所用の帰りを利用して行田に行く。
今を時めく『のぼうの城』の舞台となった忍城を6年ぶりに観光する。
11月初頭に封切られた『のぼうの城』をみて、改めて忍城を見たくなったのでちょうどよい機会だった。
映画を見ること自体9年ぶりだ。9年前に見たのは『陰陽師』。野村萬斎の熱烈ファンというわけではないが、この人が主演ならちょっと変わって面白いだろうという理由だ。まあ、ジョニーデップの映画を見るのと同じ感覚である。
行田の街は『のぼうの城』のポスターで埋め尽くされている。平日にもかかわらず人の多いのはやはりこの小説と映画の効果だろう。
成田氏の居城であった忍忍城の鐘忍城本丸は、現在の『行田市郷土博物館』周辺を本丸として沼と水路に囲まれた、まさに『浮城』だったようである。
まずは郷土博物館に立ち寄る。郷土博物館には復元された御三階櫓や指定史跡の鐘楼などがある。
「忍城今昔地図」(博物館にて販売)によると博物館の裏手の駐車場辺りが本丸の中心だったようだ。

忍城御三階櫓料館に隣接する、御三階櫓。これは当然のぼうさまの時代のものではない、成田氏の忍城開城後、50年近く経った阿部氏の時代のレプリカである。掘割はあるものの『浮城』のイメージはない。
郷土博物館より1km弱走ったところに『水城公園』という池と水路に囲まれた静かな公園がある。忍城今昔地図を見ると、ここが城を囲む湖沼の最南端の名残のようだ。現在の行田市役所・産業文化会館・法務局・コミニュティセンターなど、市の中心的施設は全てかつての湖沼の上に建てられていることになる。
水城公園産に買った『城絵図と忍城』の冊子をみると、年代ごとに埋め立てや城下の拡大はあるものの、廃藩置県当初まで浮城の縄張は保たれていたようだ。


さて、守る側だけでなく、寄せ手側の遺構も残っているので行ってみる。
石田堤1せ手の総大将、治部少輔石田三成が水攻めのために築いた、通称『石田堤』が現存しているので見に行く。
現存する『石田堤』は水上公園より南南東に4kmほど走ったところにある。
この堤の頂に立っても、これで城を水攻めにできるとは到底思えない。
物語では、この長大な堤を1週間でつくり、城方に心を寄せる農民によって破壊される、ドラマティックな演出だが、実のところは城を水没させる高さや長さに到っていなかった結果だろう。秀吉が水攻めを指示したとも言われているが、本当に水攻めすると言うより、財力を見せ付けての長大な堤の建設により、城方の士気を挫くことが狙いだったろう。如何に要害であろうと、10倍の戦力なら正攻法で落とせると考えるのが普通である。
もともと洪水のメッカに築かれた城なのだから、これくらいの水没は何度も経験しているだろう石田堤
石田堤2攻めの失敗により、三成は戦下手のレッテルを貼られる。おやじには愚将三成よりも、上司に自分の本意に反したやり方の無理難題を押し付けられた挙句、失敗して周囲からブーイングをうける現場の責任者(誰のこと??)の姿が痛々しく浮かんでくる。
それにしても節操のないナンバーモザイクである。

本陣から浮城を望む後は丸墓山にのぼり、寄せ手の本陣から忍城を望む。
映画ではCGにより、本陣から望む湖沼に囲まれた、見事な城の全景が再現されている。
忍城を囲む湖沼に限らず、かつての関東平野は一面の湿地帯と湖沼群が存在した。あのCGのような光景がいたるところで見られたのだろう。

さて、さきたま古墳に来たので、さらに1000年時代をさかのぼることにする。


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