KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

PRESAGE

越中2時間の旅3 王塚古墳

王塚古墳3王塚古墳1参から戻って、晩飯まで2時間弱。
門外漢のおやじは、次の散策場所を探す。
宿泊先からそう遠くないところに古墳があるのでいってみる。
『王塚古墳』。「かんぽの宿富山」に隣接する前方後方墳で、墳丘長は58m(資料では62m)。国の史跡に指定されている。王塚古墳後方部に近寄ると四角であることがわかるが、保存状態はあまりよいとはいえない。冷房装置なのか、かんぽの宿から巨大なファンの風が吹いている。
「王塚」というのは、一品親王『仏性上人』を埋葬した塚という伝承からついた名前だそうだが、仏性上人は6世紀末から7世紀の人物であろうから、古墳時代前期の築造とされる古墳とは時代が合わない。
仏性上人の素性についてはひとまず置いといて、王塚古墳から15分ほど公園内を歩いて次の古墳である『勅使塚古墳』に向かう。
『勅王塚古墳5王塚古墳4使塚古墳』は富山県最古の前方後方墳とされ、墳丘長は66mと王塚古墳よりも大きい。
県内最大の古墳が100mそこそこなので、この値は県下でも有数の大きさだ。
富山県は前方後方墳や四隅突出型墳墓が多い。ヤマトと距離を置いていたのだろうか。

そういえば、この付近には皇祖皇太神宮というものがあるらしい。
宇宙創世記よりこの地にあって、全宇宙の中心であり(富山県がビッグバンの中心だったのか??)、かつては神通川沿いに巨大神殿があったという。架空とされる歴代天皇もここで即位し、モーゼ・キリスト・マホメッド・仏陀という錚々たるメンバーがみな富山に来て修行をしたという。謎の古文書武『竹内文書』に描かれているとか??
『竹内文書』といえば戸来村のキリストの墓で有名な『武内巨麿』の公開した秘書とされ、現在の超古代史ものとは箔も桁も違う奇跡の書といわれているらしい?
一世キングギドラが隕石となり地球に落下した、黒部のカスミ沢とともに真偽不明な『富山県のなぞ』の一つである。

さて、「皇祖皇太神宮」も「かんぽの宿」の最上階天望風呂も行ってみたいところだが、夕飯までに戻らなければならないので『仏性上人』調査とともに、捲土重来を期することにする。
買物をしての帰宅時間、約2時間也。

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越中2時間の旅2 川倉不動尊

赤倉ホテル赤倉ホテル泊目は妙高高原の赤倉温泉。
赤倉温泉はスキーも含め何度か訪れている。
古い温泉街だが家族でのんびり泊まるのにはよい。
赤倉ホテルを宿とした。パレス館というコースだ。娘に『パレス』ってなんだと聞かれたので、パレスとは「宮殿」とか「王宮」という意味だと答えた。疑心暗鬼だったのは和訳に自信がなかったからではない。予算をケチった結果の「パレス」を娘がどう思うかだった。
部屋はドアから階段で下りて両サイドをぶち抜いた面白いつくりだ。広くてセパレートバスも付いている。
温泉もほぼ満足できるものだった。ただ年寄りには階段の多いのが難点だった。

さて、8月12日赤倉から糸魚川まで国道8号を経由して北陸道で富山まで向かう。国道8号沿いには廃線跡を利用したサイクリングコースが続いていた。機会があれば是非来て見たいところだ。

川倉不動尊2川倉不動尊3へ来る目的が墓参である。宿泊させてもらう親類は富山市内であるが、義母の生家と先祖の墓地は八尾にある。着日の午後に墓参りに行く。
義母の生家は八尾からさらに山に入る。墓地よりさらに上ったところに川倉不動寺がある。山川倉不動尊奥の小さな寺だが、歴史は古く近隣の篤い信仰を受けているようだ。
堂内は全てセルフサービス?ながらとてもきれいに手入れされている。




不動滝不動滝2動寺に行く途中に「富山の滝37選」に選ばれた不動の滝がある。落差は10mそこそこだが、真下から見上げるとそれ以上の迫力と清涼感がある。
ここは修験者の修行の場ともなっているらしい。
不動尊とともに滝にも合掌する。迎えてくれるのが「アブ」というのはちょっと辛いが‥‥


墓参とお不動様をお参りして戻る。
途中通り雨に足止めを喰らい。墓参の所要時間2時間也。


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越中2時間の旅1 森将軍塚古墳

8月11日
科野歴史博物館休みに義母の実家、富山に行く。
元気なうちに墓参りをしておきたいとの願いだ。おやじはある意味、門外漢であるので合間を見て行きたいところを好き勝手に見て歩く。
富山へは、東北道・北関東道・上信越道・北陸道と経由していく。かなり遠回りなようだが、渋滞のリスクは少ない。
往きは東北道で一部渋滞にあったがほぼスムーズにいく。妙高に一泊の予定だったが、上信越道沿いはほぼ観光しているので、娘の自由研究のネタ探しもかねて千曲市の『森将軍塚古墳』に行く。

森将軍塚古墳森将軍塚古墳2じとしても一度は訪れたかったところだ。
場所がわからないので坂城ICで下りて18号をひた走る。義母とカミサンは暑いので県立歴史館をみて休憩。娘と麓から約130mの尾根にある古墳を徒歩で目指す。
『森将軍塚古墳』。県下最大の前方後円墳で墳丘長100m。森将軍塚古墳8長野盆地を見渡せる高台にきれいに復元整備されている。ほぼ完成当時の威容を再現しているという。
眼下の真正面を貫く道は平安初期の水田跡の名残りだそうだ。両側を長野新幹線と上信越自動車道が、墳丘のある尾根を貫いている。ここに眠る王の御霊はこれを無礼な騒音と思っているのか、かつて自ら切り開いた土地の発展に快くしているのか知るすべもない。

森将軍塚古墳3森将軍塚古墳4墳館には後円部に埋戻された竪穴式石室のレプリカが展示されている。古墳の大きさは100m級だが、石室の大きさは、調査されているものとしては日本最大級らしい。科野の王の権力が窺える。




森将軍塚古墳5森将軍塚古墳6には古墳時代当時の村を再現した八代清水遺跡がある。竪穴式住居の中は縄文の掘建式住居よりは生活感が感じられるはずなのだが、三内丸山の出現以来、縄文への認識が180度変わってしまったので逆にあまり区別がつかなくなった。

坂城ICで下りて、古墳と資料館で2時間、時間を費やした。すでに16時を過ぎているので宿に向かう。


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ナビソフト交換

ふるナビ交換ちに待ったナビソフトが届いた。うれしさ半分、悔しさ半分である。
なぜなら最新ソフトではないからだ。
『日産純正DVD−ROM‘11−‘12モデル』。丸1年前のものである。
昨年当りからナビソフトの新調を考えていたのだが、ここにいたりスカイツリーやゲートブリッジなど東京の新名所が目白押しとなっていたので、もう1年我慢することにしていた。新品で買えばキャッシュバックもあって値下がりしないオークションよりお得とも言われたし‥‥
8月初頭に発売になるとディーラーで教えられたので、ネットで確認。適合を調べたら、あれぇぇ〜変わっていない。
この車用の発売はまだなのかと再度ディーラーへ行って確認。
なんとふるナビ!プレサージュ純正ナビの更新は前年で終了とのことだった。確かによく見るとそんなことが書いてあるが、うちの型式が対象だとまで書いていない!!
うちの車登録してあるんだし、一年前も、半年前も足を運んで適合を調べてもらってんだからそのときに言えよ!!
しかも新品じゃないから得点は着かない。二重に馬鹿を見た!
『本体そのものを替えたい』といったら、メーカーオプションは交換できないとの回答。
アホバージョンアップ国会なら問責決議案?を出してやるところだ!
とはいえ何時までも03〜04年モデルでは、どんどん未開の原野を突っ走る羽目になってしまう。
今回調べてくれた店頭スタッフが悪いわけじゃない。よく調べなかった自分も悪いが、この店で注文するのが凄く癪だったので、値段の下がらない通販で購入。車体番号も添えて発注したらわざわざ電話で適合可否と当該モデルが最終であることの経緯をを丁寧に教えてくれた。たまっているポイントで少しでも安く購入するのがせめてもの憂さ晴らしである。

届いたナビソフト。
それ越谷市付近11越谷市付近03でも今まで田んぼの中だったところがちゃんと道になっている!越谷市のレイクタウン周辺。これは重畳。




晴海晴海11晴海03付近。よく通る橋がちゃんと架かっている。道ができたということは、ある意味プレサージュが運河の中も突っ走れるスーパーロールスのようなハイテクカーである必要はなくなったといえる。

若洲11橋がない!若洲03洲を見る。
全然変わっていない!!
最も走りたかったゲートブリッジがない。せめて『何年何月開通予定』くらいは入っていて欲しかった!
このモニターで一番走りたかったゲートブリッジを走ることは「露と落ち、露と消え」てしまった。

‥‥まだ海の中も走れるスーパーカーであることが必要なようだ?!

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エーデルワイス再び

エーデルワイス1エーデルワイス51月の連休を利用してスキーに行く。
昨年始めて娘にスキー板をはかせたエーデルワイズスキーリゾート。
鬼怒川温泉からもみじラインを上って行く。
道はシャーベットから圧雪に
なんと7シーズン目のブリザック。よく踏ん張ってくれている。さすがである。

エーデルワイススキーリゾートエーデルワイス2じラインにはハンターマウンテンとエーデルワイスという2つのスキー場がある。知名度としては前者が圧倒的だが、去年のリベンジもあり、なるべく勝手知ったるほうがいいので今年もエーデルワイスにする(ただ単にゲレンデ直下の無料駐車場だからということもあるけど)

エーデルワイス4東京から3時間。3連休の初日なのに渋滞もない。ゲレンデはコースが限定されていたが4本のリフトはがら空き。広いゲレンデも人が閑散。親父の時代には奇跡としか言いようがないが、今はみんなこんなようなのか?
去年の暮れに草津に1泊スキーに行き娘を2日間のスキースクールに入れた。
合計数時間のレッスンで、板をはくこともできなかった娘がリフトに乗ってボーゲンで下りてこられるまでになった。エーデルワイス3子供の飲み込みは早い。
今回は勿論リフトに乗る。昨シーズンは病みあがりで大事をとったため、親父にとっても今シーズンは実に二十有余年ぶりの本格復帰となる。何度か家族でリフトを止めてしまった(ごめんなさい)が、ほとんどリフト待ちがなく空きもあるくらいなので、ブーイングもない。
「ここはスキー場らしい曲がかからない」と娘がいう。「スキー場らしい曲」とは勿論ユーミンである。これも『Wiiファミリースキー』の影響のようだ。

ガストホフ夢木香2当日僅か2日前にとった宿。年末の草津のときもペンションがとれたのは1週間を切っていた。それも残ったところではなく、条件に合致したかなりの選択肢の中からである。
これも親父の時代には奇跡としか言いようがない。混んでいるのはレンタルスキーくらい。そういえば板やボードを載せて走っている車も少ないし。

『ガストホフ夢木香』。ちょっと変わった名前。しかも老舗の多い塩原温泉では珍しいペンション風宿。
ガストホフ夢木香貸切露天風呂夜の食事と貸切露天はよかった。内湯も貸し切り状態?でよかった‥‥





エーデルワイス102日エーデルワイス6目は連休中日。さすがに昨日よりゲレンデは混雑している。とはいえやはりリフト待ちは少ない。娘の滑降ペースはすでにカミサンを越えてしまっている。親父が斜滑降で下る斜面をボーゲンで直滑降してしまうようになった。こちらには二十有余年のブランクがある。勘は戻っても確実に戻らないのが体力である。ちょっと滑ると膝のばねが伸びきってしまう。板が短く軽い分昔よりは楽なのだが。

休みクレープ待ち休み滑っていると夕暮れはすぐに迫ってくる。日は斜陽となり、すでにリフト営業終了の時間となった。ゲレンデ麓のクレープを食べて帰ることにした。待つこと40分!。
リフト待ちはあっても精々5分だったのに、ここに来て最後の長〜い待ち時間。

エーデルワイス9クレープを食べ終わって帰るころにはほとんど夕闇となってしまった。
ほとんど無計画な今シーズン2回目のスキー温泉旅行も満足行くものだった。
宿予約1ヶ月以上前、ゲレンデまで8〜9時間、リフト待ち最低40分なんていうのは、もう古代史の世界になってしまったようだ。


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KARANO舞る・おやじ参る

4年ぶりに日帰りでスキー場へ行く。
KARANOでは2回目となる。“スキー場”という書き方は変だ。
前回は、ただスキー場へ行って、娘 とソリ遊びをして、お茶飲んで帰っただけ。道路も完全乾燥状態だった。
実は板を履いてすべるのは17〜8年ぶりである。雪上KARANO1
きっかけは簡単。Wiiファミリースキーでバカみたいにかっ飛び、おやじをぶっちぎっては“父さん下手だ”とバカ にする娘に、“雪とは何か、寒さとはどう言うものなのか(八甲田山雪中行軍か??)”を味わわせてやりたかったからである。
相変わらず朝寝坊の娘 を起こして、出発したのは8時過ぎ。予報どおり出発から雪が舞う。
昔ならおやじが、子供のように飛び跳ねてはしゃぐところだが、今回は不安材料が 多い。20数年モノ
病後初めての長距離遠征である。しかも出発から雪の中、スタッドレスは6年目になる。動脈硬化‥‥じゃない、コン パウンドの寿命は5年だ。雪で効くのかこいつ。
当初の目的地、マウントジーンズが混んでいて断念。50分ほど引き返し、最終目的地に着いたのは 12時過ぎ。
日塩もみじラインにあるエーデルワイズスキーリゾート
無料駐車場の看板に魅せられた?初スキー
20 前のブーツは健在であった。
娘と一緒におやじも板を借りる。175か180はないの?20年のブランクがあるのに見栄を張る。本当は体力ないし、 170で十分なのだ。
出されてきたのは148cm?‥‥ジュニア用か??
最近の板は短いのが主流なのだそうだ。ここでもまたまたおおボケ をかますおやじであるが。この短いの、すごく履きやすくて楽だ〜。
テロ組織員かゲレンデは降り続く雪でパウダースノー状態。こりゃ最高じゃぁ!
とはいえ運動音痴の娘のレッスンから‥‥。思うよ うに行かず最後は泣き出す。かわいそうではあるが、ある意味“思い知ったかぁ”というおやじの勝利感もある。
ゲレンデにいたのは実質3時間弱。娘 は結局ゆるい斜面を滑降できるまでであった。
リフトに乗れなかったのは残念だが、リフト代は浮いた!。
30年前の最新ファッションを1枚
‥‥ なんだりゃぁ?中東のテロ組織員みたいじぁ!雪上KARANO2
娘にとっては車のほとんどいなくなった駐車場での雪遊びが一番満足だったようである。

帰 りは鶏頂山から鬼怒川に出る。日も暮れる降雪状態の圧雪路。
すでにスリップで立ち往生の車数多。
KARANO号の真骨頂!である‥‥とい いたいが本当にこのスタッドレス大丈夫か?フル制動とステアリングテスト‥‥すべるなぁいい予感?
最 後の切り札。購入以来一度も実践していないデフロックをオン。
うう〜ん。この感覚!4WDだぁ!
単純に感動して、多くの車と逆の鬼怒川を 目指す。
ちょっと流れるけどいい感じ!
これだけのためにデフロック四駆を買ったようなものだ。ずっと走っていたかったが、麓に来ると道は シャーベットに変わってしまった。

帰宅したのは22時近く。終日雪のなかであった。
しかし、都心では日中は雨だったのか、積もっ てはいない。
ネオンが雪の中に輝く都会の夜も幻想的である。

走行470km。このコンディションでは流石無謀だったか。最後のほ うは動悸が激しく、エコノミー症候群になりそうだった。それにリフト代浮いた代わりに、せっせと逆ハ登りばっかりだったし‥‥
車もがんばったが、 おやじの心臓もよくがんばった!
久々のスノードライブを楽しめたおやじも満足であった。


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KARANOリフレッシュ その2

KARANO2週間前より擦り傷養生で入院していたKARANO号が戻ってきた。
板金だけでMR−4R/SEが買えてしまう金額を見積もられ、躊躇してしまっていたが、最終的には保険を使うことにした。
ついでに5年保証のボディコーティングも新調して、購入当時のピカピカKARANO号が復活した。
費用的には“メトロ D6”1台分で収まった。
う〜ん、これならなんか理由をつけて、歪んだバンパーと曇ったサイドブラインドモニターも新調できなかったかなぁと、ちょっと後悔。しかし、度を越した欲は身を滅ぼすとも言うし、それはまた予算と相談だ。
KARANO15年目を迎えて、スタッドレスもコンパウンドは今シーズン限りになりそうだが、今年は1回は雪を見に行きたいと思っているので、ユーロバイシスへの履き替えは春までお預け。
ナビソフトもスカイツリーがインプットされるまで我慢しようかなぁ。

今更ながらミニバンのランキングバナーに参画することにした。
イオン・IYの往復便ではネタもないのだが、KARANOリフレッシュ継続中。

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KARANO リフレッシュその1

昨年は自家用車を所有して以来、もっとも走行距離の少ない年であった。PRESAGE 3.5X-4 KARANO2
後半は病後の影響?もあるのか、運転中の“擦った”“擦られた(これは此方 のせいではないが)”を立て続けに起こしてしまった。駐車中の傷も含めると数箇所の生傷を負ったKARANO号である。
“傷は四区乗りの勲章!” というのは我がバイブルである。とはいえ、誰が見ても人工造物との接触としか思えない傷では“恥の上塗り”である。
そのほかにもサイドブラインド モニター不調。インテレキー(インテリジェントキー)不具合。ナビが荒野や河川を突き進む??‥‥8年前の地図ソフトなのだ。などなど不具合が多くなって きた。

いまや加速では2.5どころか2.0ワゴンにも抜かされてしまうKARANO号。エコカー全盛のご時世。ガス代と税金ばかり、かつてのバブルの名残(そんなに昔じぁないな)のように食いつぶす。3.5のエンブレムが何か老兵のように思えてむなしくなることもある。KARANO悲惨1KARANO悲惨2KARANO悲惨3
とはいえ、今 のところ自己の満足と家族のニーズを満たす車で、すぐにでも買い換えるべき候補もない。ロードクリアランスが最低(一般的にはそうでもないはずだが‥‥) なことを除けば別に不満もないお気に入りの車である。
このままほったらかしにしているのも何か後ろめたいものを感じる。これがケアの放棄となり、 車への愛着が一気にさめてしまうような危惧(まぁ、今もほとんど乗らなくなってしまったが)もあり、思い切って、気になるところを全て直すことにした。KARANO悲惨4

細 かい傷の補修とグラスコーティング、サイドモニター、インテレキー修理、そしてナビDVDの更新。どうせ今時はディラーでも閑古鳥が鳴いているだろうか ら、一括発注で安くならないかな〜との安易な考えもあった。
休みを利用してディーラーに行く。“閑古鳥が鳴いている”と思ったらすごい人出?。商 談席にも座れない状況。何で‥‥初売り??
結構待たされた挙句、出てきた暫定見積りが予算金額を遥かに上回る!!。べらぼうめ!、MR−4R SEどころかモールトンTSR9−SPでおつりがきてしまうよ。

以前は車の費用にこれくらい出すことにあまり抵抗はなかったのだが、ローンに教育費、医療費がPRESAGE 3.5X-4 KARANO重く圧し掛かる中で、今はチャリンコにせっせと貢いでいる。心にマニフェストを掲げても、財源が確保できない!‥‥子供手当もあてにできないし‥‥。

一括修理を断念し、財源が出る分だけ都度都度つぶ していくことにする。但し無責任な国の財政とは違い、我が家は赤字決算はできないのだ。

予想されていたことだが、インテレキーは単に電圧不足だったので電池交換で解決する。840円也。とりあえず簡単なものから着手。
あるとき選挙で自らが信じられない圧勝をしたからこんな羽目になった何処ぞの政党のオチみたいなものだが、あまり無茶すると、我が家の行政刷新担当に車ごと仕分けられてしまうので、第一弾はここまで。
んん〜シャコタン(どこがぁ?)、あと1.5インチくらいクリアランスがあると最高なのだが‥‥

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懐かしの迷車その2

2枚目の写真はボイジャー。ボイジャー
ミニバンのパイオニアといわれるダッジ・キャラバンのクライスラーブランドモデルである。
1997年にクライスラーボイジャーとして日本に導入される。
当時は日本では両サイドスライドドアの車は少なかったので、それを大きな売りにしていた。
2004年にGチェロキーの後がまとして中古で購入。2000年モデルのAWD・3.8Lモデル。実はこのとき購入を比較検討していたのが、皮肉にも、現愛車KARANO号であるプレサージュU31/4WD・3.5Lモデルである。
ボイジャーにしたのは、やはりアメ車に乗っていたかったことと、購入価格で新車のプレと150万以上の差があったこと。それにこのラムちゃんみたいな(うる星やつらでもアグネスでもないぞ)フェイスが気に入ったからである。
ショートタイプでコンパクトであったとはいえ、幅は1.95m、長さが4.8mある。これでミニバンなのだ。日本でフルサイズなんてえらそうに走っているFFワゴン車は、ミニですらないのだ。凡
とはいえ、中がめちゃ広いわけではない。エスティマとほとんど変わらない。フラットにするのには、シートをたたむのではなく、取り外すのだ。いかにもアメリカ的発想だ。日本じゃ外したシートはソファー代わりにするしかない。仮置きする場所なぞあるわけない。
エンジンはOHVのV6・3.8L。現在のボイジャーはロングモデルの3.8Lだが、当時ショートタイプで3.8L、しかも4WDだったのはこのモデルだけである。
流石にGチェロから乗り換えると、内装や装備のチープさは否めない。それでも今のプレサージュに乗り換えたときは、“ボイジャーってすごく高級だったんだぁ”と思ったくらいだから、プレの内装、何をか況やである。
国産車との決定的違いは、ボディをたたいたときの音、雨のしずくの音である。国産車って鉄板の厚みが半分以下じゃないかとおもうようなトタン屋根みたいな音である。もちろんそんなことはないが、あの叩いた時の手ごたえの違いは、本当に日本車に恐怖を覚える。然もあろう、やはり重たいのだ。ろくな装備もないのに、フル装備のエルグランドと同じくらいの車重! これをOHVで引っ張るのだから、好むと好まざるとにかかわらず、ゆったり走ろうになってしまう。
タイヤサイズは235/55−18が余裕のタイヤハウスと地上高。リアはダートも走れそうな板バネである。社外ホイールも思わずJWL−Tの4駆基準にしてしまったくらい。何度かダートも行ったが(普通ならそういう発想はない)このホイールベースと重量では身動き取れない。‥‥当たり前だな。

この車はトラブル続きで3年弱で手放すことになった。国産ミニバンもかなりサイズアップされ、装備も充実し、ボイジャーの優位性はすでになくなっていた。ダイムラーとの離別、クライスラーの破綻で、クライスラージャパンセールスも消滅した。ZG以来親しくしていた担当セールスも解雇され、クライスラーに何の未練もなくなった。
そして今のプレサージュを中古で購入。結局3年弱の遠回りだったともいえる。
短期間ではあったが、本家ミニバンのテイストを楽しませてくれた。修繕費はやたらかかったが‥‥。
残念ながら、現行のボイジャーでは買えるとしても買わないだろう。ボイジャーはやはりラムちゃん顔でなければだめなのだ。
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懐かしの迷車その1

デジカメが普及して以来、写真のアルバムがどこかへ消えてしまった。
捨ててはいないから、家のどこかにあるのだろうが、引越しの度に箱の底に沈んでしまっているのだろう。
何故か、印鑑や通帳と一緒に2枚の写真が入ってる。
現愛車、KARANO号プレサージュの先代である、“凡ぼやーじ号”ボイジャーと先々代である“グランドチョロQ”ことグランドチェロキーである。(ふつうそういうところに入っているなら妻子とかだよなぁ) zg40
ZGグランドチェロキー。1993年にクライスラーがエクスプローラーの対抗機種として投入した、チェロキーの上級グレードである。愛車となったのは96年モデル。円高と右ハンドル化で大ブレイクしたチェロキーに気をよくしたクライスラーが、日本仕様として投入した右ハンドルM・Cモデルである。
購入したのは4Lリミテッド。経済的理由とV8に右ハン仕様がなかったこと、それにこのコンパクト(パジェロより小さい)な車体にはL6・4L/195psで十分と判断したからだ。実際210psのZR−4からの乗り継ぎでもパワー不足は全く感じられなかった。
ただし装備とは裏腹に乗り心地は高級車とは言いがたいものだった。
購入後エアサスにして車高を上げたから、なおさらではあったが、それまでハードサス志向であった自分が、“ショックはふわふわがいい!”と180度志向転換させた功績はZGにあり、それは今のチャリンコライフにも反映されている。
まあ、乗り心地は別としても、見栄え的にはホテルのパーティに乗り付けて、そのままダートランに行っちゃう使い勝手がなんとも楽しい気分であった。
9年弱、約12万キロを乗った。キャンプ・登山・山岳林道ツアーと人生観を変えるような至極のひとときをくれた車であった。
手放した理由は、家族が増えて5人乗りでは足りなくなったことと、親が足腰をいためて高い車高の車に乗れなくなったこと。修理代その他の経費がかなり負荷になってしまったこと(足回りは結構がくがくになってしまっていたが、これは言い訳に過ぎない)。
手放した当時は、すでにグランドチェロキーは2代目WJ最終型となっていた。クライスラーは98年にダイムラークライスラーとなっていた。
このクライスラー時代のJEEPテイストを色濃く残す2代目WJは、歴代Gチェロの中でももっともトータルバランスのとれたモデルだったとおもう。オフロード性能では我がZGには大きく譲るものの、まだチューン次第ではクロカン車と立派に渡り合えるスペックを持っていた。3代目以降が、もはやJEEPの名を辱める無様な物になってしまったことを考えると、WJは最後の豪華版JEEPであった。今でももしGチェロキーを手にすることができるのなら、迷わずWJである。(残念ながらZGは基本設計が古すぎる)
このエコカー全盛の時代でも、相変わらず高級SUVが幅を利かせているが、デフロックすらついていない車がSUVを名乗るのは茶番である。しかも車高を落として超扁平タイヤ!。何考えてんだ。
はなからオフロードを考慮していないのだろうが、少なくとも何百万もするSUVを名乗るのなら、高級本皮シートでマッドボギンや丸太越えをかますくらいの気概と性能は失って欲しくないものである。


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KARANO復活

おっ!かかった、かかった‥‥
釣りではない。
本日、約80日ぶりに車を出す。
発病以来、運転を控えていたが、カミサンを仕事先に迎えに行くのに久々に車の出撃依頼を受ける。
職業ドライバーではないので、運転が解禁になったわけではないが、厳禁にされていたわけでもない。karano2
そろそろ自主規制も緩和したいところ。
退院後、1回は知人に運転させて20〜30km動かしたがそれから1ヶ月半以上経過している。
始動時に少し不安があったが、V6/3.5Lエンジンは何事もなかったように唸りを上げる。

久々のKARANO発進。
いきなり片道30kmは体調にちょいと不安がある。また、夜間走行ということはバッテリーにもちょいと不安がある。お守りのようにニトロとJAFの会員証を欠かさず携行。karano1
最初は感覚が変で、コーナーをオーバーしてしまったり、ブレーキを強く踏みすぎたり。
3ヶ月弱でここまでぼけるか、普通‥‥。でも久しぶりの車はうれしい。
夜のお供は娘と先日録音したエイジア。音楽だけは20有余年前から時が止まっている。

東京から埼玉の東の端まで、およそ1時間半。土曜の夜は結構混んでいる。karano4
予定時間を過ぎてしまってカミサンを待たせた。
帰りは、久々の外食。相変わらず動悸だけは激しいが、それ以外は普通の生活に戻った雰囲気。
帰路はR4号を南下。久々に車から見る都会の夜景は綺麗だ。
南千住から言問橋を通過。スカイツリーは車窓から上まで見えないくらい巨大になっていた。

ライト全灯、エアコン・カーステがんがんながら、帰りまで全く問題なし。
気温が高かったにしろ、寒冷地用大容量バッテリーの威力か。

本日の走行 72km
心臓ドキドキ!の久々ドライブだった。
また、枯野の清水運搬が復活する。このボディを焼いて楽器にしても、いい音でそうにないし‥‥?

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会津紀行 会津編 その3

感慨深い大塚山古墳をあとにして、飯盛山若松市内に入る。目的は飯盛山と鶴ヶ城。但し観光ではない。個人的な探し物である。大塚山から、飯盛山まではすぐである。混んでいるかと思ったが、あっさりいけてあっさりと駐車場にも入れた。飯盛山はあまりにも有名で、何度も訪れているのでいまさらではあるが、鳥羽伏見から函館戦争まで続く戊辰の役には敗者側で後世立身した者も多い。歴史は勝者の記述であり、敗者のことはいいように卑下され歪曲ささざえ堂れるものだが、これら生存者の恥を忍んだ伝承のおかげで今日敗者の思いを知ることが出来るのである。遠く会津の血を引くものとしては複雑な心境というところか。
毎度だが白虎隊士の墓に拝礼して順路を進む。実は飯盛山で最も興味があるのは白虎隊士の墓でも自刃の地でも、さざえ堂でもない。
戸の口洞門である。灌漑水路として作られた洞門で、戸ノ口原の合戦に敗れた白虎隊士中二番隊生存者が戸ノ口原よりこ洞門の洞門を通って飯盛山に退却したとあり、以前はかなり長い隧道だと思っていたが、実際は旧滝沢本陣の裏山から入るわずか150mほどの隧道であった。出口はあまりにも有名だが、入り口は意外と知られていない。一度入り口を見たかったのだが、今回も時間の都合で断念。飯盛山に来る楽しみはまだ残されることになった。
次に鶴ヶ城に向かう。バイパスは観光客の車で大渋滞だが、此方は市内の裏路地を進む。若松は典型的城下町で市内には太い一直線道路がない。狭い道ゆえ一方通行と交差点が多い。これをうまく利用すると渋滞なく城まで短期間に動ける。KARANO号が薩長軍でなくてよかったものだ。因みに会津では薩長軍を官軍と呼んではいけない。会津にとっては会津軍こそ真の勤皇、“官軍”なのである。会津に心鶴ヶ城堀さくらふぶきを寄せる孝明帝を死に追い遣った薩長と討幕派公家は明治帝を押し立てて、頑強な会津藩を賊軍にして一気に葬り去ろうとした。何故会津が頑強に抵抗したのか?そりゃそうだ、会津にとっては宿敵長州と裏切った薩摩こそ禁中から締め出すべき君側の奸だと思っているのだから‥‥
さて、城内の駐車場への一本道は大渋滞。容易に引き入れてはくれない。しかしここからすでに満開の桜が出迎えてくれている。風が吹くと桜吹雪の嵐だ。この時期にこれだけの桜を見られるのはやはり珍しいとのことだ。鶴ヶ城天守
会津鶴ヶ城。正式には若松城なのだが、地元の人は愛着を持って鶴ヶ城と呼ぶ。
もとは蘆名氏の黒川城で、伊達領を経て蒲生氏郷のときに7重の天守と現在の縄張りが完成する。
その後、上杉氏・加藤氏を経て現在の五層の天守となり、保科松平23万石の居城として幕末を迎える。もちろん今の天守は復元されたものだ。また現在も改修と復元工事が進んでいて、足場を組まれてしまっている。白亜の城の全容が見れないのはちょっと残念だ。鶴ヶ城天守2
鶴ヶ城は会津戦争での、薩長軍の大砲の猛攻に耐えたが、明治7年に政府により取り壊された。
熊本城と並んで幕末から明治の近代装備の戦争に巻き込まれた数少ない城郭である。熊本城は侵攻軍を跳ね除け、鶴ヶ城は降伏開城した。この結果を持って両城の城郭としての優劣をつけることがあるがそいつは違うだろう!
旧式武装で攻める1万3千の薩摩軍と農民兵とはいえ最新装備と近代訓練を施された4千の政府篭城軍の攻防に対し、旧式武装で守る4千の会津軍に対して、7万の兵力と最新武装の薩長軍の攻防である。しかも援軍を期待できる熊本篭城軍と孤立無援の会津軍である。1ヶ月間持ちこたえたことのほうが賞賛に値する。しかし1ヶ月も戦場と化した町民農民にはたまったものではないだろう。会津士族が美化される影で一般民衆の苦痛と恨みの声があったのも確かだ。
さてさて、そんな想いを寄せながらゆっくり城を見たかったのだが、今日東京に帰るので長居も出来ない。目的のみやげ物はここにもない。聞いてみるとかなり以前に問屋が取り扱いをやめてしまったとのことで、会津で入手することは困難らしい。この時期珍しい桜吹雪をバックに天守を撮影。早々に退却する。退却も追撃を受けないようスピーディーに裏道を通る。
娘は親類のうちでゲームをして遊んでいる。まだ歴史の話や火山の話をともに語る歳でもない。そのうち子供が歴史を理解し興味を持つようになったらゆっくりと史跡めぐりをしたいものだ。
帰りも渋滞を避け、大いびきの母子を乗せて夜の高速をひた走る。

今回の走行 1,173km
使用燃料   114.42L
燃費 10.25km/1L

スタッドレスを履いて峠越えもして荷物満載で驚異的燃費である。リッター10km越えは計測した中では最高である。往復の渋滞もなく高速も低料金で、総じてリーズナブルなベストドライブだったといえる。


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会津紀行 会津編 その2

大塚山古墳看板2

大塚山古墳看板翌日、再度会津盆地に。今日は会津の中心都市、若松まで足を延ばす。板下から若松まで磐越道で300円だ。今までは1時間半はたっぷり掛かった所要時間は1時間強に短縮された。若松ICより裏道を抜けて大塚山古墳へ行く。
大塚山古墳は会津盆地に北から岬のように迫り出した丘陵地の先端にある。前方部を望む大塚山前方部頂上今は霊園の中にあり古墳の麓まで墓地となっている。実は数年前に来ているのだが、夏の盛りで樹木が生い茂り、スズメバチがうようよ飛び回っていたのでびびって立ち入れなかった。今回はリベンジである。

かつては全長90m、2段構築の前方後円墳とされていたが、最近の調査で3段構築で全長114mの大型古墳で前方部から陪塚テラスから後円部あることが判明した。案内板の全長が手修正されているのが面白い。ここははっきりと前方後円墳とわかり、後円部には石棺のあとも残されている。横には大きなテラス(おしゃれだねぇ‥‥??)があり、前方部の先には陪塚もあった。

会津には大きな古墳が数基ある。東北地方としては早くからヤマトとの関係が発生していたようだ。書紀には四道将軍の話があり、北陸から来た建沼河別命(たけぬなかわわけ)と、太平洋側から遠征した大彦命(おおびこ)が会津で出会ったと記されている。真偽のほどは不明だが、出土する遺品などから人の移動の流れと一致するのだという。

大塚山より磐梯山を望む大塚山古墳から、霊峰磐梯を望む。この古墳が出来た当時は、磐梯山は2,500m級の単独峰だったという。磐梯とは天に届く岩のはしごという意味らしい。大同元年(806年)の大噴火により山頂を吹き飛ばし、沼の平を中心とした4連峰になったという。猪苗代湖もそのときに現在の形になったと伝えられているが、残念ながら学術的にはほぼ否定されている。その後の明治における世界噴火史に残る惨劇は特に有名である。被害者や研究者の証言も多く残されている。以前、劇場でダンテスピークをみたときに真っ先に思ったことは、この映画・この特撮を日本で、磐梯山でやってほしかったということだった。
明治の小磐梯の噴火で裏磐梯は美しい景勝地に変わったが、多大な犠牲とともに、会津藩を支えた鉱山も数十メートルの土石流に呑まれてしまった。宝の山は遥か土砂の下に消えてしまったことになる。



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会津紀行 会津編 その1

奥会津の親類の家をベースに会津亀が森看板盆地も散策する。と言っても若松の名所旧跡・喜多方や裏磐梯は毎年のように来ていたのでいまさらである。
今回の目的はやっぱり古墳である。
会津坂下という町のはずれに福島県最大の古墳がある。
亀ヶ森古墳。墳丘長127m、名取の雷神山に次いで東北第2位。4世紀後半の比較的初期の築造とされ、葺石で覆われた3段構築の大型亀が森後円部亀ヶ森古墳1前方後円墳である。周壕のことは書かれていないが、周囲の地形から大きな周壕の存在が見て取れる。
後円部に現在の参道があり、頂上には更に一段高い墳丘と、お寺とお社が並列して建っていた。後円部頂上
“ここ、鍵穴古墳じゃないよ”とカミサン。カミサンは前方後円墳を“鍵穴”と呼ぶ。いまどきこんな形の鍵穴はもうない。年がばれてしまうぞ‥‥。
確かに一見円墳である。もう一度全景をよくみる。神社の裏手に側溝と道路を挟んで小高い墓地がある。道路にて寸断されているがここが前方部らしい。
あらためて周堤位置と思われる外周道路から全景を撮る。亀ヶ森古墳全景2

入らない。裏手に回り前方部から撮影亀ヶ森古墳前方部より。やっと全景が収まった。やはり大きい。
亀ヶ森古墳に隣接してやや小型の古墳がある。
鎮守森古墳という前方後方墳だ。墳丘長55m。亀ヶ森同様周壕のあとが見受けられる。墳丘は比較的保たれているが、後方とはっきり認識できない。この一帯は過去に大きな水害に見舞われているらしく。古墳も変形したのかもしれない。頂上に小さな社があった。
鎮守森古墳会津というと、幕末。ちょっとマニアになると中世から戦国にかけての見所が豊富だが、結構古代史上も見所があるものだ。


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会津紀行 奥会津編その4

とはいっても、只見川の魅力が全てダムのそこに水没してしまっているわけではない。エメラルド色の川には鉄道橋を含む無数の橋と美しい情景がある。
話が飛ぶが、親戚の子にちょっとDVDでも見に行きたR252より第六鉄橋を望むいと誘ったら案内してくれたのがTUTAYAである。その距離およそ60km!首都高以上にすっ飛ばしても1時間は掛かる。因みに一番近いナショナルチェーンのCVSはファミリーマート。こことておよそ50km。50分近く掛かる。ちょっとコンビ二とはいい難い。でも大型複合ホームセンターのコメリはもっと近くにあるぞ。ここなら時速70km(地元では普通の流れの速度です!)で飛ばせば40分で着ける。自宅から船橋のららぽへ行くより早い。寄岩橋より只見線第八鉄橋を望む本名ダムから
このちょっとした買物の間に車中から眺められる景色は格別である。ららぽへの買物では絶対に味わえない!
特に只見線の鉄道橋はよく写真集にも載るくらいで、鉄道マニアの羨望の的らしい。子供のころは今ほど道や橋が整備されてなく、近道として鉄道橋を徒歩で渡った。いつか娘にも試練させてやりたいものだ。

今年は例年になく桜が長いそうだ。只見川の中流域に柳津町がある。柳津虚空蔵尊で有名なところだ。桜が満開で綺麗だったのでちょっと立ち寄る。
柳津さくらまんかい観月橋と虚空蔵尊
福満虚空藏尊圓藏寺。日本三大虚空藏尊の一つと言われ。只見川の渓谷に向かって建てられた景観は、四季折々の美しさがある。積雪と紅葉の時期に訪れたことはあったが、桜満開に出くわしたのは多分何十年ぶりだろう。国道を橋も景観とよくマッチしている(今は改修中で残念!)。
今でこそ景観工学が確立している時代だが、おそらくそんな言葉もない時代にこのルートや橋々を設計した偉人たちはどうすればこの美しい山河の景色と調和できるか頭をひねったのだと信じたい。
雪と桜と情緒と温泉!仕事の関係でゆっくり出来なかったのが非常に惜しまれる。

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会津紀行 奥会津編その3

親類の家をベースに更に只見川を下る只見駅
只見駅。奥会津の交通の要衝であり、数少ない只見線の有人駅である。停車する列車は上下合わせて1日7本!7時台の上りを逃したら14時まで待つことになる。3分〜4分毎に来る山手線に乗るために走る都会人の姿は茶番にすら思えてくる。

駅舎から少し離れたところに懐か現役の転車台しい転車台がある。否!懐かしくはない。今も現役なのである。観光シーズンにSL C11の特別列車が若松−只見間を1日1往復走る。折り返し駅の只見でSLが方向転換するためだ。今が丁度シーズンなのだがすでに時間が過ぎておりSLを見ることは出来なかった。(というより列車そのものに出くわすこと自体がラッキーと言える状況なのだが‥‥)只見駅看板

駅の観光案内に水久保城址水久保城址と言う案内があった。伊達政宗に敵対した山内氏の居城とある。上杉に後詰めされた難攻不落の要害は最後まで伊達の侵攻を跳ね除ける堅城だったようだ。以前はこんな綺麗な看板ではなかった。大河ドラマの力である。

只見の町外れで大きな支流である伊南川と合流した只見川は山間を北東に流れる。山間の川は岩場・急流・広い河川敷・清流と変化に富んでいる。伊南川はその 典型だが、本流只見川はどこで見ても深いエメラルド色の深い淀みが多い。只見川には“瀬”がないのだ。
只見川は電源開発の川であり、ちょっと瀬になりそうだなと思うと、次のダムになってしまうのだ。

本名ダム上田ダム宮下ダム

親類の家で地図を借りて眺める。上流から「奥只見」「大鳥」「田子倉」「只見」「滝」「本名」「上田」「宮下」「柳津」「片門」と大川に合流し阿賀野川になるまでに10基のダムがあった。部分的な境界も含めたわずか6町村の間にである。
地元の古老(と言っても初老くらいからか)に聞くと、この川も昔は清流でいたるところで川遊びが出来たそうだ。どこぞの政党みたいに何時も「だむ」を“逆様”にみているわけではないが、やはり清流を失った川は少しさびしい。

 

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会津紀行 奥会津編その2

再び小出に戻りR252を一路六十里越へ。途中女神の像、道の駅入広瀬で休憩を取る。鏡ヶ池の畔にあるこじんまりしたPAだ。洒落た食事処もあるのだが、奥只見で食べたばかりなのでまたの機会に‥‥。湖畔に池の名の由来である鏡を持った女神像があった。旧来の巫女調っぽい服装だが、顔はもろに西洋風!由来に書かれている物語もちょっと西洋風にアレンジされている感じだったが、その名の通り美しい池である。

県境の六十里越トンネルを抜けると、すぐ眼下にもうひとつの巨大人工湖、田子倉湖が見えてくる。この六十里越は大白川・田子倉間は人家もなく冬季は閉鎖となり、開通したのはほんの数日前である。只見の町に着く前に田子倉ダムで小休止する。
田子倉ダム下流を望む
田子倉ダム。昭和35年完成。ダム体積で全国2位・総貯水量全国3位・発電出力で奥只見についで2位。此方も日本屈指の巨大ダムである。眼下には、すぐ下流の只見ダムを見ることが出来るが、この巨大ダムから見るとまるで東武ワールドスクエアの世界である。田子倉ダムは只見の町からも目前に眺めることが出来るように、かつては集落の続く谷であったと言う。田子倉ダムにてその湖底には今もいくつもの集落が沈んでいる。また、奥只見ダムと違い、すぐ麓を国道が田子倉ダム通っており見上げるようなダムの威容を直前に見ることが出来る。
ここを見ていると例の佐藤浩市演じる赤い月の部隊長の脅迫は結構リアリティを感じたりする。

さて、ダムばかりでは面白みもないのでちょっと足を延ばして温泉へ行く。
只見の中心地から沼田街道を13km・15分ほど南下すると町営の温泉宿泊・休息施設“季の里 湯ら里”がある。宿泊のほかに入湯や食事だけでも立ち寄れる。連湯ら里休中なので結構混んでいる。温泉にどっぷり浸かったあと、遅い昼食にしようと思っていたが、昼時間を過ぎてレストランは閉店。流石公営!!軽食や喫茶くらいやっていてもいいのではないか?
結局食事処がなく、スーパーで弁当を買ってレンジでチンして車中で食事。安く上がったが大不況であった。


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会津紀行 奥会津編その1

GWを利用して親の実家である奥会津にいく。
連休の渋滞を回避すべく夜中に東京夜行を出発。
関越道を北上し小出から、つい先日積雪による冬季閉鎖が解除になったR252の六十里越峠を抜けることにした。
渋滞もなく塩沢石打SAで仮眠を取り朝を迎える。今年は平年より雪解けが遅い。越後の山々にもまだ残雪がかなり残っている。
久々のKARANO号長距離遠征である。この日を意識したわけではないが、今年はスタッドレスを履きっぱなしである。関越石打SA
すでに丸4年を迎えたスタッドレスは山があろうとなかろうと使用限界に達している。今年は履きつぶすつもりでいる。荷物のせいかノーマルなのにローダウンのように沈んだボディ。ただでさえホイールベースが長いのだ。せめて後方の四駆車(トゥアレグかなぁ)位のクリアランスがほしい。

会津入りの前に銀山湖に行ってシルバーライントンネルみる。娘に雪の山を見せたいし、レストハウスで朝食も取れる。
小出からR352湯之谷を経由してシルバーラインを通り奥只見ダムに。
シルバーライン、奥只見。どっかで聞いたような名前。そう、あの織田祐二のホワイトアウト(ケイト・ベッキンセールじゃないよ)の舞台となった奥遠和ダム・奥遠和シ奥只見ダムルバーラインのモデルがここである。十数km続くトンネルを越えていく、映画の設定どおりの秘境である。映画ではダムの撮影は黒四だった。諸々の理由からだろうが、ここまでやって奥只見ダムが使われなかったのは悔しいの一言である。

奥只見ダムの懐にあるレストハウスは今でも雪に覆われていた。レストハウスから少し登ったところに丸山スキー場を望むある丸山スキー場は、春休み前にオープンし、今もシーズン真っ盛りである。レストハウスの駐車場もほとんどがスキー・スノボの客である。若いころはGパンにトレーナーでよく滑りに来たものだ。

ダムに通じる遊歩道は雪の壁だった。雪解けの水にふきのとうがあちらこちらに顔を出している。“知ってるよ。天ぷらにするとおいしいやつ”と娘。こいつは食うことしか頭にダムへの道ないのか‥‥。

奥只見ダム。昭和36年完成。高さ157m・堰堤長475m(全国5位、重力式ダムとしては日本一)・貯水量601百万 m3(総貯水量としては2位‥‥最近徳山ダムに抜かれたが、この上位2ダムはダントツ双璧で他の追従を許していない)・発電所の出力56万kwは水力発電としては日本一。まあ、何をもって日本一とするのかによる奥只見ダム堤頂が、その規模からいえば奥只見ダムは日本屈指の巨大ダムであることは間違いない。建設の背景、雪に閉ざされた秘境故の難工事からも黒四と並ぶ双璧と思える。

土産にけんちん汁の缶詰を買う。ここのけんちん汁缶は最高である。最近は高速のSAなどでも売られているが、ここで買うことに意義がある!?看板
帰りも同じくシルバーラインを抜ける。関越トンネルと違い、此方のトンネルはスリル満点である。“赤い月”に襲撃される前に麓に戻れて一安心‥‥?


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滝山城攻略その2

捲土重来。滝山城攻略失敗の翌日。仕事が16時前に終わったので再度滝山城を攻める!
今回は城址の北側、多摩川沿いの運動公園の駐車場に車を停めて、そこから歩くことにする。
16号拝島橋の手前から運動公園への道に入り、一番奥の駐車場から歩くと本丸に続く遊歩道まで近そうだ。駐車場は自由に入れるようになっているので駐車場の利用滝山城5案内を見ると16時までになっていた。時間はすでに16時になる。それ以降は出口が施錠されるとのこと。これはまずい、時間までは調べなかった。ここから城郭を一回りすると1時間弱は掛かりそうなのでここも断念せざるを得ない。

滝山城6搦め手攻略失敗!流石堅城?

もうひとつの情報として、昨日最初に訪れた滝山城址下バス停の付近に民間駐車場があるとのことだった。結構探した挙句なんて事はない、昨日通行止めの手前Uターンした場所が駐車場だった。とにかくお金を払って停めさせてもらう。短期攻略で軍費を惜しんではいけない??

駐車場から坂を少し登るとすでに三の丸に着く。すでに深い空掘と土塁が囲んでいる。山城の素人にもかなりの規模の城郭であることが見て取れる。

三の丸のすぐ上に千畳敷という広場がある。ベンチなどもあり公園のような広場だ。当時は詰め所や櫓でもあったのだろうか。

滝山城8千畳敷を過ぎた当たりで堀に沿って道より外れてみる。この辺はちょうど二の丸の下に当たるのだろうか。堀と土塁が見事だ。いたるところに窪地がある。当時はため池だったらしい。水の手の確保も十分だったようだ。滝山城9

尾根を縦走する道にでて本丸を目指す。いよいよ中の丸と本丸を隔てる空掘に向かう。今は遊歩道の切通しのようになっている深い堀の上に橋があった。当時の橋を再現したものか? 縄張り 図にも橋が描かれている。橋の袂から一気に本丸へ攻め上る。 ついに本丸に到着! 広〜い。まだ残雪が残る本丸址に井戸があった。覗いてみるとかなり深い。 やはり水の手がネックとなる山城なのでかなり気を使っていたのだろう。当時の深さはわからないが、井戸の規模からするとかなりの水量を確保滝山城12できたのだろ う。

右手奥には滝山城跡の石碑があった滝山城11。本丸攻略成功である。ちょっとここで一服と思ったが、なんとタバコを車に忘れてきてしまった。まっ、いたるところに防火槽があるように山火事には注意を払っているようだし。祝いの一服は下山してからでもいい。

本丸の前方の小高い丘に社がある。どうも悪い癖かあの形を見ると前方後円滝山城10墳かと思ってしまう。どこからか子供の笑い声が聞こえる。社の裏手のほうか。社へ行って見る。霞神社と標されていた。とにかく参拝。まだ子供の声が聞こえる。裏手のようだ。裏へ回るとまた社がある。その横より多摩川(秋川か)を挟んだ昭島の市街地が見通せる。真下は急斜面で先ほどの運動公園となっていた。
滝山城13
そういえばいつの間にか子供の声が消えていた。5時に近づき夕暮れも迫っているのだが、家の中でもないので座敷わらしでもあるまい。
橋を渡り、中の丸から帰路に着く。途中にも桜の木が多数植えられていた。もうすぐ最高の季節を迎えるのだろう。城跡にはなぜか桜が多い。高遠城も何度か訪れたが桜が見事であった。古滝山城7城の桜は綺麗だ。過去に幾人もの血を吸っているからと言われるが、ここの桜はおそらく戦国からのものではあるまい。山の自然や風景、歴史や悲話などが見る人の感覚を覚醒してよりそう思わせるのだろう。

小一時間の散策であったが、夕暮れ近い時間とはいえ誰一人出会わなかった。もっと散策人がいると思ったのだが、勇んで攻め上ったが空城の計を食らった感じた。

関東屈指の大城郭と言われながら、武田信玄に落城寸前まで追い込まれたのを契機に八王子城にその役目を譲った滝山城。しかし短命に終わらせるには惜しい縄張りであったことは確かのようだった。

 


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滝山城攻略その1

週末にかけて八王子方面の仕事ができたので、合間をみて以前より行ってみたかった所にいくことにした。

滝山城址。

1521年に山内上杉氏によって築城された天然の要害だ。1559年に北条氏照の居城となり、大幅な改修が施されて関東屈指と言われる大規模要塞となった。1587年に氏照は八王子石神井城址城に本拠を移すとその役目を終えて、やがて廃城となる。
現在は自然公園となり丘陵の散策スポットになっている。

古墳ファンを自称しているが中世城郭も嫌いではない。昨年は石神井城址、一昨年は坂本城址を訪れた。滝山城も気になるスポットであった。

仕事の合間という条件で、時間は約90分。普通ならゆっくりと昼食をとってつぶす時間だ。現場から滝山自然公園までは約20分。散策に使える時間は50分程度。この50分で天然の要害を攻略しなければならない。
短期間に城を落とすために、最短ルートから攻めることにする。滝山城1滝山城址下バス停付近より三の丸・二の丸・中の丸と攻め上るルート。車でどこまでいけるかわからなかったが、どこかに駐車場でもあるだろうと行って見る。しかし、城址の案内板の道は細い路地で入るとすぐに車両通行止めになっていた。
周囲は農園とアパートで勝手に車を止められそうもないので断念。別の攻め口を探す。滝山街道を16号方面にしばらく行くとまた城址の案内板があった。徐行で素通りしながら見ると今度は道も少し太い。そこから行くことにして、引き返して再突入。

ナビの本丸址からはかなり離れているが、道は滝山城2本丸方面にどんどん上っていっている。いけそうだと期待している瞬間、道はいきなり未舗装となり畦道のようにになってしまう。車一台が藪にボディーを擦りながらやっと通れる程度。しかもまだ雪も残りすごい轍。直結四駆にスタッドレスを履いている。泥雪や急坂は苦にはしないが、この悪路にロングホイールベースはたまらん。もう限界というところにちょっとしたスペースがあったので端に停めさせてもらう。

ここから徒歩で登る。やはり山岳戦に騎馬は無理のようだ。しばらく歩くと尾根道に出た。周囲に雪のある遊歩道を歩く滝山城3と看板があるので見てみる。
この尾根道を行くと本丸址に行くようだが、どのくらい歩くのかわからない。時間もかなりたってしまったし車も心配だ。しばらく歩いて桜の群生林まできたが、仕事に戻れなくなると困るのでここで断念して撤退する。

流石に関東屈指と言われる城郭を、昼飯の時間で落とすなどとは天下人にも出来ないことだ‥‥
帰りもぼこぼこ腹を打ちながらふもとに下りる。こちら方面には滝山城4翌日以降も来るので次の機会に備えて情報をとることにする。

第一次滝山城攻略失敗!


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スカイタワー西東京

市ヶ谷の通信塔 何かと東京スカイツリーが気になりだした今日この頃。
いつも引き合いに出していた“田無タワー”ことスカイタワー西東京。たまに通る新青梅街道や所沢街道もタワーは素通りで、信号待ちのときに見上げるくらいしかなかった。しかし今回仕事で武蔵村山方面に行くことになったので、ちょうどいい機会に寄り道してみた。

“スカイタワー西東京”。HPの受売りではマルチメディアタワー認証第一号の多目的電波塔として1989年に完成した。運営会社は株式会社田無タワー。そう、地元民がそう呼び、自分も愛称のつもりで呼んでいた呼称は運営会社名だったのである。
高さ地上195m。吊橋主塔も含めた塔としては全国第6位、東京都では第3位の高さを誇る。

東京で3番目?1番は当然東京タワーの333m。では2番はと言うと意外なところにあった。市ヶ谷の防衛省内にある通信塔‥‥正式名は知らない。国家の最重要機密??なのだろう‥‥
青梅街道に抜けるためよく通る靖国通りからそれを見ることが出来る。確かに高いアンテナがあるなぁ程度にしか見ていなかったが、ランキング田無タワーをみて仰天。全国第5位、220mもあったとは‥‥早朝の靖国通りにちょっと車を停めてワンショット。機密漏洩にはならないよねぇ。因みに、帰りも通ったのだが気付かず通り越してしまったので、ライトアップはされていないのだろう。きっと灯火管制なのだ?

市ヶ谷より1時間弱で田無(今は西東京市だ)に着く。北原の交差点を過ぎるとそれはいきなり眼下に飛び込んでくる。今回は裏道に入って初めて田無タワーを目前で見た。スクエアながらどこか仏塔の相輪を思わせるような雰囲気だ。晴天に良く映える。

自分にとって、このタワーの魅力はむしろ夜のライトアップにある。東京タワーのライトアップも当然綺麗だが、東京タワーは周囲が明るすぎて、遠目には存在感が薄い。田無タワーは周囲に高い建物が少なく、平原の中に忽然と現れた仏塔のごとき存在感がある。その光はまさに光背のような広がりを見せる。(ほめすぎか‥‥)
朝とは打って変ってその日の夜は吹雪のように雪が舞う天候となった。
帰り道、朝とは反対側の裏道に車を停めて、雪の中で撮影。田無タワー3雪と相俟って幻想的であった。

そういえば田無タワーのライトアップは天気によって色が変わると言う話だったが晴れの日でも、曇りの日でも自分が見るのは紫のライティングである。今日は雪が降ってきたのにいつもの色だ。今は1色だけなのかと思い、帰宅後HPで確認。
カラーは3色。翌日午前の天気予測によりカラーが変わるとのこと。つまり今まで自分がライティングを見た日の翌日午前中は“晴れ”と言うことだったのだ。これは面白い趣向である。

田無タワーは電波鉄塔として工作物となっており、一般の展望設備もなく施設内の立ち入りも出来ない。(無料駐車場まであるのにねぇ‥‥貸し会議室用か)
HPのライブカメラの映像は、都心の高層展望台からの風景とはまた別の風情がある。これを肉眼で見られないのは残念だ。
すでに高さでは建造中の東京スカイツリーに抜かされており、全国7位となって入賞を逃してしまうことが確実になったが、これからも田無のシンボルとして、退屈な夜の青梅街道のビューポイントとしてドライバーを癒してもらいと思う。ライトアップ








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生産終了

愛車が受注終了となって1ヵ月がたつ。
新機種の情報もないのでいよいよとは思ってはいたが。
愛車が生産中止になるのは初めてではないし、乗っている間にフルチェンジしてしまうのもいつものこと。
だからどうと言う事もないが、後継モデルがないというのは残念な話しだ。
 
 今の世の中3.5Lのフルタイム4WDなど地球資源をばら撒き捨てる悪の権化なのだろうか。
660ccで25km/L走る車より3500ccで6.5km/L走る車のほうがはるかにエコである。‥‥ともいえる。家電は大型化していながらエコを争う。矛盾した現象。単に冷蔵庫も洗濯機もテレビも小さくすればいいだけの話とおなじ。エコを名目に車を小さくする奴が何故大きなテレビを買う?
 
 もっともガソリン代がばかばかしくなって自転車に走ったのも事実。環境と経済を考えるなら乗る回数を減らせばいいだけのこと。エコだから買い換えようという発想自体が資源の無駄遣いではないか。今の愛車が歴代所有車の中でもっとも月間走行距離が少ないのも現実だが、それでいて不便を感じるわけでもない。
 
 とにかく、絶版になるのは自分のステータスのひとつである希少性の助長にはなるので、マイナスではないということにしておこう。もともとこのグレードが同車の中でもっとも不人気なグレードだったのも確かなんだけど‥‥。
 話題性がなくなることを気にする必要もないし。もともとミニバンの中ではハブだったのだから、マイペースでこれからも頑張ってもらえればいい。ワンオフサスで車高UPして林道を走る夢は断念せざるを得なかったが(その分自転車に入れ込みすぎてしまったが)。
 
 ひねくれているのは、やはりどこかに寂しさがあるからかな…


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また、クレーム。ちょっとした怒り

またクレーム発生。
 Netにクレームの報告が載っていた。0905クレーム通知KARANO号も対象らしい。このごろ自動車税や都市計画税の徴収書が怖くて集合郵便受けに近づくのが怖いが、勇気を振り絞って自ら見にいく。来てる。
 ハガキが着ているのだから対照なのだろうが、一応確認。車体番号が対象になっている、それも上位に?。
 
 思わず怒りがこみ上げる。クレームやメーカーに対してではない。“なぜこの番号が宝くじの当選番号ではないのか”という怒りである。普段宝くじなど買わないが、前回のG・ジャンボは30枚も買ってしまった。しかも後の楽しみと当選照合をしたのはつい最近。全く的外れの番号にある意味納得しながら怒りを抑えた記憶も新しい。
 “このたびあなたのお車は見事クレームに当選いたしました。すぐにディーラーにおいでください。豪華な景品(無償修理)を差し上げます。”という感じだ。KARANO号になって2〜3回目だと思う。クレームは自動車の常。別に不安も驚きもないが、これがほんとに大王所有の快速船ならば管理の舎人は大王の怒りを買い死罪である。
 
 ま、とにかく中身を見る。吸気系の劣質部品の問題で、エンジン放熱で外れてエンストするという内容のもの。通知はエリア単位に送られるので、最も近い販売店からきた。
 いつも利用しているディーラーは別なので、問い合わせたところ部品がないといわれた。これはやむをえない。ハガキの送付先が優先されるだろう。そこでハガキの送付元に連絡する。ここでも同じ回答。えっ?どうゆうこと?
 
 自分の場合だけか、過去にも何回もクレーム連絡を受け取っているが、整備員不在だとか、対応予約がいっぱいだというディーラー側の都合で即応されなかったケースはあるが、部品がないからとウインカーポジションフォトいって2店舗で即応されなかったことは今までない。今度はメーカーに対するちょっとした怒り。ハガキ出しといてこうゆうことってあるのか。 私にとってはリコールそのものより、こうゆう体制のほうがはるかに問題だと思うが。
 これがほんとに大王所有の快速船ならば管理の舎人どころか関連者全員が大王の怒りを買い連座して死罪である。(つまらん事を繰り返すなぁ)          
                                                           
 とりあえず部品入荷まち。今日は雨で、昨日コラムポスト交換したTS―7のチョイノリに出かけられなかったので暇があったのだが残念。
 このところクルマに乗る機会が減り、出費が減ったなと喜んでいたが、KARANO号の小さいトラブルがちょくちょく発生karano a go!するようになった。クレームは別だろうが車も自転車もほどほどに乗らないと余計劣化するものとも言える。  
 家で音楽を聴けない身にとっては、車は唯一のオーディオルームであるから、たまには音楽を聴く目的でだけでも乗ったほうがいいみたいだ。
 まずクレームを修理してからの話だが。とりあえず雨がやんだのでTS−7で近所をうろうろしよう。 

 ちなみに以前から着けようと思っていたウインカーポジションがやっとついた。                                           
 
   
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4月19日 災難の日

 今日 初めて永久歯を抜くことになった。
人生80年というときに、40代で歯を抜くということに非常に抵抗があったが、土台がかけており修復不可能とのことで覚悟を決める。すでに2週間前から宣告されていたが、引き伸ばすと「オソロシ〜ィことになりますよぉ」と脅され泣く泣く予約をとっていた。この状態の歯が2本。とりあえず今日は1本目。
 気を紛らわすためカーショップに切れた超TERA6500のポジション球を買いに行く。1個でいいのに超TERAは2個ペア、しかも値段が8500円以上。以前はポイントでゲットしたため気にしていなかったがこんなに高かったのか。いまさらなので他のLEDバルブを見てみた。
 2個ペアで3000円くらいからあるが、さすがに超TERAの明るさと色合には及ばない。ふと見たらウインカーポジションキットなるものがあった。工賃を入れても超TERAより少し奮発するだけ。法的には既存の超TERAを断線しないとならないがどうせなら少し変わっていていいと思い取り付けを頼んだ。
 しかし日曜のせいか夕方になってしまうという。歯医者に間に合わなくなるので断念。とりあえずやすいオレンジのウェッジ球を当面のごまかしにと購入。
 
 帰宅して歯医者まで3時間あるのでバルブ交換と、タイヤ交換をする。
今年ははき潰そうと考えていたスタッドレスだが、急に気が変わり夏用タイヤに交換したくなった。(歯医者へいく恐怖への重圧からだな…苦笑)
 バルブ交換、これは簡単…のはずが、バルブコネクターを開けた瞬間、バルブがポロリ。レンズの中に落ちてしまった。ピンセットでも針金にガムテープを巻いても取れない。しょうがないからとりあえずレンズの中に入れっぱなしで新しいバルブを装着。反射板に傷がつかないことを祈る。
 まだ2時間あるのでタイヤ交換をする。?アルミ5年前までは年2回のタイヤ交換は必ず自分でやっていたが、現在の駐車場になって斜度がついているためか、一度ジャッキを倒してしまい、あわや大惨事になりかけた恐怖からショップに任せていたが、縁石を利用しお蔵入りしていた油圧ジャッキで再チャレンジ。何とか無事に終了。
 ところが付け替えたホイールに赤いペイントが……ふと痛みが走り気がついたら手が血だらけ。気張っていて気づかなかったが爪が割れてかなり出血していた。とにかく手を荒い消毒。いてぇ。
 とんだ災難だが時間が来たのでとりあえず歯医者へ……
「今日は体調は大丈夫ですか」といわれたので手を見せる。「あら、痛そうね」とひと言。かわいい顔してこの先生やる気だ。まぁ美人先生ならいいかと思いきや、すぐに男先生にチェンジ。「やぁ来たね」、この先生この間脅かされた先生じゃないか……。もはやこれまで。覚悟を決める。
 
 抜歯自体は麻酔でおこなうので痛みはない。ただ上の歯をがりがりやるので頭には響く。歯が抜かれたくないと最期の抵抗を試みているようで、なんともやるせない。
 抜けてみると歯はすでに粉々。元々割れているので抜くことになったのだが、子供の乳歯と違い血みどろの歯の残骸を後生大事に持ち帰る気にもならなかった。後もう1本同じ症状で抜かなければならないのかと思うと泣けてくる。
 
 明日への希望として、とりあえずショップで見たウインカーポジションキットを近々つけてもらうか……。そのときついでにレンズの底の切れた超TERAバルブを取ってもらおう。
 などと、他人様からは全くどうでもいいようなことを止め処もなく、抜歯の痛みをこらえながらいま綴っている。

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桃源郷ヘ行く

 桜の花見を逃したので、山梨の桃源郷へ桃の花見のドライブにいく。
高速料金が最大1,000円となって3回目の週末だが、高速はまたまた渋滞。
 元々渋滞が予想されたので、首都高からおりて一般道を津久井湖経由で相模湖から中央道に乗る。途中の一般道は通常よりすいているくらいだ。談合坂まで3時間弱。調布→相模湖渋滞案内と比較してむしろ若干早いくらいか。安くなるより渋滞が増えるほうがサンデードライバー桃源郷の自分としては困る。
 途中で昼食をとって、笛吹市御坂桃源郷についたのは午後1時半。気温が高く、美しい八ヶ岳連峰・南アルプスの山岳はほとんど見えなかった。残念。

 桃の花はちょうど満開に近くこれはよかった。桜も終盤とはいえまだ少し残っていて両方を何とか楽しめた。公園自体は思ったよりこじんまりしていて、何よりすいていた。あまりメジャーではないのか。
 花見をした後広場で娘とキャッチボール等で遊ぶ。自分としてはここまできたら同市内の銚子塚古墳と考古博物館を見学したかったが時間もなく断念。高速代値下げがなければたぶん行く時間があったかと思うと余計腹立つ。
 それでも、我がKARANO号としては久々の遠出karano09である。すいている一般道と混んでいてスピードの出ない高速のためか、燃費はとてもよく8Km/Lは走ってくれた。
 久々に写真を撮った。この時期になっても履きっぱなしのふわふわスタッドレス。来期はスタッドレスとしては使えないとタイヤ屋から宣告されているのでとにかく履き潰す。まだ8分山が残っているのだが。やはりスタッドレスでの峠道や高速カーブ等はすこし辛かった。
 
 今後このまま高速の渋滞が続いたらまたまた遠出が遠のいてしまう。この次は御殿場に遊びに行くことを家族に約束はしたが、またまた下道ドライブになるのか。それはそれでまたいいのだが。

 
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プレサージュ

 レオーネRX?レオーネRX2・エテルナZR4・グランドチェロキーLTD・ボイジャー3.8AWDと乗り継ぎ現在の車に至る。レオーネ以来車選択の必須条件が4WDとなった。だから現車両もごく普通のミニバンながらデフロック付4WDである。
 
 通常使用に4WDが必要かと問われればNOである。エテルナZR4また生活四駆に3.5Lが必要かといわれれば、これまたNOである。逆に必要性が少ない故に自分にとってある意味贅沢なステータスのようなものなのである。
 
 クロスカントリー車に4WDは当たり前。らしくグランドチェロキーない車でダート走行や沢渡りをするのが楽しみの一つであった。
ボイジャー3.8AWD 歴代の車はほぼ一目惚れだが、今の車は購入時にかなり迷った。アメ車三昧が長かったので、なんとなくチープになってしまうような感覚、登録台数も歴代車が月間2ケタか精々3ケタ。良し悪しは別として希少感があったが今回はごく一般に売れている車。
 何よりもノーマルでこの腹の擦りそうな地上高はなんだ。アプローチもデパーチャーも無視した純正バンパー!ボイジャーよりひどい!
 しかしこのスタイリングは魅力的だ。室内高も高からず低からず。カーゴスペースもミドルクラスバンとしてはそこそこ広い。
 何よりもデフロック付の3.5L4WDは貴重である。どうしても地上高に不満ならサスペンションを替えて上げればいい。コックピットのデザインもシンプルいい。素材がチープで質感はなさ過ぎるが、安く買って贅沢にカスタマイズしようと中古を探し購入した。年甲斐もなく18インチホイル・レザーシートカバー・フリップダウンモニター・55wHIDなど装備した。karano

 さすがに3.5Lは速い。これがCVTなのだから驚きだ。一昔前のスポーツカー並だ。当初はアメ車独特の大雑把な走りに対して几帳面さが逆に違和感があったが、徐々に几帳面さにもなじんできた。日本車の中では案外大雑把なほうなのかもしれない。
 歴代の車にはみな愛称をつけたが、この車?モニターはKARANOにした。最近は車に乗る機会も減り、3.5L 4WDの実力を発揮することもなくなってしまった。その代わりすっかり我が家の風景になり、肩を張らずに自然に乗っている。KARANOはいつも我が家とスーパーを往復し、ペットボトルの飲料水を我が家に満たしてくれている。karano fuji gyoukou
それでも心のどこかではこの車で山岳ツアーなどやってみたいと思ったりしている。 

写真追加。但しレオーネからチェロキーまでは残存するパンフのみ。つい最近まで我が家にはデジカメというものが存在していなかった。KARANOのテールには、恐れ多くもかの名車ARX−FOURのエンブレムをいただいた。ステージアの絶版は惜しまれる。






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livedoor プロフィール
愛車紹介
1.PRESAGE U31
愛称KARANO号
  :いまや歴史遺産となりつつある3.5L/フルタイム四駆。最近は金欠でタコメーターしか見なくなった我が家の軌道空母。2002年モデル。
2.MR−4
  :GIANTのロングセラーフォールディングバイク。リアドライブ・ミッドシップエンジン搭載??のコンパクトスポーツ。2010年モデル。

3.SOMA SAGA『嵯峨』
  :米国ソーマファブリケーションズのツーリングフレームに格安パーツを買いあさって組み付けたクロモリツーリングバイク。年式不明

4.トランジットセブン
  :今は娘の愛用となっている、BSの20インチフォールディングバイク。オヤジにサイクリングすることと、カスタムすることの両方の楽しさを教えてくれた逸材。2007年モデル。
  
5.ALPENCHALLENGE   AC02
  :レーサー志向の本格バイクを投入する『BMC』の珍しい26インチアルミバイク。ストックパーツを再編成して復活した我が家の最軽量クロスバイク。2011年FC前モデル。  
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