さて、娘の自由研究は、両親を巻き込んだ編集作業になった。
細かい現地取材はできなかったので、詳細はネットの広報で調べる。
あれあれ、最初の調査と違う部分がかなりでてきた。
清澄橋の近くの水門跡と思っていたものは、 “ 清澄排水機場樋管”として生きているようだ。
荒川閘門が江戸川区領であることは知っていたが、平行してある小名木川排水場の排水門も江戸川区領であるらしい。‥‥記事の中で恰も江東区領であるが表記をしたことについて、お詫びいたします。江戸川区民の皆様、ごめんなさい。‥‥と、素直に認めて謝れば、国境紛争などなくなるのだ。
区界の成り立ちを知らない人には荒川西岸の小松川が江戸川区領であることに奇異の念を持つだろう。荒川西岸に堀切駅存在すること、隅田川・荒川にはさまれた千住が足立区領であることが、荒川が人工河川であることの証だ。

この江戸川区と江東区の境を流小名木川旧護岸れる旧中川こそが、かつての利根川本流なのである。この中川から江戸に物資を運ぶ、水運の要として作られたのが現小名木川である。
自宅から近いところに小名木川旧護岸跡が保存されていることがわかった。江東区の河川は当たり前のように水位が保たれているが、実は海面下1.5〜3m近く低い。明治中期以降の工業地帯化によって地下水が過度にくみ上げられた結果だ。
しかし考えようだが、工業用地下小名木川旧護岸の碑水のくみ上げによる地盤沈下がなかったら、現在が地盤沈下の嵐で大惨事になっていたかもしれない。重たい高層ビルの乱立によって軟弱な地盤が急激に沈下する例は世界各地にある。沈めるだけ沈めてしまったから、今のマンション乱立が成り立つのかもしれない。

それはそうと、もっとも重大なミス洲崎南水門は、区内の水門に見落としがあったこと。いまや江東区の中央部になってしまった、木場に小さな水門が2つ現存する。これは父のミスである。サドルセッティングとハンドルポジションを変えてみたMR−4で試走がてら、ひとっ走り写真を撮りに行く。

洲崎南水門。単式ローラーゲートの可愛い水門だ。まず洲崎の名に従い東陽1丁目から目指す。東陽1丁目は、昔は洲崎と呼ばれていた。洲崎南水門遠望洲崎パラダイスという大遊郭があったところである。そうゆう存在を知ったのは大人になってからで、少年時代はここだけ広い不思議な道路と、ちょっと変わった洒落た家並み(そのころはそう思っていた)がある町と思っていた。もちろん赤線が廃止されてからずいぶん経った時代である。
洲崎大路から裏路地に入る。今は当時から残る建物はほとんどない。ごく普通の町並みを水門方面に向かうが、どこも高い護岸で遮蔽されてし平久水門まっている。
仕方がないので塩浜に渡り、対岸から撮影する。
ここもバックにスカイツリーが写る。
木場ヨーカドーの裏手に、次の平久水門がある。ここの交差点は始終通っていたのに全く見落としていた。ここも2連式ではあるが可愛い水門である。
いまや江東区の真ん中に取り残されたような水門であるが、かつてはここが河口の扉だったはずである。
子供のころは、ここまで来ると海が目前というイメージだった。

編集に間に合うように早々に引き上げる。今日は花火大会があるからか浴衣姿が多い。
帰りはなるべく車道を走る。信号の少ない直線で徐々に速度を上げる。25km/hで巡航に移る。まだいけるかなぁと思った瞬間、強い向かい風を喰らい失速。風に逆らってまで心臓に負担はかけられない。力んでいないつもりでも動悸が激しい。一昨日・昨日の疲れもある。
今日はこのへんまで。

今日の走行10km。まだまだ江東区は飽きない。

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