まで近いのでいつも素通りであったが、一度立ち寄りたかったところだった。交通量が少なく本線への合流も楽勝であった。




富士四湖回来訪から10年以上たっている富士五湖。車では何気に素通りしてしまう風景に足を止めることができるのも自転車の楽しみ。
本日の走行 70km
風景に古代やSFへの思いを寄せながら走るのもまた楽しい‥‥注意力散漫で危ない奴だ‥‥

リハビリ中のすべり症があとから堪えてきてしまったが。


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富士四湖−河口湖と古剗の海周遊−上つ巻

ゴールデンウィーク。
町営駐車場士河口湖町に来た。連休初日とは思えず、NO渋滞で河口湖大橋を望む市営の無料駐車場についたのはAM5:30。トレイルランのイベントをやっていて駐車場は早朝から大賑わいであった。
今日のミッションは河口・西・精進・本栖の富士4湖の周遊ポタである。同時に『古剗の海』の観光もしたい。






『古古せの海剗の海(こせのうみ)
』、力士の四股名ではない。
今から5000年ほど前に存在した消失湖沼である。度重なる富士火山の噴火により中央部分が溶岩流で埋められ本栖湖・精進湖・西湖になったことはあまりにも有名。この三湖を周遊するということは、ほぼかつての古剗の海を周回することになる。





河口湖大橋西湖1M6:00前に出発。河口湖南岸を走る。トレイルランのイベントはかなり大規模なようでずっとランナーが続いていた。
河口湖から西湖へ。ほとんどノーマークだったトンネルまでの登坂に閉口。ここを通ったのは20年以上前だから覚えてもいない。予想外にばてた。
トンネルを抜けるとすぐに西湖に出る。G・Wということもあるのか、早朝にもかかわらず湖畔は釣り人やキャンパーで賑わっている。



西竜宮洞穴2竜宮洞穴1湖から紅葉台に向かう。途中に『竜宮洞穴』という案内板があった。道は未舗装だが比較的フラットなので行ってみる。
少し行くとまた竜宮洞穴の看板があったが道はない。樹海の中を歩くようだ。折れて倒れたままの看板が「忘れ去らられる場所」という樹海のイメージを醸し出す。今日は洞穴散策が目的ではないし、自転車を残して失踪などとネタ?になっても嫌なので引き返す。




R1紅葉台?39に出て一旦富士吉田方面に1.5km程もどると紅葉台入口の看板がある。ここが本日一番の難関となる場所。1.4km、平均斜度11度の登坂である。上には駐車場やレストハウスがあるようだし、押し歩きで登ってもいいと思っていたが、行って見てびっくり。未舗装!しかも未整備状態。4駆でもなければ腹をする。この先頑張って1/3ほど登ったが、下りのほうがよほど危険。かといって麓に戻って自転車置いて登り直しも嫌なので、今回は断念。恐る恐る引き返す。





期待精進湖風穴していた絶景を堪能してのお茶タイムは捲土重来を期すことにして、次のポイント『精進湖』に向かう。紅葉台で朝茶できなかったので、R139道の駅風穴で水分補給。別に心に風穴が空いたわけではない。
精進湖のレストハウスで朝食。8時を回ったばかりだが、夜明け前から動いていたのですでに昼食気分である。
小さいイメージの精進湖だが、自転車目線でゆっくり見ていると結構大きく見える。とはいえ、やはり周回コースは五湖の中で最も短い。


桜吹雪日予想の出ていた土曜日。でもさぶい。レストハウスではストーブがたかれていた。もしかしたらオヤジ客一人のためにつけてくれたのかもしれないが。
時折、桜吹雪が舞ってくるサイクリング。この辺の山桜は今が散際である。






精進湖から望む富士進湖北岸からの富士山。ここは1200年前までは西湖と繋がった『剗の海』という大きな湖だったと文献にも残っている。また、この剗の海と本栖湖の周辺にはかつて『富士王朝』といわれる古代文明があり、高度な金属加工や繊細かつ高強度な土器を持った古代権力が存在したという。貞観の大噴火以前のここからの風景は山麓に広がる樹海はなく、広大な湖の湖面とその湖畔に立ち並ぶ民家、そして豊かな田畑だったのかもしれない。
以前はカルト的超古代史ものと思っていたが、三内丸山によって昭和古代人の縄文認識が180度否定された現在では、逆に信憑性が上がってきたといえなくもない。文献に言う「多くの民家や人々が溶岩に飲み込まれた」というのは、あるいは富士王朝の末裔と高度な技術の継承の消滅の瞬間だったのかもしれない。

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奥多摩再び 下つ巻

川野ロープウェイ三頭山口駅跡を後にして、再びダム堰堤に戻る。ダムが見えない堰堤の下
ダム堰堤の真下を見ると、発電所に続く道がある。発電所は当然立ち入り禁止だろうが、近くまで行けば、ダムを直下から見上げられると思い、国道から下に下りる道を下る。
ところが坂を下りきったところでゲートに遮られる。あと100mほどで道が曲がっており、その先からは、見上げるようなダムの全容が見えるはずである。


道所橋?青梅古道念だが反転。だが道は川伝いにつながっている。これはダムができる前の青梅街道で、今は『むかし道』と呼ばれているらしい
道は舗装路だが、かなり荒れている
しばらく進むと吊橋発見。道所橋という橋だ。





惣岳渓谷道所橋2ても東京都とは思えない風情である。この辺りの深い谷は惣岳渓谷というそうだ。自転車で走れる自体超掘り出しコースである。







『む縁結びのお地蔵さま馬頭観音かし道には』ところどころに小さな道しるべがある。
『馬頭観音立像』や『縁結び地蔵』など、昔よりこの周辺の住民に信仰されていたもののようだ。







しば惣岳渓谷しだくら橋らく行くと第二の吊り橋があった。こちらはさらに長い橋で定員3名。しだくら橋と書かれている。下は淵となっている。
この辺のむかし道は沿道に民家もあり生活道路になっている。軽車両が時折往来する。





不動堂惣岳不動尊らに少し進むと山の中腹に不動堂があった。『惣岳不動尊』。明治10年に成田不動尊を勧請・祭祀したのが始まりとある。
ここは関東36不動霊場出はなさそうだが、ここで不動尊を見つけたのも、お不動さまのお導きかも知れない。
のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん‥‥




未舗装路になった水根貨物線廃線跡の先、むかし道の生活道路部分は国道に合流する。むかし道のすぐ上を現在の青梅街道、その遥か上の水根貨物船のコンクリート橋が見える。
この先旧道は未舗装になる。距離はわずかとわかっているのでそのまま進む。グラベルも対応するタイヤなので気にせず走れる。





道は今でも生きているよう国道の上上りだ。国道と交差するところがあるが、てっきり国道の橋の下を抜けるものと思っていたら、国道トンネルの上だった。
再び道が舗装になると、再び遥か上に水根貨物船の鉄橋が見えた。
残念ながら、あそこを車両が走ることはもうないだろう。
これも歴史遺産といえる。




map1どなく国道と合流。青梅までささやかな幸せに酔う。(上りも結構あったけど)

本日の走行 74.1km


map2




map3




帰りにへそまんじゅうへそまんじゅうをお土産に購入した。




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奥多摩再び 上つ巻

台風青梅街道を奥多摩へ奥多摩大橋5号がもたらす前線によって不安定な天気が続く土曜日。
先週の続き、再び奥多摩にリトライ。先週は思わね天のシャワーを浴びたため、此度は用意周到、雨具一式を備えての出陣である。
今回はベースを東青梅まで前進させた。今回も仕事の都合で輪行でなくカートランポである。
先週来ているので今回は青梅街道を上りに使う。



白丸ダム発点東青梅から、奥多摩駅入り口までは21.3km、平均斜度0.7度。頑張らない走りを心がければ余裕のあるる行程だ。せっかくだからトンネルを抜けずに横の旧道を走る。白丸トンネルの旧道にある『白丸ダム』。発電用ダムだが、管理運営しているのは『東京都交通局』。まさか都電や都営地下鉄の電気をここで賄っているわけではあるまい?。






近代的消防署週は日原だったので、今週は奥多摩湖に向かう。
奥多摩駅は今回素通りで進むと市街の外れに、およそ付近の景観に合わない近代的建物。これは消防署だな。前回ここを通ったのは2014年。いつできたんだ?
奥多摩は通常の消防・救急より山岳・水難事故や捜索などのほうが圧倒的に多いだろうから、ここの隊員さんたちは国際救助隊並みにいろんなことをしなけらばならないのだろう。




素掘のまま梅街道は国道になってからかなり整備が進んだが、今でも素掘りにコンクリートを吹きかけた、昔の地方道のようなトンネルが残っている。
自転車で走っていると少し怖い(安全上です!)ところもあるが、ちょっとスリリングで近郊サイクリングとは違う雰囲気を味わえる。





副ダム川の日原街道入口交差点から、小河内ダムサイトまでは5.9km、標高差196m、平均斜度3.3度である。3年前に来た時は奥多摩駅からダムサイトまでタクシーで行った。
ビルの4階まで駆け上がれた当時と3階で必ず小休止する現在、では体力的にもかなりの差があるはずだが、軟弱に徹していたら、近辺では感動するコースがなくなってしまっている。副ダムが見える地点に到達。最後の約600mが斜度が5度強と最もきつい。




水根廃線ガード跡根貨物線終着駅『水根駅』手前のガード。以前も触れたが、もし水根貨物線の旅客線化が実現していたら、ホリデー快速の終着駅はここになっていたかもしれない。







自転車ゆりーと像小河内ダム本堤多摩湖畔の『水と緑のふれあい館』に到着。起工から76年、完成から丸60年になる小河内ダムの堰堤が、今なおその巨大な威容を保ち続けている。
ふれあい館前にあるオブジェ。『自転車ゆりーと像』。『ゆりーと』とは2013年の第68回国体・東京大会のマスコット。いわゆる『ゆるキャラ』である。八王子〜奥多摩湖畔までのロードレース開催を記念してつくられたようだ。



ドラム缶橋渡れない峰谷橋回はさらに奥多摩湖の奥に進む。
奥多摩湖に架かる橋で一番下にある峰谷橋を渡る。
湖の中央に突き出した小河内神社の峰に続く尾根をトンネルで抜けると、『ドラム缶橋』がある。橋の上で記念撮影するために立ち寄るが、あれ、両端がなくなっている。
残念ながら水量不足により通行止めとなっていた。今は樹脂のフロートになりちょっと風情がなくなってしまったが、やはり昔ながらのドラム缶橋と呼んだ方が愛着がある。

さて川野ロープウェイ川野駅付近の支柱川野トンネル、今回の奥多摩湖のポイントは『もう一つの廃線跡』を見ること。
かつては奥多摩湖の両岸を結ぶ、東京都で唯一の観光用ロープウエイが存在した。『川野ロープウェイ』といい、川野駅と対岸の三頭山口駅を、2基のゴンドラで結んでいた。営業期間は短く、経営不振で運休となり、その後運営会社が自然消滅。現在は所有者不明となっている。
川野トンネルの手前を左に曲がると当時の支柱とケーブルがそのまま残されている。
トンネルを出て右側から川野駅に上る道があるが、入口のところにある売店の女将曰く、私有地なので立ち入り禁止とのこと。行くまでの道が私道ということか?。まあ廃線マニアでも心霊マニアでもないから警告を無視してまで見に行く気もない。教えていただいたお礼をして引き返し、最終目的地、ロープウェイの対岸駅『三頭山口駅』に向かう。
『三三頭山口支柱深山橋と三頭橋頭山口駅』は奥多摩周遊道路の旧料金所の上にある。奥多摩周遊道路へはロープウエイのすぐ上流の深山橋と三頭橋を渡る。観光道路としての奥多摩周遊道路(当時は奥多摩有料道路)ができたことにより、経営不振になっとことは皮肉である。
旧料金所に隣接する川野駐車場に右岸側の支柱がある。





川野ロープウェイ三頭山口駅川野ロープウェイ三頭山口駅入口車橋から50mほど歩いたところにある石段を登ると、すぐ廃墟と化した駅舎が見えてくる。階段の先に見えるのは怖いものではなく、本物の人間である。心霊スポットとしてかなり有名で、アクセスもいいことから見物人が始終来ているようだ。





川野ロープウェイ三頭山口駅2三頭山口駅の破損はひどく、まさに廃墟マニア・心霊マニアの恰好の獲物である。
先にライダーのあんちゃん3人が潜入している。人がいるせいか、霊感オンチなのか、怖さや何かを感じるということはない。どちらかというと周囲の木々の陰から、ディロフォザウルスやブラキュラプトルでも出てきそうな雰囲気だ。
そしてオヤジの真の恐怖は全く別のところにある。石段の切れ目まで、ガラス片の飛び散った泥化した急斜面を、ほとんどグリップしないビンディングシューズで下りること。無事に下りられてほっとしたが、転んで怪我でもしたら本当に霊魂の仕業にされてしまうところだ。




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日原納涼‥‥

梅雨が明け、猛暑日とゲリラ異常豪雨の続く毎日。
涼を求めに今回は山に行く。
スカイタワー今日は隅田川花火の日日は、ベースキャンプとなる拝島駅までを車とした。
両国橋は歩道にネットが張られている。今日は隅田川花火大会の日だ。帰りに足止めを食らう可能性もある。
新青梅に入り西東京市の象徴??であるスカイタワー西東京を抜けて拝島に向かう。





車を友田水管橋羽村取水堰拝島の事業所におかせてもらい起点として出発。奥多摩街道で羽村取水堰を通過し、多摩川に掛かる友田水管橋を渡る。このルートは何度か通っているが、上流に向けて走るのは初めて。






櫛かんざし美術館ラフティング山街道を経由して多摩川右岸の奥多摩街道を通り、古里で青梅街道に合流する。
途中には『吉川英治記念館(夏季休館中)』や『櫛かんざし美術館』などがあったり、眼下の多摩川にはラフティングエリアなどがあったりする。





友田プチ山岳ツアー?御岳口管橋から、途中の御岳山口の鳥居まで13.2km。地形により下りもあるが、ほぼ緩やかな上りである。平均勾配0.8度。ならしたローディさんなら何でもない道だが、地下鉄の階段も上れない親父としては、体力温存のためママチャリおばちゃんの買い物ペースでゆっくり進む。
しかし朝市の限定特価品目当てに行くときのママチャリおばちゃんはロードレーサーより速いけど‥‥。
天候は曇りで、気温が比較的低いのはありがたいが、目指す奥多摩方面は「降っています」といわんばかりの厚く低い雲。降ってもにわか雨という予報を信じて進行。
奥多摩町に入ると山並みは深くなる、やはりただ下るだけと違い徐々に上っていく感慨はある。まぁ、ぺースが遅い分よそ見する余裕はあるし、その都度停まれば休憩にもなる。

奥多摩駅多摩駅に到着。今まではここが起点だったが、今回は中継地である。ここで飲料補給。
周囲にごみ箱がないので店内で飲料を買い飲みきったぺットボトルを引き取ってもらう。サイクリストは文字通り、飲食後のごみを処分しないと、新たな食料も飲料も補給できない。
店主曰く、店頭にごみ箱を置くとマナーのない観光客がごみをすべてまとめて捨てていってしまい、分別処理の負荷がかかりすぎるためだという。状況をイメージするに難くないが、現地調達・現地廃棄が原則のツーリングには頭の痛い話でもある。
せめてマナーは守ってもらいたいものである。


巨大な工場多摩駅から日原方面に進むと、やや勾配のきつい上り坂が1.8kmほど続く。平均斜度3.1度。居酒屋のカシスオレンジ程度だ。酒が全然苦手な親父でも何とか2〜3杯はいける。
奥多摩駅を過ぎるとすぐに街の上の中腹に、何かジブリのアニメに出てくるような巨大な構築物群が見える。調べてみると『奥多摩工業株式会社氷川工場』。『跡』ではなく、現役稼働施設である。
鍾乳洞があるくらいだから、奥多摩には石灰岩層が広く分布しているのだろう。日原方面には何十年も来ていないから忘れてしまっていた。



3.1度を飲み切る(もとい、登り切る)と、そ何の橋吊り橋こから斜度0.9度の平坦路がしばらく続く。左手に見えてきた吊り橋のところで小休止。
つり橋から先に道が続いているが、上の集落までつながっているようだ。谷は結構深く、ビルの3〜4階の高さはありそうだ。
つり橋から上流側のかなり高い部分に鉄橋が見えた。




トロッコ橋た廃線跡かと思ったが、何と現役の石灰輸送軌道であった。
免許取ったころ日原に来たときは、採掘場の中を通って細い道を通った記憶がある。2回目に来た時はきれいなトンネルになっていた。あの採掘場は今も現役で、採掘された石灰岩はこの軌道で先ほどのジブリの工場に運ばれて行くようだ。
車で何回か来ていながら発見できなかった(見つけていても関心がなかったか‥‥)ものが再発見できるのも自転車の醍醐味である。




日原トンネル日原渓谷ロッコ橋を過ぎると道は再び上り坂になる。
吊り橋あたりから懸念していた雨が降り出した。林の中ではあまりひどくなかったが、山腹に出ると結構降ってる。しかも坂は先ほどよりきつく、トンネル手前では遂にローマックスとなってしまった。
1.1kmの日原トンネルは結構きつい上がり坂である。トンネルなので斜度もわからず、曲がっていて出口もわからないまま永遠と同じ角度を上り続ける感じである。
但し今回は、苦しんだ分、帰路では同等の幸せを保証されているようなものなので、モチベーションは上がる。撮影で止まる以外の挫折は全くなかった。
日原の集落につくと再び平坦路になる。トロッコ鉄橋から日原集落まで4.5km。平均斜度4.7度。ビール並だ。下戸は1杯でダメになる。

燕岩?籠岩?入口乳洞を見ているうちに雨が収まるのを期待して見学申し込みをする。
鍾乳洞入口から望める1枚岩(籠岩?・燕岩?)の巨壁が圧巻である。







大ホール1狭い通路入る。1枚薄いパーカーを持っていたが、全身スブ濡れの体に冷気が容赦なく襲い掛かる。納涼どころか熱でそう!
日原鍾乳洞は何度か来ているし、ネット等で紹介もされているので割愛するが、前回まではこんな明るいLEDライトアップなんてなかったよ。自分で強力なライトをもちこんで見えないところを照らしてみたもんだ。




案内板はり新洞iphoneになって今までのカメラより画質がきれいになったので、結構いい写真がとれるようになった。
七色の大ホールはあまりにも有名だが、この新洞上りの頂上付近から下を見る光景も圧巻である。
龍泉洞の美しさ、あぶくま洞のスケールには及ばないかもしれないが、やはり東京が世界に誇れる遺産である。



雨がどおしようもない収まる期待もむなしく、外に出たら土砂降りの本降りであった。雨の日は乗らないというより俺が乗る日は雨は降ってはいけないという考えなので雨具はあまり持ち歩かない。売店でカッパを聞いたがないとのことなので、肉うどんで暖をとって、天に制裁を与えるべくずぶぬれ走行を決行する。
予想通り帰路はただただブレーキをかけるのみ。好天ならどんなに気持ちがよかったか‥‥これが俺が求めた幸せか!
唯一予測が当たったとしたら、氷川の街に近づくにつれ小雨になってきたということだ。案の定、鳩ノ巣辺りで雨はやんだ。鳩ノ巣から青梅までも大方は緩い下りになっている。わずかの間、ささやかな幸せが訪れるはずだったが、道路が乾いてきたにもかかわらず、自分だけは雨の中を走り続けていた。靴の中は池状態で、ヘルメットから絶えず雨水が顔に飛び散り、いつまでもメガネに水滴が残った。


神輿山車路は青梅街道で青梅市内を通り、再び滝山街道・奥多摩街道で拝島に戻る。福生で夏祭りの山車や神輿に遭遇した。
やっぱ夏である。神輿の掛け声がなぜか「ふっさぁ」「ふっさぁ」と聞こえるのは気のせいか‥‥。






日原島で車に戻ったころからまた雨が降り出した。
本日の走行92km
やはり甘く見ないでカッパとリュックカバーは携行すべきである。
悔しいのは、雨も予想したが、対応は『濡れたら温泉はいる』という安易さでシャツ・パンツとタオルは予備を持参していたことである。結局靴と靴下の替えを持ってきていなかったので温泉も断念せざるを得なかった。


PS
平地に来てから、ブレーキの利きが悪くなっている事に気付く。雨のせいだと思っていたが、ブレーキのパットがかなりなくなっていた。ベローチェ+アシマ怖い‥‥
最後まで取れないメガネの水滴は飛蚊症だったことが判明??そういえばいつの間にか増えていた‥‥

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海が見たい

初夏を通りこして、既に真夏の様相を呈している空梅雨の土曜日。
恐怖の行徳橋度のことだが、この時期海が見たくなり九十九里を目指す。
今までの、車で行ってベースを起点にするのではなく直接家からの往復にする。
検索での予定走行138km。

往路は御成街道をベースにするため、京葉道路から江戸川水閘門・行徳橋を渡り船橋に抜ける。
本日最初の難関行徳橋。架け替えが進んでいると聞いていたが、まだ桁の一部ができているだけだった。
歩道が狭くすれ違いに難儀するので、車の切れ目を図って、一気に車道で渡る。
土曜日朝で車も少なくゆっくりと渡れた。

花見川度か通っているとタカをくくり、ナビなしで走ったため、御成街道に入るまでに、船橋・習志野で迷走する。
津田沼から、大久保を抜けて御成街道に入る。







御茶屋御殿跡滞の四街道を越え、定石通り自衛隊横を通ればいいものを、横着したら、また迷走。無駄な遠回りをした後、再び御成街道に入る。佐倉街道から先の御成街道は、起伏が多く、道が細くて悪い昔ながらの道の印象が強いが、市街地化により整備が進んでいる。
市街地を抜け、埃っぽい畑と林が混在する長閑な風景に替わると『御茶屋御殿跡』の看板。家康のお鷹狩りの休息場としてつくられた借り屋敷で、井戸や土塁が残されている。




OXエンジニアリング道の時は気付かなかったが、『OXエンジニアリング』を発見。千葉の校外とは聞いていたがここにあったのか。
ミニベロの名車『ガゼル』のカスタムメーカーである。但しミニベロでいえば『ガゼル』より『ピコ』が有名。しかし主力商品はカスタムメイドや競技用の車いす。最近よく見る犬用車いすも造っている。






ニチレイレディズやってますの辺まで来ると、車も少ない長閑な田舎道だが、今日は観光バスに大型セダンや外車がやたら走っている。ところどころ警備員もいる。
そういえば途中に「袖ヶ浦CC」があったのだ。なんで袖ヶ浦と全然違うところに『袖ヶ浦』なんだという突っ込みは別として、今日はニチレイレディズの中日であった。





御成街道跡康の命により敷かれた御成街道(当時はそう呼んではいなかっただろう)は起点の船橋から東金までほぼ直線的に敷かれ、そのかなりの部分は現在も一般道として使われているが、時代の流れとともに道が変わり、寸断され現在ではその痕跡を見ることもできなところもある。
千葉市山王町周辺・東金市周辺とこの八街市沖地区である。沖地区に入ると斜めに突っ切る直線道は消失し、区画整理された、碁盤の目状の道に替わっている。今は全く痕跡のない道端に斜めに建てられた看板だけが当時を知る目印になっている。



雄蛇が池雄蛇が池一のポイント『雄蛇が池』に到着。金山トンネル・観音隧道と並び、千葉県でも五指に入る心霊スポットだが、昼は自然豊かなバス釣りスポットでもある。トイレ休憩も兼ねて立ち寄るが、確かにここのトイレには夜は近寄りたくない。
前回はここから東金市街までで前進を断念、反転帰投となったが、今回は海を目指してさらに前進する。



不動堂蛇が池からまたしても迷走して不動堂海岸まで14km。
やってきました九十九里浜。
しかしこの砂!。自転車を端に停めることもできず、ビンディングシューズに砂が入るのも嫌なので、ここで海を望むことは断念。
ここから、折り返し予定地点の『サンライズ九十九里』まではあとわずか。




智恵子抄の碑智恵子抄の碑ンライズ九十九里の手前に『智恵子抄の碑』というものがあるので寄ってみる。
文学にはトンと興味ないオヤジであるから高村智恵子が療養のためこの地にいたというのは初めて知った。
実際この場所に智恵子のいた別荘があったわけじゃないだろうが、車だと事前調査をしなければ見逃してしまうようなポイントである。
‥‥自転車立てかけてごめんなさい。‥‥


サンライズ九十九里っと到着。今回の目的地、「千葉のマリーナベイサンズ」??(‥‥といわれているかは不明)『サンライズ九十九里』。
屋上にプールはないが、屋内にサウナ付きの展望風呂がある。
これがリゾートホテルではなく『国民宿舎』だということが、〇〇ベイ〇〇〇に勝る唯一の勝機か‥‥
手頃な値段で泊まれるのだが、休日スケジュールが直前まで合わせづらい我が家では『ホテルシーサイド江戸川』とともになかなか取れない宿の一つである。




外海です。九十九里浜ンライズ九十九里のすぐ横で海にそそぐ『真亀川』の河口から海岸線に出る。
河口提の突端部。目前に広がる大洋。初めての自走による九十九里到達。今回のミッション達成。





スタバ飯路は白里から大網街道1本で本千葉に抜けるルート。すでに脚は引きつり状態だが、前回の渡良瀬と違うのは、予想通り帰路に追い風になったのと、お尻の苦痛が限界点に達していないことである。
大網の市街を抜けると、最後の難関、1.5km・平均斜度4.1度の上り坂。普通のサイクリストなら何でもない軟斜路だが、今の親父には獄門坂である。しかしここを登り切ると、千葉寺までの約17kmはほとんどペダルに力を入れる必要のない僅かな下りである。
千葉市街に入ってスタバで遅昼の糖分補給。超甘が休まる。



幕張りはR14から花見川を下り、『幕張の浜』に出る。太平洋と東京湾の両方の海を堪能?できた。








本日九十九里センチュリーライド達成??の走行160.67km。距離こそセンチュリーだが12時間かけているから、最初の4時間でNGである。
でも、この800円で買ったサイコンは「26インチ」としか指定できないのであまりあてにならない。GPSがなくなってちょっと不便だ。
記憶の限りルートラボで再現した距離は158km。
前回の渡良瀬サイクリングより距離も長く斜度もあったが、帰りの追い風と尻の苦痛軽度による精神的・肉体的余裕が幸いした。


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加瀬山(消失古墳ライド再び)


神奈川県には大型古墳がないからつまらないというイメージを僅かながら変えたのは、先年90m級の逗子長柄桜山古墳をライドしてからである。探訪基準の100m以上のものはないが、神奈川県にも70〜90m級のものがいくつかある、近隣サイクル古墳探訪としては最後の宝庫もである。
今回はぐっと近い川崎の加瀬白山古墳に行く。

R1多摩川大橋を渡る。
新川方面R1多摩川大橋川は関東でも十指に入る大河川であるが国境をなしてはいない。対岸の川崎市も律令国制では武蔵国である。
この大河川をもってしても国を分かつ関とはなっていないことを考えると、武蔵・下総国界だった古利根川・古隅田川などは当時どれだけの大河だったかうかがい知れる。
新川の高層ビル群の後ろに目指す加瀬山台地がある。



橋をリバーサイドカフェ渡ったR1の上流側に『多摩川交流センター』なるものががあった。建物右側は『リバーサイドカフェ』なる喫茶コーナーになっていた。今日はあいにく腹の調子が悪く。コーヒーのリスクが高いので断念。捲土重来を期す。
今日のコンディションにぴったりの『ガス橋通り』を排ガスを放出しながら突き進む。






『加加瀬山瀬白山古墳』を含む『夢見ヶ崎古墳群』があるのは通称『加瀬山』。多摩丘陵より続く下末吉台地の最突端にあり、矢上川で他の台地と寸断されているため独立峰のように見える。
川崎の『ギアナ高地』と呼ばれているかは定かではない‥‥。




動物公園2動物公園地上部は動物公園になっていた。
駐車場も無料、入園料もなし。近隣の子供連れには絶好のプレイスポットだ。







浅間神社くつかの加瀬山3号墳寺社があったが、小高い盛土の上に鎮座しており、これがみな古墳になっている。
麓や中腹にも古墳が点在しており、3号墳は石室が修復保管されていた。






天照皇大神宮2照皇天照皇大神宮大神宮でお参り。ここも円墳の上に社殿が鎮座している。








加瀬白山古墳的の展望台『加瀬白山古墳』は台地の西側中腹あったとされる。「される」というのは、『加瀬白山古墳』を含む周辺の台地は開削のため消失しているからである。
富士見展望台の看板には西側の森が白山古墳跡との掲示。
かつてはあの森まで台地が緩やかに伸びていたのか。




消失部分加瀬白山古墳下りて森の周囲を回る。墳丘長87mの古墳は県下でも最大級に当たるが、後円部をわずかに残し、前方部はほぼ開削されている状態のようだ。
勿論史跡として整備されているでもなし、私有地のため立ち入りもできない。
これが古墳跡かは判断しずらい。この小山が白山古墳としているのは富士見展望台の案内板だけで、他の資料では完全に現存していないとか、位置も100m以上東の白山幼稚園周辺であるとされているからだ。



加瀬山周辺古地図れ以上の侵入はできないので、
この付近でもう一つ、同時期に消失したという観音松古墳跡地に行ってみる。
現存していた時代の地図で見ると、古墳は現在の矢上小学校の校舎から慶大グランド辺りにあたる。






矢上川上川の観音松古墳跡地2遊歩道に沿って丘の北側に回る。
矢上川は思ったより自然っぽい川で、市街地の河川ではあるが、イメージよりきれいであった。
しかし、50儖幣紊呂△蹐Ω颪侶伽犬呂い辰燭い覆鵑澄?。神社の池のようにあふれかえっているぞ。




新幹線岸へ観音松古墳跡地渡ると、台地北面の全体像がとらえられる。
切り立った台地の高さは、高架線を走る新幹線がそのままトンネルに入ってしまう程だ。
県下では最も古い部類とされる軸長90mの『観音松古墳』はこの台地の南東部にあったようだ。
こちらは名前の由来となった観音松とともに完全に消失したしまっている。夢見ヶ崎古墳群とは1kmも離れていない。両古墳は不可分の関係にあったのだろう。

多摩川台りは綱島街道から丸子橋を渡る。
丸子橋からは多摩川台古墳群が見える。ここには107mの亀甲山古墳・97mの宝来山古墳はじめ多くの古墳が現存する。
夢見ヶ崎古墳群とは、多摩川低地を挟んで対峙する関係となる。武蔵国造の乱以前は、武蔵国南部の豪族がその地位にあったという。両古墳群の盟主は同族だったのか、それとも敵対勢力だったのか。





五反無名古墳やっぱ東京タワー田でR1に合流し東京タワー下を通る。
タワー下、増上寺裏手にも消失古墳(史跡指定はされている)がある。全長125mの芝丸山古墳と相似関係にあり、前方部は駐車場となっており後円部は墓地として開削されている。古墳としては100m級の大型古墳であったと思われる。





消失古墳日の走行 64km
古墳を実体験することはできなかったが、在りし日の威容や相関関係を想像しながらのツアーは面白かった。


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BMC 岩槻へ

置き場復活BMCCIMG9548がないため、組んだまま狭い部屋で展示品となっていた『BMCアルペンチャレンジAC−02』。我家の最軽量バイク(といっても10kgを越えているが‥‥)をやっと再始動する。
最近極度の運動不足と体重増で、100km前後で音を上げる情けない状態なので、AC−02試運転を兼ねて岩槻に行く。
朝からうだるような暑さの中、久々のツリーと1枚。最終的にサドルとタイヤを変更。少しグラベル風雰囲気になった。



北千住か河川沿い遊歩道らR4元荒川を元荒川までひた走り、元荒川沿いに折れて岩槻を目指す。元荒川が文字通り荒川本流だったころは、倍以上の川幅があったろう。
土手を利用した遊歩道があり、のんびりサイクリング気分が味わえる。






金剛院山門業用のダムである末田須賀堰に出る手前に、立派な山門があった。『金剛院仁王門』は将軍徳川綱吉の生母桂昌院からの寄進を受けたものだそうで。左右の見事な仁王像は岩槻市(現さいたま市)指定文化財になっている。







BMC末田堰止湖?須賀末田須賀堰堰』によってせき止められた川筋は湖沼のような雄大さを見せている。
小さな公園の木陰でチョイ休憩。






まず浮城は岩槻サイクリングの第一ミッション。岩槻城の攻略から始めよう。
『岩槻城』は太田資清により築かれたとされ、当時の荒川流路を総構えの一部に利用して、周囲を沼で囲んだ浮城である。城構えはあの『のぼうの城』忍城を彷彿させる。北条攻めの際の城の明暗ははっきり分かれたが、城を生かすも殺すも人次第ということか。





岩槻城黒門岩槻城空堀址公園として残っているのは『新曲輪』・『鍛冶曲輪』という後に北条氏によって築かれた出丸だった。ここは土塁や空堀が残されている。今でもかなり深いが、当時は今よりさらに深く、土塁も高かったようである。
公園内には『黒門』という当時の城門が保存されている。一度は浦和に移され埼玉県庁の正門になっていたものが岩槻市に「払い下げ」になったという。この説明ちょっと違和感を覚えるのはおかしいだろうか?



懐かしい車内東武特急『きぬ』い公園敷地の大部分はかつての沼濠であり、その名残の菖蒲池を回ったところに『東武のロマンスカー』といわれた特急『きぬ』の車両が保存されていた。
なっつかしい〜。子供の頃、新幹線『ひかり』を筆頭に東武の『きぬ』・『けごん』、小田急の『ロマンスカー』、近鉄の『ビスターカー』は憧れの列車であった。今なら車で4時間程度の会津若松まで板張りベンチシートの『夜行急行ばんだい』に一晩揺られた時代である。
思わず乗り込む。中は冷房が効いていて涼しい。この懐かしいレトロな客席でおベントを食べたくなったが、「飲食禁止」であった。残念。

人形の博物館りあえず、城址公園を後にして第二のミッション、人形の博物館に行く。
まだ娘が赤子の頃、今のひな人形を探しに岩槻に訪れた。家から浅草橋はすぐなので足繁く通ったが、どうしてもよいものが見つからず、「人形だったらやっぱり岩槻だろ」ということで、かみさんと一緒に歩き回った。数軒回ったところでカミさんがここがいいといったのは小木人形という店だった。今でも口コミ評価は高いようで、人形選びだけ?はカミさんの目に脱帽。




さて、人形人形の博物館2人形の博物館1の博物館は、岩槻駅前の東玉総本店4階にある。写真撮影禁止なので東玉のサイトより画像をお借りする。
当日は受け付けもいないで、署名と入館箱に300円入れて自由見学。一人しかいないところでじっと人形を眺めていると、笑ったりウインクされたりしそうで、ちょいとミステリアス。古い人形は顔立ちからしてそんな雰囲気を醸し出す。




人形岩槻大師弥勒寺の博物館を見た後で、第三のミッション、岩槻郷土資料館に行く。薄ら覚えの地図しか記憶になかったので、うろうろしている間に『岩槻大師』というお寺の前に来た。
なんとなくお参り。すると大師がお知恵を授けてくれた。「駅前に交番があったからそこに戻って尋ねよう」。
駅まで戻り交番で聞く。郷土資料館は大師への参道を曲がらず少し行ったところであった。「だったらそのように授けてくれよ‥‥」と思ったが、やはり楽な道を授けてはいただけないものなのだ。




『岩郷土資料館槻郷土資料館』。建物そのものが展示品のような感じだが、実際旧岩槻警察署の旧庁舎を利用している。
岩槻の歩みを中心に、生活様式や暮らしの道具が展示されている。また、建物そのものが大正から昭和初期の作りがそのまま保存されていて、ちょっとしたタイムトリップ気分になる。
ここでは岩槻の県庁設置にかかわる情報や展示がないか探したが、残念ながら見つけられなかった。
その代わり、岩槻の観光地図をゲット。当時の城構えと現在の街並みの位置関係がわかったので、城攻略に再挑戦する。



先ほ岩槻城二の丸跡ど訪れ岩槻城三の丸跡た城址公園の北側に、現在の県道2号に沿って沼に囲まれた『三の丸』『二の丸』『本丸』があった。
県道に沿って進むと消防署の脇に三の丸跡の碑を発見。三の丸を落とした。ここの脇の路地を入ると大手口跡があるはずだが見つからない。
また県道の戻り、本丸を一気に突く‥‥はずだったが気が付かないうちに二の丸跡の碑を見つけた。
定石通り‥‥であるが二の丸も落ちた。


地図岩槻城本丸跡本丸制圧ではGSとコンビ二の間に本丸跡の碑があるはずだが、やはり見つからない。反対車線から何気にみたら、あった。道沿いだとばかり思っていたらスタンドの奥に本丸跡の碑を発見。
遂に本丸を攻略した。スタンドが休みなので勝鬨をあげられなかったが‥‥。




時の鐘一ルート上に『大手口跡』と『時の鐘』があるので再チャレンジ。
時の鐘は、道路沿いにはなかったので大きい割にはてこずったがほどなく発見。
大手口跡の碑は遂に発見できなかった。掃討戦に時間をかけられないので、後ろ髪をひかれる思いで断念する。(後で地図に書かれた位置と実際の位置にずれがあることがわかった。)
クエストゲームのようで結構熱が入ってしまったが、徒歩で順路道理にいけばもっとたやすく見つけられるのだろう。




さいスタ2002構遊んでしまい、時間を大幅に使ってしまったので早々に帰路につく。
帰りはR122.をひたすら南下。







岩槻日の走行 92km
暑さと運動不足でしんどかったが久々のBMCは軽かった。







人形のまち岩槻まつりメイン会場廃藩置県藩置県によりかつての武蔵国北部は『入間県』と『埼玉県』に分かれた。入間県の県庁所在地『川越』と同様に武蔵国の要衝であった『岩槻』が埼玉県の 県庁所在地とされた。これは教科書にさえ載っている事実である。しかし諸所の理由(浦和の陰謀か?)で県庁は浦和に置くことになり、そのまま両県の合併で『浦和』が名実ともに県庁所在地になった。
岩槻は主要幹線から外れたこともあり一地方都市に甘んじたまま、さいたま市に併合される。
歴史の重みなら岩槻のほうが浦和より上である。尤も歴史の重みで首府が語られるのなら明日香村が今でも日本の首都でもおかしくないが。
そんな岩槻がかつて県庁所在地であった証を見たかったがそれは見つけられなかった。
岩槻は祭りの準備で活気があった。やはり歴史と伝統の重みみたいなものが岩槻にはある。川越・行田とともに再び訪れたい街である‥‥

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見沼通船堀

本震の後には余震が来る。
4月29日の逗子大船めぐりの本震の後にクールダウンを兼ねて半日プチランに行く。
干潟?回は見沼通船堀までの往復。
何時ものように河口付近から荒川CRを北上する。
どこかで左岸に渡らなければならないので、船堀橋で左岸(中土手川)に入る。
結構引潮である。水不足なわけではない。足跡があるということは結構固いんだ。





芝川河口河口からほぼ20km地点で、芝川の合流点につく。
『みはらし茶屋』でトイレと水分補給。
ここから初めての『芝川サイクリングロード』に入る。
芝川。かつては見沼田んぼ周辺でとれた米を江戸に運ぶ水運の大動脈であった。





芝川サイクリングロー芝川CRドに向かうと最初の500mほどは、アートが彫られたような石畳状の舗装で未舗装路並だが、対岸に渡ると路面はよくなる。
特に狭くもなく、普通に走るなら人や対向自転車をやり過ごすのにつらくはない。
但し、橋のたびに車道を横切ったりわたる場所まで迂回したりするところは不便。





モーター旧芝川分岐芝川マリーナートをよく見るなと思ったら、係留場があった。流石水運で栄えた川である?
芝川河口から7km弱で、堅川・旧芝川のスクエア分岐点に出る。






芝川CR全容イクリングロードは標識もあり、気をつけて走っていれば迷うことはない。大半は右岸走行だが、いきなり左岸になったり、また戻ったり紛らわしい。
ほぼ終点に(というか逆からは始点になる)案内板があったので今までのルートを確認する。『芝川で「農」を体感するルート』とあるが、特に農を感じるところってなかったが‥‥





『芝八丁堤より芝川上流川サイクリングロード』の終点、八丁堤から先の芝川
かつてここから先は『見沼』と呼ばれた巨大湖沼であったという。見沼の水が下流の水田を潤していたが、たびたび水害になることから、干拓され、流入河川の川筋のみ残して広大な田園に変わった。そして消失した見沼の代わりに利根川より農業用水確保のために開削されたのが見沼代用水というわけである。
この先の左右から流入するのが『見沼通船堀』である。




東第二閘門岸に流れ東第一閘門込むのが東縁通船堀である。途中2つの閘門がある。
水位の違う見沼代用水と芝川との船の往来を、この閘門で水位調整して航行するのである。
我が江東区の小名木川にも有名な『小名木川ロックゲート』がある。構造的には同じものが、ここでは既に江戸時代に実用化されていたのだ。
因みに『見沼通船堀』や『小名木川ロックゲート』よりもほんの少し有名かもしれないが、中南米の『パナマ運河』という運河も同じ構造である。


東水路取水口沼代用水東水路からの取水口。勿論江戸時代はコンクリート護岸ではない。
水位差約3mということは、1つの閘門で1.5mの水位差をカバーしたことになる。
実際に昭和の初頭頃まで実用されていたそうで、今でも年一回実際に当時を再現したデモンストレーションが開催されているようだ。





一回西第一閘門りして西縁西縁通船堀へ行く。
西側にも閘門が2つあるはずだが、1つしかなく、案内板には『第二閘門跡』というものがあった。
今の閘門は20年前に復元されたものだ。できたての頃に来た以来である。





艦隊阻止りはもと来た道を引返す。
芝川マリーナの上流部にこんなものがあった。
こんなもので300艘の大艦隊を無力化できるんだぁと感慨深く見入ってしまう。
違うだろ!何考えているんだ?このバカオヤジは‥‥

帰りに『みはらし茶屋』で遅めの昼食。2階がレストランになっているのだが、金欠なので1階売店で済ます。
ここは荒川CRを利用するサイクリストの絶好の休息ポイントになっている。
写真撮るの忘れたので紹介まで。
http://www.seibu-la.co.jp/adachi-agri/resthouse/
見沼通船堀日走行71km。
129kmの余震としては結構大きかった。






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長柄桜山古墳

奇しくもちょうど丸1カ月前のアクシデントで中途断念した計画ルートをリベンジする。
目的地は逗子である。本日のミッションは長柄桜山古墳を散策すること。今回も午前6時出発。
神奈川の古墳探索は初めてである。神奈川にも数多の古墳があるが、今まで一度も来ていないのは、関東他県に比べてみるべき古墳がない‥‥平たく言うと100mを超える大型古墳がないという理由であった。
今回の長柄桜山古墳群の主墳2基は墳丘長約90m。100mには及ばないが神奈川県では最大級である。
サイクリングとしても横浜・三浦半島方面は初めてであるので、ぜひチャレンジしたかった。

まずにっぽん丸、途中ランドマークタワーのランドマークとなる、文字通り『ランドマークタワー』。真下に来るのは初めてである。高層ビルに囲まれた都心に住んでいても、バカはやはり見上げてしまう。南側には日本を代表する大型帆船『日本丸』がメモリアルパークに保存されている。
日本丸とランドマークタワー。
なんかアレキサンドリアの灯台みたいだ。さしずめ日本丸はエジプトの大型ガレー船ってところか???



廃線??沢八景から金沢八景逗子に向かうのだが、平潟湾を回っていく。
これが有名な『金沢八景』である。
歌川広重が今のこの景色を描いたらどうなるのかなぁ‥‥
峠を越えて逗子駅に行く途中の踏切。廃線かな。トンネルの向こうで子供が遊んでいる。今回のテーマとは全く関係ないが、ちょっと気になる。
地図では京急神武寺駅まで伸びている。かつては池子弾薬庫に伸びていたのだろう。


遊歩道て、逗子駅郷土資料館を越えて古墳へのアクセスポイントに向かう。
逗子市郷土資料館が最適そうだったので、ここから遊歩道を出発する。
道は結構きつい登りもあり、軽いトレッキングで筋肉痛をほぐそうと思ったが、追い打ちであった。





2号墳前方部より後円部を望むること10分弱。六代御前の墓方面からの道と合流と直ぐ2号墳がある。丘陵の小高い頂上に、前方部を相模湾に向けて造られている。墳丘長88m前方部中腹から後円部を見ているが、全形はわかりずらい。







前方部先端より人がたっ長柄桜山2号墳ている先が後円部である。イメージしていたより大きい。
前方部正面からは、木々の間より相模湾が一望できる。
葺石が見つかっているので、この古墳も建造当時は相模湾を航行する船から白亜のモニュメントが威容を誇っていたのだろう。





1号墳全景合墳から森の中を10分ほど歩くと視界が開け、目の前に1号墳が現れる。
墳丘長90m、消失古墳を除けば神奈川県最大級の古墳である。
2号墳よりも形ははっきりしている。保存整備中なのだろう、立ち入りが禁止されている。
後円部のすぐ下には住宅地が迫ってきている。ここの緑は貴重な自然だ。





逗子海岸て、2つの古墳を制覇した段階で多少予定時間オーバーだが、そのまま引っ返すのはつまらないので、予てより予定していた2つのポイントに行く。
とりあえず、せっかく湘南に来たのだから海沿いを走ろう。
逗子市郷土資料館を下ると、長柄トンネルの脇に出る。ここからR134に出て、鎌倉の滑川交差点まで行き、若宮大路・鎌倉街道を経由し大船に向かう。




一の一の鳥居鳥居を抜けると、鎌倉のメインストリートとなってくる。見どころ満載の鎌倉だが、今日は鎌倉観光に来たわけではない。
鶴岡八幡宮パス、建長寺パス。さだまさしを歌いながら東慶寺・円覚寺もパス。一路大船へ。






大船観音船と言ったらやはり観音様である。
名だたる名勝を素通りして、参ると言ったらここしかないでしょ。
『大船観音』。白衣観音とも言う。大船駅の裏手の尾根に鎮座する高さ25mの胸像である。遠方から見るとちょうど立像のような高さ配置に見える。もし立像なら東京湾観音より大きな観音様になりそうだ。
全国に巨大な観音像は多いが、顔立ちの好みなら東京湾観音様と二股をかけたいくらいである。




大船観音2ジア系の人が随分多いと思った。おやじのような観光客とは違いお祈りは丁寧である。
パンフレットには、近年この白衣観音像が近郊のアジア系在住外国人の方々の心の拠り所となっていると書かれている。毎年秋には『ゆめ観音』という各国の音楽舞踊のイベントも開催されているようだ。
余談だが、子供の頃は『横浜ドリームランド』という今で言うテーマパークがあって、大船からモノレールで行ったことを覚えているが、すぐに廃線になってしまった。湘南モノレールは今の現役だけど、大船って今で言う立川や千葉のようなモノレールの起点だったんだねぇ。



大船観瑜伽洞(田谷の洞窟)1音様から10分ちょっと走ると、真言宗のお寺で定泉寺というお寺がある。
あまりメジャーではないが、ここには通称『田谷の洞窟』という鎌倉時代から江戸時代にかけて掘り続けられたという大洞窟がある。
今でも修験場となっており、一般拝観ができる場所は限られている。もともと修行の道場であるから、観光スポットではない。メジャーでないのは当然である。




洞内瑜伽洞入口」へは手燭台に蝋燭の火を灯して入る。行者道と言われる巡拝コースは250mほどだが、蝋燭が消えないようにゆっくり歩くとかなり長いものである。洞内は三層構造になっていて、要所要所に広い空間が有り、仏像が安置されており、羅漢像や曼荼羅が掘られているのは見事。修行用の滝や人工の川まであり、鍾乳洞的な醍醐味もある。残念だが洞内撮影は厳禁。





ここでトラブル発生。パンクである。しかもリア。BMCのパンクは初めて。今のタイヤは劣化がだいぶ目立ってきた。そろそろ替え時と思っていた矢先である。
空気を入れても2キロもたない。これは観音様を色事で見たばちである。
次に限界が来たら、諦めてパンク修理と思っていたら、戸塚駅を過ぎたところにプロショップがあった。ここは自分でやって時間をかけるより、プロの任せる方が賢明。20分ほどチューブ交換で2,000円少々。逆に観音様の導きかも。

本日の走行 129km
長柄桜山古墳ルート今回は予備知識無しで行った『田谷の洞窟』が一番の「掘り出しもの」だった。 



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荒川CR川越まで

葛西橋9:00AM日までの雨が上がり、天候が回復した。
今日は川越に行く。距離は都内を抜けR246経由が最短だが、平日ということもあり荒川CR経由と決めていた。
スタート地点の葛西橋に着いたのがAM9:00。すでに北西寄りの風が強い。信号がない代わりに完全な向かい風だ。

流れるMP3は『L作戦マーチ』。伊福部昭のマーチは乗りがいい。
だけど勇ましいマーチとは裏腹に全然進まない。向かい風覚悟の上なので、体力を温存する為、ママチャリおやじにも抜かされる15km/hペースで行く。ほとんど『やる気のないダースベーダーのテーマ』状態である。


入間川分岐越線の鉄橋を超えると、川筋が荒川本流と入間川に分かれる。このまま右岸をR16まで進む。
川越は『小江戸』といわれる昔からの街並みが有名だが、廃藩置県により、武蔵を2分する入間県の県庁所在地だった街である。では本家埼玉県の県庁は浦和だったのかというと、これまた岩槻だったのである。どちらかというと浦和・大宮は成り上がりである。土地の盛衰は時代の常ではあるが、川越に比べて岩槻の衰退は気の毒なくらいである。




閑話休題。
天海僧正日、川越に来た目的は小江戸の街並みを見て、甘味処でお茶するためではない。まず第一は喜多院の慈眼堂古墳を訪れること。
喜多院は、『黒衣の宰相』天海僧正が住職となったことで、徳川幕府と結びつき、幕府の援助で飛躍的に拡大した。喜多院の山門の横に天海僧正の像がある。
『天海僧正』=『明智惟任光秀』説はその筋では有名だ。学術的にはほぼ否定されているが、義経=チンギスハン・聖徳太子=タルドウ・天草四朗=秀頼の遺児などとは次元が違う状況証拠の多さである。写楽=斉藤十郎兵衛くらいにきちんとした検証をしてもらいたいものである。

またまた閑話休題。
天海僧正墓碑多院に山慈眼堂古墳門をくぐると、慈恵堂のさらに左奥に『慈眼堂』という小さなお堂が小高い盛り土の上にあり、その奥には、天海僧正の墓碑(天海僧正は日光に埋葬されている)がある。
この小高い丘が古墳である。
墳丘長約50m。高さ5mの前方後円墳らしいが、立札等はない。




仙波東照宮こっちのが古墳らしくね眼堂から濠を挟んで南側に『仙波東照宮』がある。
こちらのほうが、よほど古墳の風格を備えているが、こちらは後世の盛り土で、残念ながら古墳ではない。






本丸御殿多院を後にし、もう一つの目的地に行く途中で、市立博物館に立ち寄ることにした。時間はあるし、いろいろ情報も取れるし、ティーラウンジで昼食休憩もしたかったのだが、なんと館内整理日の為休館であった!。普通こういうところって月曜日が休館じゃないの?!
しょうがないから向かい側の川越城本丸御殿で記念撮影。
この辺りは川越城の本丸跡だが、勿論江戸時代以降のものである。




東明寺て、次の目的地は、日本三大奇襲戦の一つに数えられる、『河越夜戦』の古戦場を見ること。
河越夜戦は、北条氏綱が占拠した扇谷上杉朝定(アサテイショクの略ではない)の居城河越城奪還の為、朝定が本家上杉憲政と関東公方に援軍を求め集まった、8万の軍勢に対して氏綱の子氏康が7千騎で夜襲をかけ、連合軍を完膚なきまでに撃退した戦である。
この戦で朝定は討死、憲政は戦場を離脱できたが、多くの重臣・兵卒を失い、北条の関東覇権を決定づける戦となった。




川越夜戦の碑戦場を示す碑は、本丸御殿から800mも離れていない、北側に位置する東明寺というお寺の境内にある。
現在は小さなお寺で、観光ルートからも外れているが、当時はかなり広い寺領を持ち、東明寺口という城門に面していたらしい。
ここに陣を張っていたのは上杉朝定の本体1万5千といわれ、2千ほどの北条勢に襲われ壊滅した。
ここには夜戦場跡の碑と、この夜襲による戦没者を弔う塚がある。資料館や食事処があるわけではないので、早々に退散する。





船塚古墳中昼食をとって再びCRに戻る途中に、もう一か所『船塚古墳』という50mほどの円墳(前方後円墳説あり)があるというので立ち寄る。
しかし古墳の看板がなければ絶対古墳とはわからい程破壊がひどい。建物がたっていたようで、盛り土もほとんど失っている。保存がよければかなりの規模のものだったろう。




ここからは来た道を引返す復路である。
自転車とともに‥い北西風が今度は追い風になり、往きとは違い快適である。
ところが昼食のステーキとコーヒーをがぶ飲みしたのがよくなかったのか、お腹のほうもストレートに来てしまった。
人気の少ない河川敷で『誰でもトイレ』があったので使わしてもらうことにしたが、自転車をつなげる杭やガードがない。
中を見たらかなり広いので、自転車ごとはいることにした。
トイレにチャリンコの持ち込みは、半世紀以上の人生で初めての経験である。




トイレももう日が暮れた無事にゴール過ごし、一路河口に。河口到着は18:00を回っていた。
行きつけのショップの店長の勧めもあり、ハンドル高を45mmほどあげたら、ポシションが疲れなくなった。サッドバスターの効果かは不明だが、パッド付インナーなしで100km以上のランとなったが、お尻の痛みはほとんどなかった。





本日川越までの走行121km



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西浦古墳めぐり 下つ巻

『霞三昧塚古墳後円部三昧塚全景ヶ浦ふれあいランド』からさらに西浦の大きな内湾である『高浜入』左岸に沿った、R355を石岡方面に向かと、およそ8.5kmで最初の古墳『三昧塚古墳』が、国道の右側に現れる。軸長85m、六世紀前期の前方後円墳だ。比較的低地部にあり、冠など多くの副葬品が出土している。
国道沿いで、公園整備され駐車場もあり、最も接しやすい古墳である。
この付近は古墳が集中している。ユピテルのGPSマップには、なぜかガイドにも載らないような古墳が表示される。

『三食事処サンライズ昧塚古墳』から少し戻ったところに『勅使塚古墳』と『大日塚古墳』があり、また三昧塚の少し先には『地蔵塚古墳』が表示されているので行ってみることにする。
その前に来る途中で見つけた、R355が低地部の旧道から分かれて、丘陵をバイパスで抜けるところにあった食事処『さんらいず』。ちょっと高そうだなと思ったが、落ち着けそうなので、遅めの昼飯にする。
食事処の横が木工芸品の工房になっており、店内も木工細工や木製品がふんだんに使われている。落ち着ける上に、食事の値段も定食屋並の良心価格。車ではつい見逃してしまうところなので、しっかりマーク。


さて、GPSマップ食事も終えて、先ほどの3古墳を探したが、発見できなかった。帰宅後調べたが、地図表示の場所と実在地はかなりずれていることがわかった。『大日塚古墳』は軸長40mの前方後円墳で、ちゃんと案内板があり、石室の開口部も見られることだった。
『勅使塚古墳』は軸長65mの珍しい初期の前方後方墳のようだ。地蔵塚については、なんと400m以上もずれていた。GPSマップ、てんであてにならない。
100mを超える大古墳ならいざ知らず、マニアックな古墳を訪れるなら、正確な地図と、事前の下調べが必要である。
捲土重来を期す。


廃線跡を行く?わぬところで大幅な時間ロスを生じてしまった。本来の次の訪問地、『府中愛宕山古墳』に向かう。R355から高浜に向かう県道に入ると、直ぐに踏切の跡があった。そういえばここは鉄道が通っていたっけ。つい最近まであった気がしたが、この風景はまさに「廃線跡を行く」、の世界である。





舟塚山を望む昧塚愛宕山(出船)古墳愛宕山古墳後円部よりからおよそ8.5kmで『府中愛宕山古墳』につく。船塚山の北東300mにあり、軸長97m、かなり崩されているものの、広い周壕あとが見受けられる。後円部頂上は大きく陥没し大木が根張っていた。
住宅地をはさんで、すぐ向こうには船塚山の巨大な威容が望める。


舟塚山前方部より速、後円部頂上よりその本日のメインイベント、『船塚山古墳』に向かう。
5世紀後半の前方後円墳であり、広大な領域は全長250mにおよぶ。総長365mの太田天神山古墳にはおよばないが、墳丘の軸長186mは210mの太田天神山に次いで、堂々の東国第二位。全国でもベスト50に入る。ビルボードならベスト50って大ヒットだよね?!
全景を写そうにも外提部まで後退しても全景が入らない。特に古墳特有の巨木に覆われていないため、この墳丘の大きさが実感できる。当時の香澄流海は現在より、深く内陸部に侵入していたため、船で交易をする人々や他国の使者なども、湖面からこの巨大な威容を目の当たりにしたことだろう。
舟塚山全景0年くらい前に通りがかりで訪れたことがあるが、以前と違いゆっくりと見られるので、感動も新鮮だ。
これだけの大古墳を残しながら、この地方の豪族についてはほとんど文献には出てこない。国造でもこれだけの古墳を残せるものはそういないだろう。ここに埋葬された王は、どのような人物だったのか、興味は尽きない。

石川1号墳鹿島神社古墳?山から恋瀬川CRを少し走り、高浜入右岸に沿って『富士見塚古墳』を目指す。GPSマップにまた古墳ポイント。の前方に如何にも‥‥ですよ〜という感じの小山がある。マップには『山崎古墳』とある。案内板には古墳としか書いておらず、規模・年代は不明。向風となってペースが落ちているのでスルーする。

富士見塚古墳2崎古富士見塚古墳1墳から7kmほどで『富士見塚古墳』につく。高浜入に沿った丘陵部の先端付近に位置し、柏崎の地名のように、当時は菱木川の低地が入江として食い込んで、高浜入に突き出した岬状になっていたのだろう。六世紀初頭の築造で、軸長約80mの前方後円墳である。大きさの割には高さがあり、階段を伝って登らないと怖い。前方部の先端からは、円墳2基と雄大な西浦を望むことができる。



牛渡牛塚古墳かすみがうら水族館見塚からR354を横切り、霞ヶ浦水族館前で小休止し、霞ヶ浦総合公園を目指す最後の行程となる。護岸道を一気に走破したかったが、ルート途中にも古墳があるので、集落間を結ぶ県道118号を通る。『牛渡銚子塚古墳』と『牛渡牛塚古墳』だ。
軸長64mの前方後円墳、『牛渡銚子塚古墳』は発見できなかった。軌跡で調べると直前まで到達していたのは残念。ここも捲土重来を期すか‥‥。『牛渡牛塚古墳』は県道脇にありすぐわかった。本日の最後を飾るのは直径40mのこじんまりした円墳だった。


出発地点、霞ヶ浦総合公園に着くまで、何度となく道を間違えた。駐車場に戻ってきた時は、既に夕闇が近づいてくる時間だった。
帰着回の反省としては、100mを超える大古墳とは違い50〜60mクラスの古墳はしっかりとした、訪問ルートと古墳状況を事前調査しておくべきということ。西浦周辺には、まだ60m〜80mクラスの古墳が数基ある。
今回見逃した古墳も含めて、いづれ再チャレンジしよう。




霞ヶ浦周回本日の走行125km。古墳時代の1/3以下の大きさになっているだろうとは言え、やはり西浦は広大な湖沼である。



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西浦古墳めぐり 上つ巻

『西8世紀頃の霞ヶ浦(河川事務所HPより)浦』。霞ヶ浦の中心となる、日本第二位の大湖沼。
面積172k屐∈蚤膺綽治沓蹇H琶湖の1/4の広さを持つ。
西浦を含む、霞ヶ浦の周囲には古墳が多い。かつてこの周辺は琵琶湖に匹敵する巨大内湖『香取海』の内湾の一つである『香澄流海(かすみながれのうみ‥‥と読むらしい?)』と呼ばれていた。

この周辺の多くの古墳は、霞ヶ浦を構成する湖沼群を取り巻く丘陵のヘリにある。古墳は墓であるとともに、モニュメントでもある。それは領民に見せるというよりは、外来人に威容を誇るためのものである。とにもそれは古墳がかつての湖畔沿いにあったことを意味する。
今回のターゲットは、現在の西浦北部、『高浜入』と言われる内湾に集中している。古墳めぐりだけなら走行距離40kmほどだが、西浦1周ルートとなると100kmを優に超える。

霞ヶ浦総合公園P回のベースは土浦の『霞ヶ浦総合公園』。公園の駐車場は広くて、トイレ等の施設もある上に、郊外の公園駐車場は無料のところが多い。
AM7:15に出発。
風向きは東北東。反時計回りでいく。
湖畔一周が第一目的ではないので、距離節約のためR125でいく。
バイパスがあるためか、あるいは休日のためか、旧国道の交通量は比較的少ない。

香取海の中心付近にあった『浮島』は、昭和になって干拓により地続きとなった。
浮島景行天皇行在所遺跡碑景行天皇行在所跡の中心付近で、不思議な看板を発見。『景行天皇行在所跡(駐在所ではない)』。景行天皇、第12代天皇で、日本武尊の父にあたる。
国道から少し入ると案内板と階段がある。階段の上には『景行天皇行在所遺跡』の碑があった。
『常陸国風土記』に、景行天皇が亡き日本武尊を偲んで、浮島の張宮に行幸したと記されているとのことだ。
とは言え、実在さえ疑問視されている景行天皇の行幸については、伝承の域としか言えそうもない。

稲敷大橋浮島・妙岐ノ鼻在所遺跡から2kmほど走ったところの『稲敷大橋』を渡る。左手は『妙岐ノ鼻』と呼ばれる、霞ヶ浦に残された、数少ない葦の湿原である。右手の小さい入江も、かつては西浦を構成する大きな内湾だった。護岸沿いの道に左折する。
ここは『本新島干拓地』という600haにおよぶ広大な干拓地である。
ここからは護岸沿いを行く。
護岸道は、人も車も通るのだが、休日のせいか、ほとんどが釣り人である。


北利根橋やっぱりあった化されて、まだ間がないような綺麗な舗装路だと思っていたら、案の定出ちゃいました、未舗装路。1kmに満たない距離だったので一安心。
R51の北利根橋を渡り、再び左岸の護岸道に出る。
ここからは一路霞ヶ浦大橋の袂の『霞ヶ浦ふれあいランド』を目指す。距離にして20km。




西霞ヶ浦左岸風の塔浦左岸は、これといって見所はないが、広大な景色と、釣りやレジャーを楽しむ人々を見ながら、とても開放的になれるコースだ。
行方市に入ってポイントになる天王崎。ここには旅館や温泉(鉱泉)、展望塔などがある。
8kmほど走ると、埋立地を通る。ここで小休止。




3連水車と虹の塔霞ケ浦大橋19km地点。霞ヶ浦大橋が目前になった。
橋詰めには『霞ヶ浦ふれあいランド』がある。西浦の左岸周辺は何もないというイメージだったが、旅館があったり、温泉や展望台があったり、結構遊べそうである。今度家族連れできたいものだ。

ここまでの走行は56km。順調なサイクリングである。西浦1周コースでは、ここで霞ヶ浦大橋を渡り、土浦へスルーするパターンが多い。しかし今回はできない。ここから西浦の内湾である『高浜入』を周回することが今回最大の目的となるからである。

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上海上・須恵国古墳めぐり 下つ巻

青掘駅から『内裏塚古墳』の威容は、容易に視認できるはずであった。見渡せるのは房総特有の断層隆起などによりつくられた小山である。
とりあえず内裏塚に向かう。
内裏塚前方部より総の縦走尾根の麓に点在する小山群。そのひとつが内裏塚であったことに気づくのは、かなり目前になってからだった。小山と見分けがつかないほど大きい。軸長144m、関東でもベスト10に入る巨大墳丘は圧巻である。
後円部東側から後円部に上る。頂上は有に神社ひとつが入ってしまうくらい広い。
中央部に内裏塚の碑、北東部の隅に『珠名冢碑』がある。
内裏塚後円部頂上恵(周准)の珠名さん。奈良時代の人である。歌人高橋虫麻呂の歌にうたわれる美女である。この歌の内容からは、奈良時代の絵画に出てくるような美人像は浮かばない。すがる蜂に例えられる容姿は現代人のグラマー美女感覚と同じである。遊女っぽい性格は、同時代の真間の手児奈とは対照的だ。(男をめろめろにしてしまうという点では、手児奈も容姿・スタイルは珠名とタメだったとオヤジは思っている)
内裏塚前方部横より後円部を円部から前方部へ向かう。
古墳の上を歩いている感覚はない。山を歩いているようなものだ。この様な感覚を味わえる古墳は関東でもそういくつもない。須恵の国造に連なる首長墓だろう。さきたま古墳群にさえこれだけの規模の墳墓はない。小国ながら貿易で栄えた須恵国の国力が窺える。

三条塚古墳名さんに吸われるならいざ知らず、からだ中を藪っ蚊に吸われて退散。
三条塚に向かう。『三条塚古墳』、内裏塚から直線距離で700m弱。軸長122mは内裏塚古墳群では次席である。6世紀後半の築造といわれ、毛野に替わりさきたま古墳群の一族が、関東に覇を唱えようとしていた時代、須恵国の盟主も拮抗した力を持っていたということか。

飯野陣屋周濠も残る周濠は、古墳に付帯するものではなく、江戸時代の陣屋跡である。後円部東側から墳丘に入ることができるが、更なる藪っ蚊とくもの巣の抵抗を受け、蜂まで援軍に来られたので突入を断念。攻略は冬を待つしかないようだ。二重の周溝に囲まれていた当時の全長は190m以上で、全長では185mの内裏塚より大きい。

九条塚後円部頂上いて九条塚前方部全景『九条塚古墳』に行く。ここも東側から後円部墳丘に上る。
ここにも内裏塚と同じ碑がある。周りには石室の積み石に使われていたような石が散乱している。軸長103m。6世紀中葉の築造とされ、三条塚同様、二重の周溝に囲まれていたらしく、周囲の道が名残を留めている。

弁天山石室弁天山古墳塚から市役所通りを経由して、大貫の弁天山古墳に行く。富津市役所大貫連絡所の敷地内にあり、石棺安置施設を含めた復元整備がされている。整備される前は、砂状の盛土のため原形をとどめていなかったようである。
墳丘頂上からは、浦賀水道と相模湾が一望できる。

東京湾観音天山古墳の南側の丘陵地帯にある大坪山には、東京湾観音様が立っている。最近コースの中に毎回入れているプチヒルクライム。今回は海抜120mの東京湾観音拝観コース。飯岡灯台の倍の標高差だ。きついかと思ったが、最強36Tを使うことなく、ノンストップでいった。仏へ近づくための道?である。
『東京湾観音』。この観音像は、今からおよそ1500年前の‥‥違うだろ!!
建立は昭和36年。同世代なんだなぁ‥‥。高さ56m、白亜の救世観音。

仏はユニセックスというものの、どう見ても女性である。しかもなかなかの美人である。
内部1内部2二の腕内部音様の胎内は20階建てで、螺旋階段で上って行く。途中には十二支守り本尊と七福神観音さま頭部からの展望がおまつりされている。
所々に外に出る展望部や別区画の階段があったりする。宝冠の部分が最上部の展望部は海抜170mほどだが、眺望はすばらしい。スカイツリーも見えるとのことだが、生憎今日は見えなかった。富津岬と須恵の国を一望する。

富津岬展望台京湾観音下で昼食を取って、富津岬へ行ってみる。
富津岬の展望台。久々に上ってみる。富津岬はここで切れて、沖合いに第一海堡を望むことができる。
おかしいなぁ。子供のころの地図は第一海堡は地続きだったし、大潮のときは歩いて渡れたはずだったと思うのだが‥‥

富津岬から、再び青掘地区に戻る。
稲荷山古墳稲荷山古墳周濠跡の探訪は『稲荷山古墳』。6世紀後半の築造で、軸長は106mだが、二重周溝の全長は200mを超えて内裏塚古墳群中最大である。説明看板の横から墳丘中央部に入っていけるようだが、やはり内部探訪は冬を待つことにする。
亀塚古墳後に訪れたのは、『青木亀塚古墳』。6世紀終盤〜7世紀初頭の築造とされるが、古墳らしいイメージは少ない。他の同規模古墳と比べて、高さがまるで低い。削られたからとも、古墳自体が未完だからだとも言われているようだ。
側面が公道となっており、容易に立ち入ることができるのだが、蜘蛛の巣が進入を拒んでいる。天候も不安定になってきたので、最終ポイントの古塚古墳も含めて、捲土重来を期す事にする。

姉ヶ崎帰還後のコーヒータイムを終えて、姉ヶ崎公園に戻ったのは17時だった。
千葉県には大型の古墳が多い。特に内裏塚古墳群は、規模で言えば埼玉古墳群と拮抗している。さきたま古墳群の盟主は、ヤマトの力を背景に、その地にやってきて一大勢力を築いたという。房総の豪族も、時期こそ異なるが土着民ではないだろう。そこには、高い航海技術を駆使して、貿易や新天地を開拓する海人族の影が見え隠れする。
房総の諸豪族たちは、さしずめ自由貿易という海の民共通のイデオロギーの中で、協力し合いヤマトからの圧力も柔軟に受け止めて、小国家群ながら毛野・武蔵に対抗する勢力を保っていたのだろう。

須恵の国ルート日の走行107.5km

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上海上・須恵国古墳めぐり 上つ巻

姉ヶ崎公園スタートの時期の古墳探訪はあまり乗り気がしない。
武社国・下海上国周辺の古墳めぐりをしたあと、間髪入れずに来たかったが、仕事・諸用の都合で、今日になった。
姉ヶ崎公園駐車場をAM6:30にスタート。


二子塚後円部より二子塚古墳まま裏道を抜けて、内房線の踏切を越えると、第一目標『二子塚古墳』が目前に現れる。5世紀中葉の築造で軸長106m。保存状態もよく、本日の幸先にふさわしい威容である。


天神山古墳天神山前方部塚から1.3kmの台地を登ったところに、姉ヶ崎最大の『天神山古墳』がある。入口がわかり辛くうろうろする。天満宮への入口が前方部裾部になっている。台地の中腹に造られているようで、樹木に覆われているとその大きさが分からない。軸長130mは、千葉県ではトップクラスだ。

『天神山古墳』の案内図に、近くに予定しなかった大型古墳があるのを見つけていってみる。
『今今富塚古墳富塚古墳』。軸長110mという大型の古墳で、天神山から4kmほど東に行ったところだ。
保存状態が悪く、前方部と後円部が寸断され、墓地等で開削されている。
現存の形からは、100mを超える威容は偲び浮かばない。場所も古墳群から独立しており、被葬者の立場が微妙である。

姉ヶ崎神社うひとつ寄り道。『姉ヶ崎神社』へ行く。ヤマトタケル東征が起源とされ、将門追討・頼朝挙兵にも出てきた由緒ある社だ。
境内で釈迦山古墳への道を探していると、庭掃除のおじさんが来て、民家に案内された。
民家の御主人に家の裏の進入口に案内される。

「す釈迦山古墳(御社古墳?)?みません。お邪魔いたしまーす」
「薮蚊がすごくてな、そんな格好じゃ、そこら中食われてしまうぞ」
虫除けを頭からぶっ掛ける。「マムシなんかいないよね?」。「そんなもんはいないよ。そこの杉の木の後側から登れるよ。」
民家の軒先をお借りして古墳に入ることはよくある。史跡などとなると見学者も多いのか、住人は好意的である。しかし、挨拶・お礼とマナーは忘れないこと。
確かに、薮蚊がすごい。それにも増して嫌なのが、くもの巣。だからこの時期の古墳探訪は気が進まないのだ。実は『焼津の半次』なのである。
『釈迦山古墳』。軸長86m保存状態はよいとされているが、比較的動ける後円部頂上以外は雑木・草茫々で全容を捉えることはできなかった。

上海金鈴塚古墳上国をあとにして馬来田国(木更津)金鈴塚に向かう。昔『キサラヅーの伝説』なんて歌はやったよなぁ。歌いながら走る。(※注‥‥正式にはキサナドゥである!)
『金鈴塚古墳』。今はミニ富士塚ほどの大きさで、横穴式石室と石棺を見ることができる。6世紀末〜7世紀初頭の築造らしい。

金鈴塚古墳石棺金鈴塚古墳石室のころまでは、周壕を伴う軸長100m級の、古墳時代終焉の大型古墳だったとされている。



青掘駅前よいよ須恵国に至る。休憩と情報収集のため、青掘駅に行く。駅は無人駅だが、駅の北川には駅前開発で開削された上野塚古墳の後円部の一部、駅の南側には『古墳の里ふれあい館』があって、休憩所・トイレや周辺古墳情報・案内パンフレットなどが用意されている。
今回の盟主墳である内裏塚古墳は、ここからは四股の距離である。ここで遅め?の朝食を取る。


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荒川CR 榎本牧場まで

連休中日。ソフトクリームが食べたくなったので、自転車で買いに行く。
埼玉県上尾市、荒川の河岸段丘の上にある榎本牧場。榎本牧場に来るのは2011年8月の秩父輪行以来である。
榎本牧場1川敷の強い風がイヤなので途中まで一般道で行く。連休だから市街はすいている。道満グリーンパークから荒川CRにはいる。
グリーンパークから田んぼやゴルフ場の中の1本道を24km・90分(一服多過ぎ!)で榎本牧場に到着。


榎本牧場2イカーの家族連れも多いが、CR沿いのせいかサイクリストが多い。入口の前にずらっと並ぶロードのツワモノ。ミニやクロスは少数派だ。
売店や自販機のない長距離CRの中では、大幅にルートアウトせずに、水分とエネルギーが補給できるスポットである。


ソフトクリームこのソフトクリームをいただくの本日の目的である。ここでも数種類のトッピングが出来るが、ここでの一番のおすすめは、そのまんまのミルク。コーンで262円也。
写真は2個目のクッキー&ミルクのコーン。

入口の古墳がある?看板の横に、小さく殿山古墳との看板がある。
こんなところにも古墳があるのか。
農舎の裏の小高い丘が墳丘らしい。が、入ってく道も分からないので、次の機会に。


スカイダイビング2のま本田空港ま帰るのもつまらないので、左岸に渡り本田エアポートにいく。本田航空が運営する軽飛行機用の空港で、業務用のほかに遊覧飛行などもやっている。スカイダイビングのベースにもなっており、この日もピストン輸送でやっていた。

降下スカイダイビング降下部隊専用機?の単発機は小型機なんだろうけど、結構大きい機体である。
降下用の大きな扉がみえる。







エルゴノミックフォーム川左海から50km岸をそのまま帰る。
河口まで50kmの標識。イコール家までもほぼ50kmの行程である。
今日のサドルは、キャノンデールの『エルゴノミックフォーム』
ロングライド用に『MAXフライトゲルフロー』を購入した後、娘のTS−7にズーゲルフローを付けたので、これをチョイノの付替え用にしてチョイスするようにしていたが。今回はそのままで臨んだ。6万円前後のキャノンデール車に装備されており、国内市販はされていないが、海外通販では2,000円くらいででていた。800円で購入した我が家の最安サドルながら、ここまでは調子がいい。

モトクロスサーキット間大橋を過ぎると、モトクロスのサーキットがあった。『ウエストポイントオフロードビレッジ』という、地元の有力販売店が運営しているようだ。ちょうどイベントレースをやっていた。
いいねぇ。
30年も昔には、誰が作ったとも知れないコースが河川敷のいたるところにあったものだ。

荒川CR日走行 122km
ケツ痛はどうしようもない。

今日は菖蒲湯の日。
お風呂に入って、ケツ痛を治す。
結局、またバニラモナカを2個食ってしまった。

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藺沼(いぬま)試走

『MAXフライトゲルフロー』装着の試走を兼ねて、藺沼にサイクリングに行く。
予定走行は70〜80kmだが、今日はあえてナイロントランクスとレギンスジーンズのみでお尻の具合を見る。(元々サイクルジャージもないし‥‥)
『藺松戸中心部沼(いぬま)』。かつて柏市の布施弁天下辺りから、野田市木間ヶ瀬あたりにかけて存在したという巨大湖沼である。古代には手賀沼の前身である手賀浦とともに、琵琶湖に匹敵する大湖『香取大海』の入江を形成していたという。まぁ特に試走とは関係ないが、行ってみたかった所である。
錦糸町から木根川橋を渡り、R6旧道の葛飾橋を渡る。
橋からは松戸市の中心地が一望できる。マンションが増えたが、駅前を中心に川の景観が映えるバランスのいい町並みだ。

三重塔と楼門弁財天本堂布施弁財天戸市街を抜け、再びR6に合流し、北柏から布施へと向かう。
布施弁財天。大同2年に空海によって開山されたという。「大鐘楼同2年」というのは仏教史や災害史にとってキーワードになるほど、色々な場面に出てくる。
本堂は享保年間、楼門や鐘楼は文化年間の建立だそうだ。



布施妙見大菩薩ス停を挟んで向かい側に『布施妙見大菩薩』を祀る小さなお堂のある小山に目がとまった。
自称古墳オタクとしては、一目見て引っかかる形状だ。前方後円墳である、どうみても。しかしそのような表示や案内はどこにもない。
上ってみると、まさに前方後円墳的である。墳丘だとすると50m規模はありそうだ。偶然にしては見事な形状である。
藺沼をバックに財天をあとにして、利根川の堤防に上る。
以前は有料だった新大利根橋が見える。
この辺りが、かつて藺沼と呼ばれていた大湖沼だ。利根川の東遷により、利根川本流との合流で多量の土砂堆積により消滅したとされるが、それがなくとも自然に、あるいは近世の新田開発で消滅する運命にあったのだろう。

セラ・イタイヤ心のサドルである。最初の500mは硬くて辛かった。次の5kmで慣れてきたが、10kmも走ると坐骨が痛み出した。股擦れと会陰部の痛みはまったくないのは形状の効果だろう。しかし40km強しか乗っていないのに、もうサドル表面が擦れている!!


古利根沼356の古利根沼1バイパスである「利根水郷ライン」に入り、1kmも行かないうちに、湖沼と堤防跡が見えてくる。『古利根沼』はかつての利根川本流の名残だ。銚子から来た大型船は、この先の浅瀬を通れないため、ここで荷物を積み替えたのだそうだ。河川改修で本流から切り離された三日月湖は神秘的ムードが漂う静かな佇まいで、今は釣人のメッカとなっている。
ガチョウ??こか手賀沼ら湖北駅を抜けて、手賀沼にでる。南側の手賀沼CRを手賀大橋まで行く。めちゃ向い風である。
かつて日本一汚れた湖沼といわれた手賀沼は、行政や地元民の努力により、美しい湖沼によみがえった。釣人のそばに平気で寄ってくる「変なアヒル?」。釣り針飲み込むな!

じゅん菜池道「船橋我孫子線」からR464を経由して、市川市中国分の『じゅん菜池緑地公園』で最後の休憩。
手賀沼を抜けたころから坐骨の痛みがピークに。脚力がなくなることで、サドルにどっかり座ってしまうことが根本原因である。しかし、漕いでいると痛みは進行しない。50kmからは小康状態だった。やはり最後まで股擦れと会陰部の痛みは出なかった。70kmも走るとどのサドルでも、どこかしら「いててぇ・いててぇ」と歌いながら走るのは変わらないようだ。高い投資だから当面これで行くしかない。


今回の走藺沼2
93.2km
ASG CM−11は途中で電池切れ。後半は手書きルートを追加。緑の円はフォトスポット。‥‥ミステロンの声が聞こえたところではない。

試走感想‥‥『快適すぎるため乗りすぎに注意』は、絶対!!大丈夫です!。
コンフォート派にとって、このサドルで快適すぎるための乗りすぎはありえません。『世良』だなぁと言ってうっとり見すぎはあるかも知れんけど‥‥。

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PS 後日追記
布施妙見の小山が気になったので、後日調べてみたら、やはり古墳であった。『弁天古墳』。規模は35mで自然堤防の台地に乗っているとのことだった。サドルの乗り心地とはなんら関係ないが‥‥

養老サイクリング

高滝湖プロモDVDと違う!渓谷にサイクリングに行く。車+自転車は3回目だ。情報誌に載っていた『高滝ダム』を基点にしたコース紹介を参考に設定した。
夕方には雨との予報だったため、家を6時に出発。
高滝神社横の駐車場を基点として7:30過ぎのスタートになった。この駐車場利用者はほとんどが釣り客だ。ここはバスかな。

開通間近新緑が日差しに映えるさわやかな季節‥‥」ご冗談でしょ!梅の季節みたいな気温に、走り出したらいきなり通り雨の出迎え。
湖の中央に掛かる美しい加茂橋(カモノハシではない)を渡るといきなり上りになる。初っ端からカウンターを食らった。
圏央道鶴舞IC予定地。開通は来週だ。今日はここまで90分掛かっているが、ここが出来れば、渋滞なしなら60分掛からないで来れてしまう。

熊野の清水本橋を左折し、水沼を右折。熊野の清水入り口暫く行くと看板がある。熊野と書いて「ゆや」と読むそうだ。清水は熊野神社の参拝口の横に湧き出ている。お参りしてからいただく。


大滝駅野の清水から『いすみ鉄道大多喜駅』を経由して、今は博物館になっている『大多喜城址』に向かう。
関東の駅百選に選ばれた『大多喜駅』。駅舎に、いすみ鉄道の本社が入っている。
しかし『デンタルサポート』って何?。駅中に歯医者さんがあるわけでもないし、命名権らしいがまったく似合っていない。

大多喜城キシコ通り(メキシコ大統領が大多喜を訪問したことを記念した道だそうだ)から大多喜城址に登る。本多忠勝を大河ドラマになんて旗指物が至る所にあるが、戦国無双みたいな稲姫が出てきたら面白い。でも来年は黒田官兵衛になったんじゃなかったかな‥‥。
駐車場から本丸跡の博物館までは、押し歩く。
登城は下馬するものである。坂がきついからではない‥‥。

大多喜養老の滝?城から上総中野に出てR4656老川十字路を左折する。いきなり急な上り。ギア抜けしてストップ。ここで1回目のダウンを取られる。暫し押し歩き。
この急坂を上ると、滝入り口までは比較的なだらかだ。滝に下りる遊歩道入り口は、ちょっと怪しい雰囲気だ。養老の滝と書いてある。但し、居酒屋『養老の滝』の由来はここではなく、岐阜県の養老の滝である。
粟又の滝上粟又の滝下30m・長さ100mのスロープ状の滝で、以前はウォータースライダーのメッカだった。今も夏はやっているのだろうか。今日はまったく水量がなく大瀑布を連想することは出来ない。残念!

反対側隧道から川がから老川十字路に戻り、養老渓谷の中心、弘文洞跡に行く。往きには気づかなかったが、老川十字路の真下から川が湧き出ている。よく見るとトンネルから水が出てきている。これは人工の水路なのか?。気になったので入り口を探してみる。新老川十字路のバイパス開削地の下に川の入り口があった。不思議な川だ。
掘り抜きトンネル弘文洞入り口洞入口交差点(信号もないので分かりづらい)から、掘抜きの隧道にはいる。入口は普通のトンネルなのだが、中に入ると不思議な空間になっている。鍾乳洞に入ったような雰囲気だ。隧道を抜けて橋を渡ると弘文洞へつながる遊歩道がある。



弘文洞跡誰もいないもいないので自転車を乗り入れする。ホントはたぶん駄目なのだろう。
弘文洞跡。深い渓谷のようだが、初めて来た時は、まだ掘抜き状に上部がつながっていた。30数年前に上部が崩落し、今のような地形になった。

清澄観音橋観音橋2養老ラインを養老渓谷駅方面に向かうと、温泉街の中に、観音橋という綺麗な二重橋がある。
頼朝所縁の開運観音として有名。あやかろうと思ったが、橋を渡りきったところで、工事のため通行止め。運が向いてない‥‥。ちなみにこの橋も自転車に乗って渡ることは出来ない。運を担ぐつもりで自転車を担ぐのだ。

ラ・フランス泉街で食事処を探したが、ゆっくりコーヒーが飲みたかったので、弘文洞入口までもどったところの洒落たレストラン、『ラ・フランス』でブレイクタイム。『弘文洞入口』はこのレストランを目印にすればよいのだ。



白鳥橋こから、最終立寄り地『久留里城址』を目指すのだが、大福山を経由してみた。上りだけ苦しめばあとは尾根伝いにダウンヒルである。
白鳥橋をわたりヒルクライムに‥‥
しかし、上り始めてすぐに急斜面で、またまたダウンを取られた。時折雨も激しくなり、乗っては降りてを繰り返す。3kmの上りは、50mの全力疾走も出来ない軟弱親父には、K2??並みか。
房総の山の中、大福山を探しているうちに道は下りとなり、尾根伝いの林道に合流してしまった。
最大標高は311mをマーク。このGPS大丈夫かぁ?地図上の大福山山頂は292mなのだ。
ここからは概ね下りである。ところどころ視界が開け、房総の山々が展望できる。日本で一番低い県。それでいて不思議と奥深い房総の山々。このパノラマを見ていると、多少なり心の休息にはなる‥‥。

尾根伝いの林道から、最久留里城後の目的地、久留里城址の攻略。大福山のあとだから休息程度に考えていたのが、今日最大の誤算だった。
久留里城は真里谷武田氏によって築かれた山城で、戦国時代は里見・後北条氏の攻防の最前線となった堅塁である。
二の丸の資料館までの押し歩きで、脚の筋力が完全にドロップアウトした。二の丸から本丸までは徒歩で僅かだ。本丸天守台址の横に、天守が再建されているが、戦国時代以後のものだろう。

疲れたぁ〜滝ダム駐車場に戻ってきたのは17時近く。最後は乗っているのか、押し歩いているのかわからない状態になっていた。レフリーがいたら、大福山に上ったところでテクニカルノックアウトを出されていたろう。
全身ずぶ濡れで、エアコン暖房フル回転での帰宅。雨なのに濡れない。脚に力を入れなくても坂を登る『自動車』に不思議な感覚を覚えながらの帰宅路だった。

疲れたぁ〜!
養老渓谷周回日の走行80.3km(押し歩きも含む??)
最高速度45km/h!?(こんなキチガイのような速度出した覚えはないぞ)
平均速度16.2km/h(8km/h以下がやたら多かった割にはいいタイム??だ‥‥と思う)
累積標高差+1,610m・−1,588m(ASG−CM11で取れるのだが、今まで気にしたこともなかった。周回なのに±0mにならないのはなぜだろう‥‥)


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第二次城山攻略

雪のため、行程僅か中ほどにして敗走した第一次城山攻略。
臥薪嘗胆、そして捲土重来‥‥いい言葉だ。
京王閣再び到来を予感させる温暖気候の中、第二次滝山攻略のため進撃する。
津久井湖サイクリングに再挑戦。
AM6:00には出発したかったが、諸所の都合で出発はAM8:00となる。アキレス腱の炎症で通院しており、体調にはやや不安。
前回吹雪で引き返した、京王閣前を順調に通過。前回の天候が嘘のようだ。但し、吹雪ほどではないが、遠方が霧のように霞んでいる。スギ花粉?黄砂?PM2.5か‥‥!!
コンスタンチヌスの柱ここにも武線の鉄橋を越えると、対岸に某国の軍事施設?のような建物。稲城市の清掃工場。
ここにも『コンスタンチヌスの柱』がある。上に大帝の像はないのだが‥‥



多摩美大前く多摩川左岸のCRを走り、四谷橋を渡り野猿街道に入る。あまり意識していなかったが、野猿街道から柚木街道を抜けて、東京環状に出るまでは、ほぼなだらかな登りルートである。いい加減疲れてくるうえに、多摩美大付近は傾斜がきつくなる。ここで一気に体力がなくなる。

東京環状から町田街道・津久井街道を経由して城山ダムに向かう。
城山ダムを目前にして、城山と津久井湖ファミレスで昼食。せっかくだから一気に攻めずに搦め手から攻略する。ダムの手前から県道513号線に入り、津久井街道の対岸を行く。
コンパクトクランクのおかげで、何とか対岸の最上部に。津久井湖と城山が一望できる。

さて、対岸を遠回りしたのには理由がある。噂の廃道県道515号を見るためだ。県道515号線県道515号は513号の三井から千木良でR20に合流するまで相模川左岸を抜ける道だが、一部が廃道になって久しく、廃道区間入り口には巨大な鉄柵がある。
せめてそこまでは行ってみたい。
県道515号の道幅は1.7m。うちの車じゃ通れん!!しかし軽には2回出会った。これでも立派な生活道路のようだ。

ミニヒルクライムはまたどんどん上り坂になっていく。
こんなところでミニヒルクライムになってしまった。軟弱ポタリストはついにF34T×R36Tの最強ギアまでいってしまった。はっきり言って押し歩いたほうが早くて楽だ!
ヒルクライムは長い距離ではない。鍛えていればコンパクトすら不要なのだろう。
噂の廃道して報酬のはずの快適なダウンヒルは一瞬の間。再び集落に出て、集落の最上部にあるお寺を越えると、ありました!噂の現場?

巨大な鉄の遮断機をやり過ごした奥に、更に巨大な鉄柵。馬防柵か?でもしっかり横から抜けられる。かなりの人間がここを越えているようだ。

けっこう山名手橋に戻り、途中から折れて、更に下ると津久井湖に掛かる大きなつり橋『名手橋』を渡る。
橋の中央から、先ほど走った県道515号方面を望む。結構山間に来た感じだ。まぁダムがあるくらいだからねぇ。

城山ダム久井街道に出て、城山ダムの観光センター駐車場に付く。
ついに城山を制覇した。
はぁ、城山の頂上まで行ってはじめて制覇じゃないのかって‥‥
ご冗談でしょ!

さて、すでに15時近い。いい加減疲れもたまっているので早々に撤退する。
ほぼもと来た道を戻る。御殿山から百草園までは、ロングダウンヒルである。クロスライドは惰性で結構走ってくれるのでほとんど漕がない。しかし流石に80kmを越えたくらいから、オマタが痛くてたまらなくなった。自転車なら摩擦部にはグリースを塗ることを考え、ドラッグでクリームを買って塗る。多少は和らぐかもしれないが、やはり『ZOOGELFIOW』サドルでも駄目か‥‥。Gパンにトランクスというもの自体に問題もありそうだが‥‥

多摩川CRまで来ると、テーピングしている腱がぴしぴし痛み出した。通院中の脚では無謀だったか。でもどうせシップ薬とロキソニンしかもらっていないのだが‥‥。ロキソニン飲んでもあまり効果がない。右足に力が入らなくなった。

コンスタンチヌスまたまたトワイライト路のように、世田谷通り⇒R246・渋谷と抜けていくのが最短だが、すでに脚には力が入らない。世田谷通りや246の起伏に耐えられそうもない。遠回りでも起伏のない道を選ぶ。イチコクまで粘るしかない。
二子玉ですでに17時をまわっている。CRの夜は照明もなくダーク色のランナーや「犬に散歩させられている人たち」がいるので危ない。
結局、闇に閉ざされニコクから降りて市街地を行く。

もうだめだぁ会の夜景は美しい。けれど今回は夜景にかまっている状況ではない。
右足はほとんど使えず、左足は引きつってきた。おまけに少しの段差でオマタの悲鳴。
浜松町で一旦休憩する。
木場公園前、家を目前にしてついにドロップアウト。押し歩きになる。筋肉痛などで、行程中に押し歩きしたのは、秩父輪行以来だ。

行程mapM20時過ぎ。何とか帰宅する。途中からメーターすら見なくなったが、本日の走行149.9km.あと100mで150kmだ!
MR−4での日帰り最長が114km、BMCの最長は74kmだから、最長記録を大きく更新した。
BMC流石也。
やはりオマタの課題は残された。今回は出発が遅れて、こまめな休憩が取れなかったこともある。足は故障中で、また翌日また通院である。

帰宅時までにまったく余力の残らないサイクリングであった。
100kmを越えると、もはや忍耐と距離数の達成感しかない。
本来、時間に縛られず気の向くまま、寄って・見て・楽しむのがポタリストのスタイルだ。
やはりポタリングを楽しめるのは50km〜70kmまでである。ポタリングは距離を気にしてはいけない。

とはいえ、もう少し頑張れば『センチュリーライド』も夢ではないことも実証できた。
第二次城山攻略により、城山ダムは陥落した。


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PS 翌日、通院に自転車を出してしまった‥‥
    自爆行為であった‥‥

第一次城山攻略

MC後のBMCの試走コースを津久井湖にしたのは、それなりの距離と、きつい高低差が少ないからだ。
サドルを『ZOO GELF LOW』に替えて、股擦れと前立腺の痛み回避にどのくらいの効果があるかの検証もあるが、趣味でいじっているとはいえ、それなりのパーツを投入している。健脚なら200kmも楽勝な仕様である。軟弱ポタリストといえども100kmを余裕でクリアできなければ意味がない。
平日に休みを取って夕暮れ時までに帰る予定。翌日も4時半起きの仕事だ。
雪で足止め午前7時30分、天気予報は午前中一時雪と出ている。雲は低いが予想より寒くない。どうせ降ってもものの1時間くらいだろうとタカを括って出発。
新宿を抜け、R20で府中から聖蹟桜ヶ丘、橋本を経由するに抜けるのが最短ルートだが、走りやすいR246二子玉から多摩川CRを抜けるルートにした。
より深く垂れ込めた雲は、渋谷からついに雪になった。R246は首都高が上を通っているので、ある意味雪の直撃を避けられる。
降りはどんどん激しくなり、ついに用賀で足止めとなった。吹きっさらしのCRに入る前に様子見をする。
京王閣店でつぶすこと1時間。少し小降りとなったので出発。
程なく多摩川に出る。また雪が強くなった。風が吹くと横殴りになる。
雨具はない。雨を覚悟してまで行軍するほど強い意志で臨んでいるわけではない。防水を施していないコートとズボンは徐々に滲みてきている。
京王閣で記念撮影。過日MR−4で来た時は、すでに70km以上走っていた。今回はまだ36kmだが、天候のせいか疲労度は今日のほうが高い。
京王閣を過ぎると、降りは更に強くなった。すでに全身水がしみている状態なので、多摩川原橋多摩川原橋の桁下でまた様子見。やはり雪はやむ気配がない。牡丹雪となってきた。
体力的には続行可能だが、無理は禁物である。とある映画での三船敏郎演じる大村海軍少将の言葉を不意に思い出す。『このまま帰ろう。帰ればまた来ることが出来る』。そうだね、大好きな言葉である『捲土重来』をまた使うことも出来る。
服はずぶ濡れだが、ここまで来れたのは、先日松戸の某ショップで購入した手袋のおかげだろう。あの時は暖かい日で、こんな冬手袋、今年はもう使うまいと思っていたが、今回は手袋の防寒・防水効果で、手の悴みがないのが大きな効果だ。
途中ファミレスで暖をとりながら帰る。結局、東京駅雪が収束したのは、すでに東京駅を越えてからである。
走行69.5km
また、70km止まりとなってしまった。今回はスパッツにカーゴパンツだったため多少擦れたが、このサドルではまだまだいけそうである。
ほぼ全行程雪であった。雨ならば降り始めで退却していただろう。雨の日は乗らない主義だ。
雪の中でここまで走ったのは、どこかに残る『ヨンダブリスト』のサガだろう。
何の言って雪の中を走るのはすきなのだ。たとえ駆動が一輪であったとしても‥‥

第一次城山攻略は悪天候という伏兵の襲撃を受け、無様な敗退で終わった。


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九十九里CR

友人に紹介され、同伴で九十九里CRに行く。車載風景
千葉県の太平洋岸自転車道を構成する一ルートで、『一般県道九十九里一ノ宮大原自転車道線』というながーい名称がついている県道なのだ。
片貝海岸からいすみ市の塩田橋まで全長33kmある。
今回は不動堂ICの県立九十九里自然公園駐車場まで車で着て、そこからいすみ市大原を目指す。
CRは九十九里ビーチラインと平行して走る部分と、九十九里有料道路に平行する部分が主体であるが、九十九里独特の内湖に沿った単独ルートもあって変化に富んでいる。CR長生付近
路面はお世辞にもいいとはいえない。もともと粗い簡易舗装のようなルートに、おそらく震災の影響と思われるリップルマークのような段差が頻繁に現れる。
ルートも狭く、ミニやクロスでのんびりポタにはいいが、走りこむローディさんには向かない。防風林に囲まれたルートは、風の直撃はないものの、景色を楽しめるスポットも少ない。

いすみ岬町市付近いすみ市標識Wの真っ只中にしては、ほとんど貸切りコースである。
九十九里有料道路の料金所上を立体で交差し、再びビーチラインに沿った一般道を走る。
R128に出て、太東岬より続く丘陵部のなだらかな坂を越え、夷隅川を渡ると再びCRが海岸に沿って現れる。海と内湖の間の長い砂州を抜けていく。

月の砂漠?いすみ市岬町付近2切りロードを気持ちよく走っていると、ありゃぁ!
道が砂で埋没してしまっている。こんなとこ行ったら、即オーバーホールになっちゃうよ!‥‥というかMTBだって走っていけない!
どこまでこの状態か不明なので引き返し、R128に出て、昼食をとる。

大原方面この大東崎灯台先のCRの状況も不明なので大原駅の手前で引き返す。
帰りに太東岬に立ち寄る。さして高地ではないが(といってもヒルクライムはめげて押し歩き)断崖絶壁の絶景地で周囲の見晴らしもよい。
本日のお供AC−02と、H氏の愛機CEN。

九十九里ドライブイン昼飯がちょっと×?だったため、九十九里岬ドライブインでバーター焼き蛤とコーヒーで口直し。
でゴールデンウィークなのに観光客が全くいない。サーファーさんがいるだけ。普段の休日だってもっとにぎやかだろう。この頃の地震や津波報道の影響か。


感動の標識今回の感動癸院この標識!ホントに自転車の絵しか描かれていない。
人と自転車で『歩行者優先』と書かれたニセCRではない。正真正銘の自転車専用道路なのだ。
ここでは人も車も蹴散らして突っ走れる‥‥!などといってはいけない。
やはり歩行者もいる。思いやりをもって徐行すべきである。しかしCRを堂々と駐車場代わりにしているトラックや車には立腹する。
腹の中ではこういうのを蹴散らしながら、やはり体力的理由から節度ある走りを心がける??

走行70km
走ったのは太平洋岸自転車道の一部で、九十九里を中心にまだいくつかのルートがあるようだ。
他ルートはまた後日の楽しみに残して帰宅する。

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livedoor プロフィール

枯野

愛車紹介
1.PRESAGE U31
愛称KARANO号
  :いまや歴史遺産となりつつある3.5L/フルタイム四駆。最近は金欠でタコメーターしか見れなくなった。2002年モデル。

2.MR−4
  :GIANTのロングセラーフォールディングバイク。18年間コンパクトスポーツの頂点に君臨した名機。2010年モデル。FからSE擬き仕様にDIY。

3.SOMA SAGA『嵯峨』
  :米国ソーマファブリケーションズのツーリングフレームに格安パーツを買いあさって組み付けたグラベル風クロモリツーリングバイク。年式不明

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