久々にTS−7のポタ復活。
先日たまたま、かつての東京臨港貨物線の廃線跡を発見。今はどうなっているか廃線跡に沿ってポタリングしてみた。
東京臨港貨物線は、東京都が敷設した貨物路線で、平成1年に廃線となっている。元は現在も稼動しているJRの貨物専用線、越中島貨物線に接続していた。
まずは越中島貨物線から南下してみた。
亀戸駅でJR総武本線から分離する越中島貨物線。京葉道路を越えて最初の鉄橋が竪川をまたぐ。
竪川河川敷公園は現在リニュアル工事中だ。
大島を突っ切る貨物線。土塁の高架は花壇や菜園になっている。
地元の人たちが手入れをしているようだ。
二つ目の鉄橋は小名木川に掛かる。
休みの日に転寝しているとこの鉄橋を渡る貨物の音が遠く聞こえてくる。
ここの高さ制限を気付かずに引き返すトラックは今でも多い。
アリオ北砂。この広大な敷地は、旧小名木川貨物駅の跡地である。
今は単線の一直線だが、かつては巨大な操車場並みの貨物ターミナルだった。
葛西橋通りの踏切を過ぎるとすぐに小さなガードがある。ガードの下は南砂緑道公園。
知らなかったが、かつては水神森の都電廃線跡(サンストリート横)からここを通り須崎まで路面電車が通っていたそうだ。流石にパラダイス!
永代橋通りの踏切を越えると、またガードを発見。子供のころ、ここには運河があったように覚えている。
もっと昔はここから先が海だったのだ。
東西線車庫引込み線のガードと並行して貨物線が越中島貨物駅に入る踏切。
いつもJRバスの誘導員がいる。入って良いのか聞いたら“行き止まりだけどバスに気をつけていってくれ”とあっさり通してくれた。
越中島貨物駅。“旧”と呼ぶべきか。今は事実上、レール資材の運搬にしか使われていないようだ。
少し先にあるしおかぜ橋から眺める。右は京葉線の地下進入口。左が越中島線。接続はされていない。
しおかぜ橋。
塩浜運河と越中島貨物線をまたぐ歩行者・自転車用の橋。
ループでの上り下りが珍しい。
ここが越中島貨物線の終点。
極普通の住宅地の中にある。ここから鉄道貨物の華やかだった全盛時代を偲ぶことはできない。
細い道路を挟んで都有地と書かれた広い空き地がある。ここがかつての東京港臨港貨物線の起点となる。
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先日たまたま、かつての東京臨港貨物線の廃線跡を発見。今はどうなっているか廃線跡に沿ってポタリングしてみた。
東京臨港貨物線は、東京都が敷設した貨物路線で、平成1年に廃線となっている。元は現在も稼動しているJRの貨物専用線、越中島貨物線に接続していた。
まずは越中島貨物線から南下してみた。
亀戸駅でJR総武本線から分離する越中島貨物線。京葉道路を越えて最初の鉄橋が竪川をまたぐ。
竪川河川敷公園は現在リニュアル工事中だ。
大島を突っ切る貨物線。土塁の高架は花壇や菜園になっている。
地元の人たちが手入れをしているようだ。
二つ目の鉄橋は小名木川に掛かる。
休みの日に転寝しているとこの鉄橋を渡る貨物の音が遠く聞こえてくる。
ここの高さ制限を気付かずに引き返すトラックは今でも多い。
アリオ北砂。この広大な敷地は、旧小名木川貨物駅の跡地である。
今は単線の一直線だが、かつては巨大な操車場並みの貨物ターミナルだった。
葛西橋通りの踏切を過ぎるとすぐに小さなガードがある。ガードの下は南砂緑道公園。
知らなかったが、かつては水神森の都電廃線跡(サンストリート横)からここを通り須崎まで路面電車が通っていたそうだ。流石にパラダイス!
永代橋通りの踏切を越えると、またガードを発見。子供のころ、ここには運河があったように覚えている。
もっと昔はここから先が海だったのだ。
東西線車庫引込み線のガードと並行して貨物線が越中島貨物駅に入る踏切。
いつもJRバスの誘導員がいる。入って良いのか聞いたら“行き止まりだけどバスに気をつけていってくれ”とあっさり通してくれた。
越中島貨物駅。“旧”と呼ぶべきか。今は事実上、レール資材の運搬にしか使われていないようだ。
少し先にあるしおかぜ橋から眺める。右は京葉線の地下進入口。左が越中島線。接続はされていない。
しおかぜ橋。
塩浜運河と越中島貨物線をまたぐ歩行者・自転車用の橋。
ループでの上り下りが珍しい。
ここが越中島貨物線の終点。
極普通の住宅地の中にある。ここから鉄道貨物の華やかだった全盛時代を偲ぶことはできない。
細い道路を挟んで都有地と書かれた広い空き地がある。ここがかつての東京港臨港貨物線の起点となる。
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