KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

ディズニーリゾート

今さら『ディズニーリゾートに行ってきました!』などという味噌もつかない投稿をする輩もいないだろうし、自身ももう何度も行っているのだが、今回は『行ってきました!』投稿。

久々に平日に家族に休みが重なったので、3年ぶりにディズニーシーに行く。今まではマジックキングダムで安くあげていたが、今日び企業が新規にマジックキングダムには入れない状況の中、会社がマジックキングダムを脱退するという英断!!?を下したため、家族で18,300円という、キャッシュでは絶対払おうとなどとは思わない金額で、初めてEチケットによる入園となった。

これだけの金額を払って、長時間待って、同じアトラクションを毎回乗っても、また来たいと思うディズニーリゾートの魅力とは不思議なものである。

一般によく言われる、そして運営側も言っている『日常とは切り離された世界の演出』なのだろうか。
但し、『日常とは切り離された世界』とは、必ずしも『夢やお伽の世界』というわけではないようだ。
平日、しかも一般企業では最も忙しい月曜日に来ているにもかかわらず、平日であることを思い出させない超混雑!。これがまず日常ではない。ほんの数分のために、待つときは120分以上待つアトラクション。ある意味これも異常といえる。朝から晩までいて、7個もアトラクションに乗れれば「今回は結構乗れたね」という発想が出る事態、日常の感覚ではない。『日常とは切り離された夢の世界』とは日常の感覚が麻痺した世界でもある。

しかし、この日常の感覚が麻痺した世界が、『夢の世界』であり続けるための運営側も大変なのだろう。
オヤジは『裏方』が好きである。しかしある意味ここには『裏方』がいない。『裏方』という役割のスタッフもここでは『キャスト』なのである。ゲストが『日常とは切り離された世界』を堪能するために『キャスト』(バイトがほとんどなのだろうが)は超日常的な職務を、マニュアル通りに淡々とこなしている現実があるのだ。
スイーパースタッフ(カストーデュアルというらしい)は掃除のほかに路面に絵をかいたり、掃除の仕草そのものがパフォーマンスなのである。
ディズニーランドがまだ新しかったころは、ごみが出たと思う隅から、さっと現われて、独特パフォーマンスで、手際よく掃除していく様に感動したものだった。

ディズニーリゾートのアトラクションを構成するパーツは、テーマに合わせたオリジナル品である。ガードレールや手すりなどは、その辺の道路やショッピングモールなどに使われている汎用品ではない。ここでも日常とは違う演出が成されている。

マジックランプシアターではマジシャンのシャバーンが言う、「はっきり言ってここは休憩所ではアリマセ〜ン」「大人はやっと座れてよかったーとか 思ってるんでしょう!!」娘がすかさず、図星でしょうというようにオヤジを見る。ある面ではその日常と現実を逆手に取って笑いに変えることも 忘れてはいない。

それは、ディズニーランドが開園したときからずっと受け継がれているディズニーリゾートの生命線であるに違いない。
でも、なんか開園当時と同じようで変わってきている気がする。
いつの頃からだろう。足元に落ちているごみ。以前のカストーデュアルなら、何処からともなくやってきて、掃除をしてしまう。初めてこちらが「ごみが落ちていたんだ」と気づくくらいだったが、今ではごみが散らかっていてもなかなかカストーデュアルが来てくれなかったりする。「ここにごみがあるぞ」とこちらから声をかけたくなってしまう。現実の世界に戻される瞬間。
来園を重ねるうちに、こちらが非日常に慣れてしまったのか。徐々に変化する絵の変化に気が付かないことが、トリックなどに使われる。今、開園当時のディズニーランドが突然現れたら、同じ風景でも今とは全く違った世界観であるのかもしれない。

サービス重視よりもコスト重視という恐ろしい悪魔の呪いは、この不況知らずの夢の国にもどんどん浸透してきているのだろうか。
現実という名の悪魔は、物語に出てくる悪魔のような人間くささは微塵もない。現実は何の感情も持たずに、人を蝕む。これからもディズニーのキャラクターたちには、その悪魔を打ち倒し、夢の世界を守ってもらいたいものである。

オヤジは心臓病もち。カミサンと娘はコースター恐怖症と強度の車酔い。パンフだけ見ていると、家族3人人気アトラクションはすべて”NG”になってしまう。というわけで、我が家では家族みんなでコースター系のアトラクションに乗ったことがない。確かに、こまない小さなアトラクションやショウやパレードを見ているだけで結構楽しめるのではあるが‥‥。
今回は、お父さんの運転よりぜった揺れないということを確約して、『インディジョーンズのクリスタルスカルの魔宮』にみんなで乗った。最初はギャーギャー言っていながらも、終わった後は「本当にお父さんの運転よりまし」とはしゃがれる‥‥おいおい、乗る前のは冗談だろうに!!
しかしこれで、少しは人気アトラクションに乗る気になったろう。今度またディズニーリゾートへ来たら、やっとスプラシュマウンテンに家族そろって乗れそうだ。
今回は逃した『トイストーリーマニア』のリベンジもある。何度も来ていながら、まだまだ新鮮味を多く残しているテーマパーク。
最後に家族には『クリスタルスカルの魔宮』よりもドキドキするアトラクションを家まで楽しんでもらう。


帰った後のこのけだるさは、自転車の130kmサイクリング以上である。それでもそんな疲れ切った中で、オヤジをして『また来たいね』といわせしめるディズニーリゾートは、やはり天晴れなテーマパークである。


‥‥家から30分の別世界。自転車で来れる別世界‥‥

ディズニ−シー真1枚位のせておいてもいいだろう‥‥
一応行ってきました!ということで‥‥

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武蔵府中熊野神社古墳

熊野神社用で昭島へ行ったので、帰りに府中市の『武蔵府中熊野神社古墳』に立ち寄る。
甲州街道沿いにあり、立ち寄るのも便利だが、神社には駐車場がない。車で一回りすると、北側の道路にコインパーキングがあった。

『武蔵府中熊野神社古墳』。1辺の大きさが32mある。単独で訪れる古墳は基本的に100m以上と決めているおやじにしては、珍しく小振りな古墳である。



武蔵府中熊野神社古墳かし、この古墳、訪れるに値する大きな特徴が、全国でも珍しい『上円下方墳』という形状の古墳としては最大のものだからである。1辺32mと書いたが、3段構築の下段・中段が方墳であり、上段は直径16mの円墳となっている。
築造は7世紀中葉とのことで、古墳としては終末期のもので、天武天皇の時代にあたる。
南側に石室入口の扉があるが、石室は補強処置を施され、埋め戻されている。
神社の参道の横に、展示館と石室のレプリカがつくられている。




展示館横のヘルメット着用石室レプリ地下鉄入口じゃないカ。レプリカだけどヘルメット着用で、懐中電灯で入るのだ。
入口は狭いが、中は意外と広い。明治初めまでは石室に自由に入れていたようで、ほとんど盗掘で失ったようだ。その後石室が崩壊して、古墳であることが長く忘れ去られていたようだ。発掘調査により、鞘尻金具やガラス玉などが発見されている。




展示館内室は鞘尻金具発掘位置3室分かれている。同時期につくられた行田市の八幡山古墳(円墳80m)の巨大石室には及ばないが、奥の石室は大人が数人立ったままはいれる広さである。
横の展示室は、発掘前の状態や発掘・復元作業の記録が展示されている。
本格的発掘調査・復元作業が行われたのは新しく、この10年くらいの間である。




熊野神社古墳北側野神社古墳がつくられた後8世紀初頭に府中市に『武蔵国府』がおかれる。この時代、国造制はほとんど消滅するが、まだ完全な中央集権にはなっておらず、国司が元の国造などの有力豪族を郡司として任命し、地方豪族の権力が継承されている時代だ。
大型古墳がほとんど造られなくなるこの時代に、上円下方墳では武蔵国最大規模となる熊野神社古墳の被葬者は、この地域の郡司としてかなりの権力を持った豪族であったと推測されるが、残念ながら、記録がかなり進んできた時代でも、残された文献から被葬者を割り出すことはできないようだ。



古墳全景(西側)世紀には武蔵国の国造は荏原・橘樹の豪族が任じられていたが、5〜6世紀には、埼玉周辺の豪族に権力が移行していく。しかし7世紀初頭には、さきたま古墳群も終焉を迎え、この時点では、権力は多磨の豪族に移っていたのか。もし笠原一族が権力を掌握し続けていたら、武蔵国府は熊谷か行田周辺におかれていたはずだ。
太田天神山を見たばかりだ。大きさにおいては比べようもない規模だが、葺石によって整然と再生された独特の形状は、この時代の武蔵国最大級の古墳として、異彩を放つ存在である。




武蔵府中熊野神社古墳近所に、〇〇クリー国立店や〇’〇ロード府中多摩川店などがあるので、さらに寄り道して、自転車パーツを物色して帰る。(こちらがメインじゃないぞ!?)


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太田輪行 下つ巻

千手観音堂神山円福寺を後にして、別所茶臼山古墳に向かう。
別所茶臼山古墳は別名『円福寺茶臼山古墳』の名の通り円福寺というお寺の境内にある。境内の奥には千手観音堂に通じる階段があり、ここが古墳へののぼり口になっている。
千手観音は守り本尊でのあるのでお参りしていく。
『別所茶臼山古墳』。墳丘長168mは、古墳王国群馬でも3位の大きさである。
高崎の浅間山古墳と同じころの築造で、規模もほぼ同じ。これに続くのが太田天神山古墳であるから、それぞれの地域の権勢や天神山被葬者との関係など興味深い。
国良親王御陵??別所茶臼山後円部入口観音堂のすぐ脇には十二所神社があり、十二神像が安置されているとのことだが、普段はしまっているようだ。神社の参道は後円部からとなる。
社の横に『国良親王御陵』の碑。
大変失礼ながら、国良親王様ってどんな人?御陵というくらいだから埋葬されたのだろう。
ここは後円部なので、もともと埋葬された被葬者がいるはずだが‥‥



別所茶臼山全景福寺新田氏累代の墓は新田氏縁の寺で、新田氏累代の墓もある。
国良親王も後醍醐天皇と新田義貞の血を受けているようだ。
古墳の全景は、円福寺境内の反対側から望むことができる。






銚子塚後円部銚子塚後円部入口間もないので本日最後のポイントである銚子塚古墳に向かう。
途中トイレを借りるためコンビニによる。「どちらまで行かれるのですか?」と聞かれる。朝駅で自転車組み立てているときも、地元の人に、「この辺じゃなくてもっと山行ったほうが新緑がきれいだ」なんて言われた。地元の人は太田周辺は観光に来るところと思ってはいないようだ。
いやいや太田は見どころ満載ですよ。
まあおやじにとって、「群馬からわざわざソラマチやお台場に来るの?」という感覚以上に、「東京からわざわざ古墳見に来るの」という感覚なのだろう。

銚子塚古墳全景前方部頂上より後円部を見る話休題。
銚子塚古墳は太田市の古墳の中では、最も利根川よりにある。軸長124m。古墳時代初期の築造で、道路によってかなり削られているが、本来は初期特有の手鏡型をした古墳だったようだ。
後円部頂上には雷電社という小さな社があるが、その後ろは崖状になり、農道が前方部を分断している。
墳丘長124mは毛野国の古墳の中では特筆して大きい部類ではないが、この大きさが、鉄剣で有名な埼玉第二位の大きさといわれている、さきたま古墳群の稲荷山と同規模なのである。時代がずれているので単純比較はできないが、毛野の国力が知れる一面である。

葛西用水取水口跡葛西用水取水口跡2こからは利根川に出て、CRをひたすら走る。
東武伊勢崎線の鉄橋を超えると、公園があり利根川からの取水口がある。
MR−4購入当時、大横河を河口からさかのぼった。当時はまだ病み上がりで吉川で断念したが、ここがそのうちの最終目標になるはずだった。
ありえない話だが、東京都と埼玉県が『葛西用水CR』を完全整備してくれたら、家の近所からここまで1本道で来れるのだ。



太田輪行戸川CRに出て、日没までに篠崎あたりまではCRで下りたかったが、三郷で日没となってしまい、一般道で帰る。
夕食も外食にしてしまったので、帰宅が21時になってしまった

本日の走行 129.3km
怒られた‥‥

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太田輪行 上つ巻

福居駅分遅れで福居に着く。昔ながらの長閑な雰囲気の駅舎である。
福居駅は栃木県足利市にある。
今回は20年ぶりに太田天神山を訪れるのが目的だが、せっかくだから周辺の古墳もみて回る。






藤本観音山全景藤本観音山古墳駅から例幣使街道を上り、矢場川を渡って左折すると、藤本観音山の森が見えてくる。
前期古墳だが、墳丘長118mもある関東では第二位の『前方後方墳』なのである。
後方部角から頂上に上がれるのだが、前方部へのルートは寸断されていた。側面に鮮やかな段築が見えるが、当時のものかは不明。このアングルでは優美な姿を見せているが、裏側は墳丘以上に高く盛り上げられた、スクラップの山が古墳を覆い隠している。ここに眠る権力者は何を思っているか。


女体山古墳2毛野女体山古墳と上毛野の国境は渡良瀬川だと思っていたが、この辺は細い水路や路地が境になっているようだ。知らない間に群馬県太田市に入っている。
次はいよいよ天神山古墳だが、その前に、隣接する『女体山古墳』に寄る。
『女体山古墳』。天神山が別名『男体山』と呼ばれている対の名である。天神山の迫力に圧倒され、以前来た時もほとんど気に留めなかったが、帆立貝式古墳としては全国で第二位の大きさであることには驚愕。勿論東国ではナンバーワンである。ちなみに東国第二位は世田谷の野毛大塚古墳だ。
墳丘長106m、高さ7m。天神山の培塚のような位置関係だが、築造は天神山より古い。
女体山古墳と天神山古墳体山古墳の後ろから天神山古墳の威容が覗いている。








天神山全景神山古墳に行く前に、少し遠回りをして、東武線にかかる内ヶ島陸橋に行く。
天神山は巨大すぎて、縁周の道路などからは全景が撮れないのだ。ここまで後退しないと周壕を含む墓域全体が見えない。
『太田天神山古墳』。墳丘長210m(全国29位)。2重の周壕と周堤を含む墓域は長さ364mに及ぶ。畿内を除けば全国第3位。1位.2位はいわずと知れた吉備の造山・作山である。
出雲・吉備・筑紫などの列強と肩を並べる軍事大国、『毛野』の最高首長の奥津城にふさわしい。




天神前方部から天神山入口には前方部と県道側、そして墳丘中央の天神社への参道から入ろことができる。この時期になるとスズメバチに要注意だ。王の使いなのか?今回は蛇の出迎えを受けた。
鳥居があるのも周壕から少し上がったところで、天神社があるのは鞍部の最も低いところだ。
その後ろに回ると前方部へ行ける。



社の後円部中段から後円部頂上より前方部を見る横からさらに後円部にいける。
後円部からは天神社が小さく(もともと小さいのだが)見える。
以前来た時は、石棺の一部が露出していたと思ったが、今回は石室部を確認できなかった。葺石が露出しており、築造当時は白亜の葺石の覆われた。巨大な築造物であったことが想像できる。




周壕神山は市街地の中にあるのだが、珍しく周壕が原型に近い形で残っている。
現在残る周壕跡としては、昨年訪れた船塚山古墳のほうが広いが、かつての天神山は、この周壕の外に広い周堤域があり、その外にさらに外壕が囲っていたのだ。







太田市HPより天神山の規模や周囲の古墳との関係は、太田市で出しているパンフがわかりやすい。





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牛久大佛に行く

大型連休に入る前、牛久にある大仏様を見に行くことにした。
朝の家事・子供を学校に送り出してからの出発はAM8:30。

利根川を渡る路は江戸川を渡る四つ木橋からR6号をひたすら下る。16kmほどで、旧道の江戸川を渡る。景観工学的に整った松戸の風景、市川や川口のように周囲から浮き上がった不自然なストレスがない。
江戸川から24kmで6号大利根橋を渡る。上流側河川敷の横に広大に広がる低地は、かつての香取海に続く藺沼という巨大湖沼の名残として、近世まで残っていた湿地帯痕である。



さすがなにこれ根橋から10kmほどで牛久沼である。
単調な6号であるが、周囲には面白いものが点在している。







牛久沼手か牛久沼1らは30分ほどで牛久沼湖畔につく。
牛久沼。面積3.5㎢。ほとんど忘れていた景色だが。湖沼はイメージより小さい。
印旛沼・手賀沼同様、干拓により以前の大きさは失われているのだろう。
縄文海進のころは、ここも香取海の一入江であったが、縄文海進が終わり香取海が後退を始めると、堆積土などで印旛浦や手賀浦より早くに切り離され、大田沼と呼ばれる湿地帯を形成していたようだ。
うなぎ屋が多くあるが、牛久はうな丼発祥の地?なのだそうだ。



ここから大仏様まではは道がわからない。120mもある大仏様だ。高いものがないこの辺ならどこからでも容易に見えるだろうと思っていたが、波状の丘陵と杉林に邪魔され、容易に見つけられない。
岡見城址2トラス岡見城址1ASG−CM11に岡見城址というポイントが出てきた。西浦古墳めぐりで懲りたのだが、通り道なので行ってみる。
今回は地図の位置にピタリと碑があった。慰霊塔もあったので合掌。
陣屋跡の周囲には立派な土塁と空堀跡がはっきり残っていた。
この辺は佐竹と北条という敵対勢力の最前線だったらしく、この一帯の支配者岡見氏は北条側に付いて、さらに堅固な牛久城に移ったが、小田原の役での改易と同時にこの城も廃城となったらしい。


牛久大佛2牛久大佛1指す大仏様は目前なのににつからない。アトラスASG−CM11はナビではない。目的地と自分の位置を直線の赤い筋で結ぶ。赤い糸のみを頼りに仏に近づくのだが、幾度も引き返しの連続。仏への道は険しく遠い‥‥!。やっとのことで大仏様の側面に到達。さっきからお墓が多いと思っていたが、周囲はすべてお墓だ。
東京湾観音様と違い、立像の真下まで自転車を乗りつけ、記念撮影をすることはできない。観音様はやさしいが大佛様はその点厳しいのだ。
拝観券売り場の手前に自転車を停めて、広い苑内を歩いていく。平日にもかかわらず結構観光客がいる。




ギネスかし大きい!東京湾観音様(自由の女神と比較するつもりはない)が地上56mなので倍以上である。ブロンズ立像としては世界一で、ギネス登録されているのだ。
高さだけでなく救済力でもギネスに載るとありがたいのだが‥‥。
もともと大仏様は『牛久浄苑』という公園墓地の中の『浄土庭園』の中核であり、庭園に入ると『発遣門』『群生海』『本願荘厳の庭』『小動物公園』等仏教にちなんだ施設・エリアがある。‥‥『小動物公園』は仏教とは直接関係ないか‥‥







さて霊鷲山の間、最も気になったのはこれだけの大仏様、どうやって上がって、中はどうなっているのかということだった。
東京タワーの展望台とほぼ同じ高さだ、エレベーターはあるだろうと踏んでいたが、入るなりビックリ!。テーマパークのアトラクションみたいな世界である。いきなり暗闇と光の世界。なんとなくあっけにとられて、2階の建築に関する資料等を眺めているうちにエレベーター前へ。
実は大仏様は一番てっぺんまでいけないのだ。地上85m、胸のあたりの『霊鷲山の間』に上って仏舎利や、小さいガラス窓越しに景色が見えるだけなのだ。帰りもエレベーターになる。
冷静になり「撮影厳禁」の札がどこにもないことに気づいて、やっと最初の1枚。「1階撮っときゃよかった〜」と後悔!。
東京湾観音様は訪れる人に、そのすべてを見せてくれた(迷路みたいな通路1本まで)が、牛久大佛様は秘せる部分が多く、うわべだけ見せてもらったという感じ。どちらが自分を包み込んでくれているかといえば、やはり前者である。大きさではない。(もちろん容姿で判断してるんじゃないぞ!ホント!!)

蓮華蔵世界写経コーナーレベーターで3階まで降りる。蓮台のあたりだ。
『蓮華蔵世界』と言って胎内仏がおさめられているところ。まだかなり奉納者の名前のない仏像がある。
2階は広い写経場となっている。





蓮台から2蓮台から1から2階へ向かう途中に、蓮台に出られる階段がある。
真下から見上げる大仏様は大迫力である。
蓮台部からの景色。ここからでも十分見晴らしがいい。






群生海から餓鬼道‥‥?荘厳の庭で小休止。鎌倉時代を再現した浄土式庭園だそうだ。しかし、人が寄ってくるだけで、群がり口を開けて争う鯉の群れ。
浄土の鯉なんだから、もう少し優雅に佇んでもらいたい。これでは『餓鬼道』である。
最後に群生海から見る大仏様。この美しさでやっと救われたね。




園内の食事処でカツカレーを食べて出発。
竜ヶ崎飛行場竜ヶ崎飛行場号は路肩の整備が悪く結構怖いので、帰路は利根川まで南下し、印西・船橋を経由して帰ることにした。
散々大仏様にケチをつけたため、大きな仏罰が下った。もろ真正面からの強風。ごめんなさ〜い!
否!出発時の気象予報で出ていた風向と風速が当たったに過ぎない。帰りのペースが落ちるのは覚悟していたこと。
ヘリの離着陸が何度か見えたので、いってみる。
竜ヶ崎飛行場。こんなところに飛行場があるんだ。すぐ上を成田の大型旅客機が低空で飛んでいるのに。

牛久大佛本日の走行は19:00を回ってしまった。平日であることを忘れていたため、木下街道の大型車には怖い思いをした。

本日の走行 129.8km
牛久大仏様は荘厳で度肝を抜かされたが、やはり煩悩の塊であるおやじは東京湾観音様のほうが好きである。




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奥多摩輪行2014

新宿駅7時44分発、JR東日本が誇るホリディ快速(普通の中央快速だ)『奥多摩1号』が奥多摩駅に着くのは9時14分。この列車を使うのは今度で3回目。
奥多摩湖小さなダム?回こそは小河内ダムを目指す。
東京府が帝都の水源林確保のために神奈川県から奪い取り、強引に併合した(というか、神奈川県が厄介払いしたのが本音らしいが)多摩地区の奥津城。
東京の水瓶『小河内ダム』ってこんなに小さいの。
道路から見えるこのダムは副ダムで、奥多摩湖は2つのダムで構成されている。




小河内ダム小河内ダム2体ダムは堤長353m、高さ148m。有効貯水量は宮ケ瀬ダムとほぼ同規模で、堤高は我が郷土が誇る田子倉ダムより高い。

ダム到着は11時。軟弱ポタリストのクライムペースとしては上出来??何が?
オヤジポタリストはそんな中途半端な軟弱はしない。




山桜多摩ダウンヒル専門駅でタクシーを1時間待ったのだ。前回は30分待ってあきらめたが、今回は粘った。
地元のタクシーが撤退してから、ふもとのタクシー業者が毎日1台だけで運行しているのだそうだ。乗務員さんが、地元タクシー撤退のいきさつや、自社が来ている理由等をいろいろと話してくれた。休日は登山客がメインなので1往復に時間がかかる。ドラム缶橋からスタートしたかったが、駅で次の待ち人もいたし、かなり時間をつぶしてしまったので、ダムサイトまでにしてもらった。
この写真がトップの来るべきなのだ。性格が悪い。
山桜がとてもきれいである。(ごまかすわけではない)

貨物線廃線跡さて、ダムから下りだすと、直ぐに廃線跡らしい遺構が見えてくる。
小河内ダム建設時に資材輸送のために敷かれた、『水根貨物線』。小さなトロッコ貨物線ではない。当時の日本有数の巨大ダムに使うコンクリートや資材を急勾配で牽引するのだ。C11という大型機関車が進む立派な鉄道。しかもダム完成後には、旅客者用の観光鉄道として電化も計画されたのだ。
もし実現していたらホリディ快速は『奥多摩湖(水根駅)』行になっていたかもしれない。
1時間待って、タクシー代払わなくとも済んだのに‥‥



奥多摩駅弱ポタリストはダウンヒル専門である。
必死に、あるいはマイペースでクライムしてくるサイクリストに後ろめたさを感じつつも、快適な下り坂を楽しむ。
バイパスを通らず、旧道で奥多摩駅による。
先ほどのタクシーが待機していた。乗務員さんに挨拶。
「もう、電車で帰ってしまうんですか」
「いえいえ、これから東京の一番端まで帰るんです。100km
くらいにはなります。」(東京の端とは大げさに吹いたものだ)
「ホント気をつけてお帰りくださいね」。「ありがとうございました」
地方の過疎化と高齢化の社会保障は深刻だ。オリンピックだけに回収不能の無駄金を投入するのはいかがなものか。ツール・ド・ジャポンをやるなら大歓迎だが‥‥
前回奥多摩大橋と梅沢橋奥多摩大橋は万世橋から吉野街道に入ったが、今回は奥多摩大橋を渡る。景観工学も活かされているのだろう。風景に溶け込んだバランスのいい橋である。下流の吊り橋は梅沢橋。






青梅調布大祭?山車入ると山車が出ていた。お祭りがあるのかなと思っていたら、
実際に引き回し行列に出会った。
この週末は『調布大祭』という祭りがあるらしい。
青梅なのに、なんで調布なのか。調布東遷説でもあるのかと調べたら、青梅市市制施行以前は調布村が存在していたそうだ。GW頃には『青梅大祭』という祭りもあるらしい。




多摩湖多摩湖(上村山ダム)ここから今回ルートの選択を迫られる。
このまま多摩川CRを下り湾岸回りで北上するか。狭山丘陵から荒川CRへ出て南下するか。
最新の天気予報を信じて北回りにする。

青梅旧道から軽便鉄道跡を経由し、多摩湖CRに出る。
前回・今回と素通りだが、ここはぜひゆっくりと周回したいところだ。


東村山弁天池公園り専門でらくしているにもかかわらず、走り出しより足先を攣ったりして調子悪いなと思っていたら、狭山丘陵を抜けたあたりで、激しく引き攣って動けなくなってしまった。ここまで酷くなったのは秩父輪行以来だ。
たまたま通りかかった『弁天池公園』でストレッチと休息。
ほとんど人気がなかったが、弁天様を囲む池は、自然の湧水だそうだ。





何のイベント?2何のイベント?1山駅を越えて、野火止用水に沿って北上し、朝霞市内を抜け、下新倉から荒川CRに入る。
荒川CRで再度ダウンした後は、なぜかまた足が回るようになった。掛けが当たりCRはほぼ追い風となった。
赤羽のグランドの花壇。大会かイベントがあったのだろうか。日没間際でずらり並んだテントハウスには人影はない。



帰って来ましたっと帰ってきました。半年離れていただけで、こうも体力が落ちるのか。それとも週中の徹夜仕事がこたえているのか。








4-12 ルート日の走行 103km それでも久々のK点越え

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まだ桜

お彼岸にいけなかったので、この休みに花見もかねて墓参にいった。

多摩霊園さくら3多摩霊園さくら2の墓所は多磨霊園、オヤジ方は八柱霊園である。
多磨霊園は面積38.7万坪に及ぶ、日本初の公園墓地で、都内最大の霊園である。園内には1600本の桜がある、都内でも有数の桜の名所なのだ。







墓所多摩霊園さくら5は東八道路から入って大燈篭のある付近。多磨墓地というと参道やバス通りの桜が見事だが、ここはバス通りから外周道路までの『東4号道路』と呼ばれるところ。大灯篭を挟んで、約400mの桜並木である








多摩霊園さくら4の時期に来れるのは少ないが、満開の時に来れたのは幸運と言える。小雨がぱらつく生憎の天気だが、風が吹くたびに舞う桜吹雪が幻想的である。
天候のせいか、彼岸を過ぎたからか、園内は閑散としている。
霊園だから、中でどんちゃん騒ぎをする罰当たりはいないだろうが、先祖に酒好きがいれば、付き合と称して飲むのも一考である。
我が家はこのところとんぼ返りだが、歴史上の人物や、著名人の墓もあり、桜の中をゆっくり散策するにはよいところである。




八柱霊園さくら4て、とんぼ返りの当日掛け持ちで、オヤジ方の八柱霊園に行く。
千葉県にあるが、都営の霊園である。面積は32万坪。ここも正門から入ると、正面が大きな公園となっている。
昔はきちんと参道を通り、石材店で仏花を買ってお参りしたものだが、正面が混むものだから、途中の生花店で仏花を買って、裏側の南門から入るようになった。ここからが墓所に最も近い。
中央の公園以外は小さな広場や給水所付近に桜が点在している。
我が家の墓所の周辺では、ひょうたん通りに面した小さな公園がプチ花見ができるスポットである。




八柱霊園さくら3八柱霊園さくら2磨霊園とは、打って変わって、晴天となり暖かくなった。
芝生にシートを敷いて花見弁当もできるが、桜の木の下に車を止めて、ドアを開けて、テラスのようにして、花見をしながらおやつを食べる。






日曜日は雨の予報
八柱霊園さくら都内近辺で満開の桜が堪能できるのも、今日までかもしれない。









八柱霊園さくら?口の給水塔のところに小さな花壇がある。チューリップが植えられていた。
もう少しすると、鮮やかなチューリップの季節になる。



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夜桜

桜も満開となった。
猿江公園夜桜1春の嵐が吹き荒れる中、ちょっと寄り道して行こう。
仕事先から自宅までの間に、寄り道できる大きな公園は3つ。『木場公園』『錦糸公園』『猿江恩賜公園』である。
今回は、3公園の中では近くて、最もマイナーな『猿江恩賜公園』に立ち寄る。

猿江恩賜公園も、園内いたるところに桜のある『お花見スポット』だが、提灯が飾られていたり、桜がライトアップされてはいない。平日ということもあるが、園内はマラソンや散歩をする人だけである。



猿江公園夜桜2が、猿江公園にはテニスコートがあり、ナイトゲームをしている間だけは、周囲の桜がテニスコートの照明の映し出される。








猿江公園夜桜3江恩賜公園の横を流れる『横十間川』。
日本HP本社・LIXIL本店と錚々たる会社が並ぶ。後ろには、ライオンズタワーと並ぶ旧城東地区の超高層マンション『ガーデンタワーズ』ツインタワーが異彩を放っている。この辺じゃあ群を抜いて高いけれど、江東区の高層マンションとしては、すでにベスト10落ちして久しい。
でもここの夜景は結構気に入っている。





LIXIL本店猿江公園夜桜6猿江公園夜桜4対岸の桜。春の嵐の中では、露出アンダーの桜がぶれまくる。新大橋通りを挟んで南側にある江東公会堂『ティアラこうとう』。
ちょっと暗い感じだが、周囲の木々がライトアップされる時季はとても美しい。







ティ猿江公園夜桜5アラこうとうの裏手から望めるスカイツリー。








猿江公園夜桜7村橋から錦糸町方面を望む。桜はこの数日が満開。
娘の入学式までは持たないかな。


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さくら


気候も春本番となったこの土曜日、午後のわずかな余暇に花見ポタに出かける。
桜橋スミダ公園インミダずは下町の桜名桜ツリー所、墨田公園。まだ3分咲き程度だと思うが、人・人・ヒトである。
吾妻橋から言問橋までの遊歩道部分は、スカイツリーの写真を撮りによく来たところである。





汐入公園日は隅田川左岸を走ってみる。
隅田川沿いの遊歩道は、そのまま汐入公園へと続いている。
水神大橋と汐入大橋がかかる再開発以前の汐入地区は、袋小路でちょっと暗く寂しい雰囲気の下町だった。
もう30年も前に、営業でこの辺もまわっていた。仕事が変わり最後の挨拶に行った、小さな商店のおばちゃんが、「ここら辺の再開発が決まって、いずれここも立ち退かなければならない」といっていたのを思い出す。
この広い公園と、高層アパート群に当時の面影は全くない。



南千住日枝神社2開発地区から旧市街を抜け、千住大橋を潜る手前に、変わった社を発見。「古式騒然」というより「崩壊寸前」という感すらある小さな社。完全に柵に囲まれ立ち入りもできない。
『日枝神社』という由緒正しき社だが、案内板には「この地で虫歯の痛みに耐えかねて切腹をしたという武士をお祀りしている」とある。
虫歯より腹を切るほうが痛いと思うが、腹を切るほど耐えがたくなるまで、なんでほっといたのと思ってしまう。
この後、この社は虫歯平癒祈願のために人々が来るようになったのだそうだ。
歯槽膿漏にもご利益があるのだろうか?


音無橋音無親水公園局、隅田川左岸も再開発されたところ以外は、川沿いを走ることができない。川に近い路地をラビリントのように彷徨いながら、王子に出る。
王子付近の石神井川は『音無川』と呼ばれ、河川改修により石神井川本流が、隧道で飛鳥山を抜けるようになった後の旧流路は『音無川親水公園』となっている。
この一帯は、江戸時代から続く桜の名所である。




音無川渓谷SAKURA SAKURA の花が咲いて
 世界がキミをやさしく包んでいったよ』
何気に口ずさむ。陽気なメロディではないが、よくよく聴くと、とてもせつない歌詞である。
もうずいぶん前になるが、オヤジでも知っているレミオロメンの名曲だ。
『ここは地獄 地獄 素敵な地獄!
 地獄はあるかもしれないよ!この世の行い気を付けてぇ!』
娘がいつも陽気に歌っている。陽気なメロディだが、よくよく聴くと、とてつもない歌詞である。
最近はやっているようだが、小学校の娘が歌う歌か??

飛鳥山鳥山ハンバーグカレー公園の飛鳥山博物館3階にある『カフェ・ヴァーチェ』で遅めの昼飯。飛鳥山方面に来た時は必ず立ち寄る。ミュージアムの一角でこじんまりしたスペースだが、なんとなく寛げる。
夕方に所用があるのでここで息抜きをした後、早々に撤収する。





帰り道、蔵LION前橋からのスカイツリー。手前のちょっと目立つ白いビルは、『ライオンのごきげんよう』のライオン本社ビル。竣工当時は墨田区一の高層ビルで、結構長い間墨田区一のビルとして君臨していたようだが、今では高層の分類にも入らなくなってしまっている。


走行 35km
桜はまだ3分から4分咲きである。
来週には満開から散りだすだろう。

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MRー4 タイヤ交換

パセラブラックスランジットセブン、プレサージュに続き、MR−4もタイヤ交換の時期になった。
純正タイヤは『ケンダコンセプト』だが、細いスリックが不安だったので、購入時に太めでトレンチのある『パセラ・ブラックス』で納車した。年数の割に距離が少なかったのか、比較的長距離使用が多かったためかもちはよかったが、今や完全にセンタースリックになって、細かいヒビも出始めたので、トラブル前に交換することにした。
交換タイヤも同じく『パセラ・ブラックス』。マニアックに乗りこなすオーナーにはシュワルベ『DURANO』が好まれているが、今までのトラブルレスだった信頼性で『パセラ・ブラックス』を再購入した。
同サイズでは他の追随を許さない群を抜いた重量が、頑丈さを雄弁に物語っているともいえる‥‥?。
ロングセラーのMR−4なので、年式やブレーキの形状によっては、この太いタイヤでは干渉してしまうものもあるらしいので、注意を添えておく。


A−CLASS FOLEX24 1A−CLASS FOLEX24 2イヤ交換そのものは、素人のおやじでも難しいものではない。スポーツ車の場合、ホイールごと外せるので楽である。リムからタイヤを外すときはタイヤレバーを軽く使うが、はめるときは素手ではまる。注意する点は、チューブをリムに挟み込まないように気を付けることくらいである。チューブとリムテープはきれいな状態だったので再利用。
チューブはタイヤ交換時に同時に換えることを推奨されるが、我が家のMR−4は一度スぺアと交換しているので継続使用する。

これがお気に入りのホイール『FOLEX24』。量産向けと揶揄されるエークラスだが、これは520最強ホイールである!‥‥と、いうか、純正以外ではこれくらいしかないのだが‥‥


タイヤ交換々に掃除を兼ねてリフレッシュしたMR−4。
この数か月買い物以外自転車から遠ざかっていたが、春の到来とともに、輝きを取り戻した車体が、再びサイクリングへといざなう。




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大雪

新雪?雪原にも、新調スタッドレスの威力を発揮する機会は仕事となってしまった。
2月8日土曜日、大雪の日。仕事先の茨城に行く。珍しく積雪予報が当たり、近年にない大雪となった。電車組は日暮れ早々に撤収。残った車数台は帰宅を断念した設営部隊だけとなる。最後の帰宅者となった自分は、午後8時30分に帰途に就く。仕事先の吹き溜まり駐車場からの脱出はデフロックが必要だった。



主要道も除R−6雪されておらず、深い轍が凍って走りづらい。林道並に凸凹である。柏でR6に合流。
土曜日で、車が少ないのは幸いした。
流山から松戸に入るあたりから、上下線で事故車・立往生車が続出。ついに渋滞で動かなくなる。






ホントにR−6?裏道金から旧道に入る。交通量の少ない裏道は新雪状態。
吹き溜まりなどでは、何度も前方で地響きのような音がして、ライトが暗くなる。どうもラッセル車状態で走っているようだ。バンパーで押し上げる雪がフォグランプを蓋してしまうようだ。ノーマルなのにラッセルしてんじゃしょうがないぞ。
馬橋からまたR6に合流。この先は流れている。平野部の主要幹線がこんな状態になるのは何年ぶりだろう?。否!たぶん運転を始めてから初めてだろう。


都内雪とスカイツリーに入っても、路面状態は一向に改善しない。R6から裏道に入り柳島のところで降りて1枚。
雪とスカイツリーである。







亀戸サンライズタワー付近かH・P前ら京東京都内?マジすか葉道路を越える。ここホントに東京かい?
見慣れた自転車通勤路のはずだが。





今回大無事帰還せり‥‥と思ったら変だったのが、仕事先駐車場からの脱出と並んで、自宅車庫入れ。
ここも新雪状態ラッセル車になってしまう。雪かきしてから入れるべきだが、夜中だし、寒いのでとりあえず邪魔にならない程度に適当なスペースに停めておく。
ここでもデフロックの出番となる。





45年ぶり一夜明けて夜明けた街。都心で27cmは、45年ぶりの大雪だそうだ。子供のころ、確かにこんな大雪があったかな。
いずれにしても、150分の夜間スノードライブは、走り応えがあった。





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TOKYOTOWER 初のぼり

TOKYO-TOWER1々の夫婦そろっての休みになった。法要の帰り、どこかでゆっくりお茶することにする。せっかくだからちょっと足を延ばして東京タワーに行ってみる。
東京タワーに上るのは5〜6年ぶりだ。
特別展望台券付で、一人1,420円。スカイツリーのイメージがあるから、一番上まで1,420円て、一瞬間違い?と思うくらいだ。
駐車上もがら空き。のぼりのエレベーターは夫婦貸切であった。







TOKYO-TOWER2心は高層ビルが乱立している。130mというとビルの雲海の中に埋もれてしまう高さであるが、小高い丘の上にあることと、都心の中心部にあることで、スカイツリーとはまた違うパノラマが見れる。タワー高333mは地上高だが、150mというのは『海抜表示』らしい。






TOKYO-TOWER4茶する前に、特別展望台に上る。前回は上っていないのでここは数十年ぶりだ。
マンションサイズの小さなエレベーター1基。これじゃ混んでる日は行列になるはずだ。
公示250mのパノラマも『海抜表示』で、地上高としては230m。
都庁の展望室よりは高いが、サンシャイン展望台よりは低い。
スカイツリーは海抜1mにも満たないところにあるから、どちらの表記でも同じなのだろう。
スカイツリーは下町にあり、周囲に高層ビルが少ないこともあるが、何か別の世界から箱庭を見る感覚だった。ここは同じ土俵の中で抜きんでた高見の感覚である。『神の視線と覇者の視線』という表現は不適切かもしれないが、あえてそんなイメージの違いである。

TOKYO-TOWER7フェラトゥールでティータイム。流石に平日の午後はゆったりしている。混雑のストレスが全くない。
夜はさぞ夜景が奇麗だろう。
帰る前にやはりここは見ていきたい。『ルックダウンウインドウ』。床がガラス張りになっているところ。
はっきり言ってここはスカイツリーの『フロア340ガラス床』より怖い!
スカイツリーはいかにも分厚いガラス板が分厚い補強鉄材に乗っている。何人乗ってもびくともしない感じだが、ここは2人乗ったら抜けちゃうんじゃないかって感じ(実際は2人乗っても大丈夫??だった)。ガラスの上を歩くと、スカイツリーでは味わえない「お尻のムズムズ感」が満喫できる。
さてさて、私の車はどれでしょう??



TOKYO-TOWER5最後はタワービル(いまはフットタウンというそうだ)でお土産を買う。
ここの雰囲気が、子供のころからの東京タワーのイメージを残している部分だ。
しかし、今は各階とも改修工事中。東京タワーもスカイツリーと共存(競争ではない)するために時代に合わせた変化をしていくのだろう。

いつも自転車で来るとやっている、ローアングルからのコラボ写真。スカイツリーではなかなか車でできる場所がない。
来るとわかっていたら、洗車しておけばよかった!

今回は平日だったので娘はきていない。また、家族で夜景を見に訪れたいものだ。
しかし昔のように『TOKYO TOWER』をガンガン流しながら‥‥というわけにはいかない。そろそろ娘が歌詞の意味に気が付く年頃になってきた。



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ソラマチ久々

ソラマチ2の強い日曜日の夕方、ソラマチのユニクロに行く。
普段はSUNAMOかアルカキットなのだが、少し足を延ばしていく。ソラマチは昨年の春以来である。
仕事では月に3〜4回は車で東武橋か押上橋を通るのだが、駐車場に入るのが面倒なので、仕事帰りによることはない。
ソラマチにした訳は、強い北西風なので、帰りが楽なのと、もしかしたらまだツリーの写メールを見せると5%引きになるのかなぁなんて思ったからだ。




5%引き今更だけど、万が一ということもあるのでツリーを1枚撮っておく。
開業当時は息をのむアングルだったが、今では「とりあえず‥‥」の1枚になってしまった。
今日は、強風のためツリーの営業は中止になっているようだ。これだけ風が強いと、逆に夜景は鮮やかだろうに、自転車でちょいと来れるおやじと違って、遠くからわざわざ来る人は残念だ。
結局、写メの5パー引きはやってなかった。「いつまでやってたの」って聞くのも恥ずかしいので、そのまま会計する。
んん〜、『小さなバームツリー』か『下町シュークリーム』でお土産買う金残しておけばよかった。






閉店銭が少し残ったので、『ブースターカフェ』でお茶して帰ろうと思ったら、あれあれ〜なんか違ってるなぁ。
なんと、佐川急便の営業所になっている。
昨年春に来た時、自転車がなくなっており、スコットとの契約をやめたとのことだった。それでは『ブースターカフェ・レント・ア・バイシクル・バイ・スコット』なんて言う長い名前じゃなくなっちゃうなどと冗談を言っていたら、お店がなくなってしまった。
開業当初から、待たずに座れて、いつ行ってもすいている。これじゃ採算取れてないんじゃないのとおもっていたが、案の定だったようだ。聞いたら昨年6月で閉店してしまっていたらしい。
店員さんも気さくで、自転車をぼ〜と眺めながら、なんとなくほっとできる店だっただけに残念である。別に『スコット』じゃなくても、『トレーク』でも『スペシャライズド』でもよかったんだけど。


ソラマチ1になり、強風が冷たく当たるので、暖かいココアでも飲んであったまりたかったのだが、そのまま寒い表通りを通って、東駐輪場へ向かう。
財布の中身とともに、また楽しみの一つがなくなっていたソラマチであった。


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Dig down the Taitanic

今、この記事を書きながら聴いているのは、レンジーローバー‥‥じゃない、シンディローパーのアルバム、『A 忘れ得ぬ夜Night to Remembre』。
『ナイト トゥ リメンバー』と言ったら、勿論おやじの時代では、シンディローパーの名曲・名アルバムである。
しかし、今回取り上げるのは、もう一つの忘れ得ぬ名作映画 『A Night to Remembre』。邦題は『忘れ得ぬ夜』、サブタイトルは『SOSタイタニック』。そう、数多あるタイタニック映画の中でも、傑作の呼び声高い作品である。

この数年TAITANICにはまってしまい、書籍の『タイタニックを引き上げろ(レイズ ザ タイタニック)』『タイタニックは沈められた』。映画ではデカプリオ版TAITANIC・ブリタニック・タイタニックの最後と買い漁った。
そして最後に『なぜタイタニックは沈められたのか』とDVD『忘れ得ぬ夜』をU品で購入した。



raise the titanic 2raise the titanic 1は『レイズ ザ タイタニック』のDVDがあればいいのだが、残念ながらこちらはDVDされていない。海底に沈んだタイタニックが、こんなきれいな状態ではないことは、実物の発見で明らかになってしまったし、バックに映るワールドトレードツインタワーでさえ、現実には存在しなくなっている。二重にありえない映像である。

今回購入した『忘れ得ぬ夜』も『レイズ ザ タイタニック』も、日本語吹き替え版が自宅の物置に残っているはずだが、とうのビデオデッキ側が壊れていて動かない。SORAのクランクセットが買えてしまう価格は、DVD一枚としてはべらぼうであるが、これはその価値があると思えた。

『タtitanic 1953 1A Night to Remembreイタニックの最後』はリチャードスタージェスとジュリア夫妻の愛憎、’97『タイタニック』はジャックドーソンとローズの純愛を中心にドラマが進む。どちらも架空の(たぶん)乗客設定に対して、『忘れ得ぬ夜』は実在の生存者、ライトラー2等航海士を中心としてさまざまな人々のドラマが盛り込まれている。1958年作品といえば、多くの大作映画はカラーになっているなかで、この作品はモノクロである。1954年のゴジラが最もリアリティがあるのは、モノクロの迫力によるところが大きいように、この映画の迫力もモノクロによるものかもしれない。当時から、沈み始めた船体が二つに裂けたという証言があったというが、実際に確認されたのは海底の船体が発見されてからなので、それ以前の映画は船尾を大きく天に向けたまま船体全体が海中に没していく。

まさに、人間の驕りというのか、人智を超えた神の怒りというべきシーンだが、この惨事が神のなせる業どころか、人によって綿密に仕組まれた事象だという説は以前からあった。

『タロビンガードナー連著イタニックは沈められた』の続編ともいえる、『なぜタイタニックは沈められたのか』では、タイタニックとオリンピックのすり替え、保険金目当ての自沈行為などという、自然の驚異とか、人類の驕りというような次元ではない、企業の暗躍、時代世相などが描かれている。都市伝説なんてものではなく、大真面目な論説である。
でも、これが真実だというのなら、タイトルは『オリンピックは沈められた』になるんじゃない?。もともと沈められる運命にあったのはオリンピック号だし、生き残ったタイタニックはオリンピックの名前で24年間も巨大豪華客船の名をほしいままにしていたのだから。
この本を読みながら、タイタニックのDVDを見ていると、映画に出てくる登場人物に対する見方が変わってしまう。


birth of a legend 2birth of a legend 1一つ、異色のタイタニック映画を紹介する。『Birth of a legend』。素直に『伝説の誕生』と訳せばいいのか。
内容は、オリンピック3姉妹就航の計画から、タイタニックが処女航海に出航するまでの、船がつくられていく過程での人間ドラマを描いている。映画ではなくテレビドラマだったため、正式なDVD化はされていない。YouTubeでほぼ全編を見られるが、当然吹き替えも字幕もない。しかし、凝ったセットやかなりリアルなCG(映画のブリタニック以上)とは別に、基本設計者のアレクサンドルカーライルが船の設計変更の件でピリー卿のところに怒鳴り込んでくるシーンが、このドラマ、というより歴史上の『タイタニック』というドラマの大きなヤマとなる。なぜなら、このカーライル氏の設備設計がそのまま通っていれば、タイタニックの事故(前記の本になぞれば事件)は、衝撃的ではあるが史上最大級の惨事にはならなかっただろうから。

シンフォニー飛鳥タニックの大きさを実感する為、横浜に飛鳥兇鮓に行くつもりだったが、またまた仕事でドロウとなった。
タイタニックの大きさには遠く及ばないが、もう少し暖かくなったら、また『シンフォニークルーズ』でプチ贅沢なランチかディナーを楽しみたいものだ。東京湾なら流氷の心配はない。それより潜水艦や護衛艦と衝突するほうが危ないけど‥‥。


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一般参賀再び

「この歳まで、しかも東京に住んでいながら、今まで一般参賀に行ったことはない。これはもはや不敬罪である。」
と言って初めて一般参賀に行ってから丸3年。前回は位置が悪く、皇族の何方も拝謁できなかったので、不遜ながらリベンジに行く。カミサン・娘は家で食っちゃ寝。全く不敬罪である。(もっとも家族で来て銀座で食事などとなったら、もっと不経済であるから、家長一人で自転車で来るのがやはりいい‥‥)

帝劇日は、何時も停める外苑まで自転車を乗り入れることはできないので、フォーラムのあたりに路駐する。
皇居に向かう途中で人の列。帝国劇場で『JOHNNYS 2020 WORID』とか何とかを上演しているようだ。
『今日は帝劇、明日は三越』のキャッチコピーにもなった帝劇であるが、見ていると三越の客層とはだいぶ違う気もする。
時代かねえ。





伏見櫓て、不手荷物検査謹慎にも寝過ごしてしまったおやじは、フォーラムについたのが10時50分。何とか3回目のお出ましに間に合うかと思っていたが、手荷物検査とボディチェックにディズニーランドよりも待たされた挙句、宮殿東庭には入れたのは、3回目のお出ましが終わるころ。





3回目の参宮殿東庭賀を終えて帰る人の流れにはまってずるずる歩いていくと、意外にいい場所に漂流した。
この結構寿司詰め状態で、90分の立ちんぼ。







しかし今回は見られた待った甲斐あり。今回はお出ましの皇族方のお顔をすべて見ることができた。








一気にこれ回はお言葉を頂戴陛下の声しか聞こえなかったが、今回はお顔を見ながらお声を聞けた。
そしてこの後、例の「万歳〜!」と歓呼の声。あっという間に視界が白と赤に埋め尽くされる。
なんとも平和な国であることに感謝!




まるで観光地出ましの時間は10分足らず。しかし今回はリベンジなって(不謹慎な!)満足して東庭を出る。
坂下門を出ると、手荷物引き渡し場の並びにあるのは何だぁ。
お土産売り場がずっと続く。
観光地か!ここは。

 



TOKYO−TOWER1りはちょっと寄り道して、東京タワーを一枚。展望台に『2014』の数字が浮かび上がる。夜はさぞ奇麗だろう。
巷では長期正月休みといわれながら、仕事が入り、金欠も重なり何処へもいけないおやじであるが、久々に都内をポタして少し正月気分を味わった。

浮ついた連中が「変革変革」と、初めて言葉を覚えた赤子のように連呼するほど、一般庶民は『変革』なぞ求めない。今年も平穏無事に過ごせる年であることを祈る。



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謹賀新年

謹賀新年
今年も皆様にとって良い年でありますように。
皇紀2674年 仏誕2580年 西暦2014年 平成二十六年 元旦

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クリスマスイルミネート

このクリスマスソング季節になると必ず引っ張り出す、1か月プチ限定サウンド『mood in Christmas』。街角に色鮮やかにイルミネーションが灯る季節となるとこれが聴きたくなる。
今年は、音楽だけでは少し寂しいと思い、部屋をイルミネートしてみた。
娘が幼いころ買った『980円ツリー』とバザーで200円(否、最後の処分で50円になってたかなぁ)のLED電飾。何年も押入れの奥に埋まっていたものを引っ張り出す。
2段ベッドの下、今や自転車パーツと、過日お釈迦になった、windows2000の回収待ちPCに占拠されている我がリスニングルームをライトアップしてみた。
う〜ん。単色だと寂しいなぁ‥‥というよりなんか変だなぁ。何か般若心経の世界だ。『色即是空‥‥南無‥‥』

ササヤカすぎる哨泪族からは、「怪しい」「目が疲れる」とか「電気代無駄」とか散々ケチのついたイルミネーション。
いつもこの時期となると、仕事も詰まってきて整理ができなくなるのだが、年を追うごとに、将来の不安というものが首をもたげてくる。政党が替わろうと、総理が替わろうと人の世はそう変わるものではない。
なんとなく先が見えているのに、そこに辿り着けるか判らない生活。

まあ、なんとなくのイルミネーションと、ささやかな軽音楽で、暫し穏やかな気分に浸りたい年の瀬である。

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スタッドレス 新調

REVO GZシーズン使ったブリザックREVOをついに新調した。
ほとんど使わないスタッドレスなので、今回はBS以外の安いのでいいと思ったが、知人のカーショップで
説き落されて、結局『ブリザックREVO−GZ』になってしまた。


『REVO供戮235/60R16だったが、少しでも燃費が良くなるよう、今回のGZは
215/65R16(標準サイズ)にした。BSは結構もちがいい。また6〜7シーズンはもつだろう。
果たして車がそこまでもつかわからない。最近特に没落したおやじの財政で、次の車がこのサイズを履くことはほぼ叶わない。運命の狂いがない限り、このサイズはこの車限りだ。

自然車高調?スタッドレス新調では基本的には細めがいいという。購入した時から235だったので、215は少し貧弱に見えるし、実際走ると腰砕け感があ
飛ばさない代わりに、横着でコーナーもノンブレーキという『超物愚作運転
のおやじにはちょっと危険なサイズだったりする。
でも、せっかく履き替えたのだから、なんとか今シーズンもスノードライブに行きたいものである。
都心の
スノードライブは勘弁してもらいたいが‥‥

5ヶ月の休息正16インチホイルのデザインは正直あまり好きではない。しかし一番安心できるのが純正である。「HS純正17インチのUを根気よく探せば良かったかななどと、今さらと思える微塵の後悔をしながら、18インチプレイズを4ヶ月間のお蔵入りとする。



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CYCLE MODE 2013

20吊上げの刑10年以来3年ぶりのサイクルモードに行った。
当初、電車で行くつもりだったが、天候も回復し、この頃の運動不足解消もあり、久々に自転車を出す。メッセまでは片道27km、往復でも55kmである。

モーターショウはブースよりもパーキングの方が面白い。これは自転車ショウでも同じはずだが、自転車の場合、盗難やいたずら防止の意味で、駐輪場でのんびり他車を眺めてはいられない。自車をパークしたらさっさと追い出される。
久々に吊上げの刑になった愛車。でも、よく考えたらスタンドあるんだから、フラットスペースに駐輪すりゃ良かったんだ。
『細いセンタースタンドで自立する自転車は美しい』?と、思っているのはオヤジだけだ。


エントランスには、何やらジテジョとは思えない女の子がたくさんいる。今日はメッセで『ワン・ダイレクション』の来日コンサートがあるらしい。
ワン・ダイレクション?? BCRやデュランデュランの類か?みんな首に赤いタオルを掛けている。1、2、3、ダァ!!
どこででも首にタオルをかけている我が娘を、『オヤジ臭い』と思っていたオヤジの認識は間違っていた!?

閑話休題。さて久ブース全景1ブース全景2々のサイクルモード。といってもこれで3回目だが、前回と大きく違った印象は、ミニベロがなりを潜めたところか。
3年前はミニベロやフォールディングバイクが全盛の時期だった。クロスでさえ、一頃の勢いがなくなっている。ミニベロ中心のブースがほとんどなくなって、時代はすっかりロードになってしまった。さらに素材はカーボンが主流に‥‥。スーパーの駐輪場でママチャリとK1をするオヤジの自転車ライフにはカーボンなぞ、考えられない素材である。



カタログがない!は言え、やはり期待のサイクルモードである。さっさと回って3年ぶりに我が家のカタログを更新しよう。
パーツ中心なので、『SHIMANO』・『東京サンエス』・『ダイアテック』・『岩井商会』・『インターテック』。だいたいこの辺が中心。プラス『アキコーポレーション』の総合カタログがあればでほとんど揃ってしまうのだが、『アキ』はブランドごとにカタログが別々で、1部300円もする。カタログ誌はWebとは別の楽しさがあるが、きょうび1部300円もする薄いカタログ誌を何部も買わないぞ!‥‥




REDIA装着RIDEA!エイのブースで、なんと『RIDEA』ブランドを発見!。昨年あたりからBD−1用パーツとして正規輸入されたとのこと。トランジット7用に台湾のショップで見つけて入手した時は、すごい掘り出し物と思ったのだが、今はワイズで買えるとのこと(´;ω;`)。
このRIDEAの『CNCロングVブレーキ』は、『Mrコントロール』や『ポール・モトライト』と違い、通常のVブレーキと同じセッティングなのである。






イタ服?これ、どこのブースだか忘れたが、自転車の場合、『イタ車』してもほとんど目立たないから、こういうの着るしかないんだろうね。
おそらくブースの人だとは思うが、おやじと同年代のオヤジが着ていると『究極のオタク』か『危ないおじさん』のどちらかだ。








DIXNA Jクルーレバー回の、最大の収穫。東京サンエスのブースで見つけたインラインレバー、『ディズナジェイクルーレバー』。ディズナブランドで来春発売予定だそうだ。
この発想は、まさにおやじが前々から求めていたものだ。インラインレバーでギドネットの範囲をほぼ確保した上で、さらにメインレバーを設置できる。この範囲をカバーするためにセーフティーレバーを装着しているのだが、セーフティーレバーは昔ながらの『シャロー』や『ランドナーバー』などのリーチの長いものにしか使えず、最近の『アナトミックシャロー』や『コンパクト』では干渉してしまう。
この形状なら、『アナトミックシャロー』や『コンパクト』にも対応できるだろう。セーフティーレバーやギドネットレバーが必要なくなる。
余談ながら、ヨシガイのブースで聞いてきたのだが、なぜ『セーフティーレバー』が復刻しないのか、については、需要がないからではなく、直接の制動機能がなく、既製品にボルトで後付けする構造が、ブレーキとして認可が取れなくなったということだった。そう言う意味でもこのレバーの発売を心待ちにしている。

あと出展車何気な1台気になった1台何気なく目にとまった数台をフォト。奇抜なものや、前衛的デザインのものは減って来て、何か懐古的なものや、オーソドックスなデザインのものが多くなった。
全体的にも、以前の華やかさと少し違う。なんか以前より地味でパッとしない。
もう行くこともなくなったが、モーターショウもきっとこんなイメージなんだろうな。

ブース全景3通り廻って、退散したのは午後4時。
やはり、せっかくの自転車ショウなのだから、ジャイアントには出展してもらいたい。毎度のことながら、ある意味『ジャイアントが出ていない自転車ショウは、トヨタが出ていないモーターショウみたいなもの』である。まあトヨタ車が目的でモーターショウに行ったことは一度もないが‥‥
それと、興味のあるメーカー、『KHS』や『プログレッシヴ』・『ドッベルギャンガー』、そして我が『BMC』が出展していないのも寂しい限りである。


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西浦古墳めぐり 下つ巻

『霞三昧塚古墳後円部三昧塚全景ヶ浦ふれあいランド』からさらに西浦の大きな内湾である『高浜入』左岸に沿った、R355を石岡方面に向かと、およそ8.5kmで最初の古墳『三昧塚古墳』が、国道の右側に現れる。軸長85m、六世紀前期の前方後円墳だ。比較的低地部にあり、冠など多くの副葬品が出土している。
国道沿いで、公園整備され駐車場もあり、最も接しやすい古墳である。
この付近は古墳が集中している。ユピテルのGPSマップには、なぜかガイドにも載らないような古墳が表示される。

『三食事処サンライズ昧塚古墳』から少し戻ったところに『勅使塚古墳』と『大日塚古墳』があり、また三昧塚の少し先には『地蔵塚古墳』が表示されているので行ってみることにする。
その前に来る途中で見つけた、R355が低地部の旧道から分かれて、丘陵をバイパスで抜けるところにあった食事処『さんらいず』。ちょっと高そうだなと思ったが、落ち着けそうなので、遅めの昼飯にする。
食事処の横が木工芸品の工房になっており、店内も木工細工や木製品がふんだんに使われている。落ち着ける上に、食事の値段も定食屋並の良心価格。車ではつい見逃してしまうところなので、しっかりマーク。


さて、GPSマップ食事も終えて、先ほどの3古墳を探したが、発見できなかった。帰宅後調べたが、地図表示の場所と実在地はかなりずれていることがわかった。『大日塚古墳』は軸長40mの前方後円墳で、ちゃんと案内板があり、石室の開口部も見られることだった。
『勅使塚古墳』は軸長65mの珍しい初期の前方後方墳のようだ。地蔵塚については、なんと400m以上もずれていた。GPSマップ、てんであてにならない。
100mを超える大古墳ならいざ知らず、マニアックな古墳を訪れるなら、正確な地図と、事前の下調べが必要である。
捲土重来を期す。


廃線跡を行く?わぬところで大幅な時間ロスを生じてしまった。本来の次の訪問地、『府中愛宕山古墳』に向かう。R355から高浜に向かう県道に入ると、直ぐに踏切の跡があった。そういえばここは鉄道が通っていたっけ。つい最近まであった気がしたが、この風景はまさに「廃線跡を行く」、の世界である。





舟塚山を望む昧塚愛宕山(出船)古墳愛宕山古墳後円部よりからおよそ8.5kmで『府中愛宕山古墳』につく。船塚山の北東300mにあり、軸長97m、かなり崩されているものの、広い周壕あとが見受けられる。後円部頂上は大きく陥没し大木が根張っていた。
住宅地をはさんで、すぐ向こうには船塚山の巨大な威容が望める。


舟塚山前方部より速、後円部頂上よりその本日のメインイベント、『船塚山古墳』に向かう。
5世紀後半の前方後円墳であり、広大な領域は全長250mにおよぶ。総長365mの太田天神山古墳にはおよばないが、墳丘の軸長186mは210mの太田天神山に次いで、堂々の東国第二位。全国でもベスト50に入る。ビルボードならベスト50って大ヒットだよね?!
全景を写そうにも外提部まで後退しても全景が入らない。特に古墳特有の巨木に覆われていないため、この墳丘の大きさが実感できる。当時の香澄流海は現在より、深く内陸部に侵入していたため、船で交易をする人々や他国の使者なども、湖面からこの巨大な威容を目の当たりにしたことだろう。
舟塚山全景0年くらい前に通りがかりで訪れたことがあるが、以前と違いゆっくりと見られるので、感動も新鮮だ。
これだけの大古墳を残しながら、この地方の豪族についてはほとんど文献には出てこない。国造でもこれだけの古墳を残せるものはそういないだろう。ここに埋葬された王は、どのような人物だったのか、興味は尽きない。

石川1号墳鹿島神社古墳?山から恋瀬川CRを少し走り、高浜入右岸に沿って『富士見塚古墳』を目指す。GPSマップにまた古墳ポイント。の前方に如何にも‥‥ですよ〜という感じの小山がある。マップには『山崎古墳』とある。案内板には古墳としか書いておらず、規模・年代は不明。向風となってペースが落ちているのでスルーする。

富士見塚古墳2崎古富士見塚古墳1墳から7kmほどで『富士見塚古墳』につく。高浜入に沿った丘陵部の先端付近に位置し、柏崎の地名のように、当時は菱木川の低地が入江として食い込んで、高浜入に突き出した岬状になっていたのだろう。六世紀初頭の築造で、軸長約80mの前方後円墳である。大きさの割には高さがあり、階段を伝って登らないと怖い。前方部の先端からは、円墳2基と雄大な西浦を望むことができる。



牛渡牛塚古墳かすみがうら水族館見塚からR354を横切り、霞ヶ浦水族館前で小休止し、霞ヶ浦総合公園を目指す最後の行程となる。護岸道を一気に走破したかったが、ルート途中にも古墳があるので、集落間を結ぶ県道118号を通る。『牛渡銚子塚古墳』と『牛渡牛塚古墳』だ。
軸長64mの前方後円墳、『牛渡銚子塚古墳』は発見できなかった。軌跡で調べると直前まで到達していたのは残念。ここも捲土重来を期すか‥‥。『牛渡牛塚古墳』は県道脇にありすぐわかった。本日の最後を飾るのは直径40mのこじんまりした円墳だった。


出発地点、霞ヶ浦総合公園に着くまで、何度となく道を間違えた。駐車場に戻ってきた時は、既に夕闇が近づいてくる時間だった。
帰着回の反省としては、100mを超える大古墳とは違い50〜60mクラスの古墳はしっかりとした、訪問ルートと古墳状況を事前調査しておくべきということ。西浦周辺には、まだ60m〜80mクラスの古墳が数基ある。
今回見逃した古墳も含めて、いづれ再チャレンジしよう。




霞ヶ浦周回本日の走行125km。古墳時代の1/3以下の大きさになっているだろうとは言え、やはり西浦は広大な湖沼である。



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西浦古墳めぐり 上つ巻

『西8世紀頃の霞ヶ浦(河川事務所HPより)浦』。霞ヶ浦の中心となる、日本第二位の大湖沼。
面積172k屐∈蚤膺綽治沓蹇H琶湖の1/4の広さを持つ。
西浦を含む、霞ヶ浦の周囲には古墳が多い。かつてこの周辺は琵琶湖に匹敵する巨大内湖『香取海』の内湾の一つである『香澄流海(かすみながれのうみ‥‥と読むらしい?)』と呼ばれていた。

この周辺の多くの古墳は、霞ヶ浦を構成する湖沼群を取り巻く丘陵のヘリにある。古墳は墓であるとともに、モニュメントでもある。それは領民に見せるというよりは、外来人に威容を誇るためのものである。とにもそれは古墳がかつての湖畔沿いにあったことを意味する。
今回のターゲットは、現在の西浦北部、『高浜入』と言われる内湾に集中している。古墳めぐりだけなら走行距離40kmほどだが、西浦1周ルートとなると100kmを優に超える。

霞ヶ浦総合公園P回のベースは土浦の『霞ヶ浦総合公園』。公園の駐車場は広くて、トイレ等の施設もある上に、郊外の公園駐車場は無料のところが多い。
AM7:15に出発。
風向きは東北東。反時計回りでいく。
湖畔一周が第一目的ではないので、距離節約のためR125でいく。
バイパスがあるためか、あるいは休日のためか、旧国道の交通量は比較的少ない。

香取海の中心付近にあった『浮島』は、昭和になって干拓により地続きとなった。
浮島景行天皇行在所遺跡碑景行天皇行在所跡の中心付近で、不思議な看板を発見。『景行天皇行在所跡(駐在所ではない)』。景行天皇、第12代天皇で、日本武尊の父にあたる。
国道から少し入ると案内板と階段がある。階段の上には『景行天皇行在所遺跡』の碑があった。
『常陸国風土記』に、景行天皇が亡き日本武尊を偲んで、浮島の張宮に行幸したと記されているとのことだ。
とは言え、実在さえ疑問視されている景行天皇の行幸については、伝承の域としか言えそうもない。

稲敷大橋浮島・妙岐ノ鼻在所遺跡から2kmほど走ったところの『稲敷大橋』を渡る。左手は『妙岐ノ鼻』と呼ばれる、霞ヶ浦に残された、数少ない葦の湿原である。右手の小さい入江も、かつては西浦を構成する大きな内湾だった。護岸沿いの道に左折する。
ここは『本新島干拓地』という600haにおよぶ広大な干拓地である。
ここからは護岸沿いを行く。
護岸道は、人も車も通るのだが、休日のせいか、ほとんどが釣り人である。


北利根橋やっぱりあった化されて、まだ間がないような綺麗な舗装路だと思っていたら、案の定出ちゃいました、未舗装路。1kmに満たない距離だったので一安心。
R51の北利根橋を渡り、再び左岸の護岸道に出る。
ここからは一路霞ヶ浦大橋の袂の『霞ヶ浦ふれあいランド』を目指す。距離にして20km。




西霞ヶ浦左岸風の塔浦左岸は、これといって見所はないが、広大な景色と、釣りやレジャーを楽しむ人々を見ながら、とても開放的になれるコースだ。
行方市に入ってポイントになる天王崎。ここには旅館や温泉(鉱泉)、展望塔などがある。
8kmほど走ると、埋立地を通る。ここで小休止。




3連水車と虹の塔霞ケ浦大橋19km地点。霞ヶ浦大橋が目前になった。
橋詰めには『霞ヶ浦ふれあいランド』がある。西浦の左岸周辺は何もないというイメージだったが、旅館があったり、温泉や展望台があったり、結構遊べそうである。今度家族連れできたいものだ。

ここまでの走行は56km。順調なサイクリングである。西浦1周コースでは、ここで霞ヶ浦大橋を渡り、土浦へスルーするパターンが多い。しかし今回はできない。ここから西浦の内湾である『高浜入』を周回することが今回最大の目的となるからである。

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鍵交換

娘が使うようになって2年目のトランジットセブン。
切断やじ似でずぼらな性格のためか、スペアも含めて鍵を全て紛失してしまった。
遊びに使えなくなったのは自己責任だが、買物や実家へのメール便に行かなくなられて、逆に親が困った結果になってしまった。自転車を放置しっぱなしでも痛んでしまうので、鍵交換をする。
流石ゴリンのディンプル錠。ドライバーで抉っても、ハンマーでたたいても開錠しない。自転車のほうが傷ついてしまうので、金鋸で切断する。

鍵交換40分掛けて、鍵交換する。
屋外の駐輪場のため、やはり汚れやすい。軽い拭き掃除とブレーキ点検。
時間がなくギアまでは整備できなかったが、ギアは硬い。横着な娘はシフトをしない。坂がきつくなるとすぐに押し歩きになる。
もろにおばチャリスタイルである。娘にはカプレオハブ・スプロケットもティアグラディレーラーもアタックシフターも猫に小判のようだ。

こっそりの件で一喝しても、近頃ではおやじの畏怖は全く通用しない。直すと、すぐにまた乗って出かけるようになった。
「そいつなら100km走れる改造をしてあるんだぞ」と言っても、「知らん。そんな遠くへは電車で行く。そんな遠くに自転車で行きたがるのはお父さんだけだ」と冷ややかに返される。
でも、友達には「お父さんが改造した自転車」と自慢しているようで、少しうれしい。
トランジットセブン健在である。
実は、娘には黙って少しづつサドル高をこっそり上げている。
初めて乗ったときからすでに10cmは上がっている。子どもの成長は早い。

その往年の雄姿うちおやじのポジションくらいになるのだろうか。それまで娘がトランジットセブンに乗っているかは分からないが、それにしても長距離嫌いの娘とのツーリングはかなわぬ夢のようである。


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七沢温泉紀行

盆休みを利用して、近場の温泉に一泊することにした。厚木市七沢温泉。本厚木から車で20分少々。ほとんど仕事の延長のような場所だが、市街地隣接とは思えない山間の天然温泉である。
家族観光の目玉は宮ヶ瀬ダム。春に自転車て日帰サイクリングに来た。今度は車で1泊なのでゆったりできていいだろう。

行程は一般道経由。前回サイクリングでよれなかった平平山橋2山橋に立ち寄る。
ごく普通の橋に見えるが、鋼製3連トラス構造になったのは大正15年で、平成13年に平山大橋ができるまでは半原地区の重要な幹線橋であった。

平山橋ヤジも何度かわたったことがあるが(もちろんダムができる以前)、今は車両通行止めとなっていた。平成16年に登録有形文化財となり、歩道橋としては現役で頑張っている。



平山橋3東亜戦争のときは、米軍機がここまで来たのか、機銃掃射の後と言われる穴が残されている。マークされるほど重要な橋だったのか、たまたまだったのかは知る由もない。



宮ヶ瀬湖畔園地ムサイトには直接行かず、宮ヶ瀬湖畔園地に行く。『cafe Tanba』で昼食。
『ロコモコ』が割安だがうまかった。
行って分かったのだが、今日は花火大会があるようだ。お昼には各所で陣取りが始まっていた。
遊覧船があるので、ダムサイトまで行ってみる13:20出航なのでぎりぎり。

ダムサイトの遊覧船乗り場からダム下に下りる。
今回インクラインは『インクライン』に乗る。片道大人200円、小人100円也。
インクラインとは「傾斜面にレールを敷き、動力で台車を動かして船・貨物を運ぶ装置。」のことであり、このケーブルカーの固有名称ではない。元は工事用車両をそのまま載せる台車だった。


ダム涼しい2宮ヶ瀬ダム1下。
ここにくると沈んでしまった宮ヶ瀬渓谷が偲ばれる。    
上りはダム内の無料エレベーターを使う。やはりここが一番涼しい。

 
船着場ヶ瀬遊覧船行き遊覧船は、花火大会のため、今日は15:00が最終。
このところの雨不足で船着場がかなり後退している。


今日七沢荘の泊まり。七沢温泉の七沢荘。七沢荘
ごく普通の温泉宿だが、ゼロ磁場にあるパワースポットなのだそうだ。



食事貸切風呂七沢荘は特筆するものはないが、川魚はうまかった。温泉は内湯と露天(なぜか殿方湯は風呂までが遠くて、内湯がなかった?)がある。別に貸切風呂を借りる。
お湯は無臭だがつるつると言う不思議な湯であった。

七沢荘ヤジはマッサージ器がなかったことが不満(元々パワースポットなのだからマッサージ器の必要はないのだろう)だったが、娘は気に入ったようである。



服部牧場日は再び愛川町の服部牧場へ。2日目の予定は鮎釣だったが、金がないとのぼやきを聞いてか、娘の「家の前の川のはぜ釣はタダだ」との一言。なんてえらい子だろう。
家の前のはぜはうまくないと思うし、時たまぼらがつれてしまうのだが‥‥
で、近くの牧場に変更。単に魚よりアイスと言う短絡なだけだったのかもしれないが。
ヒツジ服部牧場2は風通しもよく、木陰は涼しい。
娘は餌をもらってきてヒツジやロバを釣っているようだ。



なぜかゼブラなぜかゼブラまでいた。





同じヒゼブラ・ヒツジ・ロバツジでも色々な種類があるようだ。『シャロー』・『アナトミック』・『アナトミックシャロー』・『コンパクト』等々。
『マーズバー』がいなかったのは残念。
なんと4本づのの『TT』??のようなのまでいた。
何の話?だ。

ソフトクリーム最高イスクリーム工房『カサリンガ』のソフトクリーム。これは一押しである。また自転車で着たときはぜひよりたい。但しまたミニヒルクライムになってしまうが‥‥



最後田代半僧坊山門は振り出しに戻り、愛川町田代の勝楽寺(田代半僧坊)による。立派な山門は嘉永4年(1851年)に地元の工匠によって立てられたのだそうだ。



田代半僧坊中門門を過ぎるとすくにまた門がある。中門と言うそうだが、なせ閉まっているのか不思議。というか閉まっていても意味を成さない不思議な門である。



七沢温泉省渋滞とは無縁のスムーズなドライブであった。
走行210km。1泊旅行としてはホテルシーサイド江戸川についで短距離となった




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Time of The Zombies

また、古いレコードを引っ張り出して聴いている。Time of The Zombies 。
ゾンビーズ。ちょっと怪しい名前。名古屋周辺に出没するサイケなダンスグループちゃうぞ。60年代のブリティッシュロックグループである。
日本では、69年の大ヒット曲『二人のシーズン』が有名で、これはおそらく耳にした人は多いだろう。オヤジがこのシングルを買ったのは72年ころだったと思う。
シングルと同じころ発売されたアルバム『オデッセイ&オラクル』はプログレ系というか、いわゆるサイケデリックポップのはしりというような曲作りで、日本でも熱烈マニアがいるようだ。クリムゾン同様メロトロンを取り入れた、当時としては前衛的なサウンドだ。

ゾンビーズ1のアルバム『オデッセイ&オラクル』からシングルカットされた、『二人のシーズン』がミリオンセラーとなっているころには、ゾンビーズはすでに解散状態になっている。リーダーのロッドアージェントが、その後プログレ系サイケポップともいえるグループ『アージェント』を結成し、熱烈マニアの指示を受けていたが、オヤジがゾンビーズに求めたのはサイケやプログレではなかった。
オヤジが一番すきなのは64年のヒット曲、3枚目のシングルに当たる『恋はノー・ノー・ノー』。そう、ゾンビーズはリバプールサウンドなどに代表される。60年代初頭に結成されたグループなのである。ビートルズ・デイヴクラーク5・サーチャーズ・ゲリー&ペースメーカーズ・ホリーズ・ピーター&ゴードン・スィンギングブルージーンズなどなどとともにヒットチャートをにぎわしたポップ系グループなのだ。メンバーはロッドアージェント・コリンブランストーン・クリスホワイト・ポールアトキンソン・ヒューグランディの5人。当時の代表的ブリティッシュロック(リバープールサウンド)といわれたグループは、一通りは持っているが、そのなかでもゾンビーズは、サウンド、メロディ、ヴォーカルともに他のグループと一線を隔すものを持っていた。さしずめ今で言うと『ドリカム』のサウンドが明らかに他のアーティストのサウンドと一線を隔しているのと同じようなものだ。
多くのグループが、クラブなどでコンサートをしてお金を稼ぐ下済み時代を送っている中、エリート学生バンドとして華々しくデビューして、知的なイメージで人気を博したゾンビーズ。
そのサウンドは、コリンブランストーンのあま〜いマスクとボイスによって、より深くせつない雰囲気をかもし出す。
その真骨頂が『恋はノー・ノー・ノー』である。
このような曲を作る人たちが‥‥というより、このような曲がどんどん生まれる60年前半というのは、どういう時代だったのかと思いを寄せてしまう。もちろんオヤジが小学生にすらなっていないころだ。
初の大ヒット『シーズノットゼア』が全米1位に輝き、それに続きファーストアルバム『ビギンヒア』を発表。その後も『恋はノー・ノー・ノー』『ウーマン』『すきさ すきさ すきさ』『シーズカミングホーム』などのクリーンヒットを放つが、いずれも短命に終わる。その中で『すきさ すきさ すきさ』は、日本のGS『カーナビーズ』の「おまえのぉ〜すべぇてぇ〜」のフレーズで日本では『二人のシーズン』と並ぶ代表曲となっている。
そして67年に事実上の活動停止。活動停止後に発売された、前述アルバム『オデッセイ&オラクル』とシングル『二人のシーズン』がデビュー以来の大ヒットとなるのは、なんとも皮肉な結末である。

ゾンビーズ2父が所有していたのは、シングル『二人のシーズン』(その後譲渡)と、2枚組み『Time of The Zombies』。それと当時(72〜3年ころ)の日本で編集されたオールディズものの中にいくつか前期のシングル曲が挿入されている。
ゾンビーズのアルバムで紹介されるのは、前記した『ビギンヒア』と『オデッセイ&オラクル』の2枚のみ。それと外国版の『ビギンヒア』とシングルカットを集めたベスト版がある。
しかし、この『Time of The Zombies』というLPは謎である。当時ベストが欲しいと言って、行きつけの小さなレコード店で取り寄せてもらったもので、当時はリバプール的イメージで見ていたので、最初にジャケットを見たときはショックだった。これすごいサイケ!。中身も他に持っているリバプールものとは随分違っていた。しかしこれがベストアルバムだとずっと思っていた。
ある意味ベストといえるのは1枚目のAサイドのみだ。
当時は契約レコード会社との問題もあったのか、2枚組みのうちの1枚は『オデッセイ&オラクル』の挿入曲そのもの。もう1枚はシングルカットされた曲と未発表曲の混成版になっているのだ。
やはりオヤジの好きなのは、前期のシングルヒットものである。『Whenever You're Ready 』・『Summertime』・『すきさ すきさ すきさ(I Love You)』・『She's Not There』そして『恋はノー・ノー・ノー(Tell Her No)』など。
独特のメロディと透き通ったヴォーカルは懐かしさとともに、ある新鮮さをうける。たった1枚だが、ちょっと毛色のかわった1枚を大切に所蔵しているオヤジも『ゾンビマニア』の一人なのかもしれない。

最近でも、元メンバーによるリバイバル公演などがされているようだ。YOUTUBEにも投稿されているが、オヤジ的には60’ポップは子供のころの、感傷的なせつない思い出としておきたいので、あえてダウンロードもしていない。初期のヒット曲と、真骨頂であるサイケポップが凝縮されている、このアルバム1枚で十分なのである。

2013年6月22日 記

2013年7月26日 追伸
『Tennis』という夫婦デュオのカバーする
『恋はノー・ノー・ノー(Tell Her No)』を聴いた。
とてもまともなプロのスタジオ録音とは思えない荒削りだが、スッ極いい!!

女の人が歌うと、コリンブランストーンとはまた違う甘いせつなさがある。
『Tennis』って何者? 『Tennis』で検索すると出てくる女性はシャラポアぐらいだ‥‥


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セーフティーレバー

ギドネットでのドロップ化は、通常の肩部グリップに対しては非常に有効であったが、本来のドロップポジションである下ハン使用時のブレーキングに難がある。

このセーフティレバーvsインラインレバー条件を満たす方法として、『セーフティーレバー』を導入してみる。
『セーフティレバー』とは、『エクステンションレバー』と呼称されてように、レバー本体の支点に付け足して梃子の原理でブレーキレバーを稼動させるものだ。
35年前のランドナーにはついていたのだが、如何せん昔のことで記憶が少ない。

非常に優れものだが、いまやほとんど市場からは消えているアイテムである。
オークションやリサイクル品でしか入手は困難かと思ったが、偶然にあっけないほど簡単に入手できた。
ギドネットパーツの購入で何度か足を運んだ、ちょっとレトロなスポーツサイクルショップ。古いパーツなどもおいてあるので、何気なく尋ねてみる。以外にも『あるよ』との返事。出てきたのは昔懐かしいダイアコンペの『赤玉』といわれるタイプ。価格も良心的(というより昔のままなのか‥‥)だったので、本体とセーフティレバー(同時購入は新品シルバー。ブラックは後日U品で入手。)とブレーキフードのフルセットでいただく。

しかし、このセNITTO B115ーフティーレバーを、現在のショートリーチのコンパクトドロップバーに装着しようとすると、セーフティーレバーが適正位置にセットできないばかりか、干渉させないために、本体を不自然な形でセットしなければならない。
これでは本末転倒である。
クラッシックマニアではないが、やはりセーフティーレバーには昔ながらのクラッシックベントしかないようである。
‥‥というか、レバーのためにハンドルを変えるほうが本末転倒というべきなのだろうが‥‥。

と言うことで、用ドロップ化2−1意したのはU品の『NITTO B115』。トラデッショナルなシャローハンドル。ランドナーバーほどではないが、ドロップが外側に広がっている。ステムは70mmに戻す。クラッシックベントは下ハンが遠くなるのだが、50mmでは流石にふらつく気がして怖い。ハンドル高は高めなので、それほどピーキーになることはないのだが、肩部のRの関係で、C−C幅以上に肩部幅が狭い‥‥。ストーカー26と比べると、C−C幅400mmは同じだが実際の肩部のグリップ状態の間隔は50mm以上狭い。ふらつき感はステム長より、この実使用幅の違いによるものだろう。ゆったり乗るにはC−C幅420〜440mmくらいあってもよかったか‥‥

ドロップ化2−4NITTO』&『ダイアコンペ』って言ったら、『ホリゾンタル・クロモリロード』である。参考例を探したが、スローピングフレームのアルミクロスへの装着例が見つからない。
ショップの御主人に「『セーフティーレバー』がつくブレーキでアウターをバー側に出しているやつってあるの」と尋ねてみたが、「そんなものないよ、昔のは」とあっさり返された。
そりゃそうだ。まして昔はカンチブレーキだったしね。
本来は今風に、アウターはなるべくインラインに納めたいオヤジにとって、アップワイヤーはちょっと煙たい。ここだけレトロで不思議なシルエット。でも昔はこのアップワイヤーのRの美しさが競われたものなのだ。機能が必要なので外見はどうでもいいと思う反面、なければいいものをある以上は、やはりこのRのバランスが悪いとみっともなく見えてしまう。

セーフティレバー3よいセーフティレバー2よ仕上げのバーテープ巻き。昔ならコットンタイプなのだが、どっこいジェルで厚みを持たせたパンチングタイプにする。近所のショップにご用達のフィジーク製品がなかったので、バイクリボンの同柄のものにする。サドルとの色合はよかったのだが、巻き直しで裏地がはがれたり、巻いているうちに切れて!!しまったりして「Х」!。タッチもフィジークのほうがいい。
ちょっとオヤジの血管の『瘤』見たいになってしまったが、もう切れちゃってるからしょうがない。とりあえず暫くこれで行く。

セーフティレバー4セーフティレバー1ルホーンの時と違い、ブレーキタッチに腰がなくなってしまった。アウターが延びたせいか、レバー特性か、「V」のクイックな効きがない。効きをカバーするため、遊びをぎりぎりまで絞る。調整が非常にシビアである。メインレバーは遠く硬いので、ブラケット上部からのブレーキングには使い辛い。メインレバーは下ハン専用にせざるを得ない。
ほとんどの使用がセーフティレバーになる。ギドネットに近い感触だが、肩部だけでの使用感ではギドネットに分がありそうだ。ギドネットと支点が逆になる。

セーフティレバー装着セーフティレバー装着2『セーフティーレバー』、あらためて使ってみると、なかなかの逸品である。確かにSTIとのフィッティングは無理だろうが‥‥。ハンドルバーマウントを使ったWレバーとの組み合わせは、セフティーレバー装着4セフティーレバー装着3クラッシックマニアの懐古品にしてしまうには、もったいない機能性だ。コンパクトバーで、ごく普通に使える今風のリニュアル復刻を望む。




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上海上・須恵国古墳めぐり 下つ巻

青掘駅から『内裏塚古墳』の威容は、容易に視認できるはずであった。見渡せるのは房総特有の断層隆起などによりつくられた小山である。
とりあえず内裏塚に向かう。
内裏塚前方部より総の縦走尾根の麓に点在する小山群。そのひとつが内裏塚であったことに気づくのは、かなり目前になってからだった。小山と見分けがつかないほど大きい。軸長144m、関東でもベスト10に入る巨大墳丘は圧巻である。
後円部東側から後円部に上る。頂上は有に神社ひとつが入ってしまうくらい広い。
中央部に内裏塚の碑、北東部の隅に『珠名冢碑』がある。
内裏塚後円部頂上恵(周准)の珠名さん。奈良時代の人である。歌人高橋虫麻呂の歌にうたわれる美女である。この歌の内容からは、奈良時代の絵画に出てくるような美人像は浮かばない。すがる蜂に例えられる容姿は現代人のグラマー美女感覚と同じである。遊女っぽい性格は、同時代の真間の手児奈とは対照的だ。(男をめろめろにしてしまうという点では、手児奈も容姿・スタイルは珠名とタメだったとオヤジは思っている)
内裏塚前方部横より後円部を円部から前方部へ向かう。
古墳の上を歩いている感覚はない。山を歩いているようなものだ。この様な感覚を味わえる古墳は関東でもそういくつもない。須恵の国造に連なる首長墓だろう。さきたま古墳群にさえこれだけの規模の墳墓はない。小国ながら貿易で栄えた須恵国の国力が窺える。

三条塚古墳名さんに吸われるならいざ知らず、からだ中を藪っ蚊に吸われて退散。
三条塚に向かう。『三条塚古墳』、内裏塚から直線距離で700m弱。軸長122mは内裏塚古墳群では次席である。6世紀後半の築造といわれ、毛野に替わりさきたま古墳群の一族が、関東に覇を唱えようとしていた時代、須恵国の盟主も拮抗した力を持っていたということか。

飯野陣屋周濠も残る周濠は、古墳に付帯するものではなく、江戸時代の陣屋跡である。後円部東側から墳丘に入ることができるが、更なる藪っ蚊とくもの巣の抵抗を受け、蜂まで援軍に来られたので突入を断念。攻略は冬を待つしかないようだ。二重の周溝に囲まれていた当時の全長は190m以上で、全長では185mの内裏塚より大きい。

九条塚後円部頂上いて九条塚前方部全景『九条塚古墳』に行く。ここも東側から後円部墳丘に上る。
ここにも内裏塚と同じ碑がある。周りには石室の積み石に使われていたような石が散乱している。軸長103m。6世紀中葉の築造とされ、三条塚同様、二重の周溝に囲まれていたらしく、周囲の道が名残を留めている。

弁天山石室弁天山古墳塚から市役所通りを経由して、大貫の弁天山古墳に行く。富津市役所大貫連絡所の敷地内にあり、石棺安置施設を含めた復元整備がされている。整備される前は、砂状の盛土のため原形をとどめていなかったようである。
墳丘頂上からは、浦賀水道と相模湾が一望できる。

東京湾観音天山古墳の南側の丘陵地帯にある大坪山には、東京湾観音様が立っている。最近コースの中に毎回入れているプチヒルクライム。今回は海抜120mの東京湾観音拝観コース。飯岡灯台の倍の標高差だ。きついかと思ったが、最強36Tを使うことなく、ノンストップでいった。仏へ近づくための道?である。
『東京湾観音』。この観音像は、今からおよそ1500年前の‥‥違うだろ!!
建立は昭和36年。同世代なんだなぁ‥‥。高さ56m、白亜の救世観音。

仏はユニセックスというものの、どう見ても女性である。しかもなかなかの美人である。
内部1内部2二の腕内部音様の胎内は20階建てで、螺旋階段で上って行く。途中には十二支守り本尊と七福神観音さま頭部からの展望がおまつりされている。
所々に外に出る展望部や別区画の階段があったりする。宝冠の部分が最上部の展望部は海抜170mほどだが、眺望はすばらしい。スカイツリーも見えるとのことだが、生憎今日は見えなかった。富津岬と須恵の国を一望する。

富津岬展望台京湾観音下で昼食を取って、富津岬へ行ってみる。
富津岬の展望台。久々に上ってみる。富津岬はここで切れて、沖合いに第一海堡を望むことができる。
おかしいなぁ。子供のころの地図は第一海堡は地続きだったし、大潮のときは歩いて渡れたはずだったと思うのだが‥‥

富津岬から、再び青掘地区に戻る。
稲荷山古墳稲荷山古墳周濠跡の探訪は『稲荷山古墳』。6世紀後半の築造で、軸長は106mだが、二重周溝の全長は200mを超えて内裏塚古墳群中最大である。説明看板の横から墳丘中央部に入っていけるようだが、やはり内部探訪は冬を待つことにする。
亀塚古墳後に訪れたのは、『青木亀塚古墳』。6世紀終盤〜7世紀初頭の築造とされるが、古墳らしいイメージは少ない。他の同規模古墳と比べて、高さがまるで低い。削られたからとも、古墳自体が未完だからだとも言われているようだ。
側面が公道となっており、容易に立ち入ることができるのだが、蜘蛛の巣が進入を拒んでいる。天候も不安定になってきたので、最終ポイントの古塚古墳も含めて、捲土重来を期す事にする。

姉ヶ崎帰還後のコーヒータイムを終えて、姉ヶ崎公園に戻ったのは17時だった。
千葉県には大型の古墳が多い。特に内裏塚古墳群は、規模で言えば埼玉古墳群と拮抗している。さきたま古墳群の盟主は、ヤマトの力を背景に、その地にやってきて一大勢力を築いたという。房総の豪族も、時期こそ異なるが土着民ではないだろう。そこには、高い航海技術を駆使して、貿易や新天地を開拓する海人族の影が見え隠れする。
房総の諸豪族たちは、さしずめ自由貿易という海の民共通のイデオロギーの中で、協力し合いヤマトからの圧力も柔軟に受け止めて、小国家群ながら毛野・武蔵に対抗する勢力を保っていたのだろう。

須恵の国ルート日の走行107.5km

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上海上・須恵国古墳めぐり 上つ巻

姉ヶ崎公園スタートの時期の古墳探訪はあまり乗り気がしない。
武社国・下海上国周辺の古墳めぐりをしたあと、間髪入れずに来たかったが、仕事・諸用の都合で、今日になった。
姉ヶ崎公園駐車場をAM6:30にスタート。


二子塚後円部より二子塚古墳まま裏道を抜けて、内房線の踏切を越えると、第一目標『二子塚古墳』が目前に現れる。5世紀中葉の築造で軸長106m。保存状態もよく、本日の幸先にふさわしい威容である。


天神山古墳天神山前方部塚から1.3kmの台地を登ったところに、姉ヶ崎最大の『天神山古墳』がある。入口がわかり辛くうろうろする。天満宮への入口が前方部裾部になっている。台地の中腹に造られているようで、樹木に覆われているとその大きさが分からない。軸長130mは、千葉県ではトップクラスだ。

『天神山古墳』の案内図に、近くに予定しなかった大型古墳があるのを見つけていってみる。
『今今富塚古墳富塚古墳』。軸長110mという大型の古墳で、天神山から4kmほど東に行ったところだ。
保存状態が悪く、前方部と後円部が寸断され、墓地等で開削されている。
現存の形からは、100mを超える威容は偲び浮かばない。場所も古墳群から独立しており、被葬者の立場が微妙である。

姉ヶ崎神社うひとつ寄り道。『姉ヶ崎神社』へ行く。ヤマトタケル東征が起源とされ、将門追討・頼朝挙兵にも出てきた由緒ある社だ。
境内で釈迦山古墳への道を探していると、庭掃除のおじさんが来て、民家に案内された。
民家の御主人に家の裏の進入口に案内される。

「す釈迦山古墳(御社古墳?)?みません。お邪魔いたしまーす」
「薮蚊がすごくてな、そんな格好じゃ、そこら中食われてしまうぞ」
虫除けを頭からぶっ掛ける。「マムシなんかいないよね?」。「そんなもんはいないよ。そこの杉の木の後側から登れるよ。」
民家の軒先をお借りして古墳に入ることはよくある。史跡などとなると見学者も多いのか、住人は好意的である。しかし、挨拶・お礼とマナーは忘れないこと。
確かに、薮蚊がすごい。それにも増して嫌なのが、くもの巣。だからこの時期の古墳探訪は気が進まないのだ。実は『焼津の半次』なのである。
『釈迦山古墳』。軸長86m保存状態はよいとされているが、比較的動ける後円部頂上以外は雑木・草茫々で全容を捉えることはできなかった。

上海金鈴塚古墳上国をあとにして馬来田国(木更津)金鈴塚に向かう。昔『キサラヅーの伝説』なんて歌はやったよなぁ。歌いながら走る。(※注‥‥正式にはキサナドゥである!)
『金鈴塚古墳』。今はミニ富士塚ほどの大きさで、横穴式石室と石棺を見ることができる。6世紀末〜7世紀初頭の築造らしい。

金鈴塚古墳石棺金鈴塚古墳石室のころまでは、周壕を伴う軸長100m級の、古墳時代終焉の大型古墳だったとされている。



青掘駅前よいよ須恵国に至る。休憩と情報収集のため、青掘駅に行く。駅は無人駅だが、駅の北川には駅前開発で開削された上野塚古墳の後円部の一部、駅の南側には『古墳の里ふれあい館』があって、休憩所・トイレや周辺古墳情報・案内パンフレットなどが用意されている。
今回の盟主墳である内裏塚古墳は、ここからは四股の距離である。ここで遅め?の朝食を取る。


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九十九里 海と古墳 下つ巻

刑部岬岡漁港から刑部岬を望む。ミッションのひとつである『飯岡灯台』に行く前に、屏風ヶ浦を見るために寄り道する。『東洋のドーバー』?といわれる10kmにわたる海食崖である。地図には遊歩道があることになっているが、いくとすぐに通行禁止の看板にさえぎられた。


看板屏風ヶ浦1屏風ヶ浦2のある地点は、位置的に飯岡灯台の真下あたりである。
ここでも十分屏風ヶ浦の迫力を堪能できる。
亡くなった三国連太郎の『飢餓海峡』を思い出す。

飯岡灯台刑部岬展望館傷に浸る間もなく、飯岡灯台へのミニヒルクライムがある。結構きついかと思ったが距離が短いので意外と楽にクリアした。
巨大な展望館の横にある、小さな灯台。犬吠崎や野島崎灯台のイメージでいたので、ちょっと拍子抜け。完成したのも以外に新しい。

展望風の台地2刑部岬から九十九里を望む館からの眺望はすばらしい。九十九里浜が一望できる。
海と逆側には、異様なくらい風車がある。
銚子市と旭市で40機近い風車があり、いくつかの会社が数機づつ運営しているようだ。
風の谷ならぬ風の丘ってところだ。公園内の喫茶店ライトハウスで昼食。

菅原大神菅原大神1の風車の回る丘を走り、成田線下総豊里へ向かう。
下総豊里駅から僅かのところに『菅原大神天満宮社』という神社がある。元上司の実家の近所で、『子宝の石』のご利益に授かるために、関東各地から子宝を求める夫婦が来るという。うちもその節はご利益を賜った。お礼参り以来10年間来ていなかったので、改めてお礼のお参り。

大利根自転車道三之分目大塚山古墳原大神天満宮社から『利根水郷ライン』を香取方面に向かい、利根川大橋から『大利根自転車道』にはいる。まれにランナーに出会う程度で、サイクラーにはほとんど出会わない。
一ノ分目排水場から利根水郷ラインに出て、少しもどったところに『三ノ分目大塚山古墳』がある。後円部に駐車場があり、車でも見学できる。

『三前方部前方部より東向ノ分目大塚山古墳』。墳丘長123mは堂々としたものだ。墳丘のあるところは、川沿いの低地から若干高くなったところにある。
かつてはこの古墳の目前に、超巨大内湖『香取海』が展開していた。
当時の房総は海岸線が複雑に内陸に入り込み、その入江ごとに小豪族の勢力が犇く小国家群をなしていたようだ。狭い区域単位に100m級の大型古墳がいくつも建造されていることを考えると、当時は豊富な海の幸と、海洋・河川を利用した、加羅諸国さながらの交易により豊かさを築いていたのかもしれない。

大塚古墳間はすでに16時になった。今から芝山公園に戻っても、博物館を見る時間はなさそうなので、帰路線上にある古墳に寄って行く。地図に載っていた、旧栗源町岩部にある『大塚古墳』。看板も何もなく、周囲が民家で上り口があるのかも不明。麓からの印象はかなり大きい。直径30mはありそうだと思っていたが、帰宅後調べたら、『方墳』のようだ。そういえば、ここから遠くない栄町には日本有数の大型方墳『岩屋古墳』もある。

ナカクサ古墳塚古墳から1.5kmほどのところにある『なかくさ古墳』。アトラスGPSマップには表示されているが、その場所にはいけない。もちろん看板もない。該当する場所のそれらしい盛土部分を見つけたが、墳丘なのか、大きさ・形状すら分からない。


タイムアウト模造品だったかくさ古墳から、栗山川を南下し多古町に至るルートは、南進とはいえ予想外の強い向い風に煽られる。
大幅に時間がかかり、芝山公園に到着したのは17時過ぎ。博物館はまたの機会にして、博物館の前にある古墳に立ち寄る。こんなところに古墳があることは、以前来たときには気づかなかった。しかし看板を見てがっくり。レプリカだった!

任務完了ッション終了。今回はハニカムパンツ!着用とサドル(MAXフライトゲルフロー)をBMCから移植。ハンドル高も20mm落とした。走行距離からすると、お尻のトラブルは取るに足らぬ状態だったといえる。ハニカムパンツの効果か、MAXフライトゲルフローが良かったのか、ポジション変更か、はたまたそれらの相乗効果かは不明。


九十九里 海と古墳日の走行 126km
隠れた古墳大国千葉には見ごたえのある古墳が、まだ数多残っている。次は『上海上国』や『須恵国』めぐりにチャレンジしたい。


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九十九里 海と古墳 上つ巻

コンテナから4号発信前7時。土壇場の計画より1時間遅れて芝山公園駐車場に到着。今日の東総サイクリングのベースだ。コンテナからTB−4ならぬMR−4がでてくる。今回のミッションは東総地区の大型古墳を回ることと、九十九里を走ること。ツールはMR−4である。バックに仁王尊の三重塔が見える。
10数年前のはにわ祭観光で訪れたことのある芝山公園には、『古墳・はにわ博物館』がある。開館を待っている時間はないので、早めに帰れたら寄る事にしてスタートする。

姫塚古墳ず、殿塚古墳駐車場から松尾方面に2.5kmほど行ったところの芝山古墳群の『殿塚』・『姫塚』古墳に行く。主墳である『殿塚』は墳丘長88m。オーバー100mを大型古墳と位置づけているオヤジには特筆すべき古墳ではないが、ここか特別なのは、看板毎年『国造(くにのみやつこ)様』が降臨される場所だからだ。毎年11月第二日曜日に、この古墳の主である、『国造(くにのみやつこ)』様と古代人たちが殿塚古墳に降臨し、芝山の町民(子孫?)と楽しく交流し、最後に国造様が現代人にメッセージを送り、再び古代に帰っていくという、物語的ストーリーだ。
この芝山町を挙げての一大イベントである『はにわ祭』のオープニングセレモニーがここ、殿塚・姫塚で行われる。
「古墳の所在地は横芝光町だろ」などという突っ込みを入れてはいけない。国造様はこの地域全ての民を統轄されていたのだ。隣の姫塚は墳丘軸長58mのこじんまりした古墳。姫様の古墳かは不明だが、殿塚の被葬者に関係のある人物だろう。
殿BMW整備センターいつかきたみち古墳をあとにして『芝山はにわ道』を山武市松尾町に向かう。車がやっと通れるかという道を入っていくと、BMC‥‥じゃない、BMWの整備センター裏手に出る。『X』シリーズがいっぱい並んでいる。いいねぇ‥‥。こんなんでガンガン林道行きたいね。こんなにいい車、舗装路だけ走らせていたらもったいない。

箱根神社大堤権現塚古墳タープールを過ぎると、すぐに奥深い雑木林となり、大堤権現塚古墳が目前に威容を現す。
墳丘軸長115m。3重の周壕が囲んでいる。大型古墳の多い千葉県でも5本の指に入る規模だ。道は中央の壕提部を通っていたようだ。
前方部中段に位置する『箱根神社』。お参りしてから墳丘に上らせていただく。

石室跡??々に大堤権現塚古墳2覆われているが流石に大きい。建造当時は九十九里浜や、椿海(当時は入江だったかもしれない)からも望むことが出来たのだろうか。
後円部に大きなくぼみがあった。自然滑落か石室跡なのかは不明。いずれにしても武社国造に連なる豪族の奥津城だったのだろう。

『大堤権現塚古墳』をあとにして、はにわ道に合流して九十九里ビーチラインに出る。
海を目前にして、海岸に出たいのだが、よくよく注意しないとクランク周りやディレーラーを砂だらけにしてしまう。
飯岡九十九里自転車道飯岡九十九里自転車道1川大橋の橋詰から『太平洋岸自転車道飯岡九十九里線』に突入する。一部の未開通区間と河口等の迂回を除けば、刑部岬の麓、飯岡漁港まで道は続く。
残念ながら自転車専用同区間ではなく、歩行者共用(優先)道である。風は追い風に近く快適なサイクリングである。

ひどくねぇ?曜日なのに、ローディさんが少ないと思っていたが、理由はすぐわかった。
写真の一段低いところが自転車道である。
MTB用コースかい!
また、一宮大原線の二の舞である。上段の道に逃げる。
この先、道はサーフボード置き場とバーベキューテーブルに占拠される。
歩行者優先以前の問題である。

津波避難タワー高さ表示岸沿いから、並行する一般道に入り、再びビーチラインにもとり飯岡を目指す。
この辺の電柱には住居表示とともに必ず海抜表示が入っている。
飯岡は、東日本大震災において、千葉県内で最大の津波被害を出した地域だ。多数の犠牲者を出している。
ビーチライン沿いに展望台のようにも見える建造物は、つい最近完成した『津波避難タワー』である。
13mの高さに100名が退避できるように造られたもので、通常時は立ち入りが出来ない。現在は2箇所だが、今後は更に増やしていくらしい。
残された鳥居じめてきた町だが、なんとなく新興住宅地のような風景で、古い漁港町の印象はない。
建っているのは、ほとんど震災後に建った家のようで、疎らなのは更地になって再建されていない空き地なのだ。
漁港に近いところ。かつては鎮守であったろう、残された鳥居が印象に残る。

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またまた、たまたま新兵器

パッド付きインナー2文しパッド付きインナー1ていたパッド付きインナーパンツが届いた。
『ハニカム・ゲルパッド付きインナーサイクルパンツ』。はにかみ屋のオヤジとしては、いかにもはにかんでしまう名前??である。

1年インナーパッド3前にパールイズミのインナーパンツを購入し、ロングライドのときは着用している。通気性はいいのだがパッドの厚みが何処も均等で幅もあり、ちょっと違和感があったり股ズレを起こしたこともあるので、今回新しいものを導入してみる。


インナーパッド1格的には、パールイズミのものより安価だが、パッドがマッチョ的デザインになっている。痛みの根幹である坐骨の部分がより厚くなっているので、今までより効果が出ることを期待している。着用前に一度洗うのだが、これを干していると、娘とカミサンに冷ややかな視線を浴びることになる。


インナーパッド2石にレーサーパンツ着用には抵抗がある。トイレもやり辛そうだし‥‥。インナーに普通のズボンのほうが、観光半分のユル系ポタリストには向いている。
それにしても目立つパッドである‥‥別に見せるわけではないが‥‥。お尻にサドルがくっついているみたいだ。

着用の感覚は、普通のスポーツインナーと変わらない。パールイズミのって、はいた瞬間から結構分厚いの付けてますって感覚がもろに来ていた。これは座ったり触ったりすると始めてパッド装着であることが分かる。これで効果あるのかなぁ?。

装着感は好いので、あとは目的である痛みの低減に更なる効果を期待するばかりである。

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livedoor プロフィール
愛車紹介
1.PRESAGE U31
愛称KARANO号
  :いまや歴史遺産となりつつある3.5L/フルタイム四駆。最近は金欠でタコメーターしか見なくなった我が家の軌道空母。2002年モデル。
2.MR−4
  :GIANTのロングセラーフォールディングバイク。リアドライブ・ミッドシップエンジン搭載??のコンパクトスポーツ。2010年モデル。

3.SOMA SAGA『嵯峨』
  :米国ソーマファブリケーションズのツーリングフレームに格安パーツを買いあさって組み付けたクロモリツーリングバイク。年式不明

4.トランジットセブン
  :今は娘の愛用となっている、BSの20インチフォールディングバイク。オヤジにサイクリングすることと、カスタムすることの両方の楽しさを教えてくれた逸材。2007年モデル。
  
5.ALPENCHALLENGE   AC02
  :レーサー志向の本格バイクを投入する『BMC』の珍しい26インチアルミバイク。ストックパーツを再編成して復活した我が家の最軽量クロスバイク。2011年FC前モデル。  
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