KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

地元散策・紀行・お散歩

坂本紀行随想録その3

坂本城門聖衆来迎寺は国道161号沿いにあった。ツアールート上にあったことと廃城となった坂本城の城門が移設されているというので立ち寄る。城門はイメージより小さかった。湖上の要塞というべき坂本城に巨大で堅固な城門は不要だったのか。なぜか森可成の墓があった。

国道は車が多く怖いので旧道から明智塚に向かう。地図には載っていないので電柱の住所を頼りに探す。途中で坂本城址の碑を発見。横のベンチで一休み。その後も発見できず、飛び込みで民家に訪問、道を尋ねる。そこのご主人と奥さん曰く、「すぐそばだけどあそこへいくのかね。あそこは界隈の人はちかよらないよ……。」
定期的に法要がおこなわれて隣接する家が管理してい
坂本城址の碑るらしいが、どうもいわくつきらしい。無理もない。謀反人の汚名を着せられ壮烈な最期を遂げた武士たちの怨念が宿っているのだ。とにかくいくだけ行ってみる。

明智塚は国道沿いにあり、こじんまりとしたよく手入れされた塚だった。何の変哲もないところだが先ほどの夫婦の物言いが脳裏に残り立ち入りを躊躇させた。そう、藤原の名を残す自分は地元ともいえる場所にある将門首塚にも近寄らない小心者である。興味のみで立ち入ることの恐れを感じ、外より丁寧に拝礼しその場を立ち去る。


遅めの昼飯は近隣のすき家で牛丼。せっかく大津まで来たのにさびしいがグルメツアーが目的ではない。仕事光秀公石像中のたちより並みの速さで昼食をとり、今は公園となっている坂本城址に立ち寄る。明智光秀公の石像がある。結構体格がいい。光秀公というと礼の肖像画のイメージが強いが、史書には大力無双の持ち主ともある。むしろこちらのほうが実像に近いのかもしれない。決戦3や戦国無双2の光秀キャラでは全くイメージが湧かない。この年でゲームマニアではないが、KOEIさんには大人にもやりがいのある光秀像を作ってもらいたいものだ。


日が傾いてきたので滋賀院・慈眼堂と矢継ぎ早に周り、レンタルサイクルを返却して比叡山ケーブル坂本駅にいく。ケーブルからロープウェイを経由して京都に戻りたいと思っていた。休日だが夕方近いせいか乗客は少ケーブル山頂なかった。ケーブルから見えた山の頂にそびえる東塔のなんとない違和感が印象的だった。延暦寺駅に着いたときはすでに15:30を回っていた。西塔や横川区域へはいけないので根本中堂のある東塔区域を見てまわる。

根本中堂には感動。さすが叡山、京の鬼門を守護するに相応しい仏閣だ。東塔も近くで見るとその荘厳さに息を呑む。1日の疲れも出たせいか広い境内をのんびりうろうろしているうちに閉山のアナウンスがなってしまったので帰ることにする。

愛娘に土産の一つも買っていこうと思い、お土産売り場を徘徊。でも結局いいものがなかった。最初の三井寺で買っておけばよかったと後悔。バスセンターに着いたのは17:00になっていた。すでに山頂延暦寺根本中堂行きのバスはなく、ついたバスが京都行き最終ということなので、ロープウェイは断念しバスで下山する。最後の斜陽に浮かぶ琵琶湖と大津の街がとても美しく印象的だった。三井寺と叡山以外はマイナーな史跡めぐりだったが、一人旅でこそできる有意義な1日であった。

 



2010年追加記載


2010年2月データを整理していたところ、当時の写真が出てきた

比叡山

ので後掲載。

ピンボケであるがやはり残っていた。但し松禅院や慈忍和尚廟などは撮ったはずなのにやはり見当たらない。不思議としかいえない。

‥‥リベンジせよとの仰せか‥‥

 


 

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坂本紀行随想録その2

近江神宮前駅から坂本駅へ。170円、9分で900年。1分100年、100円で500年を一気に下る。

ガイドで見ていた駅前のレンタルサイクルへ。坂本は回る範囲が広いので自転車を使うことにした。先年に奈良明日香村を訪れた際にクロスバイクレンタルで山間の遺跡を結構楽しく回れた体験から、今回もクロスタイプかMTBにしようと思っていたが、なんとあったのはママチャリだけ。管理人さん曰く、坂本は斜面ばかりで自転車で回る人は少ないのだそうだ。明日香村だって山間なのに、観光者の層が違うのか、それとも絶対人数の違いか。とりあえず内装3段があったので半日レンタル。


まずは西教寺へ。しょっぱなから上り坂で脚に来る。西教寺は明智家の菩提寺で明智一族や光秀公の妻
熙子の墓がある。特に法要の日ではないのに一族の五輪塔の前には線香と花が手向けられていた。まずは順に参拝。正面右から最後熙子の墓がある.なぜか際立って小さい。光秀公の最期をまたずに、55万石の太守の妻としてなくなった熙子はある意味幸せであったろう。境内をぶらっと一回りして次の目的地に。次はいよいよ松禅院だ。

松禅院、よほど詳細な地図でもなければ載っていない。なぜここに行きたかったかというと、ここには光秀公が寄贈したといわれる石灯籠があるからだ。なぜそれが見たかったかというと寄贈されたのが慶長20年、1615年だ。お分かりであろう、光秀公が小栗栖で最期を遂げたのが1582年。この寄贈者光秀なる人物が全くの別人か、何者かの偽装でない限り、日向守光秀公は山崎の敗戦より生き延びていたことになるわけだ。つまり世間一般に言われている「光秀=天海」の物証のひとつになる。


長い谷間の上り道を松禅院に向かう。自転車を借りるとき、観光案内所も兼ねる
管理人さんに松禅院について聞いてみた。管理人さんはしばし考えた後、「飯室谷のところかな、あそこまで自転車は結構きついよ。それにあそこは普段閉まっていて入れたかなぁ」という感じだった。確かにマニアックな雑誌やブログにしか出てこないので、一般人がほいほい見にいけないところのような気はしていたが、ま、だめもとで行ってみようというところだった。長く細い山道で、さすがにいい加減くたびれたところにそれは突然現れた。

飯室不動堂。中世の昔なら本当に山奥の修験場みたいなところだ。しかし、さっきの情報と少し違う。線香の煙のようなものがたちこめ、大勢の人の気配がある。車も結構止めてありちょっとした観光スポットのような感じだ。目指す松禅院はこの奥にあるらしい。最期の急坂を自転車を押して登り、小さい広場に駐輪する。さて石灯籠はどこだろう。まずは目の前の鳥居(なぜお寺に鳥居?)をくぐり晴天の真っ昼間なのに薄暗く長い回廊を登る。一番奥になんとも古ぼけたちょっと不気味な廟のようなものがある。でもそれらしき石灯篭はない。そのまま戻っては失礼なのでとりあえず拝礼して戻る。(廟をよく見なかったが後に調べたら比叡山四大魔所の一つといわれる慈忍和尚廟だった。拝礼しておいてよかった。)

再度地図をみると、どうやら隣の仕切られたところが松禅院らしい。表に回ってみると門が開いていて読経が流れている。何か法要をしているようだ。門前をうろうろしていると人が入っていったのでついて入ってみた。その人は檀家らしく、玄関で挨拶をして坊の中に入っていった。玄関にはまだ住職さんらしき人がいたのですかさず捉まえてずばり聞いてみた。住職さん曰く、確かにここに光秀公が慶長20年に寄贈したといわれる石灯篭がある。元々慈忍和尚廟にあったものを保存のためにここに引き取った。しかし傷みがひどく一般公開にすると倒壊する恐れがあるのでご案内はできない。とのことだった。


あるといわれればやはり見たいのが人情だ。見るだけでもと何度か頼んだがだめであった。これ以上無理強いすると礼を逸すると思い、丁寧にお礼をし帰ろうとしたとき、逆に
住職さんが声をかけてくれた。お教えはできないが、せっかく着たのだから境内を自由に見て回っていいよ、と

あきらめた後なので面食らったが、せっかくのご好意に甘えることにした。境内をぶらぶらと歩いているうちに奥のほうに石灯篭があった。以前写真で見たものに酷似している。これか!このどこかに例の“慶長二十年二月十七日 奉寄進願主 光秀”と彫られていれば……。

しかし薄暗く苔むした石灯籠では目の前にしてくっついて見ないとわからない。ぼうっと周囲の景色と溶け込む石灯籠を眺めているうちに、ふと何かさっぱりした気分になった。これはこのままでいい。確認しないまま帰ることにした。目的は十分果たした。ご住職に再度お礼をし、飯室谷をあとにする。自転車で苦労して登った坂を下る痛快さは車やバイクでは絶対に味わえないものだ。日はまだある。ニュータウン中の並木道を湖畔に向かって駆け下りる。

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坂本紀行随想録その1

先日、TVで本能寺の変と明智光秀のことを放映していた。最近TV等で明智光秀や妻熙子のことがよく出てくるので、ふと記憶をたどって綴ってみたりしたくなった。


昨年のことになるが、京都出張の合間に近江坂本を訪れた。古代史ファンではあるが戦国時代もいささかミーハーなのである。特に戦国武将として興味があるのが
惟任日向守こと明智光秀公である。判官びいきといえばそれまでだが、その生涯からして何か気に掛かる人物だ。光秀公の全盛期から滅亡までの軌跡の残る坂本はぜひ訪れたかった。そして隣接する大津にはかつて大津宮が存在し、天智天皇や大友皇子縁の史跡も多い。大友皇子弘文天皇)も古代史の中にあっては興味をそそる人物であり、自分としては一石二鳥のロケーションでもあった。


大津・坂本でぜひ見たかったところが弘文天皇陵・大津京跡・坂本城址、そして
松禅院であった。

朝8時に湖西線大津京経由京阪で三井寺駅へ。大津へ来たのだから三井寺は見ておこう。琵琶湖疏水の隧道入り口を通り裏から三井寺(園城寺)へ向かう。琵琶湖疏水は灌漑や給水だけでなく、かつては近江から京都への水上輸送の動脈としても活用されていたと馬の首?いう。今はトンネルの中は船では通れないのだろうが、疏水くだりのツアーがあればぜひ参加したいものだ。

三井寺では観音堂や金堂等をまわる。残念ながら行った時点の金堂はまだ改修中であり、全容が見られなかったが、三井寺の名の由来である天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられている井戸は見ることができた。

三井寺から歴史散歩定石の歴史博物館をさらりと見て弘文天皇陵へ。地図ではすぐだが、近道が実際には警察学校の敷地内を通っており、結局市役所正面から大きく迂回して警察学校のすぐ裏の弘文天皇稜へたどり着く。天智天皇が遷都し、大友皇子の二代の都が大津宮であったが、壬申の乱以降廃都となってしまった。大友皇子も壬申の乱で大海人皇子に敗れたことにより大海人皇子が天武天皇となった後に編纂された日本書紀の中では滅びるべくして滅びた皇子のように描かれているが、果たして勝者の歴史は本当であろうか。確かに血筋としては劣るものがあったのかもしれないが、天智天皇が実弟(一説には違うという説もあるが)大海人皇子をさしおいて後継者としたのは息子かわいさだけではないと思う。ある意味天智天皇が目指した天皇家と大津市国家のあるべき姿を理解し継続できる資質があると天智天皇が認めたからこそ後を託されたのだろう。

高き理想に向かい急進的・先進的過ぎたが故に時代から抹殺されたと思うとまさに悲劇のヒーローと思えてくる。単に大王位の争いだけなら、先手をとって6万の朝廷軍を組織した大友皇子が、僅か3千から進軍した大海人皇子に敗れるほうがよほどミステリーだ。実際に大海人軍を指揮した高市皇子天武天皇の長男、後の太政大臣で長屋親王の父)も魅力的な人物ではあるが、乱の進行を見ていると味方の陣営の中にすら大友皇子と大津京の理想を阻もうとする力が働いているように見えてならない。

感傷に浸りつつも次の予定地である大津宮跡を目指す。が、ちょっとその前に寄り道を……。


ガイドを見るとちょっと珍しい皇子山古墳前方後方墳の皇子山古墳が近くにある。古墳ファンとしてはやはり寄ってみないと……。皇子山古墳は閑静な住宅街の奥の小高い山頂にある。もっとも登ってみると古墳のす
ぐ裏にバイパスのICがあるのは興ざめだった。規模としては決して大きくはないが、琵琶湖を望む山頂のモニュメントは大津京以前にこの地を支配していた豪族の威勢を感じる。まあすぐ裏を車がびゅんびゅん走られたのでは気の毒ではあるが……。


さて、一気に山を下り大津京跡へと足を運ぶ。歴史博物館で情報を仕入れていたので期待はしていなかったが、本当に小さな区画だ。もちろん発掘されてい
るのは部分部分ではあるが、跡地からかつての内裏や都大路のイメージは浮かばない。僅か5年の都ではあるがやはりさびしさは禁じえない。しばらくそこで休憩(通り過ぎる近所の人は変なオヤジがいると思ったかな)

時間も昼に近づいてきた。近江神宮前駅から京阪で坂本駅に。2両編成の路面電車みたいな車体、駅としては僅か5区間だが、まさに170円で乗れるタイムマシーン。時代は一気に900年も下ってしまうのだ。いよいよ本命目的の光秀公縁の地めぐりへ……。

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桃源郷ヘ行く

 桜の花見を逃したので、山梨の桃源郷へ桃の花見のドライブにいく。
高速料金が最大1,000円となって3回目の週末だが、高速はまたまた渋滞。
 元々渋滞が予想されたので、首都高からおりて一般道を津久井湖経由で相模湖から中央道に乗る。途中の一般道は通常よりすいているくらいだ。談合坂まで3時間弱。調布→相模湖渋滞案内と比較してむしろ若干早いくらいか。安くなるより渋滞が増えるほうがサンデードライバー桃源郷の自分としては困る。
 途中で昼食をとって、笛吹市御坂桃源郷についたのは午後1時半。気温が高く、美しい八ヶ岳連峰・南アルプスの山岳はほとんど見えなかった。残念。

 桃の花はちょうど満開に近くこれはよかった。桜も終盤とはいえまだ少し残っていて両方を何とか楽しめた。公園自体は思ったよりこじんまりしていて、何よりすいていた。あまりメジャーではないのか。
 花見をした後広場で娘とキャッチボール等で遊ぶ。自分としてはここまできたら同市内の銚子塚古墳と考古博物館を見学したかったが時間もなく断念。高速代値下げがなければたぶん行く時間があったかと思うと余計腹立つ。
 それでも、我がKARANO号としては久々の遠出karano09である。すいている一般道と混んでいてスピードの出ない高速のためか、燃費はとてもよく8Km/Lは走ってくれた。
 久々に写真を撮った。この時期になっても履きっぱなしのふわふわスタッドレス。来期はスタッドレスとしては使えないとタイヤ屋から宣告されているのでとにかく履き潰す。まだ8分山が残っているのだが。やはりスタッドレスでの峠道や高速カーブ等はすこし辛かった。
 
 今後このまま高速の渋滞が続いたらまたまた遠出が遠のいてしまう。この次は御殿場に遊びに行くことを家族に約束はしたが、またまた下道ドライブになるのか。それはそれでまたいいのだが。

 
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livedoor プロフィール
愛車紹介
1.PRESAGE U31
愛称KARANO号
  :いまや歴史遺産となりつつある3.5L/フルタイム四駆。最近は金欠でタコメーターしか見なくなった我が家の軌道空母。2002年モデル。

2.MR−4
  :GIANTのロングセラーフォールディングバイク。18年間コンパクトスポーツの頂点に君臨した名機も2017年モデルを最後に絶版となる。2010年モデル。

3.SOMA SAGA『嵯峨』
  :米国ソーマファブリケーションズのツーリングフレームに格安パーツを買いあさって組み付けたクロモリツーリングバイク。年式不明

4.トランジットセブン
  :今は娘の愛用となっている、BSの20インチフォールディングバイク。オヤジにサイクリングすることと、カスタムすることの両方の楽しさを教えてくれた逸材。2007年モデル。
  
5.ALPENCHALLENGE   AC02
  :レーサー志向の本格バイクを投入する『BMC』の珍しい26インチアルミバイク。ストックパーツを再編成して復活した我が家の最軽量クロスバイク。2011年FC前モデル。  
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