KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

自転車

奥多摩再び 下つ巻

川野ロープウェイ三頭山口駅跡を後にして、再びダム堰堤に戻る。ダムが見えない堰堤の下
ダム堰堤の真下を見ると、発電所に続く道がある。発電所は当然立ち入り禁止だろうが、近くまで行けば、ダムを直下から見上げられると思い、国道から下に下りる道を下る。
ところが坂を下りきったところでゲートに遮られる。あと100mほどで道が曲がっており、その先からは、見上げるようなダムの全容が見えるはずである。


道所橋?青梅古道念だが反転。だが道は川伝いにつながっている。これはダムができる前の青梅街道で、今は『むかし道』と呼ばれているらしい
道は舗装路だが、かなり荒れている
しばらく進むと吊橋発見。道所橋という橋だ。





惣岳渓谷道所橋2ても東京都とは思えない風情である。この辺りの深い谷は惣岳渓谷というそうだ。自転車で走れる自体超掘り出しコースである。







『む縁結びのお地蔵さま馬頭観音かし道には』ところどころに小さな道しるべがある。
『馬頭観音立像』や『縁結び地蔵』など、昔よりこの周辺の住民に信仰されていたもののようだ。







しば惣岳渓谷しだくら橋らく行くと第二の吊り橋があった。こちらはさらに長い橋で定員3名。しだくら橋と書かれている。下は淵となっている。
この辺のむかし道は沿道に民家もあり生活道路になっている。軽車両が時折往来する。





不動堂惣岳不動尊らに少し進むと山の中腹に不動堂があった。『惣岳不動尊』。明治10年に成田不動尊を勧請・祭祀したのが始まりとある。
ここは関東36不動霊場出はなさそうだが、ここで不動尊を見つけたのも、お不動さまのお導きかも知れない。
のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん‥‥




未舗装路になった水根貨物線廃線跡の先、むかし道の生活道路部分は国道に合流する。むかし道のすぐ上を現在の青梅街道、その遥か上の水根貨物船のコンクリート橋が見える。
この先旧道は未舗装になる。距離はわずかとわかっているのでそのまま進む。グラベルも対応するタイヤなので気にせず走れる。





道は今でも生きているよう国道の上上りだ。国道と交差するところがあるが、てっきり国道の橋の下を抜けるものと思っていたら、国道トンネルの上だった。
再び道が舗装になると、再び遥か上に水根貨物船の鉄橋が見えた。
残念ながら、あそこを車両が走ることはもうないだろう。
これも歴史遺産といえる。




map1どなく国道と合流。青梅までささやかな幸せに酔う。(上りも結構あったけど)

本日の走行 74.1km


map2




map3




帰りにへそまんじゅうへそまんじゅうをお土産に購入した。




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奥多摩再び 上つ巻

台風青梅街道を奥多摩へ奥多摩大橋5号がもたらす前線によって不安定な天気が続く土曜日。
先週の続き、再び奥多摩にリトライ。先週は思わね天のシャワーを浴びたため、此度は用意周到、雨具一式を備えての出陣である。
今回はベースを東青梅まで前進させた。今回も仕事の都合で輪行でなくカートランポである。
先週来ているので今回は青梅街道を上りに使う。



白丸ダム発点東青梅から、奥多摩駅入り口までは21.3km、平均斜度0.7度。頑張らない走りを心がければ余裕のあるる行程だ。せっかくだからトンネルを抜けずに横の旧道を走る。白丸トンネルの旧道にある『白丸ダム』。発電用ダムだが、管理運営しているのは『東京都交通局』。まさか都電や都営地下鉄の電気をここで賄っているわけではあるまい?。






近代的消防署週は日原だったので、今週は奥多摩湖に向かう。
奥多摩駅は今回素通りで進むと市街の外れに、およそ付近の景観に合わない近代的建物。これは消防署だな。前回ここを通ったのは2014年。いつできたんだ?
奥多摩は通常の消防・救急より山岳・水難事故や捜索などのほうが圧倒的に多いだろうから、ここの隊員さんたちは国際救助隊並みにいろんなことをしなけらばならないのだろう。




素掘のまま梅街道は国道になってからかなり整備が進んだが、今でも素掘りにコンクリートを吹きかけた、昔の地方道のようなトンネルが残っている。
自転車で走っていると少し怖い(安全上です!)ところもあるが、ちょっとスリリングで近郊サイクリングとは違う雰囲気を味わえる。





副ダム川の日原街道入口交差点から、小河内ダムサイトまでは5.9km、標高差196m、平均斜度3.3度である。3年前に来た時は奥多摩駅からダムサイトまでタクシーで行った。
ビルの4階まで駆け上がれた当時と3階で必ず小休止する現在、では体力的にもかなりの差があるはずだが、軟弱に徹していたら、近辺では感動するコースがなくなってしまっている。副ダムが見える地点に到達。最後の約600mが斜度が5度強と最もきつい。




水根廃線ガード跡根貨物線終着駅『水根駅』手前のガード。以前も触れたが、もし水根貨物線の旅客線化が実現していたら、ホリデー快速の終着駅はここになっていたかもしれない。







自転車ゆりーと像小河内ダム本堤多摩湖畔の『水と緑のふれあい館』に到着。起工から76年、完成から丸60年になる小河内ダムの堰堤が、今なおその巨大な威容を保ち続けている。
ふれあい館前にあるオブジェ。『自転車ゆりーと像』。『ゆりーと』とは2013年の第68回国体・東京大会のマスコット。いわゆる『ゆるキャラ』である。八王子〜奥多摩湖畔までのロードレース開催を記念してつくられたようだ。



ドラム缶橋渡れない峰谷橋回はさらに奥多摩湖の奥に進む。
奥多摩湖に架かる橋で一番下にある峰谷橋を渡る。
湖の中央に突き出した小河内神社の峰に続く尾根をトンネルで抜けると、『ドラム缶橋』がある。橋の上で記念撮影するために立ち寄るが、あれ、両端がなくなっている。
残念ながら水量不足により通行止めとなっていた。今は樹脂のフロートになりちょっと風情がなくなってしまったが、やはり昔ながらのドラム缶橋と呼んだ方が愛着がある。

さて川野ロープウェイ川野駅付近の支柱川野トンネル、今回の奥多摩湖のポイントは『もう一つの廃線跡』を見ること。
かつては奥多摩湖の両岸を結ぶ、東京都で唯一の観光用ロープウエイが存在した。『川野ロープウェイ』といい、川野駅と対岸の三頭山口駅を、2基のゴンドラで結んでいた。営業期間は短く、経営不振で運休となり、その後運営会社が自然消滅。現在は所有者不明となっている。
川野トンネルの手前を左に曲がると当時の支柱とケーブルがそのまま残されている。
トンネルを出て右側から川野駅に上る道があるが、入口のところにある売店の女将曰く、私有地なので立ち入り禁止とのこと。行くまでの道が私道ということか?。まあ廃線マニアでも心霊マニアでもないから警告を無視してまで見に行く気もない。教えていただいたお礼をして引き返し、最終目的地、ロープウェイの対岸駅『三頭山口駅』に向かう。
『三三頭山口支柱深山橋と三頭橋頭山口駅』は奥多摩周遊道路の旧料金所の上にある。奥多摩周遊道路へはロープウエイのすぐ上流の深山橋と三頭橋を渡る。観光道路としての奥多摩周遊道路(当時は奥多摩有料道路)ができたことにより、経営不振になっとことは皮肉である。
旧料金所に隣接する川野駐車場に右岸側の支柱がある。





川野ロープウェイ三頭山口駅川野ロープウェイ三頭山口駅入口車橋から50mほど歩いたところにある石段を登ると、すぐ廃墟と化した駅舎が見えてくる。階段の先に見えるのは怖いものではなく、本物の人間である。心霊スポットとしてかなり有名で、アクセスもいいことから見物人が始終来ているようだ。





川野ロープウェイ三頭山口駅2三頭山口駅の破損はひどく、まさに廃墟マニア・心霊マニアの恰好の獲物である。
先にライダーのあんちゃん3人が潜入している。人がいるせいか、霊感オンチなのか、怖さや何かを感じるということはない。どちらかというと周囲の木々の陰から、ディロフォザウルスやブラキュラプトルでも出てきそうな雰囲気だ。
そしてオヤジの真の恐怖は全く別のところにある。石段の切れ目まで、ガラス片の飛び散った泥化した急斜面を、ほとんどグリップしないビンディングシューズで下りること。無事に下りられてほっとしたが、転んで怪我でもしたら本当に霊魂の仕業にされてしまうところだ。




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日原納涼‥‥

梅雨が明け、猛暑日とゲリラ異常豪雨の続く毎日。
涼を求めに今回は山に行く。
スカイタワー今日は隅田川花火の日日は、ベースキャンプとなる拝島駅までを車とした。
両国橋は歩道にネットが張られている。今日は隅田川花火大会の日だ。帰りに足止めを食らう可能性もある。
新青梅に入り西東京市の象徴??であるスカイタワー西東京を抜けて拝島に向かう。





車を友田水管橋羽村取水堰拝島の事業所におかせてもらい起点として出発。奥多摩街道で羽村取水堰を通過し、多摩川に掛かる友田水管橋を渡る。このルートは何度か通っているが、上流に向けて走るのは初めて。






櫛かんざし美術館ラフティング山街道を経由して多摩川右岸の奥多摩街道を通り、古里で青梅街道に合流する。
途中には『吉川英治記念館(夏季休館中)』や『櫛かんざし美術館』などがあったり、眼下の多摩川にはラフティングエリアなどがあったりする。





友田プチ山岳ツアー?御岳口管橋から、途中の御岳山口の鳥居まで13.2km。地形により下りもあるが、ほぼ緩やかな上りである。平均勾配0.8度。ならしたローディさんなら何でもない道だが、地下鉄の階段も上れない親父としては、体力温存のためママチャリおばちゃんの買い物ペースでゆっくり進む。
しかし朝市の限定特価品目当てに行くときのママチャリおばちゃんはロードレーサーより速いけど‥‥。
天候は曇りで、気温が比較的低いのはありがたいが、目指す奥多摩方面は「降っています」といわんばかりの厚く低い雲。降ってもにわか雨という予報を信じて進行。
奥多摩町に入ると山並みは深くなる、やはりただ下るだけと違い徐々に上っていく感慨はある。まぁ、ぺースが遅い分よそ見する余裕はあるし、その都度停まれば休憩にもなる。

奥多摩駅多摩駅に到着。今まではここが起点だったが、今回は中継地である。ここで飲料補給。
周囲にごみ箱がないので店内で飲料を買い飲みきったぺットボトルを引き取ってもらう。サイクリストは文字通り、飲食後のごみを処分しないと、新たな食料も飲料も補給できない。
店主曰く、店頭にごみ箱を置くとマナーのない観光客がごみをすべてまとめて捨てていってしまい、分別処理の負荷がかかりすぎるためだという。状況をイメージするに難くないが、現地調達・現地廃棄が原則のツーリングには頭の痛い話でもある。
せめてマナーは守ってもらいたいものである。


巨大な工場多摩駅から日原方面に進むと、やや勾配のきつい上り坂が1.8kmほど続く。平均斜度3.1度。居酒屋のカシスオレンジ程度だ。酒が全然苦手な親父でも何とか2〜3杯はいける。
奥多摩駅を過ぎるとすぐに街の上の中腹に、何かジブリのアニメに出てくるような巨大な構築物群が見える。調べてみると『奥多摩工業株式会社氷川工場』。『跡』ではなく、現役稼働施設である。
鍾乳洞があるくらいだから、奥多摩には石灰岩層が広く分布しているのだろう。日原方面には何十年も来ていないから忘れてしまっていた。



3.1度を飲み切る(もとい、登り切る)と、そ何の橋吊り橋こから斜度0.9度の平坦路がしばらく続く。左手に見えてきた吊り橋のところで小休止。
つり橋から先に道が続いているが、上の集落までつながっているようだ。谷は結構深く、ビルの3〜4階の高さはありそうだ。
つり橋から上流側のかなり高い部分に鉄橋が見えた。




トロッコ橋た廃線跡かと思ったが、何と現役の石灰輸送軌道であった。
免許取ったころ日原に来たときは、採掘場の中を通って細い道を通った記憶がある。2回目に来た時はきれいなトンネルになっていた。あの採掘場は今も現役で、採掘された石灰岩はこの軌道で先ほどのジブリの工場に運ばれて行くようだ。
車で何回か来ていながら発見できなかった(見つけていても関心がなかったか‥‥)ものが再発見できるのも自転車の醍醐味である。




日原トンネル日原渓谷ロッコ橋を過ぎると道は再び上り坂になる。
吊り橋あたりから懸念していた雨が降り出した。林の中ではあまりひどくなかったが、山腹に出ると結構降ってる。しかも坂は先ほどよりきつく、トンネル手前では遂にローマックスとなってしまった。
1.1kmの日原トンネルは結構きつい上がり坂である。トンネルなので斜度もわからず、曲がっていて出口もわからないまま永遠と同じ角度を上り続ける感じである。
但し今回は、苦しんだ分、帰路では同等の幸せを保証されているようなものなので、モチベーションは上がる。撮影で止まる以外の挫折は全くなかった。
日原の集落につくと再び平坦路になる。トロッコ鉄橋から日原集落まで4.5km。平均斜度4.7度。ビール並だ。下戸は1杯でダメになる。

燕岩?籠岩?入口乳洞を見ているうちに雨が収まるのを期待して見学申し込みをする。
鍾乳洞入口から望める1枚岩(籠岩?・燕岩?)の巨壁が圧巻である。







大ホール1狭い通路入る。1枚薄いパーカーを持っていたが、全身スブ濡れの体に冷気が容赦なく襲い掛かる。納涼どころか熱でそう!
日原鍾乳洞は何度か来ているし、ネット等で紹介もされているので割愛するが、前回まではこんな明るいLEDライトアップなんてなかったよ。自分で強力なライトをもちこんで見えないところを照らしてみたもんだ。




案内板はり新洞iphoneになって今までのカメラより画質がきれいになったので、結構いい写真がとれるようになった。
七色の大ホールはあまりにも有名だが、この新洞上りの頂上付近から下を見る光景も圧巻である。
龍泉洞の美しさ、あぶくま洞のスケールには及ばないかもしれないが、やはり東京が世界に誇れる遺産である。



雨がどおしようもない収まる期待もむなしく、外に出たら土砂降りの本降りであった。雨の日は乗らないというより俺が乗る日は雨は降ってはいけないという考えなので雨具はあまり持ち歩かない。売店でカッパを聞いたがないとのことなので、肉うどんで暖をとって、天に制裁を与えるべくずぶぬれ走行を決行する。
予想通り帰路はただただブレーキをかけるのみ。好天ならどんなに気持ちがよかったか‥‥これが俺が求めた幸せか!
唯一予測が当たったとしたら、氷川の街に近づくにつれ小雨になってきたということだ。案の定、鳩ノ巣辺りで雨はやんだ。鳩ノ巣から青梅までも大方は緩い下りになっている。わずかの間、ささやかな幸せが訪れるはずだったが、道路が乾いてきたにもかかわらず、自分だけは雨の中を走り続けていた。靴の中は池状態で、ヘルメットから絶えず雨水が顔に飛び散り、いつまでもメガネに水滴が残った。


神輿山車路は青梅街道で青梅市内を通り、再び滝山街道・奥多摩街道で拝島に戻る。福生で夏祭りの山車や神輿に遭遇した。
やっぱ夏である。神輿の掛け声がなぜか「ふっさぁ」「ふっさぁ」と聞こえるのは気のせいか‥‥。






日原島で車に戻ったころからまた雨が降り出した。
本日の走行92km
やはり甘く見ないでカッパとリュックカバーは携行すべきである。
悔しいのは、雨も予想したが、対応は『濡れたら温泉はいる』という安易さでシャツ・パンツとタオルは予備を持参していたことである。結局靴と靴下の替えを持ってきていなかったので温泉も断念せざるを得なかった。


PS
平地に来てから、ブレーキの利きが悪くなっている事に気付く。雨のせいだと思っていたが、ブレーキのパットがかなりなくなっていた。ベローチェ+アシマ怖い‥‥
最後まで取れないメガネの水滴は飛蚊症だったことが判明??そういえばいつの間にか増えていた‥‥

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海が見たい

初夏を通りこして、既に真夏の様相を呈している空梅雨の土曜日。
恐怖の行徳橋度のことだが、この時期海が見たくなり九十九里を目指す。
今までの、車で行ってベースを起点にするのではなく直接家からの往復にする。
検索での予定走行138km。

往路は御成街道をベースにするため、京葉道路から江戸川水閘門・行徳橋を渡り船橋に抜ける。
本日最初の難関行徳橋。架け替えが進んでいると聞いていたが、まだ桁の一部ができているだけだった。
歩道が狭くすれ違いに難儀するので、車の切れ目を図って、一気に車道で渡る。
土曜日朝で車も少なくゆっくりと渡れた。

花見川度か通っているとタカをくくり、ナビなしで走ったため、御成街道に入るまでに、船橋・習志野で迷走する。
津田沼から、大久保を抜けて御成街道に入る。







御茶屋御殿跡滞の四街道を越え、定石通り自衛隊横を通ればいいものを、横着したら、また迷走。無駄な遠回りをした後、再び御成街道に入る。佐倉街道から先の御成街道は、起伏が多く、道が細くて悪い昔ながらの道の印象が強いが、市街地化により整備が進んでいる。
市街地を抜け、埃っぽい畑と林が混在する長閑な風景に替わると『御茶屋御殿跡』の看板。家康のお鷹狩りの休息場としてつくられた借り屋敷で、井戸や土塁が残されている。




OXエンジニアリング道の時は気付かなかったが、『OXエンジニアリング』を発見。千葉の校外とは聞いていたがここにあったのか。
ミニベロの名車『ガゼル』のカスタムメーカーである。但しミニベロでいえば『ガゼル』より『ピコ』が有名。しかし主力商品はカスタムメイドや競技用の車いす。最近よく見る犬用車いすも造っている。






ニチレイレディズやってますの辺まで来ると、車も少ない長閑な田舎道だが、今日は観光バスに大型セダンや外車がやたら走っている。ところどころ警備員もいる。
そういえば途中に「袖ヶ浦CC」があったのだ。なんで袖ヶ浦と全然違うところに『袖ヶ浦』なんだという突っ込みは別として、今日はニチレイレディズの中日であった。





御成街道跡康の命により敷かれた御成街道(当時はそう呼んではいなかっただろう)は起点の船橋から東金までほぼ直線的に敷かれ、そのかなりの部分は現在も一般道として使われているが、時代の流れとともに道が変わり、寸断され現在ではその痕跡を見ることもできなところもある。
千葉市山王町周辺・東金市周辺とこの八街市沖地区である。沖地区に入ると斜めに突っ切る直線道は消失し、区画整理された、碁盤の目状の道に替わっている。今は全く痕跡のない道端に斜めに建てられた看板だけが当時を知る目印になっている。



雄蛇が池雄蛇が池一のポイント『雄蛇が池』に到着。金山トンネル・観音隧道と並び、千葉県でも五指に入る心霊スポットだが、昼は自然豊かなバス釣りスポットでもある。トイレ休憩も兼ねて立ち寄るが、確かにここのトイレには夜は近寄りたくない。
前回はここから東金市街までで前進を断念、反転帰投となったが、今回は海を目指してさらに前進する。



不動堂蛇が池からまたしても迷走して不動堂海岸まで14km。
やってきました九十九里浜。
しかしこの砂!。自転車を端に停めることもできず、ビンディングシューズに砂が入るのも嫌なので、ここで海を望むことは断念。
ここから、折り返し予定地点の『サンライズ九十九里』まではあとわずか。




智恵子抄の碑智恵子抄の碑ンライズ九十九里の手前に『智恵子抄の碑』というものがあるので寄ってみる。
文学にはトンと興味ないオヤジであるから高村智恵子が療養のためこの地にいたというのは初めて知った。
実際この場所に智恵子のいた別荘があったわけじゃないだろうが、車だと事前調査をしなければ見逃してしまうようなポイントである。
‥‥自転車立てかけてごめんなさい。‥‥


サンライズ九十九里っと到着。今回の目的地、「千葉のマリーナベイサンズ」??(‥‥といわれているかは不明)『サンライズ九十九里』。
屋上にプールはないが、屋内にサウナ付きの展望風呂がある。
これがリゾートホテルではなく『国民宿舎』だということが、〇〇ベイ〇〇〇に勝る唯一の勝機か‥‥
手頃な値段で泊まれるのだが、休日スケジュールが直前まで合わせづらい我が家では『ホテルシーサイド江戸川』とともになかなか取れない宿の一つである。




外海です。九十九里浜ンライズ九十九里のすぐ横で海にそそぐ『真亀川』の河口から海岸線に出る。
河口提の突端部。目前に広がる大洋。初めての自走による九十九里到達。今回のミッション達成。





スタバ飯路は白里から大網街道1本で本千葉に抜けるルート。すでに脚は引きつり状態だが、前回の渡良瀬と違うのは、予想通り帰路に追い風になったのと、お尻の苦痛が限界点に達していないことである。
大網の市街を抜けると、最後の難関、1.5km・平均斜度4.1度の上り坂。普通のサイクリストなら何でもない軟斜路だが、今の親父には獄門坂である。しかしここを登り切ると、千葉寺までの約17kmはほとんどペダルに力を入れる必要のない僅かな下りである。
千葉市街に入ってスタバで遅昼の糖分補給。超甘が休まる。



幕張りはR14から花見川を下り、『幕張の浜』に出る。太平洋と東京湾の両方の海を堪能?できた。








本日九十九里センチュリーライド達成??の走行160.67km。距離こそセンチュリーだが12時間かけているから、最初の4時間でNGである。
でも、この800円で買ったサイコンは「26インチ」としか指定できないのであまりあてにならない。GPSがなくなってちょっと不便だ。
記憶の限りルートラボで再現した距離は158km。
前回の渡良瀬サイクリングより距離も長く斜度もあったが、帰りの追い風と尻の苦痛軽度による精神的・肉体的余裕が幸いした。


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無謀 渡良瀬遊水池

ゴー吉か凶かルデンウェークにどこも行かないのはもったいない。唯一フリーの3日にどこか走りに行こうと決めたのは5月1日夜。
車+自転車は渋滞に巻き込まれるので、家から直接往復にするのは決めていたが目的地が決まらない。いくつか候補もあったが結局出るまで決まらなかった。
京葉道路に突き当たる。右に行けば市原・大網方面、左に行けば多摩湖狭山湖方面。直進すれば荒サイ・江戸サイで埼玉茨城方面である。
信号一つまって直進にする。
風は南の微風。北上しても帰りがそれほど苦にはならないという判断。
「甘かった‥‥」

松伏の休憩所黄色い絨毯6に合流し松戸に出る。車はやはり動かない。チャリンコオンリーにして正解。
江戸サイを北上。今日はサイクリストが多い。江戸川CRには三郷と松伏に休憩場がある。前回も立ち寄った松伏の休憩場で休憩。





アーバンライン武アーバンパークラインの江戸川橋梁。やはり東武野田線のほうがしっくりくる。『アーバン』てどういう意味?。けして都会的でない都会人の親父から見ても、『カントリーライン』とは言わないけど(40年前はそうだった)、せめて『サバーブライン』とかじゃないの。






デカい大凧あげ祭り珠花橋の手前に来ると何やらものすごい人盛り。
春日部の『大凧上げ祭り』だ。以前通った時もやっていた。アナウンスでケバブ屋の出店の宣伝があったが、さっき飯食べちゃったばかりである。残念。
帰りまでやっているといいのだが。




東北新幹線利根川橋梁宿橋から護岸工事で一般道に抜ける。再びCRに戻ったのは『新幹線利根川橋梁』の手前。
久々の100km走行を目指して、休憩入れて、12時半には折り返すつもりだったが、関宿橋の時点で55kmを超えている。
漠然と渡良瀬遊水地を目標にしていたが、最大の誤算は遊水池までの距離を調べていなかったこと。
関宿城をスルーしてしまったので、遊水地を目指すか、バイパス橋を渡り『道の駅さかい』で飯食って引き返すかだ。お尻の痛みがかなりつらく、時間も予定の12時を過ぎているが、まあ次の日も休みだと思うと、折り返しのインパクトが欲しくなった。遊水池までは14km。痛みをこらえて強行する。この往復28kmが「甘かった‥‥」


R4新三国橋クリーンセンター利根川橋を渡り渡良瀬左岸を北上する。ユニークな煙突が見えてきた。古河クレーンセンターの煙突だ。これも『コンスタンティヌスの柱』だ。(オヤジは清掃工場の煙突を「コンスタンティヌスの柱」と呼ぶ。)
R354の新三国橋をくぐる。三国橋の三国って上野・下野・武蔵かな。下手するとこの辺りは下総まで絡んでくる。




古河城古河城本丸跡三国橋を超えると古河城案内板があった。「こんなス−パー堤防の上に城があったの」などとトチ狂ってはいけない。
ここも湿地帯にあり、かつては忍城や岩槻城のように浮城のような城構えだったのだろう。平安後期の古い築城で、古賀公方の根拠地となり、江戸時代も譜代や幕閣の重臣が城主になっている、関東の要の城だったともいえる。



実際野渡橋遊水池の中の道はそんな観光気分ではなく、脚が重く、股がビシビシ状態であったのだが、遊水池のゴルフ場を過ぎたあたりで、三国橋を渡らなければならないことに気が付いた。すでに三国橋より1.5km。コース修正などできない。上の橋までは4.5km。ここで断念と思ったが、マップを拡大すると遊水池の中に道がある。一般の車が走ってくるので行けると判断。渡良瀬川の野渡橋を渡る。



遊水池4遊水池3良瀬川の対岸の堤防を上る。
湿原の向こうに巨大な遊水池『谷中湖』が見える。
渡良瀬遊水池は、氾濫に悩む渡良瀬川の治水事業としてつくられたと思われがちであるが、そうではない。治水はあくまで表向きで、真の意味は、上流の足尾銅山の鉱毒を沈殿させることと、その鉱毒の被害を最も訴え続けてきた谷中村の抹殺にある。住民は農地をつぶされ、二束三文の補償金で村を追われた。村は強制廃村にされた。今でもこの整備された美しい公園の地中には、基準値を大幅に超える鉛などの鉱毒が堆積されているのである。
第一水門遊水池2水地には歴史的見どころも多い。中心地まで行きたかったが、時間と体力の限界となり断念。谷中湖を遠望し反転帰路につく。
すでに走行77km、もう引き返すことはできない。否、もう引き返すしかない。帰りは巨大な渡良瀬第一水門を通る。





とに大利根河畔景勝の地コースがあったかくケツとおまたが痛い。帰路は利根川左岸を下る。渡良瀬川は利根川に合流し、その先で江戸川が分岐するのだが、元々利根川の源流は今の中川水系であり、鬼怒川常陸川の独立水系となっており、渡良瀬川から太日川(現江戸川)は独立水系だったのだ。
その開削された分部の広い河川敷にモトクロコースがあった。若いころオフロードバイクで河川敷のにわかコースによく走りに来たものだった。
関宿城が対岸に見えると『大利根河畔景勝の地』の碑。ここは関宿城をバックにした富士見百景にもなっているらしい。しんどくて休憩。

関宿城道の駅「さかい」ましだまし『道の駅さかい』まで来て休憩と遅い昼食。
サイクリスト応援カフェCORG’S。サイクリストはいなかった。オヤジもここに来るとついつい食堂のうどんに行ってしまう。
道の駅さかいに約50分。十分休息したつもりだが全然回復していない。境大橋を渡ったところで関宿城南面の全景が望める。このアングルで見るとまるで平山城である。スーパー堤防恐るべし。



輪空?大凧が上がっていた行はすでに100kmを超えている。数キロ走っては休憩の繰り返し。これでは進まない。宝珠花橋対岸についたのは16時半近かった。
おお、飛んでいる。葉巻型UFO‥‥じゃない。大凧上げ祭りの大凧である。大凧は南風を受けて見事の飛んでいる。「あんなでっかい凧が元気に飛ぶような向風だからたまんねーんだよ」とは、オヤジの今の率直な感想である。
凧あげ会場の対岸に芝の滑走路がある。マップでは『関宿滑空場』とある。こちらもみな帰り支度だ。グライダーって折りたたんで専用ケースに入れて運ぶのか。『輪行』やめて『輪空』にするか。でも曳航機はどうやって格納庫にしまうのか。それともどこか別のところから飛ばしてくるのか?

風に本日の走行あと少し耐えられなくなり、野田橋で江戸サイから一般道に抜ける。しかし松伏からレイクタウンを抜けて外環までは、土手と変わらない吹き曝しである。

帰宅は20時。前年同時期に同じようなルートでほぼ同じ距離を走った時は、帰路にもまだ余裕があった。




遊水地往復回の走行150km。満足感や達成感よりもく、疲労感と帰宅時の解放感が強く残った。
出発時に一瞬輪行袋持っていこうかと思ったことはやり直感だった。袋もっていけば、ゆっくり遊水地を散策した後で、東武線一本で帰れたことを考えると、無計画と判断力の甘さが悔やまれる。




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昼ポタ

自転車通勤がなくなったため、年末の下野ライド以来の自転車出動となる。
銀座の某リサイクルショップで買い物をしてから晩飯のおかずを買って帰るまでの時間、久々に少しこぐ。
お茶してから、桜田門を通りBMCの故郷、赤坂の某大手チェーンのサイクルショップに物色しようと足を延ばしたが、店がなくなっている。
HPみたら半年も前に閉店していた。
他の店に行くのもつまらないので、このままポタに切り替える。

六本木通りから麻布通りに入り、外苑東通りに入る。今日は警備がとても物々しい。しかもやたらに旭日旗がはためいている。
『今日は何の日』。「お財布の日」。「モスバーガーの日」。右翼とも機動隊や警察隊とも関係ないなぁ。

天文台跡天文台跡2シア大使館の横の路地を入ると、小高い丘に突き当たる。今はアフガニスタン大使館の一部も含むこの突き出した台地の縁に東京天文台があった。あまり物々しいので警備の警官に「天文台跡に行ってもいいですか」と尋ねたら「天文台跡なんて知りません」と答えられた。
ここは以前にも一度来ているが、この史跡の正式名は『日本経緯度原点』という。三角点などの地理的測地はここを基準とされていた。関東大震災までここは天文台だったのだ。


今日は何の日?タワーのものしい飯倉交差点をこえて、東京タワーからタワー前交差点・赤羽橋を経由して芝公園に。またまた街頭演説がけたたましい。そしてバリケード。
『今日は何の日』。「スイーツの日」、「日曜休日・土曜半ドン制定の日」。そんないい日だったのか。
それとも誰か来た?サウジアラビアの国王陛下一行が大挙して来日するからか。それも関係ないな。何故なら石油燃料の宣伝車で走り回っているんだから。



今まで最も丸山古墳3多く訪れた古墳、『芝丸山古墳丸山古墳2』。案内板には『全長106m』とある。おやじはこの古墳の大きさを「墳丘長125m」と紹介する。『東京都遺跡台帳』の『港区遺跡癸横粥戮冒環坑隠横毅蹐筏載されているからだ。
南武蔵を実効支配していた豪族の墓だろうが、125mという大きさは鉄剣『稲荷山』の120m、同時期の『野本将軍塚』115mなどの北武蔵の墳墓も上回る規模である。
「王よ(「なんだ長嶋」‥‥とは返ってこないだろう)この周囲の騒然、どう思われますか‥‥。」「とりあえずお茶にしますか‥‥」

芝公古川河口園を貫き、丸山古墳の前方部を削いだ環状3号線は、日比谷通りから先は未整備の路地となる。JRの歩行者用ガードを超えると海岸通りに突き当たる。
海岸通りから見た古川河口。首都高が寄ってたかって古川を半暗渠化してしまっている。この惨劇は日本橋川より酷い。これがかつての『春の小川』の河口である。





またBMCレインボーループまたやってきたレインボーブリッジ。
橋げた高50m。最近知ったのだが航空機規制による高さ制限は150m。レインボーブリッジの主塔高は126m。24mのクリアランス(バーゲンじゃないよ)があるわけだ。
単純ではないが、主塔發鬘隠毅娃蹐泙念き挙げたら橋げた高は74mになる。もしかしたらタイタニック号もくぐれたかも知れない。どちらにしろあり得ない話ではあるが。
もともと買い物目的だったので、ショッパー仕様のAC−02。

2層ゆりかもめダイジョウブ構造の下層部が一般道とプロムナード、して中央を『ゆりかもめ』が通る。
以前仕事でビッグサイトの展示会へ行ったときは寿司詰めであった。ちょっとした展示会で通勤ラッシュ並みの混雑。
オリンピック、ホントに大丈夫なの?






プロ第3ダイバだった第六ダイバだったムナードから見えるのは第6ダイバダッタ。
その先にあるのが第3ダイバダッタ。
ダイバ・有明のビル街の向こうにゲートブリッジが見える。
江戸の外港の守りとして9基が計画・着工された台場。第1・第4・第5は大井の埋立地の中に埋もれた。第2は航路上の障害として撤去。第3と第6が現存。第7は未完のまま撤去。第8は有明埋立地に替わり、そして第9台場は、まさに今問題のスポット『豊洲市場』の場所に築かれるはずだった。


豊洲市場豊洲再び明から豊洲へ。前回とは逆ルートになった。
周辺整備を残して、ほとんど出来上がっている豊洲市場。
なんかほかの使い道ないのかねぇ。入る前から「使いずらい」なんてレッテル張られて、立つ瀬がないよね。某元都知事さん、無駄な銀行の分まで合わせて金返して。




さて、晩ライフで買い物ついでにソラマチ飯の買い物は、押上げのライフ。晩飯買って帰るには時間があるので、ソラマチでお茶をする。
『ライフセントラル押上店』。ライフはIYやイオンと違ってこじんまりしていて地元密着感があるが、ここは少し毛色が違う。変わった商品も置いてあり、クイーズほどではないがちょっと高級感もある。


久々の半日のんびりポタ。
コーヒー代ばかりやたらにかかった一日であった。
hirupota





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下野古墳めぐり〜2016走り納め 下つ巻

神徳大神宮富士山古墳臼山古墳から細い谷を挟んで東側の台地の中腹に『神徳大神宮』という神社がある。この裏手に県下最大の円墳『富士山古墳』がある。
最大直径86m。ここも大型埴輪をはじめ複数の埋蔵品が発掘されている。麓から見学ルートがあるのだが、知らないで神徳大神宮に行ってしまった。掃除のオジサンに尋ねたら「ここからは上れないんだ」といいながら「横の灯篭と石垣を乗り越えていくと看板のある場所に行くよ」「県で管理してっけど、上ってもなんもないよ」と教えてくれた。
大神宮様にお参りして帰ろうと思ったが、お賽銭箱がなかったので一礼のみ。どうもありがとうございました。
牛塚古墳2士山古墳から壬生町中心市街の外れにある『牛塚古墳』と『壬生車塚古墳』に行く。両古墳は隣接しており一度に見学できた。
『牛塚古墳』は墳丘長60mの帆立貝式古墳。看板には先ほどの富士山古墳のPRなんかが掲示してあり、特筆するものはない。





壬生車塚古墳3壬生車塚古墳2壬生車塚古墳1かい側の『壬生車塚古墳』も最大直径82mと富士山古墳と並ぶ大円墳である。南側に石室が開口されているようだが、残念ながら今回は見れなかった。
周囲には周濠跡があり周堤を含む径は120mに及ぶ。

『壬生車塚古墳』から壬生愛宕塚古墳2壬生愛宕塚古墳15分ほど走ると『壬生愛宕塚古墳』がある。
墳丘長65mは前方後円墳にしては大きくはないが、周溝がはっきり残っており、見ごたえはある。

次はいよいよ県下最大級の吾妻古墳から、琵琶塚古墳・摩利支天塚古墳と下野有数の大古墳を残すクライマックスとなる。
時間はすでに午後3時。日没の最も早いこの時期は午後4時にはすべての散策を終了しなければならない。

丸塚古墳2丸塚古墳こでトラブル。県道小山壬生線に入らなければいけないところ、下野壬生線に入ってしまった。太陽で判断という古来の方法で軌道修正したが、吾妻古墳への進入路がわからなくなった。
古墳らしき築山を発見したのでそこに向かう。丸塚古墳であった。天平の丘の近くで、吾妻古墳の後時間があれば立ち寄るつもりだった古墳である。
丸塚古墳から吾妻古墳の位置が知れたが、今から戻って散策となると最後の2大古墳を回る時間がなくなる。県下最大の吾妻古墳散策を断念し、次に向かう。

国分尼寺跡国分寺跡塚古墳から、県道小山壬生線に入るとすぐ『風土記の丘資料館』入口の案内がある。この道には『国分寺跡』がある。『風土記の丘資料館』は年末年始の休館となっている。風土記の丘資料館の先に『国分尼寺跡』がある。ここがかつての下野国の中心となった地域だ。
『下野国府』はちょうど思川を挟んで対岸の栃木市にある。なんでこんな大きな川を挟んで存在するのかねぇ。



さて琵琶塚古墳3琵琶塚古墳1、最後に栃木県を代表する2基の古墳を散策する。
『琵琶塚古墳』。最近までは県下最大の前方後円墳として有名だったが、近年の精密調査により吾妻古墳のほうがわずかに大きいことが判明し、「県下最大」の地位を譲ってしまった。それでも知名度ではやはりナンバーワンだろう。墳丘長125m、二重の周溝を巡らせている。墳丘長では都内最大の芝丸山古墳とほぼ同規模である。



発掘調査中摩利支天古墳遠望公園化が進んでおり、昨年あたりから本格的な発掘調査が行われている。
現在も発掘調査の真っ最中のようだ。前方部の中堤辺りを発掘している。
前方部先端から摩利支天古墳が見える。





摩利支天古墳1摩利支天古墳3路を挟んだ反対側に摩利支天古墳がある。思川と姿川の合流部の台地にあり、付近を通る東山道からもはっきりとその威容が見て取れただろう。
5世紀末頃の築造で琵琶塚の前世代の領主の墳墓だろう。






摩利支天古墳2丘長117mは県下第3位。下野国を代表する豪族の墳墓といわれるが、かつて大国毛野を構成する同族で、東国六腹朝臣に名を連ねる下毛野氏なのか。
五世紀末から6世紀後半は、大和で巨大古墳が終焉に近づき、河内大塚山古墳を最後に巨大古墳が姿を消す時期である。そんな時期に摩利支天・琵琶塚・吾妻とどんどん巨大化をつづけた下野国は、大和の支配体制に進んでくみしながら関東特有の独立気運を持った首長たちの奥津城だったのだろう。




本日下野1下野2の走行81.7km
ナビも地図もない状態で、うる覚えのルートと古墳の冊子・地元の案内板のみの散策は、ロス時間と余計な走行を強いられた。やはり知らない土地を効率的に巡るには、ナビまで行かなくとも最低限GPSマップは必需品である。
『吾妻古墳』をはじめ、日程的に見学できなかった『埋蔵文化センター』・『風土記の丘資料館』や『壬生歴史民俗資料館』など見逃したスポットがたくさん残っている。
捲土重来を期す。

来年も古墳ライド・古城ライドができますように。


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下野古墳めぐり〜2016走り納め 上つ巻

おやまあれま年秋から予定していた下野古墳ライド。
転勤・子供の受験・親の入院、そして自分のぎっくり腰のため、ついに年末までもつれ込んだ。
しかしこの季節は古墳探訪にはうってつけの季節だ。

午前6時半、『小山総合公園』到着の計画が8時半を過ぎた。
帰省渋滞の影響はさほどなかった。単なる「寝坊」である。
午前9時、を出発。腰の状況も不安で、全行程110km越えの予定距離を70kmに短縮。湿布とコルセットを装着しての走りだしとなった。

山王寺大桝塚古墳1山王寺大桝塚古墳2は西北西の風である。いきなり向かい風だがこのまま吹けば帰りは天国だ。何もない田畑を道を間違えながら進むこと数キロ。藤岡町の『山王寺大桝塚古墳』が最初のポイント。
墳丘長96mの前方後方墳はかなりの見ごたえを期待したのだが、残念ながらかなりの部分を削取されており、その迫力を体感することはできない。




周囲の築山古墳の回りには何もない。周囲には同規模の産廃残土らしい(もしかしたら古墳かも?)築山が点在し区別が付かない。途中の残土の築山だと思っていたものの一つは、『毘沙門山』という古墳だったようだし。
100m級の前方後方墳は全国でも大型の部類だ。大毛野に連なる下野の豪族に敬意を表すためにも、きちんと整備して内外に誇った方がいいんじゃないの。





巾着山こから都賀町の『愛宕塚古墳』まで一気に北上する。
栃木市街の外れにある独立峰の『巾着山』。流山?ケルンバット??、残念ながら古墳ではない。
市内で道を誤り30分弱のロス。スマホのマップは全く役に立たない。ナビ入れてないし、初期設定を結構いじったからか。






残土山?愛宕塚古墳2愛宕塚古墳1賀町の『愛宕塚古墳』は墳丘長90mの前方後円墳。墳丘上に愛宕神社が建っている。
この付近にも古墳だか残土だかわからない築山がいくつかある。


R2判官塚古墳3判官塚古墳2判官塚古墳193をさらに北上し、鹿沼市の『判官塚古墳』に立ち寄る。
丘長61mは特筆する大きさではないが、保存整備がきちんとしていて、石室も露出しており、結構「当たり」であった。



廣濟寺官塚古墳からそう離れていない集落の中に、円空作、『千手観音菩薩像』の看板。
天台宗廣濟寺というお寺さん。
観音堂は固く施錠されていた。
拝観料500円。守り本尊なのでぜひ見たかったが、時間の関係でスルーする





長塚古墳長塚古墳2生田街道の黒川橋を渡ると、上り坂の途中に『長塚古墳』が見える。墳丘長77m2段構築で古墳時代後期のものとのこと。
ここから亀子塚古墳へ行こうとしたが、道が悪路でしかも袋小路になっている。





看板桃花原古墳か失敗した挙句、遠回りをしたら看板があった。
看板に沿て進み、桃花原古墳に至る。
『桃花原古墳』は周壕を備えた円墳で、直径63mはかなり大きい部類に入る。





前半茶臼山古墳2茶臼山古墳1の(といっても午後1時を過ぎてしまったが)最大ミッション、国指定の史跡『茶臼山古墳』に向かう。案内板の地図は簡略しすぎて自転車で走っていたらよくわからん。
ここも数度のチャレンジで侵入口を発見。案内板のところまでも車では来られない。
真冬でも道に迷いそうな林の道を上っていく。しばらく上ると看板のある広場に出る。


MTB専用茶臼山古墳3いつはすごい。看板の遥か上に墳丘の頂上が見える。看板の前の高い土手は周堤で、その内側に深い周溝が巡っている。周堤を含む全長は140mにもなるようだ。
埴輪や大型の須恵器などが発掘されており、規模からしても相当の権力者が埋葬されたと思われる。
しかし、県を代表する古墳の一つなんだから周辺整備をもう少しやってもらえないかねぇ。これじゃあ夏はとても来れたもんじゃない。

もし自転車で来る方がいたらMTBをお勧めする。


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スポーツ電チャリ考

YPJ−Rイクルモードにいって『ヤマハYPJ−R』を見て、乗って結構な衝撃を受けた。電チャリもここまでスマートになっているんだねぇ。
ジテ通から車通勤になった影響が大きいのかこのところの体力減と体重増が著しい。
自転車は鍛えるためや、フィットネスとして乗っているわけではない。何か目的を持って新しい発見もしたいし。何より終わった後に楽しかったなぁと思えるのが趣味サイクリングである。
持病もちの親父にとって、高いパーツは『早く走る』ためのものではなく非力なパワーをいかに有効に推進力にしてくれるかであり。車重にこだわるのも多様な使い方に対応するツールとしての手軽さとしてである。

『電動shimano-ultegra-di2でアシストするのは邪道だ』とのこだわりを持ってるサイクリストは多いだろう。かくいう親父もその急先鋒であった。体力もない、坂も上れない、長距離ではバテバテ。でもどんなコンディションでも「電チャリだけには負けたくない」とムキになったものだ。
だがこれも考え方だが、当の本人も含め、漕ぐことをアシストすることを邪道としてさげすむ輩が、なぜシフトをアシストするDI2を邪道と非難しないのかという矛盾(正直当人は興味なく無用と思っているだけだが)。自転車の駆動系が人間の動力をサポートするものなら、どちらも同じである。違いといったらそのスタイリングの自然さとコンパクトさだけである。
ディレーラーにおっきいモーターが付いていたり、でっかいバッテリー積んでいたら電動シフトは電動アシスト同様に非難される的だろう。


Vivax Veloceポーツ電チャリがE−BIKEとしてスポーツサイクルの中に広く普及している欧州ではこんなものもあるようだ。
どう見ても普通のロードバイクである。
これはシートチューブ内に駆動モーターを後付けするアッセンブリーで、何と給水ボトルがバッテリー。コントロールスイッチがバーエンドについている。バッテリーを含んだ重量は1.8kg。ベースのセット価格は10万円しないようだ。
DI2を非難しない人が、これを非難できるだろうか。うちの自転車につくのなら親父は素直に「ほしい!」と思う(但し、取付けられる自転車にはいくつかの条件があるようだが)。

サイクルモードでヤbenelliマハブースの隣にあったBENELLIの『TAGETE27.5』。べネリってオートバイの老舗である。
7時間充電で100km走れるアシストを備えたE−MTBはフロントWサスペンションにディスクブレーキで22kgとこれも軽い部類に入る。198,000円





BESE PS1ESVの『PS1』。カーボン製のミニベロである。
BSの名車、シャフトドライブ・カーボンモノコックボディー・Wサスペンションの『トランジットT200CS』の復活を思わせる精悍なデザイン。15年前そのもののデザインは今見ても前衛的だ。
3.5時間の充電で60km走るアシストで17.4Kg。276,000円。
せっかくカーボンなんだし、この価格ならあと2kgは軽量化してほしい。まあ、ひと昔前の激安ミニチャリはみんなこのくらいの重さはあったけど。



Road E +2ャイアントでヤマハYPJ−Rのパワーユニットを積んだE−バイクが『ROAD E+』。YPJと同じユニットを使ったジャイアントの回答がこれだ。
日本未発売。英国の価格で308,000円くらい。
スペックは未定だが、電動ロードに否定的な方々に選択してもらっても、大方の方はこちらを指すだろう(アルテグラクランクはハッタリみたいだが‥‥)。
保守的な親父が見ても、Eバイクの分野では日本は明らかに後進国だ。否、保守的だから遅れをとっているのだろう。


YPJ-R2んな日本で、やっと親父が「欲しいな」と思える電チャリ(これならE−BIKEといってもいいかな)に出会ったわけだ。
230,000円はちょっと手が出しにくい価格であるが、105を使って15kgの車体は欧州車にも対抗できるだろう。





YPJ-R3コンパクトクランクあ、ここまでやるならもう少しなんちゃってに徹してほしい。精悍なスタイルにこのクランクセットはとてもミスマッチ。せめて外観は偽でも『HOLLOWGLIDE』っぽくしてほしいし、バッテリーは上記の『VIVAX ASSIST』風のなんちゃって給水ボトルみたなものがほしい。パワーユニットはごまかせないから単なるご愛敬だが。
さしずめYPJは、車体とバッテリーを極限まで軽量化し片道だけの航続距離とし、出撃したら帰ってこれない。日本が生んだE−BIKE界の『神風』である。これが投入されて1年。戦局は好転しているのかなぁ。

でもハブダイナモとか、クランクモーターを逆用してアシストオフ時に自己充電する仕組みってできないものだろうか。
それなら必要時のパワーアシストは自分の脚力の貯金みたいなものだから、人間の力を有効に引き出すという自転車機能本来のあり方に叶うと思うのだが‥‥。

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結局きました『サイクルモード2016』

サイクルモード2016年散々ケチつけて「今年はやめよっか」と思ったサイクルモードだが、結局来てしまった。
今回は特に見たいもの・ほしいものがあるわけではないので特に焦点を定めずにぶらつくことにした。







スペシャライズど復刻?期せぬ朗報というか、事前には気にもしていなかったが今回は『スペシャライズど』が出展していた。最初に来た頃は出展していたと思うので、もう5〜6年ぶりか。
こじんまりしたブースだったが、いずれにしろ大手メーカーの復活は喜ばしい。






CUBE1ルツルの細いタイヤは性に合わないので見るものは大体シクロかグラベル系になる。
入ってすぐに目を引いた『CUBE』というドイツのメーカー。日本では並行輸入くらいしか取扱いがないようだが、今回正式な代理店から投入されるようだ。
CUBEのシクロモデル。これはかっこいい。今回のぴか一はこれか。





GPS近GPSのCM11の調子が悪いので何かいいものはないか物色。ミズタニのブースにパイオニアがあったのでぽたナビを見ようと思ったがなかった。今でもやってはいるがほとんど出ないというスタッフの逃げ腰な回答。最近は自転車のナビってあまり聞かないからねぇ。
ぶらぶらしているうち、ポラールのブースで見つけたのがPROシリーズの『V650』。これはCM−11とほぼ同じ機能を持っているうえ。独自の地図でルートを作成しインプットできるようだ。30,500円という価格は魅力的だ。




コマンドシフター復刻?シガイのブースで見つけた『今回の気になるパーツ』。どっかで見たことあるようなシフター。サンツアーのコマンドシフターだ。
展示は試作品で、さらに改良して10S・11S対応も予定しているようだ。セーフティレバーに続き、STI主流の中でまたもビンテージタイプのパーツの復刻である。





バンディーハンドル東京サンエス京サンエスのブース。ずいぶん小さくなったような気がする。
今回はバンディハンドルを見せてもらった。
フリーマーケットの投げ売りみたいになんかもうどうでもいいように置かれている。「150円」とか値札が付いてないかなーなんて感じ。





コーコーダブルーム試乗ダブルーム(親父にとってはホタカ自転車なのだが)で『FARNA』に試乗。アルミロードの最軽量クラスらしい。
「STI使ったことありますか」と聞かれて思わず「ありません」と答えてしまった。使い方を知らないわけじゃないけど、実際所有のバイクはすべてWレバーである。
とにかく指でもてるくらい軽い。これだけ軽いと担いで山登りできる。アルミバイクまだまだいける。





ヤマハの電チャリロード試乗しましたコーナーで何気なく見ていたら試乗を勧められた。『YPJ−R』ロードタイプの電チャリである。
鍛えるために自転車に乗っているわけではないが、電チャリだけには負けたくないとムキになっていただけに、自分が電チャリに乗ることには抵抗がある。
YPJ−Rは外観はロードそのもの。メインコンポは105でバッテリーも小型でボトルケージダボにツールケースが付いているようなイメージ。デザイン的には電チャリ独特の違和感は少ない。




1回電チャリロードのサイクリングで100kmは走るのに、バッテリーが20kmくらいしか持たないのでは使えないと思えるが、YPJ−Rは車重も15kgそこそこ。我が家のSOMAと3kg強しか変わらない。しかもコンポは105なのでノンアシスト状態でも十分走れるとのこと。本当につらい登坂や強い向かい風時のみアシストを使うと考えれば十分行ける。しかも親父好みのアルミ製だ。あくまでも楽しく走るには魅力的だ。
何かとても後ろめたさを感じながらも、非常に心を動かされる1台である。




今回ガゼル乗りましたは『OXガゼル』にも試乗した。思ったより軽くてなめらかで乗りやすいバイクである。STIのブルホーン仕様はミニではどうしても頭でっかちのスタイルになってしまうが、ミニはハンドルがクイックなのでドロップよりブルホーンのほうが扱いやすいだろう。
やはりほしい1台である。





やっぱありました。レーシングミクはり今年もありましたねぇ








地方のブース?地方のブース?か県や地方のブースとか、グルメコーナーとかコンセプトエリアなんかがやたら多くなってきたような気がする。それはそれで楽しくていいんだけど、それらはあくまでおまけであって主ではない。主でないもののスペースが多くなりすぎると明確なテーマがない限り、展示会そのものがまとまりのないものになってしまう。




もう見ケバブじゃケバブがあったものもないから、イオンモールでケバブ食って帰ろうと思った矢先、何とケバブが来てるじゃない。
今回のテーマはっきりしてるじゃないか「自転車に乗ってケバブを食べに行こう!!」。
フードコートの出店も載せてくれていれば、外で飯なんか食わなかったのに‥‥
来年もぜひ出店してもらいたいものだ。昼飯デザートまで食べてしまった後だったので、ドンドルマ(親父お勧めの伸び〜るアイス)まで食べられなかった。




この空きスペースは?回は全体的に出展ブースが縮小した感が強かった。ブースのセッティングは面積に乗じるコストがかかるからしょうがないのかもしれないが、この空きスペースはなに??


PS
コレクションしていたシマノのA4サイズカタログがデジタルに変わってしまった。時代かもしれないがこれは寂しい。

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加瀬山(消失古墳ライド再び)


神奈川県には大型古墳がないからつまらないというイメージを僅かながら変えたのは、先年90m級の逗子長柄桜山古墳をライドしてからである。探訪基準の100m以上のものはないが、神奈川県にも70〜90m級のものがいくつかある、近隣サイクル古墳探訪としては最後の宝庫もである。
今回はぐっと近い川崎の加瀬白山古墳に行く。

R1多摩川大橋を渡る。
新川方面R1多摩川大橋川は関東でも十指に入る大河川であるが国境をなしてはいない。対岸の川崎市も律令国制では武蔵国である。
この大河川をもってしても国を分かつ関とはなっていないことを考えると、武蔵・下総国界だった古利根川・古隅田川などは当時どれだけの大河だったかうかがい知れる。
新川の高層ビル群の後ろに目指す加瀬山台地がある。



橋をリバーサイドカフェ渡ったR1の上流側に『多摩川交流センター』なるものががあった。建物右側は『リバーサイドカフェ』なる喫茶コーナーになっていた。今日はあいにく腹の調子が悪く。コーヒーのリスクが高いので断念。捲土重来を期す。
今日のコンディションにぴったりの『ガス橋通り』を排ガスを放出しながら突き進む。






『加加瀬山瀬白山古墳』を含む『夢見ヶ崎古墳群』があるのは通称『加瀬山』。多摩丘陵より続く下末吉台地の最突端にあり、矢上川で他の台地と寸断されているため独立峰のように見える。
川崎の『ギアナ高地』と呼ばれているかは定かではない‥‥。




動物公園2動物公園地上部は動物公園になっていた。
駐車場も無料、入園料もなし。近隣の子供連れには絶好のプレイスポットだ。







浅間神社くつかの加瀬山3号墳寺社があったが、小高い盛土の上に鎮座しており、これがみな古墳になっている。
麓や中腹にも古墳が点在しており、3号墳は石室が修復保管されていた。






天照皇大神宮2照皇天照皇大神宮大神宮でお参り。ここも円墳の上に社殿が鎮座している。








加瀬白山古墳的の展望台『加瀬白山古墳』は台地の西側中腹あったとされる。「される」というのは、『加瀬白山古墳』を含む周辺の台地は開削のため消失しているからである。
富士見展望台の看板には西側の森が白山古墳跡との掲示。
かつてはあの森まで台地が緩やかに伸びていたのか。




消失部分加瀬白山古墳下りて森の周囲を回る。墳丘長87mの古墳は県下でも最大級に当たるが、後円部をわずかに残し、前方部はほぼ開削されている状態のようだ。
勿論史跡として整備されているでもなし、私有地のため立ち入りもできない。
これが古墳跡かは判断しずらい。この小山が白山古墳としているのは富士見展望台の案内板だけで、他の資料では完全に現存していないとか、位置も100m以上東の白山幼稚園周辺であるとされているからだ。



加瀬山周辺古地図れ以上の侵入はできないので、
この付近でもう一つ、同時期に消失したという観音松古墳跡地に行ってみる。
現存していた時代の地図で見ると、古墳は現在の矢上小学校の校舎から慶大グランド辺りにあたる。






矢上川上川の観音松古墳跡地2遊歩道に沿って丘の北側に回る。
矢上川は思ったより自然っぽい川で、市街地の河川ではあるが、イメージよりきれいであった。
しかし、50儖幣紊呂△蹐Ω颪侶伽犬呂い辰燭い覆鵑澄?。神社の池のようにあふれかえっているぞ。




新幹線岸へ観音松古墳跡地渡ると、台地北面の全体像がとらえられる。
切り立った台地の高さは、高架線を走る新幹線がそのままトンネルに入ってしまう程だ。
県下では最も古い部類とされる軸長90mの『観音松古墳』はこの台地の南東部にあったようだ。
こちらは名前の由来となった観音松とともに完全に消失したしまっている。夢見ヶ崎古墳群とは1kmも離れていない。両古墳は不可分の関係にあったのだろう。

多摩川台りは綱島街道から丸子橋を渡る。
丸子橋からは多摩川台古墳群が見える。ここには107mの亀甲山古墳・97mの宝来山古墳はじめ多くの古墳が現存する。
夢見ヶ崎古墳群とは、多摩川低地を挟んで対峙する関係となる。武蔵国造の乱以前は、武蔵国南部の豪族がその地位にあったという。両古墳群の盟主は同族だったのか、それとも敵対勢力だったのか。





五反無名古墳やっぱ東京タワー田でR1に合流し東京タワー下を通る。
タワー下、増上寺裏手にも消失古墳(史跡指定はされている)がある。全長125mの芝丸山古墳と相似関係にあり、前方部は駐車場となっており後円部は墓地として開削されている。古墳としては100m級の大型古墳であったと思われる。





消失古墳日の走行 64km
古墳を実体験することはできなかったが、在りし日の威容や相関関係を想像しながらのツアーは面白かった。


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豊洲から築地へ

スー豊洲市場2パービバホーム豊洲にお買い物のついでに、久々に豊洲市場を通ってみた。
おやじが駆け出しの営業マンで清掃車の埃にまみれたこの地域を回っていたころ、ここには東京電力の発電所や東京ガスのガス工場があった。
工場閉鎖後、ここは東京でも数少ない広大な荒野『OUTBACK』が残った。ここが福島第一原発の放射性残土なんて問題にならないほど有害な土壌だってことはわかっていたことだから、市場はきっと来ないと思っていたら、気が付いたらあっという間に突貫工事で作ってしまった。



今、豊洲市場1OUTBACKほんの名残り話題のスポットだから報道関係など結構いるのかと思ったが、ほとんどが工事関係者と警備員だった。世間の騒ぎには関係なく、末端の工事は進んでいる。
土壌汚染と地盤の問題は計画以前から指摘されていることだった。まあ、『何をいまさら』って感じだ。
いっそのこと福島県で処理に困っている放射性残土で地下を埋め戻したらどうだろう。今豊洲が抱えている危険性から比べれば遙かに安全である。


豊洲市場豊洲全景っかくだから高いところから眺めるのもいい。レインボーブリッジまで足を延ばす。
本当に東京港のど真ん中だね。
少し傾いている?きちんと岩盤までくい打ちしていないのかな‥‥??





東京タワー京に飲み込まれそうになっている東京タワー。最近よく遊びに行くが、テレビ局の放送料収入がなくなって、経営はきついんだろうな。
おやじが生きている間は頑張って立っていてもらいたいものだ。






足かせ付パネル写真のエントランスのところに、橋ができたころのパネルがあった。自分が記憶にあったのは昭和60年くらいまでだが、工場は平成になってもあったんだね。
本日のお供は『SOMA嵯峨』。レインボーブリッジは足かせをはめられて押し歩きである。




やっちゃ場りは築築地市場地を通る。『築地』といったら『魚河岸』のイメージだけど『青果』もやっている。
以前は、アキバにもやっちゃ場(居酒屋じゃないぞ)があった。ここのが近いのだろうが、大田市場に移転統合になった。





勝鬨勝鬨橋橋を渡り、何時も『ないとらん』で写真を撮るお気に入りのスポットで昼間の写真を撮る。勝鬨橋は今でこそ個性的に隅田川を彩る橋の一つに過ぎないが、開通当時は『東洋一』を誇った大跳開橋だった。幼いころ、この橋を路面電車で通った記憶があるが、残念ながらこの橋が開いているのを見た記憶はない。






お気昼間の夜景に入りのスポット。夜景がとてもきれいなところである。
高層ビル群の照明と奥の東京タワーのライトアップ。その手前で煌々と明かりがともって活気のある市場。
その明かりも消えてしまうのは残念。
今回はラッキーにも卑弥呼との2ショットとなった。
奥には外堀通りから伸びる環状2号の築地大橋が見える。でもこれって築地市場が移転しないと開通できないの?。
頑張れ築地。移転なんて蹴っ飛ばせ。
豊洲移転でまごついているうちに、千住の『足立市場』が虎視眈々とその地位を狙っているぞ。

本日の走行 26km 
岩槻以来自転車に乗るのは40日ぶりである。これだけのブランクは病気療養以来だ。

10月1日訂正
あの船は『ヒミコ』ではなく『ホタルナ』であるというご指摘を受けた。
そういう姉妹船があったんですねぇ。同じ松本零士氏のデザイン。似ているわけだ。
お詫びして訂正します。

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我が闘走

ママチャリと安いハイテンミニサイクルからちょっとスポーツフォールディングらしい『トランジットセブン』を購入したのは学生時代のクロモリランドナーを手放してから実に30年ぶりだった。

トランジット7 TS207S−7を購入したのは2008年。2007年製造中止のデッドストック品だった。
http://livedoor.blogimg.jp/zg40kome-transitseven/imgs/0/6/06cb9374.jpg

TS−7から始まった今までの主な走行を書き留めてみた。

タイトル 走行日 目的地 走行距離 使用車両
東京古墳めぐり 2009/6/7 都内 67.0km トランジット7
城北ポタリング2 2010/3/14 岩淵水門 64.0km トランジット7
東京古墳めぐり番外編 2010/4/17 都内   トランジット7
お台場周回 2010/5/22 お台場 49.0km トランジット7
印旛沼サイクリング 2010/6/3 印旛沼 96.0km トランジット7
 
       
浦安ポタリング 2010/8/21 ディズニーリゾート 31.0km MR−4
大横川紀行 2010/10/2 松伏 85.0km MR−4
ユラリユララ‥‥ 2010/11/3 水元公園 52.7km MR−4
台場をめぐる 2011/3/5 都内 43.4km MR−4
臨港貨物線ポタ 2011/4/17 晴海   トランジット7
羽田に行ってきました! 2011/5/3 羽田 69.0km MR−4
水郷ポタ 2011/6/4 潮来周辺 45.3km MR−4
武蔵国激暑輪行  2011/8/14 秩父〜東松山 82.4km MR−4
2011/8/15 行田〜東京 89.4km MR−4
荒川CR奇行 2012/3/24 荒川 52.0km AC−02
彩湖桜めぐり 2012/4/7 彩湖 64.0km AC−02
九十九里CR 2012/5/3 上総一ノ宮 70.0km AC−02
荒川RMR 2012/5/12 岩淵水門 58.0km MR−4
朝らん幕張 2012/5/20 幕張 64.0km AC−02
利根輪行 2012/6/30 関宿閘門 108.0km MR−4
多摩丘輪行 2012/7/28 青梅・多摩湖 92.0km MR−4
奥多摩輪行 2012/9/22 奥多摩 114.3km MR−4
印旛・花見川輪行 2012/11/3 印旛沼・幕張 92.0km MR−4
初出社・初走り 2013/1/1 昭島 114.0km MR−4
彩湖試走 2013/2/2 彩湖 70.0km AC−02
第一次城山攻略 2013/2/16 府中 69.5km AC−02
第二次城山攻略 2013/3/9 津久井湖 149.9km AC−02
宮ヶ瀬輪行 2013/3/23 宮ヶ瀬ダム 106.2km MR−4
養老サイクリング 2013/4/20 養老渓谷 80.3km AC−02
藺沼(いぬま)試走 2013/4/27 手賀沼 93.2km AC−02
荒川CR 榎本牧場まで 2013/5/4 桶川 122.0km AC−02
九十九里 海と古墳 2013/5/25 九十九里・芝山 126.0km MR−4
上海上・須恵国古墳めぐり 2013/6/29 木更津・富津 107.5km AC−02
西浦古墳めぐり 2013/9/28 霞ケ浦 125.0km AC−02
奥多摩輪行2014 2014/4/12 奥多摩 103.0km MR−4
牛久大佛に行く 2014/4/25 牛久大佛 129.8km MR−4
太田輪行 2014/5/3 太田 129.3km MR−4
月の沙漠まで 2014/6/20 御宿 96.1km MR−4
雄蛇が池 2014/7/5 雄蛇が池 130.0km MR−4
狭山丘陵周回 2014/8/9 狭山湖・多摩湖 120.0km MR−4
筑波走破そして未完走 2014/8/23 筑波山 91.0km MR−4
須恵国古墳めぐり再び! 2015/1/24 木更津・富津 75.6km MR−4
荒川CR川越まで 2015/2/27 川越 121.0km AC−02
冨士山に行く 2015/3/15 鎌北湖 82.0km MR−4
長柄桜山古墳 2015/4/29 逗子 129.0km AC−02
見沼通船堀 2015/5/3 見沼通船堀公園 71.0km AC−02
クリッカー恐るべし 2015/5/6 彩湖 71.0km MR−4
SAGA 4 2015/6/27 彩湖 80.0km SAGA
水郷再び 2015/8/8 鹿島・銚子 133.2km MR−4
江戸川サイクリング 2015/8/12 関宿・手賀沼 145.0km SAGA
今回は辛口 2015/11/7 幕張 55.0km MR−4
一般参賀〜五色不動 2016/1/2 都内 55.0km SAGA
サクラサイコ試運転 2016/3/20 彩湖 72.0km SAGA
北浦周回 2016/4/16 北浦 108.0km SAGA
藺沼サイクリング再び 2016/5/28 関宿・手賀沼 144.0km SAGA
那賀・久慈古墳めぐり 2016/7/2 水戸・常陸太田 97.0km MR−4
内房プチ輪行 2016/7/16 金谷・浦賀 49.0km MR−4
BMC 岩槻へ 2016/8/20 岩槻 92.0km AC−02


北浦大橋復活BMC復路鹿行大橋*











 
は上司から『心労とかいってそんな自転車で100kmも走ったから心臓がつまったんだろう』なんて言われる羽目になった日。
それってパワハラだろ!。

そして自転車に乗れる体に戻った時、サイクリングの目標距離は100kmになっていた。
しかし、同時にそれは20kgにもなるママチャリを自在に乗りこなす気力を失う機会でもあった。

そしMR-4F2010て、それは入院中に自転車雑誌で出会った『MR−4』を購入しようと思ったとき。
そして、それは封印された学生時代の記憶。ママチャリのチョイノリでは味わうことのなかったサドルとの闘いの復活のとき。


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サイクルモードへ異考!

mv_titleの気配を感じるようになると、そろそろサイクルモードが気になってくる。
今年も11月4日(金)〜6日(日)の3日間で開催される。

http://www.cyclemode.net/

懐古趣味ではないが、新しい車がとても異様でグロテスクなものに見えてきてモーターショウに興味がなくなってから十数年経つ。代わって足を運ぶようになったサイクルモードもすでに6年た経つ。

すでに自分のバイクも自転車史の過去の1台になって久しいが、車と違って自転車はパーツの組み換えでオリジナルを作ること、古い仕様を新しい潮流へ乗せることの簡易度は車の比ではないことが唯一の救いであるといえる。
そんなわけでサイクルモードも主眼点は自然とパーツになる。

出展者はまだ未定のようだが、2015年は正直期待外れで、早々に引き上げてしまった。今年も休みが取れれば行きたいとは思うが、出展者をよく見ていかないと、当然出展しているだろうと思っていたブランドやメーカーがなくてがっかりするのは嫌である。
1坪くらいで一人がぽつんと座っているブースはともかく、そこそこのスペースを構えてブースづくりをすると経費としては最低でも数千万はかかるはずである。自転車業界の中小企業では決して安い出費ではないだろう。
ベンチャー的企業が多くなっているのは、自転車の多様性とも言えなくはないが、

モーターショウはその時々でけん引役が替わってくる。スポーツカー・4駆・SUV・ミニバン・コンパクト・エコカーなどなど。その時の人気マーケットが他を圧巻し隅に追いやってしまう。
自転車ショウはそのけん引役は常にロードバイクである。もちろんフォールディングやクロスバイクがブームになった時はある。しかしそれらがロードバイクを圧巻したことはない。
最近はシクロの盛り返しや、コンフォートタイプ・グラベルロードの台頭などアンチバリローには結構楽しいネタも増えてきたことが唯一の救いか。

i_event_03ベント紹介で『シックスホイールスタイル』なんてのがあるようだ。
親父には数年前から当たり前のサイクルスタイルだが、昔は雪山や海に行きもしないのに、スキーやスノボ・サーフボードなんて積んだ『シティー〇〇』なんてのがいっぱいいたよね。今後はサイクリングにもいかないでピカピカロードを屋根に積んだ『シティーサイクラー』なんてのが街中に氾濫するのかな。
うちの空母は700Cをそのままラゲッジに放り込めるから、ハッチを開けなければ自転車積んでるなんて見えないし、天井を気にすることもないが、なれないシティーサイクラーをやるひとはファミレスやショッピングモールの入り口には注意しようね。

スポーツバイクに興味のある人は一度は見に行くことをお勧めするが、モーターショウ感覚ではいかないほうがいい。パンフレットは『もらう』んではなく『買う』のですよ。

まあ、サイクルモードは早々に切り上げ、帰りに船橋辺りでワイズとセオサイクルを見て、さらに足を延ばしてジャイアント・トレーク・スペシャライズドのコンセプトストアまで回ったら、初めて「自転車ショウを見てきました!」って言えるのだろうか。
空きブースが増えるのならその分会場内にサイクルカフェでも作ってくれるといいんだけどね。

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BMC 岩槻へ

置き場復活BMCCIMG9548がないため、組んだまま狭い部屋で展示品となっていた『BMCアルペンチャレンジAC−02』。我家の最軽量バイク(といっても10kgを越えているが‥‥)をやっと再始動する。
最近極度の運動不足と体重増で、100km前後で音を上げる情けない状態なので、AC−02試運転を兼ねて岩槻に行く。
朝からうだるような暑さの中、久々のツリーと1枚。最終的にサドルとタイヤを変更。少しグラベル風雰囲気になった。



北千住か河川沿い遊歩道らR4元荒川を元荒川までひた走り、元荒川沿いに折れて岩槻を目指す。元荒川が文字通り荒川本流だったころは、倍以上の川幅があったろう。
土手を利用した遊歩道があり、のんびりサイクリング気分が味わえる。






金剛院山門業用のダムである末田須賀堰に出る手前に、立派な山門があった。『金剛院仁王門』は将軍徳川綱吉の生母桂昌院からの寄進を受けたものだそうで。左右の見事な仁王像は岩槻市(現さいたま市)指定文化財になっている。







BMC末田堰止湖?須賀末田須賀堰堰』によってせき止められた川筋は湖沼のような雄大さを見せている。
小さな公園の木陰でチョイ休憩。






まず浮城は岩槻サイクリングの第一ミッション。岩槻城の攻略から始めよう。
『岩槻城』は太田資清により築かれたとされ、当時の荒川流路を総構えの一部に利用して、周囲を沼で囲んだ浮城である。城構えはあの『のぼうの城』忍城を彷彿させる。北条攻めの際の城の明暗ははっきり分かれたが、城を生かすも殺すも人次第ということか。





岩槻城黒門岩槻城空堀址公園として残っているのは『新曲輪』・『鍛冶曲輪』という後に北条氏によって築かれた出丸だった。ここは土塁や空堀が残されている。今でもかなり深いが、当時は今よりさらに深く、土塁も高かったようである。
公園内には『黒門』という当時の城門が保存されている。一度は浦和に移され埼玉県庁の正門になっていたものが岩槻市に「払い下げ」になったという。この説明ちょっと違和感を覚えるのはおかしいだろうか?



懐かしい車内東武特急『きぬ』い公園敷地の大部分はかつての沼濠であり、その名残の菖蒲池を回ったところに『東武のロマンスカー』といわれた特急『きぬ』の車両が保存されていた。
なっつかしい〜。子供の頃、新幹線『ひかり』を筆頭に東武の『きぬ』・『けごん』、小田急の『ロマンスカー』、近鉄の『ビスターカー』は憧れの列車であった。今なら車で4時間程度の会津若松まで板張りベンチシートの『夜行急行ばんだい』に一晩揺られた時代である。
思わず乗り込む。中は冷房が効いていて涼しい。この懐かしいレトロな客席でおベントを食べたくなったが、「飲食禁止」であった。残念。

人形の博物館りあえず、城址公園を後にして第二のミッション、人形の博物館に行く。
まだ娘が赤子の頃、今のひな人形を探しに岩槻に訪れた。家から浅草橋はすぐなので足繁く通ったが、どうしてもよいものが見つからず、「人形だったらやっぱり岩槻だろ」ということで、かみさんと一緒に歩き回った。数軒回ったところでカミさんがここがいいといったのは小木人形という店だった。今でも口コミ評価は高いようで、人形選びだけ?はカミさんの目に脱帽。




さて、人形人形の博物館2人形の博物館1の博物館は、岩槻駅前の東玉総本店4階にある。写真撮影禁止なので東玉のサイトより画像をお借りする。
当日は受け付けもいないで、署名と入館箱に300円入れて自由見学。一人しかいないところでじっと人形を眺めていると、笑ったりウインクされたりしそうで、ちょいとミステリアス。古い人形は顔立ちからしてそんな雰囲気を醸し出す。




人形岩槻大師弥勒寺の博物館を見た後で、第三のミッション、岩槻郷土資料館に行く。薄ら覚えの地図しか記憶になかったので、うろうろしている間に『岩槻大師』というお寺の前に来た。
なんとなくお参り。すると大師がお知恵を授けてくれた。「駅前に交番があったからそこに戻って尋ねよう」。
駅まで戻り交番で聞く。郷土資料館は大師への参道を曲がらず少し行ったところであった。「だったらそのように授けてくれよ‥‥」と思ったが、やはり楽な道を授けてはいただけないものなのだ。




『岩郷土資料館槻郷土資料館』。建物そのものが展示品のような感じだが、実際旧岩槻警察署の旧庁舎を利用している。
岩槻の歩みを中心に、生活様式や暮らしの道具が展示されている。また、建物そのものが大正から昭和初期の作りがそのまま保存されていて、ちょっとしたタイムトリップ気分になる。
ここでは岩槻の県庁設置にかかわる情報や展示がないか探したが、残念ながら見つけられなかった。
その代わり、岩槻の観光地図をゲット。当時の城構えと現在の街並みの位置関係がわかったので、城攻略に再挑戦する。



先ほ岩槻城二の丸跡ど訪れ岩槻城三の丸跡た城址公園の北側に、現在の県道2号に沿って沼に囲まれた『三の丸』『二の丸』『本丸』があった。
県道に沿って進むと消防署の脇に三の丸跡の碑を発見。三の丸を落とした。ここの脇の路地を入ると大手口跡があるはずだが見つからない。
また県道の戻り、本丸を一気に突く‥‥はずだったが気が付かないうちに二の丸跡の碑を見つけた。
定石通り‥‥であるが二の丸も落ちた。


地図岩槻城本丸跡本丸制圧ではGSとコンビ二の間に本丸跡の碑があるはずだが、やはり見つからない。反対車線から何気にみたら、あった。道沿いだとばかり思っていたらスタンドの奥に本丸跡の碑を発見。
遂に本丸を攻略した。スタンドが休みなので勝鬨をあげられなかったが‥‥。




時の鐘一ルート上に『大手口跡』と『時の鐘』があるので再チャレンジ。
時の鐘は、道路沿いにはなかったので大きい割にはてこずったがほどなく発見。
大手口跡の碑は遂に発見できなかった。掃討戦に時間をかけられないので、後ろ髪をひかれる思いで断念する。(後で地図に書かれた位置と実際の位置にずれがあることがわかった。)
クエストゲームのようで結構熱が入ってしまったが、徒歩で順路道理にいけばもっとたやすく見つけられるのだろう。




さいスタ2002構遊んでしまい、時間を大幅に使ってしまったので早々に帰路につく。
帰りはR122.をひたすら南下。







岩槻日の走行 92km
暑さと運動不足でしんどかったが久々のBMCは軽かった。







人形のまち岩槻まつりメイン会場廃藩置県藩置県によりかつての武蔵国北部は『入間県』と『埼玉県』に分かれた。入間県の県庁所在地『川越』と同様に武蔵国の要衝であった『岩槻』が埼玉県の 県庁所在地とされた。これは教科書にさえ載っている事実である。しかし諸所の理由(浦和の陰謀か?)で県庁は浦和に置くことになり、そのまま両県の合併で『浦和』が名実ともに県庁所在地になった。
岩槻は主要幹線から外れたこともあり一地方都市に甘んじたまま、さいたま市に併合される。
歴史の重みなら岩槻のほうが浦和より上である。尤も歴史の重みで首府が語られるのなら明日香村が今でも日本の首都でもおかしくないが。
そんな岩槻がかつて県庁所在地であった証を見たかったがそれは見つけられなかった。
岩槻は祭りの準備で活気があった。やはり歴史と伝統の重みみたいなものが岩槻にはある。川越・行田とともに再び訪れたい街である‥‥

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内房プチ輪行2

佐貫からR127を竹岡方面に進む。
上総湊を過ぎると海岸線沿いの夏向きロードになる。連休初日だが交通量はイメージよりはるかに少ない。高速ができたので分散されているのだろう。逆に車のスピードが速いので抜かされ間際は少し怖い。

竹岡城山の集落に入るころから前方に見える突き出した山、城山。
後半のミッションは里見氏の拠点、『造海城』・『金谷城』の攻略と日本寺の大仏参拝である。
『造海城(つくろみじょう)』。真里谷武田氏から里見氏の城となり水軍防備の要となった要塞である。中世城郭にも少し興味のある親父としては、佐貫城に次いで攻略したい城ではあったが、今回は本腰を入れた城攻めではない。完全攻略を目標にはしていない。




灯籠坂大師トンネルからいきな灯籠坂大師参道り海抜100mの急峻に囲まれた要塞はやはり大手門から行くのが最も容易なようだ。
白狐川を渡り、国道トンネルの手前に、いかにもミステリースポットの入り口らしい門?と小さなトンネルを抜ける。





石切り場?地層研究??切通しのトンネル現れるのが石切り場の深堀のようなトンネル。思わず「おおぅ」と唸ってしまう。
中は天然のクーラーのように涼しい。







大手門への道灯籠坂大師ンネルを抜けるとすぐに『灯籠坂大師』への石段が現れる(でも、大師なのになぜ鳥居なんだ?)。
山の中腹にある大師様にお参りの後、本堂の脇に、さらに上に上がる道に進む。この大師のすぐ上に当時の大手口の城門があったらしい。





攻略断念大手口からは急峻な尾根伝いで、道大手門への道2の跡はあるが藪が深く足場が悪い。
JRのトンネルの上付近で道は完全に藪に閉ざされた。
短パンに薄いトレーナーというポタリストの服装では進行は難しい‥‥というよりこの時季は古墳や古城の探索には適さないのだ。完全攻略を目標としないのはこのためだ。
まして「蜘蛛と蜘蛛の巣が絶対ダメな親父」には、これ以上の進行は不可能だ。これでよく古墳マニア・古城マニアが務まるなといわれそうだ。
蜘蛛の巣や蜘蛛そのものにまとわりつかれて、悲鳴をあげたくなるので早々撤退。
城の命脈、冬まで預け置く。

黄金井戸山の竹岡ヒカリモ発生地尾根の国道トンネルに戻り、竹岡駅を通過。不意に左手に『ヒカリモ発祥の地』の看板。
巨大な岩盤の中腹の洞窟に地下水が溜まっている。毎年春此処に大量のヒカリモが発生し水が黄金色になるそうだ。今の時季は何の変哲もない普通の色の湧水池だ。






金谷城スポーツセンター谷のフェリー港を過ぎて、鋸山の麓の金谷城址に行ってみる。但しここには見るべき遺構はないらしい。わずかに二の丸跡があるらしいが、健保組合のスポーツ施設内で関係者以外は入れない。うちの組合なら保健証もって堂々と入るのだが‥‥。いずれにしても保険証があっても蜘蛛の巣があったら先へは進めない。
『焼津の半次』並だ。猫がダメな『月影兵庫』よりはまともだと思うが。
早々に撤収。ここは冬将軍の助太刀だけでは攻略できそうもない。
最終ミッション、日本寺の大仏拝顔に向かう鋸山ロープウェイから城域全体を見ることにする。



展望台より遠望鋸山城スポーツセンター(名前にここがかつて城であった名残があった)へ向かう途中に『鋸山ロープウェイ』山麓駅がある。
山頂駅からの展望。左手のスポーツセンターが二の丸領域のようだ。縄張りは不明だが、スポーツセンターの裏手に山体崩壊らしき形跡がある。築城前からこうだったのか、築城後の地形変動なのか。本丸は左手の小高地にあったのだろう。



鋸山山頂展望台地獄のぞき?山頂駅から百尺観音、山頂百尺観音展望台を経由して中腹の大仏広場まで石段を下りる。
これはきつい。






ミニ東京湾観音発見中に変羅漢像わった石仏群が安置されているが、その中に何故か東京湾観音のレプリカを発見。








大仏山南麓から頂上付近まで大伽藍を形成する日本寺の中腹の大仏広場に到着。
ここから再び山頂駅まで登らなければならない。
自転車走行は50km程度だが、日本寺石段の往復で100km走行以上の疲労になってしまった。






再び金大トリだぁ!フェリーの東京湾フェリー乗り場まで戻り、フェリーで久里浜に向かう。
出向2分前の『かなや丸』に飛び込みで間に合う。おかげで1台だけ下層車両甲板になった。(通常自転車は2階車両甲板に専用スタンドで留められる。)
車やモーターバイクではよく使ったが自転車はこれが初めて。しかも搬出は堂々の『大トリ』であった。



横須賀線快速りもグリーン車を占拠。
筑波山輪行では体調不良で帰路も輪行を余儀なくされたが、今回の当初からの往復輪行としての計画はほぼ満足のいくものになった。今後の遠距離輪行の布石にはなりそうだ。
とはいえ装備重量12kg近いMR−4の輪行はちとつらい。車両で8kg程度なら楽だろうな。以前は10kgでも軽いと感激したものだったが‥‥。




内房輪行日の走行49km。
総武線快速・横須賀線を一回りした。


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内房プチ輪行1

錦糸町ずれは馬喰町やりたい房総周回輪行の予備演習として、休日に内房プチ輪行を実施。
日帰りで走行も50km前後。水戸周回で運動不足が決定化したため今回は走行を抑えた。





高柳銚子塚古墳り換え2人分占拠なしの君津行きで終点まで。総武快速グリーン車は平日の通勤時間帯くらいしか満席にならない。
贅沢なプチ旅行気分。自転車で2席分を占拠。グリーン料金は荷物代みたいなものだ。
姉ヶ崎を過ぎると『高柳銚子塚古墳』が見える。在りし日には墳丘長140mとも言われた千葉県屈指の巨大古墳だった。



内裏塚古墳津から出発し、富津岬を目指す。千葉県最大の内裏塚の前を通過。今日は下心?があるので寄らない。『珠名』に浮気心がばれると蜂に刺されるような気がするからである。『周淮の珠名』からすれば1300年後のとるに足らない親父などどうでもよいことか。わざわざ回り道をして内裏塚の前を通ったこと自体が『スガル蜂の珠名』の魅力なのか。






稲荷山古墳条塚・九条塚古墳稲荷山と100mを超える大型古墳も素通り。何度か来ていることもあるが、夏は古墳散策には適さないのだ。







第一海堡.第二海堡遠望津岬明治百年記念塔『明治百年記念塔』に上る。
第一海堡・第二海堡を遠望。
幼少の頃の第一海保の地図は陸続きだった。今は完全離島だが、海流によって北に流された岬の水没混痕が波間にうかがえる。





弟橘姫像津岬から佐貫に向かう途中、大貫海水浴場の手前に『弟橘姫像』がある。後ろの奇景は磯根崎。
海神に暴言を吐いて怒りに触れた倭建命のスケープゴートとなって荒ぶる海に入水した倭建命の愛妾である。
『弟橘姫』の像を見に行くから『周淮の珠名』に会わずに素通りしたわけではない。
弟橘姫の入水に至るシーンは東宝映画『日本誕生』の見どころの一つでもあった。でも司葉子はまだしも三船敏郎はもう迫力が出すぎていて、若い倭建命のイメージには合わなかったね。

 


東京湾観音称『鍵穴古墳マニア』ではあるが、数ある大型古墳を素通りしても、ここを素通りするわけにはいかない。
『東京湾観音』である。
観音様のお導きか、単に体力が温存しているためか、大坪山へのプチヒルも難なく走破。






左腕より右腕より日はうす曇りで、サイクリストにはよいが展望コンディションはあまりよくない。腕の上の展望通路に出る。スカイツリーの天望回廊より迫力がある。
腕の上に乗り小さな自分は、差し詰め『大仏開眼』の京マチ子・ジャイアントロボの大作少年並みの大きさである。
いつもしたばかり見るのだが、ふと腕の上から見上げる。すぐ上にあるふくらみは『御胸』である。ちょっと不謹慎なアングルではあるが、観音菩薩は中性であるという突っ込みは置いといて、結構グラマーなのだ。


各階ごとだれ?ご本尊に干支守り本尊や七福神が安置されているのだが、ちょうど腕展望のある13階には『ご本尊』が安置されている。
ご本尊は『子年』の守り本尊なのだ。子年の親父としては追っかけしたいくらいである。まぁ、ずっと此処におわすのだから『追っかけ』の必要はないが‥‥
ご本尊の横にいるご本尊によく似た、魚を持っている観音様は何だ?
この白い観音様は、1970年に慧眼した『釜石大観音』のレプリカとのこと。魚籃観音というそうで、デザインは長谷川昴氏。似ているというか、姉妹だな(観音菩薩は中性であるという突っ込みは置いといて‥‥)。
姉(1961年建立)のほうが長身だが妹のほうがグラマーである。

ルックダウンホール??と見つけた床の穴。水抜き穴だろうか。肘の辺りだろうが、このコンクリートの薄さを見ていると、東京タワーの『ルックダウンウィンドウ』よりもお尻がむずむずする。
でも、観音様の御胎内にいるのだから大丈夫だよね‥‥。






佐貫より東京湾観音遠望貫平野から東京湾観音を遠望ここから先は自転車初走りエリアである。



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那賀・久慈古墳めぐり

やはり大洗海岸2この時期になると海が見たくなる。

『Premonition of Summer』を流しながら海へ向かう。

6月から7月初旬の梅雨の合間。大洗海岸のはずれに車を止める

初夏の海水浴客でごった返す前の海はいい。

但し、厚い雲に覆われた空は『夏の予感』とは程遠い。

サイクリストにとっては直射じりじりよりはいいが‥‥

大洗海岸1沿いの駐車場。だがここが目的地ではない。今の時期、バーベキューや釣り人くらいしかいない駐車場で、わがコンテナから出てきたのは周囲からは明らかに異端なMR−4。これから海とは逆に丘を目指す。

 

今回の目的は茨城県最大の舟塚山古墳に次いで県下第二位の『梵天山古墳』と第三位の『愛宕山古墳』を訪れること。特に『梵天山古墳』は初めてなので特に興味深い。

 


那珂川洗海岸か涸沼川ら涸沼川・那珂川を渡り、最初の訪問地ひたちなか市『虎塚古墳』に来た。





虎塚古墳1虎塚古墳2古墳時代末期の築造で、全長57m。横穴式石室を持ち石室内の装飾が有名。





虎塚古墳4虎塚古墳3全のため内部の公開は春と秋の数日間のみである。

 残念ながら今は見学できない。





愛宕山古墳1塚古墳愛宕山古墳2から那珂川のサイクリングコースを経由して水戸市内にある『愛宕山古墳』に行く。

かつては周濠を配していたとされる墳丘長136mの巨大な古墳は、六世紀初めの築造で、被葬者は『仲国造』とされている。後円部には愛宕神社の社がある。



愛宕山古墳4愛宕山古墳3密集地の中にあり、しかもこれだけ巨大なので全景を撮れるスポットがない。

 




舟塚古墳宕山古舟塚古墳2墳からさらに西へ10kmほど行くと『くれふしの里古墳公園(牛伏古墳群)』がある。ここを訪れるのは娘が小学校に入る前以来だ。

くれふしの里古墳公園の南の低地に『船塚古墳』という80m級の古墳があるので先に立ち寄る。かなり原型を崩しているが

当時は牛伏古墳群とつながる巨大古墳群を形成していたのかもしれない。


 

『く牛伏古墳群3れふ牛伏古墳群2しの里古墳公園』には復元された園内最大の前方後円墳『4号墳』をはじめ16基の古墳が集中する。





牛伏古墳群6園中央牛伏古墳群4の巨大はにわ『はに丸タワー』は展望台になっている。






中に牛伏古墳群5はこんなはにわの顔がある。コインを入れると何かしゃべるはずだったが今は故障らしい。

忘れていたが、だれもいない薄暗い階段の途中でいきなりこんなものに出くわしたら少しビビる。これで目がいきなり光出したらどこぞの駅の巨大土偶みたいに子供が怖がってしまう‥‥。




4号牛伏古墳群1墳は公園正面にあり遠方からも確認できる。本来建造当時の古墳は周囲から認識できることが最大の条件であったろうし、それが巨大であるほどその地の首長の権力を鼓舞するものであったはずである。

 




側道れふしの里古墳公園から常陸太田市にある『梵天山古墳』に向かう。常磐道に沿って側道を走る。下り線側は車の交通量が多く怖いが、上り線側は人通りもほとんどない貸切CRである。多少舗装が荒いところもあるが、ほぼ快適に走行できる。点在する弁当の食い残しや不法投棄を見るとこの道の使われ方がわかる気もするが‥‥





側道梵天山7から梵天山1離れて久慈川を渡ると、低地田園地帯に梵天山古墳のある台地が見えてくる。

初代久慈国造舟瀬足尼(ふなせのすくね)を埋葬したとされる梵天山古墳は墳丘長151m。関東でも150mを超える巨大古墳は十指にも満たない中で、茨城では石岡の舟塚山古墳に次ぐ県下第二位の堂々たる巨大古墳である。


梵天山3梵天山4瀬足尼は政務天皇の時代の人物のようだが、古墳が前期型とすると舟瀬足尼は4世紀初頭の人物ということになる。伝承の域を出ないが、初期の地方古墳で被葬者の名前が特定できるケースは珍しい。




 

梵天山2梵天山6天山古墳は宝金剛院というお寺の裏手にあり、境内から階段が通じている。後円部には小さな社がいくつかあり広い空間となっている。後円部頂上から鞍部までは遊歩道のようになっているが、前方部へは草に覆われ道がない。冬場なら雑草がないので行きやすいが、やはりこの季節は古墳探訪には適さない。前方部への侵入は断念する。

 



梵天山か久慈川河口流れ橋久慈川右岸を河口の久慈大橋まで下る。やはりまったく運動しなくなったせいか、向かい風で20km/h巡航ができなくなった。テンパっている脚をだましだましR245を南下。





村松虚空蔵堂2本三虚空村松虚空蔵堂1蔵尊の一つ、『村松山虚空蔵堂』に立ち寄る。虚空蔵様といえば十三参りが有名。親父は十三参りは柳津だった。娘には十三参りをしてやれなかったことをちょっと後悔。

 

村松山虚空蔵堂を出ると最初の登りで久々の攣り、しかも両足一気。最近特に3階までの階段がきついなぁと思っていたが、車通勤は致命的であった。

近くのうどん屋で遅い昼飯。

帰路大洗海岸3は海沿いを走る予定だったが、起伏は避けたいので内陸のバイパスを通り海門橋に至る。阿字ヶ浦の海沿いコースは昼飯時も合わせて?捲土重来を期す。

 




大洗海岸4ってきました大洗海岸。

本日の走行97km。

車の走行は往復257km





ルートルート2回は140km走っても脚には来なかったのだが‥‥



 
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藺沼サイクリング再び

香取海と藺沼1気の良い5月の休日、再び藺沼にサイクリングに行く。
あまり目的地にこだわるわけではない。『藺沼』はすでに痕跡を求めるのも困難な400年ほど前まであったとされる巨大湖沼である。現在は湖沼があったとされる低地帯の中央を利根川が貫いている。




休憩所事先によって一仕事したため江戸川CRに合流するのは野田橋からとなった。
CRに入ってカブトムシの林に差し掛かるところ。休憩所を発見。1年前にここを通った時は全く気付かずに通過した。
そのあとにできたのかなぁ?






幾度東武線鉄橋?も通関宿水門っている江戸川CRが利根川CRに変わる分岐点にあるのが関宿閘門。江戸川だが右岸は茨城県である。、
律令国界では葛飾郡・猿島郡全域が『下総国』であった。平将門は本来千葉県の英雄だったかもしれない。
閘門を超えると湿地の小河川似に橋が架かっている。かつての総武鉄道(東武野田線の前身)の江戸川鉄橋を移植したものと書かれている。



関宿城宿城博物館は何度か訪れているので小休止のみ。








ツバメやしうどんサイクルカフェが食べたく、昼食に『道の駅さかい』に立ち寄る。
何故かサイクリストが多く、駐輪ラックまでおいてある。
奥にサイクルカフェなるスペースがあった。
洋食系やフローズン関係を販売していた。
最近できたようだが、できればゆっくりコーヒーが飲める室内ラウンジみたいのがあるともっと嬉しい。
今日は冷やしうどんが食べたかったので、従来の道の駅の食堂に行く。
トイレの中はツバメが我が庭先といわんばかりに飛び交っている。

境大橋から決壊口の碑利根川左岸を下る。この辺りは中世まで多くの湖沼や湿地帯が混在し、香取海に注ぐ常陸川の分水嶺になっていた地域である。
強固なスーパー堤防の上にある決壊口の碑のところで小休止。
ほかに看板等がないので、いつの決壊だかわからない。
利根川決壊はキャサリン台風(最近はカスリーンというようだ)が有名だけどここもその一部なのかな?
この辺りはすでに本題にある『藺沼』の水域になっている。



芽吹大橋歩道橋吹大橋の歩道橋をわたる。筑波サイクリングではここで一回目のダウンをとられ自力帰還を断念せざるを得なくなった嫌な場所ではある。
この歩道橋って元の橋が新橋の開通によって歩道橋に転用されたものとばかり思っていたが、歩行者の為にあとから掛けられたことを知って驚き。まあ確かに隣の自動車橋を歩くのは自殺行為に近いが‥‥





美人ターミネーターの鉄橋根運河分水から布施弁財天までは初めてのコース。とはいえ何ら観光ポイントがあるわけではない。
常磐道とTXの鉄橋のはざま。
この付近は『藺沼』のほぼ中心部に当たる。
今、上りのTXが風を切るように鉄橋に差し掛かろうとしている。
高速で抜けていくTXを見ても別に色気も恐怖も感じない。
電車マニアでないから‥‥否、クリスタナ・ローケンでないから??



TX和田沼跡の利根川橋梁を越えると利根川右岸が大きく開ける。
田中調整池といわれる広い田畑は洪水の時に遊水池となる。
調整池は対岸の茨城県側に稲戸井・菅生という2つの調整池があるが、古代から中世にかけて存在した『藺沼』はその3調整池を合わせたよりも広大であったと推測される。但し霞ケ浦や北浦のようなイメージではなく、湖沼と湿地地帯が混在する領域であったのではなかろうか。




新利布施弁財天根橋を越楼門えたところで利根川低地に大きく突き出た大地にある布施弁財天に寄る。
ここも前回の『藺沼試走』で立ち寄ったところ。大同2年に空海によって開山されたという。「大同2年」というのは仏教史や災害史にとってキーワードになるほど、色々な場面に出てくる。
本堂は享保年間、楼門や鐘楼は文化年間の建立である。
境内にある茶屋で小休止。アイスを食べる。



『布弁天古墳施妙見大菩薩』を祀る小さなお堂は弁天古墳というれっきとした古墳である。
前回は疑心暗鬼で撮影したが、お堂の脇から見ると前方後円墳の形状がはっきり見て取れる。







あけぼの山農業公園ポピー畑ランダ風風車が見える弁財天の裏手の『あけぼの山農業公園』に寄ってみた。今はポピーの時期になるそうだ。ということはこれがポピーなのかな。







手賀大橋び調整池手賀沼内の道路に出て、R6から手賀沼に出る。海老のような形をした手賀沼は干拓により、一番おいしい部分?を失った。
ここはもう、中世まで原型を留めていた巨大湖沼『香取海』の最も奥に当たる『手賀浦海』の名残である。縄文海進の頃には香取海と藺沼もつながった巨大内湾を形成していたらしい。
手賀沼の中央を跨ぐ手賀大橋。連続する上路アーチが見事な大橋であるが、やはり親父は北浦にかかる下路アーチの北浦大橋の優雅さのほうが勝る。
手賀大橋を渡るといよいよ帰路だが、CM−11はここでバッテリー切れ。




藺沼回の走行
144km
充電器を忘れたため、CM−11は途中で電池切れ。

備考
かつての利根川本流の名残『古利根沼』が『藺沼』と呼ばれることがあるらしいが、本稿で取り上げている『藺沼』の名残ではない。古利根沼付近は大地が迫った隘路となっており古代の香取海と藺沼を隔てた部分と思われる。


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BMC 継続待機


チェーン・他ェーンとスタンドを残して部品の装着が終了したAC−02。
エスゲWレッグは安定はいいが重い。期せずして大幅に軽量化されたのでスタンドはなしかKOBAの軽量センタースタンドでいい。
エスゲはボツ。





クランク・SPDペダルSPDペダル回は極力自家ストックの消化に努めたが、クランクとSPDペダル、その他小物を追加購入。
クランクはシルバー・クランク長165mm・5ピンがきちんと露出している??という3条件とフォローテック2が必須だったためセコが必然となった(だいぶ歯がくたびれている)。最近低グレードにまで採用されている『HOLLOWGLIDE中空構造』は好きではない。ましてあの4本アームに囁かな嫌悪感を感じるのはオヤジだけだろうか。
三ヶ島FD−6はホント、過酷な使用に対してもガタやゴリの出ない奇跡のペダルであるが、大麻常習者同じくビンディング依存症に片足を突っ込んでいるため、SPDペダルの誘惑に勝てなかった。(しかしFD−6より重たいペダルって何!)

今回ケーブルプロテクトは定Oリング番のリサドル・テールライトクセンカウルシリーズとバッシュガードは未装着。
最終的に新たな購入パーツは
FC5750クランクとPD−M324ペダル
以下は新品購入、
インナーブレーキワイヤー前後
チェーン
フレームプロテクションシール
ワイヤー用Oリング(別に必要じゃないかも)

締めて13,000円ほど。
ルッククロスが買えるお金を使ってしまった。(ベローチェ同様名前が大好きだから「クラリス」のセコクランクでも良かったか‥‥)
その他の待機品はパナレーサーロードランナー+前後チューブ・ビームスプリングサドル・ケーンクリークサッドバスター等々。

ミニVブレーキうしろディレーラー・スプロケミニVブレーキまえイヤーケーブル系、保Wレバー安部品を取り付けたが、チェーンだけはまだ未装着。完成してしまうと簡単にバラシができないのでチェーンセッティングは保留。






ボトルケージブルホーンればスピードと距離積算だけでいいから1,000円くらいでメーターが欲しいところである。



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追伸
VERO5品箱の一番下から、娘用で使っていたキャットアイサイコンCC−VL110が出てきた。細かいタイヤサイズ設定ができないが動きそう。サイコンも買わずに済みそうだ。

BMC 仮組み

bmc bygone days 2bmc bygone days 16月『嵯峨』にフレーム以外のパーツを移植し展示品となっていた在りし日のBMC。
先月、嵯峨を700C化したことによりクロスライドとベローチェライナープルカンチブレーキが戻ってきたので、ほぼ家のストックで主力パーツが組み上げ可能となった。




bmc refabrication 4bmc refabrication 1に組んでみたBMC。
ストック品の再利用なので、ブルホーン仕様となり、リア10速のフリクションタイプから9速のインデックスに変更となる。
ディレーラーはディオーレ⇒アリビオ。クランクは105だがBBは105⇒ティアグラにダウンしている。もともと全品セコで揃えているし、ちょい乗り用ならこれでも十分すぎる。



ベロbmc refabrication 3bmc refabrication 2ーチェショートVブレーキ(正式名がライナープルカンチブレーキとなる)が復活する。
我が家のお宝パーツ?である。別に我が家で唯一のカンパブランドだからというわけではない。『ベローチェ』という名前がとても気に入っている。『エクセルシオール』とか『タリーズ』という名前だったらここまで惚れ込まなかったろう。





bmc refabrication 5イヤーアッセンブリーとチェーンと保安部品をつけてセッティングすれば乗れる状態である。
我が家で最軽量のバイクである(といっても10kgはある)。ショッパー化せずそのままの状態で乗りたい。
すぐにでもスタンバイしたいが、トランクルームがいっぱいで新たな自転車の置き場がない。
駐輪場を借りるとほぼ雨ざらし状態となってしまうので、残念ながら当分部屋のインテリア状態のままになりそうである。


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北浦周回

歪んで出発動があってからはじめての連休。
桜には遅いが、予てよりしたかった北浦周回サイクリングに出た。
以前使った潮来バスターミナルの駐車場。1日500円也。
入ったあとで、反対車線に1日300円の駐車場を発見。
ショックのためか写真が傾いている。




渡れるの?常陸利根川橋浪逆浦を回るために常陸利根川を北上して潮来大橋を渡り、外浪逆浦の南岸から息栖大橋に向かう。途中で前回見逃した加藤洲十二橋も見ていく。
東関東道沿いに『常陸利根川橋』の下に出る。
なんと高速道路橋なのに歩道橋があった。
渡って見たかったが、今回はスルー。



『加十二橋藤洲十二橋』。潮来にあるのは『前川十二橋』で、こちらは佐原市になる。
あやめの時期はひときわ賑わう。
十二橋はホント人ん家の軒先みたいなところにあるので、立ち入っていいものかどうか迷ってしまう。






常陸利なんでだよ根川の常陸利根川沿道土手道は自動車バイク進入禁止で走りやすい。路面も綺麗だ。
と思ったら、外浪逆浦南岸はお決まりの砂利道。
途中迂回も含めて、砂利道は息栖大橋まで続いた。





九人坊外浪逆浦2栖大橋を渡り常陸利根川左岸から外浪逆浦東岸に来た。
水郷を航空写真等で見ると、巨大なハサミのザリガニのように見える。このザリガニの胸部に当たるのが外浪逆浦だ。
外浪逆浦の平均水深は2.5m程度だが、埋立用の浚渫により丁度写真の沖合などは最大水深20m以上になる。
そばに『九人坊の慰霊碑』がある。伝説は別としてもこの周辺は水運の要衝であり難所でもあったことを物語っている。


鹿島神宮一の鳥居宮橋鹿島神宮一の鳥居と神宮橋のたもとに大きな水上鳥居が見える。いつ出来た?
2013年に再建され、現在の位置に移設されたのは2014年のようだ。知らないわけである。






北浦最広部賀から北浦湖畔に出て東岸を北上。ここは前回の逆走である。
舗装も綺麗で走りやすい。但し流入する小河川の河口部に橋がなく、迂回する僅かな区間が毎回未舗装になっている。
古の巨大な香取海と、そこを生業としていた小国家群に想いを寄せながら走る。






北浦大橋北浦大橋を通過。ここから先は車・バイク・徒歩を含め今回が初めてとなる。
景色は良いが道は単調な一本道が続く。







往路鹿行大橋浦大橋から8.5kmで次のポイント『鹿行大橋(ろっこうおおはし)』にでる。
東日本大震災で落橋した旧橋に変わり、前倒し開通したこの橋は新しい。
デザインも北浦大橋になぞっている。景観工学がどこまで生かされているか分からないが、北浦大橋同様この橋も周囲の景観に溶け込み、優雅な調和を見せてくれる





蓮根畑?根畑だろうか。レンコンの収穫時期って秋から初冬のイメージがあるが‥‥








安塚公園駐車場桜と菜の花田市に入り、北浦の流入部分に近づく。
マップでは安塚公園となっている。長い菜の花畑、その後ろが桜並木。満開の季節ではないことが残念。
5月には鯉のぼりの大群が出現するそうだ。





折り返し地点行開始64km地点。折り返しポイントに到着。
ここから上流は巴川である。面積34.4平方kmの巨大な北浦はここから始まる。







折り鹿行大橋返し後はかなり強い向かい風。
鹿行大橋を西岸から。







『北浦宝来変った東屋温泉つるるんの湯 北浦湖畔荘』(??温泉あるのか‥‥)を過ぎたところに変な東屋?があったので休憩。
ホイールを替えて乗り心地が改善したので、パッド付きインナーにしていない。強風によるペースダウンはともかく、マタマタ激痛がたまらん。
想定外のダートが余計こたえたようだ。






頓挫浦流出部を目前にしてついに完全停止。おやつ休憩。
もう駄目じゃ〜!マタずれ痛い!







疲れた〜っと鹿北浦橋梁島線北浦橋梁まで来た。
少年時代、1,236mの長さは鉄道橋としては全国第2位の長さだったはずである。(1位は新幹線富士川鉄橋だったかな)
最後は神宮橋を越え一気に鰐川を下る。
やっと戻ってきました。




北浦回の走行108km
走行速度は17.1km/h 
ダート区間もあり、後半もほとんど15km/h以下だった割には健闘した(スポーツサイクルのCR巡航速度とは言い難いが‥‥)


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たまにまじめな話

『外第五福竜丸2相会議』が広島で開催され、各国外相が原爆ドームを訪れたとか、『伊勢志摩サミット』で小浜さん??が広島に行くとか、何かと『非核』が話題になっている。
だからというわけではないが、最も身近な核のメモリアル、夢の島の『第五福竜丸展示館』に行ってみる。
休日には多くの人で賑わう夢の島公園。
華やかな熱帯植物園の裏手に、木々に覆われひっそり竚む展示館は、唯一の被爆国でありながら、核の恐怖と怒りを声高らかに唱えない日本を象徴している感すらある。




『第第五福竜丸5第五福竜丸3福竜丸』。この名前が脳裏に閃くのは、多分おやじの年代以前の世代の方々だろう。もちろんオヤジが生まれる以前の事件である。
まだ広島・長崎の記憶が癒えない日本人に、再び核の洗礼として当時大きな話題となり、同年封切りの『ゴジラ』誕生のきっかけとなり、『美女と液体人間』の被爆マグロ漁船そのものと言える『第五福竜丸』。




このよう第五福竜丸6に日本全土が注目した船であるから、そのままメモリアルとして保存されたかというとそうではない。
被爆後も練習船として13年間現役で使われた末廃船となり、現在保存されている夢の島に人知れず放置された。
朽ち果てた廃船が『第五福竜丸』と判明し、今の展示館に保存されたのは1976年になってからである。

資料館は本船の保存展示の他に、ビキニ環礁の水爆実験の写真やパネル。当時の報道記事や乗組員の資料当の展示がある。



第五福竜丸7第五福竜丸9示館の外には被爆から半年後に亡くなられた久保山無線長の記念碑があり、「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という遺言が刻まれている。
後に無線長の死因は被爆とは直接関係ないという医学者の見解も出されているが、日本人としては、やはり死の灰の洗礼、水爆の被害者として脳裏を離れない。
また、展示館の敷地の隅には、築地から移植されたという『マグロ塚』がある。『原子マグロ』として遠洋漁業のマグロが一斉に廃棄穴埋めにされた。今で言う風評被害の先駆けである。
マグロ塚は食物連鎖の摂理に殉じられなかった魚たちへの鎮魂碑か、あるいは今でも風評という愚行を続ける愚かな人間への戒めの碑か。

第五福竜丸8示館正面には、別の船に移植された後、沈没により海底に没した『第五福竜丸』のエンジンが新たに引き上げられ保存展示されている。
その当時は、家の車と変わらない出力のエンジン。行楽地の遊覧船より小さな木造船体で往復10,000kmもの長征をしていたことになる。





非核兵器地帯マップ示場の最後のパネルは『非核兵器地帯』マップである。憤りに近いものすら感じるのだが、そのマップの中央にある日本は『非核兵器地帯』に入っていない。本来比較兵器地帯の盟主になるべき国家が、その宣言、条約締結すらしていない。兵器だけでなく全ての核を放棄している国々も多い。

広島・長崎に次ぐ第三の核の犠牲がありながら、唯一の被爆国である日本は、『第四の核の犠牲』を出した。3.11の福島第一原発のメルトダウンである。しかもこれは外から受けた加害的被害ではなく、自らが造り招いた被害である。しかもこれだけの洗礼を受けながら、日本は核の脅威を除くどころか意図的に再び繰り返そうとしている。これだけ愚かな国がほかにあろうか‥‥

人は第五福竜丸4自己の都合により、人災と天災を使い分ける。人は福島第一原発の惨劇を『人災』だという。それはある意味万能でない人間への戒めにもなる。但し為政者を含めた多く人間が、人間の過ちならば新たな枠組みで防ぐことが出来るという奢りの狂信者になっている。
天災による核被害は想定外である。だから想定外に対応する手段は、原発を動かさないこと、造らないことしかない。しかし、それを人災にしてしまったことで、規制と運用の強化で再発が防げるという、最も都合の良い愚行を平然とやってのけようとする。
京都議定書の目標遵守は重要である。産業界の競争力低下やエネルギー自給体制確率は確かに日本の最重要課題である。だが第五・第六の核の洗礼は、それらと比較をしていいレベルのものではない。

広島桜・長崎を繰り返してならないと叫ぶ為政者はどの面下げて福島は繰り返してもいいというのだろうか。
「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という久保山無線長の言葉は、それから60年後に平和利用の名のもとに転用された核により無慈悲にも破られた。そしてそれはこのつぎも、そのまた次も破られることが前提になっている。
第五福竜丸は後世の日本人に何を訴えているのか。



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700C

購入から1年に満たない嵯峨。
26インチ仕様であることが条件で探したフレームであるが、衝動的に700C化に挑戦する。

寸づまりのロード系ジオメトリーが好きではないので我が家はクロス系とミニである。26インチに拘ったのは、極端に脚力がなく、こぎ出しの楽さを求めたこともあるが、ホイールベースが長く見え、バイクのシルエットがゆったりする視覚的効果が第一の理由だった。
700Cにしてみたのは、嵯峨はもともとツーリング系なのでチェーンステーが長く、700Cサイズにしてもゆったり感が損なわないこと。
もう一点はBBハイトがBMCやMR4にくらべて低く感じる点。ペダルの最下部のクリアランスがないからカーブが怖い。38〜48標準のタイヤサイズに28を履かせているから尚更であった。

700C化ベースとしてチTNI AL22+Shuwalbe marathon 28cョイスしTNI AL22たのは『TNI』の手組ホイール。ほぼ衝動買いだが、購入直前でシマノのスーパーコスパホイール『WH−RS21』との一騎打ちとなった。性能・デザイン的好みともに『WH−RS21』である。スポーク数が少ないほうが精悍であるというジンクスに縛られたおやじに16本と32本の選択なら迷う余地はなかったはずなのに‥‥
しかし今回は
『TNI』をクリックした。嵯峨のクラシカルなデザインならTNIの方が似合うかもということと、32本の方がホイールが柔らかく乗り心地が良いだろうと思ったことによる。やはりもう年である。

700Cと26インチして大きな魅力はその意外な軽さ。
スーパーコスパホイール『WH−RS21』は1850g、エントリー最軽量クラスの『マビッククロスライド』が1700g。通販では両者より低価格帯のTNI− LA22はなんと1674g。クロスライドよりも軽いのである。11速が不要であることとリアエンド135mmという点も考慮した上での衝動?買いである。
ブは『FH−TX800グレードはTOURNEY−TX。廉価版クロスによく使われる、シマノトレッキングコンポと呼ばれるグループのブービーブランドである。ここだけは2〜3千円UPしても上位クラスにしてもらいたかったところである。
さすがに回転は確か良いとは言えない。
慣性では24インチの『A−CRASS FOREX24』や『
MAVIC CROSSRIDE UB』には及ばないのはやむを得ない。
でも、どうせだったら「おじさま
にとっては『ターニー』よりやはり『クラリス』だよねェ。
 
タイ
チューブとリムバンドSCHWALBE MARATHON 700×28cヤは『シュワルベマラソン700×28C』。クロスバイクの定石のようなブランドを一度は試したかったし、ハイプレッシャータイプであることと耐パンク性にも定評が有る。
タイヤパターンはかなりごつい。ビットリアラクゼムと幅は同じ28である。フルスリック拒絶症のオヤジにとってはこのママチャリのようなタイヤは妙に安心感がある。
但し重量はホイールの軽量化分をカバー??して余りあるが。


RIDEA CNCイールとタイヤを購入したあとで悩んでしまったのがブレーキ。
『ベローチェLINEAR PULL カンチブレーキ』は当然そのままでは使えない。『700Cトランスファー』(マンハッタントランスファーっていう懐かしい名前を思い出す)を使うのが手っ取り早く確実な定石。ブレーキブースターの機能もプラスされるメリットがある。
しかしアルミMTBにならよく似合う700Cトランスファーだが、クロモリツーリングフレームには少し無骨過ぎる。今回はTS−7で使用したリディアFLVと、MR−4で恐怖の体験をした最強アシマを(懲りずに)チョイスすることにした。




『アシアシマ+シマノアシマ!!AP72CV−M−HU−AL』のシューはストック分と交換。けして770円の制動力を疑ったわけではない。単に黒の方がすっきりしているだけの理由である。770円のカートリッジシューと1,200円のそれとで150%も性能がいいとは思えない。





『リトラベルエージェントディアFLV』はロングアーチだが、ディズナJリーチレバーでもそのまま引くことができる。但しフル制動すると引きしろをまるまる使ってしまうので、引きしろを変えるためトラベルエージェント(注:この場合、旅行代理店という意味ではない。このパーツを使ったからといって楽に旅行ができるというものでもない。)というパーツを使う。数種類出ている中で最も安価なのが、ミスターコントロールの『Vブレーキコントローラー』。ストックがどうしても見つからず再購入。1,060円。
こんな簡単なパーツで引きしろが解決できることはTS−7で検証済みである。但し初期制動はV特有の鋭い効きが劣ってしまうので注意。



700フロント変更後Cのホイフロント変更前ールはイメージよりかなり大い。24インチのFOREXと26インチのクロスライドの差は39mmだがクロスライドと700CのAL22の差は63mmある。インチ表示なら同じ2インチの差なのに、これほど違う。ただしフォークのクリアランスはぴったりとなった。クランクの最低地上高が確保できたことは安心材料である。




saga700c1リア変更後リア変更前ディアの質感は高いが、全体的にクラシカルなイメージの嵯峨にはやはりベローチェの方が似合う。全体的にキャンディーレッドのアクセントに統一しているのでレッドのブレーキは危惧された違和感はなかった。
 




saga700c2が家の自転車の最大のご自慢パーツ『ベローチェLINEAR PULL カンチブレーキ』が予備役になってしまうことは唯一の遺憾だが、BMCのフレームが健在であり、クランクセットのみ揃えればもう1台組める状態にもなっているので登板の機会は必ずある。

700C化の印象としては、一言で言えば『ごく普通の自転車』になったという感じである。
転勤により自転車通勤から長距離車通勤になったため、通勤バイクの地位を失った嵯峨であるが、「スーパーでママチャリと戦えるショッパースポーツバイク」という我が家のバイクコンセプトが後退してしまうことをカバーできる乗車感が得られるかが期待どころである。


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サクラサイコ試運転

準夜サイコ勤と休日出勤、慣れない新任管理職が1ヶ月続き、寝不足と疲労極限の中やっとまともな休みが取れた。
1日寝ていたいところだが、なにか発散しないと余計疲労が増すので、嵯峨試運転を兼ねてポタに出る。
桜には早いが、桜の季節に休みは取れないので、早めの花見も兼ねて慣れた彩湖まで。
700Cの『TNI− LA22』のはじめての漕ぎ出し。
重たい!
小径車は漕ぎ出しが楽とは聞いていたが、559と比べても明らかに違う。ロードの出だしが遅いのも納得した。



荒川下流河川事務所内川CRを北上。今日はそれほど強くない向かい風だ。
走りなれた1本道だがとにかく重たい。最悪のコンディションもあるだろうが、20km/hの巡航が辛い。やはりハブをけちっているせいか。それとも上手ではないブレーキセッティングのため引きずっているせいか。

それでもいつもはローディーさん達に矢のように抜かされていくのだが、今日の人たちは比較的ゆっくり抜いていく。疲労困憊で気づかないのか、思っているより向かい風がきついのかもしれない。
こぐのがツライ代わりに乗り心地は良くなっていることに気がついた。空気圧指定上限の110PSIまで入れているのに、サスがついているように柔らかい。乗り心地に関しては『クロスライド×ロードランナー
』よりTNI− LA22×シュワルベマラソン』の方が快適である。クロモリフレームの真骨頂というところか。
岩淵水門の先、『荒川下流河川事務所
』の構内に先はじめの桜を発見。
いつもサイコ2のように秋ヶ瀬橋を渡り、さくら草公園から彩湖外周に入る。
彩湖の外周道路もまだ桜には早いようだ。







都市農業公園前見晴茶屋魔に襲サクラわれ最悪のコンディションが続くうちに正午を過ぎたのでみはらし茶屋に寄る。
おォ、もう咲いてるではないか。
多分早咲きなのだろうが少し花見が出来た。
みはらし茶屋で食事、混んでいるせいかなかなか来ない分ゆっくりうたたねできた。
黄色い花が綺麗。名前見てこなかった。菜の花じゃないよね。

飛鳥山公園のまま帰るのもつまらないので、少し寄り道。音無渓谷と飛鳥山公園を経由する。等々力渓谷とともに23区内で数少ない河川争奪の痕跡が残る音無渓谷だが、やはり桜には早かった。
飛鳥山に立ち寄る。フォト中央にいるおまわりさんは残念ながら『DJポリス』ではない。警官ではなく、その後ろの都電の新型車両を撮りたかったのだが‥‥





飛鳥山飛鳥山の古墳鳥山も桜には早いが、日当たりの良い場所でわずかに咲き始めている。
次回の日曜日は仕事が早く終わる予定。花見ができるといいな。
久々に飛鳥山の古墳を1枚。






サイコ行距離66km。普段はポタだが、今日のコンディションでは非常に辛かった。でもちょっと変。距離が少ないなぁ。彩湖往復は最低70kmは走るはずだと思ったとき、やっと気がついた。
‥‥「サイコンのホイール設定直していない」
‥‥
559と622ではタイヤ外周が約10%違う。トリップカウント上では66kmだが、ルート検索すると72kmだった。
行きの20km/h巡航は辛かったが実際は22km
/hで走っていたことになるわけだ。
みんさんが今日はゆっくりだったわけじゃないんだ‥‥

本日の走行 66km(メーター上)
        72km(検索値)

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テラ へ‥‥

初詣ランで五色不動を巡ったが、五色不動の一つ目黄不動には諸説有り、他にも有力候補が有る。
そんなわけでほかの目黄不動も行かないとなんとなく後味が悪い。
既に『門松』もとれたのだが、未だに『角松』を聴きながら、There I Go Again 五色不動。

真言宗豊山派 七星山光徳院回の目的は目黄不動だけではない。年初に成願寺で千手観音を拝んだが、他に千手観音を本尊とする観音堂があることがわかったので行ってみる。そこはかつて世話になった上司の墓所から近いので20数年ぶりに行ってみることにした。







真言宗豊山派 七星山光徳院5真言宗豊山派 七星山光徳院2千手観音様がお祀りされているのは『真言宗豊山派 七星山光徳院』。西武新宿線新井薬師駅からほど近いところにある。
いきなり目を奪われるのは見事な五重塔。各地の巨大な五重塔を見ていると1/2とか3/8のスケールモデルかと思えるような、ちょっと小ぶりだが非常に端正な姿をしている。





観音堂は
真言宗豊山派 七星山光徳院4本堂真言宗豊山派 七星山光徳院3をはさんで五重塔の向かい側に位置する。
比較的小さなお堂だが、なかは豪華絢爛である。もともとこの観音像は秘仏であったとのこと。奥まって安置されているのでよく見えないが『秘仏』にふさわしい霊験あらたかな雰囲気の立像である。





新青梅街道からほど近い寺の墓地を訪れる。
駆け出しの頃世話になった上司の墓は25年ほど前に一度訪れただけで、どれだか思い出せず、1基々々探し回ってしまった。

養光山金碑院 永久寺1白通りから不忍通り・明治通りを経由して、都電三ノ輪橋で昼食。
現存するただ1路線の都電荒川線。廃止の声が上がらないのはなんとか収支がとれているのだろう。
かつての『王子電気軌道』は、幻の『京成白髭線』との相互乗り入れが計画されたが実現はしなかった。歴史に『IFは無い
とは有名なフレーズだが、もし実現していたらこの写真に在来線最速のニュースカイライナーが写っていた???かもしれない。




養光山金碑院 永久寺3養光山金碑院 永久寺2輪橋駅からほど近い大関横丁からすぐのところに『
養光山永久寺』があった。ここが2番目の『目黄不動』である。
不動堂は前衛的な建物(本堂??)の左側にある。門が閉ざされているため裏に回ってみたが、裏通りは民家だった。入っていいものかもわからないのでとりあえず記念撮影。




養光山金碑院 永久寺4つて日本堤があった馬道通り(土手通り)から直線でスカイツリーが見えた。この先にはかつての『新吉原遊廓
があった。








白髭橋を渡り、先ほどの京成白髭駅跡から大正通り・いろは通りを抜けて水戸街道に向かう。このあたりもかつてラビリントと呼ばれた歓楽街『玉ノ井』があった。
京成八広駅を抜けると、21世紀になってから全通した新道『ゆりのき橋通り』になる。意外にも向島から京葉道路まで
ゆりのき橋通りを全走するのは初めてである。


牛宝山明王院 最勝寺2番目の目黄牛宝山明王院 最勝寺1不動、『牛宗山 明王院 最勝寺』は都立の名門(61群だもんなぁ)小松川高校の裏手にあった。
縁起によると、もともと大正時代までは本所にあったらしい。
阿吽の仁王像が守る山門を入ると広い敷地の右側に不動堂がある。





牛宝山明王院 最勝寺3動堂の前には各種の蓮の瓶が置かれている。
お堂の格子はガラス張りのようで、中を覗けるかと思ったが、磨硝子なのか、中は見えなかった。







さて
目黄不動、3つの目黄不動を含め江戸五色不動を回った。守り本尊である千手観音もお参りできたし、今年は明けからテラ尽くめであった。
世界情勢も物々しい今日この頃。世界平和・人類救済を神仏に祈願したいところだが、
自分の仕事がアップアップで、心のゆとりすらない状態
それでも自転車乗り回していられる平和な世の中に感謝するとともに、
凡ゆるものが神である日本人としては、この平和を世界中の戦争や飢餓、病に曝された人々にも分ち合えるよう寺でも神社でも教会でも形振り構わず祈ろう。

本日走行 42km

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一般参賀〜五色不動

1月2日は一般参賀で騎馬警官一般参賀始まる。
去年もより出発時間が少し遅れたせいもあり、
1回目は逃してしまう。






今回ダメかも構楽しいボディチェックボディチェックを受ける
体中触られるのは結構気持ちよかったりする。







半分だけ
アイドル並回目で長和殿中央までこれたが、前回よりはかなり後方で視界はかなり遮られている。
お出ましになると、大歓声とともに日の丸が一斉に振られてサトウキビ畑状態になる。
左側、肝心の天皇陛下・皇太子ご夫妻などは前のおやじの頭にピントが合ってしまい残念ながらすべてピンぼけ。ピンぼけ写真なぞ載せたら『不敬罪』!になってしまう。


アジアンケバブて、やっとお昼ころに皇居から出られた。昨日の続きの初詣ラン。本日は江戸五色不動をめぐる。
前日と同じようなルートを通る。
昼過ぎたので、どこか喫茶店でもと思っていたら、ケバブ屋があったので初ケバブ。
『アジアンケバブ』というお店。味はともかくとして具がめちゃめちゃてんこ盛り。特にキャベツはサンドに入っているというよりサンドを包囲してしまっている。今まで4〜5店のケバブ屋に行ったが、少し変わったケバブであった。




R1大日如来から目黒通りに
入り、最目黒不動尊も有名な『泰叡山瀧泉寺 目黒不動』に向かう。入り江戸三大不動の一つと言われ、2日も非常に混み合っていた。本堂にお参りしたあと「裏をお参りの方は‥‥」などと書いてあるので行ってみると、でかい大日様が鎮座しておられた。






女坂
役の行者小角の途中にある『役行者小角』の坐像。目黒区指定文化財だそうだが、人と煙で写真取れない。
‥‥なんで東京深川って掘られてんだ?







目青不動目青不動尊横線学芸大前を通り、世田谷線三茶駅すぐ裏の最勝寺教学院にくる。ここが目青不動である。三茶の雑踏が嘘のような静寂に包まれた空間。訪れる人もほとんどない。
五色不動が出来た頃、渋谷ですら深山幽谷の地だったはずで、三茶は江戸ですらなかっただろう。何故ここに目青不動があるのだろうか。
江戸五色不動とは、かの『黒衣の宰相』明智光秀‥‥元い、天海僧正によって、江戸鎮護を目的につくられた。密教に通じる天海なので、立地も含め全体で何かを意味していたのだろうが、今の五色不動は当時とは場所も寺も違うようで、今はそれを知る由もない。

さて、再び都心に向かい、再度『悪魔の巣窟』渋谷・原宿・表参道をを抜ける。
マークしていた目黄不動は渋谷区神宮前。なんだ以前ちょこちょこ来ていた『なるしまフレンド』や『スペシャライズドコンセプトストア』のすぐそばじゃないの。

『マ目黄不動(説)ル特ストア(スペシャライズドコンセプトストア)』(ひどい略し方だ)は移転していて今はない。しかし探せど目黄不動の看板は見当たらない。近所の7−11で聞いてもわからないとのこと。仕方なくガラケーで検索。出てきたのは臨済宗龍巖寺。2回も前を通っている。教学院は本来この付近にあったようだ。
門が閉ざされていて中には入れない。
目黄不動は、成り立ちがもともとの四不動に追加された形で、その所在についても最も諸説が多い。
現在は三ノ輪の『
養光山永久寺と平井の牛宝山最勝寺』が有力だ。江戸のまもりとしては鬼門に浅草寺、裏鬼門に増上寺が建てられたが、どの一環を担う五色不動が鬼門の位置にないのも不思議だ。
臨済宗であることがちょっと引っかかるが、ここは最近脚光を浴びているところのようだ。


目白不動
目白不動堂苑西通りから明治通りに入り目白不動に向かう。鬼子母神に程近い学習院下にある『慈眼寺金乗院』。慈眼寺なんて言うとまさに天海僧正のイメージだ。
ここも『江戸三大不動』の一つだそうだ。最後の一つは以前行ったことのある『
薬研堀不動院』。あれ、深川不動や等々力不動は違うの?
というと目黒不動の『東京深川』というのは侵攻してきた深川不動との和睦のしるしか??


丸橋忠弥のお墓手の斜面に広がる墓地には『丸橋忠弥の墓』もあったのでお参り。歌舞伎や映画で有名?な
丸橋忠弥は『慶安の変』に出てくる人物だ。でもオヤジ『慶安の変』なんて知らない。
それって『由井正雪の乱』でしょ。






南谷寺目赤不動白通りから不忍通り・白山通りを経て、最終地『赤目不動
』の向かう、マーク地点がずれていて違うお寺をウロウロしてしまう。この辺も寺だらけだ。ガラケーで寺院名を検索し交番で聞く。おまわりさん二人で調べていただいて教えてもらった。
『大聖山南谷寺』。本郷通り沿いにあり、以前都内古墳巡り』で行った富士神社古墳にほど近い。
不動堂にお参りする。
龍巖寺でお参りできなかったので5円玉が一つ余った。

冬の日没は早い。残された
ミッションに夕飯購入と夕飯までの帰宅がある。夕暮れも迫ってきたので早々退散。残された2つの黄目不動はまた別の機会に。


マップ2本日走行 55km

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初詣 成願寺〜さる寺

謹んで新年のお祝いを申し上げる。
猿江神社よいよ2016となった。今年は申年である。
自宅より橋を渡った旧深川区側に猿江神社という神社がある。この地域の『猿江』の名前となった由緒正しい社で、震災後に建ったという現在の本殿は当時としては最新の鉄筋コンクリート造りである。
祭神は『天照大御神』、『宇迦之御魂命』、『猿藤太』。猿江だからといって『猿田彦の尊』ではない。
まだ年明け前、人のいないときに1枚。




年が成願寺達磨絵明けて実家で恒例の『新年の儀』(といっても家族でお節と餅を食ったあとはポテトチップかじってテレビ見てるだけ)が終わったあとで一人で初詣にでかける。
いつも深川不動が定番なので、たまには自分の守り本尊である千手観音様に詣でたい。どこかに千手観音が本尊の寺院はないものか
とさがす。千手観音がたくさん安置されているというお寺がHIT。




『曹唐風三門洞宗多宝山成願寺』
歌舞伎町方面より、青梅街道中野坂上交差点を左折してゆるい坂をくだりきったあたりの左側に有る。
達磨さんのどでかい看板と唐風の三門がちょっと怪しげだが、なかは至極まとも?なお寺さんである。






成願寺本堂尊は釈迦釈迦牟尼佛如来、お釈迦さまであって千手観音ではなかった。
本堂の横に圓通閣、通称百観音堂があり、各地の千手観音様が安置されていた。
百観音のうち29体が千手観音菩薩だった。まあいいか。守本尊に合掌。名を唱える。
お堂の中に置いてあった、百体観音のガイドブックと成願寺の縁起である中野長者のお話のり−フレットをいただいていく。





「お
百観音堂んばさらたらまきりく、おんばさらたらまきりく、おんばさらたらまきりく‥‥」不動明王とちがってとても覚えやすい。もちろん修行していないので、3回唱えても変身はしない。
初めて来てあれもこれもじゃずうずうしすぎるので、まず家内安全のみ。






さる寺表札があるに代栄閑院々木とオヤジが最も足をふみいれたくない,
東京でも最も恐るべき悪魔の巣窟、『原宿・表参道』を抜けて、外苑西通り・東通り・R1を経由し、愛宕神社の直ぐしたにある『さる寺榮閑院』に行く。






猿寺本堂猿塚年は申年だし、「人で混雑して、猿グッヅなんか売っているのだろう。
」と思いきや、ひとっこひとりいないこの閑散は何?
やっぱお寺さんだからいまいち受けないのかな。





御成門の喫茶店で暗く鳴るのを待つ。
中は綺麗?イト外観は地味マッピングをやっていると聞いていたが、普通の東京タワーであった。しかも2016の点灯もなくちょっと寂しい。








芝公園年恒例芝公園の中央通路での記念撮影は失敗。
ボディがモスグリーンのSAGAは、
ライトシルバー系のMR−4やBMCはのようにボディが鮮やかに映し出されない!







銀座りは銀座を通る
正月とは言え、人が閑散としてちょっとくらい。
最近爆買いブームの銀座だが、たとえどういうお客様であっても『お客様は神様』なのである。最もこれはお店側がお客様に対する奉仕の心を表すもので、某国のように買う方が「自分たちは神様だ」等と思っているからマナーなし・モラルなしと言われるのである。そんな人種が支えるようになってしまった銀座。
それでも『悪魔の巣窟よりは全然好きである。



マップ日走行 41.5km




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ブレーキシュー交換

MR−4のブレーキがテクトロから105に換えたことにより、嵯峨のベローチェとの効きの差が改善されたので、今度はミニVの効きの低下が気になってきた。
BMCから続くカンパニョーロのベローチェは3年半になる。そろそろシュー交換時期にも近づいているので交換する。
ベローチェはカンパの下級グレード、一概に比較はできないが、グレード対比では105とティアグラの中間くらいというところだろうか。効きは結構強烈でロングVと遜色ないものであった。
現在ベローチェのスペアシューを単体で購入で購入するのは難しい。他の品番でも互換性のあるものはあるだろうが、この際カートリッジごと交換することにした。
シマノのブレーキパッドがあるので、一旦はパッド交換を試みたが、互換性はないようだ。仕方がないのでサーファスのカートリッジシューを購入してシマノパッドと交換して取り付ける。
取りベローチェLINEAR PULL カンチブレーキシュー外した『ベローチェLINEAR PULL カンチブレーキ』のシューカートリッジ。少し片減りしているがパッド面はまだ十分使えそうだ。







ブレーキシュー交換4換用のサーファス+シマノシューとベローチェLINEAR PULL カンチブレーキシューを比較。ベローチェのシューカートリッジはMTB用と言うよりはロードブレーキの長さを延長したようなイメージである。







取りブレーキシュー交換5付けてみる。遊びもほとんど同じに調整する。
引いてみると随分違和感が有る。なんか甘いな。‥‥というより引きしろを完全に使いきらないとフルロックしない。ベローチェだと半分強でフルロックになる。
そんな馬鹿な!シマノ効かなすぎる!。いくら安いとは言えシマノがカンパにそんなに劣るわけがない。「流石カンパ!」なんて喜んでいる場合じゃない。
少し冷やしてちょっとお勉強。ゆる〜い効き方になったということは「引きしろが大きくなった」ということである。
引きしろの大きさは「テコの原理」で支点から力点の距離である。本体が変わらないのだから変わる要素は角度である。


なるBlogPaintほど105でお勉強したことと同じである。
原因はインナーワッシャーの厚みである。
ワッシャーの厚みの違いによってワイドプロファイル化してしまっているわけである。






入れ替えれを改善するために、いささか荒療治ではあるが、インとアウトのワッシャーを逆付してみる。








こんワッシャー位置変更な感じである。右がノーマル。左が逆付である。
調整後のワイヤーの固定長は純正ベローチェシューとほぼ同じになった。







レバーの引ブレーキシュー交換1きしブレーキシュー交換8ろも以前と同じになった。
それでも初期制動は少しソフトになった気がする。
実際の制動力や如何?








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自転車のあるクリスマス?

「きっと君は来ない〜‥‥」
自転車のある部屋番クリスマスソングの流れるイブ。
久々に自転車を陸上げ。室内ドック入りした。
もう10年経つ980円のツリーとバザーで買った50円の単色イルミネーションがささやかに祝う。(ツリーをしまうのはいつも年明けだが‥‥)
最近『自転車と暮す部屋』とか『自転車のあるインテリア』なんてのが流行っている(もう過ぎたかな?)が、家族持ち・ローン持ちの3LDK城主には『羨望の極み親父』である。
城主の居間である4畳半相当の部屋に自転車が居座ったら椅子のリクライニングすらできない。
今年は特に部分リフォームした際の家財が全て城主の居間に献上されているため、自転車が入ったら座る場所と出る通路しか確保できない。
自転車のある部屋3転車にぶつからないで眺められるスペースが欲しいものである。
仏教徒でありながら、いい歳こいてサンタさんにそんなお願いをする。
ささやかなメリークリスマス。

PS
サンタさんてトルコの出身だったそうだ。まあサンタさんの頃はアナトリアってバリバリのギリシャ正教だったんだろうけどね。



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livedoor プロフィール
愛車紹介
1.PRESAGE U31
愛称KARANO号
  :いまや歴史遺産となりつつある3.5L/フルタイム四駆。最近は金欠でタコメーターしか見なくなった我が家の軌道空母。2002年モデル。
2.MR−4
  :GIANTのロングセラーフォールディングバイク。リアドライブ・ミッドシップエンジン搭載??のコンパクトスポーツ。2010年モデル。

3.SOMA SAGA『嵯峨』
  :米国ソーマファブリケーションズのツーリングフレームに格安パーツを買いあさって組み付けたクロモリツーリングバイク。年式不明

4.トランジットセブン
  :今は娘の愛用となっている、BSの20インチフォールディングバイク。オヤジにサイクリングすることと、カスタムすることの両方の楽しさを教えてくれた逸材。2007年モデル。
  
5.ALPENCHALLENGE   AC02
  :レーサー志向の本格バイクを投入する『BMC』の珍しい26インチアルミバイク。ストックパーツを再編成して復活した我が家の最軽量クロスバイク。2011年FC前モデル。  
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