KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

艦(ふね)が見たい

日曜日の午後、日用品の買い出しでイオンに行く。
湾岸線元のイオンというとトピレックプラザかスナモである。イオンで買い物をしてスタバでお茶するのが決まりのパターンだ。スナモの場合は上島珈琲店だが‥‥。
今回はちょっと遠い「ショッパーズプラザ・イオン横須賀」に行く。イオン東雲より少し遠い。レイクタウンより幾分遠い。ハイオクガソリン垂れ流しの車で高速料金を考えると、地元のクインズで買い物する方がたぶん安いだろう。
夜、昭島に行く用事があったのでちょっと寄り道する。江東区から昭島市に行くのに、横須賀市を経由するのが『ちょっと寄り道』にあたるかは置いといて、横須賀に行きたくなったのは不意に軍艦が見たくなったからである。家から横須賀まで高速湾岸線を使えば1時間ちょいで着いてしまう。


景観破壊ント久々に大黒パーキングに立ち寄る。
昔は、よく夜景を見に来た大黒PA。展望デッキに行ってみると‥‥
ありゃりゃ。橋もみなとも見えないねぇ。この巨大な壁の向こうには巨人がいるのかな。ベイスターズは巨人に食われてしまったのか。
こういうセンスも粋もないのは外資系企業だけだと思ったら、地元の日系企業というから少し寂しい。




ショッパーズ屋上イオン横須賀須賀ICからよくわからないまま、現金払いの『本町中山有料道』に入ると、いきなり眼下に軍艦が数杯現れる。
有料道路の終点はヴェルニー公園の横。ショーパーズプラザが周辺のどの米軍施設や海自関連の建物より、よほど要塞ヨーサイして聳え立っている。
屋上駐車場に止める。早速軍港のパノラマが見える。
流石トピレックの屋上とは違う??



軍港めぐりスタ軍港めぐりバで昼飯にして、今日のお目当て『横須賀軍港めぐり』の遊覧船に乗る。1400円也。日曜とあってかなりの反響である。
梅雨とは思えぬ暑さにめげて、空調完備の室内にする。しかし、写真を撮るならやはり上階層だろう。





軍港めぐり4軍港めぐり1覧時間は45分。船内に自販機がないので、特に夏は乗船の列に並ぶ前に飲み物を買っておくことをお勧めする。
出発すると進行左岸に海自の横須賀地方総監部、右岸に同潜水隊群司令部、その先が米軍横須賀基地になっている。
軍港めぐりの案内人さんが面白くわかりやすく説明してくれる。




『衝突のイージス』常は空母のドッグになっているというところに停泊している艦。あれが記憶に新しい惨事、『衝突のイージス』だそうだ。
船舶の衝突は珍しくはない。しかし一方が軍船だとことさら大きく取り上げられる。民間船と衝突するような艦が、有事の際役に立つのかという庶民の不安を、マスコミが増長するからだろうか。






引退艦引退艦2に任務をこなし引退していく艦もある。『掃海艦はちじょう』、機雷除去に活躍する1000tクラスの世界最大級の木造船だ。すでに除籍されており艦番号も消されている。機密保持のため解体されてしまうのだが、既に大型木造船の建造技師がいないため、木造の大型自衛艦はこれが最後だそうだ。技術立国日本の技術がまた一つ消えていく。




船をヴェルニー公園1ヴェルニー公園2下りて、『ヴェルニー公園』を散策。幕末のフランス人技師『ヴェルニー』に因んで名付けられた公園は
フランス庭園風である。だから『薔薇』なんだろうね。
以前にテレビに出ていたのってここだったのか。特別なところかと思っていたら、何と駅前だった。




ヴェルニー記念館2ヴェルニー記念館園の一番奥(駅からは一番手前だ)にあるヴェルニー記念艦。公園名のもととなったヴェルニーが設計した『横須賀製鉄所』に設置された『スチームハンマー』や製鉄所に関する資料が展示されている。
製鉄所は造船所となったが、その当時のドッグは今も対岸の米軍基地で現役なのだそうだ。




潜水艦2すずつき艦の見える公園だけあって、先ほどの遊覧船から見えた潜水艦や護衛艦などが身近に見える。ついさっき入港したばかりの潜水艦の名前はわからないが、護衛艦は『すずつき』とわかる。
さっきの受け売りかって?。厭々、タラップにそう書いてある。護衛艦のタラップがみなあんな感じとは思えない。民間人が最も目にするところだから、親近感の演出や宣伝効果を狙ってのことだろう。
トップのボケ発言とは関係なく、現場は頑張っていることはよくわかっています。

三笠記念公園珍しい公衆電話島行きにはまだずいぶん時間があるので、ヴェルニー公園を後にして米軍施設の対岸にある三笠公園に行く。
公園の前にあった珍しい『公衆電話ボックス』、というより『公衆電話』そのものが「珍しい」。






戦艦三笠戦艦三笠2港に停泊していた護衛艦より大きく見える『戦艦三笠』。実際、三笠の排水量は15,000t。自衛隊の護衛艦は3,000〜5,000tクラスである。帝国海軍なら軽巡クラスの大きさだ。大和やタイタニックのイメージで見てしまうと護衛艦も三笠も小さい。
とはいえ三笠は当時としては、最新・最大級の戦艦だったようだ。バルチック艦隊旗艦『国親父座ろう(日本海大海戦の観みすぎか)』でさえ三笠より気持ち小さかったようだ。今でもマストに高々と『Z旗』がたなびいている。
客船タイタニックにしろ、この三笠にしろ、船はこの時期のものが最も美しいと思う。
マスト三笠3覧料(乗艦料)600円。当時の価値換算が不明だが、今の100円を30万円相当とすると、観覧料1800万円也。すべてをゆっくり見ると1時間以上はたっぷりかかる大きな艦である。
こんな大っぴらなところから砲撃していたと思うと、16世紀の海賊船と変わらない気がする。当時を再現した人形兵を見ると牧歌的ですらある。





猿島最新哨戒システム橋に上ってみる。これが戦艦三笠の最新哨戒システム。先ほど同様100円を30万円換算すると2分30万円、1時間900万円。1日2億1600万円。現在の最新レーダーの維持費とどっちが高いのか‥‥??。「バルチック艦隊に砲撃開始の直前で100円が切れて真っ暗になる。」「上官が怒鳴り下士官が慌てて100円を入れる。」くだらない想像でつい笑ってしまう。
猿島が見える。無人島ということだが、定期船が頻繁に往復し、かなり賑わっている様子だった。



いろいろお取込み中なのか、空母型が見られなかったのが唯一残念だった。
特に軍艦が好きというわけではないが、十分楽しめた。今度は家族と来たいものである。ショッパーズプラザで買い物したから、駐車場もタダになったし‥‥


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海が見たい

初夏を通りこして、既に真夏の様相を呈している空梅雨の土曜日。
恐怖の行徳橋度のことだが、この時期海が見たくなり九十九里を目指す。
今までの、車で行ってベースを起点にするのではなく直接家からの往復にする。
検索での予定走行138km。

往路は御成街道をベースにするため、京葉道路から江戸川水閘門・行徳橋を渡り船橋に抜ける。
本日最初の難関行徳橋。架け替えが進んでいると聞いていたが、まだ桁の一部ができているだけだった。
歩道が狭くすれ違いに難儀するので、車の切れ目を図って、一気に車道で渡る。
土曜日朝で車も少なくゆっくりと渡れた。

花見川度か通っているとタカをくくり、ナビなしで走ったため、御成街道に入るまでに、船橋・習志野で迷走する。
津田沼から、大久保を抜けて御成街道に入る。







御茶屋御殿跡滞の四街道を越え、定石通り自衛隊横を通ればいいものを、横着したら、また迷走。無駄な遠回りをした後、再び御成街道に入る。佐倉街道から先の御成街道は、起伏が多く、道が細くて悪い昔ながらの道の印象が強いが、市街地化により整備が進んでいる。
市街地を抜け、埃っぽい畑と林が混在する長閑な風景に替わると『御茶屋御殿跡』の看板。家康のお鷹狩りの休息場としてつくられた借り屋敷で、井戸や土塁が残されている。




OXエンジニアリング道の時は気付かなかったが、『OXエンジニアリング』を発見。千葉の校外とは聞いていたがここにあったのか。
ミニベロの名車『ガゼル』のカスタムメーカーである。但しミニベロでいえば『ガゼル』より『ピコ』が有名。しかし主力商品はカスタムメイドや競技用の車いす。最近よく見る犬用車いすも造っている。






ニチレイレディズやってますの辺まで来ると、車も少ない長閑な田舎道だが、今日は観光バスに大型セダンや外車がやたら走っている。ところどころ警備員もいる。
そういえば途中に「袖ヶ浦CC」があったのだ。なんで袖ヶ浦と全然違うところに『袖ヶ浦』なんだという突っ込みは別として、今日はニチレイレディズの中日であった。





御成街道跡康の命により敷かれた御成街道(当時はそう呼んではいなかっただろう)は起点の船橋から東金までほぼ直線的に敷かれ、そのかなりの部分は現在も一般道として使われているが、時代の流れとともに道が変わり、寸断され現在ではその痕跡を見ることもできなところもある。
千葉市山王町周辺・東金市周辺とこの八街市沖地区である。沖地区に入ると斜めに突っ切る直線道は消失し、区画整理された、碁盤の目状の道に替わっている。今は全く痕跡のない道端に斜めに建てられた看板だけが当時を知る目印になっている。



雄蛇が池雄蛇が池一のポイント『雄蛇が池』に到着。金山トンネル・観音隧道と並び、千葉県でも五指に入る心霊スポットだが、昼は自然豊かなバス釣りスポットでもある。トイレ休憩も兼ねて立ち寄るが、確かにここのトイレには夜は近寄りたくない。
前回はここから東金市街までで前進を断念、反転帰投となったが、今回は海を目指してさらに前進する。



不動堂蛇が池からまたしても迷走して不動堂海岸まで14km。
やってきました九十九里浜。
しかしこの砂!。自転車を端に停めることもできず、ビンディングシューズに砂が入るのも嫌なので、ここで海を望むことは断念。
ここから、折り返し予定地点の『サンライズ九十九里』まではあとわずか。




智恵子抄の碑智恵子抄の碑ンライズ九十九里の手前に『智恵子抄の碑』というものがあるので寄ってみる。
文学にはトンと興味ないオヤジであるから高村智恵子が療養のためこの地にいたというのは初めて知った。
実際この場所に智恵子のいた別荘があったわけじゃないだろうが、車だと事前調査をしなければ見逃してしまうようなポイントである。
‥‥自転車立てかけてごめんなさい。‥‥


サンライズ九十九里っと到着。今回の目的地、「千葉のマリーナベイサンズ」??(‥‥といわれているかは不明)『サンライズ九十九里』。
屋上にプールはないが、屋内にサウナ付きの展望風呂がある。
これがリゾートホテルではなく『国民宿舎』だということが、〇〇ベイ〇〇〇に勝る唯一の勝機か‥‥
手頃な値段で泊まれるのだが、休日スケジュールが直前まで合わせづらい我が家では『ホテルシーサイド江戸川』とともになかなか取れない宿の一つである。




外海です。九十九里浜ンライズ九十九里のすぐ横で海にそそぐ『真亀川』の河口から海岸線に出る。
河口提の突端部。目前に広がる大洋。初めての自走による九十九里到達。今回のミッション達成。





スタバ飯路は白里から大網街道1本で本千葉に抜けるルート。すでに脚は引きつり状態だが、前回の渡良瀬と違うのは、予想通り帰路に追い風になったのと、お尻の苦痛が限界点に達していないことである。
大網の市街を抜けると、最後の難関、1.5km・平均斜度4.1度の上り坂。普通のサイクリストなら何でもない軟斜路だが、今の親父には獄門坂である。しかしここを登り切ると、千葉寺までの約17kmはほとんどペダルに力を入れる必要のない僅かな下りである。
千葉市街に入ってスタバで遅昼の糖分補給。超甘が休まる。



幕張りはR14から花見川を下り、『幕張の浜』に出る。太平洋と東京湾の両方の海を堪能?できた。








本日九十九里センチュリーライド達成??の走行160.67km。距離こそセンチュリーだが12時間かけているから、最初の4時間でNGである。
でも、この800円で買ったサイコンは「26インチ」としか指定できないのであまりあてにならない。GPSがなくなってちょっと不便だ。
記憶の限りルートラボで再現した距離は158km。
前回の渡良瀬サイクリングより距離も長く斜度もあったが、帰りの追い風と尻の苦痛軽度による精神的・肉体的余裕が幸いした。


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さっぽろ紀行 番外

檜原湖幌出張から半月。
再度札幌に出張遠征。今回は10日間だが休みなしのため見れるところはどこもない。
出発時は雲の厚い天気だったが、一瞬の晴れ間で眼下に檜原湖が一望できた。
井上靖の短編小説『小磐梯』のテーマにもなった、磐梯山の水蒸気爆発によるMEGA土石流によって出現した巨大湖沼である。
裏磐梯に魅せられ頻繁に訪れていたが、この十数年訪れていない。小磐梯山頂からの絶景と大磐梯の山頂からのパノラマに感動し、いつか子供を連れて登りたいと思ていたが、その夢はちょいと叶いそうにない。


デリカD2 2回の現地での「脚」は『デリカD2』。リッタカーの指定で予約。店に行ったら「『デリカ』をご用意しました。」といわた。車を知らないオヤジとしては、当然D5と思う。コンパクトカーで予約したのにデカすぎると文句(本等は( ̄ー ̄)ニヤリッだったが‥‥)を言ったら「D2というミニボックスです」といわれた。
『デリカD2』、ハイブリッド4WDである。三菱のハイブリッドってあまり聞かなかったけど、プリウスのようなものではなく「ハイブリッドモドキ」らしい。さすが三菱!?。
でもフル4駆で17km/1L走った。北海道だからか?最近の車はそれが当たり前か?感動する方がおかしいのか。オヤジの歴史遺産はハイオクで6km/1Lしか走らない。


デリカD2 3デリカD2つは前回のFITより面白い。最近の車は、至れり尽くせりで、「衝突防止」や「はみ出し警告」は当然として、60km/hを超えると「安全運転しろ」とかインターに近づくだけで「ETC車線はだめ」とか、しまいにゃ走行後に「エコ運転を心がけろ」と指図する。これで会話が成り立ったら『ナイトライダー』のキットである。
我が家の古女房は「カードを挿入してください」「ドアが開いています」くらいしか言わない。いたって無口である。


琴似屯田兵屋て、今回琴似屯田兵屋2唯一の観光は、車のバックにある『ロートウァングの館』以上の古屋敷(というより長屋だな)。
『琴似(コトニ)屯田兵村兵屋跡』。屯田兵村については、資料館があるのだが、早朝のため、保存されている兵屋を見に行く。
北辺警備と開拓事業を兼ねた屯田兵が初めてこの地に入植したのが明治8年。その最初の入植地が現在繁華街となっている琴似栄町通のJR琴似駅から地下鉄琴似駅に至る周辺。通りの両側に、このような兵屋が200戸ほどつくられ、いくつかの屯田兵村とともに本格的な石狩地域の開拓が始まったそうだ。
野菜ぎょうざ みよしのセット回もゆっくり食事の時間がなかった。東京にないものとして、サツドラ・セイコーマートの『ホットシェフ』に続き、地元から聞いた札幌市民のソールフードといわれている『みよしの』で餃子とカレーの『みよしのセット』を食べる。みよしのセットは470円。オヤジは野菜餃子が好きなので、野菜餃子のセットで520円。
地元人はごく普通においしいよというが、赴任や出張できた人間の賛否はビミョウ。
オヤジ的には10日の出張で4回行ったから、結構はまった方である。




今回北海道の翼も往復とも「北海道の翼」エアドゥである。比較的直前に安い運賃で乗れる結果だが、北海道の発展と道内の利益還元を目標に設立した会社で、厳密にいうとLCCではない。
行も帰りも、機内安全のビデオモニターが故障で、アテンダント嬢の生解説と実演が見れた。さすがエアドゥ?






お土産2お土産1回は冗談でも『白い変人』を探してしまったが、今回はマジで買いました。
『白いブラックサンダー』。娘への土産で、味見はしていないが、ブラックという割にはすごく甘いだろうことは想像に難くない。
次は『HORIとうきびチョコ』これがとてもおいしい。特にプレミアムは甘さを多少抑えて食べやすい。これはやみつきになる。
結局今回は定番の『白い恋人』は買えなかった。この辺は東京でも買えるしね。



お土産4お土産3して、どう見てもゆるキャラではない『メロン熊』。ストラップは初代のゆるキャラ系なのか、グロ感やこわ感はない。普通のマスコットストラップである。(凶暴系もあった)。
Tシャツは凶暴系。だけどオフィシャルサイトの表紙ほどの不気味さはない。
メロン熊もゴジラみたいに、そのご時世で容姿や性格がかわるようである。
ゴジラが核実験を繰り返す驕ろ人間への大地の怒りの象徴なら、メロン熊は炭鉱閉山によって財政破綻を強いられた夕張市民の怒りの象徴?なのかもしれない。





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長い付き合いだなー‥‥けど腹立つのう

今年も自動車税の納付時期になった。
いつ納付通知書ものごとくポストに入っていた。
最近は自動車税や都市計画税などをキャッシュで払えるほど現金がないので、数年来クレジット払いである。
また支払いをしようと開封する。
「あれぇ〜っ、なんかたっけーな。」
「あっ、そうか年式だ!」
以前乗ってたグラチェロ並の高級車になってしまった。

4リッターカーの税金に耐えかねて15%近く下がる1ランク下の3.5リッターで選んだのが今の車である。15%上がったら元のもくあみである。


腹立つ重課車登録より一定期間を過ぎると重課税となる。
「古いものは金がかかるしエコでない。しかも新車が売れないと経済効果もない。そんなの乗っているあんたは非国民だ。」といわんばかりだ。

日本人の原点『もったいない』はどこへ行った。そういえば家の家電も1度2度修理しているものがほとんどになった。どれから火を噴くかの競争のようになってしまった。やばいねぇ。

車は毎年検査代のほかに10万以上の修理代・消耗品交換代を出費している。もう少し頑張って全自動車を買うという夢までもつだろうか。

腹は立つが、でもそれだけよく飽きずに乗ってきたなと改めて感心。
もう少し頑張んべか。歴史遺産の維持管理には金が掛かるのだ。


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関東三十六不動尊巡拝 

さて、第一回目の『関東三十六不動尊巡拝』である。スタートが5月なので残り7か月となっている。巡拝に合わせていろいろ見て回りたいところもあるが、今回は割愛。
巡拝は特に順不同でよいそうなので都内から始める。

ルート
〔楾不動尊⇒等々力不動尊⇒L楡追堝安頃有っ飜酩堝安頃有ダ仗整翩堝安頃有志村不動尊⇒目白不動尊

目黒不動尊2目黒不動尊1黒不動尊
 天台宗泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)
慈覚大師・円仁の開基によるとされ、日本3大不動の一つに数えれれる由緒正しき寺院である。
駐車場はあるのだろうが、山門の前にコインパーキングがあるのでそこに駐車。



目黒不動尊4目黒不動尊3本尊はもちろん不動明王、本堂の裏手に巨大な大日如来像がある。不動明王は密教最高神『大日如来』の化身とも分身ともいわれている。護摩焚きの時は「大日大聖不動明王」と唱えられている。
女坂の途中に『変神大菩薩』が祭られている。修験道の開祖『役小角』のことである。お不動さまのところには多くに役小角も祭られている。修験道と密教は密接なつながりがあり、空海のエピソードの中にも役小角が大きくかかわっている。


等々力不動尊2等々力不動尊1等々力不動尊
 真言宗智山派滝轟山明王院(りゅうごうさんみょうおういん(致航山感應院満願寺別院)
寺院の縁起には、はっきり書かれていなかったが、真言宗の中興の祖、興教大師覚鑁(かくばん)によって開かれたとあるので、12世紀頃の開基だろう。
等々力渓谷の中ほどにある。
駐車場有。目黒通りを都心方面から来るとUターンになる。

等々力不動尊3不動の滝内から渓谷に下りられる。ここにも『変神大菩薩役小角』の祠がある。下りると渓谷沿いに不動の滝がある。遊歩道や甘味処もあるので時間が許せばゆったり過ごしたいスポットである。
余談ながら、目黒通りを挟んで向かい側には墳丘長55m、高さ7mの『御岳山古墳』、渓谷の対岸を上って500mほど行くと全長約82mの帆立貝式古墳、『野毛大塚古墳』がある。


L楡追堝安
 天目青不動尊2目青不動尊1台宗竹園山教学院最勝寺(きょうがくいんさいしょうじ)
開基については1,311年説と1,609年説があるようだ。創建者の玄応和尚自体いつ頃の人物かわからない。
三茶の雑踏からわずかにそれた閑静な住宅地にある。広い駐車場があるが進入路がわかりずらい。西友付近のパーキングに止めても歩いてわずかだ。
ご本尊は阿弥陀如来。正門から入ると右手手前。世田谷線沿い(写真)から入ると正面が不動堂になっている。

目青不動尊3目青不動尊4動堂は古式騒然としているが、現在の不動明王像は明治になってから当寺に移されてきたものだそうだ。
慈覚大師(円仁)作といわれる不動明王像を直接見ることができる。





っ飜酩堝安
 中野不動尊1中野不動尊2言宗豊山派明王山宝仙寺(みょうおうざんほうせんじ
当寺の歴史によると、創建は平安後期の寛治年間、源義家によって開基されたとある。
特に駐車場の指定はないが、正面門の横に車用の通路があったので、境内の隅に停めさせていただいた。



山門には阿吽の金剛力士像が配されている。境中野不動尊3内は広い。
ご本尊は秘仏で良弁作と伝えられる『不動明王像』。
三重塔には『大日如来像』。少し奥まったところにある御影堂には『弘法大師立像』が安置されているとのことだが、今回は見ることはできなかった。





中野から足を延ばし、練馬区の三宝寺池近くにある第11番所である『石神井不動尊』に向かう。
ダ仗整翩堝安
 真言石神井不動尊1石神井不動尊2宗智山派亀頂山三宝寺(きちょうざんさんぽうじ)
縁起によると、創建は応永元年(1394年)。鎌倉大楽寺の大徳権大僧都幸尊法印により、現在の豊島橋周辺に建立され、地在豪族の豊島氏の保護を受けていたが、1477年、豊島泰経VS太田道灌の『江古田原合戦』により石神井城が落城すると、道灌によって現在地に移転された。




石神井不動尊3石神井不動尊4神井城の縄張りの中につくられた境内はかなり広く、本堂のほかに6つの別堂がある。本尊は不動明王。
旧早稲田通りの斎場の向かい側に駐車場がある。
『関東三十六不動第十一番札所』であるほかに、『武蔵野三十三観音第三番札所』・『御府内八十八ヶ所霊場第十六番札所』(目白不動尊も第五十四番札所になっている)等複数の札所になっている。


志村不動尊
 真志村不動尊2志村不動尊1言宗智山派寳勝山南蔵院(なんぞういん)
徳川吉宗によって『櫻寺』と名付けられ、毎年春に釈迦尊の生誕を祝して盛大な『花まつり』が行われる。時機を逸して残念。
R17に面した広い駐車場がある。





志村不動尊3本尊は十一面観世音菩薩。不動堂は門を入って左側、本堂手前にある。不動尊はもともと近隣の末寺の本尊だったものが昭和の初めに当寺に移されたと縁起にある。






目白不動尊
 真目白不動尊2目白不動尊1言宗 豊山派神霊山金乗院慈眼寺(こんじょういんじげんじ)
創建は天正年間〜文禄元までの間とされる。門を入ると立派な本堂がある。ご本尊は『聖観世音菩薩』。地蔵堂は門を入りすぐ右手にある。
元々白目不動尊は文京区関口の目白坂の東豊山浄滝院新長谷寺(とうほうざんじょうりゅういんしんちょうこくじ)にあったが、戦災で焼失し当寺に移された。不動明王は弘法大師作と伝えられる秘仏である。

目白不動尊3動堂横手から裏山の墓地に入れる。丸橋忠弥の墓がある。行って見るかと尋ねると「それ誰?知らなーい」とカミさん。娘と違って歴女じゃないなぁ。かくいう親父も、この名前を覚えたのは『時の行者』を読んでからだ。






本日予定の七山を参拝したが、16:30まで多少時間があるので、もう一山、帰路からあまり離れていない南国寺目赤不動尊を今回の最終番所にする。
目赤不動尊2目赤不動尊1赤不動尊
 天台宗 大聖山東朝院南谷寺(とうちょういんなんこくじ)
五色不動の中でも目黒・目白と並び三不動と呼ばれている。
創建は元和年間、万行律師が赤目不動尊として開基した。三代家光より五色不動構想により『目赤不動尊』と改名された。やはり五色不動には天海大僧正の強い意向があるようだ。



門を入ると左側に駐車場がある。不目赤不動尊3動堂は駐車場の向かい側にある。こじんまりしたお堂である。去年の正月に来た時も夕方であった。
余談だが、ここから駒込方面に600m行くと、全長45m、高さ5.5mの前方後円墳 、富士神社古墳がある






関東三十六不動巡拝1院の縁起を調べてみると不動堂は多くが元の位置から移っているようだ。五色不動を家光の時代の位置に戻すと、江戸城を中心に北斗七星の形になるという説もある。
そんな五色不動を含む8か所を初日で巡拝、ゴールデンウイークで比較的すいていた都心であるが、6.5時間(朱印の授与時間は 9:00〜16:30なので7.5時間可能)で8か所はちょっとせわしなかった。次回からは少し境内や安置仏、周辺の見どころも散策したいきたい。



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今年は関東三十六不動尊巡拝

今年『酉年』はお不動さまの年。
関東三十六不動霊場会ポスター年はカミさんの達ての願いで、『関東三十六不動尊巡拝』をすることに決めていたが、諸所の事情とスケジュールの都合で、5月の連休からのスタートとなった。
仏教徒を自称しながら、仏教をまるで知らない不信心な親父としては,『関東三十六不動尊』てなに?、総開帳てなに?から始めなければならない。
「関東三十六不動霊場会」の公式HPを見てもその辺を教えてはくれない。
http://tobifudo.jp/36fudo/
そもそも干支の守り本尊の起源すら明確ではない。しかも12神御わすわけではないので、専任守護本尊と兼任守護本尊がいらっしゃる。仏の世界も人材不足のようだ。密教と陰陽道が融合されたともいわれるが、守り本尊自体広まったのは比較的近年らしい。

真言宗豊山派 七星山光徳院4やじの守り本尊は『千手千限観世音菩薩』、つまり千手観音さまである。仏教は本来インド発祥であるからインド風の名前(というより唱える真言だな)がある。
千手観音さまは「おん・ばざら・たらまきりーく」である。一発で覚えられる。

ちなみに上杉謙信が出陣前に群臣の前で唱えるのは「おん・べい・しら・まんだやそわか」、毘沙門天の真言である。こいつが何ともかっこいい。



新本堂2回の主役は、カミさんの守り本尊、もちろん『不動明王』、お不動さま。お不動さまを梵語で唱えると「のうまくさんまんだ・ばさらだん・せんだんまかろしゃだや・そはたや・うんたらた・かんまん」となる。カミさん熱心にお不動さまに通っているが、こんな長いお不動さまの真言よく唱えれれるなー、と聞いたら唱えられんそうだ。「のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん」という略式があるようだ。これなら覚えられる。
外国人にはながーいフルネームの方も多く大概は略してファーストネームで呼ぶ。不謹慎かもしれないが理屈は同じようなものだろう。


では、なんで三十六不動なのだろう。「36」という数字はなに?。
もともと不動明王さまには三十六童子という眷属(けんぞく)がいるそうで、広辞苑によると「仏・菩薩につき従うもの」という意味があり、薬師如来の十二神将、千手観音の二十八部衆とかがあるそうだ。
三十六不動はその三十六童子から来ているといわれている。不動明王さまは一人だが眷属が別々だから三十六ヶ所を回るというのもおかしい気がする。

関東には上記のほかに「北関東三十六不動霊場」というのもある。関東の不動尊が72尊しかないということは考えられないから、それぞれの三十六寺院は商店の連合会みたいなものだろう。商店街活性化のスタンプラリーのようなものだ。
Wikiによると、関東三十六不動尊霊場(かんとうさんじゅうろくふどうそんれいじょう)は、神奈川・東京・埼玉・千葉にある36箇所の不動明王霊場寺院の総称。昭和62年に開創されたとあるから三十六霊場の総開帳は二回目ということになる。

「開創」とは、これもWikiによると、「寺院を創設すること」とあるが、それぞれの寺院は別に縁起を持っているので、あくまでこの霊場会という組織ができた年ということだ。
関東36不動て、その関東三十六不動尊霊場とはどこだろう。
第一番所 大山寺から始まって、大雄山・川崎大師・西新井大師・川越大師など初詣のメジャースポットをめぐり、締めくくりは成田山新勝寺。
五色不動などは昨年回ってしまった。

さて、目的地はわかったが、では行って何をするのか?
これもよくわからない。巡礼というなら、お不動さまを巡ることで、その地のお不動さまと結縁を結ぶということになるが、不動明王はもともと一尊である。しかしどれかが本物であとは代理人ということはない。HPでは順拝という表現が使われている。

まあ、あまりウンチクは必要ない。日本人はあるがままを受けいれ、すべてのものを神として祈る。仏さまもその中の一つであり、キリスト教徒やイスラム教徒にあまり抵抗なく接することができるのも、節操がないからでなく、太古より日本人の連綿と受け継がれる宗教観なのだろう。

gaibookせ、『関東三十六不動尊霊場』ガイドブックもあるし、モデルコース紹介や、各旅行会社でパックツアーなども組まれている。
白装束に金剛杖という大げさなものでなく、ドライブ気分で初めよう。
寺院はそれだけで一種のパワースポットになっている。少しは神聖な気分になって気分転換、日常を見つめなおすのもいいだろう。

勿論お不動さまめぐりであるから、お不動さまの真言を唱えることを忘れてはいけない。

のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん
のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん
のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん‥‥


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無謀 渡良瀬遊水池

ゴー吉か凶かルデンウェークにどこも行かないのはもったいない。唯一フリーの3日にどこか走りに行こうと決めたのは5月1日夜。
車+自転車は渋滞に巻き込まれるので、家から直接往復にするのは決めていたが目的地が決まらない。いくつか候補もあったが結局出るまで決まらなかった。
京葉道路に突き当たる。右に行けば市原・大網方面、左に行けば多摩湖狭山湖方面。直進すれば荒サイ・江戸サイで埼玉茨城方面である。
信号一つまって直進にする。
風は南の微風。北上しても帰りがそれほど苦にはならないという判断。
「甘かった‥‥」

松伏の休憩所黄色い絨毯6に合流し松戸に出る。車はやはり動かない。チャリンコオンリーにして正解。
江戸サイを北上。今日はサイクリストが多い。江戸川CRには三郷と松伏に休憩場がある。前回も立ち寄った松伏の休憩場で休憩。





アーバンライン武アーバンパークラインの江戸川橋梁。やはり東武野田線のほうがしっくりくる。『アーバン』てどういう意味?。けして都会的でない都会人の親父から見ても、『カントリーライン』とは言わないけど(40年前はそうだった)、せめて『サバーブライン』とかじゃないの。






デカい大凧あげ祭り珠花橋の手前に来ると何やらものすごい人盛り。
春日部の『大凧上げ祭り』だ。以前通った時もやっていた。アナウンスでケバブ屋の出店の宣伝があったが、さっき飯食べちゃったばかりである。残念。
帰りまでやっているといいのだが。




東北新幹線利根川橋梁宿橋から護岸工事で一般道に抜ける。再びCRに戻ったのは『新幹線利根川橋梁』の手前。
久々の100km走行を目指して、休憩入れて、12時半には折り返すつもりだったが、関宿橋の時点で55kmを超えている。
漠然と渡良瀬遊水地を目標にしていたが、最大の誤算は遊水池までの距離を調べていなかったこと。
関宿城をスルーしてしまったので、遊水地を目指すか、バイパス橋を渡り『道の駅さかい』で飯食って引き返すかだ。お尻の痛みがかなりつらく、時間も予定の12時を過ぎているが、まあ次の日も休みだと思うと、折り返しのインパクトが欲しくなった。遊水池までは14km。痛みをこらえて強行する。この往復28kmが「甘かった‥‥」


R4新三国橋クリーンセンター利根川橋を渡り渡良瀬左岸を北上する。ユニークな煙突が見えてきた。古河クレーンセンターの煙突だ。これも『コンスタンティヌスの柱』だ。(オヤジは清掃工場の煙突を「コンスタンティヌスの柱」と呼ぶ。)
R354の新三国橋をくぐる。三国橋の三国って上野・下野・武蔵かな。下手するとこの辺りは下総まで絡んでくる。




古河城古河城本丸跡三国橋を超えると古河城案内板があった。「こんなス−パー堤防の上に城があったの」などとトチ狂ってはいけない。
ここも湿地帯にあり、かつては忍城や岩槻城のように浮城のような城構えだったのだろう。平安後期の古い築城で、古賀公方の根拠地となり、江戸時代も譜代や幕閣の重臣が城主になっている、関東の要の城だったともいえる。



実際野渡橋遊水池の中の道はそんな観光気分ではなく、脚が重く、股がビシビシ状態であったのだが、遊水池のゴルフ場を過ぎたあたりで、三国橋を渡らなければならないことに気が付いた。すでに三国橋より1.5km。コース修正などできない。上の橋までは4.5km。ここで断念と思ったが、マップを拡大すると遊水池の中に道がある。一般の車が走ってくるので行けると判断。渡良瀬川の野渡橋を渡る。



遊水池4遊水池3良瀬川の対岸の堤防を上る。
湿原の向こうに巨大な遊水池『谷中湖』が見える。
渡良瀬遊水池は、氾濫に悩む渡良瀬川の治水事業としてつくられたと思われがちであるが、そうではない。治水はあくまで表向きで、真の意味は、上流の足尾銅山の鉱毒を沈殿させることと、その鉱毒の被害を最も訴え続けてきた谷中村の抹殺にある。住民は農地をつぶされ、二束三文の補償金で村を追われた。村は強制廃村にされた。今でもこの整備された美しい公園の地中には、基準値を大幅に超える鉛などの鉱毒が堆積されているのである。
第一水門遊水池2水地には歴史的見どころも多い。中心地まで行きたかったが、時間と体力の限界となり断念。谷中湖を遠望し反転帰路につく。
すでに走行77km、もう引き返すことはできない。否、もう引き返すしかない。帰りは巨大な渡良瀬第一水門を通る。





とに大利根河畔景勝の地コースがあったかくケツとおまたが痛い。帰路は利根川左岸を下る。渡良瀬川は利根川に合流し、その先で江戸川が分岐するのだが、元々利根川の源流は今の中川水系であり、鬼怒川常陸川の独立水系となっており、渡良瀬川から太日川(現江戸川)は独立水系だったのだ。
その開削された分部の広い河川敷にモトクロコースがあった。若いころオフロードバイクで河川敷のにわかコースによく走りに来たものだった。
関宿城が対岸に見えると『大利根河畔景勝の地』の碑。ここは関宿城をバックにした富士見百景にもなっているらしい。しんどくて休憩。

関宿城道の駅「さかい」ましだまし『道の駅さかい』まで来て休憩と遅い昼食。
サイクリスト応援カフェCORG’S。サイクリストはいなかった。オヤジもここに来るとついつい食堂のうどんに行ってしまう。
道の駅さかいに約50分。十分休息したつもりだが全然回復していない。境大橋を渡ったところで関宿城南面の全景が望める。このアングルで見るとまるで平山城である。スーパー堤防恐るべし。



輪空?大凧が上がっていた行はすでに100kmを超えている。数キロ走っては休憩の繰り返し。これでは進まない。宝珠花橋対岸についたのは16時半近かった。
おお、飛んでいる。葉巻型UFO‥‥じゃない。大凧上げ祭りの大凧である。大凧は南風を受けて見事の飛んでいる。「あんなでっかい凧が元気に飛ぶような向風だからたまんねーんだよ」とは、オヤジの今の率直な感想である。
凧あげ会場の対岸に芝の滑走路がある。マップでは『関宿滑空場』とある。こちらもみな帰り支度だ。グライダーって折りたたんで専用ケースに入れて運ぶのか。『輪行』やめて『輪空』にするか。でも曳航機はどうやって格納庫にしまうのか。それともどこか別のところから飛ばしてくるのか?

風に本日の走行あと少し耐えられなくなり、野田橋で江戸サイから一般道に抜ける。しかし松伏からレイクタウンを抜けて外環までは、土手と変わらない吹き曝しである。

帰宅は20時。前年同時期に同じようなルートでほぼ同じ距離を走った時は、帰路にもまだ余裕があった。




遊水地往復回の走行150km。満足感や達成感よりもく、疲労感と帰宅時の解放感が強く残った。
出発時に一瞬輪行袋持っていこうかと思ったことはやり直感だった。袋もっていけば、ゆっくり遊水地を散策した後で、東武線一本で帰れたことを考えると、無計画と判断力の甘さが悔やまれる。




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さっぽろ紀行下つ巻

観光を市内に移す。
宮の森ジャンプ台通りや駅前に車を止めれば見どころはたくさんあるが、駐車場代もかかるので、とりあえず市街の周辺を回る。
札幌オリンピックで日の丸飛行隊が活躍した『宮の森ジャンプ競技場』。実は大倉山に行くつもりが、ナビをセットしていなかったので、間違えてきてしまったのだが。
親父のほかにはジョギングしている人が一人だけだった。オリンピックのテーマソング史上一番の名曲(と、オヤジは思っている)、トワエモアの『虹と雪のバラード』を口ずさんで歩く。(最近の人はしらないよなぁ)




羊ケ丘クラーク先生は有名な羊ケ丘のクラーク先生の銅像を見に行く。
羊ケ丘は市街の外れではあるが何にもないだだっ広い土地だが、元々は農業試験場の一角を公園にしているらしい。入園料520円とられた。
「少年よ、大志を抱け」(TOKIOじゃないぞ)で有名なクラーク先生の本名はウィリアム・スミス・クラーク。『クラーク』といったらオヤジはすぐに『デイウ・クラーク』が出てきてしまう。DC5知ってるかな。『because』や『若さをつかもう』『グラッド・オール・オーバー』は名曲だ。



北海道神宮2北海道神宮通公園のテレビ塔や時計台に行きたいが、テレビ塔ではぜひ夜景を見たいため、さらに時間調整。北海道神宮に行く。検索すると宮の森のすぐ近くだった。『宮の森』自体神宮の森という意味だから当然だ。ほとんど来た道を戻る。
北海道神宮は江戸時代以前から存在する道南の神社と違い、明治になって開拓の成就を祈願し勅によって建てられた神社である。本殿は再建されたものだが、流石に北海道一ノ宮としての荘厳さがある。


赤レンガ2赤レンガて、そろそろ夕方になったので、テレビ塔を目指す。北海道庁の近くのパーキングに車を停めて、旧庁舎の赤レンガを見に行く。
17時なので中には入れないかと思っていたら、もんが開いていた。建物もまだ人が出入りしている。18時まで開館しているようだ。お役所とは思えない。観光客は外国人が多い。中の資料展示には北海道開拓の歴史や北方領土の成り立ちなどがあったが、蝦夷共和国の資料はなかった。
榎本武揚の隠れファンとしては少し寂しい。


時計台2メトロポリス海道庁旧庁舎から時計台に来た。流石に入館時間は過ぎていたが、ちょっとイメージが違うな。高層ビルに囲まれてしまった時計台は、まるでメトロポリスに出てくるロートウァングの屋敷のようだ。






教会くなるまでは、まだ時間があるのでブラブラと創成川通りに出る。ここにも『ロートウァングの屋敷』的建物がある。ここは教会のようだ。

時間もあるし小腹もすいたので地下街に入ってお茶しようと思ったが、せっかく札幌に来たのだからラーメン屋を探してラーメンを食べる。とりあえず札幌に来てみんながすることの一つができたわけだ。




展望台?札幌テレビ塔下通路からそのままテレビ塔の3階までそのまま上がれる。東京タワーでいくと大展望台に当たる。が、東京タワーの150mと違い、高さは23mほど。我が家のマンションより低い。







夜景大通り望台に上がるころには日が暮れて、光のともった街はやはりきれいである。
大通りからまっすぐに大倉山ジャンプ台が見える。
ここでゆっくりお茶ができるとよかったのだが、残念ながら展望台に喫茶店はない。






メロン熊雪ミク景も堪能したので下りる。テレビ塔3階には東京タワー同様、昔ながらのお土産屋がある。
雪ミクスカイタウンて空港にあったやつだ。時間があってもこれは入りずらい。
メロン熊ののぼり。はっきり言って結構キモイ。これはけして『ゆるキャラ』ではない。






時計台大通りからテレビ塔レビ塔のイルミネーション。ダイヤモンドヴェールかと思ったが、札幌テレビ塔は時間帯によってライトアップとイルミネーションが交互に替わるようだ。
パーキングに帰る途中時計台のライトアップ。昼間より夜のほうがよい雰囲気である。
人口およそ200万。全国5位の大都市札幌。第一の繁華街すすき野の散策はできなかったが、半日で結構見どころ周りができた。



北海道でなければ見れないものはこれだけではない。
ホットシェフツドラ(サッポロドラッグストアー)でのお買い物と、セイコーマートの『ホットシェフ』を食べる。
ホテル帰りが遅く、いつもコンビニ飯だが、市内ではセブン・ローソンをはるかにしのぐ店舗を有するセイコーマート。ツルハドラッグは東京にもあるけど『サツドラ』は東京にはない。すすき野のラーメンは東京で食べることもできるが、セイコーマートの『ホットシェフ』は東京では食べられない。
この二つだけでも札幌に来る価値があるといえなくもない‥‥か。




黒い恋人帰り便路ももちろんエアドゥ。娘に『白い変人』買ってくるよぉと冗談で言ってきたが、ネットで見たらホントに写真があったので、ガセネタとは知りつつインフォメーションで聞いてみる。
「白い変人はありませんが黒い恋人というのはありますよ」と笑っておねー様。これはジョークではなくマジなお菓子である。白い恋人と合わせて買っていく。



兄弟タワーるま雲海の日没るの休日も取れない出張だったが、初めての札幌は結構楽しかった。あの独特の交差点の呼び名と、右折ラインのほとんどない4車線道路。歩行者点滅から車道信号が変わるまでのリードタイムがほとんどない信号機にはなれるのに結構手間取ったが‥‥





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さっぽろ紀行上つ巻

いきなりの出張で北海道へきた。
北海道の翼回北海道へ来たのは新婚旅行以来なので四半世紀以上昔である。しかもそろそろ還暦が見えてくるような歳で、札幌を訪れるのは初めてである。
北海道へ飛ぶならやっぱこれでしょ。『北海道の翼』エアドゥ。直前予約で一番安かったという本音はここではなし。
すすき野・時計台・丸山動物園にラーメン・ジンギスカン・海の幸など観光には・グルメには見どころ満載の街である。

が、出張先は市内からはるか離れたところ。宿も市街の外れである。しかもスケジュールは16日間休日なし。朝から晩遅くまで建物の中と周辺施設への移動。何ということだ。


とは茨戸川2茨戸川え、せっかく来たのだから、時間の隙間を利用して多少の見物はしたい。
拠点から近いところに『茨戸川』があるので行ってみる。かつて長さが350kmほどあった暴れ川『石狩川』は大規模な治水事業により、一気に直線化され100km近く縮められ、元の本流が湖沼化・支流化して取り残された。その最大のものが茨戸川である。





茨戸川4本第二位茨戸川3の流域面積を誇る石狩川だが利根川東遷以前はもしかしたら日本一だったかもしれない。坂東で幾たびかの治水事業でほとんど姿を消した近世以前の古隅田川のイメージとオーバーラップできると思い脚を運ぶ。
堤防によって切り離された茨戸川の下流部である真勲別川。川幅は400mくらい。かつての利根川本流、古隅田川もこのような流れだったのだろうか。




足とFITなったのはホンダのFIT。スタッドレスとナビ付きという条件だけで回してもらった車。いった当日が吹雪で市内でも積雪となった。拠点周辺は一面銀世界。FITはとても安定がよく雪道でも4WDと変わらない感覚で乗れる。ホンダのFFってすごいんだと感心した。
しかし燃費が悪い。「Everywhere高速道路」の北海道なのに16km/Lくらいしか走らない。「フィットなら20km位はしるよ」と地元の人とは言う。「オヤジの乗り方が悪いのか‥‥」
と、この車を見ていたジモティが「これ4駆ですよ」という。
でも、借りるとき4駆の指定はしなかったし、4駆のエンブレムも4駆のインジケーターもない。でも下を覗くと確かにリアにデフがあった。
札幌周辺では軽よりこの手のコンパクトカーのほうが目立つ。この辺じゃ1300でも東京の軽並みに走ってくれるからだろう。
16日間の出張で1000km走った。

さて、こ石狩河口橋2石狩河口橋こまで来たのだから石狩川の河口を見に行こう。
石狩川の最下流にかかるR231の石狩川河口橋を渡り右岸の防波堤を目指す。







石狩川河口幡町か河口に向かうら国道を離れ川沿いに行く。道は未舗装になってしまった。四駆だけどレンタだからガンガンいけない。海岸に出る道がわからず行ったり来たり。鹿が飛び出して来た時は驚いた。
流石北海道!クマじゃなくてよかった。
結局最突端まで行くのは断念。海側から石狩川最下流と手稲の山々を望む。




石狩新港2石狩新港期間の仕事を終わらせ、石狩湾新港に行ってみる。休日のためか釣り人がのんびり竿を垂れる。
いかにも工業地帯の港という感じだが、夏になると毎年国内でも最大級の『ライジング・サン・ロック・フェスティバル』が行われていることは有名。


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yozakura

yozakura2日帰りが遅くなったので、短距離ながらジテ通を復活。
前回から8日たったテニスコート。今日も終了前に来ることができた。







yozakura3いぶんと開いてきたが、まだ満開ではない。
今年は結構長く持つかな。







yozakura5温も上がってきて、平日でもささやかな宴会シートが数席設けられていた。
横十間川は護岸工事が進んでいる。結構広い川だと思っていたがだんだん狭くなってしまうのは少し寂しい。







yozakura6ローバー橋から見るスカイツリー。この川こそが、かつての『武蔵国』と『下総国』の境界である。
スカイツリーは確かに川の右岸にある。「スカイツリーはかつての武蔵国にある」というのは間違いではない。







yozakura7ローバー橋から下の横十間川は親水公園になっている。
こちらの桜はさらにまだ早い。
今年も花見ツアーはできそうにないが、娘の入学式は満開の桜の中で迎えられそうだ。







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桜と愚痴少し

ぐっ咲きはじめ2と気温が下がり、山沿いでは季節外れの大雪となった今日。
帰り道にときたま通る公園のテニスコート。

桜が少し咲いていた。
お〜、このテニスコートいつからナイトゲームできるようになったんだ?




否。自咲きはじめ分が今日早いだけだ。いつもはもっと遅くに通る道。ナイトゲームはおそらく21時までだろう。
今日は久々に21時前なだけだ。







今日明るいは街全体が少しだけ明るく見える。
テニスコートもそうだが、オフィスビルの光も多い。流石に月曜日に『ノー残業デイ』を持ってくる会社は少ないな。わが社もせめて『ノー深夜残業デイ』があってもいいかな。
残っているのが営業と管理職だけなら、もともと残業などという言葉すらないが‥‥





高い日から気温が上がれば、今週末には満開となるだろう。
桜の季節は短い。桜が終わると新緑の季節になる。
走りにはちょうどいい季節になるのだが‥‥
今年は乗り回す余暇がとれるかな〜。



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昼ポタ

自転車通勤がなくなったため、年末の下野ライド以来の自転車出動となる。
銀座の某リサイクルショップで買い物をしてから晩飯のおかずを買って帰るまでの時間、久々に少しこぐ。
お茶してから、桜田門を通りBMCの故郷、赤坂の某大手チェーンのサイクルショップに物色しようと足を延ばしたが、店がなくなっている。
HPみたら半年も前に閉店していた。
他の店に行くのもつまらないので、このままポタに切り替える。

六本木通りから麻布通りに入り、外苑東通りに入る。今日は警備がとても物々しい。しかもやたらに旭日旗がはためいている。
『今日は何の日』。「お財布の日」。「モスバーガーの日」。右翼とも機動隊や警察隊とも関係ないなぁ。

天文台跡天文台跡2シア大使館の横の路地を入ると、小高い丘に突き当たる。今はアフガニスタン大使館の一部も含むこの突き出した台地の縁に東京天文台があった。あまり物々しいので警備の警官に「天文台跡に行ってもいいですか」と尋ねたら「天文台跡なんて知りません」と答えられた。
ここは以前にも一度来ているが、この史跡の正式名は『日本経緯度原点』という。三角点などの地理的測地はここを基準とされていた。関東大震災までここは天文台だったのだ。


今日は何の日?タワーのものしい飯倉交差点をこえて、東京タワーからタワー前交差点・赤羽橋を経由して芝公園に。またまた街頭演説がけたたましい。そしてバリケード。
『今日は何の日』。「スイーツの日」、「日曜休日・土曜半ドン制定の日」。そんないい日だったのか。
それとも誰か来た?サウジアラビアの国王陛下一行が大挙して来日するからか。それも関係ないな。何故なら石油燃料の宣伝車で走り回っているんだから。



今まで最も丸山古墳3多く訪れた古墳、『芝丸山古墳丸山古墳2』。案内板には『全長106m』とある。おやじはこの古墳の大きさを「墳丘長125m」と紹介する。『東京都遺跡台帳』の『港区遺跡癸横粥戮冒環坑隠横毅蹐筏載されているからだ。
南武蔵を実効支配していた豪族の墓だろうが、125mという大きさは鉄剣『稲荷山』の120m、同時期の『野本将軍塚』115mなどの北武蔵の墳墓も上回る規模である。
「王よ(「なんだ長嶋」‥‥とは返ってこないだろう)この周囲の騒然、どう思われますか‥‥。」「とりあえずお茶にしますか‥‥」

芝公古川河口園を貫き、丸山古墳の前方部を削いだ環状3号線は、日比谷通りから先は未整備の路地となる。JRの歩行者用ガードを超えると海岸通りに突き当たる。
海岸通りから見た古川河口。首都高が寄ってたかって古川を半暗渠化してしまっている。この惨劇は日本橋川より酷い。これがかつての『春の小川』の河口である。





またBMCレインボーループまたやってきたレインボーブリッジ。
橋げた高50m。最近知ったのだが航空機規制による高さ制限は150m。レインボーブリッジの主塔高は126m。24mのクリアランス(バーゲンじゃないよ)があるわけだ。
単純ではないが、主塔發鬘隠毅娃蹐泙念き挙げたら橋げた高は74mになる。もしかしたらタイタニック号もくぐれたかも知れない。どちらにしろあり得ない話ではあるが。
もともと買い物目的だったので、ショッパー仕様のAC−02。

2層ゆりかもめダイジョウブ構造の下層部が一般道とプロムナード、して中央を『ゆりかもめ』が通る。
以前仕事でビッグサイトの展示会へ行ったときは寿司詰めであった。ちょっとした展示会で通勤ラッシュ並みの混雑。
オリンピック、ホントに大丈夫なの?






プロ第3ダイバだった第六ダイバだったムナードから見えるのは第6ダイバダッタ。
その先にあるのが第3ダイバダッタ。
ダイバ・有明のビル街の向こうにゲートブリッジが見える。
江戸の外港の守りとして9基が計画・着工された台場。第1・第4・第5は大井の埋立地の中に埋もれた。第2は航路上の障害として撤去。第3と第6が現存。第7は未完のまま撤去。第8は有明埋立地に替わり、そして第9台場は、まさに今問題のスポット『豊洲市場』の場所に築かれるはずだった。


豊洲市場豊洲再び明から豊洲へ。前回とは逆ルートになった。
周辺整備を残して、ほとんど出来上がっている豊洲市場。
なんかほかの使い道ないのかねぇ。入る前から「使いずらい」なんてレッテル張られて、立つ瀬がないよね。某元都知事さん、無駄な銀行の分まで合わせて金返して。




さて、晩ライフで買い物ついでにソラマチ飯の買い物は、押上げのライフ。晩飯買って帰るには時間があるので、ソラマチでお茶をする。
『ライフセントラル押上店』。ライフはIYやイオンと違ってこじんまりしていて地元密着感があるが、ここは少し毛色が違う。変わった商品も置いてあり、クイーズほどではないがちょっと高級感もある。


久々の半日のんびりポタ。
コーヒー代ばかりやたらにかかった一日であった。
hirupota





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MIKADOROID

mikadoroid18たまた懐かしい映画。
1991年の東宝の短編SF。タイトルからすると何かとてつもないおそれ多いもんが出てくるのかと思ってしまうが、ストーリーの中にタイトルの名称・呼称はいっさい出てこない。

ジャンルは『ホラー』になるようだ。
劇場公開されないOVだった。

主役ともいうべき怪物は『百二十四式特殊装甲兵ジンラ號』。鉄人同様、帝国陸軍の極秘兵器として開発されたが、戦況逼迫により研究施設ともども廃棄処分になった改造人間兵器である。

mikadoroid2トーリーは昭和20年3月10日から始まる。東京憲兵隊により抹消されるはずだったジンラ號計画は、あの運命の日の悪夢「東京大空襲」により研究施設、被験体ともに地下深く取り残された。
この映画で最もインパクトが強かったシーンは、実は冒頭ほんの数十秒間流れる勝鬨橋をバックにした東京大空襲のシーンである。あくまでも伏線であるこれだけが何か妙にリアルに感じる。





それmikadoroid4から45年、時代はまさにバブルの絶頂期に、この施設の上に建てられたビルの漏電によりこの殺人兵器が目覚めることになる。ビルの地下にあるディスコから帰る若者たちが次々に襲われる。
そしてついに姿を現わす『ジンラ號』。ホラー映画というなら『マタンゴ』のほうがはるかに怖い。
元々はゾンビの設定だったそうだ。でもオヤジはこちらのほうが好きだ。
落下傘を装備しているから空挺隊のように敵地に降下させるのだろうか。見境なく殺傷するから敵地に落としてから起動させないと大変なことになる。



地下駐車場に取り残され、追い詰められた彩子(洞口依子)と冨田(吉田友紀)の前に突然現れてジンラ號を迎え撃つ二人の男。彼らはジンラ號とともに生体実験で不老の体を与えられた被験体だった。3人は親友で、ともに東京オリンピックの競泳代表として競い合ったライバルでもあった。
ここでいう東京オリンピックは1964年の東京大会のことではない。その24年前、アジア初のオリンピックは帝都東京での開催が決まっていた。大日本帝国の威信をかけて誘致したオリンピックは戦時下への突入とともに中止となった。
このことを知らないと、このドラマの奥行きが理解できない。

深夜とはいえ地下駐車場で短機関銃同士の銃撃戦をやったら周りがすぐに大騒ぎになるだろうという突っ込みは水を差すだけである‥‥

逃げ場を失った彩子と冨田は、ジンラ號が壁を破って出てきた地下壕の奥に迷いこんでいく。
そこはかつて3人が改造された旧帝国陸軍の秘密研究所だった。
ここでも、小さな地下通路くらいならまだしも、地下鉄や高層ビルの杭や地下インフラの密集した都心でこれだけの巨大な地下空間が残っていること自体が怪奇であるという突っ込みを入れてはいけない。

ジンラ號に追われて、地下壕の奥に追い詰められた二人の前で最後の戦いとなるかつての親友同士。ジンラ號となった鍋島と、自らの肉体内に隠し持っていた、必殺の武器でジンラ號とともに自爆しようとする岡崎(渥美博)。一瞬時間が止まるシーンである。
この壮絶なシーンにおよそにつかない切ないメロディーのBGMが流れていく。

mikadoroid16らの壮絶な自爆とともに秘密施設の大崩落が始まる。
いつの間にか全容を現した謎の装甲兵器。「なんでこんなのが出てくるの?」というような意表をついて出てくる。本土決戦に備えてのものだったのか。早く戦線に投入していれば戦局も変わったんじゃないかと思えるような虎の子である。
クライマックスはそれなりにすごい。ここだけ見るとSFだなーと思える。どことなく『海底軍艦』や『地球防衛軍』をオーバーラップさせるシーンだ。ここでも壮大な特撮とは裏腹のものがなしいBGMが流れていく。



最後は血だらけ煤だらけになった二人が座り込んだ朝の街をズームアウトしてドラマが終わる。

この映画で最も‥‥というか唯一印象に残っていたのがエンディングの字幕に流れるテーマ曲。単調なメロディーであるがなぜか心に刻まれるサウンドである。
この曲がなければ、おそらく25年前に一回見ただけで全く忘れ去っていただろう。

キャストは『洞口依子』・『吉田友紀』・『渥美博』・『伊武雅刀』・『毒蝮三太夫』。割といい俳優陣が出ている。
『洞口依子』一人だけでホラー映画として成り立ってしまうのがすごい。プロローグだけだが、伊武さんの迫真の演技が、単なるB級映画ではないような予感を与えてくれる。

監督は『原口智生』氏。映画には詳しくないので申し訳ないが知らない。
特技監督は『樋口真嗣』氏。この人は知っている。ガメラの人だ。

音楽はアニメ音楽界の鬼才『川井憲次』氏。といってもアニメに興味のないオヤジにはトンとわからない。
唯一知っているのは『ドリームハンター麗夢 首なし武者伝説』の音楽だ。あの音楽は好きだったからね。

結局25年間この曲が頭から離れずDVD購入となる。
ディアゴスティーニに出たのに気付いていれば、そっちのほうでもよかったかな‥‥でもオリジナル曲入りの分だけいい。
73分というどちらかというと短編的な映画だ。つくられた当時は戦争とバブルを正反対の対象ととらえていたのだろうが、今見るとどちらも現代日本の大きな負の遺産としてオーバーラップしている。



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唐沢山攻略

絵図野の国分寺跡・国庁跡を見た帰り、少し足を延ばして唐沢山城址を訪れる。
唐沢山城址は現在唐沢山神社となっている。唐沢山神社のご神体は「従四位下・下野武蔵守・鎮守府将軍『藤原秀郷公』」である。百足退治の逸話が有名だが、何よりの功績は天慶の乱を鎮圧したことである。
唐沢山城はこの藤原秀郷公の築城といわれている。本丸は標高241mの唐沢山山頂から尾根を利用して展開され、自然地形を有効活用した縄張りは『関東7名城』の一つに謳われている。

栃本口から上るルートはレストハウスのある駐車場まで1500m、標高差136m、平均斜度8.9度。乗り慣れたローディーさんなら何でもないところだろうが、親父の脚ではまずドロップアウトだ。車で正解。

ヤマネコ?ストハウス周辺にはなぜか猫が多い。神社の沿革にも城の歴史にも猫の話はないので、別の理由で住み着いたのだろう。







天狗岩天狗岩入口城門跡のます形を抜けると、すぐに『天狗岩』という案内板がある。
石段を登っていくと目の前の視界が急に開いて見晴らしの良い崖っぷちに出る。ここにはかつて物見櫓があったそうだ。






南麓遠望西側麓崖からの風景。
櫓はさらに高くなっていて、遮る樹木もなかっただろうから、麓の動きが手に取るように見えただろう。






ます車井戸大炊井形から少しはいると『大炊井』という巨大な井戸がある。こんな天険にこれだけの水量を確保できる井戸があるとは驚きだ。
唐沢山城には大炊井のほかに井戸がもう1か所ある。本丸の東側の急斜面の途中に『車井戸』という深い井戸がある。深さは25m以上あるそうだ。底は見えず、現在水があるのかもわからなかった。




二の丸神楽殿四つ目掘井の先にある『四つ目掘』今
はその面影をとどめないが当時は城内最大の空堀だったようだ。
三の丸・二の丸と登っていったところに『神楽殿』がある。






二の唐沢山神社山門丸から表御殿跡を抜けると本殿に続く石段がある。
神門をくぐると本丸跡の唐沢山神社社殿がある。
拝殿と本殿がつながっており、かなり大きく奥が深い。
お参りをして本丸制覇。
社務所から裏手を通ってもとのレストハウス駐車場にもどる。

レストハウスの下に、『足尾山神社』という小さな祠がある。
足腰の不調に悩んでいる方はぜひ参拝をお勧めする。親父もご利益があるかどうかは今後の精進だが‥‥

下毛野・唐沢山ルート日の走行250km 久々の長ドライブであった。


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下毛野再び

発掘現場その後琵琶塚古墳下野古墳めぐりで見逃した吾妻古墳のリベンジを兼ねて、再び下毛野へ。
今回は前回とルートがダブるため自転車は積んでいない。
6:30AMに出発して一般道で9:00過ぎに琵琶塚に到着。順調である。
琵琶塚に寄ったのは、昨年末の発掘現場がどうなっているかを見るためである。前方部の周溝の発掘部分は埋戻しが進んでいるようだ。



『天国見山後円部頂上?謎の古墳擬き平の丘公園』の駐車場に車を止めると、すぐに復元円墳のような築山が見える。航空写真で見ると前方後円墳のように見える謎の築山。
国見山というらしい。
頂上には『銭成石』といい、この周囲の発掘で出てきた古銭が埋めてあるとのことである。




伝紫式部の墓上からI前方後円型見ると確かに前方後円墳の形にはなっているが前方部はペチャンコ。子供の遊び場にはなるだろうが、この形に意味を持たせるなら前方部もきちんと盛土してもらいたい。
栃木県埋蔵文化財センターに行く途中に『紫式部の墓』なる立札を発見。行ってみる。
小野小町が茨城出身というのはその筋では有名だが、紫式部も東国に関係する人?。『紫式部の墓』とは書いてあるが実際は無関係のようである。


回り栃木県埋蔵文化センター道をしたが、時間は10:00を回ったので『栃木県埋蔵文化財センター』に行く。HPでも管内の様子がよくわからない施設だが、何か常設展示でもらるのだろうと期待していったが、何と休館であった。







展示室しもつけ風土記の丘資料館念だが仕方ないので、早々に道路の向かい側にある、『しもつけ風土記の丘資料館』に行く。
ここは開館しており常設展示場もある。展示場内は撮影禁止になっているのでロビーから一枚。
下毛野の古墳や埴輪遺跡分布など、重宝な情報が入手できたが、下毛野氏と直接かかわる資料は見つけられなかった。



甲塚古墳下野国分寺跡2回はさっと1枚写真を撮っただけの下野国分寺跡。跡だけではだだっ広いだけで実感わかないね。
国分寺横にある『甲塚古墳』。掘削や開発で原型が大きく変わっている。
小円墳かと思っていたら墳丘長80m以上の前方後円墳であった。多くの出土物があり、先ほどの『しもつけ風土記の丘資料館』にも展示されていた。




後円部より吾妻古墳天平の丘公園』を後にして、本命の『吾妻古墳』に向かう。車だと5分もかからない。
工業団地に挟まれた後円部側の林の一角に車を止めると、古墳の案内板のところまでは歩いてすぐだ。しかし案内板の地点から見える吾妻古墳に、「県下最大」という期待感は関東大震災時の浅草十二階のように見事に折れてしまった。
琵琶塚・摩利支天どころか茶臼山より小さいイメージだ。後円部頂上から前方部を望む。頂上部も狭く、130m級の古墳とは思えない。

周溝底より後円部石室痕穴式石室は前方部の前面にあるという珍しいレイアウトの吾妻古墳。石室部分は発掘で盛土が崩落している。
墳丘の麓から撮ったようなアングルだが、ここは一段目墳丘の中央であり、石室がつくられていたのは二段目に当たる。
一段目が低く広いテラス状になっている『下野型前方後円墳』の終末型ともいうべき吾妻古墳の巨大さを実感するには、広域な周溝底を周回するのがよい。総全長160mを超える墓域の周溝底から見上げる墳丘は流石圧巻である。
繰り返すが墳丘長127mは県下最大。現存する下毛野では最大の前方後円墳である。
次に壬生歴史民俗資料館、下毛野氏の末裔ともいわれる壬生氏の本拠である壬生町の『歴史民俗資料館』に行く。壬生町は大型古墳も多く、吾妻古墳も一部が壬生町に属しているため、発掘された石室天井石や玄門石などが野外展示されている。
資料館は壬生城址公園の中にある。資料館には古墳時代の出土品や関連資料があるものと期待したが、展示場には『鳥居元忠』のイベント展示しかなかった。壬生藩城主が鳥居一族だからだろうか、井伊直虎ブームにあやかってか。





吾妻古墳玄門石石室天井石壬生といったらやはりせめて壬生氏だと思うのだが、ここも期待外れであった。場外展示されている吾妻古墳の石室天井石や玄門石を見て、かつての壬生城跡石垣や堀を回って城址公園を後にする。






国庁跡前殿下野国庁跡後に下毛野古墳めぐりで行き残した最後のミッション、下野国庁跡を訪れる。
車から出たとたん、肥やしの香り!が世界を包み込む。
ここもサッカーができるくらいの広い敷地に、復元された『前殿』がポツンとあるだけ。これだけおおっぴろげだと前殿の中に自販機やベンチ、ポスターなどがないことのほうが違和感を覚えるくらいである。手間をかけて忠実に再現していることはわかるが、ここといい、国分寺跡といいもう少しインパクトが欲しい気がする。

資料館より日光連山を望む下野国庁跡資料館地内に資料館があるので立ち寄る。ここでは発掘調査された国庁の全容や、当時の暮らし、官職の職務などの資料が展示されている。ここは写真撮影OKとのことだ。
資料館より雪をかぶった日光連山が見える。桜の時期になるとこの辺の史跡や歴史公園なども様相が一変し、多くの人々で賑わうのだろう。




吾妻下野国庁跡にて古墳を見たことで、関東全域の100m級以上の古墳は残すところ、最大最強の大国毛野の本拠地、前橋・高崎・藤岡・伊勢崎の「合併するのしないの」地域を残すのみとなった。ここは関東でも有数の大型古墳密集地域である。
支配権を伴う力関係は今も昔もあまり変わっていないようである。



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肘部管症候群(ちゅうぶかんしょうこうぐん)

前回よりはひらがなにしてもそれほど恐ろしくはない。
相変わらず黒い蚊が視界の中をうろうろして居座り続けているなか、過日家事で少し腕をひねった際に『ぴしっ』っと腕に衝撃が走った。
それ以来、肘がぐりぐりするのと小指がしびれるような感覚がなくなるような、何とも気になる症状が続いた。

子供の進学も決まり、今年は何とか早々に、『下毛野古墳リベンジ』と『上毛野古墳制覇』をしたいところだ。やはり古墳探訪は晩秋から早春までが最適期間である。腰に加えて肘も故障では何とも不安なので、整形の掛かりつけ医院に行く。歯科・耳鼻咽喉科・内科・循環器科そして整形外科。かく専門ごとに掛かりつけができてしまって何とも情けない。

「こ肘部管症候群れは肘部管症候群です。」「肘の内側に尺骨神経というのがあってガイドレールの中を通っているのがずれたり圧迫されたりして炎症を起こすんです。運動でひねったり、骨折したり、加齢による発症もありますねぇ。」
今度はかかりつけの整形で言われた。‥‥「また『加齢』かい!」

「小指や薬指の痺れはあまりないということですが、痺れが強く出てきたり、症状が悪化するようなら手術も必要になります。今のところ経過観察ですね。」
‥‥これまた経過観察ですか‥‥

血圧・心臓・五十肩、ぎっくり腰にそして目。今度は肘かい!どんどん『カレイ「加齢」』な友人たちが増えていく。俺ってそもそも仲間つくるの苦手だったはずなのに。いったん加速しだしたら友達の輪が止まらない。


車があと5年もつかを心配するより、オヤジ自身があと5年もつかのほうが不安になってきた。


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飛蚊症(ひぶんしょう)

視界の中に何やら黒いものが居座り続けている。
最初は本当に虫かと思ったが、すぐに違うことがわかった。虫ではなく、まつ毛が引っ付いたのだと思った。
しかしそれとも違うことに気付いた。目薬をつけても取れない。絶えずそこにいて、視線をそらしても図々しくついてくる。

「緑内障です。進行はしていないのですぐに影響は出ませんが、経過観察が必要です。」と診断されて2年。急に進行が始まったのかと不安になって、掛かりつけの眼科に緑内障検査を申し込む。
「緑内障検査は予約が数か月先になるけど、それは違う症状だと思うので、すぐ診察に来てください。」ということで眼科に行く。

眼科・内科・整形と最近入り浸っているが、検査やリハビリの通院は結構楽しい。年寄りが病院に入浸る。「常連のおばあちゃんが来ないのは、きょうは具合が悪いからだ」などという落語のような待合室。
小一時間ほど待って検査をする。視力・眼底・眼圧‥‥ETC。30分くらい検査が続く。
そして診断。

「これは『飛蚊症』です。普通の老化現象としておこるものです。」
『飛蚊症』??「かっ飛び性」ではない。最近燃料計しか見ないので飛ばさない。

眼球の硝子体が、老化により縮んで網膜から剥がれたものが、眼球の中にたまってしまうことを「後部硝子体剥離(こうぶしょうしたいはくり‥‥ひらがなにすると何とも恐ろしい)」といい、これが飛蚊症の原因となるとのことである。

「ときたま、網膜裂孔や網膜剥離により発症することがあり、この場合はきちんと処置しないと危険なので検査に来てもらいましたが、その心配はないようですね。これは特に薬等はないので、はがれたかすが外に出て黒い線が消えることもありますが、自然に慣れて気にならなくなるのを待つしかありません。自然に視野から消えていったらめでたく老化の仲間入りです。」


せんせー、ショッキングなことを何気なく笑顔でいわないでくれ‥‥


その後、もう約一月近くこの黒いものは親父の視線とともにいる。最近たまに見失うようになった。「お〜い。いなくなっちまったのかよぅ」と思うと、また突然出てきて居座ったりしている。

こいつが視界から気になくなったら老化現象入門編クリアということか。だったらしばらくは、うざとく付き合ってほしいな。


血圧・心臓・五十肩、ぎっくり腰にそして目。これから死ぬまでこの気の抜けない友人たちとシェアハウスしなければいけないわけだ。『華麗』に年をとりたいものだが、現実は「加齢」に年をとっていくのである。


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初詣

熊野神社年は娘の受験があるので、家族で初詣に行く。
学業の神様といったら天満宮である。近くには亀戸天満宮もあるのだが、倍率が高い??とのことで、実家に近いところの葛飾区の『熊野神社』に行くことにした。






神門野神社は葛飾区立石にある。
葛飾というと最近の人は両さんの『亀有』、ちょっと前の人は寅さんの『柴又』がメジャーであるが、ここ立石は葛飾区役所・公会堂・税務署などがある、まさに葛飾区の中枢なのである。熊野神社があるのは立石8丁目。今では立石の一番縁だが、明治のころまでは現在の奥戸街道沿いは「原村」、区役所通り沿いは「梅田村」となっていたので、熊野神社周辺が立石村の中心だった。




penntagonn石村の鎮守社だった熊野神社の歴史は古く、かの陰陽師阿部晴明により勧請されたと伝えられている。
陰陽五行説に元づく境内は正五角形の形をしていたという。この五角形を周回することはできないが、今でも周囲の住宅や一部の道路にその名残を見ることができる。





境内拝殿と茅の輪には本殿のほかに『天満宮社』・『浅間社』・『水神社』などがある。
本殿の前には『茅の輪』が設置されている。亀戸天満宮などでは茅の輪が設置される日は決まっているが、ここはフルタイム常設のようである。






もち水神社ろん本殿天満宮社の次は『天満宮社』へ参拝する。
一番奥の『水神社』。その裏は幼稚園の敷地になっている。







『ささざれ石ざれ石』。君が代にうたわれるさざれ石である。見たところ苔は生していないようだ。








何故かちび馬内の脇ではちび馬がふて寝?していた。ここも幼稚園の敷地のようだ。幼稚園が休みなので馬にとっては寝正月なのだろう。







高さ日本一内の奥まったところには『高さ日本一の五重塔』がある。
流石に日本一は高い。但し人が中に入ることはできない。文化財保護のため?、否。青銅製のミニチュアだからである。







立石様2所に立石の地名の由来ともなった『立石様』があるので立ち寄る。
昔は立石様は数メートルもある巨石で重さも数十トンもあるものだと思っていた。その重さのために沈んでしまったのだと‥‥
実際の『立石様』は古墳の石室の素材としてとして遥か千葉の鋸山から運ばれてきたものらしい。
ここから少し離れた柴又には小型の前方後円墳があり、石室が復元されている。その石室を見る限り、立石様の大きさが2尺というのもうなずける。



住宅地の奥まったところにある小さな児童遊園の中の、沈下立石様で沈んだんじゃないかと思うような低い鳥居をくぐると、さらに小さい鳥居と石柱に囲まれた中に『立石様』がほんの少しだけ見える。
囲みの中は周囲より明らかに低い。「囲まれていなかったら完全に埋没してしまっている(沖ノ鳥島みたいなもんだ)」状態だ。
古くは東海道の道しるべともなっており(ということは古墳の石室はばらされたということか?)、地元の信仰対象として大切に保存され、近年パワースポットとして脚光を浴びてきている『立石様』にも願掛けをして帰る。



安倍晴明ゆかりの熊野神社。晴明ゆかりの地は日本全国にある。この人と弘法大師と水戸黄門はほぼ日本全国を歩き回っているようである。学業第一ではあるが、健脚にもぜひあやかりたいものである。

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下野古墳めぐり〜2016走り納め 下つ巻

神徳大神宮富士山古墳臼山古墳から細い谷を挟んで東側の台地の中腹に『神徳大神宮』という神社がある。この裏手に県下最大の円墳『富士山古墳』がある。
最大直径86m。ここも大型埴輪をはじめ複数の埋蔵品が発掘されている。麓から見学ルートがあるのだが、知らないで神徳大神宮に行ってしまった。掃除のオジサンに尋ねたら「ここからは上れないんだ」といいながら「横の灯篭と石垣を乗り越えていくと看板のある場所に行くよ」「県で管理してっけど、上ってもなんもないよ」と教えてくれた。
大神宮様にお参りして帰ろうと思ったが、お賽銭箱がなかったので一礼のみ。どうもありがとうございました。
牛塚古墳2士山古墳から壬生町中心市街の外れにある『牛塚古墳』と『壬生車塚古墳』に行く。両古墳は隣接しており一度に見学できた。
『牛塚古墳』は墳丘長60mの帆立貝式古墳。看板には先ほどの富士山古墳のPRなんかが掲示してあり、特筆するものはない。





壬生車塚古墳3壬生車塚古墳2壬生車塚古墳1かい側の『壬生車塚古墳』も最大直径82mと富士山古墳と並ぶ大円墳である。南側に石室が開口されているようだが、残念ながら今回は見れなかった。
周囲には周濠跡があり周堤を含む径は120mに及ぶ。

『壬生車塚古墳』から壬生愛宕塚古墳2壬生愛宕塚古墳15分ほど走ると『壬生愛宕塚古墳』がある。
墳丘長65mは前方後円墳にしては大きくはないが、周溝がはっきり残っており、見ごたえはある。

次はいよいよ県下最大級の吾妻古墳から、琵琶塚古墳・摩利支天塚古墳と下野有数の大古墳を残すクライマックスとなる。
時間はすでに午後3時。日没の最も早いこの時期は午後4時にはすべての散策を終了しなければならない。

丸塚古墳2丸塚古墳こでトラブル。県道小山壬生線に入らなければいけないところ、下野壬生線に入ってしまった。太陽で判断という古来の方法で軌道修正したが、吾妻古墳への進入路がわからなくなった。
古墳らしき築山を発見したのでそこに向かう。丸塚古墳であった。天平の丘の近くで、吾妻古墳の後時間があれば立ち寄るつもりだった古墳である。
丸塚古墳から吾妻古墳の位置が知れたが、今から戻って散策となると最後の2大古墳を回る時間がなくなる。県下最大の吾妻古墳散策を断念し、次に向かう。

国分尼寺跡国分寺跡塚古墳から、県道小山壬生線に入るとすぐ『風土記の丘資料館』入口の案内がある。この道には『国分寺跡』がある。『風土記の丘資料館』は年末年始の休館となっている。風土記の丘資料館の先に『国分尼寺跡』がある。ここがかつての下野国の中心となった地域だ。
『下野国府』はちょうど思川を挟んで対岸の栃木市にある。なんでこんな大きな川を挟んで存在するのかねぇ。



さて琵琶塚古墳3琵琶塚古墳1、最後に栃木県を代表する2基の古墳を散策する。
『琵琶塚古墳』。最近までは県下最大の前方後円墳として有名だったが、近年の精密調査により吾妻古墳のほうがわずかに大きいことが判明し、「県下最大」の地位を譲ってしまった。それでも知名度ではやはりナンバーワンだろう。墳丘長125m、二重の周溝を巡らせている。墳丘長では都内最大の芝丸山古墳とほぼ同規模である。



発掘調査中摩利支天古墳遠望公園化が進んでおり、昨年あたりから本格的な発掘調査が行われている。
現在も発掘調査の真っ最中のようだ。前方部の中堤辺りを発掘している。
前方部先端から摩利支天古墳が見える。





摩利支天古墳1摩利支天古墳3路を挟んだ反対側に摩利支天古墳がある。思川と姿川の合流部の台地にあり、付近を通る東山道からもはっきりとその威容が見て取れただろう。
5世紀末頃の築造で琵琶塚の前世代の領主の墳墓だろう。






摩利支天古墳2丘長117mは県下第3位。下野国を代表する豪族の墳墓といわれるが、かつて大国毛野を構成する同族で、東国六腹朝臣に名を連ねる下毛野氏なのか。
五世紀末から6世紀後半は、大和で巨大古墳が終焉に近づき、河内大塚山古墳を最後に巨大古墳が姿を消す時期である。そんな時期に摩利支天・琵琶塚・吾妻とどんどん巨大化をつづけた下野国は、大和の支配体制に進んでくみしながら関東特有の独立気運を持った首長たちの奥津城だったのだろう。




本日下野1下野2の走行81.7km
ナビも地図もない状態で、うる覚えのルートと古墳の冊子・地元の案内板のみの散策は、ロス時間と余計な走行を強いられた。やはり知らない土地を効率的に巡るには、ナビまで行かなくとも最低限GPSマップは必需品である。
『吾妻古墳』をはじめ、日程的に見学できなかった『埋蔵文化センター』・『風土記の丘資料館』や『壬生歴史民俗資料館』など見逃したスポットがたくさん残っている。
捲土重来を期す。

来年も古墳ライド・古城ライドができますように。


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下野古墳めぐり〜2016走り納め 上つ巻

おやまあれま年秋から予定していた下野古墳ライド。
転勤・子供の受験・親の入院、そして自分のぎっくり腰のため、ついに年末までもつれ込んだ。
しかしこの季節は古墳探訪にはうってつけの季節だ。

午前6時半、『小山総合公園』到着の計画が8時半を過ぎた。
帰省渋滞の影響はさほどなかった。単なる「寝坊」である。
午前9時、を出発。腰の状況も不安で、全行程110km越えの予定距離を70kmに短縮。湿布とコルセットを装着しての走りだしとなった。

山王寺大桝塚古墳1山王寺大桝塚古墳2は西北西の風である。いきなり向かい風だがこのまま吹けば帰りは天国だ。何もない田畑を道を間違えながら進むこと数キロ。藤岡町の『山王寺大桝塚古墳』が最初のポイント。
墳丘長96mの前方後方墳はかなりの見ごたえを期待したのだが、残念ながらかなりの部分を削取されており、その迫力を体感することはできない。




周囲の築山古墳の回りには何もない。周囲には同規模の産廃残土らしい(もしかしたら古墳かも?)築山が点在し区別が付かない。途中の残土の築山だと思っていたものの一つは、『毘沙門山』という古墳だったようだし。
100m級の前方後方墳は全国でも大型の部類だ。大毛野に連なる下野の豪族に敬意を表すためにも、きちんと整備して内外に誇った方がいいんじゃないの。





巾着山こから都賀町の『愛宕塚古墳』まで一気に北上する。
栃木市街の外れにある独立峰の『巾着山』。流山?ケルンバット??、残念ながら古墳ではない。
市内で道を誤り30分弱のロス。スマホのマップは全く役に立たない。ナビ入れてないし、初期設定を結構いじったからか。






残土山?愛宕塚古墳2愛宕塚古墳1賀町の『愛宕塚古墳』は墳丘長90mの前方後円墳。墳丘上に愛宕神社が建っている。
この付近にも古墳だか残土だかわからない築山がいくつかある。


R2判官塚古墳3判官塚古墳2判官塚古墳193をさらに北上し、鹿沼市の『判官塚古墳』に立ち寄る。
丘長61mは特筆する大きさではないが、保存整備がきちんとしていて、石室も露出しており、結構「当たり」であった。



廣濟寺官塚古墳からそう離れていない集落の中に、円空作、『千手観音菩薩像』の看板。
天台宗廣濟寺というお寺さん。
観音堂は固く施錠されていた。
拝観料500円。守り本尊なのでぜひ見たかったが、時間の関係でスルーする





長塚古墳長塚古墳2生田街道の黒川橋を渡ると、上り坂の途中に『長塚古墳』が見える。墳丘長77m2段構築で古墳時代後期のものとのこと。
ここから亀子塚古墳へ行こうとしたが、道が悪路でしかも袋小路になっている。





看板桃花原古墳か失敗した挙句、遠回りをしたら看板があった。
看板に沿て進み、桃花原古墳に至る。
『桃花原古墳』は周壕を備えた円墳で、直径63mはかなり大きい部類に入る。





前半茶臼山古墳2茶臼山古墳1の(といっても午後1時を過ぎてしまったが)最大ミッション、国指定の史跡『茶臼山古墳』に向かう。案内板の地図は簡略しすぎて自転車で走っていたらよくわからん。
ここも数度のチャレンジで侵入口を発見。案内板のところまでも車では来られない。
真冬でも道に迷いそうな林の道を上っていく。しばらく上ると看板のある広場に出る。


MTB専用茶臼山古墳3いつはすごい。看板の遥か上に墳丘の頂上が見える。看板の前の高い土手は周堤で、その内側に深い周溝が巡っている。周堤を含む全長は140mにもなるようだ。
埴輪や大型の須恵器などが発掘されており、規模からしても相当の権力者が埋葬されたと思われる。
しかし、県を代表する古墳の一つなんだから周辺整備をもう少しやってもらえないかねぇ。これじゃあ夏はとても来れたもんじゃない。

もし自転車で来る方がいたらMTBをお勧めする。


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初めてスマホ割

F-09B用のガラケーF−09Bがいよいよダメになってきたので、遂に機種変更をすることにした。
『らくらくホン』というだけあって流石に使いやすかった。11月にFOMA販売中止が発表され、本来はこれからがガラケー所有のレアプライドの真骨頂なのだが、SPモードでガラホが幅を利かせるとガラケー持ってる希少プライドが希薄になるし、同じく不調のデジカメの代用にもしたいので、とりあえず使用実績のあるものを基本にした。





iphone7plus (2)しい機種は『iphone7plus』。初めてスマホ割対象?である。iphoneにしたのは以前職務上持たされていたのがiphone6で多少使い慣れていたのと、不調になったデジカメの代用にした際、画像がデジカメよりきれいだったのが理由だ。7plusにしたのは4.7インチでは文字を打つのがつらかったのと、7plusでもポイントとその他割引を使い1/3ほどの値段になったので、デジカメとガラケーの2機種を買うのとあまり変わらかったからである。
ガラケーの使用料が安いといわれるが、親父の現契約ではトータルで2,000円ほどしか変わらないし、外で使いまくることはないし、家でも基本SMSと通話くらいだから当面は基本アプリで十分だろう。



届い歴代phoneたiphone7plusを見ていささかビックリ。特に現物を見て決めた訳ではなく、手続きが安いので店頭でちらっと見て通販で購入した。店頭ではあまり気にしなかったが、実際こんなにデカいの!。
以前使っていたiphone6が4.7インチなので、カミさんと同じくらいのがいいと思っていたら、カミさんのは5.2インチサイズだった。
『iphone7plus』大きさは我が家の玄関についている『アイホン』と変わらない。




F-09Bp700ip209isf203歴代2うどなので歴代のケータイを並べてみた。







現存していない初代携帯『F−203』。97年ころの購入。
2代目『P−209is』、2001年購入。今でも最も気にいったデザイン。光るアンテナが結構はやった。
3代目『P−700i』FOMAになった。
そして4代目『らくらくホンF−09B』。扱いやすさでは一番よかったがカメラ機能は付録程度だった。


iphone7plusして、5代目のiphone7plus。薄さを除くとF−203の倍はある。
クリスマスイブに合わせて開通。流石きれいな画面には感動する。
画面が大きい分iphone6より文字は打ちやすいが、やはりガラケーのプッシュキーのほうが打ちやすい。手の小さい親父にはワンチャンスを素早く撮影というのは難しそうだ。サイクリングでは橋の上や水辺での撮影に使うのでガラケーのように気休めのストラップをつける。位置情報を入れた地図を入れておいたらGPS替わりにはなるかな。
でもこうなると『Phone』とは言えない。通話機能がある意味付属なのだから。
デカいとは言え、この画面でゲームや映画を楽しもうとは思えない。デジカメ替わりとしてはちょっと高いけど、家族シェアで5Gじゃほとんど親父は使えない。
カーナビもMP3プレーヤーも調子悪いから、けちらずまとめて代用できるかな。
何せ『スマート』には『賢い』とか『多機能』という意味があるのだから。


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スポーツ電チャリ考

YPJ−Rイクルモードにいって『ヤマハYPJ−R』を見て、乗って結構な衝撃を受けた。電チャリもここまでスマートになっているんだねぇ。
ジテ通から車通勤になった影響が大きいのかこのところの体力減と体重増が著しい。
自転車は鍛えるためや、フィットネスとして乗っているわけではない。何か目的を持って新しい発見もしたいし。何より終わった後に楽しかったなぁと思えるのが趣味サイクリングである。
持病もちの親父にとって、高いパーツは『早く走る』ためのものではなく非力なパワーをいかに有効に推進力にしてくれるかであり。車重にこだわるのも多様な使い方に対応するツールとしての手軽さとしてである。

『電動shimano-ultegra-di2でアシストするのは邪道だ』とのこだわりを持ってるサイクリストは多いだろう。かくいう親父もその急先鋒であった。体力もない、坂も上れない、長距離ではバテバテ。でもどんなコンディションでも「電チャリだけには負けたくない」とムキになったものだ。
だがこれも考え方だが、当の本人も含め、漕ぐことをアシストすることを邪道としてさげすむ輩が、なぜシフトをアシストするDI2を邪道と非難しないのかという矛盾(正直当人は興味なく無用と思っているだけだが)。自転車の駆動系が人間の動力をサポートするものなら、どちらも同じである。違いといったらそのスタイリングの自然さとコンパクトさだけである。
ディレーラーにおっきいモーターが付いていたり、でっかいバッテリー積んでいたら電動シフトは電動アシスト同様に非難される的だろう。


Vivax Veloceポーツ電チャリがE−BIKEとしてスポーツサイクルの中に広く普及している欧州ではこんなものもあるようだ。
どう見ても普通のロードバイクである。
これはシートチューブ内に駆動モーターを後付けするアッセンブリーで、何と給水ボトルがバッテリー。コントロールスイッチがバーエンドについている。バッテリーを含んだ重量は1.8kg。ベースのセット価格は10万円しないようだ。
DI2を非難しない人が、これを非難できるだろうか。うちの自転車につくのなら親父は素直に「ほしい!」と思う(但し、取付けられる自転車にはいくつかの条件があるようだが)。

サイクルモードでヤbenelliマハブースの隣にあったBENELLIの『TAGETE27.5』。べネリってオートバイの老舗である。
7時間充電で100km走れるアシストを備えたE−MTBはフロントWサスペンションにディスクブレーキで22kgとこれも軽い部類に入る。198,000円





BESE PS1ESVの『PS1』。カーボン製のミニベロである。
BSの名車、シャフトドライブ・カーボンモノコックボディー・Wサスペンションの『トランジットT200CS』の復活を思わせる精悍なデザイン。15年前そのもののデザインは今見ても前衛的だ。
3.5時間の充電で60km走るアシストで17.4Kg。276,000円。
せっかくカーボンなんだし、この価格ならあと2kgは軽量化してほしい。まあ、ひと昔前の激安ミニチャリはみんなこのくらいの重さはあったけど。



Road E +2ャイアントでヤマハYPJ−Rのパワーユニットを積んだE−バイクが『ROAD E+』。YPJと同じユニットを使ったジャイアントの回答がこれだ。
日本未発売。英国の価格で308,000円くらい。
スペックは未定だが、電動ロードに否定的な方々に選択してもらっても、大方の方はこちらを指すだろう(アルテグラクランクはハッタリみたいだが‥‥)。
保守的な親父が見ても、Eバイクの分野では日本は明らかに後進国だ。否、保守的だから遅れをとっているのだろう。


YPJ-R2んな日本で、やっと親父が「欲しいな」と思える電チャリ(これならE−BIKEといってもいいかな)に出会ったわけだ。
230,000円はちょっと手が出しにくい価格であるが、105を使って15kgの車体は欧州車にも対抗できるだろう。





YPJ-R3コンパクトクランクあ、ここまでやるならもう少しなんちゃってに徹してほしい。精悍なスタイルにこのクランクセットはとてもミスマッチ。せめて外観は偽でも『HOLLOWGLIDE』っぽくしてほしいし、バッテリーは上記の『VIVAX ASSIST』風のなんちゃって給水ボトルみたなものがほしい。パワーユニットはごまかせないから単なるご愛敬だが。
さしずめYPJは、車体とバッテリーを極限まで軽量化し片道だけの航続距離とし、出撃したら帰ってこれない。日本が生んだE−BIKE界の『神風』である。これが投入されて1年。戦局は好転しているのかなぁ。

でもハブダイナモとか、クランクモーターを逆用してアシストオフ時に自己充電する仕組みってできないものだろうか。
それなら必要時のパワーアシストは自分の脚力の貯金みたいなものだから、人間の力を有効に引き出すという自転車機能本来のあり方に叶うと思うのだが‥‥。

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結局きました『サイクルモード2016』

サイクルモード2016年散々ケチつけて「今年はやめよっか」と思ったサイクルモードだが、結局来てしまった。
今回は特に見たいもの・ほしいものがあるわけではないので特に焦点を定めずにぶらつくことにした。







スペシャライズど復刻?期せぬ朗報というか、事前には気にもしていなかったが今回は『スペシャライズど』が出展していた。最初に来た頃は出展していたと思うので、もう5〜6年ぶりか。
こじんまりしたブースだったが、いずれにしろ大手メーカーの復活は喜ばしい。






CUBE1ルツルの細いタイヤは性に合わないので見るものは大体シクロかグラベル系になる。
入ってすぐに目を引いた『CUBE』というドイツのメーカー。日本では並行輸入くらいしか取扱いがないようだが、今回正式な代理店から投入されるようだ。
CUBEのシクロモデル。これはかっこいい。今回のぴか一はこれか。





GPS近GPSのCM11の調子が悪いので何かいいものはないか物色。ミズタニのブースにパイオニアがあったのでぽたナビを見ようと思ったがなかった。今でもやってはいるがほとんど出ないというスタッフの逃げ腰な回答。最近は自転車のナビってあまり聞かないからねぇ。
ぶらぶらしているうち、ポラールのブースで見つけたのがPROシリーズの『V650』。これはCM−11とほぼ同じ機能を持っているうえ。独自の地図でルートを作成しインプットできるようだ。30,500円という価格は魅力的だ。




コマンドシフター復刻?シガイのブースで見つけた『今回の気になるパーツ』。どっかで見たことあるようなシフター。サンツアーのコマンドシフターだ。
展示は試作品で、さらに改良して10S・11S対応も予定しているようだ。セーフティレバーに続き、STI主流の中でまたもビンテージタイプのパーツの復刻である。





バンディーハンドル東京サンエス京サンエスのブース。ずいぶん小さくなったような気がする。
今回はバンディハンドルを見せてもらった。
フリーマーケットの投げ売りみたいになんかもうどうでもいいように置かれている。「150円」とか値札が付いてないかなーなんて感じ。





コーコーダブルーム試乗ダブルーム(親父にとってはホタカ自転車なのだが)で『FARNA』に試乗。アルミロードの最軽量クラスらしい。
「STI使ったことありますか」と聞かれて思わず「ありません」と答えてしまった。使い方を知らないわけじゃないけど、実際所有のバイクはすべてWレバーである。
とにかく指でもてるくらい軽い。これだけ軽いと担いで山登りできる。アルミバイクまだまだいける。





ヤマハの電チャリロード試乗しましたコーナーで何気なく見ていたら試乗を勧められた。『YPJ−R』ロードタイプの電チャリである。
鍛えるために自転車に乗っているわけではないが、電チャリだけには負けたくないとムキになっていただけに、自分が電チャリに乗ることには抵抗がある。
YPJ−Rは外観はロードそのもの。メインコンポは105でバッテリーも小型でボトルケージダボにツールケースが付いているようなイメージ。デザイン的には電チャリ独特の違和感は少ない。




1回電チャリロードのサイクリングで100kmは走るのに、バッテリーが20kmくらいしか持たないのでは使えないと思えるが、YPJ−Rは車重も15kgそこそこ。我が家のSOMAと3kg強しか変わらない。しかもコンポは105なのでノンアシスト状態でも十分走れるとのこと。本当につらい登坂や強い向かい風時のみアシストを使うと考えれば十分行ける。しかも親父好みのアルミ製だ。あくまでも楽しく走るには魅力的だ。
何かとても後ろめたさを感じながらも、非常に心を動かされる1台である。




今回ガゼル乗りましたは『OXガゼル』にも試乗した。思ったより軽くてなめらかで乗りやすいバイクである。STIのブルホーン仕様はミニではどうしても頭でっかちのスタイルになってしまうが、ミニはハンドルがクイックなのでドロップよりブルホーンのほうが扱いやすいだろう。
やはりほしい1台である。





やっぱありました。レーシングミクはり今年もありましたねぇ








地方のブース?地方のブース?か県や地方のブースとか、グルメコーナーとかコンセプトエリアなんかがやたら多くなってきたような気がする。それはそれで楽しくていいんだけど、それらはあくまでおまけであって主ではない。主でないもののスペースが多くなりすぎると明確なテーマがない限り、展示会そのものがまとまりのないものになってしまう。




もう見ケバブじゃケバブがあったものもないから、イオンモールでケバブ食って帰ろうと思った矢先、何とケバブが来てるじゃない。
今回のテーマはっきりしてるじゃないか「自転車に乗ってケバブを食べに行こう!!」。
フードコートの出店も載せてくれていれば、外で飯なんか食わなかったのに‥‥
来年もぜひ出店してもらいたいものだ。昼飯デザートまで食べてしまった後だったので、ドンドルマ(親父お勧めの伸び〜るアイス)まで食べられなかった。




この空きスペースは?回は全体的に出展ブースが縮小した感が強かった。ブースのセッティングは面積に乗じるコストがかかるからしょうがないのかもしれないが、この空きスペースはなに??


PS
コレクションしていたシマノのA4サイズカタログがデジタルに変わってしまった。時代かもしれないがこれは寂しい。

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IQレポート

我が愛車も6回目の車検となった。
IQ1回はスケジュールの関係で1週間の入院となるので、ディーラーに代車をお願いした。
「ちょっと小さいですけど」と言われて出てきたのは『IQ(知能指数か?)』という車。
何この可愛い車、面白そう。どう見てもチョロQだ。
プレミアムコンパクトカーというコピーで、スマート路線を狙った車である。





寸詰まりが5ナンバーフルサイズの1680mmあるのに、長さが2985mmしかない。国産車ではミドルクラスのプレサージュは4840mm。ヘッド位置を合わせるとこんな状態。
同クラスのリッターカーと比べても明らかに寸詰まりである。








前座席前座席は小柄な親父からするとそこそこ広い。乗ってみるとIQは低かった(知能指数じゃないぞ)。
バケット型の低くて深いシートはちょっとスポーティーだが、プレサージュのようなシートリフターがないので、腰痛もちの親父にはちょいときつい。
ナビにAUXINがあったので、いつものMP3を聞いてみる。結構いい音。プレの誇るスーパーサウンドシステムよりよかったりして‥‥?
装備こそ少ないが質感はプレサージュよりもいいくらい。流石トヨタというところか。



そし後座席て外見からの予測以上に悲惨なリアシート。家族で買い物に出かけたが、大人3人は超きついうえに買い物の荷物が入らずに大顰蹙!。まあ、このサイズで4シーターということが奇跡といえる。二人乗りを前提にすればそこそこ広いラゲッジだが‥‥。






IQ2りはエコモードはどうにも走っていかないが、エコを解除して踏み込むとそこそこ速い。
小回りがめちゃくちゃ効く。普段必ず切り返しするところを1発で回ってしまった。正直軽より小回りが利く。ハンドルはクイックすぎるくらいで、痛い腰をカバーするたび車がロールするので首都高では怖かった。
コンパクトカーとしては面白い車だが、残念ながらフルサイズバイシクルはばらしても乗せられないのはオヤジ向きではない。





奇跡だして一番の奇跡は燃料計。
街乗りで180km乗ってもメーターが下がらない。メーター壊れてるんじゃない。
氷山と接触したタイタニックと同じくらいの速さで沈んでいく燃料メーターのVQ35からすれば、まさに浮沈メーターだ。リッターカー恐るべし。
残念ながらIQは今年の春に生産中止となっている。
1週間弱だったが面白い体験ができた。乗るたびに『ラックル速溶錠』が必要なのにはちょっと困ったが。

しかし、自分の車が戻ってきて運転席の座った時は「やっぱりこれがいいわぁ」と安堵。内装がちゃちかろうが、オーディオの音が多少悪かろうが、魚雷を食らったルシタニア並みの速さで燃料メーターが沈んでいこうが(これは大げさか)、自分の車はよいものだ。




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加瀬山(消失古墳ライド再び)


神奈川県には大型古墳がないからつまらないというイメージを僅かながら変えたのは、先年90m級の逗子長柄桜山古墳をライドしてからである。探訪基準の100m以上のものはないが、神奈川県にも70〜90m級のものがいくつかある、近隣サイクル古墳探訪としては最後の宝庫もである。
今回はぐっと近い川崎の加瀬白山古墳に行く。

R1多摩川大橋を渡る。
新川方面R1多摩川大橋川は関東でも十指に入る大河川であるが国境をなしてはいない。対岸の川崎市も律令国制では武蔵国である。
この大河川をもってしても国を分かつ関とはなっていないことを考えると、武蔵・下総国界だった古利根川・古隅田川などは当時どれだけの大河だったかうかがい知れる。
新川の高層ビル群の後ろに目指す加瀬山台地がある。



橋をリバーサイドカフェ渡ったR1の上流側に『多摩川交流センター』なるものががあった。建物右側は『リバーサイドカフェ』なる喫茶コーナーになっていた。今日はあいにく腹の調子が悪く。コーヒーのリスクが高いので断念。捲土重来を期す。
今日のコンディションにぴったりの『ガス橋通り』を排ガスを放出しながら突き進む。






『加加瀬山瀬白山古墳』を含む『夢見ヶ崎古墳群』があるのは通称『加瀬山』。多摩丘陵より続く下末吉台地の最突端にあり、矢上川で他の台地と寸断されているため独立峰のように見える。
川崎の『ギアナ高地』と呼ばれているかは定かではない‥‥。




動物公園2動物公園地上部は動物公園になっていた。
駐車場も無料、入園料もなし。近隣の子供連れには絶好のプレイスポットだ。







浅間神社くつかの加瀬山3号墳寺社があったが、小高い盛土の上に鎮座しており、これがみな古墳になっている。
麓や中腹にも古墳が点在しており、3号墳は石室が修復保管されていた。






天照皇大神宮2照皇天照皇大神宮大神宮でお参り。ここも円墳の上に社殿が鎮座している。








加瀬白山古墳的の展望台『加瀬白山古墳』は台地の西側中腹あったとされる。「される」というのは、『加瀬白山古墳』を含む周辺の台地は開削のため消失しているからである。
富士見展望台の看板には西側の森が白山古墳跡との掲示。
かつてはあの森まで台地が緩やかに伸びていたのか。




消失部分加瀬白山古墳下りて森の周囲を回る。墳丘長87mの古墳は県下でも最大級に当たるが、後円部をわずかに残し、前方部はほぼ開削されている状態のようだ。
勿論史跡として整備されているでもなし、私有地のため立ち入りもできない。
これが古墳跡かは判断しずらい。この小山が白山古墳としているのは富士見展望台の案内板だけで、他の資料では完全に現存していないとか、位置も100m以上東の白山幼稚園周辺であるとされているからだ。



加瀬山周辺古地図れ以上の侵入はできないので、
この付近でもう一つ、同時期に消失したという観音松古墳跡地に行ってみる。
現存していた時代の地図で見ると、古墳は現在の矢上小学校の校舎から慶大グランド辺りにあたる。






矢上川上川の観音松古墳跡地2遊歩道に沿って丘の北側に回る。
矢上川は思ったより自然っぽい川で、市街地の河川ではあるが、イメージよりきれいであった。
しかし、50儖幣紊呂△蹐Ω颪侶伽犬呂い辰燭い覆鵑澄?。神社の池のようにあふれかえっているぞ。




新幹線岸へ観音松古墳跡地渡ると、台地北面の全体像がとらえられる。
切り立った台地の高さは、高架線を走る新幹線がそのままトンネルに入ってしまう程だ。
県下では最も古い部類とされる軸長90mの『観音松古墳』はこの台地の南東部にあったようだ。
こちらは名前の由来となった観音松とともに完全に消失したしまっている。夢見ヶ崎古墳群とは1kmも離れていない。両古墳は不可分の関係にあったのだろう。

多摩川台りは綱島街道から丸子橋を渡る。
丸子橋からは多摩川台古墳群が見える。ここには107mの亀甲山古墳・97mの宝来山古墳はじめ多くの古墳が現存する。
夢見ヶ崎古墳群とは、多摩川低地を挟んで対峙する関係となる。武蔵国造の乱以前は、武蔵国南部の豪族がその地位にあったという。両古墳群の盟主は同族だったのか、それとも敵対勢力だったのか。





五反無名古墳やっぱ東京タワー田でR1に合流し東京タワー下を通る。
タワー下、増上寺裏手にも消失古墳(史跡指定はされている)がある。全長125mの芝丸山古墳と相似関係にあり、前方部は駐車場となっており後円部は墓地として開削されている。古墳としては100m級の大型古墳であったと思われる。





消失古墳日の走行 64km
古墳を実体験することはできなかったが、在りし日の威容や相関関係を想像しながらのツアーは面白かった。


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豊洲から築地へ

スー豊洲市場2パービバホーム豊洲にお買い物のついでに、久々に豊洲市場を通ってみた。
おやじが駆け出しの営業マンで清掃車の埃にまみれたこの地域を回っていたころ、ここには東京電力の発電所や東京ガスのガス工場があった。
工場閉鎖後、ここは東京でも数少ない広大な荒野『OUTBACK』が残った。ここが福島第一原発の放射性残土なんて問題にならないほど有害な土壌だってことはわかっていたことだから、市場はきっと来ないと思っていたら、気が付いたらあっという間に突貫工事で作ってしまった。



今、豊洲市場1OUTBACKほんの名残り話題のスポットだから報道関係など結構いるのかと思ったが、ほとんどが工事関係者と警備員だった。世間の騒ぎには関係なく、末端の工事は進んでいる。
土壌汚染と地盤の問題は計画以前から指摘されていることだった。まあ、『何をいまさら』って感じだ。
いっそのこと福島県で処理に困っている放射性残土で地下を埋め戻したらどうだろう。今豊洲が抱えている危険性から比べれば遙かに安全である。


豊洲市場豊洲全景っかくだから高いところから眺めるのもいい。レインボーブリッジまで足を延ばす。
本当に東京港のど真ん中だね。
少し傾いている?きちんと岩盤までくい打ちしていないのかな‥‥??





東京タワー京に飲み込まれそうになっている東京タワー。最近よく遊びに行くが、テレビ局の放送料収入がなくなって、経営はきついんだろうな。
おやじが生きている間は頑張って立っていてもらいたいものだ。






足かせ付パネル写真のエントランスのところに、橋ができたころのパネルがあった。自分が記憶にあったのは昭和60年くらいまでだが、工場は平成になってもあったんだね。
本日のお供は『SOMA嵯峨』。レインボーブリッジは足かせをはめられて押し歩きである。




やっちゃ場りは築築地市場地を通る。『築地』といったら『魚河岸』のイメージだけど『青果』もやっている。
以前は、アキバにもやっちゃ場(居酒屋じゃないぞ)があった。ここのが近いのだろうが、大田市場に移転統合になった。





勝鬨勝鬨橋橋を渡り、何時も『ないとらん』で写真を撮るお気に入りのスポットで昼間の写真を撮る。勝鬨橋は今でこそ個性的に隅田川を彩る橋の一つに過ぎないが、開通当時は『東洋一』を誇った大跳開橋だった。幼いころ、この橋を路面電車で通った記憶があるが、残念ながらこの橋が開いているのを見た記憶はない。






お気昼間の夜景に入りのスポット。夜景がとてもきれいなところである。
高層ビル群の照明と奥の東京タワーのライトアップ。その手前で煌々と明かりがともって活気のある市場。
その明かりも消えてしまうのは残念。
今回はラッキーにも卑弥呼との2ショットとなった。
奥には外堀通りから伸びる環状2号の築地大橋が見える。でもこれって築地市場が移転しないと開通できないの?。
頑張れ築地。移転なんて蹴っ飛ばせ。
豊洲移転でまごついているうちに、千住の『足立市場』が虎視眈々とその地位を狙っているぞ。

本日の走行 26km 
岩槻以来自転車に乗るのは40日ぶりである。これだけのブランクは病気療養以来だ。

10月1日訂正
あの船は『ヒミコ』ではなく『ホタルナ』であるというご指摘を受けた。
そういう姉妹船があったんですねぇ。同じ松本零士氏のデザイン。似ているわけだ。
お詫びして訂正します。

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我が闘走

ママチャリと安いハイテンミニサイクルからちょっとスポーツフォールディングらしい『トランジットセブン』を購入したのは学生時代のクロモリランドナーを手放してから実に30年ぶりだった。

トランジット7 TS207S−7を購入したのは2008年。2007年製造中止のデッドストック品だった。
http://livedoor.blogimg.jp/zg40kome-transitseven/imgs/0/6/06cb9374.jpg

TS−7から始まった今までの主な走行を書き留めてみた。

タイトル 走行日 目的地 走行距離 使用車両
東京古墳めぐり 2009/6/7 都内 67.0km トランジット7
城北ポタリング2 2010/3/14 岩淵水門 64.0km トランジット7
東京古墳めぐり番外編 2010/4/17 都内   トランジット7
お台場周回 2010/5/22 お台場 49.0km トランジット7
印旛沼サイクリング 2010/6/3 印旛沼 96.0km トランジット7
 
       
浦安ポタリング 2010/8/21 ディズニーリゾート 31.0km MR−4
大横川紀行 2010/10/2 松伏 85.0km MR−4
ユラリユララ‥‥ 2010/11/3 水元公園 52.7km MR−4
台場をめぐる 2011/3/5 都内 43.4km MR−4
臨港貨物線ポタ 2011/4/17 晴海   トランジット7
羽田に行ってきました! 2011/5/3 羽田 69.0km MR−4
水郷ポタ 2011/6/4 潮来周辺 45.3km MR−4
武蔵国激暑輪行  2011/8/14 秩父〜東松山 82.4km MR−4
2011/8/15 行田〜東京 89.4km MR−4
荒川CR奇行 2012/3/24 荒川 52.0km AC−02
彩湖桜めぐり 2012/4/7 彩湖 64.0km AC−02
九十九里CR 2012/5/3 上総一ノ宮 70.0km AC−02
荒川RMR 2012/5/12 岩淵水門 58.0km MR−4
朝らん幕張 2012/5/20 幕張 64.0km AC−02
利根輪行 2012/6/30 関宿閘門 108.0km MR−4
多摩丘輪行 2012/7/28 青梅・多摩湖 92.0km MR−4
奥多摩輪行 2012/9/22 奥多摩 114.3km MR−4
印旛・花見川輪行 2012/11/3 印旛沼・幕張 92.0km MR−4
初出社・初走り 2013/1/1 昭島 114.0km MR−4
彩湖試走 2013/2/2 彩湖 70.0km AC−02
第一次城山攻略 2013/2/16 府中 69.5km AC−02
第二次城山攻略 2013/3/9 津久井湖 149.9km AC−02
宮ヶ瀬輪行 2013/3/23 宮ヶ瀬ダム 106.2km MR−4
養老サイクリング 2013/4/20 養老渓谷 80.3km AC−02
藺沼(いぬま)試走 2013/4/27 手賀沼 93.2km AC−02
荒川CR 榎本牧場まで 2013/5/4 桶川 122.0km AC−02
九十九里 海と古墳 2013/5/25 九十九里・芝山 126.0km MR−4
上海上・須恵国古墳めぐり 2013/6/29 木更津・富津 107.5km AC−02
西浦古墳めぐり 2013/9/28 霞ケ浦 125.0km AC−02
奥多摩輪行2014 2014/4/12 奥多摩 103.0km MR−4
牛久大佛に行く 2014/4/25 牛久大佛 129.8km MR−4
太田輪行 2014/5/3 太田 129.3km MR−4
月の沙漠まで 2014/6/20 御宿 96.1km MR−4
雄蛇が池 2014/7/5 雄蛇が池 130.0km MR−4
狭山丘陵周回 2014/8/9 狭山湖・多摩湖 120.0km MR−4
筑波走破そして未完走 2014/8/23 筑波山 91.0km MR−4
須恵国古墳めぐり再び! 2015/1/24 木更津・富津 75.6km MR−4
荒川CR川越まで 2015/2/27 川越 121.0km AC−02
冨士山に行く 2015/3/15 鎌北湖 82.0km MR−4
長柄桜山古墳 2015/4/29 逗子 129.0km AC−02
見沼通船堀 2015/5/3 見沼通船堀公園 71.0km AC−02
クリッカー恐るべし 2015/5/6 彩湖 71.0km MR−4
SAGA 4 2015/6/27 彩湖 80.0km SAGA
水郷再び 2015/8/8 鹿島・銚子 133.2km MR−4
江戸川サイクリング 2015/8/12 関宿・手賀沼 145.0km SAGA
今回は辛口 2015/11/7 幕張 55.0km MR−4
一般参賀〜五色不動 2016/1/2 都内 55.0km SAGA
サクラサイコ試運転 2016/3/20 彩湖 72.0km SAGA
北浦周回 2016/4/16 北浦 108.0km SAGA
藺沼サイクリング再び 2016/5/28 関宿・手賀沼 144.0km SAGA
那賀・久慈古墳めぐり 2016/7/2 水戸・常陸太田 97.0km MR−4
内房プチ輪行 2016/7/16 金谷・浦賀 49.0km MR−4
BMC 岩槻へ 2016/8/20 岩槻 92.0km AC−02


北浦大橋復活BMC復路鹿行大橋*











 
は上司から『心労とかいってそんな自転車で100kmも走ったから心臓がつまったんだろう』なんて言われる羽目になった日。
それってパワハラだろ!。

そして自転車に乗れる体に戻った時、サイクリングの目標距離は100kmになっていた。
しかし、同時にそれは20kgにもなるママチャリを自在に乗りこなす気力を失う機会でもあった。

そしMR-4F2010て、それは入院中に自転車雑誌で出会った『MR−4』を購入しようと思ったとき。
そして、それは封印された学生時代の記憶。ママチャリのチョイノリでは味わうことのなかったサドルとの闘いの復活のとき。


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サイクルモードへ異考!

mv_titleの気配を感じるようになると、そろそろサイクルモードが気になってくる。
今年も11月4日(金)〜6日(日)の3日間で開催される。

http://www.cyclemode.net/

懐古趣味ではないが、新しい車がとても異様でグロテスクなものに見えてきてモーターショウに興味がなくなってから十数年経つ。代わって足を運ぶようになったサイクルモードもすでに6年た経つ。

すでに自分のバイクも自転車史の過去の1台になって久しいが、車と違って自転車はパーツの組み換えでオリジナルを作ること、古い仕様を新しい潮流へ乗せることの簡易度は車の比ではないことが唯一の救いであるといえる。
そんなわけでサイクルモードも主眼点は自然とパーツになる。

出展者はまだ未定のようだが、2015年は正直期待外れで、早々に引き上げてしまった。今年も休みが取れれば行きたいとは思うが、出展者をよく見ていかないと、当然出展しているだろうと思っていたブランドやメーカーがなくてがっかりするのは嫌である。
1坪くらいで一人がぽつんと座っているブースはともかく、そこそこのスペースを構えてブースづくりをすると経費としては最低でも数千万はかかるはずである。自転車業界の中小企業では決して安い出費ではないだろう。
ベンチャー的企業が多くなっているのは、自転車の多様性とも言えなくはないが、

モーターショウはその時々でけん引役が替わってくる。スポーツカー・4駆・SUV・ミニバン・コンパクト・エコカーなどなど。その時の人気マーケットが他を圧巻し隅に追いやってしまう。
自転車ショウはそのけん引役は常にロードバイクである。もちろんフォールディングやクロスバイクがブームになった時はある。しかしそれらがロードバイクを圧巻したことはない。
最近はシクロの盛り返しや、コンフォートタイプ・グラベルロードの台頭などアンチバリローには結構楽しいネタも増えてきたことが唯一の救いか。

i_event_03ベント紹介で『シックスホイールスタイル』なんてのがあるようだ。
親父には数年前から当たり前のサイクルスタイルだが、昔は雪山や海に行きもしないのに、スキーやスノボ・サーフボードなんて積んだ『シティー〇〇』なんてのがいっぱいいたよね。今後はサイクリングにもいかないでピカピカロードを屋根に積んだ『シティーサイクラー』なんてのが街中に氾濫するのかな。
うちの空母は700Cをそのままラゲッジに放り込めるから、ハッチを開けなければ自転車積んでるなんて見えないし、天井を気にすることもないが、なれないシティーサイクラーをやるひとはファミレスやショッピングモールの入り口には注意しようね。

スポーツバイクに興味のある人は一度は見に行くことをお勧めするが、モーターショウ感覚ではいかないほうがいい。パンフレットは『もらう』んではなく『買う』のですよ。

まあ、サイクルモードは早々に切り上げ、帰りに船橋辺りでワイズとセオサイクルを見て、さらに足を延ばしてジャイアント・トレーク・スペシャライズドのコンセプトストアまで回ったら、初めて「自転車ショウを見てきました!」って言えるのだろうか。
空きブースが増えるのならその分会場内にサイクルカフェでも作ってくれるといいんだけどね。

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BMC 岩槻へ

置き場復活BMCCIMG9548がないため、組んだまま狭い部屋で展示品となっていた『BMCアルペンチャレンジAC−02』。我家の最軽量バイク(といっても10kgを越えているが‥‥)をやっと再始動する。
最近極度の運動不足と体重増で、100km前後で音を上げる情けない状態なので、AC−02試運転を兼ねて岩槻に行く。
朝からうだるような暑さの中、久々のツリーと1枚。最終的にサドルとタイヤを変更。少しグラベル風雰囲気になった。



北千住か河川沿い遊歩道らR4元荒川を元荒川までひた走り、元荒川沿いに折れて岩槻を目指す。元荒川が文字通り荒川本流だったころは、倍以上の川幅があったろう。
土手を利用した遊歩道があり、のんびりサイクリング気分が味わえる。






金剛院山門業用のダムである末田須賀堰に出る手前に、立派な山門があった。『金剛院仁王門』は将軍徳川綱吉の生母桂昌院からの寄進を受けたものだそうで。左右の見事な仁王像は岩槻市(現さいたま市)指定文化財になっている。







BMC末田堰止湖?須賀末田須賀堰堰』によってせき止められた川筋は湖沼のような雄大さを見せている。
小さな公園の木陰でチョイ休憩。






まず浮城は岩槻サイクリングの第一ミッション。岩槻城の攻略から始めよう。
『岩槻城』は太田資清により築かれたとされ、当時の荒川流路を総構えの一部に利用して、周囲を沼で囲んだ浮城である。城構えはあの『のぼうの城』忍城を彷彿させる。北条攻めの際の城の明暗ははっきり分かれたが、城を生かすも殺すも人次第ということか。





岩槻城黒門岩槻城空堀址公園として残っているのは『新曲輪』・『鍛冶曲輪』という後に北条氏によって築かれた出丸だった。ここは土塁や空堀が残されている。今でもかなり深いが、当時は今よりさらに深く、土塁も高かったようである。
公園内には『黒門』という当時の城門が保存されている。一度は浦和に移され埼玉県庁の正門になっていたものが岩槻市に「払い下げ」になったという。この説明ちょっと違和感を覚えるのはおかしいだろうか?



懐かしい車内東武特急『きぬ』い公園敷地の大部分はかつての沼濠であり、その名残の菖蒲池を回ったところに『東武のロマンスカー』といわれた特急『きぬ』の車両が保存されていた。
なっつかしい〜。子供の頃、新幹線『ひかり』を筆頭に東武の『きぬ』・『けごん』、小田急の『ロマンスカー』、近鉄の『ビスターカー』は憧れの列車であった。今なら車で4時間程度の会津若松まで板張りベンチシートの『夜行急行ばんだい』に一晩揺られた時代である。
思わず乗り込む。中は冷房が効いていて涼しい。この懐かしいレトロな客席でおベントを食べたくなったが、「飲食禁止」であった。残念。

人形の博物館りあえず、城址公園を後にして第二のミッション、人形の博物館に行く。
まだ娘が赤子の頃、今のひな人形を探しに岩槻に訪れた。家から浅草橋はすぐなので足繁く通ったが、どうしてもよいものが見つからず、「人形だったらやっぱり岩槻だろ」ということで、かみさんと一緒に歩き回った。数軒回ったところでカミさんがここがいいといったのは小木人形という店だった。今でも口コミ評価は高いようで、人形選びだけ?はカミさんの目に脱帽。




さて、人形人形の博物館2人形の博物館1の博物館は、岩槻駅前の東玉総本店4階にある。写真撮影禁止なので東玉のサイトより画像をお借りする。
当日は受け付けもいないで、署名と入館箱に300円入れて自由見学。一人しかいないところでじっと人形を眺めていると、笑ったりウインクされたりしそうで、ちょいとミステリアス。古い人形は顔立ちからしてそんな雰囲気を醸し出す。




人形岩槻大師弥勒寺の博物館を見た後で、第三のミッション、岩槻郷土資料館に行く。薄ら覚えの地図しか記憶になかったので、うろうろしている間に『岩槻大師』というお寺の前に来た。
なんとなくお参り。すると大師がお知恵を授けてくれた。「駅前に交番があったからそこに戻って尋ねよう」。
駅まで戻り交番で聞く。郷土資料館は大師への参道を曲がらず少し行ったところであった。「だったらそのように授けてくれよ‥‥」と思ったが、やはり楽な道を授けてはいただけないものなのだ。




『岩郷土資料館槻郷土資料館』。建物そのものが展示品のような感じだが、実際旧岩槻警察署の旧庁舎を利用している。
岩槻の歩みを中心に、生活様式や暮らしの道具が展示されている。また、建物そのものが大正から昭和初期の作りがそのまま保存されていて、ちょっとしたタイムトリップ気分になる。
ここでは岩槻の県庁設置にかかわる情報や展示がないか探したが、残念ながら見つけられなかった。
その代わり、岩槻の観光地図をゲット。当時の城構えと現在の街並みの位置関係がわかったので、城攻略に再挑戦する。



先ほ岩槻城二の丸跡ど訪れ岩槻城三の丸跡た城址公園の北側に、現在の県道2号に沿って沼に囲まれた『三の丸』『二の丸』『本丸』があった。
県道に沿って進むと消防署の脇に三の丸跡の碑を発見。三の丸を落とした。ここの脇の路地を入ると大手口跡があるはずだが見つからない。
また県道の戻り、本丸を一気に突く‥‥はずだったが気が付かないうちに二の丸跡の碑を見つけた。
定石通り‥‥であるが二の丸も落ちた。


地図岩槻城本丸跡本丸制圧ではGSとコンビ二の間に本丸跡の碑があるはずだが、やはり見つからない。反対車線から何気にみたら、あった。道沿いだとばかり思っていたらスタンドの奥に本丸跡の碑を発見。
遂に本丸を攻略した。スタンドが休みなので勝鬨をあげられなかったが‥‥。




時の鐘一ルート上に『大手口跡』と『時の鐘』があるので再チャレンジ。
時の鐘は、道路沿いにはなかったので大きい割にはてこずったがほどなく発見。
大手口跡の碑は遂に発見できなかった。掃討戦に時間をかけられないので、後ろ髪をひかれる思いで断念する。(後で地図に書かれた位置と実際の位置にずれがあることがわかった。)
クエストゲームのようで結構熱が入ってしまったが、徒歩で順路道理にいけばもっとたやすく見つけられるのだろう。




さいスタ2002構遊んでしまい、時間を大幅に使ってしまったので早々に帰路につく。
帰りはR122.をひたすら南下。







岩槻日の走行 92km
暑さと運動不足でしんどかったが久々のBMCは軽かった。







人形のまち岩槻まつりメイン会場廃藩置県藩置県によりかつての武蔵国北部は『入間県』と『埼玉県』に分かれた。入間県の県庁所在地『川越』と同様に武蔵国の要衝であった『岩槻』が埼玉県の 県庁所在地とされた。これは教科書にさえ載っている事実である。しかし諸所の理由(浦和の陰謀か?)で県庁は浦和に置くことになり、そのまま両県の合併で『浦和』が名実ともに県庁所在地になった。
岩槻は主要幹線から外れたこともあり一地方都市に甘んじたまま、さいたま市に併合される。
歴史の重みなら岩槻のほうが浦和より上である。尤も歴史の重みで首府が語られるのなら明日香村が今でも日本の首都でもおかしくないが。
そんな岩槻がかつて県庁所在地であった証を見たかったがそれは見つけられなかった。
岩槻は祭りの準備で活気があった。やはり歴史と伝統の重みみたいなものが岩槻にはある。川越・行田とともに再び訪れたい街である‥‥

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アイアンキング

今回は懐かしい特撮巨大ヒーローもの。
『アアイアンキング 01イアンキング』。1972年放映の宣弘社作品である。
変身ヒーローものは1971年、特撮巨大ヒーローの『帰ってきたウルトラマン』と等身大アクションバトル系の『仮面ライダー』という2大双璧の登場により、当時の日本の子供のいる家庭のお茶の間を一気に席捲した。
『アイアンキング』は巨大変身ヒーローものの最盛期に企画された作品で、異星人や異次元人主流のヒーローの中で、巨大サイボーグ(筆頭はスペクトルマンかな)でも現科学者によって作られた少数系の部類に入る。
シルバー仮面がなんか暗くてあまり面白くなかったが、あの中世の西洋鎧のカブトのようなデザインが好きだった当時の親父が結構気にいってみていたのが後続作の『アイアンキング』である。
今見ても、この作品は明らかに他の巨大変身ヒーローとは一線を画す異色作品であることがよくわかる。

アイアンキング 06アイアンキング 12ず、『アイアンキング』とその前身『霧島五郎』は主役ではない。主役は国家警備機構のエージェント『静弦太郎』であり、『霧島五郎』はパートナーに過ぎない。巨大ヒーローが主役でない設定はPプロの『宇宙猿人ゴリ』があったが、こちらは終盤はタイトルも含めてオーソドックスに『スペクトルマン』に替えられていったが、『アイアンキング』は最後まで脇役のコンセプトが貫かれた。
その主役『静弦太郎』も反骨的で冷酷な面も持った、子供たちに優しいお兄さんヒーローではない。

アイアンキング 02に特撮巨大ヒーローものの定石である「最後に登場し、敵を倒す。」というパターンではない。
『アイアンキング』が単独で敵を倒すことはほとんどない。話の途中で現れ敵を倒せないまま、というより敵に痛めつけられ、わずかな時間で消えてしまう。後に『最も弱い巨大変身ヒーロー』の称号を受ける所以である。
まあ、話の都合上『アイアンキング』は源太郎がピンチの時、サポートするのが役目で、ウルトラセブンの『ウインダム(車じゃないぞ)』のようなものである。
敵にとどめを刺すのは生身の人間『静弦太郎』である。アイアンキングは敵はおろか周囲の人々にすら見向きもされない真に孤独なヒーローなのだ。唯一『静弦太郎』は自分のピンチを救ってくれるアイアンキングを信頼しているし、アイアンキングがピンチの時は身を顧みず助けたりもする。

さらアイアンキング 05に敵が変わり種である。最新メカの巨大ロボットを操る『不知火一族』は科学とは無縁のような古色蒼然とした集団。彼らは2千年の昔、大和朝廷に滅ぼされた一族の末裔であり、現在の大和政権を打倒すべく立ち上がった者たちであり、話は国つ神と天つ神の対立にまでさかのぼる。尤もそんな壮大なバックボーンがありながら『静弦太郎』を倒すことだけに固執しているところがちょっとせこいが、古代史マニア・古墳マニアにはたまらない設定である。但し、日本古来の民族が操るロボットは何故か西洋風であったが。




アイアンキング 11た、新たなる敵『独立幻野党』は革命革命と唱えているが、アラブの戦士風だかムスリムでもなさそうで、どんな政権樹立が目的なのかも不明である。こちらも現政府を『大和政権』と呼ぶ。『独立幻野党』は恐竜型ロボットを操り現政権を倒し新世間を打ち立てることが目的のようだが

『不知火一族』や『独立幻野党』とかどうも政治色や思想色の強い悪の集団である。しかも敵側から見ると現政権が悪の権化なのである。ユニークなかっこはしているが今見ると子供向けの悪役ではない。尤も『死ね死ね団』ほど強烈なアイデンティティはないが。

そして配役が異彩

アイアンキング 04人公『アイアンキング 03静弦太郎』は当時日の出の勢いだった『石橋正次』。特撮もののイメージには程遠いキャラだ。ドラマの中でも歌うシーンがよく出てくる。今考えると、喜んでみていたのは子供だけではなかったろう。

弦太郎のパートナーで、正体はアイアンキングである『霧島五郎』には往年の二枚目『浜田光夫』。霧島五郎はドジな三枚目だったが。そして最初のヒロインは『仮面ライダー』の森川千恵子。不知火一党の頭には任侠・時代劇の顔役『堀田真三』など錚々たるメンバーだ。そのほかゲストには岡崎友紀・夏純子・坂口良子など人気女優が出演していた。

特撮はちゃちかったが、キャストにはずいぶん予算を使っていたんじゃないか。

ストーリー展開も弦太郎と五郎の気ままな旅をしながら(実は不知火族の根拠地を探る旅なのだが)行く先々で不知火一党の罠をかわし倒していく。どことなく時代劇風のドラマ展開である。


アイアンキング 10ンディングの子門真人の歌う『ひとり旅』がとても好きであった。ストーリーの筋からいうとこちらがオープニングでアイアンキングの歌がエンディングでもよかったんじゃないかと思う。

アイアンキングのエンディング『ひとり旅』と、ファイアーマンの挿入歌『遙かな青い地底に』は、子門真人の隠れた名曲である。この『ひとり旅』なんて石橋正次の歌うギターバージョンあってもよかったのに。

30分番組なので、話がはし折られているのはやむ負えないが、石橋正次のキャラやエピソードを生かすには、1時間ものにしてバトルシーン以外の部分も掘り下げてもらいたかった。親父も含めた当時の子供には受けなかっただろうけど。特撮も現在だったらCGを使ってもう少しリアルになったろうから、その辺も含めて画像修正のリメイク版が見たいところである。


DVDアイアンキング 14アイアンキング 13を購入。久々に懐かしく夢中になった。

そろそろ変身ヒーローものから卒業しつつあった年ごろの親父にとっても、なんか決まらないヒーロー。場違い見たいな俳優さんが出ている。純粋に地球侵略の目的を持った悪役と勧善懲悪の変身ヒーローものとは違う一風変わった面白い作品であった。


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