KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

JOURNEY

 なぜかJOURNEYにはまり続けている。
学生時代に“WHO’S CRYING NOW”と出会って、もう30年近くなる。(歳がばれる?)
 あの当時失恋と相俟って、友人と横浜の公園の裏手(のようなところ)に毎週のように出かけて一晩中語り明かしたことを思い出す。そのときに流していたのが“WHO’S CRYING NOW”。
 今では友人の所在も不明、当時のその場所がどこだったかも思い出せない。(元町のあたりだったような)この曲がJOURNEYと知ったのも、その数年後のこと。自分にとってはもうひとつの名曲“SEND HER MY LOVE”が偶然にもJOURNEYと結びつけてくれた。
 
 それ以来、この2曲はカセットからMDへと当時のラジオから録音されたままで聴き続けていた。その後パーツパーツでJOURNEYの曲と出会っていくのだが、あのエルグランドのCMでついに我慢できなくなり(我慢するほどのことか?)自分のお気に入りすべてが入っているベストアルバムを購入した。
 特にお気に入りは上記の3曲“WHO’S CRYING NOW”・“SEND HER MY LOVE”と“DON’T STOP BELIEVIN’”である。JOURNEYといえば日本での代表曲は“SEPARATE WAYS”や“OPEN ARMS”なのだが、やはり音楽は個人の体験や思い出とともにあるものなのである。
 20数年ぶりにCDのクリアな音でよみがえったJOURNEYの名曲たちには、また新たな感動を覚えた。
 
 最近、仕事でKARANO号に乗る機会が増えた。月間1、000kmを超えるようになり、タイヤ交換の危機がちらほらしてきた。
 信じられないかも知れないが、我が家ではいまだにレコードやカセットが現役である。KARANOにはカセットデッキがないのでMDにイコライジングコピーして聴いているが、いまだにCDよりレコード盤のほうが多い。(CD・MD・イコライザー自体がすでに前世代ものだが)

 一人で車に乗る楽しみは、なんといっても我が家で唯一の視聴覚室に変化であることである。純正装備のスーパーサウンドシステムはこれで十分いい音である。
 仕事での夜の高速のお供には必ずJOURNEYが入っている。今まで無数の曲に感動してきた。久々に引っ張り出してきて、新たな感動をくれるアルバムやアーティストは多いが、JOURNEYのお気に入りは20数年聴き続けてもまったく色あせない不思議な名曲たちである。 にほんブログ村 その他生活ブログへ
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生産終了

愛車が受注終了となって1ヵ月がたつ。
新機種の情報もないのでいよいよとは思ってはいたが。
愛車が生産中止になるのは初めてではないし、乗っている間にフルチェンジしてしまうのもいつものこと。
だからどうと言う事もないが、後継モデルがないというのは残念な話しだ。
 
 今の世の中3.5Lのフルタイム4WDなど地球資源をばら撒き捨てる悪の権化なのだろうか。
660ccで25km/L走る車より3500ccで6.5km/L走る車のほうがはるかにエコである。‥‥ともいえる。家電は大型化していながらエコを争う。矛盾した現象。単に冷蔵庫も洗濯機もテレビも小さくすればいいだけの話とおなじ。エコを名目に車を小さくする奴が何故大きなテレビを買う?
 
 もっともガソリン代がばかばかしくなって自転車に走ったのも事実。環境と経済を考えるなら乗る回数を減らせばいいだけのこと。エコだから買い換えようという発想自体が資源の無駄遣いではないか。今の愛車が歴代所有車の中でもっとも月間走行距離が少ないのも現実だが、それでいて不便を感じるわけでもない。
 
 とにかく、絶版になるのは自分のステータスのひとつである希少性の助長にはなるので、マイナスではないということにしておこう。もともとこのグレードが同車の中でもっとも不人気なグレードだったのも確かなんだけど‥‥。
 話題性がなくなることを気にする必要もないし。もともとミニバンの中ではハブだったのだから、マイペースでこれからも頑張ってもらえればいい。ワンオフサスで車高UPして林道を走る夢は断念せざるを得なかったが(その分自転車に入れ込みすぎてしまったが)。
 
 ひねくれているのは、やはりどこかに寂しさがあるからかな…


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同居人その2

 ドジョウが我が家の同居人になって1ヶ月。今度はカブト虫が突然やってきた。かみさんの同僚の人が家の近所にカブト虫がたくさん取れるところがあるというので、夜案内してもらった。
 場所は埼玉県某所。東京から下道で1時間ちょっと。こんなところにいるのかねぇ、とおもったらけっこう目視できるところにいるから驚き。結局その日は取れなかったのだが、娘が迷い込んだ民家(ごめんなさい)で、その家に飛び込んできて捕まえられたという大きなカブト虫の♂をちゃっかりいただいてきてしまった。近所ではこの場所は有名らしいが、東京からきたというので手ぶらではかわいカブト♂♀2そうということらしかった。(夜に勝手に侵入してきた見ず知らずの子供にどうもありがとうございました。)
 と、いうことでドジョウハウスのほかに急遽、新築が必要となってしまった。我が家のテーブルはドジョウとカブト虫の豪邸に占拠され、テブリーヒルズとなってしまった。
 そして更に驚愕の事件、翌日夜、突然管理人さんがやってきて、娘にカブト虫の♀をおいていってくれた。夜警をしていたらマンションの踊り場にいたそうだ。
 実は去年も夜警中にクワガタを見つけて、もらっている。飼われているのが逃げたのか、それとも付近のカブト♂♀1緑地に生息しているのか。(そういえば数年前にも遊歩道を歩いていたらクワガタと衝突したことがあった。家の周囲の環境は確かによくなっている。都会も捨てたもんじゃない…か)
 カブト虫は夜行性なので、昼はマットと朽木の下にもぐっている。深夜となるとでてきて昆虫ゼリーをアサってカタカタと音を立てる。うるさくて眠れない。こちらは癒しにはならない!セミのふ化
 ま、とにかく3LDK3人家族、自転車3台・車1台+同居人4匹の生活が始まった。

ps カブト虫とりのときにつかまえたセミの幼虫がふかしたところ。


 
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同居人その1

 先月子ども会のドジョドジョウ2ウ掬いで、娘がドジョウ2匹をゲットしてきた。
昨年も2匹ゲットしたのだが1匹はすぐに死んでしまい、残りも弱っていたので川に戻した。
 今年は作戦を変えて、放流した池から流れ出る水路に罠を仕掛けて、子供たちの修羅場をかいくぐってきた猛者?を捕獲。
 今年の2匹はいきがいい。昨年の空き家をリフォームして急遽新居を造る。
すでに1ヶ月になるが2匹ともぴんぴんしている。ドジョウのしぐさや顔を見ているとなんとも癒される。♂♀は不明だがいつも寄り添っている。ドジョウ1今回は長生きしてほしい。特にどうということもないが、このストレス家庭??で唯一家族にヒーリングを与えてくれる同居人の存在は貴重である。
 ドジョウのまばたきははじめてみた。……感動! にほんブログ村 その他生活ブログへ
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セカンドバイク製作計画 その5

 さて、602もほとんど完成し、とりあえず体重測定に。自作206−2
トランジット451

 







ts-7 測定206 測定 










 非常にいい加減な測定だが、上記写真の状態(装備重量)で602が16.8kg、TS−7が15.0kg。台にしている板の重量がちょうど2kgなので、それぞれ14.8kg・13.0kgになる。
 TS−7はメーカー公示の重量までダイエットした。但しダブルレッグスタンドの重量がまるまるオンになっているため(メーカー公示重量はスタンド等を除いている)実質はオリジナルより0.6kgの軽量化となった。ハンドル周りやコラムポストがノーマルならば1kg近い軽量化になるのか。ホイールの効果大である。
 602は我が家のパーツをつけるだけつけていながら14.8kgは大健闘といえる。ハイテンスチールのフレームは当初重く感じたが、サスがない分TS−7より軽いのだろう。
 
 とりあえず602の試運転。ポジションとしてはむしろTS−7より前屈気味。これはハイシックスで如何様にも調整できる。とりあえずローギアに入らない状態での試走となる。走り出し感はフロントヘビーな感じ、TS−7がフロントが軽くなったのでより対照的だ。
 漕ぎ出して感じたのは、非常に重厚な走り、早い話が重たい。この重量感は素材や足回りの違いから来るものなのか?ディレーラーが未調整とはいえ、同じ段数で比較しても明らかに重く感じる。確かにフロントは47TなのだがTS−7は451化の分ハイギアードのはずだ。
 やはりBBの違いなのだろうか、ノーマルのBBとUN−26ってこんなに違うものなの?これは早々に交換する必要がある。

 そんなわけで、家に戻って後片付けを始めたのだが、602から取り外したカップコーンBBを、TS−7のBBを入れていた箱に入れる際に、ふと箱をみて吃驚!
 オリジナルのBBを入れておいた箱を見ると、BB箱“商品名BB−UN54”と貼られている。“使った商品の箱にはずした商品をそのまま入れておいた”といわれて外した部品を確認したのは覚えている。見積価格は1200円。これはUN26の価格帯のはず。UN74がないので標準のものを手配したといわれたのでUN26とばかり思っていたが、もしかしてTS−7をカプレオ化したときに組んでもらったのはUN54だったのか…!
 これはTS−7のBBも一度外して、確認の必要がありそうだ。但し、本当にUN54だとすると、TS−7の、これ以上BBで性能をよくするということは期待できなくなってしまう。
 逆に箱が間違っていてくれることのほうを期待してしまう。

 602はとりあえず当面はディレーラーの調整とできればBBは交換したい。
TS−7と比較しなければ街乗りは何ら問題ないのだけれど…。

 TS−7もディレーラーの調整が必要。ブレーキも当面は様子見と微調整が必要か。
 それとサイクルメーターの件、お気に入りのSC−M300を外してしまったので何か代わりを見つけないと。基本的機能しかないがとにかく字が大きくて、アナログ同時表示に夜間照明付き、この条件を満たすものを追々探すことにする。 にほんブログ村 自転車ブログへ
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セカンドバイク作成計画 その4

 
 最後にチェーンの装着チェーン装着
これが意外と手間取った。適正な長さが判らない。マニュアルにも書いていない。
 仕方がないのですこしづづカットし、シフトチェンジしながら張り具合を見ていく。これがディレィラーの調整もかねる事になる。
 やはり1速目がうまく入らない。これもじっくり調整が必要だ。
 ダブルレッグスタンドを仮付けしての作業だが、逆にクランクが当たり1回転しかまわせない。2〜3千円の話なのでリアを上げるだけのスタンドは、今後あったほうサドルロック・100円LEDがよさそうだ。

 おまけで前からあったサドルロックと100円LEDテールもしっかり装着。何とか形だけは出来上がった。
 これも家事の合間や部品の調達等しながらなので実質の作業としては4〜5時間程度。
 但し、細かい調整がこれからなので、完成はまだ数日先になるだろう。
 
 倉庫に残った部品はオリジナルの前後ホイール・ハンドルポスト・シフトレバー・ディレィラーと予備部自作206−2品・7〜8年前に買ったアミーバのキャリア(これは取り付けボルトのみ交換で随時使用している)だけ。
 またまた、完成車を買うよりめちゃ高いものになったしまったが、購入のパーツをあらかた使い切ることができたことがことが何よりうれしい。

 今回取り揃えた工具。
コッタレスエキストラクター・
シールドBB抜き工具・S型ヘッド回し・チェーンきり(家にあったものが使えなかったので結局買い替え)
  
 後は無事に走ってくれることを祈るだけ……。

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セカンドバイク製作計画 その3

 フロントブレーキ・キャリア細かいパーツの取り付けに移る。

 ブレーキはTS−7からそのまま移植。僅かにシューの位置を調整。インナーとアウターは50mm程度カットした。作動を確認したうえで、再度、固定用アレンボルトを外してAKIサスペンションフォーク用フロントキャリアを取り付ける。
 キャリアを固定して、バスケットも取り付ける。8年ものだがお蔵入り期間が長かったので程度はいい。
                         ディレーラー装着
 次にリアブレーキだが、その前にディレィラーを仮付けしておく。ディレーラーブラケットを軸に直接取り付けるので、軸の中心を先に決めて固定する必要があったからだ。
 中古で購入したSORA RD3400−SSとシマノ純正ブラケットを装着する。またまたエイヤー工法??で入れ込んだ。シフトワイヤーは100mm程度カット。                       リアブレーキ・MTBロック 
 
 ホイール軸が固定したのでリアブレーキを移設する。これもアウター・インナーともに100mm]程度カット。フレーム形状もあるだろうが、リアサスがない分ホイールベースが短いことが要因だろう。
 当たりを調節した後にGORINのMTBロックを取り付ける。TS−7購入時に買ったものだが、当初はつけようと思いつつそのままお蔵入りになっていたものだが、今回は使えそう。 ママチャリ用BB??

 いよいよチェーンホイールの取り付けに移る。ついていたBBはカップコーンタイプ、こんなに回りが悪いのかと思うほどで、そのうちカートリッジに変えようと思っていたが、TS−7クランクをはめてみて“えっ”。
 形が違う??ボルト穴がない?
 あわてて調べると、スクエアタイプでも2種類あTS−7 BBり、ついているものはママチャリタイプのものでクランクの外側からナットで締めるものらしい。これではクランクが使えない。
 仕方がないので急遽使用しない予定だったTS−7のBBを復活使用する。しかし、このママチャリBBを外すにも専用工具が要るらしい。急遽近くの工具が豊富な店舗で購入する。1000円しないものでよかった。チェーンホイール装着
 カップコーンをばらしてBBを挿入。

 今度は無事装着完了。但しTS−7純正BBは軸長127mm。ずいぶん外側に飛び出している。ディレーラーの調整がうまくできるか不安。まわして見るとやはりけっこう重たい感じ、グリスはたっぷりつけたのだが。



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セカンドバイク製作計画 その2

 さて、本題のチョイノリ用自転車製作のほうだが、全体のイメージを見るために、とりあえずすぐつくパーツを仮付けしてみた状態。KHS復活!
 
 ヘッド部はスレッドだが、すでにフォークがセットされた状態なので、専門的なヘッド部分の作業がない。ここは素人には難しい部分なので助かった。BBもカッブコーンタイプがすでについていた。これはいずれは替えたい

 スレッドコンバーターコラムポストにはKHS F20ASの折り畳み式とBBBハイシックス可変ステムを取り付ける。KHSポストはアヘッド式なので、スレッドコンバーターをBBB摩天楼?400mm新規に購入して使用した。ハンドルバー・ブレーキレバー・グリップ・シフター・ワイヤーは今までのものをそのまま流用。 
 ハンドルバーは以前両サイドを20mmづつカットし520mmにしている(TS−7のルイガノハンドルも同様)。そのときにバー収納ロックも外してしまっている。
 シートポストは新規購入の“BBBカイスクレイパー 400mm 25.4径”。アルミ製ブラックなので長さのわりには軽くて見栄えもいい。シートはオリジナル“フォーミングFM500”。TS−7を買って一番最初に替えたパーツだ。小さめで形はいいが、すぐにサドルカバーが必要になりそう。
 リクセンカウルのエクステンダーをつける。
 DA16+カプレオ
 ホイールの取り付けに際しては、一抹の不安材料が的中した。リアエンド幅が130mm規格なのだ。実測は132mm。カプレオはMTB標準の135mm。まともには入らない。もっとも、事前にわかっていたとしても決行したが。
 
 ある意味もっとも危険且つ愚策である“エイヤー工法”でのはめ込みとなる。
 但し、ハイテンスチール、この安物自転車の代名詞のような素材は、実はアルミフレームより弾力性がある。潤滑剤をたっぷりつけて、慎重且つ大胆にエイヤー工法を実行したが、意外とあっさりはまってしまった。これで何とかディレーラーの取り付けまでいけそうだ。DSCF0010

 このままシンプルに済ましてしまったほうがかっこいいかも。(邪念邪念!)
 602についてはディレーラーとそれを吊り下げるブラケット、それにチェーンもTS−7オリジナルが使えないため新規購入が必要となっている。
 

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セカンドバイク製作計画 その1

 TS−7もいよいよまる1年になる。この1年KARANO号をほとんどほったらかしでTS−7に色々手をかけたので、フレームがあればもう1台自転車ができるほどパーツがたまってしまっていた。そこで家にあるつかっていない自転車パーツの消化もかねて、もう1台手作りで作ろうと考えた。
 仕事で何度か通った埼玉県庁のそばの某カスタムバイク販売店に仕事ついでに久々にたちよったところ、希望のフレームを探してくれるという話になった。
 当初はTS−7のオリジナルホイールにタイヤを別途購入し取り付けようと思っていた。ホイール自体の物はいいのだが、問題はボスフリーのスプロケ。うわさのDNPもなかなか入手困難で、現状のスプロケではフロントを60Tくらいにしないと現行カプレオ同様のギア比にはならない。 コンプリートホイールセット
 
 もう1つ、この店舗で商談したのが、カプレオ仕様の451ホイールセット。コンプリートホイールとしては格段に安い値段で紹介されていた。実はこれを見つけたときに、現状のTS−7の車輪をそのまま移植することに傾いてしまった。作製車もカプレオにして、TS7を451化してまうことを考えた。
 またまた浪費の始まりである。 
 
ミシェル206 クルーザー系?
 手配してもらったのはミシェル602というBMX系?のフレーム。ヘッドはスレッドでハイテンスチール素材とのこと。ホリゾンタルは初めから除外していたが、このストレートなスローピングタイプの形状は一目見て気に入ってしまった。カラーもホワイトをお願いした。
 
 
 当初から判っていた問題点が3つ。
1.ヘッドがスレッド。
2.ディレイラーハンガーが必要
3.通常のシートチューブでは短い
 1.はスレッドコンバーターで解決。
 2.についてはオリジナルが車軸に直付けタイプなのでフレーム自体にコンポーネントのディレィラーが取り付けられないのだが、シマノのディレイラーブラケットで対応可能なことが現車で確認できた。
 3.についてはママチャリサイズの25.4mmのロングなのでスチール製しかないかとあきらめていたが、BBBでスカイスクレーパーという400mmのアルミポストに設定があったのでこれにすることでほぼ問題をクリアできる目処がたった。

 TS−7からの移植は
1.前後ホイール一式。2.ハンドル回り一式。3.ブレーキ・ワイヤー系。4.ライト・サイクルメーター となる
 新規パーツとしては
4.シートポスト。5.スレッドコンバーター。6.シフター・リアディレイラーとなる。
 
 こうして自転車製作計画と平行して、TS−7の451化計画を実行することにした。 にほんブログ村 自転車ブログへ
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また、クレーム。ちょっとした怒り

またクレーム発生。
 Netにクレームの報告が載っていた。0905クレーム通知KARANO号も対象らしい。このごろ自動車税や都市計画税の徴収書が怖くて集合郵便受けに近づくのが怖いが、勇気を振り絞って自ら見にいく。来てる。
 ハガキが着ているのだから対照なのだろうが、一応確認。車体番号が対象になっている、それも上位に?。
 
 思わず怒りがこみ上げる。クレームやメーカーに対してではない。“なぜこの番号が宝くじの当選番号ではないのか”という怒りである。普段宝くじなど買わないが、前回のG・ジャンボは30枚も買ってしまった。しかも後の楽しみと当選照合をしたのはつい最近。全く的外れの番号にある意味納得しながら怒りを抑えた記憶も新しい。
 “このたびあなたのお車は見事クレームに当選いたしました。すぐにディーラーにおいでください。豪華な景品(無償修理)を差し上げます。”という感じだ。KARANO号になって2〜3回目だと思う。クレームは自動車の常。別に不安も驚きもないが、これがほんとに大王所有の快速船ならば管理の舎人は大王の怒りを買い死罪である。
 
 ま、とにかく中身を見る。吸気系の劣質部品の問題で、エンジン放熱で外れてエンストするという内容のもの。通知はエリア単位に送られるので、最も近い販売店からきた。
 いつも利用しているディーラーは別なので、問い合わせたところ部品がないといわれた。これはやむをえない。ハガキの送付先が優先されるだろう。そこでハガキの送付元に連絡する。ここでも同じ回答。えっ?どうゆうこと?
 
 自分の場合だけか、過去にも何回もクレーム連絡を受け取っているが、整備員不在だとか、対応予約がいっぱいだというディーラー側の都合で即応されなかったケースはあるが、部品がないからとウインカーポジションフォトいって2店舗で即応されなかったことは今までない。今度はメーカーに対するちょっとした怒り。ハガキ出しといてこうゆうことってあるのか。 私にとってはリコールそのものより、こうゆう体制のほうがはるかに問題だと思うが。
 これがほんとに大王所有の快速船ならば管理の舎人どころか関連者全員が大王の怒りを買い連座して死罪である。(つまらん事を繰り返すなぁ)          
                                                           
 とりあえず部品入荷まち。今日は雨で、昨日コラムポスト交換したTS―7のチョイノリに出かけられなかったので暇があったのだが残念。
 このところクルマに乗る機会が減り、出費が減ったなと喜んでいたが、KARANO号の小さいトラブルがちょくちょく発生karano a go!するようになった。クレームは別だろうが車も自転車もほどほどに乗らないと余計劣化するものとも言える。  
 家で音楽を聴けない身にとっては、車は唯一のオーディオルームであるから、たまには音楽を聴く目的でだけでも乗ったほうがいいみたいだ。
 まずクレームを修理してからの話だが。とりあえず雨がやんだのでTS−7で近所をうろうろしよう。 

 ちなみに以前から着けようと思っていたウインカーポジションがやっとついた。                                           
 
   
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坂本紀行随想録その3

坂本城門聖衆来迎寺は国道161号沿いにあった。ツアールート上にあったことと廃城となった坂本城の城門が移設されているというので立ち寄る。城門はイメージより小さかった。湖上の要塞というべき坂本城に巨大で堅固な城門は不要だったのか。なぜか森可成の墓があった。

国道は車が多く怖いので旧道から明智塚に向かう。地図には載っていないので電柱の住所を頼りに探す。途中で坂本城址の碑を発見。横のベンチで一休み。その後も発見できず、飛び込みで民家に訪問、道を尋ねる。そこのご主人と奥さん曰く、「すぐそばだけどあそこへいくのかね。あそこは界隈の人はちかよらないよ……。」
定期的に法要がおこなわれて隣接する家が管理してい
坂本城址の碑るらしいが、どうもいわくつきらしい。無理もない。謀反人の汚名を着せられ壮烈な最期を遂げた武士たちの怨念が宿っているのだ。とにかくいくだけ行ってみる。

明智塚は国道沿いにあり、こじんまりとしたよく手入れされた塚だった。何の変哲もないところだが先ほどの夫婦の物言いが脳裏に残り立ち入りを躊躇させた。そう、藤原の名を残す自分は地元ともいえる場所にある将門首塚にも近寄らない小心者である。興味のみで立ち入ることの恐れを感じ、外より丁寧に拝礼しその場を立ち去る。


遅めの昼飯は近隣のすき家で牛丼。せっかく大津まで来たのにさびしいがグルメツアーが目的ではない。仕事光秀公石像中のたちより並みの速さで昼食をとり、今は公園となっている坂本城址に立ち寄る。明智光秀公の石像がある。結構体格がいい。光秀公というと礼の肖像画のイメージが強いが、史書には大力無双の持ち主ともある。むしろこちらのほうが実像に近いのかもしれない。決戦3や戦国無双2の光秀キャラでは全くイメージが湧かない。この年でゲームマニアではないが、KOEIさんには大人にもやりがいのある光秀像を作ってもらいたいものだ。


日が傾いてきたので滋賀院・慈眼堂と矢継ぎ早に周り、レンタルサイクルを返却して比叡山ケーブル坂本駅にいく。ケーブルからロープウェイを経由して京都に戻りたいと思っていた。休日だが夕方近いせいか乗客は少ケーブル山頂なかった。ケーブルから見えた山の頂にそびえる東塔のなんとない違和感が印象的だった。延暦寺駅に着いたときはすでに15:30を回っていた。西塔や横川区域へはいけないので根本中堂のある東塔区域を見てまわる。

根本中堂には感動。さすが叡山、京の鬼門を守護するに相応しい仏閣だ。東塔も近くで見るとその荘厳さに息を呑む。1日の疲れも出たせいか広い境内をのんびりうろうろしているうちに閉山のアナウンスがなってしまったので帰ることにする。

愛娘に土産の一つも買っていこうと思い、お土産売り場を徘徊。でも結局いいものがなかった。最初の三井寺で買っておけばよかったと後悔。バスセンターに着いたのは17:00になっていた。すでに山頂延暦寺根本中堂行きのバスはなく、ついたバスが京都行き最終ということなので、ロープウェイは断念しバスで下山する。最後の斜陽に浮かぶ琵琶湖と大津の街がとても美しく印象的だった。三井寺と叡山以外はマイナーな史跡めぐりだったが、一人旅でこそできる有意義な1日であった。

 



2010年追加記載


2010年2月データを整理していたところ、当時の写真が出てきた

比叡山

ので後掲載。

ピンボケであるがやはり残っていた。但し松禅院や慈忍和尚廟などは撮ったはずなのにやはり見当たらない。不思議としかいえない。

‥‥リベンジせよとの仰せか‥‥

 


 

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坂本紀行随想録その2

近江神宮前駅から坂本駅へ。170円、9分で900年。1分100年、100円で500年を一気に下る。

ガイドで見ていた駅前のレンタルサイクルへ。坂本は回る範囲が広いので自転車を使うことにした。先年に奈良明日香村を訪れた際にクロスバイクレンタルで山間の遺跡を結構楽しく回れた体験から、今回もクロスタイプかMTBにしようと思っていたが、なんとあったのはママチャリだけ。管理人さん曰く、坂本は斜面ばかりで自転車で回る人は少ないのだそうだ。明日香村だって山間なのに、観光者の層が違うのか、それとも絶対人数の違いか。とりあえず内装3段があったので半日レンタル。


まずは西教寺へ。しょっぱなから上り坂で脚に来る。西教寺は明智家の菩提寺で明智一族や光秀公の妻
熙子の墓がある。特に法要の日ではないのに一族の五輪塔の前には線香と花が手向けられていた。まずは順に参拝。正面右から最後熙子の墓がある.なぜか際立って小さい。光秀公の最期をまたずに、55万石の太守の妻としてなくなった熙子はある意味幸せであったろう。境内をぶらっと一回りして次の目的地に。次はいよいよ松禅院だ。

松禅院、よほど詳細な地図でもなければ載っていない。なぜここに行きたかったかというと、ここには光秀公が寄贈したといわれる石灯籠があるからだ。なぜそれが見たかったかというと寄贈されたのが慶長20年、1615年だ。お分かりであろう、光秀公が小栗栖で最期を遂げたのが1582年。この寄贈者光秀なる人物が全くの別人か、何者かの偽装でない限り、日向守光秀公は山崎の敗戦より生き延びていたことになるわけだ。つまり世間一般に言われている「光秀=天海」の物証のひとつになる。


長い谷間の上り道を松禅院に向かう。自転車を借りるとき、観光案内所も兼ねる
管理人さんに松禅院について聞いてみた。管理人さんはしばし考えた後、「飯室谷のところかな、あそこまで自転車は結構きついよ。それにあそこは普段閉まっていて入れたかなぁ」という感じだった。確かにマニアックな雑誌やブログにしか出てこないので、一般人がほいほい見にいけないところのような気はしていたが、ま、だめもとで行ってみようというところだった。長く細い山道で、さすがにいい加減くたびれたところにそれは突然現れた。

飯室不動堂。中世の昔なら本当に山奥の修験場みたいなところだ。しかし、さっきの情報と少し違う。線香の煙のようなものがたちこめ、大勢の人の気配がある。車も結構止めてありちょっとした観光スポットのような感じだ。目指す松禅院はこの奥にあるらしい。最期の急坂を自転車を押して登り、小さい広場に駐輪する。さて石灯籠はどこだろう。まずは目の前の鳥居(なぜお寺に鳥居?)をくぐり晴天の真っ昼間なのに薄暗く長い回廊を登る。一番奥になんとも古ぼけたちょっと不気味な廟のようなものがある。でもそれらしき石灯篭はない。そのまま戻っては失礼なのでとりあえず拝礼して戻る。(廟をよく見なかったが後に調べたら比叡山四大魔所の一つといわれる慈忍和尚廟だった。拝礼しておいてよかった。)

再度地図をみると、どうやら隣の仕切られたところが松禅院らしい。表に回ってみると門が開いていて読経が流れている。何か法要をしているようだ。門前をうろうろしていると人が入っていったのでついて入ってみた。その人は檀家らしく、玄関で挨拶をして坊の中に入っていった。玄関にはまだ住職さんらしき人がいたのですかさず捉まえてずばり聞いてみた。住職さん曰く、確かにここに光秀公が慶長20年に寄贈したといわれる石灯篭がある。元々慈忍和尚廟にあったものを保存のためにここに引き取った。しかし傷みがひどく一般公開にすると倒壊する恐れがあるのでご案内はできない。とのことだった。


あるといわれればやはり見たいのが人情だ。見るだけでもと何度か頼んだがだめであった。これ以上無理強いすると礼を逸すると思い、丁寧にお礼をし帰ろうとしたとき、逆に
住職さんが声をかけてくれた。お教えはできないが、せっかく着たのだから境内を自由に見て回っていいよ、と

あきらめた後なので面食らったが、せっかくのご好意に甘えることにした。境内をぶらぶらと歩いているうちに奥のほうに石灯篭があった。以前写真で見たものに酷似している。これか!このどこかに例の“慶長二十年二月十七日 奉寄進願主 光秀”と彫られていれば……。

しかし薄暗く苔むした石灯籠では目の前にしてくっついて見ないとわからない。ぼうっと周囲の景色と溶け込む石灯籠を眺めているうちに、ふと何かさっぱりした気分になった。これはこのままでいい。確認しないまま帰ることにした。目的は十分果たした。ご住職に再度お礼をし、飯室谷をあとにする。自転車で苦労して登った坂を下る痛快さは車やバイクでは絶対に味わえないものだ。日はまだある。ニュータウン中の並木道を湖畔に向かって駆け下りる。

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坂本紀行随想録その1

先日、TVで本能寺の変と明智光秀のことを放映していた。最近TV等で明智光秀や妻熙子のことがよく出てくるので、ふと記憶をたどって綴ってみたりしたくなった。


昨年のことになるが、京都出張の合間に近江坂本を訪れた。古代史ファンではあるが戦国時代もいささかミーハーなのである。特に戦国武将として興味があるのが
惟任日向守こと明智光秀公である。判官びいきといえばそれまでだが、その生涯からして何か気に掛かる人物だ。光秀公の全盛期から滅亡までの軌跡の残る坂本はぜひ訪れたかった。そして隣接する大津にはかつて大津宮が存在し、天智天皇や大友皇子縁の史跡も多い。大友皇子弘文天皇)も古代史の中にあっては興味をそそる人物であり、自分としては一石二鳥のロケーションでもあった。


大津・坂本でぜひ見たかったところが弘文天皇陵・大津京跡・坂本城址、そして
松禅院であった。

朝8時に湖西線大津京経由京阪で三井寺駅へ。大津へ来たのだから三井寺は見ておこう。琵琶湖疏水の隧道入り口を通り裏から三井寺(園城寺)へ向かう。琵琶湖疏水は灌漑や給水だけでなく、かつては近江から京都への水上輸送の動脈としても活用されていたと馬の首?いう。今はトンネルの中は船では通れないのだろうが、疏水くだりのツアーがあればぜひ参加したいものだ。

三井寺では観音堂や金堂等をまわる。残念ながら行った時点の金堂はまだ改修中であり、全容が見られなかったが、三井寺の名の由来である天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられている井戸は見ることができた。

三井寺から歴史散歩定石の歴史博物館をさらりと見て弘文天皇陵へ。地図ではすぐだが、近道が実際には警察学校の敷地内を通っており、結局市役所正面から大きく迂回して警察学校のすぐ裏の弘文天皇稜へたどり着く。天智天皇が遷都し、大友皇子の二代の都が大津宮であったが、壬申の乱以降廃都となってしまった。大友皇子も壬申の乱で大海人皇子に敗れたことにより大海人皇子が天武天皇となった後に編纂された日本書紀の中では滅びるべくして滅びた皇子のように描かれているが、果たして勝者の歴史は本当であろうか。確かに血筋としては劣るものがあったのかもしれないが、天智天皇が実弟(一説には違うという説もあるが)大海人皇子をさしおいて後継者としたのは息子かわいさだけではないと思う。ある意味天智天皇が目指した天皇家と大津市国家のあるべき姿を理解し継続できる資質があると天智天皇が認めたからこそ後を託されたのだろう。

高き理想に向かい急進的・先進的過ぎたが故に時代から抹殺されたと思うとまさに悲劇のヒーローと思えてくる。単に大王位の争いだけなら、先手をとって6万の朝廷軍を組織した大友皇子が、僅か3千から進軍した大海人皇子に敗れるほうがよほどミステリーだ。実際に大海人軍を指揮した高市皇子天武天皇の長男、後の太政大臣で長屋親王の父)も魅力的な人物ではあるが、乱の進行を見ていると味方の陣営の中にすら大友皇子と大津京の理想を阻もうとする力が働いているように見えてならない。

感傷に浸りつつも次の予定地である大津宮跡を目指す。が、ちょっとその前に寄り道を……。


ガイドを見るとちょっと珍しい皇子山古墳前方後方墳の皇子山古墳が近くにある。古墳ファンとしてはやはり寄ってみないと……。皇子山古墳は閑静な住宅街の奥の小高い山頂にある。もっとも登ってみると古墳のす
ぐ裏にバイパスのICがあるのは興ざめだった。規模としては決して大きくはないが、琵琶湖を望む山頂のモニュメントは大津京以前にこの地を支配していた豪族の威勢を感じる。まあすぐ裏を車がびゅんびゅん走られたのでは気の毒ではあるが……。


さて、一気に山を下り大津京跡へと足を運ぶ。歴史博物館で情報を仕入れていたので期待はしていなかったが、本当に小さな区画だ。もちろん発掘されてい
るのは部分部分ではあるが、跡地からかつての内裏や都大路のイメージは浮かばない。僅か5年の都ではあるがやはりさびしさは禁じえない。しばらくそこで休憩(通り過ぎる近所の人は変なオヤジがいると思ったかな)

時間も昼に近づいてきた。近江神宮前駅から京阪で坂本駅に。2両編成の路面電車みたいな車体、駅としては僅か5区間だが、まさに170円で乗れるタイムマシーン。時代は一気に900年も下ってしまうのだ。いよいよ本命目的の光秀公縁の地めぐりへ……。

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4月19日 災難の日

 今日 初めて永久歯を抜くことになった。
人生80年というときに、40代で歯を抜くということに非常に抵抗があったが、土台がかけており修復不可能とのことで覚悟を決める。すでに2週間前から宣告されていたが、引き伸ばすと「オソロシ〜ィことになりますよぉ」と脅され泣く泣く予約をとっていた。この状態の歯が2本。とりあえず今日は1本目。
 気を紛らわすためカーショップに切れた超TERA6500のポジション球を買いに行く。1個でいいのに超TERAは2個ペア、しかも値段が8500円以上。以前はポイントでゲットしたため気にしていなかったがこんなに高かったのか。いまさらなので他のLEDバルブを見てみた。
 2個ペアで3000円くらいからあるが、さすがに超TERAの明るさと色合には及ばない。ふと見たらウインカーポジションキットなるものがあった。工賃を入れても超TERAより少し奮発するだけ。法的には既存の超TERAを断線しないとならないがどうせなら少し変わっていていいと思い取り付けを頼んだ。
 しかし日曜のせいか夕方になってしまうという。歯医者に間に合わなくなるので断念。とりあえずやすいオレンジのウェッジ球を当面のごまかしにと購入。
 
 帰宅して歯医者まで3時間あるのでバルブ交換と、タイヤ交換をする。
今年ははき潰そうと考えていたスタッドレスだが、急に気が変わり夏用タイヤに交換したくなった。(歯医者へいく恐怖への重圧からだな…苦笑)
 バルブ交換、これは簡単…のはずが、バルブコネクターを開けた瞬間、バルブがポロリ。レンズの中に落ちてしまった。ピンセットでも針金にガムテープを巻いても取れない。しょうがないからとりあえずレンズの中に入れっぱなしで新しいバルブを装着。反射板に傷がつかないことを祈る。
 まだ2時間あるのでタイヤ交換をする。?アルミ5年前までは年2回のタイヤ交換は必ず自分でやっていたが、現在の駐車場になって斜度がついているためか、一度ジャッキを倒してしまい、あわや大惨事になりかけた恐怖からショップに任せていたが、縁石を利用しお蔵入りしていた油圧ジャッキで再チャレンジ。何とか無事に終了。
 ところが付け替えたホイールに赤いペイントが……ふと痛みが走り気がついたら手が血だらけ。気張っていて気づかなかったが爪が割れてかなり出血していた。とにかく手を荒い消毒。いてぇ。
 とんだ災難だが時間が来たのでとりあえず歯医者へ……
「今日は体調は大丈夫ですか」といわれたので手を見せる。「あら、痛そうね」とひと言。かわいい顔してこの先生やる気だ。まぁ美人先生ならいいかと思いきや、すぐに男先生にチェンジ。「やぁ来たね」、この先生この間脅かされた先生じゃないか……。もはやこれまで。覚悟を決める。
 
 抜歯自体は麻酔でおこなうので痛みはない。ただ上の歯をがりがりやるので頭には響く。歯が抜かれたくないと最期の抵抗を試みているようで、なんともやるせない。
 抜けてみると歯はすでに粉々。元々割れているので抜くことになったのだが、子供の乳歯と違い血みどろの歯の残骸を後生大事に持ち帰る気にもならなかった。後もう1本同じ症状で抜かなければならないのかと思うと泣けてくる。
 
 明日への希望として、とりあえずショップで見たウインカーポジションキットを近々つけてもらうか……。そのときついでにレンズの底の切れた超TERAバルブを取ってもらおう。
 などと、他人様からは全くどうでもいいようなことを止め処もなく、抜歯の痛みをこらえながらいま綴っている。

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桃源郷ヘ行く

 桜の花見を逃したので、山梨の桃源郷へ桃の花見のドライブにいく。
高速料金が最大1,000円となって3回目の週末だが、高速はまたまた渋滞。
 元々渋滞が予想されたので、首都高からおりて一般道を津久井湖経由で相模湖から中央道に乗る。途中の一般道は通常よりすいているくらいだ。談合坂まで3時間弱。調布→相模湖渋滞案内と比較してむしろ若干早いくらいか。安くなるより渋滞が増えるほうがサンデードライバー桃源郷の自分としては困る。
 途中で昼食をとって、笛吹市御坂桃源郷についたのは午後1時半。気温が高く、美しい八ヶ岳連峰・南アルプスの山岳はほとんど見えなかった。残念。

 桃の花はちょうど満開に近くこれはよかった。桜も終盤とはいえまだ少し残っていて両方を何とか楽しめた。公園自体は思ったよりこじんまりしていて、何よりすいていた。あまりメジャーではないのか。
 花見をした後広場で娘とキャッチボール等で遊ぶ。自分としてはここまできたら同市内の銚子塚古墳と考古博物館を見学したかったが時間もなく断念。高速代値下げがなければたぶん行く時間があったかと思うと余計腹立つ。
 それでも、我がKARANO号としては久々の遠出karano09である。すいている一般道と混んでいてスピードの出ない高速のためか、燃費はとてもよく8Km/Lは走ってくれた。
 久々に写真を撮った。この時期になっても履きっぱなしのふわふわスタッドレス。来期はスタッドレスとしては使えないとタイヤ屋から宣告されているのでとにかく履き潰す。まだ8分山が残っているのだが。やはりスタッドレスでの峠道や高速カーブ等はすこし辛かった。
 
 今後このまま高速の渋滞が続いたらまたまた遠出が遠のいてしまう。この次は御殿場に遊びに行くことを家族に約束はしたが、またまた下道ドライブになるのか。それはそれでまたいいのだが。

 
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ママチャリ復活

職場移動があり半年間電車通勤となった。家から最寄り駅までは近いので徒歩で行くことにしたが、通勤先駅より職場までが距離があり、バスを使ってみたがもったいないので急遽お蔵入りしていたママチャリを復活させることにした。


 しばらくほったらママチャリかしだったので傷んでいた部分も直して、少しイメージチェンジをした。前輪のタイヤ交換が必要だったので、いっそ3000円でハブダイナモ付ホイ−ルセットを購入してそのまま交換。当然ライトも1500円でハブダイナモ用に。樹脂の前カゴが割れてしまっていたのでステンレスカゴに、2000円。ハンドルをママバーからTバーにしてワイヤー類を短いものに新調。レバーやグリップ等家にあったものもフル動員して1万円で見事復活した。


 24インチの少し小さめながら重量的には18kgあるママチャリであるがTバーにしたことでかなり軽快感がでたし、なんとなくいいポジションでポタリングもできそうな感じになった。ハブダイナモは夜間通勤には必需でリムダイナモより軽いママチャリ最後の日し明るい。


 早速試運転で15km程度ポタリングに。インター3も健在だ。Tバーも大正解。だけどやっぱり重たい。まあ通勤だけだからこれで納得。拭き掃除をして少しきれいにしてKARANO号で30kmの輸送。通勤先の駅で駐輪場を契約する。


 5年間愛用し、愛娘を後ろに乗せて一緒に走りまわり、娘の成長とともに在った唯一の存在であるからもう少しがんばってもらうことにした。

PS
 この後、家に戻ってきたママチャリだが知人が貰い受けたいというので譲ることにした。乗らずにまた朽ち果ててしまうより、使っていただいたほうがよい。最後の写真はとんでもピンボケになってしまったが‥‥。

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古墳考

 いつから古墳に興味を持ち出したか覚えていない。もう10年以上前になるか。
出張で関西・山陽・九州等にいった時期があり、合間を見ては古墳や遺跡を見て回った。造山古墳(墳丘長360m第4位)や三瀬丸山古墳(墳丘長318m第6位)は御陵墓指定もないので実際に墳丘にも登った。このクラスの古墳が畿内を中心に十数基あるのだからすごい。
 なぜ前方後円なる特異な形状の古墳がほぼ一斉に全国に発生したのか、ある意味邪馬台国と並ぶミステリーだ。日本は横並びの好きな国、長いものにはみんなで巻かれることを好む国なので、これはヤマト王権を本部とする倭国ボランタリー王国チェーンの看板のようなものだったのだろう。まれにこのボランタリーチェーンに加盟することを拒んだ者や脱退した者たちがこのチェーンに対抗し異型の墳墓を造ったりしたのだろうか。結構今の社会構造に重ねてみても面白い。
 東京に住んでいるので当然関東の古墳にも興味が出る。さすがに300mを超える超弩級墓はないが、一般に大型墳墓と呼ばれる100mを超える古墳は関東にも数十基ある。某番組で日本王国として取り上げられたさきたま古墳は有名だが、かつて毛野と呼ばれた群馬県にはその規模を遥かに凌ぐ大型古墳がいくつもある。中でも太田市にある天神山古墳は墳丘長210m、陵域の総長は360mとも言われる巨大古墳と呼んでもおかしくない規模だ。これより大きな古墳は大阪・奈良・岡山にしかない。ヤマトの王族や中央豪族、そして一時はヤマトに並ぶ国力を有したと言われる吉備の地だ。かつて九州6カ国を支配し、ヤマトと1年半に渡り死闘を繰り広げた筑紫の君磐井が生前築いたと言われる岩戸山でさえ天神山より2回りは小さい。日本王国はともかくとして、かつてヤマトと同盟を結び、関東全域に影響力を持ち関東以北にその勢力を広めていった大国毛野は確かにあったのだろう。
 じつは東京都心にも大型の古墳があることは、地元の人や古墳に興味のある人しか知らない。田園調布の玉川台古墳群はそれでもまだメジャーな方だが、東京で最も大きな古墳が東京タワーのすぐとなりにあるといったら、知らない人はえっと思うだろう。タワーのすぐ眼下だが首都高やモノレールからも見ることができる。
 芝丸山古墳と呼ばれる古墳は、調べると墳丘長
丸山古墳125m、古墳時代初期のものと言う。これはなかなかの規模だ。だが実際に訪れると芝公園の中の小高い台地のうえにあり、ごく普通の散歩コースになっている。立て札に気付かなければこれが古墳とは絶対わからない。墳丘と土台の識別もあいまいで数値ほどの規模は感じられない。
 しかし過去に思いをよせあらためて頂に立つと、当時は覆う樹木もなく、葺石で覆われていたであろうこの山頂のモニュメントは直下の古東京湾を墳丘頂上往来する船から一望できたに違いない。かつての権力者に敬意を表し、また永眠の地に足を踏み入れ荒らしたことを詫びるつもりで拝礼し芝公園をあとにする。
 古のこの地の王はどんな人物であったのか、毛野と同盟を結んで南武蔵に君臨したという説もある小杵一族に列なる者なのか、毛野・南武蔵の古墳の衰退にあわせたように出現する埼玉古墳群と記紀の記述を照らし合わせると興味は尽きない。1500年以上の昔にこの地に君臨し、この墳墓に永眠った支配者は自らの墓を囲むように乱立する摩天楼、墓丘の上を犬を連れて平和に散歩する人々、そしてかつての支配地であった今の東京をみてどう思うのだろうか。
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プレサージュ

 レオーネRX?レオーネRX2・エテルナZR4・グランドチェロキーLTD・ボイジャー3.8AWDと乗り継ぎ現在の車に至る。レオーネ以来車選択の必須条件が4WDとなった。だから現車両もごく普通のミニバンながらデフロック付4WDである。
 
 通常使用に4WDが必要かと問われればNOである。エテルナZR4また生活四駆に3.5Lが必要かといわれれば、これまたNOである。逆に必要性が少ない故に自分にとってある意味贅沢なステータスのようなものなのである。
 
 クロスカントリー車に4WDは当たり前。らしくグランドチェロキーない車でダート走行や沢渡りをするのが楽しみの一つであった。
ボイジャー3.8AWD 歴代の車はほぼ一目惚れだが、今の車は購入時にかなり迷った。アメ車三昧が長かったので、なんとなくチープになってしまうような感覚、登録台数も歴代車が月間2ケタか精々3ケタ。良し悪しは別として希少感があったが今回はごく一般に売れている車。
 何よりもノーマルでこの腹の擦りそうな地上高はなんだ。アプローチもデパーチャーも無視した純正バンパー!ボイジャーよりひどい!
 しかしこのスタイリングは魅力的だ。室内高も高からず低からず。カーゴスペースもミドルクラスバンとしてはそこそこ広い。
 何よりもデフロック付の3.5L4WDは貴重である。どうしても地上高に不満ならサスペンションを替えて上げればいい。コックピットのデザインもシンプルいい。素材がチープで質感はなさ過ぎるが、安く買って贅沢にカスタマイズしようと中古を探し購入した。年甲斐もなく18インチホイル・レザーシートカバー・フリップダウンモニター・55wHIDなど装備した。karano

 さすがに3.5Lは速い。これがCVTなのだから驚きだ。一昔前のスポーツカー並だ。当初はアメ車独特の大雑把な走りに対して几帳面さが逆に違和感があったが、徐々に几帳面さにもなじんできた。日本車の中では案外大雑把なほうなのかもしれない。
 歴代の車にはみな愛称をつけたが、この車?モニターはKARANOにした。最近は車に乗る機会も減り、3.5L 4WDの実力を発揮することもなくなってしまった。その代わりすっかり我が家の風景になり、肩を張らずに自然に乗っている。KARANOはいつも我が家とスーパーを往復し、ペットボトルの飲料水を我が家に満たしてくれている。karano fuji gyoukou
それでも心のどこかではこの車で山岳ツアーなどやってみたいと思ったりしている。 

写真追加。但しレオーネからチェロキーまでは残存するパンフのみ。つい最近まで我が家にはデジカメというものが存在していなかった。KARANOのテールには、恐れ多くもかの名車ARX−FOURのエンブレムをいただいた。ステージアの絶版は惜しまれる。






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livedoor プロフィール

枯野

愛車紹介
1.PRESAGE U31
愛称KARANO号
  :いまや歴史遺産となりつつある3.5L/フルタイム四駆。最近は金欠でタコメーターしか見なくなった我が家の軌道空母。2002年モデル。

2.MR−4
  :GIANTのロングセラーフォールディングバイク。18年間コンパクトスポーツの頂点に君臨した名機も2017年モデルを最後に絶版となる。2010年モデル。

3.SOMA SAGA『嵯峨』
  :米国ソーマファブリケーションズのツーリングフレームに格安パーツを買いあさって組み付けたクロモリツーリングバイク。年式不明

4.ALPENCHALLENGE   AC02
  :レーサー志向の本格バイクを投入する『BMC』の珍しい26インチアルミバイク。ストックパーツを再編成して復活した我が家の最軽量クロスバイク。2010年モデル。  
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