常盤の桜並木日は夜桜を見て散々落ち込んでいたのだが、翌日好天になり暖かくなると一転して「サクラいいねぇ。花見がてらポタすっか」ということになる。
この病的な躁鬱状態の精神起伏の歪みを、断層直下型地震のように適度に放出しているから、プレート型地震のように精神状態の壊滅的破壊にならないのかもしれない。
毎週末午前中はすべり症のリハビリだが、このところ症状が緩和してきたので、午後久々のポタに出かける。
都内の古墳は結構見に出回っているので、近場の中世古城跡を回ってみる。
まず迎えてくれたのは常盤の桜並木。ごく普通の裏通りが300mの桜のトンネルになる。何故この一角だけ桜並木なのかわわからないが、子供の楽隊なんかもでて地元では結構メジャーな桜スポットである。

上野山クジラ公園を通過。やはりメッカだねぇ。まだ少し早い気がする。明日がピークだろうか。







都道諏訪神社富士見坂452号で上野公園を突っ切り、谷中の尾根を縦走すると道灌山切通しの手前に富士見坂、諏訪神社がある。
諏訪神社の本殿はが建てられた小山はかつて古墳だったともいわれている。ここは本日の第一ポイントである『道灌山城』の郭の一部ではないかといわれている場所だ。




ひぐらし坂の坂という心臓破りの坂を下り(下りでよかったぁ)道灌山通りを渡り左に少し行くと『ひぐらし坂』という上り坂がある。この坂の上が名門開成高校である。
道灌山城はこの辺りが中心になっているといわれているが、どこにも『道灌山城趾』の看板はない。
ここは上野台地から始まり赤羽台地に続く武蔵野台地最東端部の最も隘路となる部分である。
この辺りは都の遺跡指定で、平安時代から近世にかけての柵状遺構や溝状遺構があるらしいが、城郭であるかははっきりしていないようだ。
この地の領主だった関道閑の館跡だといわれているが、太田道灌が豊島氏の支城平塚城を攻略する付城として築き、豊島氏の滅亡とともにその使命を終えて廃城となったという説も魅力的である。幻の城址といえそうだ。

平塚神社二ポイントは、ひぐらし坂から距離にして2.5km程の平塚城址。ここは今平塚神社となっている。
豊島泰経の弟泰明の居城とされてきたが、最近はだいぶ説が変わってきたいるようだ。有名な江古田原の合戦の時は、既に平塚城は放棄されていたと見る向きが出てきたという。確かに江古田原で道灌軍を挟撃するには平塚城は離れすぎている。泰明は練馬城から出撃したと見る方が自然とも思える。
とすると、道灌山城の存在、道灌の平塚城攻略のための付城説も怪しくなってしまう。ちょっとロマンチックではなくなってしまうのは残念。



地震の科学館常設展示地震の科学館塚神社を含むこの辺りはお決まりのポタコースだが、途中にある地震の科学館には入ったことはないので行ってみる。
ここでは地震の発生メカニズムから、日本や世界の大地震、地震後の室内の状況や、地震への備えなどがわかりやすく展示されている。写真撮影も可とのこと。地震の体験施設もあるが今回は時間が合わず断念。




カフェ・ヴァーチュ ハンバーグカレー々に飛鳥山博物館のカフェ・バーチュに行ってみる。
飛鳥山はすごい人盛り。自転車を止める場所もない。
桜は満開。でもそれを遥かに凌ぐのが『人の満開』、人見見物である。博物館も混雑。これじゃ今回はだめかなと思ったが、行ってみたら待たずに席がとれた。
ハンバーグカレーを注文。カフェも混んではいたが、外の雑踏からは解放されゆっくり珈琲が飲めた。




急峻な崖志村城北側鳥山を後にして、第3のポイント志村城に向かう。
志村坂上から志村城山通りに入り、坂を下ると『志村城山公園』がある。ここの急峻な崖がこの城の北面の堅固な防御となる。
いたるところに看板がある。子供たちに「怪我をすると危険だから崖に立ち入るな」と注意している。もしここで戦があったのなら、兵士たちはまさに命をかけてこの崖を登ったのだろう。



崖の上は志村城空堀熊野神社がある。神社の横の藪の中を抜けると空堀跡が見て取れる。その先はマンションになっているが、そこに本丸があったようだ。
築城は豊島氏の支族の志村氏。志村氏・千葉氏・後北条氏に受け継がれた後、小田原の役で廃城になったとある。






最後東京大仏さま乗蓮寺のポイント赤塚城に向かうが、赤塚城址の近くに東京大仏があるので寄ってみる。
東京大仏は乗蓮寺というお寺さんにある。青銅座像の大仏様は鎌ヶ谷大仏さまでカルチャーショックを受けて以来、奈良・鎌倉以外には『大きい大仏はない』と思っていたのでびっくり。思っていたよりはるかにデカい。
ウィキペディアによると青銅の鋳造大仏としては、奈良・鎌倉に次いで日本第3位だというからたまげだ。牛久大仏も行ったけど、あれは鋳造ではないから番外だな。

赤塚城本丸跡赤塚城北斜面て、最後のポイント『赤塚城址』に来た。つり池の横に駐輪する。公園北側のつり池はかつての濠の後だといわれている。
池の横の階段を上ると『本丸跡』に出る。本丸跡はかなり広く、今は花見客でにぎわっている。広場のやや北側に本丸跡の碑がある。





赤塚城赤塚城空堀後は千葉氏の築城とされる。千葉氏は太田道灌に仕え、豊島氏とも戦火を交えている。
その後千葉氏は後北条氏に仕えるが、小田原の役で領地没収となり赤塚城も廃城になる。
本丸の横には空堀と土塁後のような地形がうかがえる。
東京大仏のある辺りが二の丸址で、その先の植物園や観音堂も含む広大な城郭だったらしい。


都市化の波で数多の古い遺構が消失してしまったが、23区内にもまだ古城跡としてその姿を偲ぶ遺構が多く残されているのはうれしい。




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