こどもの日、家族で出かるつもりが、当のこどもが朝寝坊。
雲行きとあいまってお出かけは中止。今日も買物してくる条件でポタに出る。3日連荘となった。
浅草寺五重塔流石に3〜4時間30km程度の範囲は行きつくしてしまった。
昨年3月の城北ポタで行き逃した赤羽の稲付城址へ行ってみる。
言問通りを通りながらはたと気付く。浅草寺の五重塔も再建とはいえ“江戸四塔”だ。ちょっと寄って撮っていこう。
正面からは過去に何度も撮っている。裏手より撮影するとツリーも一緒に入る。
現在の塔は1972年建立、高さ53mの鉄筋の巨塔だ。再建前の五重塔は1648年に建立された高さ33mの木造建築(当然だ)で戦災によって消失してしまった。

東京3大タワー?フォトポイントのすぐ裏から花やしきを抜けると旧六区のブロードウェイに出る。
このブロードウェイの突当りが“パチンコサンシャイン”。そしてその入り口横に小さな案内板。
この辺がかつての巨塔“浅草凌雲閣”十二階の跡地だ。
在りし日の十二階の写真を埋めた案内板の上のポスター!
東京3大タワーとして、凌雲閣・東京タワー・スカイツリーが掲げられている。
凌雲閣は入る資格は十分ある。市谷防衛省の電波塔はこの際どうでもいい。
でもスカイタワー西東京はどうなんだ。西東京市も東京だ‥‥今は。
五重塔は“江戸四塔”といわれている。東京4大タワーとこじつけて、隠れファンである“田無タワー”も入れてやってくれ。

天王寺五重塔址この連休中に“江戸四塔”の3つを写真に入れた。この際残るひとつももう一度見に行こう。
残念ながら残るひとつは現存していない。
天王寺五重塔、幸田露伴の小説で有名な通称“谷中五重塔”。1791年建立、高さ34mで江戸四塔のなかでも一番高い塔だった。
震災・戦災にも耐えたが昭和32年の有名な心中放火事件で全焼した。以前より再建が望まれているが、今日まで再建されていない。

名主の滝公園1男滝目的の稲付城址に行くまで寄り道だらけ。
飛鳥山公園の博物館の喫茶コーナーで軽食を取ってもう一箇所寄り道。
名主の滝公園。都区内に現存する自然の滝は等々力渓谷の“等々力の滝”とここだけだと思っていた。
滝は枯れていた。最近は開発でほとんど湧水の量が減ったのだろうと思っていたら、なんと!!
”節電のためポンプを止めている”とのこと!
名主の滝はもはや自然の滝ではなかったのだ!知らぬまま通り過ぎればよかった。
等々力の滝の明日の姿か?もしかして等々力の滝もそうなのか‥‥??

稲付城址色々あってやっと稲付城址にたどり着いた。
赤羽駅南口から僅かのところにある、突き出した丘陵地。今は静勝寺の境内になっている辺りが、かつての稲付城である。
横の急坂を上がると山門の横に出られる。
稲付城。太田道灌が築いたというが、定かではなく、時期も不明だ。
もともとこの地域は名族豊島氏の勢力圏だったはずで、豊島氏と道灌が対立関係にあった時期に築城されたとは思えない。豊島氏の滅亡以降の築城か、あるいは豊島氏が築いていた砦を後に道灌が接収して増強したものかもしれない。静勝寺
道灌の死後20年ほどで、道灌をともらうために城址を寺にしたのが静勝寺の縁起であるとされる。
しかし文献では道灌の子孫が後北条氏に使えてここを居城にしていたともある。また遺構や発掘物の調査では、城は天正年間まで使われていた見方もある。
山門から直進したところ、写真の本堂の左手に道灌堂があり、写真でおなじみの太田道灌の木造が安置されている。
道灌堂の写真も撮ったのだが、真直ぐに撮ったつもりが、かなり傾いていた。
以前豊島氏に好意的なブログを書いたので、道灌によく思われていないようだ。
一礼して早々に退散する。
坂でチェーンが絡まり、手を油で真っ黒にした。やはり招かれざる客であったようだ。

最後にツリー帰りは北本通りから明治通り、白髭橋を渡り隅田川左岸を南下する。
北十間川河口から東武伊勢崎線高架とスカイツリーを撮影。
塔に始まり塔に終わるポタになった。
馬鹿な親父は高いものがお好き??なのだ‥‥。

本日の走行 40km
平均速度   14.6km/h
最高速度   30.3km/h

5月とは思えない寒い日であった。

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