KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.今はなき我が愛車のニックネーム。歴史遺産。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 100m級の関東大型古墳完全制覇をサイクリングの目標としてきたが。目標達成後はE−バイクに転身。オフィス4階まで息切れして上る超弩貧脚がE−バイクで峠を目指す。

八幡山古墳日、朝湯に浸かってから早速出発。
今日のコアミッションも2つ。まずはじめに、関東の石舞台とよばれる八幡山古墳を訪れる。
藤原町の工業団地の中にある小さな公園にひょっと見、何かのアトラクションかと思える綺麗な造形の石積がある。かつては直径80mという大型の円墳だったそうだ。80mといえばあの「ワカタケル大王陵」といわれる高鷲丸山古墳より大きい!関東の石舞台
今は別名の通り石室が露出している。
さすがに本家石舞台ほどの迫力はないが、石室内は3室に別れていて結構大きい。この規模の石室で中をフリーに見学できるところって、意外と少ないのではないか。

八幡山から、次のコアミッションの稲荷山古墳を含む、さきたま古墳群に向かう。復元前方部より後円部を望む稲荷山古墳はオワケ臣の鉄剣で有名な、墳丘長120mの大型前方後円墳だが、以前訪れたときは円墳状態で、一部の復元工事が進行している最中だった。完全に復元された雄姿を見たかった。

将軍山を経由して、稲荷山前方部に行く。
復元された前方部に立つ。さきたま古墳群で最初に築かれた大型墳墓だ。さすがに圧倒される大きさだが、築造当時もこんな感じだったのだろうか?。築造当時は白亜の葺き石だったのではないか‥‥
丸墓山頂上より丸墓山
次に向かったのは直径105m、円墳としては日本最大の丸墓山。戦国時代末期、北条征伐で忍城攻略のための本陣と水攻めのための堤が築かれたまさに小山である。
丸墓山から稲荷山・将軍山を望む。かつてこの景色の正面数百mのところにも、若王子古墳と呼ばれた100m級の古墳があったそうだ。先ほどの八幡山古墳、稲荷山の前方部とともに、昭和初期に近隣の湖沼の埋め立てのために切り崩されたものだ。当時は文化財保護より生産力増強が求められた時代だ。

鉄砲山古墳二子山古墳墳丘長138m。武蔵国最大の前方後円墳、二子山古墳の優美な姿を見た後、109mの鉄砲山古墳の木陰で休憩。
自転車と比べると、古墳の巨大さがわかる。ミニだから墳丘が大きく見えるとか、700Cだったら小さく見えるとかいうレベルではない。

主要古墳9基を矢継ぎ早で見て廻る。さきたま古墳群を端から端まで歩くと結構しんどいが、自転車は其々の墳丘前まで乗っていけるので便利だ。

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今年こそは温泉宿泊輪行に行きたい‥‥
袋詰めMR−4購入丸1年目での目標だったが、その機会はいきなりやって来た。
行き先は埼玉。埼玉で以前より是非訪れたかった場所を巡る。
盆休みの決行3日前で宿と指定特急が取れるか不安だったが希望通りのものがあっさり取れた。
今回、最大の難関は、当然身体のことである。健康な人間でも熱中症になる猛暑。しかも目的地はほぼ日本で一番暑い熊谷周辺。しかも心臓疾患者は健康人より体温調節機能が落ちるという。激暑でのサイクリングは多量の水分と塩分摂取が必要だが、ポンプ機能が健康時の50%と医者に脅かされている。
一応秩父駅今回はけっして力まないこと。息を切らすライディングはご法度。水分は保冷ポットに入れて冷たいまま飲めるように。ためらわずに休憩をとる。今回の鉄則。
寄りたいところも絞り、行程も短縮した。
9:52西武秩父着の「ちちぶ7号」。自転車は後部座席の空きスペース、2列シートは結局最後まで一人掛けでゆったり。さい先はよかったが、駅を出た途端に熱波の歓迎。しかも養生の詰めが甘く、自転車はいたるところ傷だらけ。正直ローラーつきの純正バッグは重くかさばるだけで役に立たなかった。

旧秩父橋しょっぱなから暑さ朦朧。写真は撮ったがこれでは秩父駅かわからない。
行きたかった滝山ダムはカット。そのまま長瀞に向かう。秩父橋を渡り裏道を行く。旧秩父橋とその間に、先々代の橋台が残っていた。

実は、長瀞もすごい人手で断念。人盛りを見に来たわけではない。
国道の交通量を避け、早々に対岸に渡る。ここで長い上がり坂に遭遇。
自分のコンデションではやはりローが弱かった。もう少しローギアが欲しいところである。
休憩スポットの円良田湖に向かうも坂で断念。寄居の鉢形城を急襲することにする?!

鉢形城址鉢形城址。
長尾氏によって築かれたが、かの太田道灌に落とされ、扇谷上杉氏の居城となる。その後、要衝の地であるためか度々戦果にさらされ、北条氏邦の居城になって北条征伐を向かえる。
城を落としたのは本田忠勝の大砲の威力とも言われるが、結局は援軍の望みを絶たれた北条側が開城勧告に応じたに過ぎない。
身体的にも落城寸前なので、鉢形で昼食とクールダウン。

菅谷館跡次の目標は嵐山。寄居からR254バイパス1本。ここは広く路面状態もいい歩道が整備されているので、旧道よりも走り易い。
本日のコアミッション。菅谷館跡を訪れ、畠山重忠公に拝礼すること。
畠山重忠公。鎌倉武士の鑑といわれた義侠心の厚い豪傑である。当初平家側に属していたが、頼朝に仕えると多くの武功をたてた。頼朝の信任も厚かったが、その死後、幕府の乗っ取りを画策した北条義時の謀略と知りながら小勢で鎌倉を目指し、相模の二俣川で壮烈な戦死を遂げる。
畠山重忠公立像重忠公の立像が嵐山にあることを知ってから、一度は訪れたいと思っていた。
菅谷館跡が重忠公の館ということだが、現在残っている遺構は戦国時代のもので、立派な城郭とよべる規模のものだ。

像は小高い小山の上にある。拝礼して戻る際、階段では足を滑らせてこけてしまう‥‥、出発時に脚を攣って資料館で休憩する羽目になる‥‥
「鵯越の逆落し」で愛馬三日月を背負って切立った崖を下りた物語は、鎌倉時代に疎い自分でも知っている。
小心者で、自転車すら満足に担げない自分に「不甲斐なきものよ」と重忠公が一喝されたのだろう。

野本将軍塚古墳さて、猪木並みの気合を頂き(‥‥脚を攣ったら気合入れても痛くて走れん‥‥!)、次も外せないコアミッション、東松山の「野本将軍塚古墳」に向かう。
墳丘長115m。さきたま古墳の双子山・稲荷山に次ぐ県下(というより武蔵国)第三位の大きさだ。‥‥ただし東京都史跡台帳に載っている芝丸山古墳の墳丘長を125mとすると武蔵国四位となるが‥‥
築造は5世紀中から後半らしい。南関東の多摩川台古墳群からさきたま古墳群成立の過渡期あたりだ。将軍塚後円部やはり武蔵国造の乱の勢力図と関係があるのか‥‥
訪れたい古墳の条件の一つが墳丘長100m以上である。300年以上続く古墳時代では、背景や墳墓への考え方も変わるし、一概に大きさだけでは語れないが、さすがに墳丘長100mを超えると、現在の尺度でもその被葬者の威圧感をひしひしと感じるからである。

さて、前半カットで少し余裕があるので、宿に行く前に遠回りして小見真観寺古墳に足を伸ばす。
小見真観寺古墳は慈雲山真観寺の境内裏手にある。真言宗の真観寺の入口には二層の立派な山門がある。このような山門を見ると、「俺が山門の二階で寝ていると‥‥」というあの三船敏郎の椿三十郎のセリフを思い出してしまう。まあ、こんな立派なもんじゃなかったろうが‥‥
肝心の古墳だが、この時期雑木が生い茂り、夕暮れと重なってゆっくり探索できなかった。
墳丘長112mは立派なものだが、古墳の規模すら実感できなかった。石室もあるのだが、やぶ蚊の集中攻撃に早々の退散を余儀なくされる。やはり古墳散策は草木ぼうぼうの時期は避けるべきか?

湯本ホテル宿に着いたのは7:30を回っていた。湯本温泉ホテル。行田の古墳を廻るには最高のロケーションだ。しかも天然温泉とある。一応「温泉宿泊輪行」の名目はクリアだ?!
一日目は無事に宿に辿り着く。ここの茂美の湯は圧巻?行田にいることを一瞬忘れさせてくれる。
温泉三昧で明日に備える。

今日の走行82.4km



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たうろvsいちまるごTS−7のクランクを165mm→170mmに替えたが、1週間で元に戻す結果となった。
MR−4は標準170mm。今までの使用でも何等問題はなかったが、165mmにしたらどう変わるのかやってみたくなった。
衝動的に入手したのがFC5502/105クランクセットとBB−7700。

我が家のオペツールはこれだけ。オペツール今までスクエアカートリッジしか扱ったことがない。BB−7700はオクタリンクだ。今はこれも旧世代となったが、自分にとってはマニア仕様というか上級というか、いわゆる“おたくリンク”なのだ。

MR−4FのクランクセットはTRUVATIV TOURO(「たうろ」と読むのか?走りがらどうしても「通路」と読んでしまう)。何か、外見とネーミングの刻印が高級グレードっぽく見えてしまうのだが、実際バラしてみると、四角穴!これって普通のスクエアカートリッジじゃないの。スクエアカートリッジ
スクエア=廉価品ではないが、TRUVATIVっててっきり“ISIS(アイシス?クルマじゃないぞ)”だと思っていただけに気落ち。でもISIS自体どのようなものか知らない。“おたくリンク”の同類だろうが、素人には地図記号の工場と灯台の違いくらいにしかわからない。スクエアテーパーは水準点だ‥‥。
いずれにしても、冷静に考えればそれが当然。U10バイクなりの仕様なのだから。
      
BBシェルお掃除さて、気を取り直して、砂だらけのBBシェルをお掃除。
コッタレスクランクの脱着のコツは「こったらに‥こったらに‥」と呟きながらやること。
代用品の105クランクとデュラ・デュラ(懐かしい)のBB−7700。105といったらMR−4最上級グレードSEの標準装備グレードだ。
重さだけでもTOUROクランクセット・BBとで290gも軽い。これはすごい!

調整ミス?早速取り付け開始。でもオクタリンクの取り付け方が解らない。スクエアと違いコツがいるようだ。メンテマニュアル本とウェブログを参照して悪戦苦闘。左ワンが2mm弱飛び出している。
‥‥サイズ間違えたかな?

アウターチェーンリングが少し小さくなったが、バッシュガードはそのまま移植。せっかくの105チェーンリングが隠れてしまうが、チタンカラーのドライブラインバッシュガードはこだわりの一品である。
全て取り付けた後、手回しでギアの入りを確認。
なんかすごくよく回るけど、腐っても鯛なのか、単につけ方が間違っているのかわからない?

いちまるごちゃん本来はクランク長を短くするとどうなるかが変更の目的である。だめなら戻すことが前提の交換のはずだが‥‥、U品とはいえ、ガソリン満タン1回分の投資だ。茶店ランチ1回分のクランクと違って、笑ってあきらめるには辛い。
しかもノーマルにショックをうけただけに、ちょっと引返すのをためらってしまう。


‥‥この後、テストランも検証もなく実戦に突入することになった。
楽しみとともに一抹の不安。

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1年前MR−4FMR−4F ’2010が我が家に来て1年になった。
闘病入院中に雑誌を見ているうちに、次第に欲しい衝動に駆られ始めた。退院後、実物を目の当たりにして購入決定。

納車初日のMR−4F。納車前にオプションでつけてもらったA−CLASSとパセラブラックス以外はノーマルの状態。

フラットバーとりあえずグリップ・エンドバー・ミラーを新調。これが我が家流フラットの定石。
その後、サドルとペダル・バッシュガードを更に新調。




ブルホーン1年後、カマキリのようなフラットバーはカナブンのようなブルホーンになっていた。
ミラーを残してステムから上を一新。バーテープ感触の虜になってしまった。昔の車の太巻きレザーハンドルを思い出す。自転車のハンドルは、パワステに関係なく軽いからいい。?



現在温泉宿泊輪行に行くことを夢見て購入したMRー4であったが、今日もシートポストにリクセンカウルショッパーを背負い、巨大なチャイルドシート装甲を施した鋼鉄ママチャリ艦隊の砲撃を振り切って、大型スーパーの巨大迷宮のような駐輪場をすり抜ける。

野菜と惣菜と飲料を満載して、ドライアイスが効いてるうちに冷凍ものを家まで運べればミッションクリア‥‥!?。
ベジタブルなフォールディングクルーザー。
ライバルはあの名車エアニマルカメレオン‥‥!。
いやいや、今は当面ヤンママの乗るあのアンジェリーノアシスタである‥‥??

今年こそは、温泉宿でMRー4と一夜を明かしたいと思っているのだが‥‥

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どじょうすくい1今年もどじょうすくいのイベントに行く。
昨年の痛ましいどじょうの全滅がよみがえる。今年は家には持ち帰らないと心に決めたのだが‥‥。





どじょうすくい2会場は相変わらずの大盛況である。

どじょうすくいは流水をせき止めた池でおこなわれる。
せき止めから下流の人工小川は会場外。ここで群がる子供たちと堰をかわして場外に出てきたどじょうが、ほっと一息するところをすかさずゲットする。


どじょうすくい3早速2匹を捕獲。やはりどじょうは心が癒される??今年はうなぎがいない。高値のせいだろう。蒲焼対象がないので腹は癒せそうもない。
もしかして柳川鍋!という手もあるだが‥‥?。

どじょうを眺めていると、娘の持ち帰りたいという主張を拒絶できなくなってしまった。
結局、意気のいい5匹を選抜して持ち帰ることにした。
勿論、食べるためではない。


どじょうふたたび1あれから、すでに2週間が経過。

昼間、誰もいない部屋は灼熱地獄になっているはずだが、脱落者はいない。5匹とも元気である。




どじょうふたたび2また、いずれは5回の別れ(最大回数?)に涙する運命を自ら招いてしまったのだが、それまではまた家族の一員として少しでも長生きしてもらいたいものだ。

外部からは“柳川鍋”に‥‥、というおそろしい!(おいしい??)声もあったことを追記しておく‥‥‥。

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禁煙して丸一年が経った。正確には6.11入院時より喫煙していないのだが、退院の後、自宅療養後の社会復帰からちょうど1年になる。
会社は分煙が整っていない古式騒然&旧態依然のオフィスであるから、いわゆる受動喫煙無法地帯である。
その意味では厳密な禁煙ではなく、吸わないで平気なのは間接的にニコチンを摂取しているからかもしれない。

我慢するほどではないが、タバコが吸えないのは寂しいものだ。
吸えない辛さとの戦いはない。間が持てないこととの戦いが今後も続くのだ。

開放感のあるところ、むしろ空気がおいしいところでほど一服が恋しくなる。感動する景色の中での一服はいいものだ。そこでは時が止まる。しかし一服がないと、そこにとどまること自体が苦痛となるのだ。
水割りが水の美味さによる、ロックが氷の美味さによるのと同じで、タバコも空気の美味さによるものだ。
タバコを止めて以降、特にそれを感じるのは皮肉なものだ。
これからも当たり前のように禁煙が続くが、残念ながらタバコが嫌いにはなれそうもない。


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パレスサイクル7月初旬。この節電必須のなか、まさに天のあてつけとしか思えない猛暑が続く。家に一人でいると無駄な電気(今年はまだエアコンつけていないぞ‥‥というより我が家はもともとあまりエアコンは使わないが)を使ってしまうので、家族が帰るまで外出。パレスサイクリングに行く。今日は多少凌ぎやすいとはいえ、やはり午後の一番暑い時間帯のせいか、すいている。

レンタルサイクルもすいている。一昨年までは確かに赤のトランジットセブンが2台あったのだが、やはパレス自転車教室りなくなってしまっているようだ。
自転車教室もがら空き。まあ、こんなときに真剣に自転車練習をしていたら、熱中症のほうが心配になってしまう。
自転車教室の練習広場で昼食して少し流す。


パレスホテル建替気づかぬうちに、いつの間にか巨大なビルができつつある。
パレスホテルだ。来年リニュアルオープンらしい。前の建物だって俺より若かったのに‥‥
パレスサイクルとパレスホテルは、単に“王宮・宮殿”つまり皇居を意味している“パレス”の語呂が一緒なだけで直接関係はないようだが、“パレスサイクリング”とはとても粋なネーミングである。

石垣がない!内堀通り内回りにパレスホテルを過ぎたところで、突然濠の石垣がなくなっている部分があった。
我攻めをするならここだ!!‥‥?ではない。改修工事であろうが、石垣がどう復元するのか興味津々である。

祝田橋交差点から皇居外苑に入る凱旋濠のところにある“特別史跡 江戸城址”の案内板。特別史跡江戸城址よく来るわりには今まで全然気にしていなかったが、江戸城は国の特別史跡だったのだ。
都内には浜離宮庭園と小石川後楽園(遊園地じゃないぞ)とここの3箇所しかない。もし寛永の天守が現存していれば、間違いなく世界遺産である。
最近、天守再建が声高らかに叫ばれているが、天守自体は城の防衛上、さして必須のものではない。天守があろうがなかろうが、江戸城は世界屈指の城郭である。

古いものを否定して脱皮していくような東京であるが、さりげない昔を発見するのは面白い。‥‥超巨大な江戸城址がさりげない存在とは言いがたいが‥‥

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娘の自転車はラブソニック200。
親父に451化の火をつけた恐るべきジャリチャリである。ラブソニック
すでに3年たってだいぶ小さくなってきた。
そろそろ大きいのにしても良いかな‥‥

やはり知恵がついてきたか、変速機付がいいと言い出した。
ガールズバイクで変速機付は少ない。
サイズ的には24インチくらいは必要だろう。
しかしどうも日本のキッズバイクには頷けない。

重たいのだ、平気で15〜6kg以上ある。これが安全基準のためか、それともオーバーデコレーションのためか、単にハイテンのためかは解らない。しかも雨ざらしに近い駐輪場なのでテッチンはすぐ錆びる。

そんなこの頃、たまたま見かけたガールズバイクが気に入ったので調べてみた。
ホットロック24スペシャライズドホットロック24‥‥すぺしゃらいずド!へぇ、キッズバイクも出してるんだ‥‥
スペシャライズドとはBGコンフォート以来の付き合いだ。今もソノマゲルでお世話になっている。‥‥サドルだけなのだが‥‥

他にも調べるとルイガノ・ジオス・センチュリオン・トレークなど名立たるメーカーがキッズMTBを出している。
大体3万円台から4万円前後の価格帯だ。日本のキッズMTBよりはずいぶん高い。
しかし、パーツ自体はしっかりしたものを使っているようだし、アルミパーツが多い分錆びにくいだろう。
何よりも軽い。フロントサス付で12kg台だ。国内メーカーのものより4kg近く軽い。

カゴとライトとカギは最低限必要かもしれないが、まあ、本人がどう思うかはそれとして、自転車好きの親父としては、ホームセンターで売ってるオーバーデコレーションのテッチンガキチャリよりはこうゆうものに乗ってもらいたいところである。
親父がほれ込んでどうするんだというところだが、どうせお金を出させられるのはこちらだし‥‥
す、すぺしゃらいずド‥‥サドルだけはバッチリよさそうだ??

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カミサンの職場にアカショウビンがやってきた。あかしょうびん
以前はクワガタが迷い込んだり、カブト虫の採取ができたり‥‥
とはいえ、東京からの通勤圏だ、今はカエルがすごくうるさいが、自慢できるほどの田舎ではない。
外から飛んできて、入口のガラスに衝突し脳震盪を起こしたようだ。
手の中でおとなしくしている野鳥自体が珍しい。

あかしょうびん=アカショウビン カワセミの仲間だが国産野鳥?ではない。
夏鳥と呼ばれる渡り鳥である。
とてもこんな新興住宅地で見られる鳥ではない。

どこから来たのか?飼われていたのか‥‥
結局、飼うこともできそうにないため逃がすことにしたそうだ。
捕まえている手を緩めると何事もなかったように飛び去っていったそうだ‥‥

ここの職場は本当に自然の宝庫だ。

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悪夢の日、6.11/2010。
あの日、思い出したくもない苦痛で目覚めた朝。

あれから1年経った。もともとこの季節になると不調になるのだが、また再発するのか不安に駆られる。
心筋梗塞は1回やると再発する人はすくないとよく聞く。
確かにその通りだ。裏を返せば二度目を生き残れることが少ないということに他ならない。

とにかく1年生き延びたことに感謝。
最近少し不摂生が増えたかな。
この病はある意味虫歯と同じようなもの。歯科医で治療を受けても結して元の歯には戻らない。
心臓病もこの後、死ぬまでの付き合いだ。

一定の距離を置くか、すぐ傍にまとわり付くかは本人しだいというところか‥‥
そればかりでもないと思うが‥‥

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前回古隅田川とスカイツリーの位置について小論?を述べた。
その古隅田川は武蔵の国足立郡と下総の国葛飾郡との境界を為していた川である。
奇しくもこの川は現在の足立区と葛飾区の境界となっている。白髭から下の古隅田川支流は僅かながらの痕跡をたどれるに過ぎない。
区境を為すこの川の現在はどうなっているか、直にポタることにした。

古隅田川分岐点分岐点からの基点中川土手から下に続く道。
ここがかつての古隅田川本流の流路になる。
土手は護岸工事されて、水路の分岐跡はすでにない。


ありゃりゃ?ありおいきなりかいいきなりレジデンスのビルの谷間の遊歩道。ここが水路跡か?渋谷西武のビルの間を暗渠として流れる宇田川みたいなものか?
というより埋められているのだろうか?。道はアリオの出入り口に続いている。



環七を横切るアリオアリオを抜けて北上の北川の小さな公園から暗渠?化した遊歩道が続く。
北へ400mほど進むと遊歩道は東に向きを変え環七を突っ切る。この辺は本当に軒下を縫って流れたどぶ川のイメージだ。

西亀有4丁目付近曳舟川(暗渠)と交差軒下になったり、車道になったりした水路跡は、同じく暗渠となった曳舟川と交差する。70年初頭とはまったく違った景色だ。
アモール東和商店街と並行して南西に向かう。
このあたりは交差点の都度、かつての橋の名前が刻まれていて、水路であった軌跡を容易に追うことができる。

小菅4丁目付近西亀有2丁目付近(開渠)南に進路を変え、常磐線と交差する部分で川筋を一旦見失う。結局地図を追って500mほど進んで再び常磐線を越える。
この辺から初めて開渠となる古隅田川。この辺は水路と住人の距離がもっとも短いところだ。家の前に水路があって、橋を渡って道路に出る。近所の子供が釣竿を持ってザリガニ取りに来ている。水路と人の理想的関わりにも見えた。
東京武道館綾瀬駅付近暫く行くと再び古隅田川本流は暗渠化して、綾瀬駅の駐輪場となっていた。
古地図によると古隅田川は綾瀬駅の北川で弧を描いて再び南下する。
綾瀬駅北口の水路跡らしきものを辿ったら、東京武道館まで来てしまった。
これは行き過ぎ。再び地図で軌道修正。

綾瀬川と合流小菅4丁目付近2小菅4丁目から小菅交番付近にかけては、昔ながらの開渠がそのまま残っている。
やがて川は排水場にによって一旦終わり、綾瀬川に合流される。ここまで見てきても、かつて隅田川の2倍近い川幅があったとされる古隅田川を想像することはできない。



西綾瀬1丁目付近荒川と合流綾瀬川から分かれて、東京拘置所縁を流れる古隅田川。
この後も古隅田川は蛇行を続けて、隅田川神社の縁で、現隅田川し合流するのだが、足立区柳原にその痕跡が残るのみで、その痕跡は荒川放水路(現荒川)の開削で大きく変わってしまった。

古隅田川ルートかつて隅田川の2倍近い川幅を有していたという、利根川本流の古隅田川は現在の流路とはまた違っていたのだろう。
行程の多くが埋められて道路となっており、残った部分も人工的な水路となって、人々の暮らしに溶け込んでいた。

しかし、徳川幕府の利根川東遷事業以前は、利根川本流とされ、ここが古来からの国を隔てる大河であったのだ。




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亀井院しくもちょうど一年前の6月5日。印旛沼100km輪行をした日だ。
あの時、帰りがけに真間の井と弘法寺古墳を回り損ねたので、365日目に再チャレンジする。トラブル・リハビリ・仕事の不安を自転車で発散してきた、とても長い1年だった。1度きたところだ、道に迷わず市川の亀井院に。

今日は開いている。一言断って中庭にある真間の井を見学。
真間の手児奈が実際に使っていた井戸とも言われている真間の井。
手児奈は舒明天皇の時代の人だから7世紀中盤くらいの時代の人となる。

手児奈の井一説には当時は井戸でなく国府台台地の麓から湧き出る伏流水だったともいう。
手児奈にしても清廉質素だからといって、スリムで華奢だったとは限らないぞ。須恵の珠名に負けないボディコングラマーだったかもしれない。
スケベおやじの想像はそのくらいにして。現在の井戸を見学する。蓋が閉まっているが、すぐ横から地下水かはわからないが少量の水が湧き出ていた。

弘法寺仁王門真間の井を後にして、弘法寺古墳を目指す。前回は鐘楼堂のある小高い部分が古墳と早とちりしたが、弘法寺古墳は仁王門を登って左側奥の位置になる。仁王門の右側石灯籠が倒壊している。これも震災の傷跡か。




弘法寺古墳弘法寺古墳。
全長43mの前方後円墳とのことだが確認はできなかった。
案内板は確かにあったが、進入禁止の立て札の支えにされており、前から見たら絶対わからん。

真間山古墳については鐘楼堂のある部分と、弘法寺境内祖先堂東側説がある。祖先堂東側にも円墳状の盛土がある。いずれにしても墳径20mの円墳で崩壊もひどい状況だ。一応祖先堂東側の円墳状の盛土も確認してきた。

弘法寺・真間の井ルート1年前のこの日は手児奈霊神堂から、自宅への帰路に着いたが、今日は時間がある。いずれにしても1年越しで印旛沼サイクリングに一応の決着が付いた。


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R51はまなす公園展望塔は大型車が猛スピードで走ってくるので自転車には怖い道だ。歩道は側溝を暗渠化したものが多 く、ただでさえ走りづらいのに、先の震災でか、再舗装が必要な部分がいたるところにある。
トランジットセブンにすればよかった‥‥そうゆう問題では ない!
すぐに、“大野潮騒はまなす公園”入り口交差点が見えてくる。
ここで少し休憩。美術館と資料館があるので入ってみる。入館料300円也。貢献できればお安いものです。
まあ、平日のせいなのだろうが、ここでも貸切であった。塔の中
展望台に登ると、先ほどのヘッドランドと白い砂浜がよく見える。
ヘッドランドも人工ではあるが一定の環 境保全には役立っているようだ。
堅牢に見える展望台。中は鉄骨で組んだ螺旋階段にパネルを張った簡単な構造だった。
大野潮騒はまなす公園 はプラネタリュウムや、丘の縁を利用したロングスライダーなどもあり家族連れにはおすすめだ。
またR51に戻るのも怖いので並行する裏ルートから いく。こちらは車はすくないが、路面状態は未舗装路に近い。但しこれは震災の影響というより、もともと定期補修せずにほったらかしていたという感じだ。

鹿島サッカーミュージアム突然スタジアム長閑な畑と雑木林のなかの一本道を進むと、いきなり視界に飛び込んできたのが“カシマサッカー スタジアム”。
これもミスマッチ度でいくと、下町のスカイツリーといい勝負だが、近年はこのようなミスマッチが今風の景色として自然に受け入れられるのかもしれない。

鹿島神宮の森スタジアムから1.5kmくらい市内に向かうと鹿島神宮がある。
神宮の森に続く道に、 何気なく入っていくママチャリ軍団につられて入り込んだが運のつき。24×1タイヤでは走ってはいけない道であった!
引き返そうかと思ったが、人 気の少ない深い森の空気は気持ちがいい。押して歩く。


鹿島神宮御手洗池の崖の上を通り、奥宮から本殿に至る。個人的に鹿島神宮に来るのは十数年ぶ りだ。しかも自転車で来るなど夢にも思わなかった。
鹿島神宮を参拝して帰路に着く。
ここから北浦を渡ると潮来バスターミナルまでは僅かの道程だ。


無事ランデブー潮来バスターミナルに着く。東京行きのバスが出て行く。あれに乗れれば高いびきで帰れるのに‥‥

ホント未舗装道路みたいなところばかりだったが、トラブルなく頑張ってくれた“パセラブラックス24×1”に敬意!



CIMG2617走行距離   45.3km 往復の運転がなければ楽勝だったのに!
'AVG速度   15.6km/h
最高速度   38.7km/h

‥‥心地よい疲れ、家に帰ろう‥‥
某ミニベロバイクのキャッチコピーである。
そう行きたいところだが、心地よくない〜!
オマタが痛い〜



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潮来を後にして、次のポイント北浦大橋に向かう。鹿見塚古墳
このあたりも古墳が多くある。図らずも進路上にいくつもの古墳があった。
その中で目に付いたのが“鹿見塚古墳”全長58m。茨城では舟塚山・梵天山や愛宕山など、あの埼玉古墳群すら大きく凌駕する古墳が存在する中ではちょっと小規模だが、この地区に勢力を持った首長層の墳墓であろう。

北浦大橋へ大賀交差点北浦へを左折し矢幡十字路を右折し、小高い丘から一気に北浦へ向かって降りていく県道。
本当はここでとまって写真など撮ってはいけない。坂を一気に下っていくと、山が開けて、右手に北浦を望み、左手奥に美しい北浦大橋が目に飛び込んでくる。
この辺ではもっともお気に入りのスポットである。北浦

北浦、面積約36平方キロ、最大水深7m。わが国で15位の湖である。でかい!
ここもかつては、西浦を中心に、印旛沼・手賀沼・蘭沼(消滅)などを含む香取大海(最大時の大きさは琵琶湖に匹敵)という内湖を構成する入江だった。
数年前に訪れたときは、この坂の両脇はきれいな花畑だった。なぜかなくなっていたのが残念。
北浦大橋を渡る。この美しい橋も震災により欄干の一部が崩れ落ちていた。
北浦大橋から直進して、鹿島大野からR51をはまなす海浜公園に向かう。
海じゃ!途中、強烈な海の匂いに誘われて、亀裂だらけのわき道に入る。
“うっ、海じゃぁ!外海じゃぁ!”
おやじの海は“ちがさき“などではない。なんといっても“ちばらぎ”である。
夏の音楽といったら、チューブでもサザンでもない。定番のレガシー・オブ・ユー(ちばらぎに似合うかはこの際問わないでいただきたい‥‥)

かつて鹿島灘には鹿島砂丘と呼ばれる、九十九里に匹敵する広大な砂浜が永遠と続いていた。しかし鹿島港の造成を堺に急速に砂浜は消滅した。沖に突き出した防波堤が砂を育む潮の流れを変えてしまったのだ。
ヘッドランドここでも自然破壊の生見本を垣間見ることができる。
今の鹿島灘には“鹿島ヘッドランド‥‥遊園地ではないぞ‥‥”と呼ばれる人工の岩礁岬が一定区間に作られている。これは波の特性を利用して砂浜を再生する効果があるのだそうだ。同じ理屈は葛西臨海公園にも生かされている。
6月初旬の海は人影も少なくのんびりするにはいいポイント。
しかし、いま津波警報が出ても逃げるところがない。とりあえず早々に退散する。
自転車にもよくないし‥‥


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マイカー輪行ちょうど丸1年ぶりの輪行ポタ。
場所は奇しくも1年前の印旛沼の対岸の水郷地帯。但し、今回はマイカーによる輪行になった。(注‥‥基本的には輪行の定義は公共交通機関による移動を言う。マイカーは狭義では輪行とは言わない‥‥まじめな話)

鹿島方面は高速バスを使うと家からのアクセスはとてもよい。しかし残念ながら高速バスへの自転車の持ち込みはほとんどが禁止である。これは自転車乗りにはぜひ緩和していただきたいところだ。

ここも例外ではないのだが、“潮来バスターミナル”に隣接して1日500円の駐車場を見つけた。東関道潮来ICの前にあり、アクセスもよい。

準備よしスペクトラムパトロールカー?バスが使えず、バス利用者のための駐車場を使ってマイカー輪行とは皮肉なものだが、折りたたみと梱包に気を使わないというのはマイカーの利点である。
ただカーゴにポイ入れされているだけの可愛そうなMR−4。楽でいいのだが、ブルホーンにしてからはエアー抜きをしないと前輪が外せなくなってしまったのが少し面倒になった。

傷跡2傷跡1まずは有名なあやめ園から行ってみよう。
バイパスは車通りが多く怖いので裏道に入る。
裏道に入るまで気がつかなかった。この辺の道は、いまだ震災の傷がそのまま残っているのだ。この周辺もかなり被害の出た地域だったのだ。
家々の屋根にも未だに残るブルーシートが痛々しい。

ここにきてまず思ったこと。“MR−4じゃなくて、前後サスペンション付きでタイヤも太いトランジットセブンにすればよかった”‥‥ちがうだろ!!
少しでも、地元にお金を落として復興のお手伝いをすること。まあ、手持ちの予算には限りがあるが、きた以上はそれくらいはしよう。

貸切?十二橋めぐり遊覧船と、言うことであやめ園の周りをうろうろしていたら、早速遊覧船のおばちゃん(否々、娘船頭さんというのだ‥‥)に声をかけられた。
十二橋めぐりの遊覧船。一人貸切ではもったいないが、先ほどの誓いもあり、お願いすることにした。結局3,000円にしてくれた。‥‥カミサンと娘がいないのが残念だ。

前川水門橋前川十二橋水雲橋今日は平日だが、週末になると嫁入り舟のデモンストレーションがあるのだそうだ。
こちらも見たかったが、何よりも水雲橋や思案橋などいくつかの橋はいまだ震災の影響か通行できない状態になっていた。

あやめ園あやめ(花しょうぶ)は今週末から来週くらいが見ごろか。
娘船頭さんのおばちゃん?も震災の被害と客足をこぼしていた。
今日も国会議事堂児童館では、被災地無視の茶番のおゆうぎかいが開催されている。主役のなおとちゃんはなかなか演技もお上手でほめてあげたいところだが、いっそ衆議院全員が潮来で大宴会をやっていたほうが、地元の復興にはやくだつはなぁ。それを各地の被災地巡回でやったほうが復興はよほど早かったりして‥‥。
いずれにしても週末はたくさんの観光客が訪れることを願う。

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親水公園江東区に住むようになってから、川に興味を持つようになった。区が親水事業に積極的だからか、あるいはもともと水とともに生きてきた当地のエキスがよそ者の自分にも浸透してきたのか、川を身近に感じるようになった。
江東区・中央区はかつて東京のベニスと思えるように川が縦横に流れていたという。今の住処もミニウォーターフロントとはいえる。
江東区民になったときはすでにほぼ現状の河川整備が出来上がっていた。
大きな川は資料や痕跡で在りし日を想像することができる。しかし、資料にも地図にも載らないような水路‥‥通称どぶ川はこの辺にもたくさんあったはずだ。

もともとは葛飾区出身ではある。生家はいまはない。区画整理が進み、この辺だったらしいということしかわからない。幼少をすごした祖父母の実家もすでにない。CIMG0473
当時家の周りにはいたるところに溝(どぶ)があった。どぶ川と呼ばれた生活廃水路‥‥本来はそれだけではないのだろうが。‥‥幅は1m〜2m程度のものから地図にも載る3m〜4m程度の水路まで町中に張り巡らされていた。車1台もすれ違えないような道に面したどぶ川。家に入るためにいくつもの橋が架かっていた。
小さなどぶは町の中を迷路のように這って水路へとつながる。
水路はいくつもの街や田畑の間を縫って更に大きな水路や川に注ぐ。

現在、訪れるとそこは拡張した道路になっていたり、細い軒下の路地となっている。引っ越す当時に残っていたどぶ川も100%といっていい状態で暗渠化(‥‥というと地下水路が生きているようだが、実は下水管を残してすべて埋められた‥‥)された。
どぶ川は臭く汚かった。身近にあるにもかかわらず、そこで遊ぼうとか、川を楽しもうという発想はなかった。当時は曳舟川どころか綾瀬川ですら“キング・オブ・ドブガワ”と思えていた。
幼児の安全対策の問題もあったし、道が狭く車とのすれ違いも大変だった‥‥今より車はすくなかったし、小さかったが‥‥。どぶが埋められることに然したる抵抗もなかった。

それから暫くして、環境保全の一環として下町のいたるところで親水公園化が進んだ。
でも、本来の環境浄化とはちょっと違うんじゃあないかと思うのは自分だけか‥‥?
下町が下町らしくなくなったのはどぶ川がなくなったせいでもあるのではないか?
汚いどぶを埋めて人工の清流を創るのではなく、家の前を流れていた水路。家の軒下を蛇行するように流れていた水路。本来あった水路に清水が流れるようになることが、本来の河川清流化事業ではないのか。
水路は危険をはらんでいるのも確かだ。しかし危険だからといって全てを排除する理由にはならない。
なぜなら、危険を危険と認識できない子供、そしてそれ以上に危険因子の減少により子供に対する危険回避の監視を怠る親が増えたことのほうが遥かに社会にとって危険だからだ。
また、開渠となることで新たに環境問題が浮上するリスクもある。排水溝ですらゴミ捨て場だと思っている輩が多いからだ。
そしてこれがもっとも問題になるだろうことは、街中を流れる水路に水を満たすには、ポンプによる人工水流といくつもの浄化設備が必要になること。ただでさえ省エネが叫ばれる時代、エネルギーの浪費以外の何者でもない。完璧といえる排水網を手にした下町は、すでに自然に水が流れる土地ではないのた。海水面が天井くらいの高さなのだから。
残念ながらただ溝に水を通すだけでは、以前の不衛生などぶ以上に悲惨な状態になってしまうだろう。
水と調和した暮らしなどとお題目は唱えているが、水はそれだけ人蟹のいる都心の川々から遠く隔離されてしまっているのだ。

家の前を流れる極普通の開渠で、生き物と共生できる町並み、水路を挟んだ道端でおばちゃんたち(最近はヤンママか)が会議をするような風景は、もはや原発に頼らない電力確保より世迷言なのかもしれない。少なくとも日本橋の上に首都高が走っているような無粋な都市開発が、現在もその延長であるうちは‥‥。



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さて、古地図教科書では教えてくれない郷土史?について、自身についての何らかの結論を出さないといけない。
前稿にて徳川幕 府開府以前の隅田川は河口の手前で三筋に分かれていて、本流は現在の首都高向島ランプから鳩の街に沿って横十間川筋に向かって流れていたのではないかとい う疑問を提起した。
しかし、両国橋の存在を合理的に解釈できない以上、本流は現在の流れに近いものだったと仮定せざるを得ない。
スカイツ リーのある付近は徳川幕府による国境の東遷により、正式に武蔵国足立郡に編入されるが、それ以前は不明としかいえない。
“東京スカイツリーが立つ エリアは、歴史をひも解くとかつては武蔵の国でした。”という一文には“古代から中世にかけては下総の国だったが近世になり武蔵の国に編入された。”との 注釈が必要なようだ。
では、我が家のある旧城東区はどうなのか。城東区を構成する亀戸村・大島村・砂村を構成しているのは武蔵国葛飾郡。これは近 世になって下総国から編入されたものだ。隅田公園
そう、もともと葛飾郡は近世になるまでは全て下総国だったのだ。
葛飾出身者と しては今の住処も武蔵国であるというよりは下総であるという方が愛着がある。

下総を含む房総(ふさ)の国は古代より、交易や水産業で繁栄した海洋国家郡があった。小さな国が犇いており、いわば韓国の加羅諸国の様相を呈していたと思 われる。関東では埼玉古墳群が有名だが、小国家郡でありながらこの房総の国はそれより2世紀も前から、質・量ともにそれを凌駕する大型古墳が多数存在して いるのだ。
後世には平将門という関東の勇も生んだ下総。
先祖より下総人の血も受け継いでいるおやじとしては、下総人であることをもっとエンジョイしたい。
船で河川や島々を自由に渡り交易した人々のライフスタイルが、車で巨大ショッピングモールを渡り歩いて買物をする現在の下総地区のライフスタイルに受け継 がれている。
そう、これが東京県人化として皮肉のネタにもなっている下総のライフスタイルなのだ。


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武蔵と下総の国境に位置する川“古隅田川”

問題はその最下流部である。

綾瀬川と交差して現在の隅田川に合流した後の古隅田川は現在の流路をたどっていたかということが次のポイントとなる。

 

牛島神社牛島・京島・寺島・向島・柳島、この界隈は島の着く地名が多い。島の付く地名は過去に本当に島だったケースが多い。このあたりは江東 デルタの前身の隅田デルタというべき湿地帯だった。古地図を検索すると白髭より下流の隅田川は三筋に分かれていたようだ。

ある説には 現隅田川はかつての支流で本流は別だったというものがある。隅田川が多様な呼称を持っていることがその名残であるという。


牛島堤?1,600年前後に西側の宮戸川を本流として古隅田川本流は牛島堤の築造により遮断された。現在の墨提通りは市街地より高い場所にあるが、これがかつての牛島 堤の跡とも思える。遮断の理由は江戸の都市計画の一環としての新田開発といったところだろう。




隅田川支流(旧本流?)分岐点分岐点は現在の首都高6号上下向島ランプにまたがる付近だったようだ。何か現在にその痕跡がないか地図を眺めると、首都高6号高架下の堤通公園という小さな交通公園がある。






墨提通り向島入路付近

ここから隅田川の緩いRを南南東にたどると、墨提通りの首都高向島入り口交差点から2筋の道が押上・業平方面に伸びている。

 






鳩の街ひとつは細い商店街、 鳩の街。かつては玉の井ラビリントと並ぶ特飲街(昔は赤線と言った)だった。もっとも当時はカフェ街とか洒落た名前で呼ばれていたようだが‥‥

この通り沿いには、古さの中にもちょっと洒落たつくりの家がまだ残されている。州崎パラダイスではもうほとんど失ってしまった、当時のいわゆるカフェのなごりである。実はこの商店街と並行する路地が、古地図で見るとかつての水路跡の ようだ。国境の道?鳩の街商店街の道はほぼこの水路跡と並行している。この道は墨提通りから押上をぬけて十間橋の袂まで伸びている。この流れはそのまま 現在の横十間川となり河口となる。






名所江戸百景柳しまここも名所江戸百景のひとつ“柳しま”である。

柳島の歩道橋から望むスカ イツリーは、今でも東京百景におすすめしたいポイントである。







もうひとつの道

さて、もうひとつの道は、ほぼ南に伸びて曳舟川通りと並行する。








向島2丁目付近この先にあるのは大横川である。

この横十間 川へ通づる流れが江戸時代以前の隅田川本流だったかは不明だが、横十間川と大横川は当時の隅田川の河口デルタを利用して整備されたとすると、合点すること が多い。









北十間川樋門ここはつい近世まで国境のなごりが残っている。本所区と向島区の境界、そして深川区と城東区の境 界である。本所・深川は古くから江戸市街とされてきたが向島区と城東区は1,932年まで南葛飾郡であった。このような境界はかつて大 きな流れによって地域が分断されていたことのなごりと思われる。



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スカイツリーの高さ634mの由来は“武蔵”から因んでいることはあまりにも有名。

公式H・Pでも建設地点はかつての武蔵の国だったとして、“武蔵の国を望む”と謳ってい る。

浅草から隅田川越しにリバーピアとコラボするスカイツリーは今や絶景のスポットである。

しかしちょっと待て、隅田川を越えたら“下総”じゃないの。両国橋かあるじゃないか?

“かつてと言うならあそこは下総だったのでは?”という素朴な疑問が浮かぶ。

どこに建とうが“武蔵”が日本人の心に響くものの代表として語呂合わせされているのならなんら異議はない。“シモウサ”では数字の語呂合わせができない。

ついでに“ムサシ人”より“シモウサ人”たりえたいおやじの我が家はどっちに属するんだ?という今ではどうでもいいような問題にも一応の納得を得たい。

はっきりと武蔵・下総の境界線が今の地図ではここですよぉ〜と言う公式見解があればそれでオールクリアであるが、平野部の河川を跨ぐ境界はその時々の地形の変化によって変わってしまう。しかも都市部では人工的な変遷も加わる。時代をさかのぼるほど、現在の地図上に“ここが過去の境界です”と明確にマークすることはできなくなる。

 

歴史・地理は好きであるが、文献を掘り下げていくほどマニアックではない。厳密な定説がなくても、ビジュアル的なもので当時を垣間見るものを探して、自身で納得できればいい。

 

さて、問題の両国橋。

両国橋の由来は武蔵国と下総国の境界に掛かる橋だから。これはみんな知っている。

とすれば、両国橋が架かっている現在の隅田川が武蔵国と下総国の境界といえる。

となるとスカイツリーが武蔵であるためには

1.両国橋ができたあとに武蔵・下総の境界が変わり武蔵となる。

2.隅田川本流の流れが、両国橋より上流はツリーの東側にあった。

3.両国橋の両国の意味が武蔵・下総を表すものではなかった。

4.両国橋の位置が現在と当時では別の場所であった。

のうちのどれかが当てはまる必要がある。

正直3.と4の可能性は低い。

2についてはブログ等でも紹介されている。別の意味でも興味深い説だが、現状ではその痕跡を求めることは非常に困難である。

 

両国橋結論か らすると、実際1の説が正しいようだ。

両国橋が架けられたのは1,659年(諸説あり)。その後、利根川水系の大幅な開削変遷があり、国境が江戸川(これもおそらく現在の江戸川ではない)とされるのが1,686年。この年から押上は歴史上の武蔵国となっているのだ。


では、それ以前はどうだったのか?下総だったのか、それともやはり武蔵だったのか?

古代の行政区分より、武蔵国と下総国は“古隅田川”という川が境界となっていたということである。

古隅田川は現在でも埼玉県(旧岩槻市春日部市付近)と東京都(葛飾区足立区付近)の2箇所に存在する。かつての利根川本流とされていたが、大落古利根川が旧利根川本流となり、中川の流れが確立されると上流部と下流部に分断されて小河川化した。

 

下流部の東京都内の古隅田川は葛飾区足立区の境界をなし、一部暗渠や埋め立てが行われていてもその痕跡を追うことができる。現隅田川との合流付近は荒川の開削によって大きく変わってしまったが足立区の一部にそのなごりを見ることができる。



埋没古隅田川跡

東武牛田駅ホーム下にある不思議なガード。

古隅田川が小河川化して流れていた証し。








旧綾瀬川

これは荒川開削により分断された綾瀬川の名残









隅田川神社隅田川神社。歌川広重の名所江戸百景にも登場するかつては水神森だった。描か れた当時はすでに武蔵の国になってたようだ。この水神森に面した位置が古隅田川の河口だったと思われる。






鉄門

隅田川神社の鳥居。後 方にある巨大な鉄門は震災などによる大火から避難場所を 守る防災用の扉だ。








カネボウ跡地

墨提通り沿いの煉瓦塀。カネボウ東京工場跡地。

“カネボウ”は鐘ヶ淵紡績の略。今は鐘ヶ淵の地番はなくなってしまい、駅名な どにその名を留めるだけとなった。

だから“クラシエ”なんて変な名前に変わったわけではないだろうが‥‥




古隅田川1a

古隅田川流路を古地図で追うとこんな感じ





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こどもの日、家族で出かるつもりが、当のこどもが朝寝坊。
雲行きとあいまってお出かけは中止。今日も買物してくる条件でポタに出る。3日連荘となった。
浅草寺五重塔流石に3〜4時間30km程度の範囲は行きつくしてしまった。
昨年3月の城北ポタで行き逃した赤羽の稲付城址へ行ってみる。
言問通りを通りながらはたと気付く。浅草寺の五重塔も再建とはいえ“江戸四塔”だ。ちょっと寄って撮っていこう。
正面からは過去に何度も撮っている。裏手より撮影するとツリーも一緒に入る。
現在の塔は1972年建立、高さ53mの鉄筋の巨塔だ。再建前の五重塔は1648年に建立された高さ33mの木造建築(当然だ)で戦災によって消失してしまった。

東京3大タワー?フォトポイントのすぐ裏から花やしきを抜けると旧六区のブロードウェイに出る。
このブロードウェイの突当りが“パチンコサンシャイン”。そしてその入り口横に小さな案内板。
この辺がかつての巨塔“浅草凌雲閣”十二階の跡地だ。
在りし日の十二階の写真を埋めた案内板の上のポスター!
東京3大タワーとして、凌雲閣・東京タワー・スカイツリーが掲げられている。
凌雲閣は入る資格は十分ある。市谷防衛省の電波塔はこの際どうでもいい。
でもスカイタワー西東京はどうなんだ。西東京市も東京だ‥‥今は。
五重塔は“江戸四塔”といわれている。東京4大タワーとこじつけて、隠れファンである“田無タワー”も入れてやってくれ。

天王寺五重塔址この連休中に“江戸四塔”の3つを写真に入れた。この際残るひとつももう一度見に行こう。
残念ながら残るひとつは現存していない。
天王寺五重塔、幸田露伴の小説で有名な通称“谷中五重塔”。1791年建立、高さ34mで江戸四塔のなかでも一番高い塔だった。
震災・戦災にも耐えたが昭和32年の有名な心中放火事件で全焼した。以前より再建が望まれているが、今日まで再建されていない。

名主の滝公園1男滝目的の稲付城址に行くまで寄り道だらけ。
飛鳥山公園の博物館の喫茶コーナーで軽食を取ってもう一箇所寄り道。
名主の滝公園。都区内に現存する自然の滝は等々力渓谷の“等々力の滝”とここだけだと思っていた。
滝は枯れていた。最近は開発でほとんど湧水の量が減ったのだろうと思っていたら、なんと!!
”節電のためポンプを止めている”とのこと!
名主の滝はもはや自然の滝ではなかったのだ!知らぬまま通り過ぎればよかった。
等々力の滝の明日の姿か?もしかして等々力の滝もそうなのか‥‥??

稲付城址色々あってやっと稲付城址にたどり着いた。
赤羽駅南口から僅かのところにある、突き出した丘陵地。今は静勝寺の境内になっている辺りが、かつての稲付城である。
横の急坂を上がると山門の横に出られる。
稲付城。太田道灌が築いたというが、定かではなく、時期も不明だ。
もともとこの地域は名族豊島氏の勢力圏だったはずで、豊島氏と道灌が対立関係にあった時期に築城されたとは思えない。豊島氏の滅亡以降の築城か、あるいは豊島氏が築いていた砦を後に道灌が接収して増強したものかもしれない。静勝寺
道灌の死後20年ほどで、道灌をともらうために城址を寺にしたのが静勝寺の縁起であるとされる。
しかし文献では道灌の子孫が後北条氏に使えてここを居城にしていたともある。また遺構や発掘物の調査では、城は天正年間まで使われていた見方もある。
山門から直進したところ、写真の本堂の左手に道灌堂があり、写真でおなじみの太田道灌の木造が安置されている。
道灌堂の写真も撮ったのだが、真直ぐに撮ったつもりが、かなり傾いていた。
以前豊島氏に好意的なブログを書いたので、道灌によく思われていないようだ。
一礼して早々に退散する。
坂でチェーンが絡まり、手を油で真っ黒にした。やはり招かれざる客であったようだ。

最後にツリー帰りは北本通りから明治通り、白髭橋を渡り隅田川左岸を南下する。
北十間川河口から東武伊勢崎線高架とスカイツリーを撮影。
塔に始まり塔に終わるポタになった。
馬鹿な親父は高いものがお好き??なのだ‥‥。

本日の走行 40km
平均速度   14.6km/h
最高速度   30.3km/h

5月とは思えない寒い日であった。

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土産物の商品名みたいである。
昨年10月に開港した国際線ターミナル内にある“E・DO MARKET PLACE”なる複合施設に食事に行く。
現地で友人と合流する約束になっているので、早めに出発して都内をうろつきながら行くことにした。
towerとkoinoboritokyo-tower天気予報は午後に雨30%。一抹の不安を感じつつ決行。
やはり近くを通ったらここを参拝せずにはいられない。
“東京タワー”。もちろん今日のお供は“TOKYO  TOWER”である。

品川付近で迷子になりつつも、何とか定刻前に羽田に着く。
羽田国際線ターミナル国際線ターミナルへのアプローチは事前に調べておいた。
ターミナルビルの前で記念撮影。
空港に自転車でいけた証拠??になる。
友人H氏のルイガノCEN。
しかし、つるんで来たのに、何でこんな離れた場所で別々に写真撮るのかねぇ‥‥お互いに。
写真を撮っていたら警備員に呼び止められる。“駐輪場がありませルイガノCENんので、いったん帰宅して公共機関でおいでください”‥‥!!
“あれは何なんだ!?”と後方に群がって停めてある自転車群を指摘したかったが、野暮はいけねぇ。大切な同志の私設駐輪場?である。
はいはいと素直に退散して裏から周ってそこに停める。

E・DO MARKET PLACE国際線ターミナルは初めてだが、BIGBIRD(セサミではない)と比べるとこじんまりしたイメージ。
4階にある“E・DO MARKET PLACE”は観光客でごった返している。
なんか深川江戸資料館や江戸東京博物館に来ているみたいだ。
食事処は何処も長い待ちなので、ここでの食事を断念。到着ロビーのサンドウィッチと珈琲で済ます。

本門寺五重塔雲行きも怪しいので、再開を期して早々に解散。
行きに迷子になった池上本門寺に再挑戦。GPSを頼りに行くと、目前に立ちはだかる“めぐみ坂“。心臓病患者には文字通り心臓破りの、名前に似つかぬ急坂。
坂を登りきった墓地の中にある池上本門寺五重塔。高さ31m、1608年の建立。桃山時代の様式で、関東に現存する塔の中では最古の部類に入るそうだ。
帰りもめぐみ坂。下りの恐怖に比べれば、先ほどの上りの苦痛は心臓には優しかった!
鈴ヶ森刑場跡
第一京浜に出て鈴ヶ森刑場あとに行く。天一坊や八百屋お七が処刑されたことで有名。
合掌してから一枚。
ここで写真を撮ったのが怒りに触れたか、ここを出てすぐに本降りの雨に祟られた。
やむ気配がないが、もともと“雨天に乗らない主義”なので雨具を持参していない?幸い溝付きパセラブラックに変えているので雨天のグリップはよい。

小名木川河口とりあえずどうしようもなくて、全身ずぶぬれになってからCVSでかっぱを購入。今更ながら防寒対策に着る。
小名木川河口の萬年橋。家まで僅かであるが、あずまやがあるので少し休憩。

帰宅したのは17時をまわっていた。またすぐ出かける用事があるので、全身着替えて風邪薬をばかばか飲む‥‥!。市販の風邪薬に予防効果はないのだが‥‥

ルート本日の走行  69km
平均速度   16.7km/h
最高速度    36km/h
(めぐみ坂ではない絶対に!)


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上野動物園に行く。
“家族で動物園へ行こうか”と思ったとき、一番近くて安いのがUENO ZOOである。入園待ち
しかし問題が‥‥。上野はいまパンダでフィーバーしている。パンダに会いに行くつもりはなかったが、パンダラッシュで混んでいるのも困るなぁ。
しかし、遠くに行くのはめんどくさいし、交通費等考えても一番安上がりだ。何より親父は帰りに御徒町周辺のチャリンコ屋を寄り道して帰るという魂胆もあった。
すでに入り口のかなり手前から長蛇の列。入る前からこの混雑ぶりである。入園制限等もあり、入園までに1時間弱並んだ。

パンダ行列中に入るとすぐパンダ行列。2時間以上待ちらしい。
初代パンダが来たときもすごかったが、こんなに待ったかなぁ?
パンダはつい最近(親父の“つい最近”は5〜6年以上前だ)見に来ているので、今更に見たいわけでもない。

他の動物たちの写真も娘に任せて、親父は少し異端なところを見て周る。

寛永寺五重塔なぜか園内にある寛永寺五重塔。
江戸四塔のひとつで、高さ33m。1639年に建立(再建)された。今は東京都の管理となっているようで、全容が見れるのは上野動物園の園内側からになっている。
当時は、不忍池の畔から今の上野公園のほぼ全域が寛永寺の境内だった。



園内のほぼ中央部に供養碑がある。慰霊碑動物慰霊碑
上野動物園で亡くなった動物たちを供養する慰霊碑があった。
リボンの上にとまっているフクロウは動物の霊を見守る象徴だそうだ。
花子とかランラン・カンカンとか特定の名前が載っているわけではなく、戦災・病死を問わず園で亡くなった全ての動物の慰霊碑となっている。慰霊碑の裏に多数の慰霊塔が建っていた。

バイソン自転車に託けてブルホーンの記念写真を撮りたかったのだが、肝心のブルがいなかった。否、バイソンがいた。立派な?ショートタイプブルホーンである。先端にベルとミラーを付けたいくらいだ‥‥?。



弁財天動物園の帰りは、不忍池を周って御徒町へ。
弁財天の出店でバナナチョコと“喜多方ラーメンバーガー”なるものを買って池の畔で食べる。このラーメンバーカー、美味しくてそこそこボリュームがあるのだが、食べ辛い。


不忍池きぬやホテルの裏手付近から池之端方面を望む。
子供のころは、弁財天の夏祭りによくつれてきてもらった。回り灯籠を買ってもらって、家で灯すのがとても楽しかった。
夏祭りも家族で来たいが、今年の夏は池を縁取るぼんぼりや提灯は点くのだろうか?

お土産さてさて、結局(予定通り?)パンダは見ないで帰ってきたが、パンダの土産だけはしっかり買ってきた。
向かって右側のパンダは、6年前に動物園に行ったときに買ったパペット。6年ぶりに仲間が増えた。


動物園に行ったといって、動物と関係ないネタばかり‥‥。寅さん
いやいや、動物園に行ったのだから、ゆっくり動物を見てきたし、娘にカメラを預けて動物たちを撮り捲りましたよ〜。
とりあえず、代表で寅さん‥‥じゃない虎さんに御出座を。
結構目前を歩き回ったり、吼えたりして子供たちを喜ばせてくれたが、“僕も虎みたいに強くなりたい!!”と叫ぶ子供はいなかった。

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蝦ホーン年、蝦ホーン化したTS−7のハンドルをプチチェンジ。
ギドネットの逆付けは、タッチ・操作範囲ともに満足するものであったが、ケーブルの取り回しのみ非常に不満だった。
MR−4のブルホーンのセッティングが気に入ったので、TS−7も同様にインライン化することにした。
プチチェンジもともとラピッドホーンはフラットバーパーツ用のため径が細い。
これを太くするために、ジェルを二重に巻く。
パーツは全て家の在庫を使うため、黒のレバーに青いケーブルとなり、シルバーを基調にした、いままでのイメージと少し変わった。

プチチェンジ2ベースにグレーのビニールテープを雁字搦めに巻く。これだけで十分太い。
ケーブルをバーに沿わせたので取り回しはすっきり。



蝦ホーンから蟹ホーンへ2バーテープ巻き。
MR−4に使ったフィジークが残っていたが、仮巻きで足りない事が判明。これだけは新規購入になった。
どうせだったら深緑系がよかったのだが、店頭在庫がなかったので、BBBのRaceRibbonブラック。

蝦ホーンから蟹ホーンへぶっといホーンになった。
中間にエイドアームを咬ませない分,MR−4よりシンプルになった。
もともと“カッコだけ”主義なのでホーンの先端を持つほど前傾はしない。ブレーキはこの位置で十分。
バーテープ代だけのプチチェンジだが、結構精悍になった?!
MV−3BやF−20RAに張合える!?‥‥あと3〜4kg軽ければ‥‥!

使用パーツ
ケーンクリーク クロストップレバー
バーテープ   フィジークバーゲル+BBBレースリボンブラック
ケーブルセット シマノロード用ケーブルセット青
他  ちび輪ベル・アンタレックスMX1電池交換
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晴海2丁目は再開発区域となり、立ち入り禁止となっている。
ここにも大規模タワーマンションが建設されるらしい。晴海ふ頭2
ここにはかつて晴海通りに沿った線路と岸壁の倉庫街を抜ける路線が通っていた。
晴 海大橋を横切った晴海4丁目には、今でも埠頭の倉庫が残っている。
日曜日の朝、消防の訓練をやっていた。

晴海ふ頭当時の臨港貨物線は、この通りの1本海側の倉庫構内を通っていたはずだ。今でもトラックの積込 み口となっているはずだが、ゲートが閉まっており入れなかった。


豊洲大橋建設中の豊洲大橋。この写真を撮っている場所の前にかつての貨物線が通っていた。


中 央区清掃工場。この広大な土地は晴海国際展示場の跡地だ。
中央区清掃工場幕張メッセが開業するまでは、東京の大規模見本市(古式な表現だ!)はほとんどが、ここで開催 されていた。展示場が閉鎖された後は、暫く大型カーショップが開業していた。よく2階の喫茶コーナーに来ていたのだがいつの間にか閉店してしまった。
今 は何もないさら地。

防潮扉晴海のいたるところに防潮扉がある。もちろん現役だ。高潮や津波の際は、一斉に閉じられるはず だ。
しかし先の地震でも閉じられた形跡はなく、だいいちあんな津波が来たら、こんな子供が乗り越えられるような防潮堤では何の役にも立たない。つ まり、“大規模地震は必ず来るけど想定外”なのだ。

平住橋芝桜芝桜?国際見本市会場跡地が貨物線の最終点となっている。
帰り道は、大門通り(別名親不孝通 り)を北上。
平住橋のところにきれいな花壇があったので休憩。平住橋は旧横十間川に掛かっていた橋だが、今は埋め立てられて、交差点の名前のみが 残っている。
これは芝桜なのか。
豊住公園すぐ横に豊住公園がある。情けないことに、今まで木場公園の一部だと思っていたが、別の公園 だった。




東京都臨港貨物線。
10年ほど前には、まだ廃線跡がいたるところに残っていたはずだが、その痕跡は再開発の並みの中に消されつつある。工場や倉庫 が立ち並んでいた港湾地区 は、マンションと商業施設が乱立するベイサイドに変貌した。
今、臨港貨物線が残っていたら、亀戸から塩浜・豊洲・晴海を結ぶLRTとして新たなベイサイドの交通システムになったかもしれない。
跡地の多くは まだ都有地として残っている。いっそ越中島線も買い上げて、ゆりかもめを晴海と亀戸まで延長したら、サンストリート・アリオ・ららぽにトリトンを一気に巡 れる楽しい路線になるんだけど‥‥。

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いよいよ、“廃線跡を行く”のコーナーになる。三つ目通りから
TS−7を撮影した広い都有地の反対側、三つ目どおりに面したところには、まだレールが敷かれていた。


塩浜1丁目付近三つ目を越えて、平久川に向かう手前に残されている線路跡。先日、これを発見したことにより断片的に見ていた。臨港貨物線をたどるポタとなった。



豊洲運河鉄橋跡塩浜一丁目から豊洲運河を渡るところには、橋脚が残されていた。割と最近まで鉄橋が残っていた気がするが‥‥



豊洲北小横対岸の豊洲3丁目。廃線跡はきれいな遊歩道となっていた。この先、豊洲北小を越えたあたりで、晴海線と豊洲線に分岐していたはずだが、もはやこの付近でその痕跡を見つけることはできない。


豊洲埠頭前交差点より旧豊洲線に沿って再開発道路が造られている。豊洲埠頭前交差点まではだいたいの位置をたどることができたが、ここから先はまた造成地となってしまって、位置すらもわからない。


仕方かないのでアーバンドックを抜けて、現存する晴海運河の鉄橋跡へ。アーバンドック
豊洲の造船所のドックをそのまま使った船着場。例の卑弥呼も入港する。ららぽーとは開店前だった。ここの一角は自転車走行禁止区域だ。でも進入禁止ではない。要は押して歩けばいいのだ。

晴海運河の鉄橋晴海晴海運河の鉄橋1運河に掛かる鉄橋。完全な赤いわしだ。ここが撤去されないのが不思議だ。もちろん保存を望むが、なんか訳ありなのか‥‥。


晴海二丁目付近晴海運河を渡り、晴海に入る。ここもかつての工場倉庫跡が更地の再開発地域になっている。
そんな中で唯一残っているのが小野田レミコン。但し残っているのは建物だけで、営業しているのかわからない。ここの部分も線路はほとんど撤去されているようだが、工事用フェンスに阻まれ構内には入れない。

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久々にTS−7のポタ復活。
先日たまたま、かつての東京臨港貨物線の廃線跡を発見。今はどうなっているか廃線跡に沿ってポタリングしてみた。
東京臨港貨物線は、東京都が敷設した貨物路線で、平成1年に廃線となっている。元は現在も稼動しているJRの貨物専用線、越中島貨物線に接続していた。
まずは越中島貨物線から南下してみた。竪川の鉄橋
亀戸駅でJR総武本線から分離する越中島貨物線。京葉道路を越えて最初の鉄橋が竪川をまたぐ。
竪川河川敷公園は現在リニュアル工事中だ。

大島付近大島を突っ切る貨物線。土塁の高架は花壇や菜園になっている。
地元の人たちが手入れをしているようだ。



小名木川の鉄橋二つ目の鉄橋は小名木川に掛かる。
休みの日に転寝しているとこの鉄橋を渡る貨物の音が遠く聞こえてくる。
ここの高さ制限を気付かずに引き返すトラックは今でも多い。


アリオ北砂旧小名木川駅付近リオ北砂。この広大な敷地は、旧小名木川貨物駅の跡地である。
今は単線の一直線だが、かつては巨大な操車場並みの貨物ターミナルだった。

南砂緑道公園葛西橋通りの踏切を過ぎるとすぐに小さなガードがある。ガードの下は南砂緑道公園。
知らなかったが、かつては水神森の都電廃線跡(サンストリート横)からここを通り須崎まで路面電車が通っていたそうだ。流石にパラダイス!

運河跡永代橋通りの踏切を越えると、またガードを発見。子供のころ、ここには運河があったように覚えている。
もっと昔はここから先が海だったのだ。


新砂付近東西線車庫引込み線のガードと並行して貨物線が越中島貨物駅に入る踏切。
いつもJRバスの誘導員がいる。入って良いのか聞いたら“行き止まりだけどバスに気をつけていってくれ”とあっさり通してくれた。

京葉線地下進入口越中島旧越中島貨物駅貨物駅。“旧”と呼ぶべきか。今は事実上、レール資材の運搬にしか使われていないようだ。
少し先にあるしおかぜ橋から眺める。右は京葉線の地下進入口。左が越中島線。接続はされていない。

しおかぜ橋ループしおかぜ橋アーチ部分しおかぜ橋。
塩浜運河と越中島貨物線をまたぐ歩行者・自転車用の橋。
ループでの上り下りが珍しい。

越中島線終点ここが越中島貨物線の終点。
極普通の住宅地の中にある。ここから鉄道貨物の華やかだった全盛時代を偲ぶことはできない。


東京臨港貨物線廃線跡始点細い道路を挟んで都有地と書かれた広い空き地がある。ここがかつての東京港臨港貨物線の起点となる。


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深川不動で毎年買っている虎目石の腕輪念珠が突然切れた。
過去にも数回あったが4ヶ月弱で切れるのは初めて。
でもこれを不吉と見てはいけない。お不動様が身に掛かる災難を振り替えていただいたものだ。

とはいえ、やはり気になるので深川不動に行って、切れた念珠を納めて新しいものを購入。
不動尊にお参りし、邪念が断ち切れた!?。今日の受難に立ち向かう。

トゥース エクストラクション。
最恐ゲームじゃない。もっと怖い‥‥バッシ!
バッシュガードは好きだがバッシは好きではない(普通好きな輩はいないと思うが‥‥)

3月5日に差し歯が外れてバッシ勧告を受けた右下奥歯。震災により延SAKURAび延びとなっていたが、もはや引き伸ばすことはできない。
我が集合住宅の桜が乱舞する、すでに泣き出した空のなか、行きつけの歯医者への道は心なしか長い。

待つこと僅かで診療ユニットに通される。
下のほうが処理は難しいと聞いていたが、注入する麻酔の時間と回数からして前回より多い気がする。
“気分が悪くなったら言って下さいね”
バッシのためにばんばか麻酔をブチこまれている。気分がいいはずない。

レントゲン写真を見ると、抜く歯のすぐ横に親不知がある。
“この真横になっているの、生えてきますかねぇ”
“つっかえがなくなるので少し前に出てくるかもしれませんが、そのお年からではまず上に出てくることはありませんねぇ” ‥‥何のためのスペアなんだ!バッシ

前回の上の歯の時は少しづつ砕いて切り取っていった感じ。今回は根元から思い切りへし折られる感覚だ。
時間的にも上歯より時間がかかっている。しかも開口部が広いため、縫い合わせるとのことだ!

治療の表現は割愛する。漫画やコメディに出てくる風刺となんら変わらない。風刺されているのは使っている道具だけなのだ!
なんかかんかで1時間半近くユニットに座っていた(寝かされていたというべきか)

血が止まらないのは心臓の薬のせいだろう。それも処置後としては異常といえるほどではないとのこと。
帰宅後、すでに麻酔は切れているはずであるが、予想したほどの痛みはない(‥‥と言っても熱くなってズンズン痛いのには違いないが‥‥)

これからのた打ち回るほど痛くなることはたぶんないよなぁ??。‥‥ロキソニンは結構効くから何とかなるだろう。

相変わらず部屋に置いてあるMR−4のディレイラー調整をしながら、痛さをごまかしている。
最近やっと調整のコツが少しわかってきた。

終わってしまうと、あっけないバッシであるが、やはり歯を失ってしまうことは寂しい。
歯は健康のバロメーターとはよく言われる。
いつしか、普通の歯科医で歯を再生してもらえる時代が来るのだろう。
21世紀は始まったばかりである。


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ZERO-X々に平日休みが取れた。

震災以来、部屋の展示品となっていたMR−4が久々のスタンバイ。
今日の音楽のお供は“THUNDERBIRDS ARE GO!”のメインテーマ。サンダーバードの テーマ曲は知らない人はいないだろうが、こちらは1966年封切の劇場用サンダーバードのサウンドトラック。バリーグレイサウンドの中でももっとも重厚感 あふれる曲のひとつだ。満を持して出撃するMR−4にふさわしい??
毎日のようにTVに流れる洗脳プロパガンダよりも、よほど元気になるし、頑張ろうと思えてくる。

634634-2閑話休題
634mになってからはじめてのスカイツリーに立ち寄る。
伸びている間は、来るのが楽しみだったスカイツリー。
もうこれ以上伸びないのかと思うと、何か寂しいというかぽかんとした気分になってしまう。
これ本当に高尾山より高いのか‥‥


うんもちゃん吾妻橋より押上から吾妻橋経由で浅草へ。
墨田公園に行く。
スカイツリー辺りから人が多い。


これ有名墨田公園からみるスカイツリーの中でも、ちょっと変わっているのがアサヒビール本社ビルに映る スカイツリー。
タワーリングインフェルノのグラスタワー並みだ。
雷門浅草に来た目的は、雷門の裏手にある喫茶店でシナモントーストを食べること。以前も娘と来てお気に入りとなり、何度か立ち 寄っている。
雷門で記念撮影。

日本橋ここまで娘と同行だったので、いったん実家まで引き返し、再度一人で浅草・上野を経由して日本橋へ。
部屋の中で弄くり回していたMR−4本番試運転である。

平日の中央通り・昭和通りは流石に車の往来が多い。TS−7のポジショニングに合わせてブレーキ位置とハンドル位置を調整したMR−4。
ホーンの突端中央部を握っているときがもっとも自然になるようにしたが、向い風ではもう少し低いほうが楽だ。インラインブレーキが手前過ぎてほとんど不要 になってしまった。裏通り桜並木

日本橋・銀座界隈の裏通りも結構きれいな桜並木が多くある。高島屋へ立ち寄ったついでに一枚。

帰りは晴海から豊洲へ抜けて、豊洲でお買物のお決まりコース。

走行34km。定番中の定番コースであるが、日本のどこにも必ずやって来る“春”に迎えられて、少し沈んだ気分が明るくなった。
車は失業状態だが、フル稼働だった1号機TS−7に続き、2号機MR−4も再稼動にこぎつけた。

震災の規模や被害は目に余る悲惨なものだが、これから人々が立ち向かわなければならないのは、けして潰れない企業、競合もなく切磋琢磨を忘れた企業の驕り が招いた空前絶後の人災なのである。
自然の驚異の中にも、必ず人的なミスや驕りによって引き起こされる危機に対して立ち向かう国際救助隊。
洗脳プロパガンダなどやめてコマーシャル抜きで、ずっとサンダーバードを流していた方が、人々に何倍もの希望と勇気を提供できるような気がするが‥‥


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勝鬨橋まで大きく迂回して、次の目的地、第三台場へいく。

晴海埠頭・豊洲埠頭・有明埠頭を経由し、シーリアの横を通り“お台場公園”に向 かう。
以前、ないとらんで砂地に突っ込みTS−7を砂だらけにしてしまったところだ。
現存する第三台場に向かう道は再舗装されたの か、 きれいになっていた。
東京第二台場ダッタ第三・第六台場港外提跡から第三台場、そしてその奥に孤島となっている第六台場を望む。現存するのはこの2箇所のみだ。
第三・第 六台場については、倶楽部TS−7でのレポートがあるので割愛する。その第三台場から、先ほどの第五台場方面を撮影。船を撮ったわけではない。
卑弥呼こ こから、対岸に向けて800m程沖に、昭和36年まで第二台場が存在していた。航路の障害になるという理由で撤去され た。そりゃ、障害になることが目的で作られたものだからねぇ。
暫し、過去に耽っていたらいきなり近未来的船が視界に‥‥。
おっ、“卑弥 呼”ではないか。
お台場航路に就航している水上バス“卑弥呼”。豊洲にも寄港する。
一度家族で乗ってみたい船である。
第七台場ダッタ
さて、先ほどの外堤跡より真北方向にあるレインボーブリッジの橋脚。橋脚マニアではな い。この橋脚のあたりが、かつて第七台場ダッタ(しつこいねぇ)ところである。もっとも第七台場は未完成で、海上にその雄姿を見せることはなかったとい う。


帰り道、のぞみ橋を渡り、すぐ左に折れる。
幻の台場2こ こは江東区有明1丁目6番地。キムラヤ東京工場の先で道は行き止まり。 ここで我がMR−4のブルになった雄姿を1枚。
何の変哲もないところでの ワンショットと思えるが、実はこの辺りは幻の第八台場が計画されたところ だ。
第八台場、未完成ではない。未着工で終わった幻の台場だ。

実 は台場は、未完成の第七台場で終りではなかった。
計画された第8〜第11台場が未着工となっており、墨田川河口の江戸内湾を完全に封鎖する形で、 11基の台場が設置されるはずだった。

kouto outback幻の台場海 大橋から望む、“江東アウトバック”、築地市場移転考慮地である。この土壌汚染が問題視されている未開の原野の中に第九〜第十一台場の着工予定地があった とされている。
もし、幕府にもっと資金があったら‥‥、ペリーの再来がもっと遅れたら‥‥。
市場前などという駅は存在せず、“有明お台場公園”などという駅や公園があったかもしれないし、豊洲お台場博物館なんておっきな箱物ができていてかもしれ ない。
幻の線路?
帰り道、塩浜で偶然見つけた路線跡。これも自分が若いころは確かに走っていた“東京都臨港貨物線”の廃線跡だ。短い区間だが線路が残されていた。豊洲らら ぽやビバホームへに行くときはよく通っていた道なのに、何故今まで気付かなかったのか‥‥
橋の拡張工事で歩道が大きく迂回したために線路の横を通るようになったためだろう。これは遠い歴史ではない。自分の若いころは現在だったものなのだ。

一人の男の半生ほどの時間においても、別物と思えるほど豹変した東京臨海地区。
かつて江戸を夷敵から守るための最前線だった砲台跡は、膨張し続ける東京の内海となってしまった東京港の変遷の中に飲み込まれて、一部を残し人々の前から 姿を消した。
Map
本日の走行 43.4km
平均速度   16.1km/h
最高速度   34.8km/h

お尻がえらく痛くなった。まだハンドルが高いのか。フィッティングの試行錯誤は続きそうだ。

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MR−4のポジショニング調整も含めて。久々の4時間ポタにいく。
午後1時出発。前から一度やりたかった台場めぐりポタである。
といって もフジテレビ周辺の娯楽スポットめぐりではない。
最初の鯨塚御殿山下台場目的地は北品川駅(と、言ってもなぜか品川駅の南側)の近くの鯨塚。
昔はこんな江戸前 まで巨大な鯨が入り込んでいたのか?
親子連れで賑わう史跡公園から少し路地に入ると、台場小学校がある。住所は東品川。台場ではない。
地 図で見ると小学校の周囲だけ区画が変形している。
ここはかつて御殿山下台場があったところだ。台場というと海上の島のイメージがあるが、ここは旧海岸線沿いの陸続きの砲台跡である。正門横の可愛い灯台の台座は当時要塞に組まれていた石垣だという。
ここを皮切りに、かつて江戸湾を夷敵から守る最前線にあった7つの台場を巡ってみよう。

ここ第四台場ダッタから一第四台場番近いのは天王洲に含まれている第四台場跡。
今は第一ホテル東京シーフォートのある場所だ。
昭和14年に天王洲の造成とともに姿を消す。ここでも遊歩道(自転車通行不可)に使われている石垣に、当時を偲ぶことができる。

第一台場ダッタここから橋を渡り、品川埠頭に入ると第一台場ダッタ(下らんおやじギャグだ)ところがある。
港 区港南5丁目。真下をりんかい線トンネルが通り、品川区と区境をなしている道路。この辺にも当時の面影を見出せるのだろうか。
目的の場所に来ても何もな い。石垣の代わりに高く積まれたコンテナが要塞のようにも見えた。
さて、あまり期待をせずにここから北北東約700メートルのところにある、第五台場ダッタところへ行ってみよう。
第五台場ダッタ
まったく期待を裏切らず、案の定それらしき跡地を示すものは何もない。この通りの向こ う側と思われるが、モータープールと化している。
第一・第五台場は昭和37年〜38年にかけて品川埠頭の造成によって消滅する。
割と最近 まで現存していたようだ。写真でも残っていそうなものだが‥‥。

この他東京港建設事務所前の台場を見るためには、現在のお台場方面に出る必要がある。
第五台場跡の後側にレインボーブリッジが見える。ここを自転車で通れると楽なのだが、残念ながら自転車通行不可となっている。
海岸通沿いに、船が展示されていた。“第一芝浦丸”昔の土砂を運搬するタグボートだったようだ。ここは東京港建設事務所。だからこうゆうものがあるのかは 納得できるが、何故この船なのかは碑にも標されていない。
第五福竜丸みたいに紆余曲折を経てここにあるのだろうか‥‥



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