KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

水郷ポタ 3

R51はまなす公園展望塔は大型車が猛スピードで走ってくるので自転車には怖い道だ。歩道は側溝を暗渠化したものが多 く、ただでさえ走りづらいのに、先の震災でか、再舗装が必要な部分がいたるところにある。
トランジットセブンにすればよかった‥‥そうゆう問題では ない!
すぐに、“大野潮騒はまなす公園”入り口交差点が見えてくる。
ここで少し休憩。美術館と資料館があるので入ってみる。入館料300円也。貢献できればお安いものです。
まあ、平日のせいなのだろうが、ここでも貸切であった。塔の中
展望台に登ると、先ほどのヘッドランドと白い砂浜がよく見える。
ヘッドランドも人工ではあるが一定の環 境保全には役立っているようだ。
堅牢に見える展望台。中は鉄骨で組んだ螺旋階段にパネルを張った簡単な構造だった。
大野潮騒はまなす公園 はプラネタリュウムや、丘の縁を利用したロングスライダーなどもあり家族連れにはおすすめだ。
またR51に戻るのも怖いので並行する裏ルートから いく。こちらは車はすくないが、路面状態は未舗装路に近い。但しこれは震災の影響というより、もともと定期補修せずにほったらかしていたという感じだ。

鹿島サッカーミュージアム突然スタジアム長閑な畑と雑木林のなかの一本道を進むと、いきなり視界に飛び込んできたのが“カシマサッカー スタジアム”。
これもミスマッチ度でいくと、下町のスカイツリーといい勝負だが、近年はこのようなミスマッチが今風の景色として自然に受け入れられるのかもしれない。

鹿島神宮の森スタジアムから1.5kmくらい市内に向かうと鹿島神宮がある。
神宮の森に続く道に、 何気なく入っていくママチャリ軍団につられて入り込んだが運のつき。24×1タイヤでは走ってはいけない道であった!
引き返そうかと思ったが、人 気の少ない深い森の空気は気持ちがいい。押して歩く。


鹿島神宮御手洗池の崖の上を通り、奥宮から本殿に至る。個人的に鹿島神宮に来るのは十数年ぶ りだ。しかも自転車で来るなど夢にも思わなかった。
鹿島神宮を参拝して帰路に着く。
ここから北浦を渡ると潮来バスターミナルまでは僅かの道程だ。


無事ランデブー潮来バスターミナルに着く。東京行きのバスが出て行く。あれに乗れれば高いびきで帰れるのに‥‥

ホント未舗装道路みたいなところばかりだったが、トラブルなく頑張ってくれた“パセラブラックス24×1”に敬意!



CIMG2617走行距離   45.3km 往復の運転がなければ楽勝だったのに!
'AVG速度   15.6km/h
最高速度   38.7km/h

‥‥心地よい疲れ、家に帰ろう‥‥
某ミニベロバイクのキャッチコピーである。
そう行きたいところだが、心地よくない〜!
オマタが痛い〜



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水郷ポタ 2

潮来を後にして、次のポイント北浦大橋に向かう。鹿見塚古墳
このあたりも古墳が多くある。図らずも進路上にいくつもの古墳があった。
その中で目に付いたのが“鹿見塚古墳”全長58m。茨城では舟塚山・梵天山や愛宕山など、あの埼玉古墳群すら大きく凌駕する古墳が存在する中ではちょっと小規模だが、この地区に勢力を持った首長層の墳墓であろう。

北浦大橋へ大賀交差点北浦へを左折し矢幡十字路を右折し、小高い丘から一気に北浦へ向かって降りていく県道。
本当はここでとまって写真など撮ってはいけない。坂を一気に下っていくと、山が開けて、右手に北浦を望み、左手奥に美しい北浦大橋が目に飛び込んでくる。
この辺ではもっともお気に入りのスポットである。北浦

北浦、面積約36平方キロ、最大水深7m。わが国で15位の湖である。でかい!
ここもかつては、西浦を中心に、印旛沼・手賀沼・蘭沼(消滅)などを含む香取大海(最大時の大きさは琵琶湖に匹敵)という内湖を構成する入江だった。
数年前に訪れたときは、この坂の両脇はきれいな花畑だった。なぜかなくなっていたのが残念。
北浦大橋を渡る。この美しい橋も震災により欄干の一部が崩れ落ちていた。
北浦大橋から直進して、鹿島大野からR51をはまなす海浜公園に向かう。
海じゃ!途中、強烈な海の匂いに誘われて、亀裂だらけのわき道に入る。
“うっ、海じゃぁ!外海じゃぁ!”
おやじの海は“ちがさき“などではない。なんといっても“ちばらぎ”である。
夏の音楽といったら、チューブでもサザンでもない。定番のレガシー・オブ・ユー(ちばらぎに似合うかはこの際問わないでいただきたい‥‥)

かつて鹿島灘には鹿島砂丘と呼ばれる、九十九里に匹敵する広大な砂浜が永遠と続いていた。しかし鹿島港の造成を堺に急速に砂浜は消滅した。沖に突き出した防波堤が砂を育む潮の流れを変えてしまったのだ。
ヘッドランドここでも自然破壊の生見本を垣間見ることができる。
今の鹿島灘には“鹿島ヘッドランド‥‥遊園地ではないぞ‥‥”と呼ばれる人工の岩礁岬が一定区間に作られている。これは波の特性を利用して砂浜を再生する効果があるのだそうだ。同じ理屈は葛西臨海公園にも生かされている。
6月初旬の海は人影も少なくのんびりするにはいいポイント。
しかし、いま津波警報が出ても逃げるところがない。とりあえず早々に退散する。
自転車にもよくないし‥‥


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水郷ポタ 1

マイカー輪行ちょうど丸1年ぶりの輪行ポタ。
場所は奇しくも1年前の印旛沼の対岸の水郷地帯。但し、今回はマイカーによる輪行になった。(注‥‥基本的には輪行の定義は公共交通機関による移動を言う。マイカーは狭義では輪行とは言わない‥‥まじめな話)

鹿島方面は高速バスを使うと家からのアクセスはとてもよい。しかし残念ながら高速バスへの自転車の持ち込みはほとんどが禁止である。これは自転車乗りにはぜひ緩和していただきたいところだ。

ここも例外ではないのだが、“潮来バスターミナル”に隣接して1日500円の駐車場を見つけた。東関道潮来ICの前にあり、アクセスもよい。

準備よしスペクトラムパトロールカー?バスが使えず、バス利用者のための駐車場を使ってマイカー輪行とは皮肉なものだが、折りたたみと梱包に気を使わないというのはマイカーの利点である。
ただカーゴにポイ入れされているだけの可愛そうなMR−4。楽でいいのだが、ブルホーンにしてからはエアー抜きをしないと前輪が外せなくなってしまったのが少し面倒になった。

傷跡2傷跡1まずは有名なあやめ園から行ってみよう。
バイパスは車通りが多く怖いので裏道に入る。
裏道に入るまで気がつかなかった。この辺の道は、いまだ震災の傷がそのまま残っているのだ。この周辺もかなり被害の出た地域だったのだ。
家々の屋根にも未だに残るブルーシートが痛々しい。

ここにきてまず思ったこと。“MR−4じゃなくて、前後サスペンション付きでタイヤも太いトランジットセブンにすればよかった”‥‥ちがうだろ!!
少しでも、地元にお金を落として復興のお手伝いをすること。まあ、手持ちの予算には限りがあるが、きた以上はそれくらいはしよう。

貸切?十二橋めぐり遊覧船と、言うことであやめ園の周りをうろうろしていたら、早速遊覧船のおばちゃん(否々、娘船頭さんというのだ‥‥)に声をかけられた。
十二橋めぐりの遊覧船。一人貸切ではもったいないが、先ほどの誓いもあり、お願いすることにした。結局3,000円にしてくれた。‥‥カミサンと娘がいないのが残念だ。

前川水門橋前川十二橋水雲橋今日は平日だが、週末になると嫁入り舟のデモンストレーションがあるのだそうだ。
こちらも見たかったが、何よりも水雲橋や思案橋などいくつかの橋はいまだ震災の影響か通行できない状態になっていた。

あやめ園あやめ(花しょうぶ)は今週末から来週くらいが見ごろか。
娘船頭さんのおばちゃん?も震災の被害と客足をこぼしていた。
今日も国会議事堂児童館では、被災地無視の茶番のおゆうぎかいが開催されている。主役のなおとちゃんはなかなか演技もお上手でほめてあげたいところだが、いっそ衆議院全員が潮来で大宴会をやっていたほうが、地元の復興にはやくだつはなぁ。それを各地の被災地巡回でやったほうが復興はよほど早かったりして‥‥。
いずれにしても週末はたくさんの観光客が訪れることを願う。

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どぶがわ

親水公園江東区に住むようになってから、川に興味を持つようになった。区が親水事業に積極的だからか、あるいはもともと水とともに生きてきた当地のエキスがよそ者の自分にも浸透してきたのか、川を身近に感じるようになった。
江東区・中央区はかつて東京のベニスと思えるように川が縦横に流れていたという。今の住処もミニウォーターフロントとはいえる。
江東区民になったときはすでにほぼ現状の河川整備が出来上がっていた。
大きな川は資料や痕跡で在りし日を想像することができる。しかし、資料にも地図にも載らないような水路‥‥通称どぶ川はこの辺にもたくさんあったはずだ。

もともとは葛飾区出身ではある。生家はいまはない。区画整理が進み、この辺だったらしいということしかわからない。幼少をすごした祖父母の実家もすでにない。CIMG0473
当時家の周りにはいたるところに溝(どぶ)があった。どぶ川と呼ばれた生活廃水路‥‥本来はそれだけではないのだろうが。‥‥幅は1m〜2m程度のものから地図にも載る3m〜4m程度の水路まで町中に張り巡らされていた。車1台もすれ違えないような道に面したどぶ川。家に入るためにいくつもの橋が架かっていた。
小さなどぶは町の中を迷路のように這って水路へとつながる。
水路はいくつもの街や田畑の間を縫って更に大きな水路や川に注ぐ。

現在、訪れるとそこは拡張した道路になっていたり、細い軒下の路地となっている。引っ越す当時に残っていたどぶ川も100%といっていい状態で暗渠化(‥‥というと地下水路が生きているようだが、実は下水管を残してすべて埋められた‥‥)された。
どぶ川は臭く汚かった。身近にあるにもかかわらず、そこで遊ぼうとか、川を楽しもうという発想はなかった。当時は曳舟川どころか綾瀬川ですら“キング・オブ・ドブガワ”と思えていた。
幼児の安全対策の問題もあったし、道が狭く車とのすれ違いも大変だった‥‥今より車はすくなかったし、小さかったが‥‥。どぶが埋められることに然したる抵抗もなかった。

それから暫くして、環境保全の一環として下町のいたるところで親水公園化が進んだ。
でも、本来の環境浄化とはちょっと違うんじゃあないかと思うのは自分だけか‥‥?
下町が下町らしくなくなったのはどぶ川がなくなったせいでもあるのではないか?
汚いどぶを埋めて人工の清流を創るのではなく、家の前を流れていた水路。家の軒下を蛇行するように流れていた水路。本来あった水路に清水が流れるようになることが、本来の河川清流化事業ではないのか。
水路は危険をはらんでいるのも確かだ。しかし危険だからといって全てを排除する理由にはならない。
なぜなら、危険を危険と認識できない子供、そしてそれ以上に危険因子の減少により子供に対する危険回避の監視を怠る親が増えたことのほうが遥かに社会にとって危険だからだ。
また、開渠となることで新たに環境問題が浮上するリスクもある。排水溝ですらゴミ捨て場だと思っている輩が多いからだ。
そしてこれがもっとも問題になるだろうことは、街中を流れる水路に水を満たすには、ポンプによる人工水流といくつもの浄化設備が必要になること。ただでさえ省エネが叫ばれる時代、エネルギーの浪費以外の何者でもない。完璧といえる排水網を手にした下町は、すでに自然に水が流れる土地ではないのた。海水面が天井くらいの高さなのだから。
残念ながらただ溝に水を通すだけでは、以前の不衛生などぶ以上に悲惨な状態になってしまうだろう。
水と調和した暮らしなどとお題目は唱えているが、水はそれだけ人蟹のいる都心の川々から遠く隔離されてしまっているのだ。

家の前を流れる極普通の開渠で、生き物と共生できる町並み、水路を挟んだ道端でおばちゃんたち(最近はヤンママか)が会議をするような風景は、もはや原発に頼らない電力確保より世迷言なのかもしれない。少なくとも日本橋の上に首都高が走っているような無粋な都市開発が、現在もその延長であるうちは‥‥。



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スカイツリーは下総??そして我が家は‥‥その参

さて、古地図教科書では教えてくれない郷土史?について、自身についての何らかの結論を出さないといけない。
前稿にて徳川幕 府開府以前の隅田川は河口の手前で三筋に分かれていて、本流は現在の首都高向島ランプから鳩の街に沿って横十間川筋に向かって流れていたのではないかとい う疑問を提起した。
しかし、両国橋の存在を合理的に解釈できない以上、本流は現在の流れに近いものだったと仮定せざるを得ない。
スカイツ リーのある付近は徳川幕府による国境の東遷により、正式に武蔵国足立郡に編入されるが、それ以前は不明としかいえない。
“東京スカイツリーが立つ エリアは、歴史をひも解くとかつては武蔵の国でした。”という一文には“古代から中世にかけては下総の国だったが近世になり武蔵の国に編入された。”との 注釈が必要なようだ。
では、我が家のある旧城東区はどうなのか。城東区を構成する亀戸村・大島村・砂村を構成しているのは武蔵国葛飾郡。これは近 世になって下総国から編入されたものだ。隅田公園
そう、もともと葛飾郡は近世になるまでは全て下総国だったのだ。
葛飾出身者と しては今の住処も武蔵国であるというよりは下総であるという方が愛着がある。

下総を含む房総(ふさ)の国は古代より、交易や水産業で繁栄した海洋国家郡があった。小さな国が犇いており、いわば韓国の加羅諸国の様相を呈していたと思 われる。関東では埼玉古墳群が有名だが、小国家郡でありながらこの房総の国はそれより2世紀も前から、質・量ともにそれを凌駕する大型古墳が多数存在して いるのだ。
後世には平将門という関東の勇も生んだ下総。
先祖より下総人の血も受け継いでいるおやじとしては、下総人であることをもっとエンジョイしたい。
船で河川や島々を自由に渡り交易した人々のライフスタイルが、車で巨大ショッピングモールを渡り歩いて買物をする現在の下総地区のライフスタイルに受け継 がれている。
そう、これが東京県人化として皮肉のネタにもなっている下総のライフスタイルなのだ。


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スカイツリーは下総??そして我が家は‥‥その弐

武蔵と下総の国境に位置する川“古隅田川”

問題はその最下流部である。

綾瀬川と交差して現在の隅田川に合流した後の古隅田川は現在の流路をたどっていたかということが次のポイントとなる。

 

牛島神社牛島・京島・寺島・向島・柳島、この界隈は島の着く地名が多い。島の付く地名は過去に本当に島だったケースが多い。このあたりは江東 デルタの前身の隅田デルタというべき湿地帯だった。古地図を検索すると白髭より下流の隅田川は三筋に分かれていたようだ。

ある説には 現隅田川はかつての支流で本流は別だったというものがある。隅田川が多様な呼称を持っていることがその名残であるという。


牛島堤?1,600年前後に西側の宮戸川を本流として古隅田川本流は牛島堤の築造により遮断された。現在の墨提通りは市街地より高い場所にあるが、これがかつての牛島 堤の跡とも思える。遮断の理由は江戸の都市計画の一環としての新田開発といったところだろう。




隅田川支流(旧本流?)分岐点分岐点は現在の首都高6号上下向島ランプにまたがる付近だったようだ。何か現在にその痕跡がないか地図を眺めると、首都高6号高架下の堤通公園という小さな交通公園がある。






墨提通り向島入路付近

ここから隅田川の緩いRを南南東にたどると、墨提通りの首都高向島入り口交差点から2筋の道が押上・業平方面に伸びている。

 






鳩の街ひとつは細い商店街、 鳩の街。かつては玉の井ラビリントと並ぶ特飲街(昔は赤線と言った)だった。もっとも当時はカフェ街とか洒落た名前で呼ばれていたようだが‥‥

この通り沿いには、古さの中にもちょっと洒落たつくりの家がまだ残されている。州崎パラダイスではもうほとんど失ってしまった、当時のいわゆるカフェのなごりである。実はこの商店街と並行する路地が、古地図で見るとかつての水路跡の ようだ。国境の道?鳩の街商店街の道はほぼこの水路跡と並行している。この道は墨提通りから押上をぬけて十間橋の袂まで伸びている。この流れはそのまま 現在の横十間川となり河口となる。






名所江戸百景柳しまここも名所江戸百景のひとつ“柳しま”である。

柳島の歩道橋から望むスカ イツリーは、今でも東京百景におすすめしたいポイントである。







もうひとつの道

さて、もうひとつの道は、ほぼ南に伸びて曳舟川通りと並行する。








向島2丁目付近この先にあるのは大横川である。

この横十間 川へ通づる流れが江戸時代以前の隅田川本流だったかは不明だが、横十間川と大横川は当時の隅田川の河口デルタを利用して整備されたとすると、合点すること が多い。









北十間川樋門ここはつい近世まで国境のなごりが残っている。本所区と向島区の境界、そして深川区と城東区の境 界である。本所・深川は古くから江戸市街とされてきたが向島区と城東区は1,932年まで南葛飾郡であった。このような境界はかつて大 きな流れによって地域が分断されていたことのなごりと思われる。



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スカイツリーは下総??そして我が家は‥‥

スカイツリーの高さ634mの由来は“武蔵”から因んでいることはあまりにも有名。

公式H・Pでも建設地点はかつての武蔵の国だったとして、“武蔵の国を望む”と謳ってい る。

浅草から隅田川越しにリバーピアとコラボするスカイツリーは今や絶景のスポットである。

しかしちょっと待て、隅田川を越えたら“下総”じゃないの。両国橋かあるじゃないか?

“かつてと言うならあそこは下総だったのでは?”という素朴な疑問が浮かぶ。

どこに建とうが“武蔵”が日本人の心に響くものの代表として語呂合わせされているのならなんら異議はない。“シモウサ”では数字の語呂合わせができない。

ついでに“ムサシ人”より“シモウサ人”たりえたいおやじの我が家はどっちに属するんだ?という今ではどうでもいいような問題にも一応の納得を得たい。

はっきりと武蔵・下総の境界線が今の地図ではここですよぉ〜と言う公式見解があればそれでオールクリアであるが、平野部の河川を跨ぐ境界はその時々の地形の変化によって変わってしまう。しかも都市部では人工的な変遷も加わる。時代をさかのぼるほど、現在の地図上に“ここが過去の境界です”と明確にマークすることはできなくなる。

 

歴史・地理は好きであるが、文献を掘り下げていくほどマニアックではない。厳密な定説がなくても、ビジュアル的なもので当時を垣間見るものを探して、自身で納得できればいい。

 

さて、問題の両国橋。

両国橋の由来は武蔵国と下総国の境界に掛かる橋だから。これはみんな知っている。

とすれば、両国橋が架かっている現在の隅田川が武蔵国と下総国の境界といえる。

となるとスカイツリーが武蔵であるためには

1.両国橋ができたあとに武蔵・下総の境界が変わり武蔵となる。

2.隅田川本流の流れが、両国橋より上流はツリーの東側にあった。

3.両国橋の両国の意味が武蔵・下総を表すものではなかった。

4.両国橋の位置が現在と当時では別の場所であった。

のうちのどれかが当てはまる必要がある。

正直3.と4の可能性は低い。

2についてはブログ等でも紹介されている。別の意味でも興味深い説だが、現状ではその痕跡を求めることは非常に困難である。

 

両国橋結論か らすると、実際1の説が正しいようだ。

両国橋が架けられたのは1,659年(諸説あり)。その後、利根川水系の大幅な開削変遷があり、国境が江戸川(これもおそらく現在の江戸川ではない)とされるのが1,686年。この年から押上は歴史上の武蔵国となっているのだ。


では、それ以前はどうだったのか?下総だったのか、それともやはり武蔵だったのか?

古代の行政区分より、武蔵国と下総国は“古隅田川”という川が境界となっていたということである。

古隅田川は現在でも埼玉県(旧岩槻市春日部市付近)と東京都(葛飾区足立区付近)の2箇所に存在する。かつての利根川本流とされていたが、大落古利根川が旧利根川本流となり、中川の流れが確立されると上流部と下流部に分断されて小河川化した。

 

下流部の東京都内の古隅田川は葛飾区足立区の境界をなし、一部暗渠や埋め立てが行われていてもその痕跡を追うことができる。現隅田川との合流付近は荒川の開削によって大きく変わってしまったが足立区の一部にそのなごりを見ることができる。



埋没古隅田川跡

東武牛田駅ホーム下にある不思議なガード。

古隅田川が小河川化して流れていた証し。








旧綾瀬川

これは荒川開削により分断された綾瀬川の名残









隅田川神社隅田川神社。歌川広重の名所江戸百景にも登場するかつては水神森だった。描か れた当時はすでに武蔵の国になってたようだ。この水神森に面した位置が古隅田川の河口だったと思われる。






鉄門

隅田川神社の鳥居。後 方にある巨大な鉄門は震災などによる大火から避難場所を 守る防災用の扉だ。








カネボウ跡地

墨提通り沿いの煉瓦塀。カネボウ東京工場跡地。

“カネボウ”は鐘ヶ淵紡績の略。今は鐘ヶ淵の地番はなくなってしまい、駅名な どにその名を留めるだけとなった。

だから“クラシエ”なんて変な名前に変わったわけではないだろうが‥‥




古隅田川1a

古隅田川流路を古地図で追うとこんな感じ





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塔マニアポタ

こどもの日、家族で出かるつもりが、当のこどもが朝寝坊。
雲行きとあいまってお出かけは中止。今日も買物してくる条件でポタに出る。3日連荘となった。
浅草寺五重塔流石に3〜4時間30km程度の範囲は行きつくしてしまった。
昨年3月の城北ポタで行き逃した赤羽の稲付城址へ行ってみる。
言問通りを通りながらはたと気付く。浅草寺の五重塔も再建とはいえ“江戸四塔”だ。ちょっと寄って撮っていこう。
正面からは過去に何度も撮っている。裏手より撮影するとツリーも一緒に入る。
現在の塔は1972年建立、高さ53mの鉄筋の巨塔だ。再建前の五重塔は1648年に建立された高さ33mの木造建築(当然だ)で戦災によって消失してしまった。

東京3大タワー?フォトポイントのすぐ裏から花やしきを抜けると旧六区のブロードウェイに出る。
このブロードウェイの突当りが“パチンコサンシャイン”。そしてその入り口横に小さな案内板。
この辺がかつての巨塔“浅草凌雲閣”十二階の跡地だ。
在りし日の十二階の写真を埋めた案内板の上のポスター!
東京3大タワーとして、凌雲閣・東京タワー・スカイツリーが掲げられている。
凌雲閣は入る資格は十分ある。市谷防衛省の電波塔はこの際どうでもいい。
でもスカイタワー西東京はどうなんだ。西東京市も東京だ‥‥今は。
五重塔は“江戸四塔”といわれている。東京4大タワーとこじつけて、隠れファンである“田無タワー”も入れてやってくれ。

天王寺五重塔址この連休中に“江戸四塔”の3つを写真に入れた。この際残るひとつももう一度見に行こう。
残念ながら残るひとつは現存していない。
天王寺五重塔、幸田露伴の小説で有名な通称“谷中五重塔”。1791年建立、高さ34mで江戸四塔のなかでも一番高い塔だった。
震災・戦災にも耐えたが昭和32年の有名な心中放火事件で全焼した。以前より再建が望まれているが、今日まで再建されていない。

名主の滝公園1男滝目的の稲付城址に行くまで寄り道だらけ。
飛鳥山公園の博物館の喫茶コーナーで軽食を取ってもう一箇所寄り道。
名主の滝公園。都区内に現存する自然の滝は等々力渓谷の“等々力の滝”とここだけだと思っていた。
滝は枯れていた。最近は開発でほとんど湧水の量が減ったのだろうと思っていたら、なんと!!
”節電のためポンプを止めている”とのこと!
名主の滝はもはや自然の滝ではなかったのだ!知らぬまま通り過ぎればよかった。
等々力の滝の明日の姿か?もしかして等々力の滝もそうなのか‥‥??

稲付城址色々あってやっと稲付城址にたどり着いた。
赤羽駅南口から僅かのところにある、突き出した丘陵地。今は静勝寺の境内になっている辺りが、かつての稲付城である。
横の急坂を上がると山門の横に出られる。
稲付城。太田道灌が築いたというが、定かではなく、時期も不明だ。
もともとこの地域は名族豊島氏の勢力圏だったはずで、豊島氏と道灌が対立関係にあった時期に築城されたとは思えない。豊島氏の滅亡以降の築城か、あるいは豊島氏が築いていた砦を後に道灌が接収して増強したものかもしれない。静勝寺
道灌の死後20年ほどで、道灌をともらうために城址を寺にしたのが静勝寺の縁起であるとされる。
しかし文献では道灌の子孫が後北条氏に使えてここを居城にしていたともある。また遺構や発掘物の調査では、城は天正年間まで使われていた見方もある。
山門から直進したところ、写真の本堂の左手に道灌堂があり、写真でおなじみの太田道灌の木造が安置されている。
道灌堂の写真も撮ったのだが、真直ぐに撮ったつもりが、かなり傾いていた。
以前豊島氏に好意的なブログを書いたので、道灌によく思われていないようだ。
一礼して早々に退散する。
坂でチェーンが絡まり、手を油で真っ黒にした。やはり招かれざる客であったようだ。

最後にツリー帰りは北本通りから明治通り、白髭橋を渡り隅田川左岸を南下する。
北十間川河口から東武伊勢崎線高架とスカイツリーを撮影。
塔に始まり塔に終わるポタになった。
馬鹿な親父は高いものがお好き??なのだ‥‥。

本日の走行 40km
平均速度   14.6km/h
最高速度   30.3km/h

5月とは思えない寒い日であった。

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羽田に行ってきました!

土産物の商品名みたいである。
昨年10月に開港した国際線ターミナル内にある“E・DO MARKET PLACE”なる複合施設に食事に行く。
現地で友人と合流する約束になっているので、早めに出発して都内をうろつきながら行くことにした。
towerとkoinoboritokyo-tower天気予報は午後に雨30%。一抹の不安を感じつつ決行。
やはり近くを通ったらここを参拝せずにはいられない。
“東京タワー”。もちろん今日のお供は“TOKYO  TOWER”である。

品川付近で迷子になりつつも、何とか定刻前に羽田に着く。
羽田国際線ターミナル国際線ターミナルへのアプローチは事前に調べておいた。
ターミナルビルの前で記念撮影。
空港に自転車でいけた証拠??になる。
友人H氏のルイガノCEN。
しかし、つるんで来たのに、何でこんな離れた場所で別々に写真撮るのかねぇ‥‥お互いに。
写真を撮っていたら警備員に呼び止められる。“駐輪場がありませルイガノCENんので、いったん帰宅して公共機関でおいでください”‥‥!!
“あれは何なんだ!?”と後方に群がって停めてある自転車群を指摘したかったが、野暮はいけねぇ。大切な同志の私設駐輪場?である。
はいはいと素直に退散して裏から周ってそこに停める。

E・DO MARKET PLACE国際線ターミナルは初めてだが、BIGBIRD(セサミではない)と比べるとこじんまりしたイメージ。
4階にある“E・DO MARKET PLACE”は観光客でごった返している。
なんか深川江戸資料館や江戸東京博物館に来ているみたいだ。
食事処は何処も長い待ちなので、ここでの食事を断念。到着ロビーのサンドウィッチと珈琲で済ます。

本門寺五重塔雲行きも怪しいので、再開を期して早々に解散。
行きに迷子になった池上本門寺に再挑戦。GPSを頼りに行くと、目前に立ちはだかる“めぐみ坂“。心臓病患者には文字通り心臓破りの、名前に似つかぬ急坂。
坂を登りきった墓地の中にある池上本門寺五重塔。高さ31m、1608年の建立。桃山時代の様式で、関東に現存する塔の中では最古の部類に入るそうだ。
帰りもめぐみ坂。下りの恐怖に比べれば、先ほどの上りの苦痛は心臓には優しかった!
鈴ヶ森刑場跡
第一京浜に出て鈴ヶ森刑場あとに行く。天一坊や八百屋お七が処刑されたことで有名。
合掌してから一枚。
ここで写真を撮ったのが怒りに触れたか、ここを出てすぐに本降りの雨に祟られた。
やむ気配がないが、もともと“雨天に乗らない主義”なので雨具を持参していない?幸い溝付きパセラブラックに変えているので雨天のグリップはよい。

小名木川河口とりあえずどうしようもなくて、全身ずぶぬれになってからCVSでかっぱを購入。今更ながら防寒対策に着る。
小名木川河口の萬年橋。家まで僅かであるが、あずまやがあるので少し休憩。

帰宅したのは17時をまわっていた。またすぐ出かける用事があるので、全身着替えて風邪薬をばかばか飲む‥‥!。市販の風邪薬に予防効果はないのだが‥‥

ルート本日の走行  69km
平均速度   16.7km/h
最高速度    36km/h
(めぐみ坂ではない絶対に!)


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動物園に行く

上野動物園に行く。
“家族で動物園へ行こうか”と思ったとき、一番近くて安いのがUENO ZOOである。入園待ち
しかし問題が‥‥。上野はいまパンダでフィーバーしている。パンダに会いに行くつもりはなかったが、パンダラッシュで混んでいるのも困るなぁ。
しかし、遠くに行くのはめんどくさいし、交通費等考えても一番安上がりだ。何より親父は帰りに御徒町周辺のチャリンコ屋を寄り道して帰るという魂胆もあった。
すでに入り口のかなり手前から長蛇の列。入る前からこの混雑ぶりである。入園制限等もあり、入園までに1時間弱並んだ。

パンダ行列中に入るとすぐパンダ行列。2時間以上待ちらしい。
初代パンダが来たときもすごかったが、こんなに待ったかなぁ?
パンダはつい最近(親父の“つい最近”は5〜6年以上前だ)見に来ているので、今更に見たいわけでもない。

他の動物たちの写真も娘に任せて、親父は少し異端なところを見て周る。

寛永寺五重塔なぜか園内にある寛永寺五重塔。
江戸四塔のひとつで、高さ33m。1639年に建立(再建)された。今は東京都の管理となっているようで、全容が見れるのは上野動物園の園内側からになっている。
当時は、不忍池の畔から今の上野公園のほぼ全域が寛永寺の境内だった。



園内のほぼ中央部に供養碑がある。慰霊碑動物慰霊碑
上野動物園で亡くなった動物たちを供養する慰霊碑があった。
リボンの上にとまっているフクロウは動物の霊を見守る象徴だそうだ。
花子とかランラン・カンカンとか特定の名前が載っているわけではなく、戦災・病死を問わず園で亡くなった全ての動物の慰霊碑となっている。慰霊碑の裏に多数の慰霊塔が建っていた。

バイソン自転車に託けてブルホーンの記念写真を撮りたかったのだが、肝心のブルがいなかった。否、バイソンがいた。立派な?ショートタイプブルホーンである。先端にベルとミラーを付けたいくらいだ‥‥?。



弁財天動物園の帰りは、不忍池を周って御徒町へ。
弁財天の出店でバナナチョコと“喜多方ラーメンバーガー”なるものを買って池の畔で食べる。このラーメンバーカー、美味しくてそこそこボリュームがあるのだが、食べ辛い。


不忍池きぬやホテルの裏手付近から池之端方面を望む。
子供のころは、弁財天の夏祭りによくつれてきてもらった。回り灯籠を買ってもらって、家で灯すのがとても楽しかった。
夏祭りも家族で来たいが、今年の夏は池を縁取るぼんぼりや提灯は点くのだろうか?

お土産さてさて、結局(予定通り?)パンダは見ないで帰ってきたが、パンダの土産だけはしっかり買ってきた。
向かって右側のパンダは、6年前に動物園に行ったときに買ったパペット。6年ぶりに仲間が増えた。


動物園に行ったといって、動物と関係ないネタばかり‥‥。寅さん
いやいや、動物園に行ったのだから、ゆっくり動物を見てきたし、娘にカメラを預けて動物たちを撮り捲りましたよ〜。
とりあえず、代表で寅さん‥‥じゃない虎さんに御出座を。
結構目前を歩き回ったり、吼えたりして子供たちを喜ばせてくれたが、“僕も虎みたいに強くなりたい!!”と叫ぶ子供はいなかった。

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臨港貨物線ポタ その3

晴海2丁目は再開発区域となり、立ち入り禁止となっている。
ここにも大規模タワーマンションが建設されるらしい。晴海ふ頭2
ここにはかつて晴海通りに沿った線路と岸壁の倉庫街を抜ける路線が通っていた。
晴 海大橋を横切った晴海4丁目には、今でも埠頭の倉庫が残っている。
日曜日の朝、消防の訓練をやっていた。

晴海ふ頭当時の臨港貨物線は、この通りの1本海側の倉庫構内を通っていたはずだ。今でもトラックの積込 み口となっているはずだが、ゲートが閉まっており入れなかった。


豊洲大橋建設中の豊洲大橋。この写真を撮っている場所の前にかつての貨物線が通っていた。


中 央区清掃工場。この広大な土地は晴海国際展示場の跡地だ。
中央区清掃工場幕張メッセが開業するまでは、東京の大規模見本市(古式な表現だ!)はほとんどが、ここで開催 されていた。展示場が閉鎖された後は、暫く大型カーショップが開業していた。よく2階の喫茶コーナーに来ていたのだがいつの間にか閉店してしまった。
今 は何もないさら地。

防潮扉晴海のいたるところに防潮扉がある。もちろん現役だ。高潮や津波の際は、一斉に閉じられるはず だ。
しかし先の地震でも閉じられた形跡はなく、だいいちあんな津波が来たら、こんな子供が乗り越えられるような防潮堤では何の役にも立たない。つ まり、“大規模地震は必ず来るけど想定外”なのだ。

平住橋芝桜芝桜?国際見本市会場跡地が貨物線の最終点となっている。
帰り道は、大門通り(別名親不孝通 り)を北上。
平住橋のところにきれいな花壇があったので休憩。平住橋は旧横十間川に掛かっていた橋だが、今は埋め立てられて、交差点の名前のみが 残っている。
これは芝桜なのか。
豊住公園すぐ横に豊住公園がある。情けないことに、今まで木場公園の一部だと思っていたが、別の公園 だった。




東京都臨港貨物線。
10年ほど前には、まだ廃線跡がいたるところに残っていたはずだが、その痕跡は再開発の並みの中に消されつつある。工場や倉庫 が立ち並んでいた港湾地区 は、マンションと商業施設が乱立するベイサイドに変貌した。
今、臨港貨物線が残っていたら、亀戸から塩浜・豊洲・晴海を結ぶLRTとして新たなベイサイドの交通システムになったかもしれない。
跡地の多くは まだ都有地として残っている。いっそ越中島線も買い上げて、ゆりかもめを晴海と亀戸まで延長したら、サンストリート・アリオ・ららぽにトリトンを一気に巡 れる楽しい路線になるんだけど‥‥。

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臨港貨物線ポタ その2

いよいよ、“廃線跡を行く”のコーナーになる。三つ目通りから
TS−7を撮影した広い都有地の反対側、三つ目どおりに面したところには、まだレールが敷かれていた。


塩浜1丁目付近三つ目を越えて、平久川に向かう手前に残されている線路跡。先日、これを発見したことにより断片的に見ていた。臨港貨物線をたどるポタとなった。



豊洲運河鉄橋跡塩浜一丁目から豊洲運河を渡るところには、橋脚が残されていた。割と最近まで鉄橋が残っていた気がするが‥‥



豊洲北小横対岸の豊洲3丁目。廃線跡はきれいな遊歩道となっていた。この先、豊洲北小を越えたあたりで、晴海線と豊洲線に分岐していたはずだが、もはやこの付近でその痕跡を見つけることはできない。


豊洲埠頭前交差点より旧豊洲線に沿って再開発道路が造られている。豊洲埠頭前交差点まではだいたいの位置をたどることができたが、ここから先はまた造成地となってしまって、位置すらもわからない。


仕方かないのでアーバンドックを抜けて、現存する晴海運河の鉄橋跡へ。アーバンドック
豊洲の造船所のドックをそのまま使った船着場。例の卑弥呼も入港する。ららぽーとは開店前だった。ここの一角は自転車走行禁止区域だ。でも進入禁止ではない。要は押して歩けばいいのだ。

晴海運河の鉄橋晴海晴海運河の鉄橋1運河に掛かる鉄橋。完全な赤いわしだ。ここが撤去されないのが不思議だ。もちろん保存を望むが、なんか訳ありなのか‥‥。


晴海二丁目付近晴海運河を渡り、晴海に入る。ここもかつての工場倉庫跡が更地の再開発地域になっている。
そんな中で唯一残っているのが小野田レミコン。但し残っているのは建物だけで、営業しているのかわからない。ここの部分も線路はほとんど撤去されているようだが、工事用フェンスに阻まれ構内には入れない。

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臨港貨物線ポタ その1

久々にTS−7のポタ復活。
先日たまたま、かつての東京臨港貨物線の廃線跡を発見。今はどうなっているか廃線跡に沿ってポタリングしてみた。
東京臨港貨物線は、東京都が敷設した貨物路線で、平成1年に廃線となっている。元は現在も稼動しているJRの貨物専用線、越中島貨物線に接続していた。
まずは越中島貨物線から南下してみた。竪川の鉄橋
亀戸駅でJR総武本線から分離する越中島貨物線。京葉道路を越えて最初の鉄橋が竪川をまたぐ。
竪川河川敷公園は現在リニュアル工事中だ。

大島付近大島を突っ切る貨物線。土塁の高架は花壇や菜園になっている。
地元の人たちが手入れをしているようだ。



小名木川の鉄橋二つ目の鉄橋は小名木川に掛かる。
休みの日に転寝しているとこの鉄橋を渡る貨物の音が遠く聞こえてくる。
ここの高さ制限を気付かずに引き返すトラックは今でも多い。


アリオ北砂旧小名木川駅付近リオ北砂。この広大な敷地は、旧小名木川貨物駅の跡地である。
今は単線の一直線だが、かつては巨大な操車場並みの貨物ターミナルだった。

南砂緑道公園葛西橋通りの踏切を過ぎるとすぐに小さなガードがある。ガードの下は南砂緑道公園。
知らなかったが、かつては水神森の都電廃線跡(サンストリート横)からここを通り須崎まで路面電車が通っていたそうだ。流石にパラダイス!

運河跡永代橋通りの踏切を越えると、またガードを発見。子供のころ、ここには運河があったように覚えている。
もっと昔はここから先が海だったのだ。


新砂付近東西線車庫引込み線のガードと並行して貨物線が越中島貨物駅に入る踏切。
いつもJRバスの誘導員がいる。入って良いのか聞いたら“行き止まりだけどバスに気をつけていってくれ”とあっさり通してくれた。

京葉線地下進入口越中島旧越中島貨物駅貨物駅。“旧”と呼ぶべきか。今は事実上、レール資材の運搬にしか使われていないようだ。
少し先にあるしおかぜ橋から眺める。右は京葉線の地下進入口。左が越中島線。接続はされていない。

しおかぜ橋ループしおかぜ橋アーチ部分しおかぜ橋。
塩浜運河と越中島貨物線をまたぐ歩行者・自転車用の橋。
ループでの上り下りが珍しい。

越中島線終点ここが越中島貨物線の終点。
極普通の住宅地の中にある。ここから鉄道貨物の華やかだった全盛時代を偲ぶことはできない。


東京臨港貨物線廃線跡始点細い道路を挟んで都有地と書かれた広い空き地がある。ここがかつての東京港臨港貨物線の起点となる。


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tooth extraction

深川不動で毎年買っている虎目石の腕輪念珠が突然切れた。
過去にも数回あったが4ヶ月弱で切れるのは初めて。
でもこれを不吉と見てはいけない。お不動様が身に掛かる災難を振り替えていただいたものだ。

とはいえ、やはり気になるので深川不動に行って、切れた念珠を納めて新しいものを購入。
不動尊にお参りし、邪念が断ち切れた!?。今日の受難に立ち向かう。

トゥース エクストラクション。
最恐ゲームじゃない。もっと怖い‥‥バッシ!
バッシュガードは好きだがバッシは好きではない(普通好きな輩はいないと思うが‥‥)

3月5日に差し歯が外れてバッシ勧告を受けた右下奥歯。震災により延SAKURAび延びとなっていたが、もはや引き伸ばすことはできない。
我が集合住宅の桜が乱舞する、すでに泣き出した空のなか、行きつけの歯医者への道は心なしか長い。

待つこと僅かで診療ユニットに通される。
下のほうが処理は難しいと聞いていたが、注入する麻酔の時間と回数からして前回より多い気がする。
“気分が悪くなったら言って下さいね”
バッシのためにばんばか麻酔をブチこまれている。気分がいいはずない。

レントゲン写真を見ると、抜く歯のすぐ横に親不知がある。
“この真横になっているの、生えてきますかねぇ”
“つっかえがなくなるので少し前に出てくるかもしれませんが、そのお年からではまず上に出てくることはありませんねぇ” ‥‥何のためのスペアなんだ!バッシ

前回の上の歯の時は少しづつ砕いて切り取っていった感じ。今回は根元から思い切りへし折られる感覚だ。
時間的にも上歯より時間がかかっている。しかも開口部が広いため、縫い合わせるとのことだ!

治療の表現は割愛する。漫画やコメディに出てくる風刺となんら変わらない。風刺されているのは使っている道具だけなのだ!
なんかかんかで1時間半近くユニットに座っていた(寝かされていたというべきか)

血が止まらないのは心臓の薬のせいだろう。それも処置後としては異常といえるほどではないとのこと。
帰宅後、すでに麻酔は切れているはずであるが、予想したほどの痛みはない(‥‥と言っても熱くなってズンズン痛いのには違いないが‥‥)

これからのた打ち回るほど痛くなることはたぶんないよなぁ??。‥‥ロキソニンは結構効くから何とかなるだろう。

相変わらず部屋に置いてあるMR−4のディレイラー調整をしながら、痛さをごまかしている。
最近やっと調整のコツが少しわかってきた。

終わってしまうと、あっけないバッシであるが、やはり歯を失ってしまうことは寂しい。
歯は健康のバロメーターとはよく言われる。
いつしか、普通の歯科医で歯を再生してもらえる時代が来るのだろう。
21世紀は始まったばかりである。


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MR−4 a go!

ZERO-X々に平日休みが取れた。

震災以来、部屋の展示品となっていたMR−4が久々のスタンバイ。
今日の音楽のお供は“THUNDERBIRDS ARE GO!”のメインテーマ。サンダーバードの テーマ曲は知らない人はいないだろうが、こちらは1966年封切の劇場用サンダーバードのサウンドトラック。バリーグレイサウンドの中でももっとも重厚感 あふれる曲のひとつだ。満を持して出撃するMR−4にふさわしい??
毎日のようにTVに流れる洗脳プロパガンダよりも、よほど元気になるし、頑張ろうと思えてくる。

634634-2閑話休題
634mになってからはじめてのスカイツリーに立ち寄る。
伸びている間は、来るのが楽しみだったスカイツリー。
もうこれ以上伸びないのかと思うと、何か寂しいというかぽかんとした気分になってしまう。
これ本当に高尾山より高いのか‥‥


うんもちゃん吾妻橋より押上から吾妻橋経由で浅草へ。
墨田公園に行く。
スカイツリー辺りから人が多い。


これ有名墨田公園からみるスカイツリーの中でも、ちょっと変わっているのがアサヒビール本社ビルに映る スカイツリー。
タワーリングインフェルノのグラスタワー並みだ。
雷門浅草に来た目的は、雷門の裏手にある喫茶店でシナモントーストを食べること。以前も娘と来てお気に入りとなり、何度か立ち 寄っている。
雷門で記念撮影。

日本橋ここまで娘と同行だったので、いったん実家まで引き返し、再度一人で浅草・上野を経由して日本橋へ。
部屋の中で弄くり回していたMR−4本番試運転である。

平日の中央通り・昭和通りは流石に車の往来が多い。TS−7のポジショニングに合わせてブレーキ位置とハンドル位置を調整したMR−4。
ホーンの突端中央部を握っているときがもっとも自然になるようにしたが、向い風ではもう少し低いほうが楽だ。インラインブレーキが手前過ぎてほとんど不要 になってしまった。裏通り桜並木

日本橋・銀座界隈の裏通りも結構きれいな桜並木が多くある。高島屋へ立ち寄ったついでに一枚。

帰りは晴海から豊洲へ抜けて、豊洲でお買物のお決まりコース。

走行34km。定番中の定番コースであるが、日本のどこにも必ずやって来る“春”に迎えられて、少し沈んだ気分が明るくなった。
車は失業状態だが、フル稼働だった1号機TS−7に続き、2号機MR−4も再稼動にこぎつけた。

震災の規模や被害は目に余る悲惨なものだが、これから人々が立ち向かわなければならないのは、けして潰れない企業、競合もなく切磋琢磨を忘れた企業の驕り が招いた空前絶後の人災なのである。
自然の驚異の中にも、必ず人的なミスや驕りによって引き起こされる危機に対して立ち向かう国際救助隊。
洗脳プロパガンダなどやめてコマーシャル抜きで、ずっとサンダーバードを流していた方が、人々に何倍もの希望と勇気を提供できるような気がするが‥‥


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台場をめぐる 後編

勝鬨橋まで大きく迂回して、次の目的地、第三台場へいく。

晴海埠頭・豊洲埠頭・有明埠頭を経由し、シーリアの横を通り“お台場公園”に向 かう。
以前、ないとらんで砂地に突っ込みTS−7を砂だらけにしてしまったところだ。
現存する第三台場に向かう道は再舗装されたの か、 きれいになっていた。
東京第二台場ダッタ第三・第六台場港外提跡から第三台場、そしてその奥に孤島となっている第六台場を望む。現存するのはこの2箇所のみだ。
第三・第 六台場については、倶楽部TS−7でのレポートがあるので割愛する。その第三台場から、先ほどの第五台場方面を撮影。船を撮ったわけではない。
卑弥呼こ こから、対岸に向けて800m程沖に、昭和36年まで第二台場が存在していた。航路の障害になるという理由で撤去され た。そりゃ、障害になることが目的で作られたものだからねぇ。
暫し、過去に耽っていたらいきなり近未来的船が視界に‥‥。
おっ、“卑弥 呼”ではないか。
お台場航路に就航している水上バス“卑弥呼”。豊洲にも寄港する。
一度家族で乗ってみたい船である。
第七台場ダッタ
さて、先ほどの外堤跡より真北方向にあるレインボーブリッジの橋脚。橋脚マニアではな い。この橋脚のあたりが、かつて第七台場ダッタ(しつこいねぇ)ところである。もっとも第七台場は未完成で、海上にその雄姿を見せることはなかったとい う。


帰り道、のぞみ橋を渡り、すぐ左に折れる。
幻の台場2こ こは江東区有明1丁目6番地。キムラヤ東京工場の先で道は行き止まり。 ここで我がMR−4のブルになった雄姿を1枚。
何の変哲もないところでの ワンショットと思えるが、実はこの辺りは幻の第八台場が計画されたところ だ。
第八台場、未完成ではない。未着工で終わった幻の台場だ。

実 は台場は、未完成の第七台場で終りではなかった。
計画された第8〜第11台場が未着工となっており、墨田川河口の江戸内湾を完全に封鎖する形で、 11基の台場が設置されるはずだった。

kouto outback幻の台場海 大橋から望む、“江東アウトバック”、築地市場移転考慮地である。この土壌汚染が問題視されている未開の原野の中に第九〜第十一台場の着工予定地があった とされている。
もし、幕府にもっと資金があったら‥‥、ペリーの再来がもっと遅れたら‥‥。
市場前などという駅は存在せず、“有明お台場公園”などという駅や公園があったかもしれないし、豊洲お台場博物館なんておっきな箱物ができていてかもしれ ない。
幻の線路?
帰り道、塩浜で偶然見つけた路線跡。これも自分が若いころは確かに走っていた“東京都臨港貨物線”の廃線跡だ。短い区間だが線路が残されていた。豊洲らら ぽやビバホームへに行くときはよく通っていた道なのに、何故今まで気付かなかったのか‥‥
橋の拡張工事で歩道が大きく迂回したために線路の横を通るようになったためだろう。これは遠い歴史ではない。自分の若いころは現在だったものなのだ。

一人の男の半生ほどの時間においても、別物と思えるほど豹変した東京臨海地区。
かつて江戸を夷敵から守るための最前線だった砲台跡は、膨張し続ける東京の内海となってしまった東京港の変遷の中に飲み込まれて、一部を残し人々の前から 姿を消した。
Map
本日の走行 43.4km
平均速度   16.1km/h
最高速度   34.8km/h

お尻がえらく痛くなった。まだハンドルが高いのか。フィッティングの試行錯誤は続きそうだ。

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台場をめぐる 前編

MR−4のポジショニング調整も含めて。久々の4時間ポタにいく。
午後1時出発。前から一度やりたかった台場めぐりポタである。
といって もフジテレビ周辺の娯楽スポットめぐりではない。
最初の鯨塚御殿山下台場目的地は北品川駅(と、言ってもなぜか品川駅の南側)の近くの鯨塚。
昔はこんな江戸前 まで巨大な鯨が入り込んでいたのか?
親子連れで賑わう史跡公園から少し路地に入ると、台場小学校がある。住所は東品川。台場ではない。
地 図で見ると小学校の周囲だけ区画が変形している。
ここはかつて御殿山下台場があったところだ。台場というと海上の島のイメージがあるが、ここは旧海岸線沿いの陸続きの砲台跡である。正門横の可愛い灯台の台座は当時要塞に組まれていた石垣だという。
ここを皮切りに、かつて江戸湾を夷敵から守る最前線にあった7つの台場を巡ってみよう。

ここ第四台場ダッタから一第四台場番近いのは天王洲に含まれている第四台場跡。
今は第一ホテル東京シーフォートのある場所だ。
昭和14年に天王洲の造成とともに姿を消す。ここでも遊歩道(自転車通行不可)に使われている石垣に、当時を偲ぶことができる。

第一台場ダッタここから橋を渡り、品川埠頭に入ると第一台場ダッタ(下らんおやじギャグだ)ところがある。
港 区港南5丁目。真下をりんかい線トンネルが通り、品川区と区境をなしている道路。この辺にも当時の面影を見出せるのだろうか。
目的の場所に来ても何もな い。石垣の代わりに高く積まれたコンテナが要塞のようにも見えた。
さて、あまり期待をせずにここから北北東約700メートルのところにある、第五台場ダッタところへ行ってみよう。
第五台場ダッタ
まったく期待を裏切らず、案の定それらしき跡地を示すものは何もない。この通りの向こ う側と思われるが、モータープールと化している。
第一・第五台場は昭和37年〜38年にかけて品川埠頭の造成によって消滅する。
割と最近 まで現存していたようだ。写真でも残っていそうなものだが‥‥。

この他東京港建設事務所前の台場を見るためには、現在のお台場方面に出る必要がある。
第五台場跡の後側にレインボーブリッジが見える。ここを自転車で通れると楽なのだが、残念ながら自転車通行不可となっている。
海岸通沿いに、船が展示されていた。“第一芝浦丸”昔の土砂を運搬するタグボートだったようだ。ここは東京港建設事務所。だからこうゆうものがあるのかは 納得できるが、何故この船なのかは碑にも標されていない。
第五福竜丸みたいに紆余曲折を経てここにあるのだろうか‥‥



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8020の危機?

結果の80%は、原因の20%から生まれる‥‥。
パレートの法則などという経済学では有名な“80:20法則”‥‥ではない。
もっと人間 にとって重要なこと、“80歳まで20本の歯を残そう”のほうの“8020”である。
3年前から掛かりつけの歯科医に、右奥歯上下2本の抜歯を宣 告されている。
すでに根元が折れていて細菌による炎症の再発は時間の問題とのことだった。
忘れもしない?2009年4月19日、災難の日 (過去ログご参照)に上1本を抜いた。

抜歯は連続しないほうがいいとの配慮で、下は1〜2ヶ月おいてからとなったが、その後1年間ほった らかしてしまった。
2010年4月、定期ケアで再度医師より勧告を受ける。抜歯の際の精神的ショックも遠のき、仕方がないなと腹を括る。運命の日 が近づいていることなど夢にも思わず‥‥
歯ァ!
そ ろそろ予約をとらねばと思っていた矢先、運命の日を迎えた。
急性心筋梗塞!‥‥抜歯どころではなくなった。
その後、幸運にも回復し、以前 に近い日常生活を送れるようになった。

しかしついに先日、食事後に爪楊枝を転がしていて“ポロリ”‥‥やばっ、とれてしまった。

仕 事の帰り、歯科医院による。
“‥‥着きませんねぇ”
“‥‥‥‥‥‥”
“根元が更に割れて変形している。出血もしているので着けて もすぐとれてしまうでしょう。痛みがないのなら近々に抜いたほうがいい。”
一連の仕事の峠が今月半ばである。やっとスランプを脱しつつあるので、 更に無用なストレスを持ち込みたくはない。
“何とか2週間だけ保つようにして欲しいんですけど”
“‥‥では、固めのセメントをつめておき ます。2週間くらいはもつでしょう”

もともと上の歯は抜いているので、噛み合わせは問題ない。さし歯の必要もないとの事だが、レントゲン で見る問題の歯の下に控えている“親不知”も気になる。こいつがまた悪さをしなければ良いが。

いずれにしても二本目の歯が戦列から外れ る。
これから歳をとると歯は急速に衰える。
‥‥80歳になったとき、このおやじの歯はどうなっているのだろうか‥‥
急に年齢の衰えを感じるのは、結構歯からだったりする‥‥
歯は大切です!


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MR−4Fブルホーン化 その3

最後の仕上げ、バーテープ巻き。仮留め1
バーテープを巻く前 にビニールテープで仮止め。
灰色のテープが結構引き立つ。もともと径が太いし、ビニールテープを完全に巻いとけばよかったりして‥‥
さ て、バーテープ巻きが厄介だったりする。慣れた人にはなんでもないのだろうが、これがもう30年近くやっていない。TS−7はスポンジグリップで済ま してしまったので、初めてに等しい。
フィジークのバーゲルセットを用意して いたのだが、実際本テープを巻くのは、ビニールテープを巻いた部分だけ。
イーストンの古いバーテープが訳ありで片巻分だけストックしてあったので、だめもとで練習兼ねて巻いてみる。

バーテープ巻き2今回バーテープ巻き1は注意するのはスタートとエンドだけだ。
斜めカットをしてビニールテープで止める。
エ ンドも同様にして、ビニールテープの上から化粧テープを巻いて出来上がり。
かなり太い。ゲルはいらないくらいだ。

虫ホーン?バーテーブルホーン完了1プ巻きだけは外注しようかと、真剣に考えていただけにあっけなく終わってしまった。
ケー ブルがテープ内に収納されているので、外見はTS−7“蝦ちゃんホーン”よりすっきりした。しかしこのWブレーキは昆虫の触角である。今回は“虫ホーン” だな。
ケーブルはもっとすっきりさせたかったのだが、インラインレバーの特性を考えるとこれくらいなのかもしれない。

海老より昆虫まあ、満足のいく仕上がり。それなりにカッコだけは付くものである。時間がなくて試運転はまた の機会となった。
ポジションセッティングは乗りながらゆっくりやっていけばいい。
とりあえず、今日は我が家の狭く散らかった玄関に納めた まま眺めていることにしよう。
‥‥新日本紀行を聴きながら‥‥


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MR−4Fブルホーン化 その2

パーツは揃ったがなかなか手を付けられず、やっと取付けとセッティングに入る。

作業のBGMは“新日本紀行のメインテーマ”捨て難いフラットバー
ブルホーン化とは何の関係もないが、これが最高に“日本”を感じる一曲である。一応シティアーバンを目指しているのだが、こういう曲が似合う日本の風景を旅したいものである。
閑話休題。もの思いに耽りながら取り外したフラットバー‥‥未練が残らんでもない。

新たに本体となるバーはプロファイルデザインの“ストーカー26”。すとーかー26
この自転車で誰をストークするんだ!パパラッチのがまだいいぞ‥‥。
冗談はさておき、サイズは420mmライズ0と決めていたのでちょうどいい。ケーブル用のホールが開いているが結局使わない。
26mmステムを用意していたが、まずは標準ステムに付けてみる。心ある人は“絶対にやってはいけない”という26バー⇒25.4ステム着け。とりあえず着いてしまうのだ。
タイレルショートリーチ
メインレバーはタイレル“ショートリーチレバー”。6輪マシンのメーカーではない。残念ながら美人レプリカントも造っていないだろう。当初はバーコンも考慮していたのでエアロではなく、エンドホールを残すためインラインタイプにした。
ロード用ブレーキワイヤーが付いていて“ラッキー”と思っていたら、なんと長さが足りん!そもそも我が家にはMTBタイコタイプしかストックがない!。MR−4はスモールとはいえ、複雑な構造の分ワイヤーも長いのか。2,050mmを調達。ケーンクリーク
中間に噛ますインラインレバーはケーンクリーク“クロストップレバー”。テクトロでもテスタッチでもよいのだが、なんとなくこれが高級そうだった。実際だいぶ高い!。
ストーカー26は名前の通りパイプ径が先端以外26mm(普通は24.0〜23.8)なので標準サイズのクランプが使えない。31.8mm用のクランプレバーにステム用の26.0⇒31.8シムを噛ます裏技が必要になる。シムはバズーカ製。

ディズナレバーマウント逆付けがシフト周り。ちょっと捻ったのがこの辺の取り回し。当初はSTIの代わりにバーコンも考えてバーのエンドホールば残しておいたのだが、結局バーコンにはせず、DIXNAレバーハンドルマウントというWレバーをハンドルバーにマウントするパーツ(実はこれもポールが本家)とオプション台座を使い、シマノ/SL-R400-8をハンドルに固定する。
この位置がもっとも苦心したところ。考えられる付け方を全て試したが、最終的には変則的な逆付けになった。これが操作位置としてはフラットラピッドに一番近い。
あれぇ‥‥これも付属のシフトワイヤー長が足りん!そうだ、SL-R400-8はもともとダウンチューブ取付の設定だっけ。シフトインナーも2,100mmを調達。オマケ

ついでにシフターはこんなものを追加して加工取付。結局、これがあればSTIでもギアポジションが見えたわけだ。(但し、9速用。8速のMR−4では目盛りが合わない。使えたとして引き位置のイメージ把握のみ‥‥どの程度役に立つのか‥‥というより走行中に見れるのか、この位置?)
仮留め2
Wシフターでのギアチェンジとインラインレバーでのブレーキの稼動を確認して、いよいよ仕上げのテープ巻きとなる。


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確定申告の日 3ポタ編その2

御茶ノ水、神田川周辺をうろうろする。神田明神下?
たいした距離ではないが、起伏が結構あるんだなこの辺は。もともとは神田山という大きな山があった。家康の時代に切り崩されて、その土砂で埋め立てられたのが日比谷湾である。
神田明神・湯島聖堂・ニコライ堂と矢継ぎ早に周る。
神田明神。江戸城の鬼門に位置し、徳川幕府の成立以前よりこの地に鎮座し、1,300年の歴史をもつという。
神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内などの108町々の総氏神社となっている。
神田明神下?2銭形神田明神平次の碑や国学発祥の碑などがある。
銭形平次がいた神田明神下ってどの辺なんだ?神田明神から坂の下方を望むと、そこはアキバのITビル街であった。

湯島聖堂神田明神から本郷通りを挟んだ向かい側に湯島聖堂がある。
1690年、5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟が元だという。
ウウ〜ン、“日本語であそぼ”のコニちゃんの歌を思い出してしまう。それにしても、もう知命の歳なのに‥‥!
現在の建物は1935年の再建である。

湯島聖堂からも美しいドームが見える。聖橋を渡りニコライ堂に立ち寄る。にこらい堂
実はニコライ堂とは俗称だったのだ。正式には“東京復活大聖堂教会”という長い名前なのだ。ギリシァ正教を奉じる日本正教の大聖堂。ビザンチン様式の建物は1891年に建てられ、1929年に大改修されたものとのことである。
ここも周囲が高層ビルに囲まれ、35mの見事なドームも摩天楼の中に飲み込まれつつある。

夕方には用事があり、早々に退散しなければならない。
帰路は靖国通りから京葉道路の一本道だが、またまたちょいと寄り道。ねずみ小僧供養墓
両 国橋を渡ると右側に両国回向院がある。“両国“と書いたのは、回向院は南千住にもあるからだ。南千住の回向院は、有名な小塚原刑場の跡地にある。あの辺は 今でも道路工事やビル工事で “シャレコウベ”が掘り出されるそうだ。此方の回向院は明暦の大火の焼死者を弔うために建てられたものだ。
“鼠小僧次郎吉”の供養墓を墓参。
ここには山東京伝の墓もある。

回向院の裏手に有名な吉良邸跡がある。吉良屋敷跡
有名な割には、意外と見つけづらい。
本所松坂町公園という白い塀に囲まれた、10m四方もない一軒家がやっと建つ位の空間。説明書きにある当時の範囲からすると5,000平米以上あったんじゃなかろうか。47人でよく包囲できたものだ。

ちなみに若いころ、よくたべに行った“吉良亭”(邸ではなく亭です)のスタミナ定食は健在なのだろうか?吉良屋敷跡
風の噂では元の店舗は閉店して、別の場所で営業再開したとのことらしいが、健在ならぜひまた食したいものだ。

朝の確定申告から始まって、色々と名所めぐりをしたが、いつも何気なく買物で走り回っている範囲である。
摩天楼の中に歴史をかき消していく東京。歴史のない街東京とよく言われるが、ちょっとした場所に垣間見る歴史はアメリカ建国の歴史より古いのだ。
何気に歴史めぐりをした一日。税金も戻ってくるし、高いところでご飯も食べられたし。これから仕事の残りをやる、ということを除けば楽しい一日であった。

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確定申告の日 2ポタ編その1

御徒町で湯島天神1スモールパーツを購入したあと、去年高いところで食事しそこなったことを思い出し、再チャレンジする。‥‥“高い”とは高さのことである。いくら気をよくしたからといって高級ランチを食いたいわけではない‥‥。
某輪業から中央通を突っ切り、湯島中坂を登りきると、湯島天神前に出る。
寒いのにかなりの人出だ。受験も過ぎたのに‥‥
今は梅祭りのシーズンであった。湯島天神2
ちょっと寄って参拝する。

この寒さで気が回らなかったが、今が梅の真っ盛りなのだ。鶯が飛び回る。正に“梅に鶯”なのだ。
しかしとても野点の気分じゃないな。うう〜っ、さぶい!


目指すのは文京区役所。文京シビックセンター前回は墨田区役所であてが外れて昼飯食えなかったが、文京区役所のあるシビックセンターは展望ラウンジもあるから、上の方で軽食くらいはありそうだ。
なんか“モアイ像(モヤイじゃないぞ)”みたいである。
期待通り、食事処は25階にあった。椿山荘レストラン!区役所の食堂というわけには行かないようである。
ちょっと待って窓際に座る。
レストランも含めるとここは360度のパノラマである。

シビックよりタワーここからシビックよりツリー東京の自立鉄塔ベスト3を全て見れる。癸韻賄然スカイツリー。シビックより?癸欧賄豕タワー。小さくて寂しいが距離のせいである。癸海六埣の防衛省の通信塔。これ目立たないが220mある。
残念ながら癸瓦箸覆辰討靴泙辰拭氾通汽織錙次匹海肇好イタワー西東京は見えなかった。忘れちゃいないぞ。
しかし東京は巨大になった。防衛省の通信塔の方角には、かつてゴジラに倒された衝撃の中継塔があったはずだ。
いま初代ゴジラが東京の街中を暴れ回っていても、空に向かって火を吐いてくれない限り、どこにいるか見つけられないだろう。神田川渓谷かつて人々を恐怖に陥れた大怪獣も、いまやメガロポリスの雑踏に飲まれてしまった。

さて、高いところ(お値段も、ね)で食事できて満足。
御茶ノ水から神田方面を抜けて帰る。
神田川の見事な渓谷。ここは石神井渓谷と違い、人力によって掘削された谷だ。河津桜が咲いている。

聖橋よりアキバ方面渓谷を神田川立体上と下から撮影。
幼いころ、ここの風景を東京の立体化の象徴のように紹介されている本をみた。下から船・丸の内線・中央線・総武線・そして聖橋の自動車。
5つ揃うのは難しい。今回は3つまで。


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確定申告の日

“確定申告の日”‥‥1年前も同じタイトルがあった。
確定申告はお早めに!‥‥今回は、平日の休みが 取れず日曜申告になった。毎年お小遣い程度のささやかな副業のために、確定申告でぶん取られる(失言!)のも癪なのだが、これは納税者としての義務である。
しかし今回は勝手が違うぞ。昨年度は多額の医療費や副業トラブルでの欠損がある。なんとしても取り戻す!!。この日ばかりは、“本日の1曲”はビートルズの“Taxman”である。

申告書はすでに作成してある。今回はマイナス。しかも結構な金額である。しかしそのまま出さず相談コーナーでチェックしてもらう。
“ご相談内容は‥‥”と係員
“今回は色々あってマイナスだが、マイナスは初めてでこんな多い金額なので間違いないか確認してもらう‥‥”と返答。係員‥‥苦笑い。でもイヤミばかりではない、本当に不安だったのだ。提出時に“違ってます”とあっさりつき返されてはたまらん。

案の定、計算ミスがあり、訂正になったがほぼ当初の金額は還付されることになった。
“還付する振込先を記入してください”‥‥10年近く確定申告やっているけど初めてだ!!何か勝利感のような喜びがこみ上げてくる。

ぶん捕ったわけではない。もともと払いすぎたものを返してもらうだけである。冷静になればただの事務手続きである。昨年はそれだけの出費や収入減があったのだ。
‥‥でもやはりうれしい。愛車の修理費、家族のスキー代、MR−4ブルホーン改造費全てカバーして、なおお釣が来る。

確定申告始まって以来の還付。
年明け以来の精神的スランプを脱しつつあるこのごろに、また追い風か!
朝からいつ雨が降るかわからない寒い日。買い物だけしてすぐ家に帰るつもりだったが、気をよくしてポタして帰ろう。

まずは税務署から最近行きつけの、御徒町の某輪業へMR−4ブルシフトバナナホーン化のスモールパーツを買いに行く。
今回のブルパーツは通販主体で購入したが、 神田から御徒町周辺を回ると、全てリアル店在庫で調達できてしまうのだ。ほとんど定価商売だが、ネットショップを分散させてしまうと、送料や代引き・振込 み手数料等であまり代わらなくなってしまう。
何せ交通費が“ただ”だから‥‥



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MR−4Fブルホーン化 その1

今年はMR−4をブルホーン化することにした。まだ購入して半年ちょっとのバリバリ新車?だし、フラットバーは捨てがたく、なかなか踏み切れなかったのだが、TS−7のブルホーン(実際はえびホーンだが)が乗りやすく結構気に入ったことからその気になった。

フラットバーからブルホーンにして乗りやすくなる‥‥?
タウンライド中心のチョイノリ派としてはちょっとあり得ないことだが、TS−7をブルホーンにしたら、なんか確かに乗りやすくなった。何故だ‥‥?
固定されたポジションからバーの範囲内でポジションフリーになったことが大きいのだろう。
何よりも基本の握りが体に対して垂直のほうが自然である。

ポジショニングが多彩なドロップハンドルでも、実際はハンドル中心からブラケット先端までの、俗に言う“上ハン”部で7割〜8割のポジショニング頻度になるという。コンフォートなおやじライドにとっては、ブルホーンのポジションでドロップの8割近くをカバーしてしまうことになる。まず下ハン使わないだろうし‥‥。

しかし、フラットバー⇔ブルホーンバーって、単純なバーの付け替えではすまない。ハンドルイメージ

なんかかんか言ってもフォールディングバイクにはフラットバーが似合うし合理的だということは否定し難い。DIYとはいえ、これをつけ替えるならそれなりのこだわりがあってもいいだろう。

構成パーツを検討していく中で、拘ったのは、今回はえびホーンにはしたくないということ。
TS−7ブルホーンは、ご愛嬌で“蝦ちゃん”‥‥違うだろ‥‥などブルホーンパーツと呼んでいるが、実は唯一気になっているのがケーブル周り。
えびホーンも物によっては悪くないのだが、やはりケーブル系はさっぱりとバーサイドに這わせたい。ギドネットはランドナー的にはベストチョイスなのだが、今回はもう少し“らしく”したい。

トップマウントのブレーキだけではギドネットの守備範囲をカバーできない。インラインブレーキを使ってみる。メインレバーもインラインタイプにする。Wブレーキ化の重量増防止にもなるし、インラインレバーをメインブレーキとして使っているモデルは多い。取付イメージ
シフターはSTIではなくWレバー系を使うことにした。価格的なこともあるが、8速STIはシフトケーブルをバーに収納できないし、せっかくのインジケーターも下付けでは使えなくなってしまうからである。

基本的にはフラットのラピッドに近い位置で操作できるほうがいい。

以上をパーツ構成の基本的なコンセプトとしてパーツ集めをしてみた。
なんかかんかでTS−7えびホーンの3倍も掛かってしまった。もう一度家族で日帰りスキーくらいいけそうである。取付イメージ2
さてさて、莫大な!費用を投じてパーツがほぼ揃った。このところ忙しいのと、セッティングも時間をかけて行いたいので、とりあえず今回はイメージ組みだけにしてみる。
420mmとかなり広めのC−Cにしたのだが結構うるさくなりそう。メーターやベルをつけるところがない。

なんか凄いなぁ!?こんなんでママチャリみたいにチンタラ走っていて良いんだろうか‥‥?。しかも、こんな“らしい”パーツと一緒に“きづきベル”なんかを買ってしまった。
とりあえずハンドル戻して“きづきベル”だけきちんとつける。車体が揺れるとベルが“チリンチリン”と鳴る。
‥‥うう〜ん、牧歌的である‥‥。


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KARANO舞る・おやじ参る

4年ぶりに日帰りでスキー場へ行く。
KARANOでは2回目となる。“スキー場”という書き方は変だ。
前回は、ただスキー場へ行って、娘 とソリ遊びをして、お茶飲んで帰っただけ。道路も完全乾燥状態だった。
実は板を履いてすべるのは17〜8年ぶりである。雪上KARANO1
きっかけは簡単。Wiiファミリースキーでバカみたいにかっ飛び、おやじをぶっちぎっては“父さん下手だ”とバカ にする娘に、“雪とは何か、寒さとはどう言うものなのか(八甲田山雪中行軍か??)”を味わわせてやりたかったからである。
相変わらず朝寝坊の娘 を起こして、出発したのは8時過ぎ。予報どおり出発から雪が舞う。
昔ならおやじが、子供のように飛び跳ねてはしゃぐところだが、今回は不安材料が 多い。20数年モノ
病後初めての長距離遠征である。しかも出発から雪の中、スタッドレスは6年目になる。動脈硬化‥‥じゃない、コン パウンドの寿命は5年だ。雪で効くのかこいつ。
当初の目的地、マウントジーンズが混んでいて断念。50分ほど引き返し、最終目的地に着いたのは 12時過ぎ。
日塩もみじラインにあるエーデルワイズスキーリゾート
無料駐車場の看板に魅せられた?初スキー
20 前のブーツは健在であった。
娘と一緒におやじも板を借りる。175か180はないの?20年のブランクがあるのに見栄を張る。本当は体力ないし、 170で十分なのだ。
出されてきたのは148cm?‥‥ジュニア用か??
最近の板は短いのが主流なのだそうだ。ここでもまたまたおおボケ をかますおやじであるが。この短いの、すごく履きやすくて楽だ〜。
テロ組織員かゲレンデは降り続く雪でパウダースノー状態。こりゃ最高じゃぁ!
とはいえ運動音痴の娘のレッスンから‥‥。思うよ うに行かず最後は泣き出す。かわいそうではあるが、ある意味“思い知ったかぁ”というおやじの勝利感もある。
ゲレンデにいたのは実質3時間弱。娘 は結局ゆるい斜面を滑降できるまでであった。
リフトに乗れなかったのは残念だが、リフト代は浮いた!。
30年前の最新ファッションを1枚
‥‥ なんだりゃぁ?中東のテロ組織員みたいじぁ!雪上KARANO2
娘にとっては車のほとんどいなくなった駐車場での雪遊びが一番満足だったようである。

帰 りは鶏頂山から鬼怒川に出る。日も暮れる降雪状態の圧雪路。
すでにスリップで立ち往生の車数多。
KARANO号の真骨頂!である‥‥とい いたいが本当にこのスタッドレス大丈夫か?フル制動とステアリングテスト‥‥すべるなぁいい予感?
最 後の切り札。購入以来一度も実践していないデフロックをオン。
うう〜ん。この感覚!4WDだぁ!
単純に感動して、多くの車と逆の鬼怒川を 目指す。
ちょっと流れるけどいい感じ!
これだけのためにデフロック四駆を買ったようなものだ。ずっと走っていたかったが、麓に来ると道は シャーベットに変わってしまった。

帰宅したのは22時近く。終日雪のなかであった。
しかし、都心では日中は雨だったのか、積もっ てはいない。
ネオンが雪の中に輝く都会の夜も幻想的である。

走行470km。このコンディションでは流石無謀だったか。最後のほ うは動悸が激しく、エコノミー症候群になりそうだった。それにリフト代浮いた代わりに、せっせと逆ハ登りばっかりだったし‥‥
車もがんばったが、 おやじの心臓もよくがんばった!
久々のスノードライブを楽しめたおやじも満足であった。


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初ツリー2011 その2

目指すタワーを目前にして、押上のマクドナルドでおそ飯。造影剤検査で、昨日から飲まず食わずだったので生き返る。
手には雑誌“荷風!”のスカイ ツリー特集。マニアを気取ってみたりする。

ツリーの高さはすでに560m目前だが、毎日のように見ているせいか、あまり高さが気にならな くなってきた。ツリーの先端にはすでに5個のバケツが乗って いる。
乱視の悪化したおやじには、我が家から見えるツリーの突端はひっくり返したバケツに見えるのだ。バケツ
アップで撮るとこんな感じ。ロボコップかぁ?
展望台もアップで見るとこう。よく言えば近未来的。悪く言えば無機質で冷たそう。
手 にした雑誌記事にも載っていたが、
スカイツリーの対象として語られるのは、東京タワーでもスカイタワー西東京(誰も対象にしていないか‥‥!して くれぇ!)でもなく、通称十二階、今はなき浅草凌雲閣かも知れない。
生前の祖母がよく話してくれた浅草凌雲閣。若いころの祖母が見た凌雲閣の衝撃 は、ツリーを見る今の若者たちと共有しているものだったのだろうか。

ツリーの高さは別として、最近特に気になるようになったのは、隣のビ ル。
多方面から結構批判を浴びている高層ビル。どうもホテルを含む商業施設らしい。
こう書くからには、当のおやじもあまり良い印象を持っていないということだ。
ウウン、なんか押上に似合わないなぁ。1本聳えるタワーのほうがまだいい。
まあ、タワー下の商業施設も含めて、本当に地元の活性化になればいいん だけど、得てして箱物再開発は地元と関係なく(地元を取り残して)勝手に別の町ができてしまうものだ。このビルは何だ

すでに一部が失っているが、押上のあの商店街アーケードはどうなってしまう のか?
母子家庭で育った自分にとって押上は、母の職場として毎回つれてこられた思 い出の土地でもある。
若くして亡くなった父は、京成の都営1号(浅草線)乗り入れと押上駅地下ホームができるのを楽しみにしていたそうだ。
そ んな父は、都営地下鉄1号線開業の翌月、楽しみにしていた都営地下鉄に乗らぬままこの世を去った。
父より遥かに長生きしている自分としては、まず 当面はツリーに登るまでは死ねないと言ったところか。
そのためにもせっせと病院通いしなければ。
ツリーから、掛かりつけの医院まではひ とっ走りの距離である。

‥‥それにしてもスカイツリーを見ながらなぜか“TOKYO−TOWER”(寒空はだかではない、一応角松敏生の ほうである)を口ずさんでしまうのは何故?
こっちのほうがらしい形だから‥‥??。
違いますっ!!!
それより寒空はだかの東京タ ワーの唄にスカイツリーが追加されたら、売店で何を買うのかねぇ。
ぜひ墨田区の名産をPRしてもらいたいものだ。

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初ツリー2011 その1

TS−7、フロントアウター交換後に体重測定。TS−7の装備重量は14.2kg。エマージェンシーツール・ライト・アタッチメントなどを差し引くと逆に減量している。オーナーのリバウンドをほんの少しカバーしてくれていたようだ。
さて、その当のオーナー本人は、本日は数回の医者往復である。先週ストレスのためか、病院に駆け込み、本日の検査となった。
午前と午後の予約の間があくのでちょっとポタする。

ディレーラー交換以来、シフト時の段抜けがどうしても調整できず、行きつけの輪業に調整依頼に行く。
流石、店内を一回りする間にぴったりセッティングしてもらえた。
店長曰く “手ではめかえればWギアとして使える。”
なるほど、である。都度手や衣服を油だらけにするリスクは考慮しないとして‥‥。荒川30kmマラソン
調子の戻ったTS−7。午後の予約まで時間もあるので初ツリー?にでも行ってみよう。
ちょっと寄り道の荒川土手。なにやら賑やかだ。
今日は、”荒川30kmマラソン大会”の日らしい。
小松川公園はゴールと大会本部になっている。走り終わったランナーが続々戻ってくる。
コースは平日と変わりなく開放されている。長蛇のランナーとともにロードバイクやママチャリが併走しているのもちょっと異様な光景だ。

スカイツリーがサドル高を越えた?竪川柳島陸橋下親水公園から亀戸、北十間川を経由すると押上まではほんのわずかだ。
いつもの柳島歩道橋ポイント。今回は歩道橋上からではなく、水辺まで降りてローアングルから1枚。
北十間川も急速に河岸整備が進んでいる。江東デルタの河川はどんどん暗渠化や清流化が進んで公園となってしまっているが、水彩都市を謳うのなら、もっと元の河川を生かしてほしいものだ。
2011初ツリーかつて江東区・墨田区を縦横に走っていた水上バス路線は今はもうない。
行政・住民の努力で江東デルタの治水は完璧といっていいレベルになった。次は残された河川網を使った交通整備を考えても良いんじゃないのか?

そんなことも想いながら、今年初めてのツリー詣と決め込もう。



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2011初不動の日

毎月28日はお不動様の日。深川不動2011
昨年もこんな書き出しだったか。
1月28日は初不動である。
昨年は本当に厄年以上の厄であった。ちゃんと方難除けしたのに‥‥。
今年も年初からどたばたであるが、何とかいい年になってもらいたいものだ。
初不動の朝一番の護摩焚きに参拝。寒さが身にしみるが、深川不動2011-2護摩焚きの般若心経は相変わらず乗りに乗っている‥‥。失言!。心が洗われる。
一昨年来、本堂横に隣接して新本堂を建設中である。落慶法要は平成25年9月。一年半先だが、この梵字に囲まれた新本堂、建物がどこまでできているかさっぱりわからん。
新本堂が出来上がったら、今の本堂はどうなってしまうのか?
区内で最も古いといわれる木造建築である。保存されることを願う。

枯野お祓い今回は車もお払いしてもらう。
先日グラスコートをしてきれいになったばかりだが、早速高速で跳ね石が当たってフロントガラスに傷がついた。
本人の不注意は別としても、もらい傷も多かったので清めてもらう。
初不動なので混んでいるかと思ったが、交通安全祈願もKARANO号1台だけであった。

高島屋午後、その足で日本橋高島屋へ行く。中央階段の踊り場の横のこじんまりした喫茶コーナー“薔薇窓”で昼食。ちょっと面白い空間である。
高島屋は老舗ではあるが、店員さんも気さくで、なかなか庶民的である。
駐車場やフロントなどを見ていると、まあ、人件費がすごく掛かっているなぁと思ってしまうが、そこはやはり“来客へのおもてなし”という絶対に譲れないスーパーとの差別化なのだろう。
吊るし雛
入り口正面に見事な“吊るし雛”が飾られている。
少し贅沢をした一日。
初不動が終わると、すぐに節分。そしてひな祭り。

一年はすでに慌しく動き出している。


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伊福部マーチ

昨年は自転車にMP3を導入して、結構“乗り乗り”に乗った。辛いことが多かったが音楽というのは癒しにもなり、元気づいたりもする。もちろん乗りながらのヘッドホンは危険なので、あえてモノラルイヤホンである。
実は去年よく聴いた曲も、新しいもので10年前のものだ。おやじの音楽はもう四半世紀止まっている。
ストレスの溜まったこんな日は、自転車でそこら辺を走りまくるのが一番だが、体調不良と折からの寒波に負けて、自宅でパソコン三昧となる。
バックに流れているのが、伊福部昭。
伊福部昭さん。すでにお亡くなりになっているが、多くの交響曲や管弦楽奏を発表している日本を代表する作曲家である。
クラッシックや管弦楽に興味のない人間(自分も含めて)も、映画“ゴジラ”のテーマ曲を知らない人は少ないだろう。
1960年代に子供時代をすごした怪獣好き。または特撮映画のファンならば東宝特撮のバックに流れる伊福部さんの曲は印象的なはずだ。
特に心躍るのはやはりマーチ(テンポ的にはアレグロというらしいが)である。
“怪獣総進撃”“宇宙大戦争”“海底軍艦”“サンダ対ガイラ”“空の大怪獣ラドン”
怪獣と戦う自衛隊。宇宙人と戦うのは日の丸を掲げたロケット。悪の帝国と戦うのが旧帝国海軍だったりする。
人類の危機を救うのはヒーローではない。危機に立ち向かう人間の英知である。そんな人間の英知が、敵を迎撃するパワーとなる戦闘シーンに必ず流れているのが伊福部マーチである。
安保運動や自衛隊廃止論が渦巻いた子供時代に、子供心に自衛隊は日本に必要だと植えつけたのは、ほかならぬ東宝特撮と伊福部音楽である。
いま、押入れや本棚の一番奥でひっそりと埋もれていた、東宝特撮の映画音楽のレコードとCDを引っ張り出して聴いている。
懐かしさもあるだろうが、昔とはまた違った新鮮さもある。
ストレスが溜まって悶々としている時に、何か“さぁいくぞー!”と高揚心を高めてくれる不思議なサウンドである。


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KARANOリフレッシュ その2

KARANO2週間前より擦り傷養生で入院していたKARANO号が戻ってきた。
板金だけでMR−4R/SEが買えてしまう金額を見積もられ、躊躇してしまっていたが、最終的には保険を使うことにした。
ついでに5年保証のボディコーティングも新調して、購入当時のピカピカKARANO号が復活した。
費用的には“メトロ D6”1台分で収まった。
う〜ん、これならなんか理由をつけて、歪んだバンパーと曇ったサイドブラインドモニターも新調できなかったかなぁと、ちょっと後悔。しかし、度を越した欲は身を滅ぼすとも言うし、それはまた予算と相談だ。
KARANO15年目を迎えて、スタッドレスもコンパウンドは今シーズン限りになりそうだが、今年は1回は雪を見に行きたいと思っているので、ユーロバイシスへの履き替えは春までお預け。
ナビソフトもスカイツリーがインプットされるまで我慢しようかなぁ。

今更ながらミニバンのランキングバナーに参画することにした。
イオン・IYの往復便ではネタもないのだが、KARANOリフレッシュ継続中。

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livedoor プロフィール

枯野

愛車紹介
1.PRESAGE U31
愛称KARANO号
  :いまや歴史遺産となりつつある3.5L/フルタイム四駆。最近は金欠でタコメーターしか見れなくなった。2002年モデル。

2.MR−4
  :GIANTのロングセラーフォールディングバイク。18年間コンパクトスポーツの頂点に君臨した名機。2010年モデル。FからSE擬き仕様にDIY。

3.SOMA SAGA『嵯峨』
  :米国ソーマファブリケーションズのツーリングフレームに格安パーツを買いあさって組み付けたグラベル風クロモリツーリングバイク。年式不明

4.ALPENCHALLENGE   AC02
  :レーサー志向の本格バイクを投入する『BMC』の珍しい26インチアルミバイク。ストックパーツを再編成して復活した我が家の軽量クロスバイク。2010年モデル。  
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