KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

療養生活‥‥あれこれ

心筋梗塞による11日間の入院生活を終え、2週間の自宅療養となる。
自宅療養とは退屈なもの。

この際なので仕事のことはあまり考えないことにした。会社には報告してあるし、有給と代休が最大値で残っている。但し、出社したときに自分の机が残っているかには一抹の不安がある。

療養生活はなんともいえぬ不思議なもの。長期休暇と思えとは言われたが、どこかに出かけられるわけでもなく、ずっと寝ていられるわけでもない。終始けだるさだけがまとわりついている。
少し家の周りを歩いてみる。胸が苦しいというより頭がぼっとしてくる。
歩いているうちにふらふらきてしまう。薬の副作用かもしれないがやはり体は正直だ。

何もしないときに辛いのは“禁煙”である。
もともと1日10本程度なので無理にやめる必要性を感じなかったが、やはりすえないとなると吸いたくなる。マンションの喫煙場所の前を通ると、なんともいえないいい香り。すでに吸わずに2週間たっているのに‥‥。
これは立派なニコチン中毒である。

退院数日後、リハビリ?を兼ねて近所の禁煙外来に行ってみる。保険適用ということで何とか仕事が始まる前に止めを刺しておきたいと思った。

禁煙で受診を申し込むとアンケートを書かされる。
“過去に禁煙したときにどうだったか”という質問形式が多いが、禁煙したことがないので答えようがなかった。
次に呼気中一酸化炭素濃度測定器で一酸化炭素の含有濃度を測定する。
肺活量測定と誤解し思いっきりすって、苦しくなるまで吐き続けた(これは心臓に負担である!?)が、別に普通に呼吸していればよかったのだそうだ。もう2週間吸っていないので値はグリーンである。
禁煙の動機(というよりうむを言わさずだが‥‥)と現在の病状を担当医師に告げる。
やはり市販で売られている禁煙補助薬(ニコチン製剤)は心臓に負荷を掛けるので使えないとのこと。これは説明を受けてよかった。
そこでニコチン受容体に直接作用し、メンタル的にタバコがいらなくなるという薬をもらい服用することにした。

服用初日は確かに吸いたいという衝動には駆られなかった。
これを3ヶ月続けるそうだ。

クリニックでもらった禁煙説明書の中に自分の好きな言葉が載っていた。
“禁煙は容易い。なぜなら私は100回以上もやっている”
そう、マークトウェインの余りにも有名な言葉である。

保険適用とのことで3ヶ月に掛かる費用は15,000円くらいだという。
1日一箱吸う人間であれば治療費は喫煙より遥かに安価である。
自分の場合は若干高くつきそうだ。

心臓病の療養とともに禁煙治療も始まった。これを機に少しはお金を浮かせて別の趣味に投下しないと割が合わない気もする。
マークトウェインの例の名言にはなりたくないものである。



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急性心筋梗塞!!その2

何故カテゴリーが自転車なのだ。
カテゴリーが思い当たらずとりあえずか。古墳とも歴史とも余り関係ない。
‥‥‥‥

その後、医師より経過を聞かされる。
程度としてはかなり重度だったという。この程度で助かったのは発症から処置までの早さだったようだ。江東区の利便さに救われたようなものか。まず感謝!。
とはいっても心筋梗塞である。詰まった先の心筋は壊死を起こしている。
カテーテルそのものは危険なものではないが、合併症のリスクを伴うとのことで家族の合意を取ったそうだ。
幸いこれらの懸念は今のところ大丈夫とのこと。
配線とチューブだらけの闘病生活数日。

順風ではなかったが、予定日を少し越えて無事退院のはこびとなった。
う〜ん娑婆の空気はうめぇ!
当分リハビリを兼ねて自宅療養である。

とりあえずタバコ禁止と水分制限の日々が始まる。
医師の比喩がよかった。
“今までの心臓が80psだとすると、今後は40psで生活することになる”‥‥云わんとしていることはよくわかる。でも今でも40psもあったら上がり坂をトップ9Tのまんまで100km以上楽勝で登れそうだ??。

まぁ、人間が出せる馬力はせいぜい0.何馬力の世界である。
もともといいエンジンではなかったが、四気筒のうち二気筒しか爆発しないようなものだろう。HEMエンジンはそれでも普通に走るし、“はやぶさ”だってちゃんと帰ってきたのだから、何とかなるだろう。
チャリもまた、ご近所ポタからやり直しである。

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急性心筋梗塞!!

朝、胸部の苦痛で目覚める。
しばし我慢するが、とても我慢できない。
これは肋間神経痛なんかじゃない!
すぐに救急車を呼ぶ。自分から救急車を呼ぶのは初めて、もちろん自分が当事者で運ばれるのも初めて。
窓からかすかに景色が見えるが、どこを走っているかわからない。
カミサンは流石に少し不安そうになった。しかし娘はあまり不安そうでもない。
親父はなにのた打ち回っているんだって顔。ばかやろう。こっちだってわからない!
死ぬなんて考えてられない。とにかくこの苦痛から逃れたい。

担ぎ込まれたのは家からそう遠くない救急病院。ERがあるのはこの辺じゃここだけだ。娘が幼いころはよく夜中にここにつれてきたっけ。

"急性心筋梗塞です。カテーテルによる形成術をする"

急性心筋梗塞!!
薬で少し楽になったので、何か聞きたかったが、大勢に囲まれてうむも言わさずオペ室に。
オペ室は冷凍庫のように寒い。

まず考えたのは、
これからどうなる‥‥仕事のこと、そして家族のこと。‥‥順序が逆?否!!この順序が正しい!
仕事のできない親父は家族にとっては粗大ごみ以上の不要物であり有害物ですらある。

次に何故?! どうしてこうなった?
本人としては仕事上のストレスを真っ先に上げたい!!!
‥‥でも直接誘引は先週100kmも走っちゃったからかなぁ
チャリンコもう乗れないかなぁ

局部麻酔だといわれながら手術の間は寝てしまっていた。
気がついたのはオペ室から集中治療室に運ばれる途中。
天井の四角い埋め込みの蛍光灯が来ては去る‥‥
これが丸いタンクステン灯ならベンケーシーの世界だ‥‥

相変わらず胸が鈍く締め付けられるように苦しいが、とりあえず我慢できる痛み
一応死なずに済んだようだ。今はそれしかわからない。

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印旛沼サイクリング番外編

16号印旛沼からの帰路はひたすら一般道を抜ける恐怖のツアーである。千葉県の主要県道は概して歩道がなかったり、車道幅が狭い。しかも大型車などの交通 量が多い。
R16島田台交差点からアンデルセン公園をとおり、三咲町から初富・くぬぎ山と抜けるのだが、筋肉痛で車の流れに乗れない。平日の夕 方 は車両が多く、歩道に逃げても人1人がやっと通れる幅ではすれ違いも出来ない。法皇塚古墳
東 松戸から国府台へ。すでに午後5時をまわっているが、休息を兼ねて以前より行きたかったところを周る。
国府台の法皇塚古墳・明戸古墳・弘法寺古 墳それに真間の井である。
事前情報を取っていなかったが、いずれも50m級の前方後円墳である。法皇塚古墳は医科歯科大の構内にあるので無許可で 直接はいけないが、外から遠望できるというので行ってみた後円部より前方部を撮影
確かに金網越しに見えた(多分それだろう)。墳丘長は58m市川市最大の古墳であ る。出土品も多く、市立考古博物館に展示されているという。
金網越しに見るそれは、確かにかなりの規模の墳丘のようだが、前方後円墳の認識はここ からは出来なかった。
明戸古墳は里見公園の一番奥にある。破損が激しく大きさは不明だが、復元長は法皇塚に次ぐ規模がありそうだ。
後円 部 頂上に露出した石棺が保明戸古墳存 されていた。この辺は国府台城址になる。
国府台城は太田道灌の築城だが、築城にあた り、盛土を崩している最中に出てきたといわれ、墳丘自体もかなり破壊されたものと思われる。前方部はすでに“方”の形を成していなかった。


国 府国府台城址台 城址の碑があるので行ってみた。なんてことはない。正面口から入ったまん前に あった。ここの風景からは古城の面影はまったくない。但し、古墳周辺から正面に向かう途中には遺構が残されている。

公園奥の古墳の近くか ら江戸川と、またまたスカイツリーが遠望できた。
江戸川は以前は大日川と呼ばれていたそうだ。それより以前は古東京湾が流山付近ま で入り込ん里美公園よりでいたという。その当時はこの景色は、ツリーを越えて以前訪れた北区飛鳥山の丘陵のところまで一面の海だったのだ。当然我 が家も海のど真ん中と いうことになる。我が家の駐車場に停めていたのが車の“枯野”ではなく、本当に船の“枯野”だったかもしれない??

こ の古墳の時代はどう だったかは不明。対岸の柴又低地に古墳が存在することから、おそらく香取海よりも早く古東京湾は陸地化していったのだろう。いずれにしても今の千葉県は野 田のあたりで、まさに“首の皮一枚”で “日本本土”につながっていたことになるわけだ!?

里見 公園から10分くらい市川真間に向かうところに弘法寺がある。
弘法寺境内にも古墳が2つあるという。弘法寺古墳と真間山古墳。
すでに午後 6時近く、境内には抜け道として通る学生くらいしかいない。住職などいればたずねるのだが、すでに坊も閉じられている。境内の案内板もない。真 間山古墳は鐘楼のところだという話を聞い真間の井た ので鐘楼を見つける。ここが真間山古墳?どこからどこまで?この盛山全体なら50m級の古墳 だ。弘法寺古墳は見つけられなかった。(帰宅後調べたところ弘法寺古墳は山門の左手、真間山古墳は鐘楼のある盛山全体でなく鐘楼の横の小さい円墳だと判 明)

最後に真間の井に向かう。
真間の井とは万葉集に詠われる美人淑女(どうゆう思い入れだ?)“真間の手児奈”が水汲みをしたと されている井戸。真間の手児奈(てこな:サラダオイルで はない)は裸足で麻の薄着をまとった美女だったが、数多の男が求愛し、そのために男た手児奈霊神堂ちがいがみ合いになった。手児奈はそれを悲観し入水自殺をする。周囲の者がそれを痛み亡骸を 弔ったのが手児奈霊堂だという。同じく万葉集にでてくるグラマー美人“須恵の珠名”とは対照的である。どちらがいいかと問われると難しい判断である。

残 念ながら井戸の門は時間で閉ざされていた。市川は近いのでまたの機会にゆっくりと訪れることもできる。手児奈霊堂に拝礼して帰ることにする。(決して変 な下心はないぞ??)

帰宅は18時40分mk_map2
本日の走行95.7km
最高速度41km/h・平均速度14.7km
トレロックとの差は 4.5km、ほぼ出だしの誤差のみだった。

走行96kmは今の体力とミニでは辛い。
出発前予測距離の83kmから10km以上超 過した。自転車の旅は気ままに行くことが楽しみの一つであるから、計画距離はやはり短いと思うくらいのほうがよい。
輪行バックはケチってはいけな い。ぴったり合うものと干渉防止の工夫がいる。持ち運ぶと結構自転車本体に傷つくものだ。
CM11はパソコンに“ATLASTOUR”というソフ トをダウンロードすることで走行履歴や走行軌跡をチェックできて面白い。但し、走行中に細い道を確認しながら走るのはちょっと困難だ。究極の道を行くなら やはりポイントポイントごとの地図は用意したほうがよいようだ。

PS
本日の燃費? 500mmペットボトル6本
30km/1L 以上だ。
自転車にこそ補助金と減税をしてもらいたいところである‥‥?!


印旛沼サイクリング その4

山風花での小一時間の休憩が結果的にはよかった。コンビのお結びでは疲れが取れなかっただろう。
船戸大橋まで戻ったときに、気を取り直して対岸の 印旛沼公園まで行くことにした。

印旛沼公園は沼を見下ろせる高台にあり、見晴らしのよい公園だった。園内にはなにやら古城の空壕跡空 掘りらしい遺構がある。
案の定、師戸城址という看板があった。臼井氏の居城、臼井城の支城で規模こそ小さいが、本城と連携して多くの寄手を翻弄 し たとある。天正十八年の小田原の役のあと廃城となったようだ。
今 回は何も意識しないで、また一城を攻略してしまった??



船 戸大橋を戻り、またCRをひた走る。印旛沼CR信 号もなければ車もいない。走りやすいのは大いに助かる。しかし幾つか横切る幹線道路には横断歩道も信号もない。平日だからかもしれないが非常に危険であ る。ここまでCRを整備してくれたなら、せめて幹線を横切るところにはボタン信号程度は付けていただきたいものだ。
とにかくCR沿いには何もな い。一定に植樹された木々が唯一の日陰となっている。適当な木の元に停めてちょっと一服。



何気なく木をみたら小さな看板が付けられてい た。植樹
夫 婦の名前と“結婚40年を記念して”と記されている。他の木々にも同様に様々な人の記念や想いが記されていた。
賛同した人々がそれぞれの思 いを寄せて植樹の費用を出したのだろう。
ちょっとした安らぎの場をくれた人々に感謝とともに心願成就を祈る。

すでに印旛沼は姿を 消して、印旛沼に流入する(あるときは印旛沼より流出する‥‥だな)新川に沿ってCRは続く。CR自体は花見川を経て習志野方面まで続いているようだ。花 見川も丘陵部を掘削して新川と接続する川で、風光明媚なところも多い。そのうち全行程を走破したいが、今日は16号で離脱して帰路に着くことにする。
印 旛日本医大より出発して5時間30分、距離にして50kmの行程であった。“IF”は禁物だが、もし1,000年前の香取海と印旛浦の水域が残っていた ら、今回走った風景はどんなものだったのだろう‥‥

否! 愚問であった。もしそうだったらほとんど海底を走っていたことになるのだか ら。

印旛沼サイクリング その3

印旛沼捷水路に沿ったCRを進むと開通間近す ぐに大きな鉄橋がある。京成成田新線が印旛沼を貫く長い高架の一部が捷水路を斜めに横切る。
来月開通の成田新線は同時に新型スカイライナーの導 入 で上野・成田空港間を36分で結ぶ。もともと京成は広軌軌道なので高速走行には適しているはずなのだが、カーブのRが大きく、長い車両が導入できない。 160km/hという最高速は驚異的だが京成本線では絶対に出せないスピードだな!!
鉄橋の下で一休みしているときに、突然の轟音が一気にやって きた。何と開業前の新線を新型車両が爆走している!思わずすれ違った人と“みた?”“みた!!”である。突然の出来事でカメラも間に合わなかった。う〜 ん、鉄道マニアではないがこれは悔しい!
印旛捷水
印 旛捷水路。西印旛沼と北印旛沼 をほぼ直線で結ぶ排水路で、丘陵を貫くため、この辺の河川では珍しく渓谷のようになっている。
この渓谷にかかる橋 の風情は、今回最大の見所であ る。
しかも、この渓谷に沿った道は、このCRしかない!この風情は自転車でしか味わえないのだ。(まあ、徒歩で CRを抜けるという手はある が‥‥)

ナウマン象?度、写真をとった場所の壁に、ある石版が填めらていた。捷水路掘削中にナウマン象の化石がほぼ完全な形で発掘 された場所である。
そういえば、先ほどの風土記の丘資料館に捷水路工事中に発見されたとして展示されていたっけ。




ま さに現代のこの風景と、過去に存在した香取海・印旛浦や更に古代に印旛渓谷!こ の地に生息していたナウマン象は“レガシー”といえなくはない!

捷水 路を抜けてCRは沼の南岸へと続く。時間が大幅に遅れているので予定していた佐倉市博物館への立ち寄りは次の機会にしてひたすらCRを行くことにした。


沼 の縁は更に外側の水路によっ対岸より捷水を望むて隔てられており、CR沿いには民家も店も自販機もない。
ところどころにラジコン用のミニ飛行場?があり、平日に もかかわらずラジコンマニアが飛ばしに来ている。あとは釣人の車が横に停まっているだけ。暑さと強い風を除けば快適そのものである。
しかしこの 風 にはまいる。



風車のある風景流である鹿島川に掛かる橋を渡ったところに、ちょっとした即売所と大きな風車があった。
周囲は花畑に なっている。
ここでちょっと一服ブレイク。ここまでで走行37.5km、時間は12:30を過ぎている。長閑な風景とは裏腹に空腹と筋肉痛がピー クだ。距離は普段のポタリングと変わらないのだが、丘陵と低地を抜ける起伏と河川低地独特の強い風にやられたようだ。



船戸大橋まで来た と きにもう限界食事処! コンビか定食屋を探したがない。たまたまCaffe&Restaurantの看板を発見。きつい上り坂を900m行くのは抵抗があったが、ゆっくり珈琲を 飲みたかったので行ってみる。
“山風花”という名のちょっと変わった和風づくりの料亭みたいなレストラン。丘陵の縁にある見晴らしのよいところ に ある。
中は落ち着いた雰囲気で汗だくの親父サイクリストが一人で入るのはもったいないようなところ。



山風花(caffe&Restaurant)ンチ2,000円は最 初に見たときは抵抗があったが、メニューと味で納得。今度はカミサンと一緒にゆっくりと来たいような食事処だ。だが今は“生き返った〜”というのが正直な 実感。




印旛沼サイクリング その2

浅間山古墳を後にして、更に白鳳古墳だらけの 道を進むと“房総風土記の丘公園”にでる。かわいい(失礼!)古墳がいたるところにぽこぽこある。公園の中央部に資料館があるので立ち寄る。





資 料館で付近の案内図と土産の本を買う。風土記の丘資料館この公園は古墳だけでなく見所がたくさんあり1日掛けてゆっくり歩くのがお勧めだが、今回は時間もなので、もうひとつの古 代ランドマークといえる岩屋古墳にいく。岩屋古墳は今回で3度目だ。





岩屋古墳。全国でもトップクラスの岩屋古墳大 型方墳である。単に大きさだけなら蘇我氏の墳墓といわれる石舞台の復元値や物部氏嫡流の墳墓とも言われるハミ塚方墳よりも大きい。7岩屋古墳石室世 紀中葉とも言われ、浅間山古墳⇒岩屋古墳⇒龍角寺と続く。ヤマトというよりは中央豪族とのかかわりが深いのか。
岩屋古墳も裏に回るとかつての印 旛 浦の入江の扇状地の奥に面して造営されたと思われる。
岩屋古墳には開口部が二つある。以前は二つとも中をのぞけたが、今は一方はブルーシート で覆 われていた。

風土記の丘公園を後にして、砂利道永遠印 旛沼の畔に向かう。此方側にもサイクリングロード(以下CR)があるのかなぁと期待していく。坂田ヶ池から下総松崎駅を通りそのまま湖畔にでる。北印旛沼 東岸は護岸工事を進めているようだ。道は工事中となり、更に進むと昔ながらの砂利道となった。




また砂利道!。いまさら引き返せないので 前進!まだまだ砂利道
本来オフロード派である。砂利道・畦道はうれしいが、心配はタイヤ‥‥空気圧は65PSI。このタイヤとしては低 めの設定にしてある。まあスペアチューブ もあるし、やはり土手道はこうでなけりゃ!とあきらめてのんびり走る。


何とかR464 に戻る。砂利道区間は1.5km弱。小石をパンパン跳ねながら無事に通過。重いとか抵抗が大きいとかロード派には不評の“ケンダクエスト” だが、こんなオールランダーなユーズでは一押しかもしれない。‥‥でも次は“スモールブロック8”か“コンプ3”にしたいなぁ!

甚兵衛大 橋を成田新線渡 る。この辺の道は歩道もなくダンプなどの通行が多く怖い。
甚兵衛大橋左岸からまたCRに乗ることが出来た。印旛捷水路を経て西印旛沼に向かう。
水 郷を思わせる沼の南岸。しかし繰り返すが印旛浦当時はこの数倍、遠くに見える丘陵の縁まで全て水域だったのだ。

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印旛沼サイクリング その1

久々に平日の休暇が取れた。出発前
今 回はちょっと足を延ばして印旛沼にいく。CM−11のお役立ち度を見るのもいい機会だ。

今回は距離と日程から往路は輪行とする。京成 線 から北総鉄道を経由して印旛日本医大までいく。
なんかかんかで駅への到着が9時前になってしまった。


収納重量15kg近い重さはやは り輪行には辛い。開梱袋 が間に合わせのでフィットしてないことも原因だろう。格安品だが使用3回目で早くも擦れて穴が開いてきた。輪行メインならやはり車重 10kg前後だろう。




印旛日本医大を出発したのがすでに9時半になっていた。駅までにげそっと疲れて、何と出発前に一回目の休憩。
組立完了

こ の辺にはかつて“ウシムグリの池”という謎の名前の池があった。40年近くも前にその池を目標にサイクリングに来たことがある。結局池は見つけられなかっ たのだが、当時は夜明け前に家をでて夜遅くなって帰った記憶がある。よくも来たものだ。
当時と地形がまるで変わっているが、駅の近くに調整池 が あ りその流路をたどると印旛沼にでられる。これがかつての“ウシムグリの池”のなごりなのか‥‥

さ て、トレロックとCM−11をリセットして出発。
今日のお供は保坂由佳にかわり、門松敏生の“Legacy of you”。スバルファンとしてはいい響きだ。この田園風景にマッチするか?は別として、夏の海を髣髴させる点ではいいBGMではある。
見えた
最 初の目的地は龍角寺。今日は朝 から強烈な日差しでCM−11の液晶はまるでよくわからない。見分けがつ くのは主要幹線くらいだ。確認がてら駅周辺をうろうろする。結局R464を進むことになった。しばらく走ってCM−11をチェック。なんとスタート押した つもりが抜けていた!ここでトレロックとの差4.1kmがでてしまった。                        



CIMG0670セットしたCM−11は方向だけを参考にする。方向を頼りに起伏の激しい集落道を走る。幾つかの起伏を越えたと ころで初めて広い湖沼の水面が姿を現した。




印旛沼周囲にはサイクリングロードが整備されている。今日は平日でほとんど通行がない。酒直水門を渡るマ イ ロード状態である。北印旛沼(北部調整池)から流出する長門川の水門橋を渡る。




印旛沼。千葉県最 大の湖沼。江戸 時代からの度重なる干拓・治水事業で湖水の面積はかつての半分くらいになっている。特に昭和になってからは沼の中央部が干されて沼が2つに割られた。
し かし更に昔、古代から中世初頭長門川流出口にはここは印旛浦と呼ばれて、今の鹿島から霞ヶ浦・北浦・手賀沼・牛久沼までも内浦としていた“香取海”と呼ばれた巨大内 湖の一部だった。今写真をとっている場所はまさにかつての湖のど真ん中なのだ。
琵琶湖にも匹敵した古代の大湖の思いを馳せて周ろう。




さ て、最初の目的地は龍角寺。実は龍角寺こ こは千葉県でも最古の寺院なのだ。関東でもいち早く仏教を取り入れた印波国造氏族の氏寺として金堂や30mを越える五重塔があった大伽藍だったという。 行ってみると今は何の変哲もない小さな古寺で内陸にぽつんとある印象だが、当時は前記の香取海に突き出した岬の先端部に位置する。




香取 海 から武蔵方面への水運の要ともいえる場所を押さえた大豪族白鳳道?の 氏寺だったのだろう。
ここから少し離れた印旛浦に面した部分には大古墳群がある。
そのなかで最末期・最大の前方後円墳“浅間山古墳” に 行 く。“白鳳の道(古代の道なのか単なる遊歩道名なのかは不明)”を進むと遊歩道とすら言えない荒れ道となった。ロード用のケンダクエストでは怖い。降りて 押すことにした。



浅間山古墳 間山古墳は墳丘長78m、7世紀初期の造営とされ、関東最大級の巨大石室が発見されたことで有名。風土記の丘公園から外れているため、今はまったくメ ジャーではない。石室も埋め戻されて見ることが出来ない。
前方部はかなりの崖で、複雑に入り込んだ丘陵部の縁に位置している、当時は入江から 丘に 登る所にみ上げるように聳え立った威容を誇っていたのではないか。入江は湊になっていただろう



後円部より前方部を望む葉県にある大型古墳は、今でこそ内陸部の丘陵にあるが、当時の地形を考えるとほとんどが海や内湖に面している。 各国造の支配領域は狭いのに、100mを 越える大型古墳も多い。ふさの国々は水運で栄えた海洋国家群だったに違いない。


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ツリー巡礼

春先のように寒い土曜日。大横川親水公園娘の習い事の帰りにスカイツリーを巡礼する。熱心な信者のようになってしまった??。

大横川親水公園を北 上。こ こも要所要所に仙台掘公園同様、緑の多い静かな散策路が整備されている。全長約1.6km。散策歩きには程よい長さか。

シャッポが伸びたもうすぐ400m
親水 公園管理棟の横からツリーの全容が見られる。現在389m。もうすぐ400m。350mの第一展望台のベースがシャッポの鍔のように見える。

ツリーの根元ツ リーの真下で記念撮影。やっぱりA・M
どうも見上げた時の東京タワーのような安定感がない。
鶴岡八幡宮の大銀杏みたいにならねばいいが‥‥。
し かしこれをみるたびA・モールトンを思い出してしまう。トランジットにも過去に同様のフレーム構造のものがあったっけ。最近は“コロッサス”という高級ブ ランドも同様な構造らしい。
だからどうなのかということもないが‥‥

ティアラこうとう帰りは横十間川を南下。途中に江東公会堂、“ティアラこうとう”がある。ティアラとは宝冠の意。その名の通りパールカラー に映し出される夜景は綺麗だ。
しかし江戸川公会堂などの贅沢なつくりと比べるとシンプルでこじんまりしている。
‥‥江戸川区はそんなに お 金持ちなのか?



クローバー橋クローバー橋より扇橋閘門小 名木クローバー橋を渡る。ここからもツリーのシャッポがよく見える。随分間延びしたシャッポになった。

クローバー橋から扇橋ロックゲー ト が見える。荒川ロックゲートとともに小名木川の水位を保つ閘門である。世界の代表パナマ運河、日本の代表見沼通船掘??と同様の船舶航行の水位差調整ゲー トだ。


小名木川貨物線、小名木川駅跡にできるアリオ北砂。建物は出来上がり、今は内装仕上げと搬入が始まっている。アリオ北砂
こ れでヨーカドーは木場まで行かなくて済むか‥‥
しかし、初めて江東区に移住してきたときはスーパーはダイエーと西友しかなかったのに、いまやイ オ ン3店。ヨーカドーが2店、ライフ・コモディにクイーンズまで。チャリ買物の範囲にこれだけ大型商業施設があるところって考えてみるとすごい!
奇 しくも帰宅したら、アリオ北砂6月4日グランドオープンのチラシが入っていた。


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お台場周回

錦糸町のヨドバシ、日本橋高島屋に買物に行く。ポタのいい機会なので日本橋から足を延ばして、お台場へいく。豊洲・東雲・ビックサイトまでは自転車でよく 行くが、お台場までポタするのは始めてなのに気がついた。ASG−CM11の試運転には丁度いい。東雲運河
晴 海大橋までは定番ルート。そこからゆりかもめに沿って東雲運河に掛かる有明北橋を渡る。東雲運河は中央に不思議な長い島がある。橋からは下りられない。船 で渡るしかない(といっても上陸しても木が生い茂っているだけだが)
ここはかつての東京港の外堤跡らしい。ここも “KOUTOU−OUTBACK”のひとつともいえる?

シーリア

背 景の高層マンショ台場公園ン がミスマッチのシーリアからお台場公園に。幕末の黒船来襲に備えて造られた7つの台場(砲台砦)のうち現存するのは第6・第3の2つの台場のみ。
第 3台場は、先ほどの外堤跡台場からお台場?を望む(唯一歩けるところだな)を通じて入ることができる。
中は結構広く陣屋の跡や弾薬庫・砲台跡などがある。(一部は 明治以降のものらしいが)
第3台場からお台場?を望む。手前のレインボーブリッジシーサイドモールは家族でよく食事に来たところだ。反対側から第6台場を撮影。すぐ横のレインボーブリッジがこれまたミス マッチである。しかしこれはこれでいい。レインボーマンの師匠は“ダイバだった”なのだ‥‥?

東京港トンネルの科学館に行く手前に木の橋巨 大ビル?首都高東京港トンネルの排気塔である。裏(此方が表??)から見るのは初めてだ。
木造のかわいい橋を渡り宗谷の前を通る。
こんな に小さかったかな。昔から日本人は小さな船で外洋を越えて日本に様々な文化・技術を持ち帰ってきたのだ。敬意!宗谷

最 終目的地は中央防波堤。といっても今は自転車ではいけないはずだ。昔は青海と中防には橋が架かっていた。夜中に監視の目を盗み中防に釣りに来たことがあっ た。当時は中防に行く歩行者用のトンネル(もちろん一般通行禁止だったが)もあったはずだ。今はどうなっているか気になった。第二トンネル歩道
歩行者用トンネルは今でもあった。但しシャッターは閉まっていて進入できない。当然昔のぼろ橋も全て撤去されてい る。
青海先端まで行って中央防波堤外埋立地を望む。江東区と大田区が領有権を主張して国際紛争になっている広大な植民地だ。中央防波堤江 東区民としては領有権を主張したいが、全面戦争は望むところではない。
とりあえず、最初に自転車を自由に往来できるようにしたほうが領有権を得る ことにしては如何か‥‥?

青海からパレットタウン・フェリー埠頭を経ビッグサイト由しビッグサイト前を通り、晴海通りへ。ビックサイト=東京国際展示場である。
上海万博の中国館にパクられたとか いわれているが、正直、空間の無駄遣いという点では、江戸東京博物館とともに五十歩百歩である。
そういえば、次回からの東京モーターショウは有明 になるとのことだ。ほんとうはサイクルモードも此方でやっていただけると助かるのだが‥‥。

最後にお決まり。東雲イオンでまた買物。
本 日の走行37Km。‥‥ええっ!CM11の走行距離は49Kmになっている。なにこれ??1〜2Kmは歩いていると思うがこの誤差は何?
どうも休 憩や食事で停まっているときも絶えず速度が発生してしまっていたらしい。
これじゃ使えん!原因調査続行‥‥


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GPS購入

車のナビが6年目を向かえ道なき道や海の上ASG-CM11-比較を走るようになってしまった。一昨年辺りから新しいナビソフトをほしかったのだが、2万6千円も出すのならいっそ新しいも のをと思い。購入したのがユピテルASG−CM11。
しかしこれはカーナビではない。自転車・ウォーキング用のGPSマップである。
当初 ソニー・NAV−UASG-CM11-マウントを買って車と兼用にしようと思っていたが、本機種の存在を知り、比較の結果此方にした。歩きや自転車に細かいナビは不要。 地図と周囲の状況がつかめればいいとの判断による。バッテリーのもちやコンパクトさも選択基準となった。価格的には若干此方のほうが高いのだが、近所のサ イクルショップで安く購入できたので通販より安く、店頭比較では、オプションその他を総合すると此方のほうが安くなった。ASG-CM11-ベースホルダー
このGPS、サイコン機能もあり、ミニSDを使って履歴管理もできるとのこと。
と りあえず本人としては、乗っているとき・歩いているときに使えればそれ以外は付加価値ものである。

携帯と同ASG-CM11-試走じくらいの大きさ。NAV−Uと比べてもふたまわりは小粒であるが、付けた状態はやはりミニのハンドルには大きい。ベース の取り付けは結束バンドでセッティングも含めで10分程度。本体のつけはずしも簡単だが、一応転落防止のボルトオンがある。
近所を試走。ナビでは ないので、目的地を設定すると直線で方向を示すのみだか、これで十分と納得できる。
CM11はエコモードにより電力消費を抑える。消灯した状態で エコモードになるとりみづらい。設定時間は変えられるし、エコモードオフもできる。とりあえずエコモード移行時間を5秒から15秒に変えた。

ト レロックと速度比較をする。
かなりちぐはぐだが、定速走行を続けると誤差はほとんどない。トレロックの反応が遅すぎるためだ。CM11の反応のす ばやさはSC−M300と互角である。但し、最終の走行距離に誤差があるのが気になるところ。トレロックの初期設定を間違えていたのかなぁ‥‥。

と りあえずは使えそうである。そのうちちょっとASG-CM11-充電長時間やウォーキングでの検証をしたい。
バッテリーはエコオフでも5〜6時間は使えるとのことだが、緊急時の充電 がネック。NAV−Uは家庭電源やシガーライターからしか充電できないといわれたが、CM11はUSB充電ができるということなので、手持ちのエマージェ ンシーパーツを流用してみた。充電ランプは点灯するので充電しているようだが、これも後の検証課題となりそうである。


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会津紀行 会津編 その3

感慨深い大塚山古墳をあとにして、飯盛山若松市内に入る。目的は飯盛山と鶴ヶ城。但し観光ではない。個人的な探し物である。大塚山から、飯盛山まではすぐである。混んでいるかと思ったが、あっさりいけてあっさりと駐車場にも入れた。飯盛山はあまりにも有名で、何度も訪れているのでいまさらではあるが、鳥羽伏見から函館戦争まで続く戊辰の役には敗者側で後世立身した者も多い。歴史は勝者の記述であり、敗者のことはいいように卑下され歪曲ささざえ堂れるものだが、これら生存者の恥を忍んだ伝承のおかげで今日敗者の思いを知ることが出来るのである。遠く会津の血を引くものとしては複雑な心境というところか。
毎度だが白虎隊士の墓に拝礼して順路を進む。実は飯盛山で最も興味があるのは白虎隊士の墓でも自刃の地でも、さざえ堂でもない。
戸の口洞門である。灌漑水路として作られた洞門で、戸ノ口原の合戦に敗れた白虎隊士中二番隊生存者が戸ノ口原よりこ洞門の洞門を通って飯盛山に退却したとあり、以前はかなり長い隧道だと思っていたが、実際は旧滝沢本陣の裏山から入るわずか150mほどの隧道であった。出口はあまりにも有名だが、入り口は意外と知られていない。一度入り口を見たかったのだが、今回も時間の都合で断念。飯盛山に来る楽しみはまだ残されることになった。
次に鶴ヶ城に向かう。バイパスは観光客の車で大渋滞だが、此方は市内の裏路地を進む。若松は典型的城下町で市内には太い一直線道路がない。狭い道ゆえ一方通行と交差点が多い。これをうまく利用すると渋滞なく城まで短期間に動ける。KARANO号が薩長軍でなくてよかったものだ。因みに会津では薩長軍を官軍と呼んではいけない。会津にとっては会津軍こそ真の勤皇、“官軍”なのである。会津に心鶴ヶ城堀さくらふぶきを寄せる孝明帝を死に追い遣った薩長と討幕派公家は明治帝を押し立てて、頑強な会津藩を賊軍にして一気に葬り去ろうとした。何故会津が頑強に抵抗したのか?そりゃそうだ、会津にとっては宿敵長州と裏切った薩摩こそ禁中から締め出すべき君側の奸だと思っているのだから‥‥
さて、城内の駐車場への一本道は大渋滞。容易に引き入れてはくれない。しかしここからすでに満開の桜が出迎えてくれている。風が吹くと桜吹雪の嵐だ。この時期にこれだけの桜を見られるのはやはり珍しいとのことだ。鶴ヶ城天守
会津鶴ヶ城。正式には若松城なのだが、地元の人は愛着を持って鶴ヶ城と呼ぶ。
もとは蘆名氏の黒川城で、伊達領を経て蒲生氏郷のときに7重の天守と現在の縄張りが完成する。
その後、上杉氏・加藤氏を経て現在の五層の天守となり、保科松平23万石の居城として幕末を迎える。もちろん今の天守は復元されたものだ。また現在も改修と復元工事が進んでいて、足場を組まれてしまっている。白亜の城の全容が見れないのはちょっと残念だ。鶴ヶ城天守2
鶴ヶ城は会津戦争での、薩長軍の大砲の猛攻に耐えたが、明治7年に政府により取り壊された。
熊本城と並んで幕末から明治の近代装備の戦争に巻き込まれた数少ない城郭である。熊本城は侵攻軍を跳ね除け、鶴ヶ城は降伏開城した。この結果を持って両城の城郭としての優劣をつけることがあるがそいつは違うだろう!
旧式武装で攻める1万3千の薩摩軍と農民兵とはいえ最新装備と近代訓練を施された4千の政府篭城軍の攻防に対し、旧式武装で守る4千の会津軍に対して、7万の兵力と最新武装の薩長軍の攻防である。しかも援軍を期待できる熊本篭城軍と孤立無援の会津軍である。1ヶ月間持ちこたえたことのほうが賞賛に値する。しかし1ヶ月も戦場と化した町民農民にはたまったものではないだろう。会津士族が美化される影で一般民衆の苦痛と恨みの声があったのも確かだ。
さてさて、そんな想いを寄せながらゆっくり城を見たかったのだが、今日東京に帰るので長居も出来ない。目的のみやげ物はここにもない。聞いてみるとかなり以前に問屋が取り扱いをやめてしまったとのことで、会津で入手することは困難らしい。この時期珍しい桜吹雪をバックに天守を撮影。早々に退却する。退却も追撃を受けないようスピーディーに裏道を通る。
娘は親類のうちでゲームをして遊んでいる。まだ歴史の話や火山の話をともに語る歳でもない。そのうち子供が歴史を理解し興味を持つようになったらゆっくりと史跡めぐりをしたいものだ。
帰りも渋滞を避け、大いびきの母子を乗せて夜の高速をひた走る。

今回の走行 1,173km
使用燃料   114.42L
燃費 10.25km/1L

スタッドレスを履いて峠越えもして荷物満載で驚異的燃費である。リッター10km越えは計測した中では最高である。往復の渋滞もなく高速も低料金で、総じてリーズナブルなベストドライブだったといえる。


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会津紀行 会津編 その2

大塚山古墳看板2

大塚山古墳看板翌日、再度会津盆地に。今日は会津の中心都市、若松まで足を延ばす。板下から若松まで磐越道で300円だ。今までは1時間半はたっぷり掛かった所要時間は1時間強に短縮された。若松ICより裏道を抜けて大塚山古墳へ行く。
大塚山古墳は会津盆地に北から岬のように迫り出した丘陵地の先端にある。前方部を望む大塚山前方部頂上今は霊園の中にあり古墳の麓まで墓地となっている。実は数年前に来ているのだが、夏の盛りで樹木が生い茂り、スズメバチがうようよ飛び回っていたのでびびって立ち入れなかった。今回はリベンジである。

かつては全長90m、2段構築の前方後円墳とされていたが、最近の調査で3段構築で全長114mの大型古墳で前方部から陪塚テラスから後円部あることが判明した。案内板の全長が手修正されているのが面白い。ここははっきりと前方後円墳とわかり、後円部には石棺のあとも残されている。横には大きなテラス(おしゃれだねぇ‥‥??)があり、前方部の先には陪塚もあった。

会津には大きな古墳が数基ある。東北地方としては早くからヤマトとの関係が発生していたようだ。書紀には四道将軍の話があり、北陸から来た建沼河別命(たけぬなかわわけ)と、太平洋側から遠征した大彦命(おおびこ)が会津で出会ったと記されている。真偽のほどは不明だが、出土する遺品などから人の移動の流れと一致するのだという。

大塚山より磐梯山を望む大塚山古墳から、霊峰磐梯を望む。この古墳が出来た当時は、磐梯山は2,500m級の単独峰だったという。磐梯とは天に届く岩のはしごという意味らしい。大同元年(806年)の大噴火により山頂を吹き飛ばし、沼の平を中心とした4連峰になったという。猪苗代湖もそのときに現在の形になったと伝えられているが、残念ながら学術的にはほぼ否定されている。その後の明治における世界噴火史に残る惨劇は特に有名である。被害者や研究者の証言も多く残されている。以前、劇場でダンテスピークをみたときに真っ先に思ったことは、この映画・この特撮を日本で、磐梯山でやってほしかったということだった。
明治の小磐梯の噴火で裏磐梯は美しい景勝地に変わったが、多大な犠牲とともに、会津藩を支えた鉱山も数十メートルの土石流に呑まれてしまった。宝の山は遥か土砂の下に消えてしまったことになる。



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会津紀行 会津編 その1

奥会津の親類の家をベースに会津亀が森看板盆地も散策する。と言っても若松の名所旧跡・喜多方や裏磐梯は毎年のように来ていたのでいまさらである。
今回の目的はやっぱり古墳である。
会津坂下という町のはずれに福島県最大の古墳がある。
亀ヶ森古墳。墳丘長127m、名取の雷神山に次いで東北第2位。4世紀後半の比較的初期の築造とされ、葺石で覆われた3段構築の大型亀が森後円部亀ヶ森古墳1前方後円墳である。周壕のことは書かれていないが、周囲の地形から大きな周壕の存在が見て取れる。
後円部に現在の参道があり、頂上には更に一段高い墳丘と、お寺とお社が並列して建っていた。後円部頂上
“ここ、鍵穴古墳じゃないよ”とカミサン。カミサンは前方後円墳を“鍵穴”と呼ぶ。いまどきこんな形の鍵穴はもうない。年がばれてしまうぞ‥‥。
確かに一見円墳である。もう一度全景をよくみる。神社の裏手に側溝と道路を挟んで小高い墓地がある。道路にて寸断されているがここが前方部らしい。
あらためて周堤位置と思われる外周道路から全景を撮る。亀ヶ森古墳全景2

入らない。裏手に回り前方部から撮影亀ヶ森古墳前方部より。やっと全景が収まった。やはり大きい。
亀ヶ森古墳に隣接してやや小型の古墳がある。
鎮守森古墳という前方後方墳だ。墳丘長55m。亀ヶ森同様周壕のあとが見受けられる。墳丘は比較的保たれているが、後方とはっきり認識できない。この一帯は過去に大きな水害に見舞われているらしく。古墳も変形したのかもしれない。頂上に小さな社があった。
鎮守森古墳会津というと、幕末。ちょっとマニアになると中世から戦国にかけての見所が豊富だが、結構古代史上も見所があるものだ。


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会津紀行 奥会津編その4

とはいっても、只見川の魅力が全てダムのそこに水没してしまっているわけではない。エメラルド色の川には鉄道橋を含む無数の橋と美しい情景がある。
話が飛ぶが、親戚の子にちょっとDVDでも見に行きたR252より第六鉄橋を望むいと誘ったら案内してくれたのがTUTAYAである。その距離およそ60km!首都高以上にすっ飛ばしても1時間は掛かる。因みに一番近いナショナルチェーンのCVSはファミリーマート。こことておよそ50km。50分近く掛かる。ちょっとコンビ二とはいい難い。でも大型複合ホームセンターのコメリはもっと近くにあるぞ。ここなら時速70km(地元では普通の流れの速度です!)で飛ばせば40分で着ける。自宅から船橋のららぽへ行くより早い。寄岩橋より只見線第八鉄橋を望む本名ダムから
このちょっとした買物の間に車中から眺められる景色は格別である。ららぽへの買物では絶対に味わえない!
特に只見線の鉄道橋はよく写真集にも載るくらいで、鉄道マニアの羨望の的らしい。子供のころは今ほど道や橋が整備されてなく、近道として鉄道橋を徒歩で渡った。いつか娘にも試練させてやりたいものだ。

今年は例年になく桜が長いそうだ。只見川の中流域に柳津町がある。柳津虚空蔵尊で有名なところだ。桜が満開で綺麗だったのでちょっと立ち寄る。
柳津さくらまんかい観月橋と虚空蔵尊
福満虚空藏尊圓藏寺。日本三大虚空藏尊の一つと言われ。只見川の渓谷に向かって建てられた景観は、四季折々の美しさがある。積雪と紅葉の時期に訪れたことはあったが、桜満開に出くわしたのは多分何十年ぶりだろう。国道を橋も景観とよくマッチしている(今は改修中で残念!)。
今でこそ景観工学が確立している時代だが、おそらくそんな言葉もない時代にこのルートや橋々を設計した偉人たちはどうすればこの美しい山河の景色と調和できるか頭をひねったのだと信じたい。
雪と桜と情緒と温泉!仕事の関係でゆっくり出来なかったのが非常に惜しまれる。

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会津紀行 奥会津編その3

親類の家をベースに更に只見川を下る只見駅
只見駅。奥会津の交通の要衝であり、数少ない只見線の有人駅である。停車する列車は上下合わせて1日7本!7時台の上りを逃したら14時まで待つことになる。3分〜4分毎に来る山手線に乗るために走る都会人の姿は茶番にすら思えてくる。

駅舎から少し離れたところに懐か現役の転車台しい転車台がある。否!懐かしくはない。今も現役なのである。観光シーズンにSL C11の特別列車が若松−只見間を1日1往復走る。折り返し駅の只見でSLが方向転換するためだ。今が丁度シーズンなのだがすでに時間が過ぎておりSLを見ることは出来なかった。(というより列車そのものに出くわすこと自体がラッキーと言える状況なのだが‥‥)只見駅看板

駅の観光案内に水久保城址水久保城址と言う案内があった。伊達政宗に敵対した山内氏の居城とある。上杉に後詰めされた難攻不落の要害は最後まで伊達の侵攻を跳ね除ける堅城だったようだ。以前はこんな綺麗な看板ではなかった。大河ドラマの力である。

只見の町外れで大きな支流である伊南川と合流した只見川は山間を北東に流れる。山間の川は岩場・急流・広い河川敷・清流と変化に富んでいる。伊南川はその 典型だが、本流只見川はどこで見ても深いエメラルド色の深い淀みが多い。只見川には“瀬”がないのだ。
只見川は電源開発の川であり、ちょっと瀬になりそうだなと思うと、次のダムになってしまうのだ。

本名ダム上田ダム宮下ダム

親類の家で地図を借りて眺める。上流から「奥只見」「大鳥」「田子倉」「只見」「滝」「本名」「上田」「宮下」「柳津」「片門」と大川に合流し阿賀野川になるまでに10基のダムがあった。部分的な境界も含めたわずか6町村の間にである。
地元の古老(と言っても初老くらいからか)に聞くと、この川も昔は清流でいたるところで川遊びが出来たそうだ。どこぞの政党みたいに何時も「だむ」を“逆様”にみているわけではないが、やはり清流を失った川は少しさびしい。

 

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会津紀行 奥会津編その2

再び小出に戻りR252を一路六十里越へ。途中女神の像、道の駅入広瀬で休憩を取る。鏡ヶ池の畔にあるこじんまりしたPAだ。洒落た食事処もあるのだが、奥只見で食べたばかりなのでまたの機会に‥‥。湖畔に池の名の由来である鏡を持った女神像があった。旧来の巫女調っぽい服装だが、顔はもろに西洋風!由来に書かれている物語もちょっと西洋風にアレンジされている感じだったが、その名の通り美しい池である。

県境の六十里越トンネルを抜けると、すぐ眼下にもうひとつの巨大人工湖、田子倉湖が見えてくる。この六十里越は大白川・田子倉間は人家もなく冬季は閉鎖となり、開通したのはほんの数日前である。只見の町に着く前に田子倉ダムで小休止する。
田子倉ダム下流を望む
田子倉ダム。昭和35年完成。ダム体積で全国2位・総貯水量全国3位・発電出力で奥只見についで2位。此方も日本屈指の巨大ダムである。眼下には、すぐ下流の只見ダムを見ることが出来るが、この巨大ダムから見るとまるで東武ワールドスクエアの世界である。田子倉ダムは只見の町からも目前に眺めることが出来るように、かつては集落の続く谷であったと言う。田子倉ダムにてその湖底には今もいくつもの集落が沈んでいる。また、奥只見ダムと違い、すぐ麓を国道が田子倉ダム通っており見上げるようなダムの威容を直前に見ることが出来る。
ここを見ていると例の佐藤浩市演じる赤い月の部隊長の脅迫は結構リアリティを感じたりする。

さて、ダムばかりでは面白みもないのでちょっと足を延ばして温泉へ行く。
只見の中心地から沼田街道を13km・15分ほど南下すると町営の温泉宿泊・休息施設“季の里 湯ら里”がある。宿泊のほかに入湯や食事だけでも立ち寄れる。連湯ら里休中なので結構混んでいる。温泉にどっぷり浸かったあと、遅い昼食にしようと思っていたが、昼時間を過ぎてレストランは閉店。流石公営!!軽食や喫茶くらいやっていてもいいのではないか?
結局食事処がなく、スーパーで弁当を買ってレンジでチンして車中で食事。安く上がったが大不況であった。


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会津紀行 奥会津編その1

GWを利用して親の実家である奥会津にいく。
連休の渋滞を回避すべく夜中に東京夜行を出発。
関越道を北上し小出から、つい先日積雪による冬季閉鎖が解除になったR252の六十里越峠を抜けることにした。
渋滞もなく塩沢石打SAで仮眠を取り朝を迎える。今年は平年より雪解けが遅い。越後の山々にもまだ残雪がかなり残っている。
久々のKARANO号長距離遠征である。この日を意識したわけではないが、今年はスタッドレスを履きっぱなしである。関越石打SA
すでに丸4年を迎えたスタッドレスは山があろうとなかろうと使用限界に達している。今年は履きつぶすつもりでいる。荷物のせいかノーマルなのにローダウンのように沈んだボディ。ただでさえホイールベースが長いのだ。せめて後方の四駆車(トゥアレグかなぁ)位のクリアランスがほしい。

会津入りの前に銀山湖に行ってシルバーライントンネルみる。娘に雪の山を見せたいし、レストハウスで朝食も取れる。
小出からR352湯之谷を経由してシルバーラインを通り奥只見ダムに。
シルバーライン、奥只見。どっかで聞いたような名前。そう、あの織田祐二のホワイトアウト(ケイト・ベッキンセールじゃないよ)の舞台となった奥遠和ダム・奥遠和シ奥只見ダムルバーラインのモデルがここである。十数km続くトンネルを越えていく、映画の設定どおりの秘境である。映画ではダムの撮影は黒四だった。諸々の理由からだろうが、ここまでやって奥只見ダムが使われなかったのは悔しいの一言である。

奥只見ダムの懐にあるレストハウスは今でも雪に覆われていた。レストハウスから少し登ったところに丸山スキー場を望むある丸山スキー場は、春休み前にオープンし、今もシーズン真っ盛りである。レストハウスの駐車場もほとんどがスキー・スノボの客である。若いころはGパンにトレーナーでよく滑りに来たものだ。

ダムに通じる遊歩道は雪の壁だった。雪解けの水にふきのとうがあちらこちらに顔を出している。“知ってるよ。天ぷらにするとおいしいやつ”と娘。こいつは食うことしか頭にダムへの道ないのか‥‥。

奥只見ダム。昭和36年完成。高さ157m・堰堤長475m(全国5位、重力式ダムとしては日本一)・貯水量601百万 m3(総貯水量としては2位‥‥最近徳山ダムに抜かれたが、この上位2ダムはダントツ双璧で他の追従を許していない)・発電所の出力56万kwは水力発電としては日本一。まあ、何をもって日本一とするのかによる奥只見ダム堤頂が、その規模からいえば奥只見ダムは日本屈指の巨大ダムであることは間違いない。建設の背景、雪に閉ざされた秘境故の難工事からも黒四と並ぶ双璧と思える。

土産にけんちん汁の缶詰を買う。ここのけんちん汁缶は最高である。最近は高速のSAなどでも売られているが、ここで買うことに意義がある!?看板
帰りも同じくシルバーラインを抜ける。関越トンネルと違い、此方のトンネルはスリル満点である。“赤い月”に襲撃される前に麓に戻れて一安心‥‥?


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東京古墳めぐり番外編その3

今回の予定ミッションは全てクリアしてしまったが、まだ時間に余裕があるので、気になるスポットに行ってみることにした。麻布台にある“日本経緯度原点標の碑”。それ天文台跡は ロシア大使館の裏手にある国交省狸穴分室の隣にある。(国交省狸穴分室は現在取り壊されて窪地になっていた)
日本経緯度原点は明石にあるものとばかり思っていたが、実は東京にあったのだ。こ こにはかつて三鷹に移転する前の国立天文台(当時は東京天文台だった)があった場所だ。
現在ではこんな場所で天文観測など考えられないが、碑のすぐ脇はかなり高い崖になっているように、当時としては高台で観測には一等地だったのだろう。東京 でプラネタリュウムのフル投影なみに星空が見えるなどと想像だけでもファンタジーである(柄にもなく‥‥)。

また振り出しだが、飯倉か ら渓谷東 京タワーを抜けて帰ることにする。東京タワーの真下でちょっと休憩。平日なのにカメラを手にやってくる人たちは多い。
タワーの麓に小川のせせらぎと渓谷を発見。何回も着ているのにはじめて気がついた!タワーの建っている台地と、午前中の癸横狂妬の台地の間の谷状になっ た場所である。道路に挟まれたわずかな空間ではあるが、以前はきっと深い渓谷をなして丸山古墳の麓を通り古川に通じる支流だったのだろう。ここだけ見てい るとビルの谷間とは信じられない。いつものところ

帰りは築地から勝鬨橋を渡り、お決まりの晴海大橋コース。いつもの場所で記念撮影とおべんとうタイム。(バカの一つ覚えだ)

帰りに薬をもらいに病院へ立ち寄り、更に足を延ばして押上スカイツリーへ。ここも平日なのに人盛りである。
東京タワーの下から撮影したものと同じようなアングルで此方も一枚。どちらも随分華奢に見えるが、強度的には世界に誇れるものである。さすがにA・モール トンと同じトラス構造!??。しかし東京タワーは完成以降無数の怪獣や宇宙人の襲撃をうけ何回再建されたか不明なほどらしい。
スカイツリーはその 轍を踏まないよう、きちんとした再建記録を残してもらいたいものだ。

またまた半日ポタではあったが、また別の東京を発見した気分であった。東京タワー3スカイツリー

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東京古墳めぐり番外編その2

虎ノ門を過ぎて、溜池から赤坂の氷川神社へ。静かな住宅地の中に古の佇まいを残して神社があった。ここも古墳に指定さ氷川神社3れ ている。“史跡癸幻妬”。これもかわいそうな名称だ。氷川神社も都心とは思えない閑静な空間だ。でも古墳てどこ?丘陵の階段を登ると境内はまっ たいら。道を挟んだ反対側に更に段丘らしい丘があるが癸横彊幣紊妨妬を連想することは出来ない。
でもいい雰囲気だから参拝に来たと思えばいい。 階段を下りると四合稲荷という社があった。縁起は見なかったが語氷川神社1呂 合わせで幸せになれるよう参拝。でもお賽銭入れなかったからだめか‥‥

写真を撮りながらふと思う、港区は今でもこんなに緑が豊かで、自 然の佇まいを残したところが多いのか。江東区が失ってしまったものを必死に取り戻そうとし ているのに、港区は疾うの昔に失ったと思っていたものがいたるところに残っているような気がした。
日枝神社
氷 川神社から表通りの雑踏に戻り日枝神社へ。ここも小高い丘の上にある。家康公の江戸入り以前は、この地は低地部が少なく丘陵が海岸に迫り谷の部分にわずか な低地があった。日枝神社の高台もかつては海岸に面していたのかもしれない。絶好の古墳ロケーションともいえる。正面の重厚な階段を上り境内へ。ここはメ ジャーな神社だけあり整古墳?1然 としている。地形的には北に行くほど高くなっている。
社殿から更に奥の末社の裏側が盛山となっている。ここがお目当ての未確認古墳らしい。確かに 一見すると銚子型をしている。長さは30m位だろうか。
ちょうど中央部辺りに隧道がある。隧道は短く反対側は崖のように開けている。古墳だとして も大半は削られて消失している様だ。敷地は立ち入り禁止になっているのでこれ以上の詮索をあきらめる。古墳?2

伏 見稲荷を思い出す稲荷参道を潜って戻る。古代のかけらも見出せないようなスクラップ&ビルドの街東京も、実はいたるところに古代への扉が残されているもの だ。日枝神社2










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東京古墳めぐり番外編その1

平日の休み。予報天気は曇り朝晩雨。
お昼過ぎまでの空き時間何し増上寺よ うかと思っていたら朝からの好天気。急遽ポタに出かける。
また古墳周り。しかし今回は番外編。インターネットを検索したら“未確認古墳(UKO? か)”の記事を発見。
“いってみよう”を本日実行。
東京タワー2 第一の目的地は港区芝。都内最大の丸山古墳のすぐ傍。未確認古墳の名前は“史跡癸横狂妬”。なんともかわいそうな名だが、実は名称はないのだ。都が古墳 として史跡登録しているだけらしい。
それは増上寺の境内にあ26古墳1り、現在は墓地と 駐車場になっていた。快晴の空に東京タワーがとても美しい。やはり世界に誇る東京のシンボルである。
田 無タワーに負けていない。
見直し たぞ!??

さて、“史跡癸横狂妬”だが、いって26古墳2みても規模も形状 もわからない。もちろん案内板もない。位置からすると丸山古墳から谷を挟んで北方300mにある。納骨堂 がある辺りが後円部でそこから伸びる駐車場の端が前方部か?距離にして60〜70mくらい。ここから想像できる古墳の規模は60m級だが、更に隣接する墓 地も含めて基壇とみなせば100m級の前方後円墳もいけそうである。 
但しそこから在りし日の大形古墳 を想像することは出来ない。丸山古墳の被葬者と同族で、その前後の首長墓なのだろうが、確認できないのは残念だ。
芝丸山古墳1 後円部頂より前方部
せっ かくここまで来たのだから丸山古墳にもいってみる。前回は写真がピンボケだったので今回も同じアングルで取り直す。何回も足を運ぶうちに古墳の全体像 もつかめてきた。やはり大きい。史跡台帳に記載された125mも強ち頷ける。それぞれの古墳から互いの古墳を望む。その当時の地形がありありと浮かんでく るようである。
丸山古墳より26を望む26より丸山古墳を望む

丸 山古墳を後にして次に行く前にちょっと寄り道。増上寺の丘陵の更に北に愛宕山という山がある。30年近く前、駆け出しのセールスのころこの辺りはルート だっ愛宕トンネルた。愛宕トンネル へ続く道は都心とは思えない佇まいで、当時トンネルを抜けたところは小さな商店街と普通の民家だった。ま さに都心の中の別天地でここの風景がとても好きだった。四半世紀ぶりにトンネルをくぐる。やはりタイムトンネルだった。マンションや高層ビルの谷間にほん のわずかだけ面影が残ってはいたが、そこにも昔の風情を見出すのは難しそうだ‥‥。
愛宕神社 その当時愛宕山に登ってみたいと思いつつ果たせなかったので今日は天辺まで自転車クライムする。頂上の愛宕神社に参拝。登ってみると結構高い山だった。あ の当時ならもっと景色がよかったのだろう。

愛宕山を抜けて氷川神社に向かう。虎ノ門交差点からあるオフィスビルをワンショット。今では ほとんど目立たないビル霞ヶ関ビルpだが、知る人ぞ知 る霞ヶ関ビル。地上36 階、147m。日本初の超高層ビルである。自分にとって“超高層ビル”と言ったら都庁でも六本木ヒルズでもない。霞ヶ関ビルである。霞ヶ関ビルが落成して 間もないころ、母が当時の幼い自分をつれてきてくれた。多分36階の展望に感動したのだろうが、まったく覚えていない。唯一強烈に覚えているのは、混雑し て待たされてやっと入れた喫茶店(レストランだったかな)の珈琲が500円でめちゃめちゃ高い(その当時の珈琲価格は知らないが)と母が帰る途中も、帰っ てからもずっと文句を言っていたことだけである。子供心に霞ヶ関ビルは高さが高いと言うことより珈琲が高いという変な印象が残った。
今では隣接 する、より高いビルに囲まれて、存在感も薄れてしまったが、時間のあるときに珈琲でも飲みにこよう。
いくらだか楽しみである。    
続く

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ハンドル周り交換その2

TS−7のハンドル周り交換で取り外したパーツを602に再移植する。
F20−ASのポスト・ステム・TS−7オリジナルハンドルバーを取り外ず し、ベンチュラ20T+サトリヘッドアップ1のポストとボントレガーステム・ルイガノLGSバー&タイオガPステッド6ミニを装着。
但し、こちら も0出費ではない。サーファスエンドバーとともに取り付けたワンコインエルゴグリップはゴム肉の塊で、やわらかいのはいいが、見ていても握っても重ったる いので、TS−7と同じUAプロフィッターを購入。グリップ感も見栄えもこちらのほうが格段にいい。ポストを交換したことによりバーの高さは 30〜40mm程度下がりTS−7に近いポジションとなった。

602号は“通勤買足”車なので重量にはあまりこだわらないが、軽量化とい う意味ではこちらのほうが効果絶14大 である。15
ハ ンドルポスト523g→322g=−201g、
ハンドルバー261g→214g=−47g、
グリップでも左右で10〜15gの軽量化には なっているだろう。都合260g強の減量。
それにしてもTS−7オリジナ20ル ハンドルは重い!収納式ロックを取外し両端を20mmカットしてこの重さである。

フロントのスタイルが精悍になったついでにシートも元の TS−7オリジナルに戻してみた。ゲル入りカバーも復活である。さらに134gの減量!。といってもサンタさんがお父さんのお尻のためにプレゼントしてく れたBBBソフトシェイプを無にする事は出来ないので、気分とお尻の具合で都度交換にすることにした。21

大 幅にスリム化した?602号であるが、最近リバウンドしだしたオーナーの増量分のカバーとしては、残念ながら“焼け石に水”のようである。

 

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ハンドル周り交換

今年は年初からトラブル続きなので、“何か気分転換”ということでまた無駄遣い。44
ア ルミの軽量ポストを入手したので、それに合わせてハンドル・ステム・シートポストを交換した。カラーを黒からシルバーに変更。あくまで気分転換が目的だ が、やはり換えるなら多少は軽量化したい。61

ア ルミポストは先端を約40mmカット。バーは両端を20mmカットした。

ステム・固定用クランプも含めて587g
−現行品が 交換部総重量758g=−171g15の 軽量化。ポスト以外は中古の無名品だが程度もよく軽いので正解。16

エ ンドバーはセコによいものがなかったのでアミーバのショートバーを新品購入。リーズナブルでパワーステッド6mと同じ重量の62g。ハンドル周りはシル バーを基調にしてシンプルで円熟?シルバー?な感じになった。

シートポストはカロイSP374−350mm
TS−7純正と同じ も の。デザイン好みと使いやすさで最後まで残ったオリジナルパーツだった。
しかし市販ルートでは標準の28.6Фがないので27.2Фにシムを 介し た。単体の重量は同じ。ほぼシムのオーバー分で+13g。15Ф が1.4mm細いのに同じ重量というのはちょっと納得できないがデザインはお気に入りなので〇。但し、いかにも細身になってしまったのがちょっと△。 


1413
と にかく取り付ける。シムを介しているためか微調整と締め付けがやりずらくなったのは×。まぁ一回固定したらあまり変えないのでとりあえず我慢。

シー トポストの交換には大きな意義??がある。フレーム本体と前後サスを除くと残された最後のオリジナルパーツだったのだ。17‥‥ 否!シートの下でリクセン化された反射鏡がまだ残っていた‥‥!?

“ポスト交換を機にショートブルホーンに‥‥”なんて衝動もちょいと よ ぎったが、それはまた後のお楽しみに‥‥。
今回は気分転換の他に、気持ちばかりの軽量化になった。軽量化コストは100円/1gなどといわれ るが。それよりは随分安く上がった。




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さくらまんかい

さくらの季節だが家族で何処にも行けない。仙台堀2
せめて近場でもと思い、日曜日に出かける。
娘の新学期の準備にトピレック=イオンで買い物をして仙台掘親水公園をポタする。
今日のお供は、 娘のラブソニック号と602。

全長3.7kmの親水公園のうち900mにわたって350本のさくらのトンネルとなる。細長い遊歩道であるので大きく茣蓙を広げる仙台掘3場 所は少なく、割とこじんまり花見を楽しめる。今日は朝から花曇りの天気は、冬に逆戻りしたかと思うような花冷え。座り込んでの宴会も少ない。満開のさくら もちょっと色あせている。仙台堀

さくらの下で思わずいい顔の娘をワンショット。〇禁?で残念?!

仙台掘公園を西に向かうと横十間川にぶつかる。お決まりの横十間川を北 上してクローバー橋を渡り猿江公園とスカイツリー、ティアラこうとうを過ぎると猿江公園につく。
こちらはさすがに人の波、今にも雨が降りそうな天気でも宴会は盛ん。陣取りも出来る広いスペースに200本の桜が咲き誇る。
‥‥これが200本?じゃぁ仙台掘公園の350本ってものすごいんだ、とへんなところに感 動!

公園内の数少ない猿江公園とガーデンタワー喫煙スペースで一服。後方に見えるのは城東地区でも数少ない高層マンションの“ガーデンタワーズ”。39階建、地上139mのツインタワーで、1997年竣工当時は江東区で一番高い(高低の“高”です。高安ではない!)マンションだったはずだ。(豊洲のオフィスビルを除き、でした)
江東区のほとんどの高層建築が豊洲湾岸周辺に乱立している中で、唯一内陸部のランドマークである。


 娘は友達猿江公園2と出会って勝手に遊びに行ってしまったので、一人で散策する。芝生の広場の側道は駐輪場と化しているが、逆に雑踏の流れから外れてゆっくり歩ける。

年末に娘と来たアスレチック広場。木を基調としていた遊具は、鉄製の綺麗だか一般的な遊具に変わっていた。木はささくれや棘による怪我があるからだろうか。猿江公園
昔は公園の遊具はその公園の特色ともいえる変わったものが多かったが、近年はどんどん汎用化されているみたいだ。安全上の問題が大きく取り上げられるようになったからだろう。
保護者としてはよいことかもしれないが、少しさびしい気もする。今の子供は手加減を知らない。それは親の責任でもある。

などなどまともらしいことを考えているうちに、小雨も振り出し帰る人もでてきた。こちらとしてもそろそろ撤収することにする。

来週末まで桜がもつのなら、桜吹雪の中をポタリングしたいものだ。保坂由佳(しつこいが小阪ではない)を聴きながら‥‥



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城北ポタリングその4

古石神井川ラインくだり?で上野まで戻ってしま幻の環3っ た。ここまできたらついでに行きたいところがあるので足を延ばす。
小日向の獄門橋。不気味な名前である。いつ頃まであったのかは不明。庚申橋という名前は残っているようなのだが。
春日通を北上し、小石川5丁目の交差点で暫し休憩。ここも昔の遺構?である。
まぼろしの環状3号線。東は辰巳から三つ目通り、牛島より言問通りとして谷中まで。西は曙橋から、外苑東通りとして六本木ヒルズの横を抜けて赤羽橋、芝丸 山古墳の前 方部丘陵を削っ獄門橋付近?て浜松町まで。それら現道路をつなぎ合わせて総称を環状3号というのだが、その東西を結ぶ道路計画が中断されたまま、一部 残っているのがこの通り。ここも2〜3週間後には桜の名所と なるところ。

さて、目指す獄門橋は小石川5丁目交差点のつんのめりそうな急坂を下り更に左折した先にあったという。
そこは現在はメトロ丸の内線の操車場になっている。左折して操車場のトンネルを抜けると“切支丹坂きりしたん屋敷跡”に通じる。橋はその袂にあったという。昔3人の盗賊がそこでさらし首にされたことが名づけられた橋は、地下鉄工事ととも になくなってしまったのだろう。
坂の上には切支丹屋敷跡の碑があった。今は閑静な普通の住宅地である。

さてさて、まだ時間があるのでまた北上することにする。とにかく裏路地を抜けて伝通院から小石川植物園横に。榊原伊織がいたところかな?しばらく行くとい きなり吉弥生の楼閣?野ヶ里の楼閣みたいなものが出現。さすがに文京区は弥生の町‥‥と思いきや、消防署であった。火の見櫓にしては変だな。

とにかく更に北上。文京区は急坂が多い。市街化される前は奥深い山だったのだろう。千石から山手線に掛かる橋を越え庚申塚に。じじばば銀座(失礼!)の裏 手を抜け、明治通り・元の石神井川を越え、自衛隊駐屯地を抜けて北上したところでまたまた発見!富士塚である。

十条富士塚と標された富 士塚は 大地の上にいきなり小高く聳えている。ここも駒込の富士神社同様、富士講の拠点だったようだ。江戸時代には市内のいたるところから富士山が見えたと同 時に、いたるところに富十条富士塚士 塚があったらしい。例によりここももとは古墳だったようだ。
更に北上して赤羽へ。赤羽で昼食。過ぎてから気がついたのだが、赤羽にも稲付城という城址があったらしい。戻るのも面倒なのでまたいつか来よう。

帰路は新荒川大橋から荒川 サイクリングロードを下る。荒川土手に出たところに治水資料館があるので立ち寄る。現在の荒川は人工の放水路である。20年の歳月を要し昭和5年に全通し た現荒川は幅500m、岩淵水門長 さ22kmの大人工運河である。旧水路の隅田川を隔てる岩淵水門は大正13年に竣工した。
現在は下流300mほどのところに新水門ができて、旧水門は都選定の歴史的建造物として保存され、北岸は中之島(水門公園)と呼ばれる島状に残されてい る。こう なったのはつい最近のはずだ。若いころは戸田方面からの帰宅に近道としてよく車でこの水門を通った記憶がある。
現在は新水門から対岸に渡れるが、今は歩行者と自転車のみ通行可となっている。今となっては車通行止めは逆にいいことだ。

荒川サイクリングロードはまた強い向かい風である。今回は風に逆らわずローギアでゆっくり進む。巡航速度は16〜18km/1h。意図的に速度を抑えたの で、昨年2月に笹目橋から南下したときよりははるかに楽ハープ橋で ある。例の保坂由佳を聴きながら、ママチャリに抜かされてもひたすらのんびり走る。ノンストップで木根川橋まで南下。子供のころの木根川橋は現在より 100mほど上流にあり、木造の橋だった。さだまさしの歌うあの木根川橋である。
ここから見る久々のハープ橋が綺麗だったので1枚。葛飾ハープ橋は首都高中央環状線の橋である。中央環状線は四ツ木まで綾瀬川東岸を南下するが、このハー プ橋により綾 瀬川を斜めに渡り、合流する中川と荒川のいわゆる“中土手”を通って清新町まで一気に南下し再び中川を渡り湾岸線に合流する。
ハープ橋は荒川を横断する橋ではないので荒川の橋としては取り上げられないことが多いが、荒川土手から見える橋としては最も美しい橋のひとつだろう。

小松川公園まで来たのでここから荒川と分かれて家路に向かう。ここから河口までは何回も行っている。帰宅はpm4:30。今回は結構無計画ながら楽しめ た。

本日の走行64km。久々のK点(50km)越えだった。
本日のお土産 飛鳥山常設展示案内・北区の水ものがたり
2冊で1,000円也

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音無川から不忍池のルート河川争奪?
滝 三幼稚園⇒ゲーテ記念館⇒霜降商店街⇒田端銀座⇒よみせ通り⇒蒲生君平の墓⇒池之端三丁目

ほぼ谷田川・藍染川ルートに沿って南下したよう だ。

旧川床








但 し、古石神井川がこれら近世の河川のルートと同じだったかはわからない。
当時の川床は深い堆積の下にうずもれてしまっているのだ。

不 忍池
江戸時代までの不忍池は北に長く伸びていた。
明治になり競馬場造営のため埋め立てられ、現在は上野恩賜動物園西園となっている。古地図
当 時は藍染川は池の西岸を迂回して、東南方面に流れていたようだ。


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城北ポタリングその3

以前から千葉古墳めぐりに空けておいた平日休。しかし折からの財政難で断念。そこで桜の季節を待たずして捲土重来(またか!)
先日短時間で周れ切れなかった王子周辺をリベンジ。
am8:15に出発。今日は時間があるので巡航速度は18km。通勤時間帯なので群がるツーキ ニストに邪魔者扱いされながらもゆっくり走る。吉良邸から国技館を通り厩橋から雷門へ。最初の寄り道先は浅草。???1浅草十二階
最近スカイタワー西東京やスカイツリーをネタにしてきたが、もうひとつのネタであるかつて浅草の象徴だった凌雲閣、通称十二階のビューポイント。亡くなっ た谷中育ちの祖母が十二階と谷中五重塔の話をしてくれた。仁丹塔に喜ぶ自分に、“昔はあれよりずっと大きい本物があったんだよ”と。地上12階、52mの 赤レンガ塔のあった場所が今はどうなっているのかを見たかった。
写真の旧四区、浅草大池は現在ウインズに、池越しに聳える凌雲閣はパチスロサン シャイン浅草になっていた。絵葉書のビューポイントは現在はご覧の通り。
凌雲閣も浅草大池もそして子供のころの仁丹塔も現在はない。コミュニティバス
凌雲閣があったであろう周囲には同じくらいの高さのマンションが乱立している。いまや“凌雲”は600mの時代なのだ。‥‥そこでふと思う。スカイツリー の634mは“武蔵”からとったという。でも押上って厳密には“下総”じゃないのかなぁ‥‥
ま、それは追々調べることにして、国際通りへでて言問 通りから日暮里 に向かう。台東区は面白いデザインのコミュニティバスをよく見かける。観光だけでなく立派に住民の足になっているようだ。

さて、前回何の手がかりもなかった平塚城の遺構。今回は上中里駅の崖下側から古墳の全体像や平塚城の遺構を見つけるべく飛鳥小道に向かう。
ところが工事中で高いフェンスで覆われており何も見えない。ここまで例の発掘調査をしているのか?搦め手攻略またまた失敗。これは滝山城より手ごわいぞ。 太田道灌みたいに火を放って退散するか‥‥駅前は禁煙だった‥‥王子山古墳
20インチの痩馬一騎では太刀打ちなるまい。攻略には700Cの騎馬軍団が必要か‥‥??

平塚城攻略をあきらめて再び飛鳥山に。前回入れなかった庭園の柵は開いていた。公園から見る古墳は小さかったが、庭園の下から見るとなかなかのものだ。発 掘跡の石室らしい ものが露出していた。
気をよくして飛鳥山博物館に‥‥。えっ、常設展示場はリニュアル工事中!またまた門前払い?発掘内容も知りたかったのに‥‥“お土産売り場と喫茶店は開い ています”とのことで常設提示案内を買って、喫茶店でティータイム。常設提示案内といってもA4版カラー写真の解説書で700円とはとっても良心的だ。
時間はまだam11:00.この後のあてはない。地図もガイドもない。痩馬とのぶらり旅‥‥

本日のお供はTS−7と保坂由佳。小阪由佳と間違ってはいけない!
カミサンのipodを借用してきた。和製楽器をPOP調にクロスオーバーさせたサウンドはヒーリングというよりフュー ジョン系といえる。特に“華”などは満開の桜吹雪の中を走りながら聴いたら最高だろう。まだ桜には早いのだが琴と尺八のコラボを聞きながら旧流路発見?、また滝野川渓谷方面をうろつく。つぎの散策は石神井川の古流跡。古石神井川は不忍池へ注いでいたという。どこかにその痕 跡がないか‥‥
ちょっと上流に大きな谷と旧流路らしき公園を発見。ここかな。
“音無さくら緑地”と標された低湿地は近年の護岸工事による石神井川の蛇行跡らしい。

古石神井川は音無橋の手前から一気に南に進路をとり本来支流であった谷田川と合流して不忍池に注いでいたという。現在の流れになった後も度重なる洪水の堆 積や近世の護岸工事でその痕跡を目で見るのは不可能なのだろう。
博物館の解説によると現在の流路になったのは縄文時代の河川争奪によるとある。
“河川争奪‥‥!?。”奪い合い!
米作りもしていない縄文人が何故、山を切り崩してまで河川の争奪をするのか??、と、思ったら河川争奪とは土地の侵食による河川の自然流路変更のことらし い。

旧流路の痕跡が不明のため、音無橋のすく手前から折曲がった路地を南下する。明治通り・都電荒川線を横切り更に南へ。住宅地の中をうろつく。地図は必要な い。水の流れのように絶えず より低いほうへ行けばいい。交差点のたびに自分が左右より低いところを走っているか確認するだけ。上りがないからこれは楽!
細い路地、狭い商店街をぬけて山手線のガードを潜る。現在の谷田川は暗渠になっているというが、果たして道路の下に今でも流れがあるのか?谷田川河口?
千駄木を越えたころから道は狭い曲がりくねった路地になった。これはまさに川のなごりだ。やがてまた道は直線となり突き当たる。
この先は上野動物園だが、もともと上野動物園西園は不忍池の埋立の後に造られたものらしい。
とりあえず古石神井川攻略成功‥‥なのかなぁ。

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城北ポタリングその2

飛鳥山についたときはすでに17時7分前。博物館はすでに閉館準備だった。無理やり頼んでもゆっくり見れないので断念。飛鳥山付近を散策する。飛鳥山飛 鳥山の児童遊園にはD51や古い都電の車体が展示されている。最近SLが観光目的?で復活されているが、子供の頃は田舎ではごく普通に走っていた。東京育 ちには珍しいものだったが、よくトンネルに入ったら窓を開けていてはいけないと注意されたのを記憶している。

児童遊園の奥にまたまた仕切られているところがあり、小高い塚らしきもの‥‥。どうやらこれも古墳らしい。結構この辺も古墳がたくさんあるようだ。帰宅後 調べたところ飛鳥山1号墳という名称で、直径30mの円墳だった。

‥‥そんなに大きくは見えなかったけど‥‥
飛鳥山‥古墳?ついでにTS−7飛鳥山で一服休憩。この辺はもう少しすると桜の名所としてとても賑わうところだ。日没までにはまだ少しあるので滝野滝野川渓谷川 渓谷に行って見る。そう、都内で渓谷といわれるところは等々力渓谷だけではないのだ。

石神井川は以前にはもっと南を流れて不忍池へと流れていたという。いつから今の流路になったのかは諸説あって明確ではないようだ。過去の流路も現在ではそ の痕跡を見ることは難しい。今渓谷を作り出している深い谷間も、かつては何回かの洪水を引き起こして下流に大きな被害を出した。その結果新たな放水路とし て昭和44年に飛鳥山を貫くトンネルが開通しかつての滝野川渓谷は公園となった。こちらは紅葉の見所として有名である。

石神井川隧道
王子から滝野川周辺は都内で唯一残った路面電車(都電荒川線)が文字通り路面を走る唯一の場所でもある。都電荒川 線も以前は荒川区や大塚駅周辺など、結構路面を走っていたのだが、道路整備などによりほとんどが道路と遮断されてしまった。ここ以外ではすでに“路面電 車”とはいえないのだ。昔は通学や仕事で普通によく乗ったのだが、今でも健在なのはうれしい。

昔は江東区路面電車のある風景でも都電はいっぱいあったのに‥‥上野なんかじゃトロリーバスなんていうのもあったりして、結構面白くてエコな乗り物がた くさんあったのに、いまさらハイブリッド何ぞでエコもへったくれもないだろう。

日も暮れてきたのでそろそろ帰宅する。帰りも上野台地の縁に沿って谷中まで戻り、言問通りから亀戸経由で帰宅。言問橋から夕暮れ時のスカイツリーを1枚。 ライトアップするのが楽しみである。
飛鳥山には再度リベンジしたい。都電に乗ってゆっくり回るのもまた一興である。出スカイツリー夜景来れば桜か紅葉の季節がいい。

本日のポタリング3時間30分 走行33km
‥‥近いと思ってい たが結構走った‥‥








 

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城北ポタリングその1

たまの日曜休日。富士神社古墳全景
夕方に暇が出来て久々のTS−7出陣。今回は趣向を変えて北に。北区周辺のスポットを散策する。まずは前回の東京古墳めぐりで行きそびれた富士神社古墳を 目指して都内を北上する。

問通りから谷中を抜けて不忍通りから本郷通りを左折。富士神社はそこからすぐの裏通りにあった。富士神社は寛永5年に現在の場所に移され、富士塚といわ れた小高い塚の上に社殿が建てられ、富士山信仰の場所として知られている。この富士塚が富士神社古墳なのだ。
広い境内の奥の社殿のある塚が前方後円墳といわれ富士神社古墳後円部ている。早速拝礼して登る。社殿のある場所は狭い。奥の少し下がったところに小さな広場がある。社殿のある場所が後円部頂 上でこちらの広場が前方部になるのだろうか。

かなり破壊されているようで全体像がよくわからない。どこかに看板でもないか探す。富士山 信 仰についての案内板はあるが古墳の案内はない。よく読むと“一説に前方後円墳とされている”とある。

ここは古墳としての史跡指定もさ れて いないようだ。データによると墳丘長45m、後円部高さ5.5mとあるが築造時期は不明のようだ。発掘調査もされていないのだろう。前方部より後円部(たぶん)
人工の山は山でも富士山信仰の目的で造られたと思われているようだ。都内最大125m(現在の測量値では106mとある)の芝丸山古墳でさえ一見すると古 墳には見えないのだからしょうがない。知られざる古代スポットという感じだ。

富士神社を後にして、次に上中里の平塚神社に向かう。富士神社から10分程度だ。もちろん参拝が目的ではない。この平塚神社一帯が豊島氏の居城である平塚 城址であり、その一角に甲冑塚古墳という直径40mの円墳があるらしいのだ。

平塚神社平 塚神社。縁起によると、八幡太郎源義家が奥州征伐の帰路にこの地を訪れた際に領主の豊島近義に鎧を下賜し、 近義はその鎧を埋めて塚を築き城の鎮守とたとある。その塚が甲冑塚とよばれ、平らなために平塚と呼ばれるようになったのだそうだ。

拝礼して境内を散策。城址も古墳も表す案内板も何もない。社殿のすぐ裏が少し小高くなっている。これが古墳かなぁ‥‥古墳?
立ち入り禁止なのでとりあえず外から写真を1枚。ほとんど高さがない。本当に平塚だ。
そのほかに平塚城の遺構でもないか見て歩くが、境内からは それらの痕跡は見当 たらなかった。

平塚城。鎌倉から室町時代にかけての武家、東京23区のひとつにも名を残す豊島氏の居城である。最後の当主は豊島秦経。秦経の時代には練馬城・石神井城を 含む東京北部一帯を支配した大豪族だ。
平塚神社TS-7文明9年(1477年)、敵対関係にあった豊島秦経と太田道灌は互いの居城を攻略すべく進発。両軍は江古田沼袋原で遭遇、 野戦となった。大軍で挟撃した秦経が一度は道灌を撃退したが、奇襲による道灌の反撃を受けて石神井城に退却。同城も包囲されて落城。照姫伝説の悲話を今に 残す。その後秦経は本拠平塚城に篭城するが翌年に支えきれず落城。再起を期して小机城に敗走したがその後歴史から姿を消す。

平塚城の規模は不明だが、石神井城と同等かそれ以上の規模を有していたと思われる。遺構等があるらしいがやはり不明。飛鳥山に博物館 があるので行って見ればわかるかもしれない。時間は17:00近い。‥‥だめかな?
神社を出る際にすぐ裏手でなぞの看平塚神社となり板と遭遇。何の発掘をしているのか?城郭の遺構か、それとも古墳の埋葬物か?この平塚城址とほぼ同じところに律令時代の豊 島郡衙もあったらしい。いろいろ発掘のネタがあるようだ。とりあえずすぐ傍の飛鳥山まで‥‥






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ウォーカーブラザーズ

二十有余年以来、相変わらずドライブのお供はジャーニーである。しかしもうひとつジャーニーより以前から(というより車に乗る以前から)お気に入りのグループがある。

ウォーカーブラザーズというグループである。(余人は知るわけないな、一般的に‥‥)
デビューは1963年。日本で知られるようになったのは1965年くらいからだろう。いくら中年親父とはいえデビューから知っているわけはない。(ハナタレ小僧にすらなっていない)CIMG0277
当時は“ビートルズ”・“モンキーズ”とともに洋楽ポップの御三家と言われていたらしい。その当時を知る初老のおば様方の言によると‥‥だが。
自分の若かりし当時は洋楽というとまずビートルズでそこからクリームやパープル・ツェッペリンというハードロック系に行くのが定石のようだった。ところがそこはひねくれものの自分は、片やキングクリムゾンやELP(エブリディ・ロープライスじゃないぞ)に走る傍ら、“ビートルズがこんなにすばらしいのだから当時のポップグループはみんなすばらしいのだろう”との安易な結論のもと、当時すでに忘れ去られかけていたリバプールサウンドといわれるグループを聞きまくった。DC5・ホリーズ・ゾンビーズ・サーチャーズ・Sブルージーンズ・ピーター&ゴードン・ハーマンズハーミッツ・その他諸々。結果としてそれは、消して安易な結論ではなかった。そんな中でたまたま出会ったのがウォーカーブラザーズ(以下W・B)である。

W・Bはリバプールサウンドではない。れっきとしたアメリカンポップのグループである。それでも当時R&Bやシャウトが主流のアメリカンポップの中では異端派だったと思う。リーダーのスコットエンゲルの太く深みのあるヴォーカルと重層なバックオーケストラ。一見ブリティッシュサウンドを思わせる渋さである。
ひところ、テレビのCMで“孤独の太陽(in my room)”なんかが流れていたこともあったが、どう見ても当時のギャル?がキャーキャーいう音楽ではない!(まぁ音楽ではなく顔とルックスだったんだろうな)。
 他にも“僕の船が入ってくる”・“もう聞きたくない”・“ARCHANGEL(天使のカンタータ)”などはリスニングルームで深いソファーに横たわってじっくり聞きたいような重厚なサウンドである。とくに“STAND BY ME”のカバーバージョンは今まで聴いたカバーナンバーの中では最もダイナミックだった。

メンバーはスコットエンゲル・ジョンマウス・ゲリーリーズの3人。1963年結成で1967年解散。日本で最も有名なのは1965年リリースの“ダンス天国”だろう。最もこちらに言わせると“最もW・Bらしくない曲”ではあるが‥‥。70年代に一度再結成をしてアルバムを1〜2枚リリースしているはずだが、その後はどうなったか知らない。

とにかく当時のレコードは音が悪いのにつけて、本人の取り扱いも悪かったので、今はイコライザーで好みの音質にリメイクしてMDでとりなおししたものを聴いている。孤独の太陽やダンス天国はいざ知らず、そのほかの曲は、いま車の中で大音響で聴いていても誰もわからないだろうから、結構楽しんで聴ける。
さすがに毎回ジャーニーというわけでもないので、このW・Bはじめ当時のレコードから録音した60年代・70年代・80年代のポップとKクリムゾンはともにドライブのお供として欠かさず携行している。
‥‥でも車で“クリムゾンキングの宮殿”をでっかい音で聞いていたら、絶対“変なおじさん”だよなぁ‥‥

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五条野丸山古墳

古いデータを整理していたら1枚だけのフォトデータを見つけた。
日付は2007年2月。ちょうど4年前。
関西出張の際に1日の休日で明日香村に行ったときのものだ。写真は五条野(三瀬)丸山古墳。
MTBルックのクロスバイクをレンタルして明日香村を周ったときのものだ。

明日香村と言うと石舞台や甘樫丘、高松塚古墳が有名だ。当時は甘樫丘東麓の曽我邸跡?と言われた発掘が世間の話題となり、ぜひ行きたかった。もちろんそれらは見て回ったが、そのほかにぜひ行ってみたかったのが五条野(三瀬)丸山古墳。狭義の意味では飛鳥ではない。

五条野丸山古墳。墳丘長318m。現存する全国第6位、三瀬丸山古墳奈良県下では最大の巨大墳墓である。
墳丘の一部が陵墓参考地となっているが、周囲は自由に入れると言う情報をつかんでとにかく行ってみた。豊浦から橿原神宮前駅に向かってR169を左折してしばらく行くと左側にその巨大な姿を現す。R169はその前方部を削り取って南下している。

行って見ると立ち入り禁止は後円部上方のみで前方部全体と後円部下段は自由に散策できた。周囲を散策した後前方部の頂(といってもまっ平らだが)に立つ。このでかさには感動。まさに映画で見る空母の甲板のような感じだ。前方部墳丘が艦橋といった形で突出して聳えている。
実はその先年、岡山の造山古墳を訪れている。もちろんここも墳丘への立ち入りが可能なのだが、造山古墳は麓でこそその巨大さには圧倒されたが、登ってみても古墳としての大きさを実感できなかった。
あまりにもでかすぎる!周囲の山に溶け込んだその墳丘はただの山なのだ!
その点、丸山古墳はふたまわりほど小さいものの古墳の形状を認識できて、むしろ墳丘としての大きさはこちらのほうが実感できた。

丸山古墳は前方部が極度に発達した終焉型の前方後円墳で6世紀後半の築造とされる。これ以降畿内では巨大古墳が姿を消す。後円部には石舞台も凌ぐといわれる全国最大級の横穴式石室があるが残念ながら立ち入りは出来ない。被葬者は不明。候補者としては欽明天皇が挙げられている。但し、欽明天皇陵としては丸山古墳より南方1kmにある、全長140m、ほぼ同時代の築造とされる梅山古墳が比定されている。立地・年代・実証的にも文献に合致するという。そのほかの候補者として筆頭に挙げられるのは蘇我稲目という人物だ。稲目は蘇我馬子の父で蘇我氏興隆の基を築いた人物だ。
蘇我稲目が丸山古墳の被葬者とすると、臣下である大臣が大王を遥かに凌ぐ権勢を有していたことになり、大王自らそれを認めていることになってしまう。蘇我氏大王説も頷ける所以だ。

巨大古墳を造るための正確な測量技術と高度な築造技術。それが寸分変わらぬスケールモデルとしてほぼ全国一斉に波及する情報伝達力を有したこの時代に、最高峰の巨大古墳の被葬者も正確に伝わっていないことのほうがUFO以上のミステリーだ。当時の何者かの権力によって徹底的な情報操作が行われたと考えるほうが、素人にはごく自然的である。当時にはそれだけの権力と技術があったのだから。

丸山古墳を訪れてすでに4年経つ。機会があればまた飛鳥の地を訪れたい。そのときはまた周囲の景色や家並みも変わってるだろう。但し、1500年近い年月から比べれば4年の月日は塵に等しい。巨大古墳だけは築造当時の真実を飲み込んだまま、変わらぬ姿で迎えてくれるのだろう。
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