帰雲城址月13日、帰雲山大崩壊地2午前中に家族を別の親類のあいさつ回りに送る。また昼飯まで2時間少々の空き時間。
もう20年近く前に一度通りすがりに立ち寄り印象に残っている、これまたマイナーな観光スポットにいく。
帰雲城址。「かえりくも」とよむ。この付近を4代にわたり支配した豪族内ヶ島氏の居城だ。
白川郷までは東海北陸道を利用すると1時間も掛からないが、白川郷で渋滞に巻き込まれる。世界遺産になったこともあり観光客が凄い。
帰雲山大崩壊地帰雲城址2かし、おやじにとっては世界遺産以上の歴史遺産がそのすぐ先にある。
白川郷の先の庄川をせき止めた鳩谷ダムのダム湖が途切れる辺りから、帰雲山の荒々しい大崩壊の傷跡が姿を見せる。
城址はその大崩壊地を正面に望む庄川対岸にある。もっとも、帰雲城址1城址ではなく「埋没地」の看板‥‥戦国末期の天正大地震による帰雲山の山体崩壊で発生した大地すべりにより、城と城下の武家屋敷もろとも、厚さ数十mの土石流に飲まれてしまったらしい。
かつてこの辺は深い渓谷を為していたらしいが、山体崩壊で谷は埋め尽くされ盆地状になったという。採石場が多いのが印象的だ。

さて、保木脇集落はずれ帰雲城下は残り時間の少ない中、もう一箇所見ておきたい場所は、埋没地点の碑から1kmも走らないところにある、保木脇集落のはずれ。
弓が洞谷と呼ばれている入口だ。
かつてこの谷の上流、三方崩山の中腹が「帰雲」と呼ばれていたという。
もう一つの帰雲城2もう一つの帰雲城方崩山も、天正大地震で数箇所の山体崩壊を起こしている。
この山の麓周辺に帰雲城があったと指摘する研究家もいるので、是非その場所も見ておきたかった。
こちらは麓から見ると軟斜面で、大きな崩壊地跡が見受けられないので印象は薄い。道があり車で登れそうだが、工事中のため一般車制限がされていた。

富山岐阜県境路は白川郷で高速に乗らず、五箇山まで国道で行く。富山県と岐阜県の境が庄川に置かれている部分があり、橋を渡るたびに県が変わる不思議な場所がある。
川沿いの狭い盆地には両側に小集落があり、親類が川を挟んで住んでいるケースが多い。
ここでは川向こうの親戚は他県人ということになる。複雑である。
帰雲城探索所有時間はとんぼ返りで2時間10分。これも白川郷での渋滞がなければほぼ2時間也。

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PS
帰雲城には内ヶ島氏を支えた多くの財宝があったとされている。
これも城と城主、多くの家人とともに数十mもの分厚い土石流に埋没してしまった。
一説には砂金ではないかと推測されるが、真偽の程は不明である。
改めて、合掌