KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

Time of The Zombies

また、古いレコードを引っ張り出して聴いている。Time of The Zombies 。
ゾンビーズ。ちょっと怪しい名前。名古屋周辺に出没するサイケなダンスグループちゃうぞ。60年代のブリティッシュロックグループである。
日本では、69年の大ヒット曲『二人のシーズン』が有名で、これはおそらく耳にした人は多いだろう。オヤジがこのシングルを買ったのは72年ころだったと思う。
シングルと同じころ発売されたアルバム『オデッセイ&オラクル』はプログレ系というか、いわゆるサイケデリックポップのはしりというような曲作りで、日本でも熱烈マニアがいるようだ。クリムゾン同様メロトロンを取り入れた、当時としては前衛的なサウンドだ。

ゾンビーズ1のアルバム『オデッセイ&オラクル』からシングルカットされた、『二人のシーズン』がミリオンセラーとなっているころには、ゾンビーズはすでに解散状態になっている。リーダーのロッドアージェントが、その後プログレ系サイケポップともいえるグループ『アージェント』を結成し、熱烈マニアの指示を受けていたが、オヤジがゾンビーズに求めたのはサイケやプログレではなかった。
オヤジが一番すきなのは64年のヒット曲、3枚目のシングルに当たる『恋はノー・ノー・ノー』。そう、ゾンビーズはリバプールサウンドなどに代表される。60年代初頭に結成されたグループなのである。ビートルズ・デイヴクラーク5・サーチャーズ・ゲリー&ペースメーカーズ・ホリーズ・ピーター&ゴードン・スィンギングブルージーンズなどなどとともにヒットチャートをにぎわしたポップ系グループなのだ。メンバーはロッドアージェント・コリンブランストーン・クリスホワイト・ポールアトキンソン・ヒューグランディの5人。当時の代表的ブリティッシュロック(リバープールサウンド)といわれたグループは、一通りは持っているが、そのなかでもゾンビーズは、サウンド、メロディ、ヴォーカルともに他のグループと一線を隔すものを持っていた。さしずめ今で言うと『ドリカム』のサウンドが明らかに他のアーティストのサウンドと一線を隔しているのと同じようなものだ。
多くのグループが、クラブなどでコンサートをしてお金を稼ぐ下済み時代を送っている中、エリート学生バンドとして華々しくデビューして、知的なイメージで人気を博したゾンビーズ。
そのサウンドは、コリンブランストーンのあま〜いマスクとボイスによって、より深くせつない雰囲気をかもし出す。
その真骨頂が『恋はノー・ノー・ノー』である。
このような曲を作る人たちが‥‥というより、このような曲がどんどん生まれる60年前半というのは、どういう時代だったのかと思いを寄せてしまう。もちろんオヤジが小学生にすらなっていないころだ。
初の大ヒット『シーズノットゼア』が全米1位に輝き、それに続きファーストアルバム『ビギンヒア』を発表。その後も『恋はノー・ノー・ノー』『ウーマン』『すきさ すきさ すきさ』『シーズカミングホーム』などのクリーンヒットを放つが、いずれも短命に終わる。その中で『すきさ すきさ すきさ』は、日本のGS『カーナビーズ』の「おまえのぉ〜すべぇてぇ〜」のフレーズで日本では『二人のシーズン』と並ぶ代表曲となっている。
そして67年に事実上の活動停止。活動停止後に発売された、前述アルバム『オデッセイ&オラクル』とシングル『二人のシーズン』がデビュー以来の大ヒットとなるのは、なんとも皮肉な結末である。

ゾンビーズ2父が所有していたのは、シングル『二人のシーズン』(その後譲渡)と、2枚組み『Time of The Zombies』。それと当時(72〜3年ころ)の日本で編集されたオールディズものの中にいくつか前期のシングル曲が挿入されている。
ゾンビーズのアルバムで紹介されるのは、前記した『ビギンヒア』と『オデッセイ&オラクル』の2枚のみ。それと外国版の『ビギンヒア』とシングルカットを集めたベスト版がある。
しかし、この『Time of The Zombies』というLPは謎である。当時ベストが欲しいと言って、行きつけの小さなレコード店で取り寄せてもらったもので、当時はリバプール的イメージで見ていたので、最初にジャケットを見たときはショックだった。これすごいサイケ!。中身も他に持っているリバプールものとは随分違っていた。しかしこれがベストアルバムだとずっと思っていた。
ある意味ベストといえるのは1枚目のAサイドのみだ。
当時は契約レコード会社との問題もあったのか、2枚組みのうちの1枚は『オデッセイ&オラクル』の挿入曲そのもの。もう1枚はシングルカットされた曲と未発表曲の混成版になっているのだ。
やはりオヤジの好きなのは、前期のシングルヒットものである。『Whenever You're Ready 』・『Summertime』・『すきさ すきさ すきさ(I Love You)』・『She's Not There』そして『恋はノー・ノー・ノー(Tell Her No)』など。
独特のメロディと透き通ったヴォーカルは懐かしさとともに、ある新鮮さをうける。たった1枚だが、ちょっと毛色のかわった1枚を大切に所蔵しているオヤジも『ゾンビマニア』の一人なのかもしれない。

最近でも、元メンバーによるリバイバル公演などがされているようだ。YOUTUBEにも投稿されているが、オヤジ的には60’ポップは子供のころの、感傷的なせつない思い出としておきたいので、あえてダウンロードもしていない。初期のヒット曲と、真骨頂であるサイケポップが凝縮されている、このアルバム1枚で十分なのである。

2013年6月22日 記

2013年7月26日 追伸
『Tennis』という夫婦デュオのカバーする
『恋はノー・ノー・ノー(Tell Her No)』を聴いた。
とてもまともなプロのスタジオ録音とは思えない荒削りだが、スッ極いい!!

女の人が歌うと、コリンブランストーンとはまた違う甘いせつなさがある。
『Tennis』って何者? 『Tennis』で検索すると出てくる女性はシャラポアぐらいだ‥‥


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上海上・須恵国古墳めぐり 下つ巻

青掘駅から『内裏塚古墳』の威容は、容易に視認できるはずであった。見渡せるのは房総特有の断層隆起などによりつくられた小山である。
とりあえず内裏塚に向かう。
内裏塚前方部より総の縦走尾根の麓に点在する小山群。そのひとつが内裏塚であったことに気づくのは、かなり目前になってからだった。小山と見分けがつかないほど大きい。軸長144m、関東でもベスト10に入る巨大墳丘は圧巻である。
後円部東側から後円部に上る。頂上は有に神社ひとつが入ってしまうくらい広い。
中央部に内裏塚の碑、北東部の隅に『珠名冢碑』がある。
内裏塚後円部頂上恵(周准)の珠名さん。奈良時代の人である。歌人高橋虫麻呂の歌にうたわれる美女である。この歌の内容からは、奈良時代の絵画に出てくるような美人像は浮かばない。すがる蜂に例えられる容姿は現代人のグラマー美女感覚と同じである。遊女っぽい性格は、同時代の真間の手児奈とは対照的だ。(男をめろめろにしてしまうという点では、手児奈も容姿・スタイルは珠名とタメだったとオヤジは思っている)
内裏塚前方部横より後円部を円部から前方部へ向かう。
古墳の上を歩いている感覚はない。山を歩いているようなものだ。この様な感覚を味わえる古墳は関東でもそういくつもない。須恵の国造に連なる首長墓だろう。さきたま古墳群にさえこれだけの規模の墳墓はない。小国ながら貿易で栄えた須恵国の国力が窺える。

三条塚古墳名さんに吸われるならいざ知らず、からだ中を藪っ蚊に吸われて退散。
三条塚に向かう。『三条塚古墳』、内裏塚から直線距離で700m弱。軸長122mは内裏塚古墳群では次席である。6世紀後半の築造といわれ、毛野に替わりさきたま古墳群の一族が、関東に覇を唱えようとしていた時代、須恵国の盟主も拮抗した力を持っていたということか。

飯野陣屋周濠も残る周濠は、古墳に付帯するものではなく、江戸時代の陣屋跡である。後円部東側から墳丘に入ることができるが、更なる藪っ蚊とくもの巣の抵抗を受け、蜂まで援軍に来られたので突入を断念。攻略は冬を待つしかないようだ。二重の周溝に囲まれていた当時の全長は190m以上で、全長では185mの内裏塚より大きい。

九条塚後円部頂上いて九条塚前方部全景『九条塚古墳』に行く。ここも東側から後円部墳丘に上る。
ここにも内裏塚と同じ碑がある。周りには石室の積み石に使われていたような石が散乱している。軸長103m。6世紀中葉の築造とされ、三条塚同様、二重の周溝に囲まれていたらしく、周囲の道が名残を留めている。

弁天山石室弁天山古墳塚から市役所通りを経由して、大貫の弁天山古墳に行く。富津市役所大貫連絡所の敷地内にあり、石棺安置施設を含めた復元整備がされている。整備される前は、砂状の盛土のため原形をとどめていなかったようである。
墳丘頂上からは、浦賀水道と相模湾が一望できる。

東京湾観音天山古墳の南側の丘陵地帯にある大坪山には、東京湾観音様が立っている。最近コースの中に毎回入れているプチヒルクライム。今回は海抜120mの東京湾観音拝観コース。飯岡灯台の倍の標高差だ。きついかと思ったが、最強36Tを使うことなく、ノンストップでいった。仏へ近づくための道?である。
『東京湾観音』。この観音像は、今からおよそ1500年前の‥‥違うだろ!!
建立は昭和36年。同世代なんだなぁ‥‥。高さ56m、白亜の救世観音。

仏はユニセックスというものの、どう見ても女性である。しかもなかなかの美人である。
内部1内部2二の腕内部音様の胎内は20階建てで、螺旋階段で上って行く。途中には十二支守り本尊と七福神観音さま頭部からの展望がおまつりされている。
所々に外に出る展望部や別区画の階段があったりする。宝冠の部分が最上部の展望部は海抜170mほどだが、眺望はすばらしい。スカイツリーも見えるとのことだが、生憎今日は見えなかった。富津岬と須恵の国を一望する。

富津岬展望台京湾観音下で昼食を取って、富津岬へ行ってみる。
富津岬の展望台。久々に上ってみる。富津岬はここで切れて、沖合いに第一海堡を望むことができる。
おかしいなぁ。子供のころの地図は第一海堡は地続きだったし、大潮のときは歩いて渡れたはずだったと思うのだが‥‥

富津岬から、再び青掘地区に戻る。
稲荷山古墳稲荷山古墳周濠跡の探訪は『稲荷山古墳』。6世紀後半の築造で、軸長は106mだが、二重周溝の全長は200mを超えて内裏塚古墳群中最大である。説明看板の横から墳丘中央部に入っていけるようだが、やはり内部探訪は冬を待つことにする。
亀塚古墳後に訪れたのは、『青木亀塚古墳』。6世紀終盤〜7世紀初頭の築造とされるが、古墳らしいイメージは少ない。他の同規模古墳と比べて、高さがまるで低い。削られたからとも、古墳自体が未完だからだとも言われているようだ。
側面が公道となっており、容易に立ち入ることができるのだが、蜘蛛の巣が進入を拒んでいる。天候も不安定になってきたので、最終ポイントの古塚古墳も含めて、捲土重来を期す事にする。

姉ヶ崎帰還後のコーヒータイムを終えて、姉ヶ崎公園に戻ったのは17時だった。
千葉県には大型の古墳が多い。特に内裏塚古墳群は、規模で言えば埼玉古墳群と拮抗している。さきたま古墳群の盟主は、ヤマトの力を背景に、その地にやってきて一大勢力を築いたという。房総の豪族も、時期こそ異なるが土着民ではないだろう。そこには、高い航海技術を駆使して、貿易や新天地を開拓する海人族の影が見え隠れする。
房総の諸豪族たちは、さしずめ自由貿易という海の民共通のイデオロギーの中で、協力し合いヤマトからの圧力も柔軟に受け止めて、小国家群ながら毛野・武蔵に対抗する勢力を保っていたのだろう。

須恵の国ルート日の走行107.5km

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上海上・須恵国古墳めぐり 上つ巻

姉ヶ崎公園スタートの時期の古墳探訪はあまり乗り気がしない。
武社国・下海上国周辺の古墳めぐりをしたあと、間髪入れずに来たかったが、仕事・諸用の都合で、今日になった。
姉ヶ崎公園駐車場をAM6:30にスタート。


二子塚後円部より二子塚古墳まま裏道を抜けて、内房線の踏切を越えると、第一目標『二子塚古墳』が目前に現れる。5世紀中葉の築造で軸長106m。保存状態もよく、本日の幸先にふさわしい威容である。


天神山古墳天神山前方部塚から1.3kmの台地を登ったところに、姉ヶ崎最大の『天神山古墳』がある。入口がわかり辛くうろうろする。天満宮への入口が前方部裾部になっている。台地の中腹に造られているようで、樹木に覆われているとその大きさが分からない。軸長130mは、千葉県ではトップクラスだ。

『天神山古墳』の案内図に、近くに予定しなかった大型古墳があるのを見つけていってみる。
『今今富塚古墳富塚古墳』。軸長110mという大型の古墳で、天神山から4kmほど東に行ったところだ。
保存状態が悪く、前方部と後円部が寸断され、墓地等で開削されている。
現存の形からは、100mを超える威容は偲び浮かばない。場所も古墳群から独立しており、被葬者の立場が微妙である。

姉ヶ崎神社うひとつ寄り道。『姉ヶ崎神社』へ行く。ヤマトタケル東征が起源とされ、将門追討・頼朝挙兵にも出てきた由緒ある社だ。
境内で釈迦山古墳への道を探していると、庭掃除のおじさんが来て、民家に案内された。
民家の御主人に家の裏の進入口に案内される。

「す釈迦山古墳(御社古墳?)?みません。お邪魔いたしまーす」
「薮蚊がすごくてな、そんな格好じゃ、そこら中食われてしまうぞ」
虫除けを頭からぶっ掛ける。「マムシなんかいないよね?」。「そんなもんはいないよ。そこの杉の木の後側から登れるよ。」
民家の軒先をお借りして古墳に入ることはよくある。史跡などとなると見学者も多いのか、住人は好意的である。しかし、挨拶・お礼とマナーは忘れないこと。
確かに、薮蚊がすごい。それにも増して嫌なのが、くもの巣。だからこの時期の古墳探訪は気が進まないのだ。実は『焼津の半次』なのである。
『釈迦山古墳』。軸長86m保存状態はよいとされているが、比較的動ける後円部頂上以外は雑木・草茫々で全容を捉えることはできなかった。

上海金鈴塚古墳上国をあとにして馬来田国(木更津)金鈴塚に向かう。昔『キサラヅーの伝説』なんて歌はやったよなぁ。歌いながら走る。(※注‥‥正式にはキサナドゥである!)
『金鈴塚古墳』。今はミニ富士塚ほどの大きさで、横穴式石室と石棺を見ることができる。6世紀末〜7世紀初頭の築造らしい。

金鈴塚古墳石棺金鈴塚古墳石室のころまでは、周壕を伴う軸長100m級の、古墳時代終焉の大型古墳だったとされている。



青掘駅前よいよ須恵国に至る。休憩と情報収集のため、青掘駅に行く。駅は無人駅だが、駅の北川には駅前開発で開削された上野塚古墳の後円部の一部、駅の南側には『古墳の里ふれあい館』があって、休憩所・トイレや周辺古墳情報・案内パンフレットなどが用意されている。
今回の盟主墳である内裏塚古墳は、ここからは四股の距離である。ここで遅め?の朝食を取る。


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九十九里 海と古墳 下つ巻

刑部岬岡漁港から刑部岬を望む。ミッションのひとつである『飯岡灯台』に行く前に、屏風ヶ浦を見るために寄り道する。『東洋のドーバー』?といわれる10kmにわたる海食崖である。地図には遊歩道があることになっているが、いくとすぐに通行禁止の看板にさえぎられた。


看板屏風ヶ浦1屏風ヶ浦2のある地点は、位置的に飯岡灯台の真下あたりである。
ここでも十分屏風ヶ浦の迫力を堪能できる。
亡くなった三国連太郎の『飢餓海峡』を思い出す。

飯岡灯台刑部岬展望館傷に浸る間もなく、飯岡灯台へのミニヒルクライムがある。結構きついかと思ったが距離が短いので意外と楽にクリアした。
巨大な展望館の横にある、小さな灯台。犬吠崎や野島崎灯台のイメージでいたので、ちょっと拍子抜け。完成したのも以外に新しい。

展望風の台地2刑部岬から九十九里を望む館からの眺望はすばらしい。九十九里浜が一望できる。
海と逆側には、異様なくらい風車がある。
銚子市と旭市で40機近い風車があり、いくつかの会社が数機づつ運営しているようだ。
風の谷ならぬ風の丘ってところだ。公園内の喫茶店ライトハウスで昼食。

菅原大神菅原大神1の風車の回る丘を走り、成田線下総豊里へ向かう。
下総豊里駅から僅かのところに『菅原大神天満宮社』という神社がある。元上司の実家の近所で、『子宝の石』のご利益に授かるために、関東各地から子宝を求める夫婦が来るという。うちもその節はご利益を賜った。お礼参り以来10年間来ていなかったので、改めてお礼のお参り。

大利根自転車道三之分目大塚山古墳原大神天満宮社から『利根水郷ライン』を香取方面に向かい、利根川大橋から『大利根自転車道』にはいる。まれにランナーに出会う程度で、サイクラーにはほとんど出会わない。
一ノ分目排水場から利根水郷ラインに出て、少しもどったところに『三ノ分目大塚山古墳』がある。後円部に駐車場があり、車でも見学できる。

『三前方部前方部より東向ノ分目大塚山古墳』。墳丘長123mは堂々としたものだ。墳丘のあるところは、川沿いの低地から若干高くなったところにある。
かつてはこの古墳の目前に、超巨大内湖『香取海』が展開していた。
当時の房総は海岸線が複雑に内陸に入り込み、その入江ごとに小豪族の勢力が犇く小国家群をなしていたようだ。狭い区域単位に100m級の大型古墳がいくつも建造されていることを考えると、当時は豊富な海の幸と、海洋・河川を利用した、加羅諸国さながらの交易により豊かさを築いていたのかもしれない。

大塚古墳間はすでに16時になった。今から芝山公園に戻っても、博物館を見る時間はなさそうなので、帰路線上にある古墳に寄って行く。地図に載っていた、旧栗源町岩部にある『大塚古墳』。看板も何もなく、周囲が民家で上り口があるのかも不明。麓からの印象はかなり大きい。直径30mはありそうだと思っていたが、帰宅後調べたら、『方墳』のようだ。そういえば、ここから遠くない栄町には日本有数の大型方墳『岩屋古墳』もある。

ナカクサ古墳塚古墳から1.5kmほどのところにある『なかくさ古墳』。アトラスGPSマップには表示されているが、その場所にはいけない。もちろん看板もない。該当する場所のそれらしい盛土部分を見つけたが、墳丘なのか、大きさ・形状すら分からない。


タイムアウト模造品だったかくさ古墳から、栗山川を南下し多古町に至るルートは、南進とはいえ予想外の強い向い風に煽られる。
大幅に時間がかかり、芝山公園に到着したのは17時過ぎ。博物館はまたの機会にして、博物館の前にある古墳に立ち寄る。こんなところに古墳があることは、以前来たときには気づかなかった。しかし看板を見てがっくり。レプリカだった!

任務完了ッション終了。今回はハニカムパンツ!着用とサドル(MAXフライトゲルフロー)をBMCから移植。ハンドル高も20mm落とした。走行距離からすると、お尻のトラブルは取るに足らぬ状態だったといえる。ハニカムパンツの効果か、MAXフライトゲルフローが良かったのか、ポジション変更か、はたまたそれらの相乗効果かは不明。


九十九里 海と古墳日の走行 126km
隠れた古墳大国千葉には見ごたえのある古墳が、まだ数多残っている。次は『上海上国』や『須恵国』めぐりにチャレンジしたい。


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九十九里 海と古墳 上つ巻

コンテナから4号発信前7時。土壇場の計画より1時間遅れて芝山公園駐車場に到着。今日の東総サイクリングのベースだ。コンテナからTB−4ならぬMR−4がでてくる。今回のミッションは東総地区の大型古墳を回ることと、九十九里を走ること。ツールはMR−4である。バックに仁王尊の三重塔が見える。
10数年前のはにわ祭観光で訪れたことのある芝山公園には、『古墳・はにわ博物館』がある。開館を待っている時間はないので、早めに帰れたら寄る事にしてスタートする。

姫塚古墳ず、殿塚古墳駐車場から松尾方面に2.5kmほど行ったところの芝山古墳群の『殿塚』・『姫塚』古墳に行く。主墳である『殿塚』は墳丘長88m。オーバー100mを大型古墳と位置づけているオヤジには特筆すべき古墳ではないが、ここか特別なのは、看板毎年『国造(くにのみやつこ)様』が降臨される場所だからだ。毎年11月第二日曜日に、この古墳の主である、『国造(くにのみやつこ)』様と古代人たちが殿塚古墳に降臨し、芝山の町民(子孫?)と楽しく交流し、最後に国造様が現代人にメッセージを送り、再び古代に帰っていくという、物語的ストーリーだ。
この芝山町を挙げての一大イベントである『はにわ祭』のオープニングセレモニーがここ、殿塚・姫塚で行われる。
「古墳の所在地は横芝光町だろ」などという突っ込みを入れてはいけない。国造様はこの地域全ての民を統轄されていたのだ。隣の姫塚は墳丘軸長58mのこじんまりした古墳。姫様の古墳かは不明だが、殿塚の被葬者に関係のある人物だろう。
殿BMW整備センターいつかきたみち古墳をあとにして『芝山はにわ道』を山武市松尾町に向かう。車がやっと通れるかという道を入っていくと、BMC‥‥じゃない、BMWの整備センター裏手に出る。『X』シリーズがいっぱい並んでいる。いいねぇ‥‥。こんなんでガンガン林道行きたいね。こんなにいい車、舗装路だけ走らせていたらもったいない。

箱根神社大堤権現塚古墳タープールを過ぎると、すぐに奥深い雑木林となり、大堤権現塚古墳が目前に威容を現す。
墳丘軸長115m。3重の周壕が囲んでいる。大型古墳の多い千葉県でも5本の指に入る規模だ。道は中央の壕提部を通っていたようだ。
前方部中段に位置する『箱根神社』。お参りしてから墳丘に上らせていただく。

石室跡??々に大堤権現塚古墳2覆われているが流石に大きい。建造当時は九十九里浜や、椿海(当時は入江だったかもしれない)からも望むことが出来たのだろうか。
後円部に大きなくぼみがあった。自然滑落か石室跡なのかは不明。いずれにしても武社国造に連なる豪族の奥津城だったのだろう。

『大堤権現塚古墳』をあとにして、はにわ道に合流して九十九里ビーチラインに出る。
海を目前にして、海岸に出たいのだが、よくよく注意しないとクランク周りやディレーラーを砂だらけにしてしまう。
飯岡九十九里自転車道飯岡九十九里自転車道1川大橋の橋詰から『太平洋岸自転車道飯岡九十九里線』に突入する。一部の未開通区間と河口等の迂回を除けば、刑部岬の麓、飯岡漁港まで道は続く。
残念ながら自転車専用同区間ではなく、歩行者共用(優先)道である。風は追い風に近く快適なサイクリングである。

ひどくねぇ?曜日なのに、ローディさんが少ないと思っていたが、理由はすぐわかった。
写真の一段低いところが自転車道である。
MTB用コースかい!
また、一宮大原線の二の舞である。上段の道に逃げる。
この先、道はサーフボード置き場とバーベキューテーブルに占拠される。
歩行者優先以前の問題である。

津波避難タワー高さ表示岸沿いから、並行する一般道に入り、再びビーチラインにもとり飯岡を目指す。
この辺の電柱には住居表示とともに必ず海抜表示が入っている。
飯岡は、東日本大震災において、千葉県内で最大の津波被害を出した地域だ。多数の犠牲者を出している。
ビーチライン沿いに展望台のようにも見える建造物は、つい最近完成した『津波避難タワー』である。
13mの高さに100名が退避できるように造られたもので、通常時は立ち入りが出来ない。現在は2箇所だが、今後は更に増やしていくらしい。
残された鳥居じめてきた町だが、なんとなく新興住宅地のような風景で、古い漁港町の印象はない。
建っているのは、ほとんど震災後に建った家のようで、疎らなのは更地になって再建されていない空き地なのだ。
漁港に近いところ。かつては鎮守であったろう、残された鳥居が印象に残る。

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またまた、たまたま新兵器

パッド付きインナー2文しパッド付きインナー1ていたパッド付きインナーパンツが届いた。
『ハニカム・ゲルパッド付きインナーサイクルパンツ』。はにかみ屋のオヤジとしては、いかにもはにかんでしまう名前??である。

1年インナーパッド3前にパールイズミのインナーパンツを購入し、ロングライドのときは着用している。通気性はいいのだがパッドの厚みが何処も均等で幅もあり、ちょっと違和感があったり股ズレを起こしたこともあるので、今回新しいものを導入してみる。


インナーパッド1格的には、パールイズミのものより安価だが、パッドがマッチョ的デザインになっている。痛みの根幹である坐骨の部分がより厚くなっているので、今までより効果が出ることを期待している。着用前に一度洗うのだが、これを干していると、娘とカミサンに冷ややかな視線を浴びることになる。


インナーパッド2石にレーサーパンツ着用には抵抗がある。トイレもやり辛そうだし‥‥。インナーに普通のズボンのほうが、観光半分のユル系ポタリストには向いている。
それにしても目立つパッドである‥‥別に見せるわけではないが‥‥。お尻にサドルがくっついているみたいだ。

着用の感覚は、普通のスポーツインナーと変わらない。パールイズミのって、はいた瞬間から結構分厚いの付けてますって感覚がもろに来ていた。これは座ったり触ったりすると始めてパッド装着であることが分かる。これで効果あるのかなぁ?。

装着感は好いので、あとは目的である痛みの低減に更なる効果を期待するばかりである。

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リクセン破損

バリマッチパック破損オラックとともに購入した、『マッチパックファッション』の縫製が解れた。
購入後半年である。チョイノリも含めても使用頻度はショッパーに比べて全然低いのに使用時の異変で気がつけばこの通り。

しっかりしたつくりであるし、防水加工も施されて使い勝手は良かったので気に入っていただけにショックである。
かなり詰め込んだ使用はしているが、サイクリングには数回しか持参していない。

ドイツブランドなのでその辺は堅実なものと思っていた。
これでは2チャンのレビューで『買ってはいけない』にせざるを得ない。

実は、エクステンダーをつけてからは、自転車にキャリアをつけるという発想はまったくなくなるほどの自称リクセンの熱烈愛用者である。
通常に使っている『ショッパー』は、文字どおり買物で過積載を繰り返して3年間。汚れと僅かな解れだけである。最初に購入した『ショッパーコンフォートミニ』にいたっては、5年間近く使用し続け、今でも何の問題もない。
確かに以前購入した『フリーパックメタ』も補強金具の先が縫製部あたるうちに穴が開き、2年もたなかった。バリオラックにデバックを固定するという方法はフリーパックの代用の発想から出たものだ。

マッチパック破損2に荒い使い方とも思えないが、たまたまはずれだったのか。
エクステンダーに直接取り付けられるバックが不在状態になってしまったが、壊れたよ、ホイといって気軽に買い換えられる価格ではない。
『フリーパックメタ』と『マッチパックファッション』のトラブルで、後継バッグを何にするか、不安になったが、今更リクセンをやめてキャリアをつける気もないし、ショッパーは健在なのである。

暫し様子見か‥‥
リクセンファンとしてはやるせないおもいではある。


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荒川CR 榎本牧場まで

連休中日。ソフトクリームが食べたくなったので、自転車で買いに行く。
埼玉県上尾市、荒川の河岸段丘の上にある榎本牧場。榎本牧場に来るのは2011年8月の秩父輪行以来である。
榎本牧場1川敷の強い風がイヤなので途中まで一般道で行く。連休だから市街はすいている。道満グリーンパークから荒川CRにはいる。
グリーンパークから田んぼやゴルフ場の中の1本道を24km・90分(一服多過ぎ!)で榎本牧場に到着。


榎本牧場2イカーの家族連れも多いが、CR沿いのせいかサイクリストが多い。入口の前にずらっと並ぶロードのツワモノ。ミニやクロスは少数派だ。
売店や自販機のない長距離CRの中では、大幅にルートアウトせずに、水分とエネルギーが補給できるスポットである。


ソフトクリームこのソフトクリームをいただくの本日の目的である。ここでも数種類のトッピングが出来るが、ここでの一番のおすすめは、そのまんまのミルク。コーンで262円也。
写真は2個目のクッキー&ミルクのコーン。

入口の古墳がある?看板の横に、小さく殿山古墳との看板がある。
こんなところにも古墳があるのか。
農舎の裏の小高い丘が墳丘らしい。が、入ってく道も分からないので、次の機会に。


スカイダイビング2のま本田空港ま帰るのもつまらないので、左岸に渡り本田エアポートにいく。本田航空が運営する軽飛行機用の空港で、業務用のほかに遊覧飛行などもやっている。スカイダイビングのベースにもなっており、この日もピストン輸送でやっていた。

降下スカイダイビング降下部隊専用機?の単発機は小型機なんだろうけど、結構大きい機体である。
降下用の大きな扉がみえる。







エルゴノミックフォーム川左海から50km岸をそのまま帰る。
河口まで50kmの標識。イコール家までもほぼ50kmの行程である。
今日のサドルは、キャノンデールの『エルゴノミックフォーム』
ロングライド用に『MAXフライトゲルフロー』を購入した後、娘のTS−7にズーゲルフローを付けたので、これをチョイノの付替え用にしてチョイスするようにしていたが。今回はそのままで臨んだ。6万円前後のキャノンデール車に装備されており、国内市販はされていないが、海外通販では2,000円くらいででていた。800円で購入した我が家の最安サドルながら、ここまでは調子がいい。

モトクロスサーキット間大橋を過ぎると、モトクロスのサーキットがあった。『ウエストポイントオフロードビレッジ』という、地元の有力販売店が運営しているようだ。ちょうどイベントレースをやっていた。
いいねぇ。
30年も昔には、誰が作ったとも知れないコースが河川敷のいたるところにあったものだ。

荒川CR日走行 122km
ケツ痛はどうしようもない。

今日は菖蒲湯の日。
お風呂に入って、ケツ痛を治す。
結局、またバニラモナカを2個食ってしまった。

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藺沼(いぬま)試走

『MAXフライトゲルフロー』装着の試走を兼ねて、藺沼にサイクリングに行く。
予定走行は70〜80kmだが、今日はあえてナイロントランクスとレギンスジーンズのみでお尻の具合を見る。(元々サイクルジャージもないし‥‥)
『藺松戸中心部沼(いぬま)』。かつて柏市の布施弁天下辺りから、野田市木間ヶ瀬あたりにかけて存在したという巨大湖沼である。古代には手賀沼の前身である手賀浦とともに、琵琶湖に匹敵する大湖『香取大海』の入江を形成していたという。まぁ特に試走とは関係ないが、行ってみたかった所である。
錦糸町から木根川橋を渡り、R6旧道の葛飾橋を渡る。
橋からは松戸市の中心地が一望できる。マンションが増えたが、駅前を中心に川の景観が映えるバランスのいい町並みだ。

三重塔と楼門弁財天本堂布施弁財天戸市街を抜け、再びR6に合流し、北柏から布施へと向かう。
布施弁財天。大同2年に空海によって開山されたという。「大鐘楼同2年」というのは仏教史や災害史にとってキーワードになるほど、色々な場面に出てくる。
本堂は享保年間、楼門や鐘楼は文化年間の建立だそうだ。



布施妙見大菩薩ス停を挟んで向かい側に『布施妙見大菩薩』を祀る小さなお堂のある小山に目がとまった。
自称古墳オタクとしては、一目見て引っかかる形状だ。前方後円墳である、どうみても。しかしそのような表示や案内はどこにもない。
上ってみると、まさに前方後円墳的である。墳丘だとすると50m規模はありそうだ。偶然にしては見事な形状である。
藺沼をバックに財天をあとにして、利根川の堤防に上る。
以前は有料だった新大利根橋が見える。
この辺りが、かつて藺沼と呼ばれていた大湖沼だ。利根川の東遷により、利根川本流との合流で多量の土砂堆積により消滅したとされるが、それがなくとも自然に、あるいは近世の新田開発で消滅する運命にあったのだろう。

セラ・イタイヤ心のサドルである。最初の500mは硬くて辛かった。次の5kmで慣れてきたが、10kmも走ると坐骨が痛み出した。股擦れと会陰部の痛みはまったくないのは形状の効果だろう。しかし40km強しか乗っていないのに、もうサドル表面が擦れている!!


古利根沼356の古利根沼1バイパスである「利根水郷ライン」に入り、1kmも行かないうちに、湖沼と堤防跡が見えてくる。『古利根沼』はかつての利根川本流の名残だ。銚子から来た大型船は、この先の浅瀬を通れないため、ここで荷物を積み替えたのだそうだ。河川改修で本流から切り離された三日月湖は神秘的ムードが漂う静かな佇まいで、今は釣人のメッカとなっている。
ガチョウ??こか手賀沼ら湖北駅を抜けて、手賀沼にでる。南側の手賀沼CRを手賀大橋まで行く。めちゃ向い風である。
かつて日本一汚れた湖沼といわれた手賀沼は、行政や地元民の努力により、美しい湖沼によみがえった。釣人のそばに平気で寄ってくる「変なアヒル?」。釣り針飲み込むな!

じゅん菜池道「船橋我孫子線」からR464を経由して、市川市中国分の『じゅん菜池緑地公園』で最後の休憩。
手賀沼を抜けたころから坐骨の痛みがピークに。脚力がなくなることで、サドルにどっかり座ってしまうことが根本原因である。しかし、漕いでいると痛みは進行しない。50kmからは小康状態だった。やはり最後まで股擦れと会陰部の痛みは出なかった。70kmも走るとどのサドルでも、どこかしら「いててぇ・いててぇ」と歌いながら走るのは変わらないようだ。高い投資だから当面これで行くしかない。


今回の走藺沼2
93.2km
ASG CM−11は途中で電池切れ。後半は手書きルートを追加。緑の円はフォトスポット。‥‥ミステロンの声が聞こえたところではない。

試走感想‥‥『快適すぎるため乗りすぎに注意』は、絶対!!大丈夫です!。
コンフォート派にとって、このサドルで快適すぎるための乗りすぎはありえません。『世良』だなぁと言ってうっとり見すぎはあるかも知れんけど‥‥。

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PS 後日追記
布施妙見の小山が気になったので、後日調べてみたら、やはり古墳であった。『弁天古墳』。規模は35mで自然堤防の台地に乗っているとのことだった。サドルの乗り心地とはなんら関係ないが‥‥

養老サイクリング

高滝湖プロモDVDと違う!渓谷にサイクリングに行く。車+自転車は3回目だ。情報誌に載っていた『高滝ダム』を基点にしたコース紹介を参考に設定した。
夕方には雨との予報だったため、家を6時に出発。
高滝神社横の駐車場を基点として7:30過ぎのスタートになった。この駐車場利用者はほとんどが釣り客だ。ここはバスかな。

開通間近新緑が日差しに映えるさわやかな季節‥‥」ご冗談でしょ!梅の季節みたいな気温に、走り出したらいきなり通り雨の出迎え。
湖の中央に掛かる美しい加茂橋(カモノハシではない)を渡るといきなり上りになる。初っ端からカウンターを食らった。
圏央道鶴舞IC予定地。開通は来週だ。今日はここまで90分掛かっているが、ここが出来れば、渋滞なしなら60分掛からないで来れてしまう。

熊野の清水本橋を左折し、水沼を右折。熊野の清水入り口暫く行くと看板がある。熊野と書いて「ゆや」と読むそうだ。清水は熊野神社の参拝口の横に湧き出ている。お参りしてからいただく。


大滝駅野の清水から『いすみ鉄道大多喜駅』を経由して、今は博物館になっている『大多喜城址』に向かう。
関東の駅百選に選ばれた『大多喜駅』。駅舎に、いすみ鉄道の本社が入っている。
しかし『デンタルサポート』って何?。駅中に歯医者さんがあるわけでもないし、命名権らしいがまったく似合っていない。

大多喜城キシコ通り(メキシコ大統領が大多喜を訪問したことを記念した道だそうだ)から大多喜城址に登る。本多忠勝を大河ドラマになんて旗指物が至る所にあるが、戦国無双みたいな稲姫が出てきたら面白い。でも来年は黒田官兵衛になったんじゃなかったかな‥‥。
駐車場から本丸跡の博物館までは、押し歩く。
登城は下馬するものである。坂がきついからではない‥‥。

大多喜養老の滝?城から上総中野に出てR4656老川十字路を左折する。いきなり急な上り。ギア抜けしてストップ。ここで1回目のダウンを取られる。暫し押し歩き。
この急坂を上ると、滝入り口までは比較的なだらかだ。滝に下りる遊歩道入り口は、ちょっと怪しい雰囲気だ。養老の滝と書いてある。但し、居酒屋『養老の滝』の由来はここではなく、岐阜県の養老の滝である。
粟又の滝上粟又の滝下30m・長さ100mのスロープ状の滝で、以前はウォータースライダーのメッカだった。今も夏はやっているのだろうか。今日はまったく水量がなく大瀑布を連想することは出来ない。残念!

反対側隧道から川がから老川十字路に戻り、養老渓谷の中心、弘文洞跡に行く。往きには気づかなかったが、老川十字路の真下から川が湧き出ている。よく見るとトンネルから水が出てきている。これは人工の水路なのか?。気になったので入り口を探してみる。新老川十字路のバイパス開削地の下に川の入り口があった。不思議な川だ。
掘り抜きトンネル弘文洞入り口洞入口交差点(信号もないので分かりづらい)から、掘抜きの隧道にはいる。入口は普通のトンネルなのだが、中に入ると不思議な空間になっている。鍾乳洞に入ったような雰囲気だ。隧道を抜けて橋を渡ると弘文洞へつながる遊歩道がある。



弘文洞跡誰もいないもいないので自転車を乗り入れする。ホントはたぶん駄目なのだろう。
弘文洞跡。深い渓谷のようだが、初めて来た時は、まだ掘抜き状に上部がつながっていた。30数年前に上部が崩落し、今のような地形になった。

清澄観音橋観音橋2養老ラインを養老渓谷駅方面に向かうと、温泉街の中に、観音橋という綺麗な二重橋がある。
頼朝所縁の開運観音として有名。あやかろうと思ったが、橋を渡りきったところで、工事のため通行止め。運が向いてない‥‥。ちなみにこの橋も自転車に乗って渡ることは出来ない。運を担ぐつもりで自転車を担ぐのだ。

ラ・フランス泉街で食事処を探したが、ゆっくりコーヒーが飲みたかったので、弘文洞入口までもどったところの洒落たレストラン、『ラ・フランス』でブレイクタイム。『弘文洞入口』はこのレストランを目印にすればよいのだ。



白鳥橋こから、最終立寄り地『久留里城址』を目指すのだが、大福山を経由してみた。上りだけ苦しめばあとは尾根伝いにダウンヒルである。
白鳥橋をわたりヒルクライムに‥‥
しかし、上り始めてすぐに急斜面で、またまたダウンを取られた。時折雨も激しくなり、乗っては降りてを繰り返す。3kmの上りは、50mの全力疾走も出来ない軟弱親父には、K2??並みか。
房総の山の中、大福山を探しているうちに道は下りとなり、尾根伝いの林道に合流してしまった。
最大標高は311mをマーク。このGPS大丈夫かぁ?地図上の大福山山頂は292mなのだ。
ここからは概ね下りである。ところどころ視界が開け、房総の山々が展望できる。日本で一番低い県。それでいて不思議と奥深い房総の山々。このパノラマを見ていると、多少なり心の休息にはなる‥‥。

尾根伝いの林道から、最久留里城後の目的地、久留里城址の攻略。大福山のあとだから休息程度に考えていたのが、今日最大の誤算だった。
久留里城は真里谷武田氏によって築かれた山城で、戦国時代は里見・後北条氏の攻防の最前線となった堅塁である。
二の丸の資料館までの押し歩きで、脚の筋力が完全にドロップアウトした。二の丸から本丸までは徒歩で僅かだ。本丸天守台址の横に、天守が再建されているが、戦国時代以後のものだろう。

疲れたぁ〜滝ダム駐車場に戻ってきたのは17時近く。最後は乗っているのか、押し歩いているのかわからない状態になっていた。レフリーがいたら、大福山に上ったところでテクニカルノックアウトを出されていたろう。
全身ずぶ濡れで、エアコン暖房フル回転での帰宅。雨なのに濡れない。脚に力を入れなくても坂を登る『自動車』に不思議な感覚を覚えながらの帰宅路だった。

疲れたぁ〜!
養老渓谷周回日の走行80.3km(押し歩きも含む??)
最高速度45km/h!?(こんなキチガイのような速度出した覚えはないぞ)
平均速度16.2km/h(8km/h以下がやたら多かった割にはいいタイム??だ‥‥と思う)
累積標高差+1,610m・−1,588m(ASG−CM11で取れるのだが、今まで気にしたこともなかった。周回なのに±0mにならないのはなぜだろう‥‥)


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夜を支配する人

原題は『The Night Watch
暗黒の世界ングクリムゾンの曲。
キングクリムゾンは、1969年クリムゾンキングの宮殿』でアルバムデビューし、ギタリストのロバートフィリップおじさんを中心にメンバーの変遷と解散・再結成を繰り返し、2011年まで続いたバンドである『夜を支配する人』は、第二次再結成期の1974年のアルバム暗黒の世界Starless and Bible Black)』のなかの一曲である。当時のメンバーは「ロバートフィリップ」・「ジョンウェットン」・「ビルブラッフォード」・「デビッドクロス」の4人と、専属の詩人「リチャードパーマージェームス」という人がいた。

夜警題が『夜を支配する人』なのだが、この詩は、オランダのレンブラントという画家の名画、『夜警(英題がThe Night Watch)』を題材としたものだ。
英語がよくわからないので、歌詞を翻訳ソフトにかける。するとでてきた日本語はやはりよくわからない。これは日本語を知らない外国人に『さだまさし』の歌詞の美しさを理解しろといっているのと同じだ。但し、歌詞の中に、「夜
とか「闇」を表すような内容はない。実はレンブラントの『夜警』という画題も後世の俗称らしい。絵はくすんで暗いが、夜を題材にしてはいないのだ邦題、『夜を支配する人』という曲は邦題とはなんら結びつかないのである。

前置きがほとんどになったが、
実はこの『夜を支配する人』という曲にとっては、そんな解説や受売りなどはどうでも良いのだ。そんな論評や考察などなんら意味を成さないほどに、聴けば聴くほど、とにかくも美しく、せつない曲なのである。

アイランズングクリムゾンはプログレロックの真骨頂というような、戦慄的なサウンドが中心と思われがちだが、美しいメロディラインを持った、マニアに熱狂的指示を持つ曲も多い。
『エピタフ
・『アイランド』・かもめのプレリュード』・土曜日の本』・エグザイルス』・スターレス』等々。
中でも
『夜を支配する人』のメロディラインは親父的には随一と思える。意味の難解な翻訳しても)歌詞でさえ、美しい曲の一部になって融け入ってしまう。そしてこの邦題さえもイメージの一部になってしまうのだ。

この曲に出会って、もう38年経つ。今は1回3,000円、4時間30分の貸切通勤リスニングルーム
の中で涙しながら聴いている。‥‥車通勤は自腹であるが、電車でのヘッドホンはしない主義なので、音楽を聴きたいときは3,000円(今は更にサーチャージされているが)のガソリン代を払う。ゲージがEになる度に旅経つ福沢諭吉を想うと、更に涙なしには聴けない‥‥
‥‥社員,社員, The light of good works 社員‥‥と歌うと余計涙が出てくる?。

JOURNEY
の『Who’s Crying Now
』、来生たかおの『片隅に一人』、キャンディーズの『ムーンライト』とともに20年・30年聴き続けても飽きの来ない、我が心の名曲なのである。

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宮ヶ瀬輪行 早戸川

ダムやまびこ橋から旧落合方面サイトをあとにして、宮ヶ瀬ビジターセンター方面に向かう。
やまびこ橋を渡ると、宮ヶ瀬の集落がある。
やまびこ橋から見える湖面の一番奥に、水没前の落合集落があった。
宮ヶ瀬は土曜日なのに閑散としている。しかし、すれ違うサイクリストは、みんなバリバリのローディさんばかりだ。電車で来て、エレベーターでスルーする軟弱ものは俺くらいか?

今回のもうひとつの目的は早戸川トライアル場を偲ぶこと。
トライアル場は、落合の集落から早戸川林道を少し上った所にあった。
砂防ダムによって造られた広い河川敷には、選手権も行われたトライアルコースがあり、週末にはトライアラーやミニモトクロスやバギーで河川敷を縦横無尽に走る親子。キャンプやバーベキューで盛り上がる人達。静かに釣を楽しむ釣り人もいて、まさにアウトドアの宝庫であった。若かりしころのおやじも数回ここを訪れた。
かつて家族連れや若者たちで賑わった河川敷は、県下最大の巨大ダムによって造られた湖の底へ沈んだ。
早戸川林道入り口ログで教えてもらった早戸川林道の入り口は、ビジターセンターの向側、カヌー場に入るところにあった。徒歩は別として施錠付きゲートをどうやって越えるのか不思議だったが、何のことはない、MR−4は担げばよいのだ。昔は体力があったからといってXL250やジムニーは担げなかった。迂闊にも担いで越えるという発想がでなかった。

湖面の底に戸川林道は舗装である。だから1インチロードタイヤで走れるのだが、ダート好きな元ヨンダブリストとしては少し寂しい。
ゲートから1.2kmくらいのところから虹の大橋を望む。橋の手前あたりに砂防ダムがあり、コースは早戸川左岸を主に展開されていたはずだ。
右下辺りが、DAX改で走り回っていたキャンプスペースだろう。
進入禁止の林道は、入ったら孤立無援の世界かと思ったら、結構ハイカーや写真家にすれ違う。このまま早戸川橋までいく。
早戸川林道2イブドアの地図情報では、旧早戸川林道が新道と交差を繰り返している。
何のあと?金沢橋と旧早戸川林道跡道跡がないか探したところ、謎の水没道と金沢橋対岸から旧道跡を発見。交差も実際は護岸工事等で寸断されているようだ。

早戸川橋とゲート戸川橋を渡り対岸のゲートまで来た。ゲート区間4.3km。こちらは右側の看板の後に自転車でも通れるスペースが開いていた。
看板には「当面の間、許可車両以外通行止め」とある。ということはそのうち開放されるのかな。矛盾するがこのままとって置きたい気もする。


弓道の橋の跡と謎の流水戸川橋から荒井林道を下ると、すぐに水沢川にかかる大きな橋がある。この橋の下に旧道があり、地図上では新道と交差している。旧道には家族連れがいたので、降りられることがわかった。
八丁林道を150mほど上がったところに旧道跡があり、徒歩で降りられる。


地下水道だの袂に水沢川小さな滝があった。ここでパンを食べて小休止。小さな滝は湖面に落ちていた。ダムがなければ更に下に落ちていたようだ。
旧道の橋の横に、コンクリートで固められた水路があり、湖面に落ちる水が轟音をたてている。地下水道のようだ。後で調べると、なんと奥相模湖からつながっている。こんなトンネルどうやって掘るんだ?

虹の大橋から荒井林道林道から虹の大橋を望む。左側の尾根の突き出し部の真下辺りが、トライアルコースだったんじゃないかな。今の林道から当時の川原が見渡せたら、さぞパノラマだったろう。
最後に、虹の大橋から早戸川トライアル場の全景(たぶん)を撮影して帰路に着く。

宮ヶ瀬輪行1ヶ瀬湖サイクリングルート。
これじゃあ、ケネディの魔法の弾丸だね。
ON・OFF操作のミスもあるが、トンネルにはいるとGPSがピーマンになるようだ。




宮ヶ瀬輪行2回の走行、106.2km
起伏が多かった割には、城山往復よりは楽だった。やはり輪行で走行距離をショートカットした効果か。
狛江から調布をぬけてR20経由で帰宅。
意地でも世田谷通りとR246を避けてるようだ。

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宮ヶ瀬輪行 宮ヶ瀬ダム

長距離通勤になって、定期を利用した輪行が増えた。いつもの時間のいつもの地下鉄。土曜日でなければ自転車など持ち込めない。
小倉橋回の目的地は神奈川県最大のダム、宮ヶ瀬ダムと宮ヶ瀬湖だ。
AM8:40、京王橋本駅を出発。狭い小倉橋を経由して、R412へ。隣に大きな橋が出来ている!
R412から宮ヶ瀬方面には、長竹から登る北ルートと半原から登る県道があるが、今回はどちらもパスして、愛川大橋手前から中津川右岸を進む。
途中から公園敷地内になり、車両通行止めとなるため押し歩きとなる。

石小屋ダムから宮ヶ瀬ダムく行石小屋ダムくと石小屋ダムという小ダムがある。
巨大ダムのすぐ下流に小さいダムがあるのをよく見かける。
理由はあるのだろうが、見るほうにとっては前座に見えてしまう。

新石小屋橋から宮ヶ瀬ダム石小屋橋から宮ヶ瀬ダムを望む。ダムができる以前の石小屋橋は小さく狭い石造りの橋だった。中津渓谷を通る宮ヶ瀬愛川線は、景観よりも崖っぷちで怖かった印象が強い。この辺から左右の急峻を見上げると、以前の渓谷の面影が残っている。


ダムダム直下の直下に来た。堰堤高156m。日本でも屈指の高さといえる。我が只見川の雄、奥只見ダムとほぼ同じ高さ。田子倉ダムより10m以上高い。まぁ、高さだけじゃないけどね、ダムは。
宮ヶ瀬ダムは『観光放水』というものをやっている。以前見に来たが、これは圧巻である。
「ダム」がさかさまだが、特に意味はない。

ここエレベーターに乗るが最終目的地ではないから、当然上らなければならない。
ここに来たのには意味がある。
なんとエレベーターでダムの上までいけるのだ。
インクライン(超過激なケーブルカー?)の駅の横からダムの中心部まで入ると、スーパーにあるようなでかいエレベータがある。通路途中には階段もあるので、電チャリは要注意。
業務用サイズ長い回廊で150mを一気に上る。つまり軟弱ポタリストは、正攻法を採らず、150mクライムをスルーしてしまうのだ。宮ヶ瀬ダム凄い!




宮ヶ瀬湖1堰堤上部上部のエレベーター口。土曜日なのに観光客はほとんどいない。まだ桜には早いからか。
ダムサイトからの宮ヶ瀬湖。貯水量は193,000㎥。神奈川県が県下最大と豪語する、この湖の貯水量は、小河内ダムより少し多いだけなのだ。我が奥只見ダムの1/3。田子倉ダムの2/5以下だ。高さだけじゃないのよね、ダムは。

インクライン高い!いえ、やはり156mから見下ろす川下は大迫力である。
ちなみにインクラインはこれである。
(※注 ダムサイトも車両乗り入れ禁止なので自転車は押し歩きである。)



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毎年、この時期になると必ず聞きたくなる曲がある。
11月〜12月の『ホワイトクリスマス』。5月〜6月の『premonition of summer』。そして2月〜3月が今回のタイトルである『華』である。
保坂由佳のアルバム『Will』のオープニング曲である。
初めて耳にしたのは、2001年ころだったと思う。通勤帰宅中のカーラジオで彼女の曲を耳にして衝撃を受けた。
琴の音色というと『春の海』で、正月のイメージくらいしかなかったが、この番組で紹介されていた曲をきいて、正月のイメージは一挙に消えた。
癒し系でもない、フュージョンと言えばいえないこともない。何かとても新鮮で、聞き慣れているはずの和楽器の音色が異次元のものに聞こえた。
そのときはそのまま聞き流してしまったが、willやはりずっと頭の中に残っていて、何とかあの曲をまた聴きたいと思っていたのだが、曲の名前も、当の演奏者の名前も分からない。
当時のトークの中で『DNA』という言葉が何回か出ていたのを思い出し、そこからレーベル会社『J・DNA』と『保坂由佳』という名前にたどり着いたのは、2枚目のアルバム『Shine』がすでに発売されていたころである。
2枚のアルバムをJ・DNAから直接購入した。

あの時流れていたのが『華』であることが分かったのは、アルバムが届いて、CDプレーヤー(今でも我が家の現役だ)から音が流れてきたときである。
もう一曲流れていたのは、おそらくエンディングの『導かれて』だったろうか。この曲も印象に残る曲である。

「ホサカ・ユカ」さん。『コサカ・ユカ』ではない。
アルバムのアーティスト紹介欄には、「NHK邦楽技能者育成会・芸大邦楽科別科卒」で「生田流宮城会師範」とあるshine。その道はよくわからないが、「師範」というから「先生」クラスのお弟子さんがたくさんいるのだろう。ジャズミュージシャンやポップアーティストとはちょっと一線を画すようだ。自作自演者をシンガーソングライターというが(死語だ!)、ここでは創曲者と呼んでいる。創曲者自身「琴の音は、女性の本質からの聲」と語っているように、女性の心に訴える曲作りのようだ。
また、「体質改善・自力回復の漢方薬」のようなアルバムとも言っている。

女性向といわれると、まあスーパーウーファーでラップをビンビン響かせている野郎と張り合う曲ではないが、漢方薬ならばオヤジにもぴったりだ。

漢方薬は長く、穏やかに付き合う薬である。これを聴いてなんとなくやる気になることを、10年以上続けているわけだ。まさに漢方薬的な存在である。

アルバム『Shine』の次のアルバムというのは見ていない。NETで調べても保坂由佳としてのアルバムは2枚だけのようだ。『J・DNA』というレーベル会社も、今はどうなっているか不明だ。2004年くらいまでは色々活動していたようだが、今でもライブやコンサートをやっているなら、カミサンとでも行ってみたいものである。

そして今年も、またオヤジにとって『華』の季節がやってきた。
なんとなく春は、篭っていたものが湧き出るように姿をみせる(ゴキちゃんや〇走ではないぞ)季節だ。

‥‥桜吹雪の中で、自転車を走らせながら聴く『華』はまさに至極である。


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第二次城山攻略

雪のため、行程僅か中ほどにして敗走した第一次城山攻略。
臥薪嘗胆、そして捲土重来‥‥いい言葉だ。
京王閣再び到来を予感させる温暖気候の中、第二次滝山攻略のため進撃する。
津久井湖サイクリングに再挑戦。
AM6:00には出発したかったが、諸所の都合で出発はAM8:00となる。アキレス腱の炎症で通院しており、体調にはやや不安。
前回吹雪で引き返した、京王閣前を順調に通過。前回の天候が嘘のようだ。但し、吹雪ほどではないが、遠方が霧のように霞んでいる。スギ花粉?黄砂?PM2.5か‥‥!!
コンスタンチヌスの柱ここにも武線の鉄橋を越えると、対岸に某国の軍事施設?のような建物。稲城市の清掃工場。
ここにも『コンスタンチヌスの柱』がある。上に大帝の像はないのだが‥‥



多摩美大前く多摩川左岸のCRを走り、四谷橋を渡り野猿街道に入る。あまり意識していなかったが、野猿街道から柚木街道を抜けて、東京環状に出るまでは、ほぼなだらかな登りルートである。いい加減疲れてくるうえに、多摩美大付近は傾斜がきつくなる。ここで一気に体力がなくなる。

東京環状から町田街道・津久井街道を経由して城山ダムに向かう。
城山ダムを目前にして、城山と津久井湖ファミレスで昼食。せっかくだから一気に攻めずに搦め手から攻略する。ダムの手前から県道513号線に入り、津久井街道の対岸を行く。
コンパクトクランクのおかげで、何とか対岸の最上部に。津久井湖と城山が一望できる。

さて、対岸を遠回りしたのには理由がある。噂の廃道県道515号を見るためだ。県道515号線県道515号は513号の三井から千木良でR20に合流するまで相模川左岸を抜ける道だが、一部が廃道になって久しく、廃道区間入り口には巨大な鉄柵がある。
せめてそこまでは行ってみたい。
県道515号の道幅は1.7m。うちの車じゃ通れん!!しかし軽には2回出会った。これでも立派な生活道路のようだ。

ミニヒルクライムはまたどんどん上り坂になっていく。
こんなところでミニヒルクライムになってしまった。軟弱ポタリストはついにF34T×R36Tの最強ギアまでいってしまった。はっきり言って押し歩いたほうが早くて楽だ!
ヒルクライムは長い距離ではない。鍛えていればコンパクトすら不要なのだろう。
噂の廃道して報酬のはずの快適なダウンヒルは一瞬の間。再び集落に出て、集落の最上部にあるお寺を越えると、ありました!噂の現場?

巨大な鉄の遮断機をやり過ごした奥に、更に巨大な鉄柵。馬防柵か?でもしっかり横から抜けられる。かなりの人間がここを越えているようだ。

けっこう山名手橋に戻り、途中から折れて、更に下ると津久井湖に掛かる大きなつり橋『名手橋』を渡る。
橋の中央から、先ほど走った県道515号方面を望む。結構山間に来た感じだ。まぁダムがあるくらいだからねぇ。

城山ダム久井街道に出て、城山ダムの観光センター駐車場に付く。
ついに城山を制覇した。
はぁ、城山の頂上まで行ってはじめて制覇じゃないのかって‥‥
ご冗談でしょ!

さて、すでに15時近い。いい加減疲れもたまっているので早々に撤退する。
ほぼもと来た道を戻る。御殿山から百草園までは、ロングダウンヒルである。クロスライドは惰性で結構走ってくれるのでほとんど漕がない。しかし流石に80kmを越えたくらいから、オマタが痛くてたまらなくなった。自転車なら摩擦部にはグリースを塗ることを考え、ドラッグでクリームを買って塗る。多少は和らぐかもしれないが、やはり『ZOOGELFIOW』サドルでも駄目か‥‥。Gパンにトランクスというもの自体に問題もありそうだが‥‥

多摩川CRまで来ると、テーピングしている腱がぴしぴし痛み出した。通院中の脚では無謀だったか。でもどうせシップ薬とロキソニンしかもらっていないのだが‥‥。ロキソニン飲んでもあまり効果がない。右足に力が入らなくなった。

コンスタンチヌスまたまたトワイライト路のように、世田谷通り⇒R246・渋谷と抜けていくのが最短だが、すでに脚には力が入らない。世田谷通りや246の起伏に耐えられそうもない。遠回りでも起伏のない道を選ぶ。イチコクまで粘るしかない。
二子玉ですでに17時をまわっている。CRの夜は照明もなくダーク色のランナーや「犬に散歩させられている人たち」がいるので危ない。
結局、闇に閉ざされニコクから降りて市街地を行く。

もうだめだぁ会の夜景は美しい。けれど今回は夜景にかまっている状況ではない。
右足はほとんど使えず、左足は引きつってきた。おまけに少しの段差でオマタの悲鳴。
浜松町で一旦休憩する。
木場公園前、家を目前にしてついにドロップアウト。押し歩きになる。筋肉痛などで、行程中に押し歩きしたのは、秩父輪行以来だ。

行程mapM20時過ぎ。何とか帰宅する。途中からメーターすら見なくなったが、本日の走行149.9km.あと100mで150kmだ!
MR−4での日帰り最長が114km、BMCの最長は74kmだから、最長記録を大きく更新した。
BMC流石也。
やはりオマタの課題は残された。今回は出発が遅れて、こまめな休憩が取れなかったこともある。足は故障中で、また翌日また通院である。

帰宅時までにまったく余力の残らないサイクリングであった。
100kmを越えると、もはや忍耐と距離数の達成感しかない。
本来、時間に縛られず気の向くまま、寄って・見て・楽しむのがポタリストのスタイルだ。
やはりポタリングを楽しめるのは50km〜70kmまでである。ポタリングは距離を気にしてはいけない。

とはいえ、もう少し頑張れば『センチュリーライド』も夢ではないことも実証できた。
第二次城山攻略により、城山ダムは陥落した。


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PS 翌日、通院に自転車を出してしまった‥‥
    自爆行為であった‥‥

第一次城山攻略

MC後のBMCの試走コースを津久井湖にしたのは、それなりの距離と、きつい高低差が少ないからだ。
サドルを『ZOO GELF LOW』に替えて、股擦れと前立腺の痛み回避にどのくらいの効果があるかの検証もあるが、趣味でいじっているとはいえ、それなりのパーツを投入している。健脚なら200kmも楽勝な仕様である。軟弱ポタリストといえども100kmを余裕でクリアできなければ意味がない。
平日に休みを取って夕暮れ時までに帰る予定。翌日も4時半起きの仕事だ。
雪で足止め午前7時30分、天気予報は午前中一時雪と出ている。雲は低いが予想より寒くない。どうせ降ってもものの1時間くらいだろうとタカを括って出発。
新宿を抜け、R20で府中から聖蹟桜ヶ丘、橋本を経由するに抜けるのが最短ルートだが、走りやすいR246二子玉から多摩川CRを抜けるルートにした。
より深く垂れ込めた雲は、渋谷からついに雪になった。R246は首都高が上を通っているので、ある意味雪の直撃を避けられる。
降りはどんどん激しくなり、ついに用賀で足止めとなった。吹きっさらしのCRに入る前に様子見をする。
京王閣店でつぶすこと1時間。少し小降りとなったので出発。
程なく多摩川に出る。また雪が強くなった。風が吹くと横殴りになる。
雨具はない。雨を覚悟してまで行軍するほど強い意志で臨んでいるわけではない。防水を施していないコートとズボンは徐々に滲みてきている。
京王閣で記念撮影。過日MR−4で来た時は、すでに70km以上走っていた。今回はまだ36kmだが、天候のせいか疲労度は今日のほうが高い。
京王閣を過ぎると、降りは更に強くなった。すでに全身水がしみている状態なので、多摩川原橋多摩川原橋の桁下でまた様子見。やはり雪はやむ気配がない。牡丹雪となってきた。
体力的には続行可能だが、無理は禁物である。とある映画での三船敏郎演じる大村海軍少将の言葉を不意に思い出す。『このまま帰ろう。帰ればまた来ることが出来る』。そうだね、大好きな言葉である『捲土重来』をまた使うことも出来る。
服はずぶ濡れだが、ここまで来れたのは、先日松戸の某ショップで購入した手袋のおかげだろう。あの時は暖かい日で、こんな冬手袋、今年はもう使うまいと思っていたが、今回は手袋の防寒・防水効果で、手の悴みがないのが大きな効果だ。
途中ファミレスで暖をとりながら帰る。結局、東京駅雪が収束したのは、すでに東京駅を越えてからである。
走行69.5km
また、70km止まりとなってしまった。今回はスパッツにカーゴパンツだったため多少擦れたが、このサドルではまだまだいけそうである。
ほぼ全行程雪であった。雨ならば降り始めで退却していただろう。雨の日は乗らない主義だ。
雪の中でここまで走ったのは、どこかに残る『ヨンダブリスト』のサガだろう。
何の言って雪の中を走るのはすきなのだ。たとえ駆動が一輪であったとしても‥‥

第一次城山攻略は悪天候という伏兵の襲撃を受け、無様な敗退で終わった。


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エーデルワイズみたび 弐

記念撮影日はAM8:40に出発。宿の前で記念撮影をしていただいた。
日塩有料に入るとすぐに渋滞となった。料金所渋滞かと思いつつも、料金所を超えても渋滞は続いた。



看板2看板その1所の手前にある看板。
いつからあるんだろう?。これ見てぴんと来るのは40代後半だよな。
料金所を超えると反対側車線にあるのはこの標識。
これは今でも通用する??

渋滞はハンターマウンテンの駐車場へ続く道まで続いている。エーデルワイズに行く道には車一台行かない。
これはひどいと思いつつ、すいてるかなぁという期待も出てくる。
塩原宿泊のスキーヤー・ボーダーはほとんどが『ハンターマウンテン』に行く。塩原温泉とハンターマウンテンのスキーパック企画は大々的に宣伝されてい る。ところがエーデルワイズを見ると申し訳程度に川治温泉とのセットパックが見られるのみ。そう、エーデルワイズは日光市にあるのだ。

なにこれ行列かし期待とは裏腹で、駐車場は一番遠い下段の中ほど。初めて訪れたときとほぼ同じ位置だ。
これでもリフトは混まないので、悠々たるもんのはずだった。
しかし‥‥なにこれ?レンタル申し込みの行列が有に100m以上はあるぞ!
とてもレンタル数が足りないように見えるが、とりあえず並ぶ。リフト券売り場も長蛇の列だが、なにこれ行列後方レンタルが出来るのかが不明なので、暫く経ってから別働隊を派兵。
待つこと1時間半弱。あと5分で半日券が買える時間になった。他の客が騒いで待つと言い出したのでそれに便乗。AM9:30にきていながら、半日券となった。
レンタルも11:30から半日料金になる。10分前になり、すでにかなりのパーツが終了になっていながらも、誰も
申し込みをせず、行列は完全に停止した。
スタッフが折れて5分前から午後料金での貸し出しを再開。子供用の靴はほとんどなく、娘のサイズの靴も残り数足だった。レンタル在庫もがらがら状態で、先ほどと変わらない100mの行列の後方の人達はどうしたのだろう。
メインゲレンデ局、滑り出したのは昨日とほぼ同じ時間となった。周囲の会話を聞いても、常連なのか、すいているからいつもここだというが、今回の混み方は異常らしい。何かウケるTV企画でもあったのか??



こいつらだって危ないぞ強盗?兵士?が「お父さん、それ危ない!」というので1枚。
強盗じゃないぞ。ソルジャーだ。「生鮮を買いぬくために戦うのだ‥‥??」。武者震い‥‥さぶいぼか?



楽しかった‥??ローズの時間が迫ってきたので退却準備。
何の言って、半日券でも十分滑れた。
山の稜線に日が沈むと、あたりはトワイライトゾーンに包まれていく。遥か下方の谷間を綴りながら、渋滞のテールライトの列が暗い山間に、美しくもアンバランスなコントラストを描く。

ロマンチストになったわけではない。眠くてぼうっとしているだけだ。フェイシャルタオルでガシッと眠気を覚まして、安全運転(のつもり)で帰る。

走行424km 燃費9.5km/L
エアコンガンガン、渋滞の山登りを含めばまあまあだ。


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エーデルワイズみたび 壱

今シーズン初めてのスキー。
圧雪路場所は常連となった。『エーデルワイズスキーリゾート』
東京から近く、東北道アクセスのため比較的渋滞も少ない。駐車場は無料。但し、日塩有料道路途中にあるため600円の通行料がかかる。駐車場代わりとすれば安い。
道は圧雪状態。8年目のスタッドレスでも快適で、デフロックが活躍する場もない。
中段駐車場いつものように初日は昼前着。上・中・下(ランクじゃないぞ)とある駐車場の中の奥寄りに誘導される。昼近いからこんなものだ。その代わり、レンタルもリフトも半日券だ。
レンタルスキーが、珍しく建物の外まで並ぶ列となっていた。‥‥これが明日襲来する異変の前兆だと気づくすべもなかった。

ゲレンデはすいてるリフト・ゲレンデともにすいている。メインリフトも10分待つことはない。待ちすらない場合もある。
ゲレンデもすいている。この『すいている』ということがここの大きな魅力であることは、周囲のグループの会話を聞いていても分かる。結構常連が多いようだ。
娘はゲレンデに流れる曲を全て歌っている。オヤジとカミサンには分からん。
スキーといったらカミサンは『ユーミン』、オヤジには『レベッカ』しかない。ブランクの長さが知れようものだ。

エーデルワイズ’13フトは5基、上級コース3・中級5・初級6とあり最長コースも1,800mと比較的こじんまりしている。万年『中・初級レベル』のオヤジにも、上級だと思えるコースはコブのある1つだけで、あとはボーゲンでも降りてこられる家族向けゲレンデだ。『枯木ゲレンデ』というメインゲレンデから独立した、天然雪で、森林の中を滑る穴場ゲレンデもある。
リフトがのんびりで、遅い第一クワッドの信号待ち(初級者や子ども連れが多く、乗降時によく止まるのだ)では待ち時間を含めて山頂まで20分は掛かる。
レストハウスで休み休みでは、回数券にすればよかったと思っていたが、実際は回数券を上回る回数を乗っていたので、結局は半日券が正解だった。

復興御宿??日の泊まりは、塩原温泉にある『復興御宿 富双江葉大馬 塩原秘極の湯 葵』(えらい長い名前だ!!)。
紹介によると、東日本大震災の被災地である、福島県6市町の名文字を採ってつけた名だそうだ。被災者の雇用や宿泊などを含め被災地の復興を祈願し、昨年10月にオープンしたとある。
そのようなことを考慮してか、全体的に派手さはなく、静かで落ち着いた雰囲気である。食事とスタッフの心遣いは「◎」。
大ボリュームではないが、とても美味かった食事の写真を撮っていなかったのは失敗。
女性陣は大満足であったようだ。しかしオヤジには、殿方内湯の狭さが「×」。部屋も含め他は申し分なかっただけに、唯一不満の種であった。
紹介写真引用

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我が生誕の日を国民の祝日として祝っていただき感謝に堪えない。‥‥違うだろ!
2013.1雪1国家を挙げてプレゼントもらえりゃもっとよかったのだが‥‥??
今日、天も祝ってくれたのか、大雪になった。‥‥!

午後から買物で上野に出る。KARANO号出動である。
家を出ると早速立ち往生の車が出没。江東区は、雪になると必ず橋で立ち往生の車がいる。0メートルの江東区はどこに行くにも太鼓橋を渡らなければならない。
2013.1雪2年目のスタッドレスの様子見には丁度いい。峠でいきなり横向きではたまらない。
都内の裏路地はすいている。上野までは快適なドライブ。轍からそれてもハンドルはとられない。今シーズンも何とかいけそうだ。但し、デフロックにしているのでちょっとゴツゴツした走りになる。こんなときでもなければデフロックを使うことがない。

2013.1雪3きはよいよい‥‥帰りは下りの幹線は何処も大渋滞。首都高が止まったせい?、それとも荒川に掛かる橋を登れない車のため??。
スタンドによるためだけに、幹線をほんの僅か通る。200m先のスタンドに30分以上。震災以来である。
しかしひどい渋滞。砂町イオンを断念し、裏道を抜けてアリオ北砂で再び買物。

ユキダス?から電話で、靴屋によって脱着式の滑り止めを買ってくるよう依頼される。
そんなもんあるのかい??。あったらとっくに買ってるよ。
しかしあるのだ。午前中には完売してしまったと申し訳なさそうなスタッフ。
すぐに完売してしまったことなどはどうでもいい。さんざん、滑り止めのスパイクシューズを買うべきか否かを迷っているおやじにとって、このようなものの存在を知らなかったというおおぼけぶりのほうが腹立たしい。


2013.1雪4ンションの外階段で滑ったこと、雪の重みでワイパーが拉げたことを除けば、普段どおりのマイカーショッピングであった。
大渋滞を除けば、雪の都心はきれいであった。

それにしても、やはりママチャリは雪の中、平然と坂を上がり下がりしている。
雪に強いママチャリは、やはり日本が世界に誇るべきバイシクルなのだろうか‥‥


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初出社・初走り

2013年元旦、結局去年人類は滅びなかった。

改めまして、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

元旦1年は長期休暇で出国組みも多いようだ。冒頭から「こん、大ばかやろう!!」。
物流業は365日稼動である。勤務割的には休みになっているが、従業員に元旦の挨拶をしたいので出社する。
初の自転車通勤である。仕事先までは渋滞を考慮しない最短ルートで47.5km、往復で95kmになる。
通勤?なのでBMCで乗り付けたかったが、まだセッティング途中で、いまいち不安があるので、ベストセッティングのMR−4にする。

本日の始業の朝礼(昼礼だね)は12:00だから7:30に出れば余裕である。こんなに車道が走り易いのはめったにないぞ。

途中までは車通勤時と同じ青梅街道をいく。今日は元旦だから人も閑散としているが、初詣の人を見かけるようになると、神社が近くにあるなというのがわかる。真宗ではあるが多神教者なので、鳥居と卍があれば節操なく参るほうだが、朝はあまり時間がないので素通りですみません。

元旦7元旦6元旦5道沿元旦4いに元旦2は神社が多い。
善福寺にある『井草八幡宮』、旧青梅街道に入った『田無神社』、小平の『武蔵野神社』・『神明宮』。参拝者もなくひっそりとしていたのは小平の『日枝神社』。

元旦3社ではないが、こちらは仏舎利塔(ではない)。青梅街道の練馬区と西東京市の境を過ぎたところ。ここは東伏見ダウンヒルの手前、スカイタワーが最初に現われるところである。


元旦9元旦8真撮り撮り、仕事場に着いたのは11:00。パートさんの駐輪場に並ぶ、ジテ通MR−4。オバチャリと並ぶとちっちゃいねぇ。
庫内点検では屋上も点検する(たまに‥‥)。元日の晴れ渡った空に映える富士山。山が近いなぁ。

仕事に一区切りつけて、あとは今日の担当に任せて帰る。
帰りに氏神様をお参りして帰ることにして、地元社員にどこか聞く。『拝島神社』との回答が帰ってくる。
場所を聞いていってみる。

拝島山大日堂日吉神社拝島大師







 あれ、拝島神社なんてないぞ。いわれた場所にあったのは『拝島大師』。大師と言うくらいだからお寺さんだろ!。拝島神社とはどこかと聞いても地元の人も知らないと言う。大師の隣には道を挟んで『拝島山大日堂』と『日吉神社』がある。神様だから日吉神社だろうが、『日吉神社』のことを拝島神社とは呼ばないそうだ。
仕方がないので、3寺社一緒におまいりする。何処も長い行列で、1時間半かかった。境内の特盛りやきそばで昼飯代わりにする。400円は安い。

 いい加減なもので、事務所の神棚には氏神様が留守である。神仏シェアハウスともいかないので、改めて確認して出直す。今日は「私的な参拝」とする。時間はすでに15時近い。ゆっくり寄り道もできないので、早々に撤収する。

元旦10りは青梅街道から、新青梅を抜ける。何度も撮っている『スカイタワー西東京』であるが、真下から見るのはこれがはじめて。いつか登りたいものである。


元旦11袋で、某自転車チェーンに立ち寄った後に喫茶店で軽い夕飯。家に飯はなく家族は21:00までTV三昧のようだ。池袋から皇居・東京タワー・銀座を経由して帰る。人も車も少ない銀座もまた風情がある。

本日の走行114km
年明け早々走ってしまった。久々のセンチュリーライド(ただしkm表示の‥‥である)
やはり、普段は自転車通勤はできそうにもない。

最後に、2013年『新 江戸四塔』を紹介。
‥‥西東京市を『江戸』に含めるのは‥‥と言うことはこの際不問として‥‥だけど。
新江戸四塔4新江戸四塔3新江戸四塔2新江戸四塔1








元旦RUN
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スキルカバー

何時頃からかよく聞くようになった言葉「スキル」。
知識とか、能力の意味で、狭義には『職能』という形でビジネスシーンに多用される。

今回は、前置きとは何等関係なく、タイトルも『職能を補う』と言う意味ではない。
ヘッドライトカバー1ヘッドライトカバー2来発注していた枯野号のスキル製ヘッドライトカバーが届いた。
今年ヘッドライトの黄ばみをクリーニングしたが、装飾部のくすみはどうしようもなく、アイラインも色あせしてしまっているので、イメチェンして見ることにした。ルミナスレッド。純正色指定のFRP製カバーである。
ヘッドライトカバー装着1なり年式落ちしている車である。塗装色の色合の違いを心配していたが、ほとんど違和感がない状態でまず一安心。
この雫のような形の大型ヘッドライトがプレサージュのデザインのポイントともなっているのだが、ルミナスレッドの装着例を見たことがないので、どんなイメージになるのか少し不安。

ヘッドライトカバー装着2ず古いアイラインをドライヤーで暖めながらはがす。はがれ易くなるが、やはり接着剤が残ってしまう。ただし、カバーの接着面に影響がない場所は無理に剥がさない。どうせ隠れてしまうのである。



ヘッドライトカバー装着5バーは両面テープで貼り付けるだけである。
付属の洗浄剤で接着面を拭き、油汚れ等を落としてから、ラインに沿って貼っていく。
貼り付け前に仮装着で付き具合を見るが、どう調整してもエンド部が浮いてしまう。両面テープを追加して補強。

ヘッドライトカバー装着4ョップの紹介フォトよりも違和感が少ない。
これ以外の外観はノーマルなので精悍になったわけでも、凄みがでたわけでもない。
色合に違和感がないので、知る人が見ないと気づかないかもしれないが、装着例が少ないだけに、結構ワンポイント効果が狙えそうである。

ただし、こスキルヘッドライトカバーれで車のスキルが向上するわけではない。
燃費スキル??が向上してくれるとありがたいのだが‥‥


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イブ・ソラマチ

イブソラマチ2クリスマスイブ。
サンタになるためにソラマチにいく。
カミサンと娘にサンタさんからのプレゼントが届くよう、偽装工作である。

いまさら娘はサンタクロースなど信じてはいまい。
昔は「サンタさん、〇〇お願いします」とお手紙を書いてわたされたものだが、今欲しいものを書いたら、「サンタさんは、現在取り扱っていないそうです」と、却下されることがわかっているようである。
したがって、今回は本人の希望とは異なるプレゼントとなる。

イブソラマチ3つも激突しているカミサンにも、今日はプレゼントを用意する。しかし娘だけでは、不自然なのでカミサンのところにもサンタがくることになる。
以前よりクリスマスにあわせて届くように注文していた、おやじのプレゼントは残念ながら間に合わないようだ。
じゃ、とりあえず先日のイーストンがプレゼント?ということで、3人のプレゼントがそろう。

イブソラマチ1々のソラマチ。
連休最終日だが、すでに21時近いのにかなり混んでいる。25日までのスカイツリーはもみの木をイメージしたクリスマスライトアップになっている。今日は時間によってはキャンドルの赤色にもなるらしい。
まあ、開業前のライティングテストのときに、様々なライティングを見てたから別におどろかないけどね。


今年も残すところ後わずかになった。
片道2時間強の通勤で自分の時間も大幅に減った。
イブソラマチ何はともあれ、ここまで無事に過ごせたことに感謝。
帰りに、最後の追い込みで売っていたCVSのクリスマスケーキを買って帰る。
ささやかなイブのお祝いをする。

Merry Christmas 神の祝福があらんことを!
うちは仏教だから、勿論仏様のご加護もお願いします‥‥!!


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若王子古墳〜のぼうの城めぐり番外

トランジットセブンさて、丸墓山の三成本陣から忍城を望んで感慨に浸ったあと、時間があるので小針沼周辺をポタすることにした。
別の目的で、娘に借用して車に積みっぱなしだったトランジットセブンが出動する。TS−7でポタするのは久々だ。
稲荷山古墳きたま古墳群は昨年夏に一泊輪行で来ているので今回は間引きする。今回のメインスポットは若王子古墳と小針沼。いまはどちらも存在していない。
若王子古墳と、昨年訪れた石舞台が残る八幡山古墳、そして再生された稲荷山の前方部はともに、かつてこの付近に存在した『小針沼』と呼ばれた大きな湖沼の埋め立てのため消失した。
古代蓮の里若王子古墳』、稲荷山古墳から東に900mほどのところに存在した。墳丘長95m、後円部後7.5mの大型古墳だ。稲荷山から見ても何もない。そばに行けば看板くらいはあるだろう。
まず埋め立てられた小針沼の上に建てられた『古代蓮の里』に行って、昼飯と古代蓮会館で情報収集。ついでに展望タワーから景色を眺める。
タワーより行田方面展望つてこの付近は湖沼と湿地帯が続く風景だったのだろう。水面は蓮の葉に覆い尽くされていただろう。忍城も、そのような湖沼と湿地帯を生かして縄張りされたのだろう。地上50mの展望台からさきたま古墳群方面を望む。ここの50mはすごい迫力だ。スカイツリーの350mに匹敵する?展望だ。昭和初期までこの手前の水田地帯は小針沼と言われた沼地であった。資料を基に若王子古墳があった場所を訪れる。若王子古墳址広い田園。何もない。看板も石碑もない。
忍城攻めの至上命題とも言える、水攻めの土塁造りにより、幾多の古墳が消失したであろうか。
まさに斬るか斬られるかの時代に、それでも残った数多の古墳を、何の躊躇もなく消し去る昭和初期とは、やはり戦国と変わらない時代だったのだろうか。

白山古墳りに『白山姫古墳』と『真名板高山古墳』に足を伸ばす。『白山姫古墳』は直径50mの円墳で、石室板が露出しており、かなり削られている。八幡山古墳との関係を見てもかなり大規模な石室があるように思われるが、祟りを恐れて本格調査はされていないと言う。小針沼に近い位置で開削を免れているのは、この言い伝えによるものなのか?

真名板高山古墳後に訪れたのは『真名板高山古墳』。さきたま古墳の駐車場から東北東に5kmほど走ったところにある。薬師堂の境内にある古墳は、こじんまりした全長90mほどの古墳であるが、築造当時は双子山古墳と同規模の県下有数の大古墳であったことが掘削調査等で明らかになったそうだ。

今回は久々のトランジットポタとなった。田んぼのあぜ道や砂利の土手道走行が多かったが、ふわふわのサスとマキシスDTHの組合せは快適であり、2つ折りだけで車のトランクに積めてしまう手軽さは、まさに『transit』のネーミング冥利であった。

本日の走行‥‥メーターがなかった。たぶん13〜15kmくらい。

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のぼうの城めぐり

所用の帰りを利用して行田に行く。
今を時めく『のぼうの城』の舞台となった忍城を6年ぶりに観光する。
11月初頭に封切られた『のぼうの城』をみて、改めて忍城を見たくなったのでちょうどよい機会だった。
映画を見ること自体9年ぶりだ。9年前に見たのは『陰陽師』。野村萬斎の熱烈ファンというわけではないが、この人が主演ならちょっと変わって面白いだろうという理由だ。まあ、ジョニーデップの映画を見るのと同じ感覚である。
行田の街は『のぼうの城』のポスターで埋め尽くされている。平日にもかかわらず人の多いのはやはりこの小説と映画の効果だろう。
成田氏の居城であった忍忍城の鐘忍城本丸は、現在の『行田市郷土博物館』周辺を本丸として沼と水路に囲まれた、まさに『浮城』だったようである。
まずは郷土博物館に立ち寄る。郷土博物館には復元された御三階櫓や指定史跡の鐘楼などがある。
「忍城今昔地図」(博物館にて販売)によると博物館の裏手の駐車場辺りが本丸の中心だったようだ。

忍城御三階櫓料館に隣接する、御三階櫓。これは当然のぼうさまの時代のものではない、成田氏の忍城開城後、50年近く経った阿部氏の時代のレプリカである。掘割はあるものの『浮城』のイメージはない。
郷土博物館より1km弱走ったところに『水城公園』という池と水路に囲まれた静かな公園がある。忍城今昔地図を見ると、ここが城を囲む湖沼の最南端の名残のようだ。現在の行田市役所・産業文化会館・法務局・コミニュティセンターなど、市の中心的施設は全てかつての湖沼の上に建てられていることになる。
水城公園産に買った『城絵図と忍城』の冊子をみると、年代ごとに埋め立てや城下の拡大はあるものの、廃藩置県当初まで浮城の縄張は保たれていたようだ。


さて、守る側だけでなく、寄せ手側の遺構も残っているので行ってみる。
石田堤1せ手の総大将、治部少輔石田三成が水攻めのために築いた、通称『石田堤』が現存しているので見に行く。
現存する『石田堤』は水上公園より南南東に4kmほど走ったところにある。
この堤の頂に立っても、これで城を水攻めにできるとは到底思えない。
物語では、この長大な堤を1週間でつくり、城方に心を寄せる農民によって破壊される、ドラマティックな演出だが、実のところは城を水没させる高さや長さに到っていなかった結果だろう。秀吉が水攻めを指示したとも言われているが、本当に水攻めすると言うより、財力を見せ付けての長大な堤の建設により、城方の士気を挫くことが狙いだったろう。如何に要害であろうと、10倍の戦力なら正攻法で落とせると考えるのが普通である。
もともと洪水のメッカに築かれた城なのだから、これくらいの水没は何度も経験しているだろう石田堤
石田堤2攻めの失敗により、三成は戦下手のレッテルを貼られる。おやじには愚将三成よりも、上司に自分の本意に反したやり方の無理難題を押し付けられた挙句、失敗して周囲からブーイングをうける現場の責任者(誰のこと??)の姿が痛々しく浮かんでくる。
それにしても節操のないナンバーモザイクである。

本陣から浮城を望む後は丸墓山にのぼり、寄せ手の本陣から忍城を望む。
映画ではCGにより、本陣から望む湖沼に囲まれた、見事な城の全景が再現されている。
忍城を囲む湖沼に限らず、かつての関東平野は一面の湿地帯と湖沼群が存在した。あのCGのような光景がいたるところで見られたのだろう。

さて、さきたま古墳に来たので、さらに1000年時代をさかのぼることにする。


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クリスマスの季節

クリスマスソングこの時期になると、街ではイルミネーションが点燈して、クリスマスそして年の瀬が近いことを予感させる。
毎年この季節になると必ず引っ張り出して聴くレコードがある。『mood in Christmas』。クリスマスソングをイージーリスニング風にアレンジしている。小学生のころから自宅にあったものだが、中の解説書には「昭和45年12月1日」とある。万博の年だな。我が家ではポータブル蓄音機の時代である。

クリスマスソング2ばらくは封印されていたのだが、この20年くらいは毎年欠かさず聴いている。今では珍しい『赤盤』である!。もっともレコード盤自体が今は珍しいと言えるのだが‥‥。
子供のころから聴いていたので、盤は傷だらけ、磨耗による雑音や、針飛びがひどいので、MDやMP3に録音しているのだが、やはり家では生レコードで聴くのがよい。

鈴の音がフェードインされて、クラリネットの音色から始まる『ジングルベル』。クリスマスソング3ストリングスが奏でる『蛍の光』の最後にまた鈴の音がゆっくりとフェードアウトしていく。定番中の定番ばかりの曲だが、都会の夜景を見ながら、カクテルを傾けて聴きたくなるような雰囲気になる。
転勤になり、今年はゆっくりと街のイルミネーションを楽しみながらのナイトランをゆっくり楽しめそうもない。
せめて、家の中や車の中では少しいい雰囲気を味わいたい。
家族からは、「ああ、今年もお父さんがこれを聴く時季になった」と毎年言われるのだが、今年も無事に年の瀬を迎えられるよう祈るとともに、来年はどんな年になるのか、ちょっぴり心が温まると同時に、不安も入り混じった想いに耽る季節の到来を告げる1枚なのである。

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どじょう+1

タニシ3匹のどじょうが我が家に来てから1年半がたつ。
1匹の欠落もなく2回目の冬が迎えられるとは思わなかったので安堵とともにちょっとびっくり。
こいつらを見ていると、だんだんとやせ細ってきて、透明になっていくような気がする。じっとしていても身体が曲がっているし。
じゃあもう弱ってきているのかと思うとそうでもない。こちらが見ているとかたまっておとなしくしているのだが、こっそり覗くと結構所狭しと泳ぎ回っている。

先日、タニシ1娘が学校の農園で見つけてきたという『タニシ』を水槽に放り込んだ。この都会にまだタニシがいるのかと意外に思いつつも、かつてのどじょう全滅事件が目の前を過り、どじょうが病気で死んでしまったらどうするのかと、娘に声を上げてしまった。
しかし、何日経ってもどじょうに変化はなく、まずは一安心。

逆に、タニシは毎回どじょうたちにサッカーボールのごとくけりまわされている(どじょうには足がないのでけりまわされている‥‥と言うのは適切なタニシ2表現ではない)ので、こいつ生きているのか不安になったが、知らないうちにビンドウや水槽の壁にへばりついているので、何とか生きているようだ。この水槽の中でタニシが何を食べるのか解らないが、水田などでは水質の浄化の役目も担っているというので、どじょうの糞やえさの残りなどを食べているのだろう。

今日もタニシはどじょうたちに、いいようにもてあそばれながらマイペースで動いている。
今年は元気な「どじょう+1」で年の瀬を迎えられそうである。

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小名木川

小名木川1々に早く帰宅した。帰路に買物でライフに立ち寄る。
そういえば、先日から小名木川の四つ目通り「小名木川橋」から「小名木川クローバー橋」間で整備していた遊歩道が通れるようになっていたので、帰りがてら通ってみる。




小名木川3いと言っても、21時近いと人通りもない。もっとも、もっと早くても人通りがあるのかは解らない。
小名木川は江戸時代初期に、江戸湾北部が遠浅で潮流が激しいために、市川方面からの船による物資輸送を安全に行うために開削された、江戸でも最も古い運河で、今は内陸の河川だが、当時は海岸線の近くを通る川だった。‥‥砂町の砂は砂浜の意味だし、海もないのに海辺なんて地名があるし‥‥

小名木川2名木川の遊歩道は旧中川の番所跡から丸八橋にかけては整備が完了しているが、丸八橋以西はまだ整備途中だ。
今回整備されたのは、冒頭に挙げた区間の約300m強の区間だ。
横十間川の遊歩道は、自転車が通行できる。しかし小名木川の遊歩道には『自転車通るべからず』の立て札が掲げられている。水面に映し出されるマンション群の夜景を見ながらポタリングするのが、都会の夜の風情なのだが、ちょっと残念。

小名木川4名木川周辺では、大正から昭和40年ころにかけて、地下水大量汲み上げによる地盤沈下が加速し、水質汚濁と『剃刀堤防』によって、川は人々の生活から切り離された。しかし近年の閘門と排水設備の整備によって、川は外海と切り離され3mほど掘り下げられた。そして水質浄化とともに川辺には遊歩道が整備されて、川はまた人々の前に戻ってきた。
チャリで通れないのは残念だが、全区間整備されたら是非萬年橋から番所橋まで水辺を歩破したいものだ。


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フォグ復活

HID化フォグ週間ぶりにフォグが点灯した。
先日の車検でフォグの色違いで引っかかり、車検を通すために取り外していた。
もともとプレサージュ純正のプロジェクターフォグが、ハロゲン仕様でイエローレンズだったものを、バラストをつけてHID化していた。
当初は両方とも色温度(ケルビン)が4,500kと比較的高いものを使用していたので、イエローレンズを通すと薄緑色になっていたようだ。色違いフォグフォグとしては見易い色ではなかったが、見た目が綺麗だったのでお気に入りではあった。
しかし、右バルブが破損したため交換したものが3,000k(たぶん)だったため色合が全然違ってしまっていた。
乗ってても変だったけど、とりあえずいいやと思ってそのままだったのが、見事に車検に引っかかった。
エアダクト備側と交渉したのだが、この状態で付いている限りは車検は通せないので、当日中に通すには取り外すしかないとのことだった。
車検を終えて帰ってきたときは、エアダクトのようになっていた。これはこれで結構さまになっているのだが‥‥
とりあえず左右同色の黄色いバーナーを用意すれば、サービスで元通りつけてくれると言うので、近所のカーショップで取り寄せる。
フォグ復活り寄せたバーナーを持込で取り付けてもらう。見事に芸のない黄色である。しかしこちらのほうが確かに見易い。
フォグランプなんかお飾りだと思っていたが、無いと結構不自由であることを改めて認識。
たかがフォグ、されどフォグ。これでまたナイトドライブが快適になる。


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印旛・花見川輪行

(1)
松虫姫駅旛日本医大駅にAM9:00に到着。
2010年6月初頭、病に倒れる1週間前にTS−7でここを訪れた。実に2年半ぶり。
ここは別名『松虫姫駅』と言う名前がある。『松虫姫』とは不破内親王のことだそうだ。内親王が本当にこの地に来たのかは伝説というしかないが、そのとき一緒に来た牛が年老いて都まで戻れなくなり、自ら入水したのが『牛ムグリの池』だそ牛ムグリの池うだ。
前回、ここを訪れたときは確認できなかったが、今回は松虫姫公園内の調整池がかつての『牛ムグリの池』であることが確認できた。
実に40年越しの『牛ムグリの池』発見サイクリングが成就できたことになる。松虫寺も見て行きたかったが、場所を確認してこなかったので次回の楽しみとする。
スカイアクセス線回の目的は、花見川CRの走破である。
花見川CRは、検見川の浜にあるサイクリングセンターから新川CR・印旛沼CRまでを走破すると、総延長46kmになるロングコースだ。今回はこれを逆走して河口に至る。北印旛沼のコースは2年前に走っているので、今回は印旛捷水路の北印旛沼口からスタートする。
前回はスカイアクセスの開業前だった。
印旛捷水路今回のルートの第一ビューポイントが、印旛捷水路の渓谷である。まだ紅葉には早いが、ここも所々に紅葉が見られるはずである。釣り人やカヌーを楽しむ人などを見ながら渓谷を抜ける。



西印旛沼がて広大な西印旛沼が現われる。
西印旛沼の南側湖畔に沿ってCRが整備されている。
『県道八千代・印旛・栄自転車道線』と言うのが正式名らしい。が、やはり標識は「人と自転車」である。


印旛沼自転車道の辺は走り易いが、単調なコースである。今日は北西の強風だ。西印旛沼湖畔でいきなり正面からの向かい風に襲われる。トレーニングに来たわけじゃない。風に逆らわない巡航速度に落とす。
さすがに15km/h以下におちると、少し気合を入れなおさないと、ママチャリにも抜かされる。しんどい‥‥

佐倉ふるさと広場ースが南東から南西に変わる『佐倉ふるさと広場』(何で佐倉がオランダの風車なんだろ?)までは巡航速度が一気に倍近くなる。体力・計画・節操もない。
ここは、春はチューリップが綺麗だ。レンタルサイクルや喫煙所・トイレ・売店がある。

新川CRび北西に向かう単調なコースが続く。
印旛沼が新川に変わり、しばらく行くとコースは北西から南へと進路が変わる。
やっと楽になる。


みちの駅八千代道16号を潜ると、『みちの駅八千代』の裏手に出る。
レストラン・売店があり、駐輪所もあるので自転車でも利用できる。
ここで少しトイレ休憩。宮橋から新川左岸に渡る。‥‥新川ってどっちが下流?
一応ここでは印旛沼に注ぐ河川として言っているのだが‥‥。

ゆらゆら橋ばらく行くと変な橋。ゆらゆら橋と言う名前のようだ。名のとおり吊橋である。
北総線と運賃の高さにおいて双璧の東葉高速鉄道の高架橋を潜り、新川大橋を潜ると、水門とも思えない大きな施設が川をふさいでいる。


大和田排水機場和田排水場。水門ではない。ポンプ施設である。新川は花見川と直接繋がっているわけではなく、ここで仕切られて、排水ポンプにより花見川に水を放水しているのだ。



弁天橋見川に入ると、第二のビューポイントが現われる。勝田川と合流した花見川が渓谷部に差し掛かる。渓谷の入口にかかる弁天橋。何か印旛捷水路のところにも同じ形の橋があったような‥‥



左岸CR天橋を渡り、花見川左岸へ‥‥。花見川は東京湾に注ぐ河川と見ているから新川と逆になっている?
橋詰から渓谷に降りる道をはいる。サイクリングコースになっているけど砂利道じゃん!
でもCRってローディさんも走るんだから、ほんの一時的なもんだよね?

砂利道じゃ!かし、行けども行けども砂利道のまま。
どこまで未舗装なんだ?。1インチタイヤには修羅場だ!
‥‥ま、もともとオフ派だし、リアサスも付いてるし、パセラブラックスだからね。普通に走ってしまうし。逆にこれが、あの幕張のすぐそばとも思えない風情がある。今回のハイライトとも言えるポイントだ。

総武本線局、砂利道は2kmくらいだった。花見川大橋・天戸大橋間は工事中で迂回、案内板はわかりやすいように掲示されていた。京葉道路を越えると景色が開けてくる。総武本線鉄橋から湾岸道路までは川筋から少し離れるが、その次に現われる花見川は、川幅も倍以上になり、埋立地の直線流路となっていた。

河口河口へ口はすぐ先である。そしていよいよ河口。
河口に出で検見川方面に回り、最終点(起点)であるサイクリングセンターを目指す。

サイクリングセンター前の検見川の浜。すぐ横には海浜幕張のビル群、終点(起点)遥か遠くにスカイツノーリーが眺望できる。
ここまで49km。ポタリングには絶好の季節ながら。今日は風を友にはできなかった。

(2)
検見川の浜から幕張に向かう。時間は13:30。18:00過ぎに帰れればいいので時間が余る。
また北西に向かう。今度は海風でもうバテバテである。
今日はサイクルモードの初日。行かないことに決めていたが2時間くらいは見れる。とりあえず駐輪場までいってとめてある自転車でも見ているか。その方が生カスタムが見れて面白い。
駐輪場に行くとアナンス、「防犯上、駐輪したらすぐに駐輪場から出てください」。これでは見られない。
結局、海浜幕張駅前のプレナ幕張にある『サンエトワール』と言うベーカリーで昼飯。ここのきな粉とシナモンの揚げパンは最高である。
メッセの帰りは、よくここのパンを土産に買って帰ったものだ。都内にも支店があるはずだが‥‥。
帰路は国道357の歩道をひた走る。357の歩道は結構走り易いことが解った。歩道は車道と分離されたな並木道になっており、木漏れ日の中雑踏から離れて走るところもある。ただし、横からの車の飛び出しには要注意。
歩道舞浜よりコロンビアに沿って走っていったら、舞浜交差点のみ渡れずに道なりに左折になった。
時間もあるので舞浜を周回して帰る。すでに斜陽となっている。晩秋の陽だまりは短い。


花見川輪行回の走行92km
平均速度16.8km/h
もっと風になりたい(風邪にはなれた‥鼻水う‥アタマイテェ)


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ブルホーンカット

ストーカー26遠距離電車通勤に諸々の用事で、この頃ほとんど自転車に乗っていない。
気晴らしに、以前より気になっていたMR−4のブルホーンハンドルの先端をカットする。
『ストーカー26』は、『プロファイルデザイン社』というトライアスロン系のパーツメーカーが手がけているためか、ホーンがかなり長い。

パイプカット2パイプカットーサイズは400mm。ホーンが長い分、車体の小さいMR−4には頭でっかちだ。TS−7ストックのアキ380mmカラーブルホーンで十分なのだが、一式交換が面倒なので、余らせている先端部を25mmほどカットする。
カットとバリ取りでも10分程度だ。



カット後要部分をカットして少しすっきりした。
まぁ、傍目からはほとんど変わっていないが‥‥




新兵器搭載兵器のリクセンカウルヴァリオラックを装着。これは輪行のときなど、ゴツイMR−4純正輪行バッグを固定するのにいいだろう。

ちょこっといじって、気分転換にチョイ乗りに出かけようとした途端、雨が降り出した。
結局また乗れないままであった。


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livedoor プロフィール

枯野

愛車紹介
1.PRESAGE U31
愛称『KARANO』
  :いまや歴史遺産となった3.5L/デフロック付きフルタイム4WDのミドルルーフミニバン。最近は金欠でタコメーターしか見れなくなった。最近やっとショックを交換。2004年モデル。

2.SOMA・SAGA『嵯峨』
  :米国ソーマファブリケーションズ社のツーリングフレームに格安パーツを買いあさって組み付けた僭称グラベルプラスワンロード。重量がネックだが太いタイヤは楽ですよ。年式不明。

3.MR−4
  :18年間コンパクトスポーツの頂点に君臨したGIANTのロングセラーフォールディングバイク。2010年モデル。FからSE擬き仕様にDIY。こまめな輪行・車載には難があるが走行性能はピカイチ。

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