KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

地元散策・紀行・お散歩

さっぽろ紀行 番外

檜原湖幌出張から半月。
再度札幌に出張遠征。今回は10日間だが休みなしのため見れるところはどこもない。
出発時は雲の厚い天気だったが、一瞬の晴れ間で眼下に檜原湖が一望できた。
井上靖の短編小説『小磐梯』のテーマにもなった、磐梯山の水蒸気爆発によるMEGA土石流によって出現した巨大湖沼である。
裏磐梯に魅せられ頻繁に訪れていたが、この十数年訪れていない。小磐梯山頂からの絶景と大磐梯の山頂からのパノラマに感動し、いつか子供を連れて登りたいと思ていたが、その夢はちょいと叶いそうにない。


デリカD2 2回の現地での「脚」は『デリカD2』。リッタカーの指定で予約。店に行ったら「『デリカ』をご用意しました。」といわた。車を知らないオヤジとしては、当然D5と思う。コンパクトカーで予約したのにデカすぎると文句(本等は( ̄ー ̄)ニヤリッだったが‥‥)を言ったら「D2というミニボックスです」といわれた。
『デリカD2』、ハイブリッド4WDである。三菱のハイブリッドってあまり聞かなかったけど、プリウスのようなものではなく「ハイブリッドモドキ」らしい。さすが三菱!?。
でもフル4駆で17km/1L走った。北海道だからか?最近の車はそれが当たり前か?感動する方がおかしいのか。オヤジの歴史遺産はハイオクで6km/1Lしか走らない。


デリカD2 3デリカD2つは前回のFITより面白い。最近の車は、至れり尽くせりで、「衝突防止」や「はみ出し警告」は当然として、60km/hを超えると「安全運転しろ」とかインターに近づくだけで「ETC車線はだめ」とか、しまいにゃ走行後に「エコ運転を心がけろ」と指図する。これで会話が成り立ったら『ナイトライダー』のキットである。
我が家の古女房は「カードを挿入してください」「ドアが開いています」くらいしか言わない。いたって無口である。


琴似屯田兵屋て、今回琴似屯田兵屋2唯一の観光は、車のバックにある『ロートウァングの館』以上の古屋敷(というより長屋だな)。
『琴似(コトニ)屯田兵村兵屋跡』。屯田兵村については、資料館があるのだが、早朝のため、保存されている兵屋を見に行く。
北辺警備と開拓事業を兼ねた屯田兵が初めてこの地に入植したのが明治8年。その最初の入植地が現在繁華街となっている琴似栄町通のJR琴似駅から地下鉄琴似駅に至る周辺。通りの両側に、このような兵屋が200戸ほどつくられ、いくつかの屯田兵村とともに本格的な石狩地域の開拓が始まったそうだ。
野菜ぎょうざ みよしのセット回もゆっくり食事の時間がなかった。東京にないものとして、サツドラ・セイコーマートの『ホットシェフ』に続き、地元から聞いた札幌市民のソールフードといわれている『みよしの』で餃子とカレーの『みよしのセット』を食べる。みよしのセットは470円。オヤジは野菜餃子が好きなので、野菜餃子のセットで520円。
地元人はごく普通においしいよというが、赴任や出張できた人間の賛否はビミョウ。
オヤジ的には10日の出張で4回行ったから、結構はまった方である。




今回北海道の翼も往復とも「北海道の翼」エアドゥである。比較的直前に安い運賃で乗れる結果だが、北海道の発展と道内の利益還元を目標に設立した会社で、厳密にいうとLCCではない。
行も帰りも、機内安全のビデオモニターが故障で、アテンダント嬢の生解説と実演が見れた。さすがエアドゥ?






お土産2お土産1回は冗談でも『白い変人』を探してしまったが、今回はマジで買いました。
『白いブラックサンダー』。娘への土産で、味見はしていないが、ブラックという割にはすごく甘いだろうことは想像に難くない。
次は『HORIとうきびチョコ』これがとてもおいしい。特にプレミアムは甘さを多少抑えて食べやすい。これはやみつきになる。
結局今回は定番の『白い恋人』は買えなかった。この辺は東京でも買えるしね。



お土産4お土産3して、どう見てもゆるキャラではない『メロン熊』。ストラップは初代のゆるキャラ系なのか、グロ感やこわ感はない。普通のマスコットストラップである。(凶暴系もあった)。
Tシャツは凶暴系。だけどオフィシャルサイトの表紙ほどの不気味さはない。
メロン熊もゴジラみたいに、そのご時世で容姿や性格がかわるようである。
ゴジラが核実験を繰り返す驕ろ人間への大地の怒りの象徴なら、メロン熊は炭鉱閉山によって財政破綻を強いられた夕張市民の怒りの象徴?なのかもしれない。





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関東三十六不動尊巡拝 

さて、第一回目の『関東三十六不動尊巡拝』である。スタートが5月なので残り7か月となっている。巡拝に合わせていろいろ見て回りたいところもあるが、今回は割愛。
巡拝は特に順不同でよいそうなので都内から始める。

ルート
〔楾不動尊⇒等々力不動尊⇒L楡追堝安頃有っ飜酩堝安頃有ダ仗整翩堝安頃有志村不動尊⇒目白不動尊

目黒不動尊2目黒不動尊1黒不動尊
 天台宗泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)
慈覚大師・円仁の開基によるとされ、日本3大不動の一つに数えれれる由緒正しき寺院である。
駐車場はあるのだろうが、山門の前にコインパーキングがあるのでそこに駐車。



目黒不動尊4目黒不動尊3本尊はもちろん不動明王、本堂の裏手に巨大な大日如来像がある。不動明王は密教最高神『大日如来』の化身とも分身ともいわれている。護摩焚きの時は「大日大聖不動明王」と唱えられている。
女坂の途中に『変神大菩薩』が祭られている。修験道の開祖『役小角』のことである。お不動さまのところには多くに役小角も祭られている。修験道と密教は密接なつながりがあり、空海のエピソードの中にも役小角が大きくかかわっている。


等々力不動尊2等々力不動尊1等々力不動尊
 真言宗智山派滝轟山明王院(りゅうごうさんみょうおういん(致航山感應院満願寺別院)
寺院の縁起には、はっきり書かれていなかったが、真言宗の中興の祖、興教大師覚鑁(かくばん)によって開かれたとあるので、12世紀頃の開基だろう。
等々力渓谷の中ほどにある。
駐車場有。目黒通りを都心方面から来るとUターンになる。

等々力不動尊3不動の滝内から渓谷に下りられる。ここにも『変神大菩薩役小角』の祠がある。下りると渓谷沿いに不動の滝がある。遊歩道や甘味処もあるので時間が許せばゆったり過ごしたいスポットである。
余談ながら、目黒通りを挟んで向かい側には墳丘長55m、高さ7mの『御岳山古墳』、渓谷の対岸を上って500mほど行くと全長約82mの帆立貝式古墳、『野毛大塚古墳』がある。


L楡追堝安
 天目青不動尊2目青不動尊1台宗竹園山教学院最勝寺(きょうがくいんさいしょうじ)
開基については1,311年説と1,609年説があるようだ。創建者の玄応和尚自体いつ頃の人物かわからない。
三茶の雑踏からわずかにそれた閑静な住宅地にある。広い駐車場があるが進入路がわかりずらい。西友付近のパーキングに止めても歩いてわずかだ。
ご本尊は阿弥陀如来。正門から入ると右手手前。世田谷線沿い(写真)から入ると正面が不動堂になっている。

目青不動尊3目青不動尊4動堂は古式騒然としているが、現在の不動明王像は明治になってから当寺に移されてきたものだそうだ。
慈覚大師(円仁)作といわれる不動明王像を直接見ることができる。





っ飜酩堝安
 中野不動尊1中野不動尊2言宗豊山派明王山宝仙寺(みょうおうざんほうせんじ
当寺の歴史によると、創建は平安後期の寛治年間、源義家によって開基されたとある。
特に駐車場の指定はないが、正面門の横に車用の通路があったので、境内の隅に停めさせていただいた。



山門には阿吽の金剛力士像が配されている。境中野不動尊3内は広い。
ご本尊は秘仏で良弁作と伝えられる『不動明王像』。
三重塔には『大日如来像』。少し奥まったところにある御影堂には『弘法大師立像』が安置されているとのことだが、今回は見ることはできなかった。





中野から足を延ばし、練馬区の三宝寺池近くにある第11番所である『石神井不動尊』に向かう。
ダ仗整翩堝安
 真言石神井不動尊1石神井不動尊2宗智山派亀頂山三宝寺(きちょうざんさんぽうじ)
縁起によると、創建は応永元年(1394年)。鎌倉大楽寺の大徳権大僧都幸尊法印により、現在の豊島橋周辺に建立され、地在豪族の豊島氏の保護を受けていたが、1477年、豊島泰経VS太田道灌の『江古田原合戦』により石神井城が落城すると、道灌によって現在地に移転された。




石神井不動尊3石神井不動尊4神井城の縄張りの中につくられた境内はかなり広く、本堂のほかに6つの別堂がある。本尊は不動明王。
旧早稲田通りの斎場の向かい側に駐車場がある。
『関東三十六不動第十一番札所』であるほかに、『武蔵野三十三観音第三番札所』・『御府内八十八ヶ所霊場第十六番札所』(目白不動尊も第五十四番札所になっている)等複数の札所になっている。


志村不動尊
 真志村不動尊2志村不動尊1言宗智山派寳勝山南蔵院(なんぞういん)
徳川吉宗によって『櫻寺』と名付けられ、毎年春に釈迦尊の生誕を祝して盛大な『花まつり』が行われる。時機を逸して残念。
R17に面した広い駐車場がある。





志村不動尊3本尊は十一面観世音菩薩。不動堂は門を入って左側、本堂手前にある。不動尊はもともと近隣の末寺の本尊だったものが昭和の初めに当寺に移されたと縁起にある。






目白不動尊
 真目白不動尊2目白不動尊1言宗 豊山派神霊山金乗院慈眼寺(こんじょういんじげんじ)
創建は天正年間〜文禄元までの間とされる。門を入ると立派な本堂がある。ご本尊は『聖観世音菩薩』。地蔵堂は門を入りすぐ右手にある。
元々白目不動尊は文京区関口の目白坂の東豊山浄滝院新長谷寺(とうほうざんじょうりゅういんしんちょうこくじ)にあったが、戦災で焼失し当寺に移された。不動明王は弘法大師作と伝えられる秘仏である。

目白不動尊3動堂横手から裏山の墓地に入れる。丸橋忠弥の墓がある。行って見るかと尋ねると「それ誰?知らなーい」とカミさん。娘と違って歴女じゃないなぁ。かくいう親父も、この名前を覚えたのは『時の行者』を読んでからだ。






本日予定の七山を参拝したが、16:30まで多少時間があるので、もう一山、帰路からあまり離れていない南国寺目赤不動尊を今回の最終番所にする。
目赤不動尊2目赤不動尊1赤不動尊
 天台宗 大聖山東朝院南谷寺(とうちょういんなんこくじ)
五色不動の中でも目黒・目白と並び三不動と呼ばれている。
創建は元和年間、万行律師が赤目不動尊として開基した。三代家光より五色不動構想により『目赤不動尊』と改名された。やはり五色不動には天海大僧正の強い意向があるようだ。



門を入ると左側に駐車場がある。不目赤不動尊3動堂は駐車場の向かい側にある。こじんまりしたお堂である。去年の正月に来た時も夕方であった。
余談だが、ここから駒込方面に600m行くと、全長45m、高さ5.5mの前方後円墳 、富士神社古墳がある






関東三十六不動巡拝1院の縁起を調べてみると不動堂は多くが元の位置から移っているようだ。五色不動を家光の時代の位置に戻すと、江戸城を中心に北斗七星の形になるという説もある。
そんな五色不動を含む8か所を初日で巡拝、ゴールデンウイークで比較的すいていた都心であるが、6.5時間(朱印の授与時間は 9:00〜16:30なので7.5時間可能)で8か所はちょっとせわしなかった。次回からは少し境内や安置仏、周辺の見どころも散策したいきたい。



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今年は関東三十六不動尊巡拝

今年『酉年』はお不動さまの年。
関東三十六不動霊場会ポスター年はカミさんの達ての願いで、『関東三十六不動尊巡拝』をすることに決めていたが、諸所の事情とスケジュールの都合で、5月の連休からのスタートとなった。
仏教徒を自称しながら、仏教をまるで知らない不信心な親父としては,『関東三十六不動尊』てなに?、総開帳てなに?から始めなければならない。
「関東三十六不動霊場会」の公式HPを見てもその辺を教えてはくれない。
http://tobifudo.jp/36fudo/
そもそも干支の守り本尊の起源すら明確ではない。しかも12神御わすわけではないので、専任守護本尊と兼任守護本尊がいらっしゃる。仏の世界も人材不足のようだ。密教と陰陽道が融合されたともいわれるが、守り本尊自体広まったのは比較的近年らしい。

真言宗豊山派 七星山光徳院4やじの守り本尊は『千手千限観世音菩薩』、つまり千手観音さまである。仏教は本来インド発祥であるからインド風の名前(というより唱える真言だな)がある。
千手観音さまは「おん・ばざら・たらまきりーく」である。一発で覚えられる。

ちなみに上杉謙信が出陣前に群臣の前で唱えるのは「おん・べい・しら・まんだやそわか」、毘沙門天の真言である。こいつが何ともかっこいい。



新本堂2回の主役は、カミさんの守り本尊、もちろん『不動明王』、お不動さま。お不動さまを梵語で唱えると「のうまくさんまんだ・ばさらだん・せんだんまかろしゃだや・そはたや・うんたらた・かんまん」となる。カミさん熱心にお不動さまに通っているが、こんな長いお不動さまの真言よく唱えれれるなー、と聞いたら唱えられんそうだ。「のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん」という略式があるようだ。これなら覚えられる。
外国人にはながーいフルネームの方も多く大概は略してファーストネームで呼ぶ。不謹慎かもしれないが理屈は同じようなものだろう。


では、なんで三十六不動なのだろう。「36」という数字はなに?。
もともと不動明王さまには三十六童子という眷属(けんぞく)がいるそうで、広辞苑によると「仏・菩薩につき従うもの」という意味があり、薬師如来の十二神将、千手観音の二十八部衆とかがあるそうだ。
三十六不動はその三十六童子から来ているといわれている。不動明王さまは一人だが眷属が別々だから三十六ヶ所を回るというのもおかしい気がする。

関東には上記のほかに「北関東三十六不動霊場」というのもある。関東の不動尊が72尊しかないということは考えられないから、それぞれの三十六寺院は商店の連合会みたいなものだろう。商店街活性化のスタンプラリーのようなものだ。
Wikiによると、関東三十六不動尊霊場(かんとうさんじゅうろくふどうそんれいじょう)は、神奈川・東京・埼玉・千葉にある36箇所の不動明王霊場寺院の総称。昭和62年に開創されたとあるから三十六霊場の総開帳は二回目ということになる。

「開創」とは、これもWikiによると、「寺院を創設すること」とあるが、それぞれの寺院は別に縁起を持っているので、あくまでこの霊場会という組織ができた年ということだ。
関東36不動て、その関東三十六不動尊霊場とはどこだろう。
第一番所 大山寺から始まって、大雄山・川崎大師・西新井大師・川越大師など初詣のメジャースポットをめぐり、締めくくりは成田山新勝寺。
五色不動などは昨年回ってしまった。

さて、目的地はわかったが、では行って何をするのか?
これもよくわからない。巡礼というなら、お不動さまを巡ることで、その地のお不動さまと結縁を結ぶということになるが、不動明王はもともと一尊である。しかしどれかが本物であとは代理人ということはない。HPでは順拝という表現が使われている。

まあ、あまりウンチクは必要ない。日本人はあるがままを受けいれ、すべてのものを神として祈る。仏さまもその中の一つであり、キリスト教徒やイスラム教徒にあまり抵抗なく接することができるのも、節操がないからでなく、太古より日本人の連綿と受け継がれる宗教観なのだろう。

gaibookせ、『関東三十六不動尊霊場』ガイドブックもあるし、モデルコース紹介や、各旅行会社でパックツアーなども組まれている。
白装束に金剛杖という大げさなものでなく、ドライブ気分で初めよう。
寺院はそれだけで一種のパワースポットになっている。少しは神聖な気分になって気分転換、日常を見つめなおすのもいいだろう。

勿論お不動さまめぐりであるから、お不動さまの真言を唱えることを忘れてはいけない。

のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん
のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん
のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん‥‥


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さっぽろ紀行下つ巻

観光を市内に移す。
宮の森ジャンプ台通りや駅前に車を止めれば見どころはたくさんあるが、駐車場代もかかるので、とりあえず市街の周辺を回る。
札幌オリンピックで日の丸飛行隊が活躍した『宮の森ジャンプ競技場』。実は大倉山に行くつもりが、ナビをセットしていなかったので、間違えてきてしまったのだが。
親父のほかにはジョギングしている人が一人だけだった。オリンピックのテーマソング史上一番の名曲(と、オヤジは思っている)、トワエモアの『虹と雪のバラード』を口ずさんで歩く。(最近の人はしらないよなぁ)




羊ケ丘クラーク先生は有名な羊ケ丘のクラーク先生の銅像を見に行く。
羊ケ丘は市街の外れではあるが何にもないだだっ広い土地だが、元々は農業試験場の一角を公園にしているらしい。入園料520円とられた。
「少年よ、大志を抱け」(TOKIOじゃないぞ)で有名なクラーク先生の本名はウィリアム・スミス・クラーク。『クラーク』といったらオヤジはすぐに『デイウ・クラーク』が出てきてしまう。DC5知ってるかな。『because』や『若さをつかもう』『グラッド・オール・オーバー』は名曲だ。



北海道神宮2北海道神宮通公園のテレビ塔や時計台に行きたいが、テレビ塔ではぜひ夜景を見たいため、さらに時間調整。北海道神宮に行く。検索すると宮の森のすぐ近くだった。『宮の森』自体神宮の森という意味だから当然だ。ほとんど来た道を戻る。
北海道神宮は江戸時代以前から存在する道南の神社と違い、明治になって開拓の成就を祈願し勅によって建てられた神社である。本殿は再建されたものだが、流石に北海道一ノ宮としての荘厳さがある。


赤レンガ2赤レンガて、そろそろ夕方になったので、テレビ塔を目指す。北海道庁の近くのパーキングに車を停めて、旧庁舎の赤レンガを見に行く。
17時なので中には入れないかと思っていたら、もんが開いていた。建物もまだ人が出入りしている。18時まで開館しているようだ。お役所とは思えない。観光客は外国人が多い。中の資料展示には北海道開拓の歴史や北方領土の成り立ちなどがあったが、蝦夷共和国の資料はなかった。
榎本武揚の隠れファンとしては少し寂しい。


時計台2メトロポリス海道庁旧庁舎から時計台に来た。流石に入館時間は過ぎていたが、ちょっとイメージが違うな。高層ビルに囲まれてしまった時計台は、まるでメトロポリスに出てくるロートウァングの屋敷のようだ。






教会くなるまでは、まだ時間があるのでブラブラと創成川通りに出る。ここにも『ロートウァングの屋敷』的建物がある。ここは教会のようだ。

時間もあるし小腹もすいたので地下街に入ってお茶しようと思ったが、せっかく札幌に来たのだからラーメン屋を探してラーメンを食べる。とりあえず札幌に来てみんながすることの一つができたわけだ。




展望台?札幌テレビ塔下通路からそのままテレビ塔の3階までそのまま上がれる。東京タワーでいくと大展望台に当たる。が、東京タワーの150mと違い、高さは23mほど。我が家のマンションより低い。







夜景大通り望台に上がるころには日が暮れて、光のともった街はやはりきれいである。
大通りからまっすぐに大倉山ジャンプ台が見える。
ここでゆっくりお茶ができるとよかったのだが、残念ながら展望台に喫茶店はない。






メロン熊雪ミク景も堪能したので下りる。テレビ塔3階には東京タワー同様、昔ながらのお土産屋がある。
雪ミクスカイタウンて空港にあったやつだ。時間があってもこれは入りずらい。
メロン熊ののぼり。はっきり言って結構キモイ。これはけして『ゆるキャラ』ではない。






時計台大通りからテレビ塔レビ塔のイルミネーション。ダイヤモンドヴェールかと思ったが、札幌テレビ塔は時間帯によってライトアップとイルミネーションが交互に替わるようだ。
パーキングに帰る途中時計台のライトアップ。昼間より夜のほうがよい雰囲気である。
人口およそ200万。全国5位の大都市札幌。第一の繁華街すすき野の散策はできなかったが、半日で結構見どころ周りができた。



北海道でなければ見れないものはこれだけではない。
ホットシェフツドラ(サッポロドラッグストアー)でのお買い物と、セイコーマートの『ホットシェフ』を食べる。
ホテル帰りが遅く、いつもコンビニ飯だが、市内ではセブン・ローソンをはるかにしのぐ店舗を有するセイコーマート。ツルハドラッグは東京にもあるけど『サツドラ』は東京にはない。すすき野のラーメンは東京で食べることもできるが、セイコーマートの『ホットシェフ』は東京では食べられない。
この二つだけでも札幌に来る価値があるといえなくもない‥‥か。




黒い恋人帰り便路ももちろんエアドゥ。娘に『白い変人』買ってくるよぉと冗談で言ってきたが、ネットで見たらホントに写真があったので、ガセネタとは知りつつインフォメーションで聞いてみる。
「白い変人はありませんが黒い恋人というのはありますよ」と笑っておねー様。これはジョークではなくマジなお菓子である。白い恋人と合わせて買っていく。



兄弟タワーるま雲海の日没るの休日も取れない出張だったが、初めての札幌は結構楽しかった。あの独特の交差点の呼び名と、右折ラインのほとんどない4車線道路。歩行者点滅から車道信号が変わるまでのリードタイムがほとんどない信号機にはなれるのに結構手間取ったが‥‥





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さっぽろ紀行上つ巻

いきなりの出張で北海道へきた。
北海道の翼回北海道へ来たのは新婚旅行以来なので四半世紀以上昔である。しかもそろそろ還暦が見えてくるような歳で、札幌を訪れるのは初めてである。
北海道へ飛ぶならやっぱこれでしょ。『北海道の翼』エアドゥ。直前予約で一番安かったという本音はここではなし。
すすき野・時計台・丸山動物園にラーメン・ジンギスカン・海の幸など観光には・グルメには見どころ満載の街である。

が、出張先は市内からはるか離れたところ。宿も市街の外れである。しかもスケジュールは16日間休日なし。朝から晩遅くまで建物の中と周辺施設への移動。何ということだ。


とは茨戸川2茨戸川え、せっかく来たのだから、時間の隙間を利用して多少の見物はしたい。
拠点から近いところに『茨戸川』があるので行ってみる。かつて長さが350kmほどあった暴れ川『石狩川』は大規模な治水事業により、一気に直線化され100km近く縮められ、元の本流が湖沼化・支流化して取り残された。その最大のものが茨戸川である。





茨戸川4本第二位茨戸川3の流域面積を誇る石狩川だが利根川東遷以前はもしかしたら日本一だったかもしれない。坂東で幾たびかの治水事業でほとんど姿を消した近世以前の古隅田川のイメージとオーバーラップできると思い脚を運ぶ。
堤防によって切り離された茨戸川の下流部である真勲別川。川幅は400mくらい。かつての利根川本流、古隅田川もこのような流れだったのだろうか。




足とFITなったのはホンダのFIT。スタッドレスとナビ付きという条件だけで回してもらった車。いった当日が吹雪で市内でも積雪となった。拠点周辺は一面銀世界。FITはとても安定がよく雪道でも4WDと変わらない感覚で乗れる。ホンダのFFってすごいんだと感心した。
しかし燃費が悪い。「Everywhere高速道路」の北海道なのに16km/Lくらいしか走らない。「フィットなら20km位はしるよ」と地元の人とは言う。「オヤジの乗り方が悪いのか‥‥」
と、この車を見ていたジモティが「これ4駆ですよ」という。
でも、借りるとき4駆の指定はしなかったし、4駆のエンブレムも4駆のインジケーターもない。でも下を覗くと確かにリアにデフがあった。
札幌周辺では軽よりこの手のコンパクトカーのほうが目立つ。この辺じゃ1300でも東京の軽並みに走ってくれるからだろう。
16日間の出張で1000km走った。

さて、こ石狩河口橋2石狩河口橋こまで来たのだから石狩川の河口を見に行こう。
石狩川の最下流にかかるR231の石狩川河口橋を渡り右岸の防波堤を目指す。







石狩川河口幡町か河口に向かうら国道を離れ川沿いに行く。道は未舗装になってしまった。四駆だけどレンタだからガンガンいけない。海岸に出る道がわからず行ったり来たり。鹿が飛び出して来た時は驚いた。
流石北海道!クマじゃなくてよかった。
結局最突端まで行くのは断念。海側から石狩川最下流と手稲の山々を望む。




石狩新港2石狩新港期間の仕事を終わらせ、石狩湾新港に行ってみる。休日のためか釣り人がのんびり竿を垂れる。
いかにも工業地帯の港という感じだが、夏になると毎年国内でも最大級の『ライジング・サン・ロック・フェスティバル』が行われていることは有名。


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初詣

熊野神社年は娘の受験があるので、家族で初詣に行く。
学業の神様といったら天満宮である。近くには亀戸天満宮もあるのだが、倍率が高い??とのことで、実家に近いところの葛飾区の『熊野神社』に行くことにした。






神門野神社は葛飾区立石にある。
葛飾というと最近の人は両さんの『亀有』、ちょっと前の人は寅さんの『柴又』がメジャーであるが、ここ立石は葛飾区役所・公会堂・税務署などがある、まさに葛飾区の中枢なのである。熊野神社があるのは立石8丁目。今では立石の一番縁だが、明治のころまでは現在の奥戸街道沿いは「原村」、区役所通り沿いは「梅田村」となっていたので、熊野神社周辺が立石村の中心だった。




penntagonn石村の鎮守社だった熊野神社の歴史は古く、かの陰陽師阿部晴明により勧請されたと伝えられている。
陰陽五行説に元づく境内は正五角形の形をしていたという。この五角形を周回することはできないが、今でも周囲の住宅や一部の道路にその名残を見ることができる。





境内拝殿と茅の輪には本殿のほかに『天満宮社』・『浅間社』・『水神社』などがある。
本殿の前には『茅の輪』が設置されている。亀戸天満宮などでは茅の輪が設置される日は決まっているが、ここはフルタイム常設のようである。






もち水神社ろん本殿天満宮社の次は『天満宮社』へ参拝する。
一番奥の『水神社』。その裏は幼稚園の敷地になっている。







『ささざれ石ざれ石』。君が代にうたわれるさざれ石である。見たところ苔は生していないようだ。








何故かちび馬内の脇ではちび馬がふて寝?していた。ここも幼稚園の敷地のようだ。幼稚園が休みなので馬にとっては寝正月なのだろう。







高さ日本一内の奥まったところには『高さ日本一の五重塔』がある。
流石に日本一は高い。但し人が中に入ることはできない。文化財保護のため?、否。青銅製のミニチュアだからである。







立石様2所に立石の地名の由来ともなった『立石様』があるので立ち寄る。
昔は立石様は数メートルもある巨石で重さも数十トンもあるものだと思っていた。その重さのために沈んでしまったのだと‥‥
実際の『立石様』は古墳の石室の素材としてとして遥か千葉の鋸山から運ばれてきたものらしい。
ここから少し離れた柴又には小型の前方後円墳があり、石室が復元されている。その石室を見る限り、立石様の大きさが2尺というのもうなずける。



住宅地の奥まったところにある小さな児童遊園の中の、沈下立石様で沈んだんじゃないかと思うような低い鳥居をくぐると、さらに小さい鳥居と石柱に囲まれた中に『立石様』がほんの少しだけ見える。
囲みの中は周囲より明らかに低い。「囲まれていなかったら完全に埋没してしまっている(沖ノ鳥島みたいなもんだ)」状態だ。
古くは東海道の道しるべともなっており(ということは古墳の石室はばらされたということか?)、地元の信仰対象として大切に保存され、近年パワースポットとして脚光を浴びてきている『立石様』にも願掛けをして帰る。



安倍晴明ゆかりの熊野神社。晴明ゆかりの地は日本全国にある。この人と弘法大師と水戸黄門はほぼ日本全国を歩き回っているようである。学業第一ではあるが、健脚にもぜひあやかりたいものである。

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ショートかまくら

鎌倉街道がガイダンスしてくれるというので、家族で鎌倉へ行く。
鎌倉を歩くのは何年ぶりだろう。
来るだけなら昨年自転車で若宮大路を素通りしている。
しょっちゅう乗っている総武快速の滅多に乗らないグリーン車でちょっと旅行気分。




円応寺から鎌倉で降りて鎌倉街道を円応寺に行く。
建長寺を過ぎたところで気づいて、「円覚寺も東慶寺も通り過ぎちゃったじゃねぇ。縁切寺いきた〜い」とガイドに要求。
「母親ときてるのにお前が縁切寺入ってどうすんだ」と娘に突っ込まれる。いつも歌ってるのに行ったことないから行きたいだけである。残念ながら時間の都合で却下。




建長寺三門応寺で閻魔様を拝んで建長寺へ。「建長・円覚古寺の〜」と童謡鎌倉に歌われた二大伽藍の一つは見たいよね。こちらはルートに入っている。『建長興国禅寺』の大扁額に感動。






岩船地蔵堂長寺から亀ヶ谷切通しを抜けると、ちょっと不思議な六角堂があった。
『海蔵寺岩船地蔵堂』、源頼朝の息女大姫の守本尊が安置されているそうだ。






地蔵化粧坂切通し堂からJRのガードをくぐり、少し歩いて源氏山への小道に入る。
予想だにしていなかった上り道。これ鎌倉の散歩道?
「源氏山から〜北鎌倉へ〜」の道はこれではないだろう。傷心で歩く道のイメージじゃぁない!
ルートを知っている娘は親ふたりのサプライズショック??をみて「してやったり」のご満悦。紅葉はとても綺麗だったのは救い。




銭洗弁天の見え銭洗弁天2る尾根を下っていくと『銭洗弁財天』入口の隧道がある。
切り立った崖に囲まれた境内の奥に洞窟があり、ここの有水で銭を洗うと増えるという。なけなしの小銭を洗う。




市役所通りまで下る。
ここまで来たら長谷まで歩いて大仏様と、長谷で鎌倉ケバブを食って江ノ電で戻ることを提案するが、小町通りでゆっくり買い物をしたいという女二人の要求でまたまた却下される。
小町鶴岡八幡通りをブラブラしながら鶴岡八幡まで足を伸ばす。
境内のシンボルだった大銀杏は2010年に台風のような大風に見舞われ根元から倒壊した。もともと大銀杏のあった場所は整地されており、根元の部分が少し離れたところに植え直されている。





鎌倉りもリッチにグリーン車で帰る。
走破距離としては7.3kmと短かったが、久々に家族3人で歩いた道は楽しかった。
次は是非、長谷の大仏と鎌倉ケバブそして東慶寺をウォーキングコースに入れたい。


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OSIAGE

ソラマチ夏そのも押上のという炎天下の中、久々に押上に行く。
ブースターカフェが閉店して以来、近いのになんとな遠のいてしまったソラマチ。
相変わらず盛況である。ソラマチのユニクロとその他ショップを見て歩く。久々にスカイツリーの写真撮ったけど、流石にツリーの写真で5%引きなんてもうやってないよね。ユニクロだけなら、家からだったらアルカかスナモで事足りてしまう。




おしなりくんラマチの中は人でごった返しているのに川を隔てた浅草通りは閑散としていた。
まあ、高温注意報が出るような陽気だから、みんな建物の中に入ってしまうのだろう。
『おしなりくん』がいた。押業商店街振興組合のジモキャラである。
写真を撮るときポーズを入れてくれた。ピーススマイルのおしなりくんだが、この暑さでは半分泣きたいのではないかと思えてしまう。ご苦労さまである。
押業(おしなり)というのは『押上』と『業平』である。以前は京成が押上であり、東武が業平橋であったのに、押上が『スカイツリー前』、業平橋は駅名そのものが『東京スカイツリー駅』になってしまった。
その業平橋は在原業平ゆかりの業平神社にちなんでつけられた名前で、明治初期の地図にも『ナリヒラバシ』という橋が載っている。伝統ある名前が消えてしまうのは残念なことである。
『おしなりくん』と『ソラカラちゃん』の関係が微妙に気になるところである。

スカイケバブカフェラマチを離れて浅草通りを歩くのは理由がある。
業平橋にケバブ屋があるというのを発見したからである。
『スカイケバブカフェ』は浅草通りと大門通り(俗称『親不孝通り』‥なぜだろうねぇ?)の交差する業平一丁目交差点のすぐわきにあった。

ケバブファンになって以来、上野・浅草・池袋など、場所を調べておいて、仕事や買い物の合間に探して立ち寄っていたが、ここなら仕事帰りやチョイノリで来れそうである。



ケバメニュー店内からブ屋さんというと、狭くて軒下ベンチやカウンター席のイメージだが、ここは2階にテーブル席がある。混んでるかなと思ったら貸切であった。
店内からはスカイツリーが一望。これは夜はきれいである。






トルトルコアイスコアイスという一風変わったアイスを進められたので、コーンバニラを注文。何か特別なものなのかと思ったが、出てきたのはちょっと変わった感じのアイス。触感は少しねばねばした感じ。このねばねばは何だろう。といってももちのようにのびーるというものではない(本物のトルコアイス‥‥ドンドルマというそうだ‥‥は本当にお持ちのように伸びるらしい)。幾分甘味が抑えられているかなというのと、多少溶けにくいので熱いところでも焦って食う必要がないかなというくらいである。





ブースターカフェはまず復活しないだろうが、スカイケバブカフェを見つけたので、またソラマチ‥‥というかオシナリだな‥‥に来る機会が増えそうである。
もともとこの本所・押上地区にも老舗の自転車店が結構あることだし、サイクルカフェ(下町的にはチャリカフェだな)があってもいいように思う。
スカイツリー見ながらケバブ食べて、あとは自転車見ながらゆっくりお茶できたらいいのにね。
ぜひソラマチ(オシナリのほうがいいかな)にサイクルカフェが来てもらいたいものである。


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秋川渓谷

今年のお盆休みも大混雑を避けて近場を回る。
今回は秋川渓谷の涼しいところを巡る。
またまた天候に恵まれず、霧雨が降る中、普通に外にいても我慢できない暑さではない。
奥多摩には鍾乳洞が多い。日原鍾乳洞は規模も知名度も一流だが、秋川水系にも鍾乳洞がいくつかある。
大岳鍾乳洞入口大岳鍾乳洞最初に養沢川の支流である大岳沢にある『大岳鍾乳洞』に行ってみる。
余談だが養沢川上流には『養沢鍾乳洞』という鍾乳洞もあるのだが、今は一般開放されていない。
『大岳鍾乳洞』までの道は、一部に未舗装とすれ違い困難な狭い部分があるが、おおむねは快適な道である。
途中にはマス釣り場やキャンプ場があるが、連休中でどこも混雑していた。
鍾乳洞へは、駐車場から小さな沢を渡る。茶屋で拝観料を払うい、茶屋のおばあちゃんからヘルメットをお借りして入る。
まず入り口が屈んで入らないといけない。ヘルメットが必需品なのがよくわかる。
一周300m。かなり見ごたえがある。

一番奥地底川かなり高い天井ると中には小さな地底川の流れがある。
洞内は狭く岩の隙間を縫って歩く感じだ。
ところどころ、大きく開いた天井がある。強力ライトを持ってくればよかったが、持っているのは非常用の小さいライト。とても奥までてらせない。





岩の段差を降る広い回廊見学路は2層(本当は鍾乳洞はそんな単純ではないのだが)となっておりところどころ、きつい上がりやくだりがあるが、子どもから中高年くらいまでは普通に楽しめる。
ヘルメット着用なので頭は心配ないが、かなり屈むので、背中に背負ったリックがバコバコにぶつかる。大型リックを背負っている方は要注意だ。





帰還用時間25分くらいであったか。鍾乳洞の中は涼しい。出た瞬間にメガネが曇ってしまう。








三ツ合鍾乳洞原街道に戻る途中で、もう一つの鍾乳洞である『三ツ合鍾乳洞』にも行ってみた。都道沿いの鍾乳洞入口のところに駐車場があるが、横の細い道には「鍾乳洞まで車で行けます」の看板があるので行ってみる。
距離にして700mほどだが、すれ違いができない上に、最後の切り替えしはプレサイズがぎりぎり。プレサージュはミドルクラスだが、長さ・幅はエルグランドやアルファードとあまり変わらないので、普通の国産車なら大丈夫なのだろう。しかしラグレイトやロングボイジャーでは厳しいかも。




龍神の滝三ツ合鍾乳洞入口ツ合鍾乳洞』。こちらは入洞に際してヘルメット着用はない。
入口は大岳鍾乳洞より大きい。
中に入るとすぐに、地底滝がある。『龍神の滝』は地下水が鍾乳洞の壁を流れ下るのだが、はるか上の横穴から流れ出る落差12mは立派なものだ。





『三ツオーロラ天井緑の世界合鍾乳洞』は1周120mとあり『大岳鍾乳洞』の半分弱であるが、起伏はかなり多い。見どころもそこそこあり、探検気分を味わえる。







石仏出口部。家昇殿の間へ内喜橋という架橋。名前の通り家内円満になれるといいものだ。
最後の階段でかなり下ったつもりだったが、出口は入口よりかなり上のほうだった。
そのさらに上に、最初に発見された鍾乳洞の入口というものがあった。






檜原街道に戻り。檜原村に向かう、島嶼部を除く東京都唯一の『村』である。東京都にも村があり、鍾乳洞があり、百選の名瀑があり、そして2,000mを超える名峰があることを東京都民は誇るべきだ。超高層ビルがいくつあっても自慢にはならない。
払沢の滝4原村払沢の滝2に入り、橘橋交差払沢の滝3点を払沢の滝1右折すると直ぐに滝駐車場の看板がある。
滝までは12〜13分遊歩道を歩く。
日本の滝百選に選ばれた『払沢の滝』は落差60mを誇る大瀑布だが、遊歩道から見えるのは最下部26mと上段の一部のみである。天候が悪かったためか連休とは思えないほどすいている。

滝が見える四季の里駐車場よりこで四季の里お茶休憩。駐車スペースの前の四季の里で一服タイムをとる。
四季の里の前から、向かい側の山の中腹に滝が見える。
方角からすると天狗滝か綾滝だろう。ここも確かに東京都なのだ。


かんぽの宿青梅かんぽの宿青梅2は15:30。十分に日帰りできるスケジュールだが、宿をとっている。
武蔵五日市から青梅に出て、『かんぽの宿青梅』で一泊。実は、出発の4日前でよく取れたと驚いている。
東京とは思えない自然を満喫。かんぽの宿にも泊れて、満足な1日であった。





榎本牧場日は、お土産にへそ饅頭を買って帰るだけだが、なぜか榎本牧場に行ってソフトクリームを食べて帰る。
建物が新しくなっていた。







ルート鍾乳洞

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ディズニーリゾート

今さら『ディズニーリゾートに行ってきました!』などという味噌もつかない投稿をする輩もいないだろうし、自身ももう何度も行っているのだが、今回は『行ってきました!』投稿。

久々に平日に家族に休みが重なったので、3年ぶりにディズニーシーに行く。今まではマジックキングダムで安くあげていたが、今日び企業が新規にマジックキングダムには入れない状況の中、会社がマジックキングダムを脱退するという英断!!?を下したため、家族で18,300円という、キャッシュでは絶対払おうとなどとは思わない金額で、初めてEチケットによる入園となった。

これだけの金額を払って、長時間待って、同じアトラクションを毎回乗っても、また来たいと思うディズニーリゾートの魅力とは不思議なものである。

一般によく言われる、そして運営側も言っている『日常とは切り離された世界の演出』なのだろうか。
但し、『日常とは切り離された世界』とは、必ずしも『夢やお伽の世界』というわけではないようだ。
平日、しかも一般企業では最も忙しい月曜日に来ているにもかかわらず、平日であることを思い出させない超混雑!。これがまず日常ではない。ほんの数分のために、待つときは120分以上待つアトラクション。ある意味これも異常といえる。朝から晩までいて、7個もアトラクションに乗れれば「今回は結構乗れたね」という発想が出る事態、日常の感覚ではない。『日常とは切り離された夢の世界』とは日常の感覚が麻痺した世界でもある。

しかし、この日常の感覚が麻痺した世界が、『夢の世界』であり続けるための運営側も大変なのだろう。
オヤジは『裏方』が好きである。しかしある意味ここには『裏方』がいない。『裏方』という役割のスタッフもここでは『キャスト』なのである。ゲストが『日常とは切り離された世界』を堪能するために『キャスト』(バイトがほとんどなのだろうが)は超日常的な職務を、マニュアル通りに淡々とこなしている現実があるのだ。
スイーパースタッフ(カストーデュアルというらしい)は掃除のほかに路面に絵をかいたり、掃除の仕草そのものがパフォーマンスなのである。
ディズニーランドがまだ新しかったころは、ごみが出たと思う隅から、さっと現われて、独特パフォーマンスで、手際よく掃除していく様に感動したものだった。

ディズニーリゾートのアトラクションを構成するパーツは、テーマに合わせたオリジナル品である。ガードレールや手すりなどは、その辺の道路やショッピングモールなどに使われている汎用品ではない。ここでも日常とは違う演出が成されている。

マジックランプシアターではマジシャンのシャバーンが言う、「はっきり言ってここは休憩所ではアリマセ〜ン」「大人はやっと座れてよかったーとか 思ってるんでしょう!!」娘がすかさず、図星でしょうというようにオヤジを見る。ある面ではその日常と現実を逆手に取って笑いに変えることも 忘れてはいない。

それは、ディズニーランドが開園したときからずっと受け継がれているディズニーリゾートの生命線であるに違いない。
でも、なんか開園当時と同じようで変わってきている気がする。
いつの頃からだろう。足元に落ちているごみ。以前のカストーデュアルなら、何処からともなくやってきて、掃除をしてしまう。初めてこちらが「ごみが落ちていたんだ」と気づくくらいだったが、今ではごみが散らかっていてもなかなかカストーデュアルが来てくれなかったりする。「ここにごみがあるぞ」とこちらから声をかけたくなってしまう。現実の世界に戻される瞬間。
来園を重ねるうちに、こちらが非日常に慣れてしまったのか。徐々に変化する絵の変化に気が付かないことが、トリックなどに使われる。今、開園当時のディズニーランドが突然現れたら、同じ風景でも今とは全く違った世界観であるのかもしれない。

サービス重視よりもコスト重視という恐ろしい悪魔の呪いは、この不況知らずの夢の国にもどんどん浸透してきているのだろうか。
現実という名の悪魔は、物語に出てくる悪魔のような人間くささは微塵もない。現実は何の感情も持たずに、人を蝕む。これからもディズニーのキャラクターたちには、その悪魔を打ち倒し、夢の世界を守ってもらいたいものである。

オヤジは心臓病もち。カミサンと娘はコースター恐怖症と強度の車酔い。パンフだけ見ていると、家族3人人気アトラクションはすべて”NG”になってしまう。というわけで、我が家では家族みんなでコースター系のアトラクションに乗ったことがない。確かに、こまない小さなアトラクションやショウやパレードを見ているだけで結構楽しめるのではあるが‥‥。
今回は、お父さんの運転よりぜった揺れないということを確約して、『インディジョーンズのクリスタルスカルの魔宮』にみんなで乗った。最初はギャーギャー言っていながらも、終わった後は「本当にお父さんの運転よりまし」とはしゃがれる‥‥おいおい、乗る前のは冗談だろうに!!
しかしこれで、少しは人気アトラクションに乗る気になったろう。今度またディズニーリゾートへ来たら、やっとスプラシュマウンテンに家族そろって乗れそうだ。
今回は逃した『トイストーリーマニア』のリベンジもある。何度も来ていながら、まだまだ新鮮味を多く残しているテーマパーク。
最後に家族には『クリスタルスカルの魔宮』よりもドキドキするアトラクションを家まで楽しんでもらう。


帰った後のこのけだるさは、自転車の130kmサイクリング以上である。それでもそんな疲れ切った中で、オヤジをして『また来たいね』といわせしめるディズニーリゾートは、やはり天晴れなテーマパークである。


‥‥家から30分の別世界。自転車で来れる別世界‥‥

ディズニ−シー真1枚位のせておいてもいいだろう‥‥
一応行ってきました!ということで‥‥

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TOKYOTOWER 初のぼり

TOKYO-TOWER1々の夫婦そろっての休みになった。法要の帰り、どこかでゆっくりお茶することにする。せっかくだからちょっと足を延ばして東京タワーに行ってみる。
東京タワーに上るのは5〜6年ぶりだ。
特別展望台券付で、一人1,420円。スカイツリーのイメージがあるから、一番上まで1,420円て、一瞬間違い?と思うくらいだ。
駐車上もがら空き。のぼりのエレベーターは夫婦貸切であった。







TOKYO-TOWER2心は高層ビルが乱立している。130mというとビルの雲海の中に埋もれてしまう高さであるが、小高い丘の上にあることと、都心の中心部にあることで、スカイツリーとはまた違うパノラマが見れる。タワー高333mは地上高だが、150mというのは『海抜表示』らしい。






TOKYO-TOWER4茶する前に、特別展望台に上る。前回は上っていないのでここは数十年ぶりだ。
マンションサイズの小さなエレベーター1基。これじゃ混んでる日は行列になるはずだ。
公示250mのパノラマも『海抜表示』で、地上高としては230m。
都庁の展望室よりは高いが、サンシャイン展望台よりは低い。
スカイツリーは海抜1mにも満たないところにあるから、どちらの表記でも同じなのだろう。
スカイツリーは下町にあり、周囲に高層ビルが少ないこともあるが、何か別の世界から箱庭を見る感覚だった。ここは同じ土俵の中で抜きんでた高見の感覚である。『神の視線と覇者の視線』という表現は不適切かもしれないが、あえてそんなイメージの違いである。

TOKYO-TOWER7フェラトゥールでティータイム。流石に平日の午後はゆったりしている。混雑のストレスが全くない。
夜はさぞ夜景が奇麗だろう。
帰る前にやはりここは見ていきたい。『ルックダウンウインドウ』。床がガラス張りになっているところ。
はっきり言ってここはスカイツリーの『フロア340ガラス床』より怖い!
スカイツリーはいかにも分厚いガラス板が分厚い補強鉄材に乗っている。何人乗ってもびくともしない感じだが、ここは2人乗ったら抜けちゃうんじゃないかって感じ(実際は2人乗っても大丈夫??だった)。ガラスの上を歩くと、スカイツリーでは味わえない「お尻のムズムズ感」が満喫できる。
さてさて、私の車はどれでしょう??



TOKYO-TOWER5最後はタワービル(いまはフットタウンというそうだ)でお土産を買う。
ここの雰囲気が、子供のころからの東京タワーのイメージを残している部分だ。
しかし、今は各階とも改修工事中。東京タワーもスカイツリーと共存(競争ではない)するために時代に合わせた変化をしていくのだろう。

いつも自転車で来るとやっている、ローアングルからのコラボ写真。スカイツリーではなかなか車でできる場所がない。
来るとわかっていたら、洗車しておけばよかった!

今回は平日だったので娘はきていない。また、家族で夜景を見に訪れたいものだ。
しかし昔のように『TOKYO TOWER』をガンガン流しながら‥‥というわけにはいかない。そろそろ娘が歌詞の意味に気が付く年頃になってきた。



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七沢温泉紀行

盆休みを利用して、近場の温泉に一泊することにした。厚木市七沢温泉。本厚木から車で20分少々。ほとんど仕事の延長のような場所だが、市街地隣接とは思えない山間の天然温泉である。
家族観光の目玉は宮ヶ瀬ダム。春に自転車て日帰サイクリングに来た。今度は車で1泊なのでゆったりできていいだろう。

行程は一般道経由。前回サイクリングでよれなかった平平山橋2山橋に立ち寄る。
ごく普通の橋に見えるが、鋼製3連トラス構造になったのは大正15年で、平成13年に平山大橋ができるまでは半原地区の重要な幹線橋であった。

平山橋ヤジも何度かわたったことがあるが(もちろんダムができる以前)、今は車両通行止めとなっていた。平成16年に登録有形文化財となり、歩道橋としては現役で頑張っている。



平山橋3東亜戦争のときは、米軍機がここまで来たのか、機銃掃射の後と言われる穴が残されている。マークされるほど重要な橋だったのか、たまたまだったのかは知る由もない。



宮ヶ瀬湖畔園地ムサイトには直接行かず、宮ヶ瀬湖畔園地に行く。『cafe Tanba』で昼食。
『ロコモコ』が割安だがうまかった。
行って分かったのだが、今日は花火大会があるようだ。お昼には各所で陣取りが始まっていた。
遊覧船があるので、ダムサイトまで行ってみる13:20出航なのでぎりぎり。

ダムサイトの遊覧船乗り場からダム下に下りる。
今回インクラインは『インクライン』に乗る。片道大人200円、小人100円也。
インクラインとは「傾斜面にレールを敷き、動力で台車を動かして船・貨物を運ぶ装置。」のことであり、このケーブルカーの固有名称ではない。元は工事用車両をそのまま載せる台車だった。


ダム涼しい2宮ヶ瀬ダム1下。
ここにくると沈んでしまった宮ヶ瀬渓谷が偲ばれる。    
上りはダム内の無料エレベーターを使う。やはりここが一番涼しい。

 
船着場ヶ瀬遊覧船行き遊覧船は、花火大会のため、今日は15:00が最終。
このところの雨不足で船着場がかなり後退している。


今日七沢荘の泊まり。七沢温泉の七沢荘。七沢荘
ごく普通の温泉宿だが、ゼロ磁場にあるパワースポットなのだそうだ。



食事貸切風呂七沢荘は特筆するものはないが、川魚はうまかった。温泉は内湯と露天(なぜか殿方湯は風呂までが遠くて、内湯がなかった?)がある。別に貸切風呂を借りる。
お湯は無臭だがつるつると言う不思議な湯であった。

七沢荘ヤジはマッサージ器がなかったことが不満(元々パワースポットなのだからマッサージ器の必要はないのだろう)だったが、娘は気に入ったようである。



服部牧場日は再び愛川町の服部牧場へ。2日目の予定は鮎釣だったが、金がないとのぼやきを聞いてか、娘の「家の前の川のはぜ釣はタダだ」との一言。なんてえらい子だろう。
家の前のはぜはうまくないと思うし、時たまぼらがつれてしまうのだが‥‥
で、近くの牧場に変更。単に魚よりアイスと言う短絡なだけだったのかもしれないが。
ヒツジ服部牧場2は風通しもよく、木陰は涼しい。
娘は餌をもらってきてヒツジやロバを釣っているようだ。



なぜかゼブラなぜかゼブラまでいた。





同じヒゼブラ・ヒツジ・ロバツジでも色々な種類があるようだ。『シャロー』・『アナトミック』・『アナトミックシャロー』・『コンパクト』等々。
『マーズバー』がいなかったのは残念。
なんと4本づのの『TT』??のようなのまでいた。
何の話?だ。

ソフトクリーム最高イスクリーム工房『カサリンガ』のソフトクリーム。これは一押しである。また自転車で着たときはぜひよりたい。但しまたミニヒルクライムになってしまうが‥‥



最後田代半僧坊山門は振り出しに戻り、愛川町田代の勝楽寺(田代半僧坊)による。立派な山門は嘉永4年(1851年)に地元の工匠によって立てられたのだそうだ。



田代半僧坊中門門を過ぎるとすくにまた門がある。中門と言うそうだが、なせ閉まっているのか不思議。というか閉まっていても意味を成さない不思議な門である。



七沢温泉省渋滞とは無縁のスムーズなドライブであった。
走行210km。1泊旅行としてはホテルシーサイド江戸川についで短距離となった




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エーデルワイズみたび 弐

記念撮影日はAM8:40に出発。宿の前で記念撮影をしていただいた。
日塩有料に入るとすぐに渋滞となった。料金所渋滞かと思いつつも、料金所を超えても渋滞は続いた。



看板2看板その1所の手前にある看板。
いつからあるんだろう?。これ見てぴんと来るのは40代後半だよな。
料金所を超えると反対側車線にあるのはこの標識。
これは今でも通用する??

渋滞はハンターマウンテンの駐車場へ続く道まで続いている。エーデルワイズに行く道には車一台行かない。
これはひどいと思いつつ、すいてるかなぁという期待も出てくる。
塩原宿泊のスキーヤー・ボーダーはほとんどが『ハンターマウンテン』に行く。塩原温泉とハンターマウンテンのスキーパック企画は大々的に宣伝されてい る。ところがエーデルワイズを見ると申し訳程度に川治温泉とのセットパックが見られるのみ。そう、エーデルワイズは日光市にあるのだ。

なにこれ行列かし期待とは裏腹で、駐車場は一番遠い下段の中ほど。初めて訪れたときとほぼ同じ位置だ。
これでもリフトは混まないので、悠々たるもんのはずだった。
しかし‥‥なにこれ?レンタル申し込みの行列が有に100m以上はあるぞ!
とてもレンタル数が足りないように見えるが、とりあえず並ぶ。リフト券売り場も長蛇の列だが、なにこれ行列後方レンタルが出来るのかが不明なので、暫く経ってから別働隊を派兵。
待つこと1時間半弱。あと5分で半日券が買える時間になった。他の客が騒いで待つと言い出したのでそれに便乗。AM9:30にきていながら、半日券となった。
レンタルも11:30から半日料金になる。10分前になり、すでにかなりのパーツが終了になっていながらも、誰も
申し込みをせず、行列は完全に停止した。
スタッフが折れて5分前から午後料金での貸し出しを再開。子供用の靴はほとんどなく、娘のサイズの靴も残り数足だった。レンタル在庫もがらがら状態で、先ほどと変わらない100mの行列の後方の人達はどうしたのだろう。
メインゲレンデ局、滑り出したのは昨日とほぼ同じ時間となった。周囲の会話を聞いても、常連なのか、すいているからいつもここだというが、今回の混み方は異常らしい。何かウケるTV企画でもあったのか??



こいつらだって危ないぞ強盗?兵士?が「お父さん、それ危ない!」というので1枚。
強盗じゃないぞ。ソルジャーだ。「生鮮を買いぬくために戦うのだ‥‥??」。武者震い‥‥さぶいぼか?



楽しかった‥??ローズの時間が迫ってきたので退却準備。
何の言って、半日券でも十分滑れた。
山の稜線に日が沈むと、あたりはトワイライトゾーンに包まれていく。遥か下方の谷間を綴りながら、渋滞のテールライトの列が暗い山間に、美しくもアンバランスなコントラストを描く。

ロマンチストになったわけではない。眠くてぼうっとしているだけだ。フェイシャルタオルでガシッと眠気を覚まして、安全運転(のつもり)で帰る。

走行424km 燃費9.5km/L
エアコンガンガン、渋滞の山登りを含めばまあまあだ。


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エーデルワイズみたび 壱

今シーズン初めてのスキー。
圧雪路場所は常連となった。『エーデルワイズスキーリゾート』
東京から近く、東北道アクセスのため比較的渋滞も少ない。駐車場は無料。但し、日塩有料道路途中にあるため600円の通行料がかかる。駐車場代わりとすれば安い。
道は圧雪状態。8年目のスタッドレスでも快適で、デフロックが活躍する場もない。
中段駐車場いつものように初日は昼前着。上・中・下(ランクじゃないぞ)とある駐車場の中の奥寄りに誘導される。昼近いからこんなものだ。その代わり、レンタルもリフトも半日券だ。
レンタルスキーが、珍しく建物の外まで並ぶ列となっていた。‥‥これが明日襲来する異変の前兆だと気づくすべもなかった。

ゲレンデはすいてるリフト・ゲレンデともにすいている。メインリフトも10分待つことはない。待ちすらない場合もある。
ゲレンデもすいている。この『すいている』ということがここの大きな魅力であることは、周囲のグループの会話を聞いていても分かる。結構常連が多いようだ。
娘はゲレンデに流れる曲を全て歌っている。オヤジとカミサンには分からん。
スキーといったらカミサンは『ユーミン』、オヤジには『レベッカ』しかない。ブランクの長さが知れようものだ。

エーデルワイズ’13フトは5基、上級コース3・中級5・初級6とあり最長コースも1,800mと比較的こじんまりしている。万年『中・初級レベル』のオヤジにも、上級だと思えるコースはコブのある1つだけで、あとはボーゲンでも降りてこられる家族向けゲレンデだ。『枯木ゲレンデ』というメインゲレンデから独立した、天然雪で、森林の中を滑る穴場ゲレンデもある。
リフトがのんびりで、遅い第一クワッドの信号待ち(初級者や子ども連れが多く、乗降時によく止まるのだ)では待ち時間を含めて山頂まで20分は掛かる。
レストハウスで休み休みでは、回数券にすればよかったと思っていたが、実際は回数券を上回る回数を乗っていたので、結局は半日券が正解だった。

復興御宿??日の泊まりは、塩原温泉にある『復興御宿 富双江葉大馬 塩原秘極の湯 葵』(えらい長い名前だ!!)。
紹介によると、東日本大震災の被災地である、福島県6市町の名文字を採ってつけた名だそうだ。被災者の雇用や宿泊などを含め被災地の復興を祈願し、昨年10月にオープンしたとある。
そのようなことを考慮してか、全体的に派手さはなく、静かで落ち着いた雰囲気である。食事とスタッフの心遣いは「◎」。
大ボリュームではないが、とても美味かった食事の写真を撮っていなかったのは失敗。
女性陣は大満足であったようだ。しかしオヤジには、殿方内湯の狭さが「×」。部屋も含め他は申し分なかっただけに、唯一不満の種であった。
紹介写真引用

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小名木川

小名木川1々に早く帰宅した。帰路に買物でライフに立ち寄る。
そういえば、先日から小名木川の四つ目通り「小名木川橋」から「小名木川クローバー橋」間で整備していた遊歩道が通れるようになっていたので、帰りがてら通ってみる。




小名木川3いと言っても、21時近いと人通りもない。もっとも、もっと早くても人通りがあるのかは解らない。
小名木川は江戸時代初期に、江戸湾北部が遠浅で潮流が激しいために、市川方面からの船による物資輸送を安全に行うために開削された、江戸でも最も古い運河で、今は内陸の河川だが、当時は海岸線の近くを通る川だった。‥‥砂町の砂は砂浜の意味だし、海もないのに海辺なんて地名があるし‥‥

小名木川2名木川の遊歩道は旧中川の番所跡から丸八橋にかけては整備が完了しているが、丸八橋以西はまだ整備途中だ。
今回整備されたのは、冒頭に挙げた区間の約300m強の区間だ。
横十間川の遊歩道は、自転車が通行できる。しかし小名木川の遊歩道には『自転車通るべからず』の立て札が掲げられている。水面に映し出されるマンション群の夜景を見ながらポタリングするのが、都会の夜の風情なのだが、ちょっと残念。

小名木川4名木川周辺では、大正から昭和40年ころにかけて、地下水大量汲み上げによる地盤沈下が加速し、水質汚濁と『剃刀堤防』によって、川は人々の生活から切り離された。しかし近年の閘門と排水設備の整備によって、川は外海と切り離され3mほど掘り下げられた。そして水質浄化とともに川辺には遊歩道が整備されて、川はまた人々の前に戻ってきた。
チャリで通れないのは残念だが、全区間整備されたら是非萬年橋から番所橋まで水辺を歩破したいものだ。


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越中2時間の旅 番外編

8月14日
今日は一路家路を目指すのみ。
しかし、東京の親類にもお土産は必要だ。久々に富山駅の駅ビルに寄って行く。
空港ターミナルの駐車場は、1時間200円也。これでも地元の人は高いという。
因みに空港駐車場は1時間100円、1日600円!!。反対運動の罵声の声の中?、有料になったのは空港正面の駐車場のみ。ロータリーの外側駐車場は無料だ。反対も何もって、こちらから見れば奇跡に近い!。
さらに因みにソラマチ駐車場は1時間700円也。

消えた駅ビルの駐車場は、駅ビルの西側にある。帰省の度によっているので勝手知ったる‥‥あれぇ、駐車場がなくなっている。しかも駅ビルも消えている。




仮駅舎うか!、新幹線の開業に合わせて建替えしているんだっけ。
今は以前の駐車場がロータリーになって、仮の駅舎になっている。
駅ビル2階にあった名店街は、特選館という独立した建物になっていた。
たぶん、今度来るときは新しい駅舎になっているだろうから、今の状態を撮っておく。

富山城車場に入り損ねて街中を一周。
富山城の前を通過する。ここにきたのはもう10年以上前だ。が、ここは昔とほとんど変わっていないようだ。

駅前まで回って買物をして帰路につくまで約2時間也。
のんびり来るつもりが、何か2時間単位で動くせわしないものになってしまった。


混んでいなければ18時には付ける行程が、帰宅は20時過ぎ。Uターンラッシュの最中、渋滞に費やした時間も2時間也。まぁ渋滞回避で2時間ならラッキーなほうだろう。

今回の走行1,410km
消費ガソリン153L
平均燃費9.2km/L
今回は10km/Lの目標をクリアできなかった。ハイオクだから余計辛い。
前後エアコンガンガンつけて渋滞や山道を走ったんだから、3.5L/4WDとしては上出来だ。

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森将軍塚古墳遠望PS
帰り道の上信越道から森将軍塚古墳が見えた。
何度も通っているのに、何故今まで気がつかなかったのだろう。
建造当時も麓の集落から、このような威容を望んだのだろう。
‥‥運転しながらの撮影は危険である。よい子はまねをしてはいけない‥‥
 

越中2時間の旅6 悪城の壁

牛岳から帰ってきて、夕飯までの2時間がまた自由時間となる。今晩は温泉に行くので時間厳守とのこと。
タイトスケジュールだが、立山町の『悪城の壁』を見に行く。
悪城の壁2『悪城の壁』とは立山有料道路から称名の滝に向かう途中にある壮大な一枚岩の断崖である。
宿泊場所からルート検索すると38km、85分とある。
東京じゃ、絶対この時間じゃ無理だね。でも半分は山道だから結構いけるはず。うまくいけば称名滝まで行って来たい。
16時に出発。ルートに従い走る。予想より交通量も信号も多いが、市街を抜けると巡航速度が急に上がる。
称名滝遠望2立山有料道路の分岐点を越えると右手に巨大な岩の壁が現われる。
所要時間は50分。平均時速45kmで走っていることになる。
正面に称名滝が見える。いけるとこまでいこう。
称名滝駐車場までは5分とかからない。しかし滝までは往復30分となっていた。往復の時間はないので、遊歩道で滝が見えるところまで行く。

『称称名滝1名滝』。落差350mはスカイツリーの天望デッキと同じ高さだ。
落差とその水量では日本一といっても過言ではない大瀑布である。
もっとも、落差だけで言えばハンノキ滝の500mには及ばない。では日本一の落差を誇るハンノキ滝とはどこにあるのか。
実は称名の滝の隣にある。断崖の頂上から称名の滝の滝壺に到る水流の痕が、融雪の時季だけに壮大な姿を見せるハンノキ滝である。残念ながらこの時季は枯れてしまっている。この滝の迫力を満喫するのはやはり春である。

悪城の壁回は悪城の壁を見ることが目的なので、早々に引き返して往きに見つけた撮影ポイントに再び停車する。
『悪城の壁』。「すごく恐ろしく、砦のように人を寄せ付けない」という意味からついた名前である。
高さ500m、幅2kmの一枚岩からなる絶壁は、まさにその名に恥じない迫力である。
ここにいると北欧の氷河谷のイメージが重なってくるが、
悪城の壁3この深い谷はまさに氷河と川の浸食によって作られたものだそうだ。
悪城の壁の頂上から下を見下ろすとどんな光景なのだろう。ルートがあれば、いつか行ってみたい。
「馬鹿の高上がり」にして「高所恐怖症」(高血圧貧血により、いつもふらふらしているから怖いのだ!)であるのでちょっと無理か‥‥

称名滝遠望でに17時をかなりまわっている。18時帰着は難しそうだ。
富山観光はとにかくお金がかかるイメージが強い。観光立県でもあり、それだけの資源を守っていかなければならないので当然かもしれない(だから富山県は日本一裕福な県なのだとするとちょっと癪ではあるが‥‥)が、宿と脚をうまく確保すると結構リーズナブルにスポット観光を楽しむ場所は多い。


八尾ゆうゆう館食事の後に、親類から紹介された『ゆめの里ゆうゆう館』の温泉にいく。
夜になり本降りの雨になったが、雨に打たれる露天風呂もまた一興である。
日帰りでも9時〜22時まで利用できる。大人600円也。
盆休みにしては、結構空いていたし‥‥


悪城の壁ドライブ、2時間(と10分超過)。
八尾のゆうゆう館への日帰り温泉の往復2時間。今回は2時間尽くめの観光だ!
明日はもう帰る日である。

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越中2時間の旅5 牛岳展望

牛岳スキー場尾町からさらに山に入っていくと山田村(どちらも現在は富山市に併合された)に入る。
山田村は温泉とともに、地元では結構有名な牛岳温泉スキー場がある。山頂にはパノラマ展望台があり、車で登っていける。夏はパラグライダーのベースとしても賑わっている。

パノラマ展望台。レンデ麓から、ちょっと荒削りな舗装道路を登るとスキー場の頂上のパノラマ展望台まではほんの僅かだ。
以前ここを訪れたのは十数年前だ。山頂付近の
オートキャンプ場は当時はなかったように思う。
今日はあいにくの天気だが、以前訪れたときは快晴で、ここからの景色は富山平野から能登半島までを一望できる絶景だった。牛岳スキー場4
本当牛岳スキー場5はここは是非夜に訪れたいところである。ここからは富山の夜景と、満天の星空が眺望できるのだ。
ただし、頂上の建物は古式騒然としており、人気のない夜はさぞ不気味だろうが‥‥

牛岳スキー場岳スキー場という名だが、実はここは牛岳ではない。
パノラマ展望台の裏側から見えるゲレンデの山頂が本当の牛岳である。
かつてはここから谷を挟んで牛岳側にロープウェイが走っており、牛岳側にユートピアゲレンデというスキーオンリーの上級者コースがあった。
機材の老朽化が進み、利用者も減ったことから山田村を併合した富山市によって廃止されたようだ。
牛岳山頂には小さな祠があり、やはり車で登れたのだ。もっとも当時はJEEPだったので、今の車で登れるかは定かではない。
帰りは橋婦中町方面に戻るのが通常だが、買物をかねて八尾方面に下りるルートを取る。新しいナビソフトになり、新しい道が検索できるので通ってみる。
八尾工業団地に繋がる道はまさにハイウェイだ。本当に富山って裕福なんだねぇ‥‥

八尾のオレンジマートで夕食の買物。そのままレジを通ったらレジ袋をもらえなかった。袋は別途申し出て買うのだそうだ。どうしようかと考えていたら、客のおばちゃんが納品用の空き箱が使えるよと教えてくれた。カゴテナに積まれた空箱を自由に使える仕組みだ。「なるほどねぇ」と感心。でも店内に流れる宣伝の歌には吹き出してしまった!
まぁ、冷静に聴けば(冷静に聴けるか!?)ライフの「ポイント3倍デー」の歌と五十歩百歩だが‥‥

買物も含めて、所要時間約2時間也。


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ブースターカフェ

ブースターカフェ1朝らんの帰りにソラマチのブースターカフェにお茶に寄った。
前回は店舗前に立ち寄っただけだったので、中に入るのは今回が初めて。
呼び込みの店員さんがいなければ、下町のおじさんおばさんは自転車屋だと思ってしまうだろう。犬を連れて入ろうとする人もいる。となりと間違えている。
自転車で来ると駐輪場から遠いのだが、落ち着いてきたら店前にスポーツバイク用のパークスタンドでも欲しいものだ。


ブースターカフェ2店内には小さなアクセサリーグッヅ売り場がある。ここでレンタルサービスをやっているようだ。
開業後初の日曜日だが、やはり店内はすいていた。客層も自転車好きやサイクリストではなく、なんとなく通りがかりですいているから寄ったという感じの人ばかり。
外のパークだけでなく店内にもレンタル用のバイクが置いてある。



レント・ア・バイシクル・バイ・スコット2レント・ア・バイシクル・バイ・スコット3のレンタルパークにあるのもスコット。
実はスコットのバイクってSUBしか知らなかったので店内でスコットのパンフレットをもらった。
そのSUBも以前は26インチがあったのだが、今は全て700Cに変わってしまったようだ。
今や26インチのリジットクロスは結構貴重な存在だったりする。

ブースターカフェ3店の前の開店祝いのスタンド花。贈り主の名前をみてびっくり。錚々たる名前が並んでいる。
この店、いったい何者だ‥‥?



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追伸
生コン工場発祥の地生コン工場発祥の地の碑がイーストヤードの道路に面した壁際に残されていた!
昔、この地がセメント工場だった唯一の証だ‥‥

ソラマチ

そらまち2ソラマメでもソリマチでもない。
開業当日は仕事と雨で行くのを断念した。今日は開業2日目。近寄ることすらできないかと思い、だめもとで行ったが、思いのほかすんなりいけてしまった。
まずはチャリンカー(ここではサイクリストではない)の定石、駐輪場を探す。




駐輪場2西駐輪場1側駐輪場に入る。全然空いている。2時間まで無料。使いやすそうだ。




モールの中はさすがに混んでいる。
ちょっとしたお土産を買おうかと思っていたが、変わったものは長蛇の列だ。
しかし、まてよ。今日は開業2日目だ。初日限定品はない。‥‥ということは、今日売っているものは明日も明後日も売っているということだ。‥‥そのうち空いてきたら買おう‥‥。
デパチカ見たいな生鮮コーナーもある。ただのファッションモールとフードコートだけじゃない。
西エントランススカイツリーエントランス踏から逃れるように屋上エントランスへ。
正門エントランス。屋上は思ったより空いていた。西エントランス付近から撮ったツリー。ここまで来ると高さはもう解らん。




とうきょうスカイツリー駅隙間から見える『とうきょうスカイツリー駅』特急が通る。
いつからオレンジがバイオレットに変わったんだ?。






ブースターカフェ十間川に面した道路沿いにある『ブースター・カフェ・レント・ア・バイシクル・バイ・スコット』。なんて長い名前だ!。略してブースターカフェでいい。
このブースターカフェ、一見自転車ショップと勘違いするように外のウィンドゥに自転車がディスプレイされている。メニューを見ると普通のカフェである。自転車見ながらお茶飲めるのは最近流行のバイシクルカフェってやつなのか。
展示してあるバイクは名前の通りスコットである。カフェの横にはレンタサイクルがあり、これでこの辺を散策できるわけだが、これがまたみんなスコットである。レント・ア・バイシクル・バイ・スコット
スコットが直接手がけるレンタサイクルは世界初なのだそうだ。中ではバイクの修理やパーツ販売もすると店員さんが教えてくれた。
でもスコットでしょ。うちはジャイアントとBMCなんでだめだね。
他の雑踏からみると、ここはかわいそうなくらい空いていた。人の流れは東西から入り、反対に抜けてしまうので、ここは人の流れから外れてしまっているのだそうだ。逆に穴場になるかもしれない。
普段ママチャリや激安チャリの人!、スコットで町ポタしたらおしゃれだぞ。

それにしてもこれだけのモールにスポーツバイクショップがない!。セ〇サイクルとかY〇ロードとかあってもいいのに‥‥。サ〇クリーでもいいが。
このブーカフェ(更に略)はそのうちゆっくり茶しに来よう。


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追伸
イーストの巨大なビルのごく浅い地下には、斜めに都営浅草線が横切っている。
建物の中はどうなってるのか不思議だったこと。
中央の『ソラマチひろば』から細長いソラマチ商店街が押上駅方面に斜めに延びている。パンフを見ると、モールの上層階までほぼ同じ構造。
なるほどこの下を地下鉄が通っているわけだ。

開業

今日スカイツリーが開業した。
なぜか土砂降りの雨。
開業当夜昨日開業前夜の東京ソラマチ(ソラマチとかヒカリエとか最近は変なネーミングが多い)を見てきた。
本当は今日も行って、昨日と比較したかったのだか、急な仕事が入り自宅からのツリー撮影のみとなった。
これからは毎日家からもライトアップが見れるわけだ。実際に上れるのはいつのことになるやら‥‥

開業前夜ソラマチ業前夜のソラマチ。平日ならごく普通のショッピングモールの風景だ。開業前とは思えないくらい人がいた。
ここもしばらくは超混んでいるのだろうか。
平日のアフター6なら、すぐに空いてくるだろう。

おしなりはし京成橋と東武橋の中間にある『押業橋』。
押上と業平橋の中間にあるから押業橋なのだろう。
昔はここから100mくらい東に押上橋という橋があったそうだ。
北十間川北側の道路。よく抜け道に使い、セメント工場のミキサー車と接触しそうになってヒヤッとした思いは、すでにセピア色になってしまった。ここを通ると車が砂塵で真っ白になるということももうないだろう。


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スカイツリーは下総??そして我が家は‥‥その参

さて、古地図教科書では教えてくれない郷土史?について、自身についての何らかの結論を出さないといけない。
前稿にて徳川幕 府開府以前の隅田川は河口の手前で三筋に分かれていて、本流は現在の首都高向島ランプから鳩の街に沿って横十間川筋に向かって流れていたのではないかとい う疑問を提起した。
しかし、両国橋の存在を合理的に解釈できない以上、本流は現在の流れに近いものだったと仮定せざるを得ない。
スカイツ リーのある付近は徳川幕府による国境の東遷により、正式に武蔵国足立郡に編入されるが、それ以前は不明としかいえない。
“東京スカイツリーが立つ エリアは、歴史をひも解くとかつては武蔵の国でした。”という一文には“古代から中世にかけては下総の国だったが近世になり武蔵の国に編入された。”との 注釈が必要なようだ。
では、我が家のある旧城東区はどうなのか。城東区を構成する亀戸村・大島村・砂村を構成しているのは武蔵国葛飾郡。これは近 世になって下総国から編入されたものだ。隅田公園
そう、もともと葛飾郡は近世になるまでは全て下総国だったのだ。
葛飾出身者と しては今の住処も武蔵国であるというよりは下総であるという方が愛着がある。

下総を含む房総(ふさ)の国は古代より、交易や水産業で繁栄した海洋国家郡があった。小さな国が犇いており、いわば韓国の加羅諸国の様相を呈していたと思 われる。関東では埼玉古墳群が有名だが、小国家郡でありながらこの房総の国はそれより2世紀も前から、質・量ともにそれを凌駕する大型古墳が多数存在して いるのだ。
後世には平将門という関東の勇も生んだ下総。
先祖より下総人の血も受け継いでいるおやじとしては、下総人であることをもっとエンジョイしたい。
船で河川や島々を自由に渡り交易した人々のライフスタイルが、車で巨大ショッピングモールを渡り歩いて買物をする現在の下総地区のライフスタイルに受け継 がれている。
そう、これが東京県人化として皮肉のネタにもなっている下総のライフスタイルなのだ。


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スカイツリーは下総??そして我が家は‥‥その弐

武蔵と下総の国境に位置する川“古隅田川”

問題はその最下流部である。

綾瀬川と交差して現在の隅田川に合流した後の古隅田川は現在の流路をたどっていたかということが次のポイントとなる。

 

牛島神社牛島・京島・寺島・向島・柳島、この界隈は島の着く地名が多い。島の付く地名は過去に本当に島だったケースが多い。このあたりは江東 デルタの前身の隅田デルタというべき湿地帯だった。古地図を検索すると白髭より下流の隅田川は三筋に分かれていたようだ。

ある説には 現隅田川はかつての支流で本流は別だったというものがある。隅田川が多様な呼称を持っていることがその名残であるという。


牛島堤?1,600年前後に西側の宮戸川を本流として古隅田川本流は牛島堤の築造により遮断された。現在の墨提通りは市街地より高い場所にあるが、これがかつての牛島 堤の跡とも思える。遮断の理由は江戸の都市計画の一環としての新田開発といったところだろう。




隅田川支流(旧本流?)分岐点分岐点は現在の首都高6号上下向島ランプにまたがる付近だったようだ。何か現在にその痕跡がないか地図を眺めると、首都高6号高架下の堤通公園という小さな交通公園がある。






墨提通り向島入路付近

ここから隅田川の緩いRを南南東にたどると、墨提通りの首都高向島入り口交差点から2筋の道が押上・業平方面に伸びている。

 






鳩の街ひとつは細い商店街、 鳩の街。かつては玉の井ラビリントと並ぶ特飲街(昔は赤線と言った)だった。もっとも当時はカフェ街とか洒落た名前で呼ばれていたようだが‥‥

この通り沿いには、古さの中にもちょっと洒落たつくりの家がまだ残されている。州崎パラダイスではもうほとんど失ってしまった、当時のいわゆるカフェのなごりである。実はこの商店街と並行する路地が、古地図で見るとかつての水路跡の ようだ。国境の道?鳩の街商店街の道はほぼこの水路跡と並行している。この道は墨提通りから押上をぬけて十間橋の袂まで伸びている。この流れはそのまま 現在の横十間川となり河口となる。






名所江戸百景柳しまここも名所江戸百景のひとつ“柳しま”である。

柳島の歩道橋から望むスカ イツリーは、今でも東京百景におすすめしたいポイントである。







もうひとつの道

さて、もうひとつの道は、ほぼ南に伸びて曳舟川通りと並行する。








向島2丁目付近この先にあるのは大横川である。

この横十間 川へ通づる流れが江戸時代以前の隅田川本流だったかは不明だが、横十間川と大横川は当時の隅田川の河口デルタを利用して整備されたとすると、合点すること が多い。









北十間川樋門ここはつい近世まで国境のなごりが残っている。本所区と向島区の境界、そして深川区と城東区の境 界である。本所・深川は古くから江戸市街とされてきたが向島区と城東区は1,932年まで南葛飾郡であった。このような境界はかつて大 きな流れによって地域が分断されていたことのなごりと思われる。



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スカイツリーは下総??そして我が家は‥‥

スカイツリーの高さ634mの由来は“武蔵”から因んでいることはあまりにも有名。

公式H・Pでも建設地点はかつての武蔵の国だったとして、“武蔵の国を望む”と謳ってい る。

浅草から隅田川越しにリバーピアとコラボするスカイツリーは今や絶景のスポットである。

しかしちょっと待て、隅田川を越えたら“下総”じゃないの。両国橋かあるじゃないか?

“かつてと言うならあそこは下総だったのでは?”という素朴な疑問が浮かぶ。

どこに建とうが“武蔵”が日本人の心に響くものの代表として語呂合わせされているのならなんら異議はない。“シモウサ”では数字の語呂合わせができない。

ついでに“ムサシ人”より“シモウサ人”たりえたいおやじの我が家はどっちに属するんだ?という今ではどうでもいいような問題にも一応の納得を得たい。

はっきりと武蔵・下総の境界線が今の地図ではここですよぉ〜と言う公式見解があればそれでオールクリアであるが、平野部の河川を跨ぐ境界はその時々の地形の変化によって変わってしまう。しかも都市部では人工的な変遷も加わる。時代をさかのぼるほど、現在の地図上に“ここが過去の境界です”と明確にマークすることはできなくなる。

 

歴史・地理は好きであるが、文献を掘り下げていくほどマニアックではない。厳密な定説がなくても、ビジュアル的なもので当時を垣間見るものを探して、自身で納得できればいい。

 

さて、問題の両国橋。

両国橋の由来は武蔵国と下総国の境界に掛かる橋だから。これはみんな知っている。

とすれば、両国橋が架かっている現在の隅田川が武蔵国と下総国の境界といえる。

となるとスカイツリーが武蔵であるためには

1.両国橋ができたあとに武蔵・下総の境界が変わり武蔵となる。

2.隅田川本流の流れが、両国橋より上流はツリーの東側にあった。

3.両国橋の両国の意味が武蔵・下総を表すものではなかった。

4.両国橋の位置が現在と当時では別の場所であった。

のうちのどれかが当てはまる必要がある。

正直3.と4の可能性は低い。

2についてはブログ等でも紹介されている。別の意味でも興味深い説だが、現状ではその痕跡を求めることは非常に困難である。

 

両国橋結論か らすると、実際1の説が正しいようだ。

両国橋が架けられたのは1,659年(諸説あり)。その後、利根川水系の大幅な開削変遷があり、国境が江戸川(これもおそらく現在の江戸川ではない)とされるのが1,686年。この年から押上は歴史上の武蔵国となっているのだ。


では、それ以前はどうだったのか?下総だったのか、それともやはり武蔵だったのか?

古代の行政区分より、武蔵国と下総国は“古隅田川”という川が境界となっていたということである。

古隅田川は現在でも埼玉県(旧岩槻市春日部市付近)と東京都(葛飾区足立区付近)の2箇所に存在する。かつての利根川本流とされていたが、大落古利根川が旧利根川本流となり、中川の流れが確立されると上流部と下流部に分断されて小河川化した。

 

下流部の東京都内の古隅田川は葛飾区足立区の境界をなし、一部暗渠や埋め立てが行われていてもその痕跡を追うことができる。現隅田川との合流付近は荒川の開削によって大きく変わってしまったが足立区の一部にそのなごりを見ることができる。



埋没古隅田川跡

東武牛田駅ホーム下にある不思議なガード。

古隅田川が小河川化して流れていた証し。








旧綾瀬川

これは荒川開削により分断された綾瀬川の名残









隅田川神社隅田川神社。歌川広重の名所江戸百景にも登場するかつては水神森だった。描か れた当時はすでに武蔵の国になってたようだ。この水神森に面した位置が古隅田川の河口だったと思われる。






鉄門

隅田川神社の鳥居。後 方にある巨大な鉄門は震災などによる大火から避難場所を 守る防災用の扉だ。








カネボウ跡地

墨提通り沿いの煉瓦塀。カネボウ東京工場跡地。

“カネボウ”は鐘ヶ淵紡績の略。今は鐘ヶ淵の地番はなくなってしまい、駅名な どにその名を留めるだけとなった。

だから“クラシエ”なんて変な名前に変わったわけではないだろうが‥‥




古隅田川1a

古隅田川流路を古地図で追うとこんな感じ





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初めての一般参賀

この歳まで、しかも東京に住んでいながら、今まで一般参賀に行ったことはない。これはもはや不敬罪である。
今年は一般参賀に行ってみようと思った。
本来家族で行くべきだが、まずはどんなものか確かめに、今年は一人で。
前日に皇居前に来た際に、自転車置き場もないことを確認しておいたので、自転車は有楽町のビックカメラ駐輪場において歩く。
今回は一般参賀の謎の解明もかねている。
テレビでみんなが振っている“日の丸”。あれはどのように渡されるのか。また参賀のあとはどうなるのか?という素朴な疑問である。
馬場先門より皇居外苑に向かう。一般参賀1
早速歩道に係りの人がいて、通行人に“日の丸”を渡している。
えっ、まだ日比谷濠を渡ったばかりだ。この旗を受け取り内堀通りから引返したら、旗を未使用でゲットされてしまう。
それをやったら不敬罪!やられた方は不経済?ではないか‥‥
渡された“日の丸”は子供のおもちゃのようなもの。しかし日本の顔である国旗だ。思わず子供のようにパタパタ振って歩いたりする。一般参賀2
内堀通りに警視庁騎馬隊(皇宮警察かなぁ)の騎馬警官(たぶん)がいる。
先日警視庁騎馬隊の騎馬が暴れて警官が落馬し大怪我したニュースがあった。
いつも来る普段の日曜日、CRとなるここに止まっているのは、信号待ちをしているローディさんだ。おとなしそうに見えるが、暴れた馬は整備不良で爆走するロードバイクと同じくらい怖いのだ。
ここに来るまでに時間が掛かった上、手荷物検査と身体検査で時間が掛かる。空港のセンサーゲートと違って、婦警さんがじかに手で調べてくれるので結構楽しい?
一般参賀4皇居一般参賀3正門の石橋を渡り、二重橋から伏見櫓を横に見て、宮殿東庭へ出る。
おおっ!でかい。
これが長和殿‥‥
そして、この宮殿東庭。一体、何人がはいるのだろう。
なんて感動している場合か!こんな後ろじゃ何も見えない!
しかも自分の前に、でっかい外人がいちぁたまんない。
自分の後ろには、更に小柄なお年寄りがいっぱい。みな口々に見えないといっている。自分ひとり譲っても何にもならん。

一般参賀5陛下はじめ皇族の方々の御出座しとなった。更に歓声が上がる。
サクラなのかわからないが、“天皇陛下万歳!”の声が上がり、人々が呼応する。
でも、でも!何にも見えない!!
あそこに御座すはずなのに、今スピーカーで声が聞こえているのに、手を振っているはずなのに‥‥わからん!!

結局、よくわからないうちに参賀は終了してしまった。
やはり早めに来て、いい場所を抑えておくのはどのイベントも同じだ。

昔ならば、お上に拝謁できるのは殿上人だけだったのだ一般参賀7
天皇制についての議論は尽きないが、どうしようもない経済?はまだしも、政治レベル的には完全に崩壊しているこの国が分解しないのは、島国であることと、よりどころである象徴があることに他ならないとおもう。

今の子供は君が代を知らない。ドラマティックな日本神話も知らない。
教育の問題ではあるが、親から子へ生活の中で伝えるべき問題だ。
来年は家族でチャレンジ?するか‥‥
でも、大声で万歳を叫ぶのは、マンションの外に向かって“鬼は〜外っ!”と怒鳴るくらい度胸がいる?

さて、更なる疑問の解決。この“日の丸”はどうするのか?
帰りの通路に回収箱があり、持ち帰りたい者は持ち帰り、必要のない者は回収箱に入れるようアナウンスされている。

誰かが言った。“何だぁ。返してまた再利用するのか!。”一般参賀6
怒!
再利用のどこが悪い!!持ち帰りたい者は持ち帰っていい、というほうにむしろ驚きを覚える。
本当に再利用されるかはわからない。高いものではないだろう。しかしこれがそのまま持ち帰りで、その辺に捨てられたり、ゴミ箱から出てきたら‥‥それこそ国辱である。

今回は記念に持ち帰ることにする。
また大人気なく“日の丸”を振って有楽町の街を歩く。
ただで停めさせてもらっては悪いので、ビックカメラで自転車のケミカル品を買って帰る。
道もすいているし、なんとなく“日の丸”振りかざして銀座通りのど真ん中を突っ走りたい気分になる。
もちろんミニベロで‥‥である。

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五条野丸山古墳

古いデータを整理していたら1枚だけのフォトデータを見つけた。
日付は2007年2月。ちょうど4年前。
関西出張の際に1日の休日で明日香村に行ったときのものだ。写真は五条野(三瀬)丸山古墳。
MTBルックのクロスバイクをレンタルして明日香村を周ったときのものだ。

明日香村と言うと石舞台や甘樫丘、高松塚古墳が有名だ。当時は甘樫丘東麓の曽我邸跡?と言われた発掘が世間の話題となり、ぜひ行きたかった。もちろんそれらは見て回ったが、そのほかにぜひ行ってみたかったのが五条野(三瀬)丸山古墳。狭義の意味では飛鳥ではない。

五条野丸山古墳。墳丘長318m。現存する全国第6位、三瀬丸山古墳奈良県下では最大の巨大墳墓である。
墳丘の一部が陵墓参考地となっているが、周囲は自由に入れると言う情報をつかんでとにかく行ってみた。豊浦から橿原神宮前駅に向かってR169を左折してしばらく行くと左側にその巨大な姿を現す。R169はその前方部を削り取って南下している。

行って見ると立ち入り禁止は後円部上方のみで前方部全体と後円部下段は自由に散策できた。周囲を散策した後前方部の頂(といってもまっ平らだが)に立つ。このでかさには感動。まさに映画で見る空母の甲板のような感じだ。前方部墳丘が艦橋といった形で突出して聳えている。
実はその先年、岡山の造山古墳を訪れている。もちろんここも墳丘への立ち入りが可能なのだが、造山古墳は麓でこそその巨大さには圧倒されたが、登ってみても古墳としての大きさを実感できなかった。
あまりにもでかすぎる!周囲の山に溶け込んだその墳丘はただの山なのだ!
その点、丸山古墳はふたまわりほど小さいものの古墳の形状を認識できて、むしろ墳丘としての大きさはこちらのほうが実感できた。

丸山古墳は前方部が極度に発達した終焉型の前方後円墳で6世紀後半の築造とされる。これ以降畿内では巨大古墳が姿を消す。後円部には石舞台も凌ぐといわれる全国最大級の横穴式石室があるが残念ながら立ち入りは出来ない。被葬者は不明。候補者としては欽明天皇が挙げられている。但し、欽明天皇陵としては丸山古墳より南方1kmにある、全長140m、ほぼ同時代の築造とされる梅山古墳が比定されている。立地・年代・実証的にも文献に合致するという。そのほかの候補者として筆頭に挙げられるのは蘇我稲目という人物だ。稲目は蘇我馬子の父で蘇我氏興隆の基を築いた人物だ。
蘇我稲目が丸山古墳の被葬者とすると、臣下である大臣が大王を遥かに凌ぐ権勢を有していたことになり、大王自らそれを認めていることになってしまう。蘇我氏大王説も頷ける所以だ。

巨大古墳を造るための正確な測量技術と高度な築造技術。それが寸分変わらぬスケールモデルとしてほぼ全国一斉に波及する情報伝達力を有したこの時代に、最高峰の巨大古墳の被葬者も正確に伝わっていないことのほうがUFO以上のミステリーだ。当時の何者かの権力によって徹底的な情報操作が行われたと考えるほうが、素人にはごく自然的である。当時にはそれだけの権力と技術があったのだから。

丸山古墳を訪れてすでに4年経つ。機会があればまた飛鳥の地を訪れたい。そのときはまた周囲の景色や家並みも変わってるだろう。但し、1500年近い年月から比べれば4年の月日は塵に等しい。巨大古墳だけは築造当時の真実を飲み込んだまま、変わらぬ姿で迎えてくれるのだろう。
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遠見塚古墳

急に仙台の営業所に出張を命じられる。と言っても日程は日帰り。遠見塚古墳
仙台の所長との雑談で、“実はすぐ近くにも大きな古墳があるんですよ”と知らされる。
“それは知らなかった”ということで食事の合間に案内してもらうことになったのが“遠見塚”という古墳。
所長は古代史や遺跡にはあまり興味はないようだが、以前、前任者のときに雷神山に行った話をしたことがあるので古墳オタクのために気を利かせてくれたようだ。
確かに名前は聞いたことがあるが、さして気には留めていなかったその遠見塚古墳は仕事先から車で5分くらいのところにあった。バイパスに面して前方部が道路で削られていたが、綺麗に復元されており、見せてもらった写真のイメージよりはかなり大きく感じた。
“これは比較的初遠見塚全景期の形だね”と受売りの説明をする。所長が案内で墳丘に登ろうとするので、拝礼したところ、所長もあわてて手を合わせた。“一応貴人のお墓ですからね”。“‥‥でも子供がよく滑り台やマウンテンバイクで遊んでますよ”。“‥‥‥‥”

遠見塚古墳。全長110m、後円部は高さ6.5mとある。前方部は平らで低い。4世紀末から5世紀初頭の築造とのことで、雷神山とほぼ同時期のようだ。宮城県下では第2位の大きさで多数の出土品のほかに、かなり広域な周壕が復元されて公園となっている。平日の小雨の中なので訪れている人も少ない。以前は周囲遠見塚前方部が畑で、戦後に軍用空港の建設でかなりの盛土が掘削されてしまったが、昭和43年に発掘調査とともに国の史跡に指定され墳丘が復元されて公園整備が進められたとある。
復元当初は白石が引き詰められていた写真の周壕部は枯れ草となっていた。春には野原のようになるのだろう。

雷神山にしろ、この遠見塚にしろ4世紀から5世紀の首長墓であろうが、名取柵が設けられ東国の移民が進められるのが7世紀初頭としても、それ以前は蝦夷の人々の土地だったろう。前方後円墳がヤマトとの同盟の証のように言われているが、これは蝦夷の首長の墳墓なのか、それともその頃頻りに遠征をしていた毛野を中心とする坂遠見塚後円部東の首長達が征討の証として築いたものなのか。
この後38年戦争で戦乱の中心が多賀城以北から盛岡に移っていくのは300年も後のことになる。ここに眠る被葬者はどのような人物なのか。今回の出張の思わぬ副産物に興味が湧いて来る。

“古墳の上に登るとなんとなく古代の人と空間を共有しているような気になりますねぇ”と所長がつぶやく。まぁ、確かにそんな気になることが古墳に行って墳丘に登る楽しみではある。
仕事で来ているので長居は出来ないが、束の間のよいひとときをくれた同僚に感謝!
近世には興味があるようなので東京に来た際遠見塚古墳案内碑はぜひ徳川所縁の場所でも案内したい。

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深川不動尊 その2

1月28日は初不動の日
今日は休暇をとり深川のお不動様へ。
我が家では初不動の日に、我が家のお札・お守り・数珠等々を納めてその年の護摩焚きをしていただく。恒例行事である。
今回は奥の一番前に座ることが出来た。良いことがあるかな。護摩焚きを目前で見れるのははじめてである。今回は我が家のお札も目前で見ることが出来た。思わず合掌!
護摩焚きが始まる。最初は静かな読経から、法螺貝の響きとともに護摩に火がつけられ、燃え上がる炎とともに3台(3張と数えるのか?)の大太鼓が強烈なビートを叩き出す。このときばかりは般若心経がハードロックにもラップにも変わる。この響きは何度聞いても鼓動が高鳴る。しかも護摩の炎の真横でついつい体が動きそうになるのを抑えて炎を見つめる。我が家のお札の番になってまた合掌。 
やがてビートの終焉とともに炎が静かに消えていく。そしてリンの音色とともに僧侶が退出していく。心が洗われる瞬間。

さて、お不動様も終わり、我が家に帰って次のイベント。今日は満を持しての宝くじとお年玉年賀はがきの当選番号確認。今回は何かいい結果が出そうだな、‥‥と思いつつ1枚1枚。

結果はものの見事に大はずれ!
せめて元が取れるくらいは‥‥との期待さえ裏切られる惨敗。
まあ、くじの当たりを拝むこと自体が煩悩そのものだな!
護摩焚きは心願成就のために行うものではあるけれど、本来護摩の炎は煩悩にたとえた薪を不動明王様の智慧の炎で焼き払うものといわれている。煩悩を焼き尽くし無心となって初めて心願が成就するものなのだ。自ら精進せずして神仏も手を貸してくれないのだろう。
深川不動
帰ってきた娘が、自分のいない間に宝くじと年賀はがきを見てしまったことに、“自分が一番幸運を持ってくるのに無視した!”と怒った。
 こいつ最近口八丁になってきやがって‥‥と思いつつ帰りに買ってきたチョコボールを渡してなだめる。
開けてみると、なんと金のエンゼル!!
 やっぱ娘にくじをみさせればよかった!

1月30日追加記載

お守りの追加購入?のために再度お参り。
今日も護摩焚きを少しの間参拝。先日は写真を撮らなかったので今回1枚。
すでに節分の準備がされていた。(1月31日の智童豆まき式があるそうだ) にほんブログ村 その他生活ブログへ
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深川不動尊

 毎月28日はお不動さまの日。
カミサンの守り本尊が不動明王。誕生日が聖日百味祈願、つまりお不動さまの日なのである。久々にお不動さまの日に深川不動尊に行く。
 深川不動尊は
成田山新勝寺深川不動尊という。あの成田山の別院なのである。本堂は文久2年(1862年)建立とあるが、これは千葉の成田山に近い龍腹寺の本堂を昭和26年に移設したものだという。以前の本堂は空襲で消失している。
 この本堂も傷みが激しく、横に新本堂を建設にするらしく、以前御札場だったところは現在工事中なっている。

 深川不動尊は護摩焚きで有名である。実際に自分の護摩札を焚いてもらうのは年1回なのだが、時間があればよく本堂に上がっては護摩焚きに参る。いつも数珠を持ったお年寄り、念仏を唱えた信者が絶えない。
 そんな人々に混じって前のほうに座る。30分くらいの法要。信心深いわけではないが、何がいいのかというと護摩焚きの際の若い僧侶が叩き出す大太鼓の強烈なビートである。あの響きは心が洗われるというより、聴いているだけで何か心がスカッとしてくる。みくじ
 
 読経をヒーリング的に楽しむ人はいるが、ここの護摩焚きはロックビートのようにストレス発散になる。不信心であると叱られそうだが、これもお不動さまのお恵みである。今でもよくラップなんかをでかい音で流している車なんかに出くわすが、これを大音響で流しているほうがよっぽどノるぞ!。

 と、言うことで帰りがけに娘がおみくじを引く。普段くじ運悪いのに今回は大吉。学問→安心して勉学せよ!
 ゲームばっかしてないでもっと勉強してくれよ!
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坂本紀行随想録その3

坂本城門聖衆来迎寺は国道161号沿いにあった。ツアールート上にあったことと廃城となった坂本城の城門が移設されているというので立ち寄る。城門はイメージより小さかった。湖上の要塞というべき坂本城に巨大で堅固な城門は不要だったのか。なぜか森可成の墓があった。

国道は車が多く怖いので旧道から明智塚に向かう。地図には載っていないので電柱の住所を頼りに探す。途中で坂本城址の碑を発見。横のベンチで一休み。その後も発見できず、飛び込みで民家に訪問、道を尋ねる。そこのご主人と奥さん曰く、「すぐそばだけどあそこへいくのかね。あそこは界隈の人はちかよらないよ……。」
定期的に法要がおこなわれて隣接する家が管理してい
坂本城址の碑るらしいが、どうもいわくつきらしい。無理もない。謀反人の汚名を着せられ壮烈な最期を遂げた武士たちの怨念が宿っているのだ。とにかくいくだけ行ってみる。

明智塚は国道沿いにあり、こじんまりとしたよく手入れされた塚だった。何の変哲もないところだが先ほどの夫婦の物言いが脳裏に残り立ち入りを躊躇させた。そう、藤原の名を残す自分は地元ともいえる場所にある将門首塚にも近寄らない小心者である。興味のみで立ち入ることの恐れを感じ、外より丁寧に拝礼しその場を立ち去る。


遅めの昼飯は近隣のすき家で牛丼。せっかく大津まで来たのにさびしいがグルメツアーが目的ではない。仕事光秀公石像中のたちより並みの速さで昼食をとり、今は公園となっている坂本城址に立ち寄る。明智光秀公の石像がある。結構体格がいい。光秀公というと礼の肖像画のイメージが強いが、史書には大力無双の持ち主ともある。むしろこちらのほうが実像に近いのかもしれない。決戦3や戦国無双2の光秀キャラでは全くイメージが湧かない。この年でゲームマニアではないが、KOEIさんには大人にもやりがいのある光秀像を作ってもらいたいものだ。


日が傾いてきたので滋賀院・慈眼堂と矢継ぎ早に周り、レンタルサイクルを返却して比叡山ケーブル坂本駅にいく。ケーブルからロープウェイを経由して京都に戻りたいと思っていた。休日だが夕方近いせいか乗客は少ケーブル山頂なかった。ケーブルから見えた山の頂にそびえる東塔のなんとない違和感が印象的だった。延暦寺駅に着いたときはすでに15:30を回っていた。西塔や横川区域へはいけないので根本中堂のある東塔区域を見てまわる。

根本中堂には感動。さすが叡山、京の鬼門を守護するに相応しい仏閣だ。東塔も近くで見るとその荘厳さに息を呑む。1日の疲れも出たせいか広い境内をのんびりうろうろしているうちに閉山のアナウンスがなってしまったので帰ることにする。

愛娘に土産の一つも買っていこうと思い、お土産売り場を徘徊。でも結局いいものがなかった。最初の三井寺で買っておけばよかったと後悔。バスセンターに着いたのは17:00になっていた。すでに山頂延暦寺根本中堂行きのバスはなく、ついたバスが京都行き最終ということなので、ロープウェイは断念しバスで下山する。最後の斜陽に浮かぶ琵琶湖と大津の街がとても美しく印象的だった。三井寺と叡山以外はマイナーな史跡めぐりだったが、一人旅でこそできる有意義な1日であった。

 



2010年追加記載


2010年2月データを整理していたところ、当時の写真が出てきた

比叡山

ので後掲載。

ピンボケであるがやはり残っていた。但し松禅院や慈忍和尚廟などは撮ったはずなのにやはり見当たらない。不思議としかいえない。

‥‥リベンジせよとの仰せか‥‥

 


 

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livedoor プロフィール
愛車紹介
1.PRESAGE U31
愛称KARANO号
  :いまや歴史遺産となりつつある3.5L/フルタイム四駆。最近は金欠でタコメーターしか見なくなった我が家の軌道空母。2002年モデル。
2.MR−4
  :GIANTのロングセラーフォールディングバイク。リアドライブ・ミッドシップエンジン搭載??のコンパクトスポーツ。2010年モデル。

3.SOMA SAGA『嵯峨』
  :米国ソーマファブリケーションズのツーリングフレームに格安パーツを買いあさって組み付けたクロモリツーリングバイク。年式不明

4.トランジットセブン
  :今は娘の愛用となっている、BSの20インチフォールディングバイク。オヤジにサイクリングすることと、カスタムすることの両方の楽しさを教えてくれた逸材。2007年モデル。
  
5.ALPENCHALLENGE   AC02
  :レーサー志向の本格バイクを投入する『BMC』の珍しい26インチアルミバイク。ストックパーツを再編成して復活した我が家の最軽量クロスバイク。2011年FC前モデル。  
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