KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

yozakura

yozakura2日帰りが遅くなったので、短距離ながらジテ通を復活。
前回から8日たったテニスコート。今日も終了前に来ることができた。







yozakura3いぶんと開いてきたが、まだ満開ではない。
今年は結構長く持つかな。







yozakura5温も上がってきて、平日でもささやかな宴会シートが数席設けられていた。
横十間川は護岸工事が進んでいる。結構広い川だと思っていたがだんだん狭くなってしまうのは少し寂しい。







yozakura6ローバー橋から見るスカイツリー。この川こそが、かつての『武蔵国』と『下総国』の境界である。
スカイツリーは確かに川の右岸にある。「スカイツリーはかつての武蔵国にある」というのは間違いではない。







yozakura7ローバー橋から下の横十間川は親水公園になっている。
こちらの桜はさらにまだ早い。
今年も花見ツアーはできそうにないが、娘の入学式は満開の桜の中で迎えられそうだ。







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桜と愚痴少し

ぐっ咲きはじめ2と気温が下がり、山沿いでは季節外れの大雪となった今日。
帰り道にときたま通る公園のテニスコート。

桜が少し咲いていた。
お〜、このテニスコートいつからナイトゲームできるようになったんだ?




否。自咲きはじめ分が今日早いだけだ。いつもはもっと遅くに通る道。ナイトゲームはおそらく21時までだろう。
今日は久々に21時前なだけだ。







今日明るいは街全体が少しだけ明るく見える。
テニスコートもそうだが、オフィスビルの光も多い。流石に月曜日に『ノー残業デイ』を持ってくる会社は少ないな。わが社もせめて『ノー深夜残業デイ』があってもいいかな。
残っているのが営業と管理職だけなら、もともと残業などという言葉すらないが‥‥





高い日から気温が上がれば、今週末には満開となるだろう。
桜の季節は短い。桜が終わると新緑の季節になる。
走りにはちょうどいい季節になるのだが‥‥
今年は乗り回す余暇がとれるかな〜。



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昼ポタ

自転車通勤がなくなったため、年末の下野ライド以来の自転車出動となる。
銀座の某リサイクルショップで買い物をしてから晩飯のおかずを買って帰るまでの時間、久々に少しこぐ。
お茶してから、桜田門を通りBMCの故郷、赤坂の某大手チェーンのサイクルショップに物色しようと足を延ばしたが、店がなくなっている。
HPみたら半年も前に閉店していた。
他の店に行くのもつまらないので、このままポタに切り替える。

六本木通りから麻布通りに入り、外苑東通りに入る。今日は警備がとても物々しい。しかもやたらに旭日旗がはためいている。
『今日は何の日』。「お財布の日」。「モスバーガーの日」。右翼とも機動隊や警察隊とも関係ないなぁ。

天文台跡天文台跡2シア大使館の横の路地を入ると、小高い丘に突き当たる。今はアフガニスタン大使館の一部も含むこの突き出した台地の縁に東京天文台があった。あまり物々しいので警備の警官に「天文台跡に行ってもいいですか」と尋ねたら「天文台跡なんて知りません」と答えられた。
ここは以前にも一度来ているが、この史跡の正式名は『日本経緯度原点』という。三角点などの地理的測地はここを基準とされていた。関東大震災までここは天文台だったのだ。


今日は何の日?タワーのものしい飯倉交差点をこえて、東京タワーからタワー前交差点・赤羽橋を経由して芝公園に。またまた街頭演説がけたたましい。そしてバリケード。
『今日は何の日』。「スイーツの日」、「日曜休日・土曜半ドン制定の日」。そんないい日だったのか。
それとも誰か来た?サウジアラビアの国王陛下一行が大挙して来日するからか。それも関係ないな。何故なら石油燃料の宣伝車で走り回っているんだから。



今まで最も丸山古墳3多く訪れた古墳、『芝丸山古墳丸山古墳2』。案内板には『全長106m』とある。おやじはこの古墳の大きさを「墳丘長125m」と紹介する。『東京都遺跡台帳』の『港区遺跡癸横粥戮冒環坑隠横毅蹐筏載されているからだ。
南武蔵を実効支配していた豪族の墓だろうが、125mという大きさは鉄剣『稲荷山』の120m、同時期の『野本将軍塚』115mなどの北武蔵の墳墓も上回る規模である。
「王よ(「なんだ長嶋」‥‥とは返ってこないだろう)この周囲の騒然、どう思われますか‥‥。」「とりあえずお茶にしますか‥‥」

芝公古川河口園を貫き、丸山古墳の前方部を削いだ環状3号線は、日比谷通りから先は未整備の路地となる。JRの歩行者用ガードを超えると海岸通りに突き当たる。
海岸通りから見た古川河口。首都高が寄ってたかって古川を半暗渠化してしまっている。この惨劇は日本橋川より酷い。これがかつての『春の小川』の河口である。





またBMCレインボーループまたやってきたレインボーブリッジ。
橋げた高50m。最近知ったのだが航空機規制による高さ制限は150m。レインボーブリッジの主塔高は126m。24mのクリアランス(バーゲンじゃないよ)があるわけだ。
単純ではないが、主塔發鬘隠毅娃蹐泙念き挙げたら橋げた高は74mになる。もしかしたらタイタニック号もくぐれたかも知れない。どちらにしろあり得ない話ではあるが。
もともと買い物目的だったので、ショッパー仕様のAC−02。

2層ゆりかもめダイジョウブ構造の下層部が一般道とプロムナード、して中央を『ゆりかもめ』が通る。
以前仕事でビッグサイトの展示会へ行ったときは寿司詰めであった。ちょっとした展示会で通勤ラッシュ並みの混雑。
オリンピック、ホントに大丈夫なの?






プロ第3ダイバだった第六ダイバだったムナードから見えるのは第6ダイバダッタ。
その先にあるのが第3ダイバダッタ。
ダイバ・有明のビル街の向こうにゲートブリッジが見える。
江戸の外港の守りとして9基が計画・着工された台場。第1・第4・第5は大井の埋立地の中に埋もれた。第2は航路上の障害として撤去。第3と第6が現存。第7は未完のまま撤去。第8は有明埋立地に替わり、そして第9台場は、まさに今問題のスポット『豊洲市場』の場所に築かれるはずだった。


豊洲市場豊洲再び明から豊洲へ。前回とは逆ルートになった。
周辺整備を残して、ほとんど出来上がっている豊洲市場。
なんかほかの使い道ないのかねぇ。入る前から「使いずらい」なんてレッテル張られて、立つ瀬がないよね。某元都知事さん、無駄な銀行の分まで合わせて金返して。




さて、晩ライフで買い物ついでにソラマチ飯の買い物は、押上げのライフ。晩飯買って帰るには時間があるので、ソラマチでお茶をする。
『ライフセントラル押上店』。ライフはIYやイオンと違ってこじんまりしていて地元密着感があるが、ここは少し毛色が違う。変わった商品も置いてあり、クイーズほどではないがちょっと高級感もある。


久々の半日のんびりポタ。
コーヒー代ばかりやたらにかかった一日であった。
hirupota





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MIKADOROID

mikadoroid18たまた懐かしい映画。
1991年の東宝の短編SF。タイトルからすると何かとてつもないおそれ多いもんが出てくるのかと思ってしまうが、ストーリーの中にタイトルの名称・呼称はいっさい出てこない。

ジャンルは『ホラー』になるようだ。
劇場公開されないOVだった。

主役ともいうべき怪物は『百二十四式特殊装甲兵ジンラ號』。鉄人同様、帝国陸軍の極秘兵器として開発されたが、戦況逼迫により研究施設ともども廃棄処分になった改造人間兵器である。

mikadoroid2トーリーは昭和20年3月10日から始まる。東京憲兵隊により抹消されるはずだったジンラ號計画は、あの運命の日の悪夢「東京大空襲」により研究施設、被験体ともに地下深く取り残された。
この映画で最もインパクトが強かったシーンは、実は冒頭ほんの数十秒間流れる勝鬨橋をバックにした東京大空襲のシーンである。あくまでも伏線であるこれだけが何か妙にリアルに感じる。





それmikadoroid4から45年、時代はまさにバブルの絶頂期に、この施設の上に建てられたビルの漏電によりこの殺人兵器が目覚めることになる。ビルの地下にあるディスコから帰る若者たちが次々に襲われる。
そしてついに姿を現わす『ジンラ號』。ホラー映画というなら『マタンゴ』のほうがはるかに怖い。
元々はゾンビの設定だったそうだ。でもオヤジはこちらのほうが好きだ。
落下傘を装備しているから空挺隊のように敵地に降下させるのだろうか。見境なく殺傷するから敵地に落としてから起動させないと大変なことになる。



地下駐車場に取り残され、追い詰められた彩子(洞口依子)と冨田(吉田友紀)の前に突然現れてジンラ號を迎え撃つ二人の男。彼らはジンラ號とともに生体実験で不老の体を与えられた被験体だった。3人は親友で、ともに東京オリンピックの競泳代表として競い合ったライバルでもあった。
ここでいう東京オリンピックは1964年の東京大会のことではない。その24年前、アジア初のオリンピックは帝都東京での開催が決まっていた。大日本帝国の威信をかけて誘致したオリンピックは戦時下への突入とともに中止となった。
このことを知らないと、このドラマの奥行きが理解できない。

深夜とはいえ地下駐車場で短機関銃同士の銃撃戦をやったら周りがすぐに大騒ぎになるだろうという突っ込みは水を差すだけである‥‥

逃げ場を失った彩子と冨田は、ジンラ號が壁を破って出てきた地下壕の奥に迷いこんでいく。
そこはかつて3人が改造された旧帝国陸軍の秘密研究所だった。
ここでも、小さな地下通路くらいならまだしも、地下鉄や高層ビルの杭や地下インフラの密集した都心でこれだけの巨大な地下空間が残っていること自体が怪奇であるという突っ込みを入れてはいけない。

ジンラ號に追われて、地下壕の奥に追い詰められた二人の前で最後の戦いとなるかつての親友同士。ジンラ號となった鍋島と、自らの肉体内に隠し持っていた、必殺の武器でジンラ號とともに自爆しようとする岡崎(渥美博)。一瞬時間が止まるシーンである。
この壮絶なシーンにおよそにつかない切ないメロディーのBGMが流れていく。

mikadoroid16らの壮絶な自爆とともに秘密施設の大崩落が始まる。
いつの間にか全容を現した謎の装甲兵器。「なんでこんなのが出てくるの?」というような意表をついて出てくる。本土決戦に備えてのものだったのか。早く戦線に投入していれば戦局も変わったんじゃないかと思えるような虎の子である。
クライマックスはそれなりにすごい。ここだけ見るとSFだなーと思える。どことなく『海底軍艦』や『地球防衛軍』をオーバーラップさせるシーンだ。ここでも壮大な特撮とは裏腹のものがなしいBGMが流れていく。



最後は血だらけ煤だらけになった二人が座り込んだ朝の街をズームアウトしてドラマが終わる。

この映画で最も‥‥というか唯一印象に残っていたのがエンディングの字幕に流れるテーマ曲。単調なメロディーであるがなぜか心に刻まれるサウンドである。
この曲がなければ、おそらく25年前に一回見ただけで全く忘れ去っていただろう。

キャストは『洞口依子』・『吉田友紀』・『渥美博』・『伊武雅刀』・『毒蝮三太夫』。割といい俳優陣が出ている。
『洞口依子』一人だけでホラー映画として成り立ってしまうのがすごい。プロローグだけだが、伊武さんの迫真の演技が、単なるB級映画ではないような予感を与えてくれる。

監督は『原口智生』氏。映画には詳しくないので申し訳ないが知らない。
特技監督は『樋口真嗣』氏。この人は知っている。ガメラの人だ。

音楽はアニメ音楽界の鬼才『川井憲次』氏。といってもアニメに興味のないオヤジにはトンとわからない。
唯一知っているのは『ドリームハンター麗夢 首なし武者伝説』の音楽だ。あの音楽は好きだったからね。

結局25年間この曲が頭から離れずDVD購入となる。
ディアゴスティーニに出たのに気付いていれば、そっちのほうでもよかったかな‥‥でもオリジナル曲入りの分だけいい。
73分というどちらかというと短編的な映画だ。つくられた当時は戦争とバブルを正反対の対象ととらえていたのだろうが、今見るとどちらも現代日本の大きな負の遺産としてオーバーラップしている。



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唐沢山攻略

絵図野の国分寺跡・国庁跡を見た帰り、少し足を延ばして唐沢山城址を訪れる。
唐沢山城址は現在唐沢山神社となっている。唐沢山神社のご神体は「従四位下・下野武蔵守・鎮守府将軍『藤原秀郷公』」である。百足退治の逸話が有名だが、何よりの功績は天慶の乱を鎮圧したことである。
唐沢山城はこの藤原秀郷公の築城といわれている。本丸は標高241mの唐沢山山頂から尾根を利用して展開され、自然地形を有効活用した縄張りは『関東7名城』の一つに謳われている。

栃本口から上るルートはレストハウスのある駐車場まで1500m、標高差136m、平均斜度8.9度。乗り慣れたローディーさんなら何でもないところだろうが、親父の脚ではまずドロップアウトだ。車で正解。

ヤマネコ?ストハウス周辺にはなぜか猫が多い。神社の沿革にも城の歴史にも猫の話はないので、別の理由で住み着いたのだろう。







天狗岩天狗岩入口城門跡のます形を抜けると、すぐに『天狗岩』という案内板がある。
石段を登っていくと目の前の視界が急に開いて見晴らしの良い崖っぷちに出る。ここにはかつて物見櫓があったそうだ。






南麓遠望西側麓崖からの風景。
櫓はさらに高くなっていて、遮る樹木もなかっただろうから、麓の動きが手に取るように見えただろう。






ます車井戸大炊井形から少しはいると『大炊井』という巨大な井戸がある。こんな天険にこれだけの水量を確保できる井戸があるとは驚きだ。
唐沢山城には大炊井のほかに井戸がもう1か所ある。本丸の東側の急斜面の途中に『車井戸』という深い井戸がある。深さは25m以上あるそうだ。底は見えず、現在水があるのかもわからなかった。




二の丸神楽殿四つ目掘井の先にある『四つ目掘』今
はその面影をとどめないが当時は城内最大の空堀だったようだ。
三の丸・二の丸と登っていったところに『神楽殿』がある。






二の唐沢山神社山門丸から表御殿跡を抜けると本殿に続く石段がある。
神門をくぐると本丸跡の唐沢山神社社殿がある。
拝殿と本殿がつながっており、かなり大きく奥が深い。
お参りをして本丸制覇。
社務所から裏手を通ってもとのレストハウス駐車場にもどる。

レストハウスの下に、『足尾山神社』という小さな祠がある。
足腰の不調に悩んでいる方はぜひ参拝をお勧めする。親父もご利益があるかどうかは今後の精進だが‥‥

下毛野・唐沢山ルート日の走行250km 久々の長ドライブであった。


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下毛野再び

発掘現場その後琵琶塚古墳下野古墳めぐりで見逃した吾妻古墳のリベンジを兼ねて、再び下毛野へ。
今回は前回とルートがダブるため自転車は積んでいない。
6:30AMに出発して一般道で9:00過ぎに琵琶塚に到着。順調である。
琵琶塚に寄ったのは、昨年末の発掘現場がどうなっているかを見るためである。前方部の周溝の発掘部分は埋戻しが進んでいるようだ。



『天国見山後円部頂上?謎の古墳擬き平の丘公園』の駐車場に車を止めると、すぐに復元円墳のような築山が見える。航空写真で見ると前方後円墳のように見える謎の築山。
国見山というらしい。
頂上には『銭成石』といい、この周囲の発掘で出てきた古銭が埋めてあるとのことである。




伝紫式部の墓上からI前方後円型見ると確かに前方後円墳の形にはなっているが前方部はペチャンコ。子供の遊び場にはなるだろうが、この形に意味を持たせるなら前方部もきちんと盛土してもらいたい。
栃木県埋蔵文化財センターに行く途中に『紫式部の墓』なる立札を発見。行ってみる。
小野小町が茨城出身というのはその筋では有名だが、紫式部も東国に関係する人?。『紫式部の墓』とは書いてあるが実際は無関係のようである。


回り栃木県埋蔵文化センター道をしたが、時間は10:00を回ったので『栃木県埋蔵文化財センター』に行く。HPでも管内の様子がよくわからない施設だが、何か常設展示でもらるのだろうと期待していったが、何と休館であった。







展示室しもつけ風土記の丘資料館念だが仕方ないので、早々に道路の向かい側にある、『しもつけ風土記の丘資料館』に行く。
ここは開館しており常設展示場もある。展示場内は撮影禁止になっているのでロビーから一枚。
下毛野の古墳や埴輪遺跡分布など、重宝な情報が入手できたが、下毛野氏と直接かかわる資料は見つけられなかった。



甲塚古墳下野国分寺跡2回はさっと1枚写真を撮っただけの下野国分寺跡。跡だけではだだっ広いだけで実感わかないね。
国分寺横にある『甲塚古墳』。掘削や開発で原型が大きく変わっている。
小円墳かと思っていたら墳丘長80m以上の前方後円墳であった。多くの出土物があり、先ほどの『しもつけ風土記の丘資料館』にも展示されていた。




後円部より吾妻古墳天平の丘公園』を後にして、本命の『吾妻古墳』に向かう。車だと5分もかからない。
工業団地に挟まれた後円部側の林の一角に車を止めると、古墳の案内板のところまでは歩いてすぐだ。しかし案内板の地点から見える吾妻古墳に、「県下最大」という期待感は関東大震災時の浅草十二階のように見事に折れてしまった。
琵琶塚・摩利支天どころか茶臼山より小さいイメージだ。後円部頂上から前方部を望む。頂上部も狭く、130m級の古墳とは思えない。

周溝底より後円部石室痕穴式石室は前方部の前面にあるという珍しいレイアウトの吾妻古墳。石室部分は発掘で盛土が崩落している。
墳丘の麓から撮ったようなアングルだが、ここは一段目墳丘の中央であり、石室がつくられていたのは二段目に当たる。
一段目が低く広いテラス状になっている『下野型前方後円墳』の終末型ともいうべき吾妻古墳の巨大さを実感するには、広域な周溝底を周回するのがよい。総全長160mを超える墓域の周溝底から見上げる墳丘は流石圧巻である。
繰り返すが墳丘長127mは県下最大。現存する下毛野では最大の前方後円墳である。
次に壬生歴史民俗資料館、下毛野氏の末裔ともいわれる壬生氏の本拠である壬生町の『歴史民俗資料館』に行く。壬生町は大型古墳も多く、吾妻古墳も一部が壬生町に属しているため、発掘された石室天井石や玄門石などが野外展示されている。
資料館は壬生城址公園の中にある。資料館には古墳時代の出土品や関連資料があるものと期待したが、展示場には『鳥居元忠』のイベント展示しかなかった。壬生藩城主が鳥居一族だからだろうか、井伊直虎ブームにあやかってか。





吾妻古墳玄門石石室天井石壬生といったらやはりせめて壬生氏だと思うのだが、ここも期待外れであった。場外展示されている吾妻古墳の石室天井石や玄門石を見て、かつての壬生城跡石垣や堀を回って城址公園を後にする。






国庁跡前殿下野国庁跡後に下毛野古墳めぐりで行き残した最後のミッション、下野国庁跡を訪れる。
車から出たとたん、肥やしの香り!が世界を包み込む。
ここもサッカーができるくらいの広い敷地に、復元された『前殿』がポツンとあるだけ。これだけおおっぴろげだと前殿の中に自販機やベンチ、ポスターなどがないことのほうが違和感を覚えるくらいである。手間をかけて忠実に再現していることはわかるが、ここといい、国分寺跡といいもう少しインパクトが欲しい気がする。

資料館より日光連山を望む下野国庁跡資料館地内に資料館があるので立ち寄る。ここでは発掘調査された国庁の全容や、当時の暮らし、官職の職務などの資料が展示されている。ここは写真撮影OKとのことだ。
資料館より雪をかぶった日光連山が見える。桜の時期になるとこの辺の史跡や歴史公園なども様相が一変し、多くの人々で賑わうのだろう。




吾妻下野国庁跡にて古墳を見たことで、関東全域の100m級以上の古墳は残すところ、最大最強の大国毛野の本拠地、前橋・高崎・藤岡・伊勢崎の「合併するのしないの」地域を残すのみとなった。ここは関東でも有数の大型古墳密集地域である。
支配権を伴う力関係は今も昔もあまり変わっていないようである。



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肘部管症候群(ちゅうぶかんしょうこうぐん)

前回よりはひらがなにしてもそれほど恐ろしくはない。
相変わらず黒い蚊が視界の中をうろうろして居座り続けているなか、過日家事で少し腕をひねった際に『ぴしっ』っと腕に衝撃が走った。
それ以来、肘がぐりぐりするのと小指がしびれるような感覚がなくなるような、何とも気になる症状が続いた。

子供の進学も決まり、今年は何とか早々に、『下毛野古墳リベンジ』と『上毛野古墳制覇』をしたいところだ。やはり古墳探訪は晩秋から早春までが最適期間である。腰に加えて肘も故障では何とも不安なので、整形の掛かりつけ医院に行く。歯科・耳鼻咽喉科・内科・循環器科そして整形外科。かく専門ごとに掛かりつけができてしまって何とも情けない。

「こ肘部管症候群れは肘部管症候群です。」「肘の内側に尺骨神経というのがあってガイドレールの中を通っているのがずれたり圧迫されたりして炎症を起こすんです。運動でひねったり、骨折したり、加齢による発症もありますねぇ。」
今度はかかりつけの整形で言われた。‥‥「また『加齢』かい!」

「小指や薬指の痺れはあまりないということですが、痺れが強く出てきたり、症状が悪化するようなら手術も必要になります。今のところ経過観察ですね。」
‥‥これまた経過観察ですか‥‥

血圧・心臓・五十肩、ぎっくり腰にそして目。今度は肘かい!どんどん『カレイ「加齢」』な友人たちが増えていく。俺ってそもそも仲間つくるの苦手だったはずなのに。いったん加速しだしたら友達の輪が止まらない。


車があと5年もつかを心配するより、オヤジ自身があと5年もつかのほうが不安になってきた。


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飛蚊症(ひぶんしょう)

視界の中に何やら黒いものが居座り続けている。
最初は本当に虫かと思ったが、すぐに違うことがわかった。虫ではなく、まつ毛が引っ付いたのだと思った。
しかしそれとも違うことに気付いた。目薬をつけても取れない。絶えずそこにいて、視線をそらしても図々しくついてくる。

「緑内障です。進行はしていないのですぐに影響は出ませんが、経過観察が必要です。」と診断されて2年。急に進行が始まったのかと不安になって、掛かりつけの眼科に緑内障検査を申し込む。
「緑内障検査は予約が数か月先になるけど、それは違う症状だと思うので、すぐ診察に来てください。」ということで眼科に行く。

眼科・内科・整形と最近入り浸っているが、検査やリハビリの通院は結構楽しい。年寄りが病院に入浸る。「常連のおばあちゃんが来ないのは、きょうは具合が悪いからだ」などという落語のような待合室。
小一時間ほど待って検査をする。視力・眼底・眼圧‥‥ETC。30分くらい検査が続く。
そして診断。

「これは『飛蚊症』です。普通の老化現象としておこるものです。」
『飛蚊症』??「かっ飛び性」ではない。最近燃料計しか見ないので飛ばさない。

眼球の硝子体が、老化により縮んで網膜から剥がれたものが、眼球の中にたまってしまうことを「後部硝子体剥離(こうぶしょうしたいはくり‥‥ひらがなにすると何とも恐ろしい)」といい、これが飛蚊症の原因となるとのことである。

「ときたま、網膜裂孔や網膜剥離により発症することがあり、この場合はきちんと処置しないと危険なので検査に来てもらいましたが、その心配はないようですね。これは特に薬等はないので、はがれたかすが外に出て黒い線が消えることもありますが、自然に慣れて気にならなくなるのを待つしかありません。自然に視野から消えていったらめでたく老化の仲間入りです。」


せんせー、ショッキングなことを何気なく笑顔でいわないでくれ‥‥


その後、もう約一月近くこの黒いものは親父の視線とともにいる。最近たまに見失うようになった。「お〜い。いなくなっちまったのかよぅ」と思うと、また突然出てきて居座ったりしている。

こいつが視界から気になくなったら老化現象入門編クリアということか。だったらしばらくは、うざとく付き合ってほしいな。


血圧・心臓・五十肩、ぎっくり腰にそして目。これから死ぬまでこの気の抜けない友人たちとシェアハウスしなければいけないわけだ。『華麗』に年をとりたいものだが、現実は「加齢」に年をとっていくのである。


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初詣

熊野神社年は娘の受験があるので、家族で初詣に行く。
学業の神様といったら天満宮である。近くには亀戸天満宮もあるのだが、倍率が高い??とのことで、実家に近いところの葛飾区の『熊野神社』に行くことにした。






神門野神社は葛飾区立石にある。
葛飾というと最近の人は両さんの『亀有』、ちょっと前の人は寅さんの『柴又』がメジャーであるが、ここ立石は葛飾区役所・公会堂・税務署などがある、まさに葛飾区の中枢なのである。熊野神社があるのは立石8丁目。今では立石の一番縁だが、明治のころまでは現在の奥戸街道沿いは「原村」、区役所通り沿いは「梅田村」となっていたので、熊野神社周辺が立石村の中心だった。




penntagonn石村の鎮守社だった熊野神社の歴史は古く、かの陰陽師阿部晴明により勧請されたと伝えられている。
陰陽五行説に元づく境内は正五角形の形をしていたという。この五角形を周回することはできないが、今でも周囲の住宅や一部の道路にその名残を見ることができる。





境内拝殿と茅の輪には本殿のほかに『天満宮社』・『浅間社』・『水神社』などがある。
本殿の前には『茅の輪』が設置されている。亀戸天満宮などでは茅の輪が設置される日は決まっているが、ここはフルタイム常設のようである。






もち水神社ろん本殿天満宮社の次は『天満宮社』へ参拝する。
一番奥の『水神社』。その裏は幼稚園の敷地になっている。







『ささざれ石ざれ石』。君が代にうたわれるさざれ石である。見たところ苔は生していないようだ。








何故かちび馬内の脇ではちび馬がふて寝?していた。ここも幼稚園の敷地のようだ。幼稚園が休みなので馬にとっては寝正月なのだろう。







高さ日本一内の奥まったところには『高さ日本一の五重塔』がある。
流石に日本一は高い。但し人が中に入ることはできない。文化財保護のため?、否。青銅製のミニチュアだからである。







立石様2所に立石の地名の由来ともなった『立石様』があるので立ち寄る。
昔は立石様は数メートルもある巨石で重さも数十トンもあるものだと思っていた。その重さのために沈んでしまったのだと‥‥
実際の『立石様』は古墳の石室の素材としてとして遥か千葉の鋸山から運ばれてきたものらしい。
ここから少し離れた柴又には小型の前方後円墳があり、石室が復元されている。その石室を見る限り、立石様の大きさが2尺というのもうなずける。



住宅地の奥まったところにある小さな児童遊園の中の、沈下立石様で沈んだんじゃないかと思うような低い鳥居をくぐると、さらに小さい鳥居と石柱に囲まれた中に『立石様』がほんの少しだけ見える。
囲みの中は周囲より明らかに低い。「囲まれていなかったら完全に埋没してしまっている(沖ノ鳥島みたいなもんだ)」状態だ。
古くは東海道の道しるべともなっており(ということは古墳の石室はばらされたということか?)、地元の信仰対象として大切に保存され、近年パワースポットとして脚光を浴びてきている『立石様』にも願掛けをして帰る。



安倍晴明ゆかりの熊野神社。晴明ゆかりの地は日本全国にある。この人と弘法大師と水戸黄門はほぼ日本全国を歩き回っているようである。学業第一ではあるが、健脚にもぜひあやかりたいものである。

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下野古墳めぐり〜2016走り納め 下つ巻

神徳大神宮富士山古墳臼山古墳から細い谷を挟んで東側の台地の中腹に『神徳大神宮』という神社がある。この裏手に県下最大の円墳『富士山古墳』がある。
最大直径86m。ここも大型埴輪をはじめ複数の埋蔵品が発掘されている。麓から見学ルートがあるのだが、知らないで神徳大神宮に行ってしまった。掃除のオジサンに尋ねたら「ここからは上れないんだ」といいながら「横の灯篭と石垣を乗り越えていくと看板のある場所に行くよ」「県で管理してっけど、上ってもなんもないよ」と教えてくれた。
大神宮様にお参りして帰ろうと思ったが、お賽銭箱がなかったので一礼のみ。どうもありがとうございました。
牛塚古墳2士山古墳から壬生町中心市街の外れにある『牛塚古墳』と『壬生車塚古墳』に行く。両古墳は隣接しており一度に見学できた。
『牛塚古墳』は墳丘長60mの帆立貝式古墳。看板には先ほどの富士山古墳のPRなんかが掲示してあり、特筆するものはない。





壬生車塚古墳3壬生車塚古墳2壬生車塚古墳1かい側の『壬生車塚古墳』も最大直径82mと富士山古墳と並ぶ大円墳である。南側に石室が開口されているようだが、残念ながら今回は見れなかった。
周囲には周濠跡があり周堤を含む径は120mに及ぶ。

『壬生車塚古墳』から壬生愛宕塚古墳2壬生愛宕塚古墳15分ほど走ると『壬生愛宕塚古墳』がある。
墳丘長65mは前方後円墳にしては大きくはないが、周溝がはっきり残っており、見ごたえはある。

次はいよいよ県下最大級の吾妻古墳から、琵琶塚古墳・摩利支天塚古墳と下野有数の大古墳を残すクライマックスとなる。
時間はすでに午後3時。日没の最も早いこの時期は午後4時にはすべての散策を終了しなければならない。

丸塚古墳2丸塚古墳こでトラブル。県道小山壬生線に入らなければいけないところ、下野壬生線に入ってしまった。太陽で判断という古来の方法で軌道修正したが、吾妻古墳への進入路がわからなくなった。
古墳らしき築山を発見したのでそこに向かう。丸塚古墳であった。天平の丘の近くで、吾妻古墳の後時間があれば立ち寄るつもりだった古墳である。
丸塚古墳から吾妻古墳の位置が知れたが、今から戻って散策となると最後の2大古墳を回る時間がなくなる。県下最大の吾妻古墳散策を断念し、次に向かう。

国分尼寺跡国分寺跡塚古墳から、県道小山壬生線に入るとすぐ『風土記の丘資料館』入口の案内がある。この道には『国分寺跡』がある。『風土記の丘資料館』は年末年始の休館となっている。風土記の丘資料館の先に『国分尼寺跡』がある。ここがかつての下野国の中心となった地域だ。
『下野国府』はちょうど思川を挟んで対岸の栃木市にある。なんでこんな大きな川を挟んで存在するのかねぇ。



さて琵琶塚古墳3琵琶塚古墳1、最後に栃木県を代表する2基の古墳を散策する。
『琵琶塚古墳』。最近までは県下最大の前方後円墳として有名だったが、近年の精密調査により吾妻古墳のほうがわずかに大きいことが判明し、「県下最大」の地位を譲ってしまった。それでも知名度ではやはりナンバーワンだろう。墳丘長125m、二重の周溝を巡らせている。墳丘長では都内最大の芝丸山古墳とほぼ同規模である。



発掘調査中摩利支天古墳遠望公園化が進んでおり、昨年あたりから本格的な発掘調査が行われている。
現在も発掘調査の真っ最中のようだ。前方部の中堤辺りを発掘している。
前方部先端から摩利支天古墳が見える。





摩利支天古墳1摩利支天古墳3路を挟んだ反対側に摩利支天古墳がある。思川と姿川の合流部の台地にあり、付近を通る東山道からもはっきりとその威容が見て取れただろう。
5世紀末頃の築造で琵琶塚の前世代の領主の墳墓だろう。






摩利支天古墳2丘長117mは県下第3位。下野国を代表する豪族の墳墓といわれるが、かつて大国毛野を構成する同族で、東国六腹朝臣に名を連ねる下毛野氏なのか。
五世紀末から6世紀後半は、大和で巨大古墳が終焉に近づき、河内大塚山古墳を最後に巨大古墳が姿を消す時期である。そんな時期に摩利支天・琵琶塚・吾妻とどんどん巨大化をつづけた下野国は、大和の支配体制に進んでくみしながら関東特有の独立気運を持った首長たちの奥津城だったのだろう。




本日下野1下野2の走行81.7km
ナビも地図もない状態で、うる覚えのルートと古墳の冊子・地元の案内板のみの散策は、ロス時間と余計な走行を強いられた。やはり知らない土地を効率的に巡るには、ナビまで行かなくとも最低限GPSマップは必需品である。
『吾妻古墳』をはじめ、日程的に見学できなかった『埋蔵文化センター』・『風土記の丘資料館』や『壬生歴史民俗資料館』など見逃したスポットがたくさん残っている。
捲土重来を期す。

来年も古墳ライド・古城ライドができますように。


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下野古墳めぐり〜2016走り納め 上つ巻

おやまあれま年秋から予定していた下野古墳ライド。
転勤・子供の受験・親の入院、そして自分のぎっくり腰のため、ついに年末までもつれ込んだ。
しかしこの季節は古墳探訪にはうってつけの季節だ。

午前6時半、『小山総合公園』到着の計画が8時半を過ぎた。
帰省渋滞の影響はさほどなかった。単なる「寝坊」である。
午前9時、を出発。腰の状況も不安で、全行程110km越えの予定距離を70kmに短縮。湿布とコルセットを装着しての走りだしとなった。

山王寺大桝塚古墳1山王寺大桝塚古墳2は西北西の風である。いきなり向かい風だがこのまま吹けば帰りは天国だ。何もない田畑を道を間違えながら進むこと数キロ。藤岡町の『山王寺大桝塚古墳』が最初のポイント。
墳丘長96mの前方後方墳はかなりの見ごたえを期待したのだが、残念ながらかなりの部分を削取されており、その迫力を体感することはできない。




周囲の築山古墳の回りには何もない。周囲には同規模の産廃残土らしい(もしかしたら古墳かも?)築山が点在し区別が付かない。途中の残土の築山だと思っていたものの一つは、『毘沙門山』という古墳だったようだし。
100m級の前方後方墳は全国でも大型の部類だ。大毛野に連なる下野の豪族に敬意を表すためにも、きちんと整備して内外に誇った方がいいんじゃないの。





巾着山こから都賀町の『愛宕塚古墳』まで一気に北上する。
栃木市街の外れにある独立峰の『巾着山』。流山?ケルンバット??、残念ながら古墳ではない。
市内で道を誤り30分弱のロス。スマホのマップは全く役に立たない。ナビ入れてないし、初期設定を結構いじったからか。






残土山?愛宕塚古墳2愛宕塚古墳1賀町の『愛宕塚古墳』は墳丘長90mの前方後円墳。墳丘上に愛宕神社が建っている。
この付近にも古墳だか残土だかわからない築山がいくつかある。


R2判官塚古墳3判官塚古墳2判官塚古墳193をさらに北上し、鹿沼市の『判官塚古墳』に立ち寄る。
丘長61mは特筆する大きさではないが、保存整備がきちんとしていて、石室も露出しており、結構「当たり」であった。



廣濟寺官塚古墳からそう離れていない集落の中に、円空作、『千手観音菩薩像』の看板。
天台宗廣濟寺というお寺さん。
観音堂は固く施錠されていた。
拝観料500円。守り本尊なのでぜひ見たかったが、時間の関係でスルーする





長塚古墳長塚古墳2生田街道の黒川橋を渡ると、上り坂の途中に『長塚古墳』が見える。墳丘長77m2段構築で古墳時代後期のものとのこと。
ここから亀子塚古墳へ行こうとしたが、道が悪路でしかも袋小路になっている。





看板桃花原古墳か失敗した挙句、遠回りをしたら看板があった。
看板に沿て進み、桃花原古墳に至る。
『桃花原古墳』は周壕を備えた円墳で、直径63mはかなり大きい部類に入る。





前半茶臼山古墳2茶臼山古墳1の(といっても午後1時を過ぎてしまったが)最大ミッション、国指定の史跡『茶臼山古墳』に向かう。案内板の地図は簡略しすぎて自転車で走っていたらよくわからん。
ここも数度のチャレンジで侵入口を発見。案内板のところまでも車では来られない。
真冬でも道に迷いそうな林の道を上っていく。しばらく上ると看板のある広場に出る。


MTB専用茶臼山古墳3いつはすごい。看板の遥か上に墳丘の頂上が見える。看板の前の高い土手は周堤で、その内側に深い周溝が巡っている。周堤を含む全長は140mにもなるようだ。
埴輪や大型の須恵器などが発掘されており、規模からしても相当の権力者が埋葬されたと思われる。
しかし、県を代表する古墳の一つなんだから周辺整備をもう少しやってもらえないかねぇ。これじゃあ夏はとても来れたもんじゃない。

もし自転車で来る方がいたらMTBをお勧めする。


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初めてスマホ割

F-09B用のガラケーF−09Bがいよいよダメになってきたので、遂に機種変更をすることにした。
『らくらくホン』というだけあって流石に使いやすかった。11月にFOMA販売中止が発表され、本来はこれからがガラケー所有のレアプライドの真骨頂なのだが、SPモードでガラホが幅を利かせるとガラケー持ってる希少プライドが希薄になるし、同じく不調のデジカメの代用にもしたいので、とりあえず使用実績のあるものを基本にした。





iphone7plus (2)しい機種は『iphone7plus』。初めてスマホ割対象?である。iphoneにしたのは以前職務上持たされていたのがiphone6で多少使い慣れていたのと、不調になったデジカメの代用にした際、画像がデジカメよりきれいだったのが理由だ。7plusにしたのは4.7インチでは文字を打つのがつらかったのと、7plusでもポイントとその他割引を使い1/3ほどの値段になったので、デジカメとガラケーの2機種を買うのとあまり変わらかったからである。
ガラケーの使用料が安いといわれるが、親父の現契約ではトータルで2,000円ほどしか変わらないし、外で使いまくることはないし、家でも基本SMSと通話くらいだから当面は基本アプリで十分だろう。



届い歴代phoneたiphone7plusを見ていささかビックリ。特に現物を見て決めた訳ではなく、手続きが安いので店頭でちらっと見て通販で購入した。店頭ではあまり気にしなかったが、実際こんなにデカいの!。
以前使っていたiphone6が4.7インチなので、カミさんと同じくらいのがいいと思っていたら、カミさんのは5.2インチサイズだった。
『iphone7plus』大きさは我が家の玄関についている『アイホン』と変わらない。




F-09Bp700ip209isf203歴代2うどなので歴代のケータイを並べてみた。







現存していない初代携帯『F−203』。97年ころの購入。
2代目『P−209is』、2001年購入。今でも最も気にいったデザイン。光るアンテナが結構はやった。
3代目『P−700i』FOMAになった。
そして4代目『らくらくホンF−09B』。扱いやすさでは一番よかったがカメラ機能は付録程度だった。


iphone7plusして、5代目のiphone7plus。薄さを除くとF−203の倍はある。
クリスマスイブに合わせて開通。流石きれいな画面には感動する。
画面が大きい分iphone6より文字は打ちやすいが、やはりガラケーのプッシュキーのほうが打ちやすい。手の小さい親父にはワンチャンスを素早く撮影というのは難しそうだ。サイクリングでは橋の上や水辺での撮影に使うのでガラケーのように気休めのストラップをつける。位置情報を入れた地図を入れておいたらGPS替わりにはなるかな。
でもこうなると『Phone』とは言えない。通話機能がある意味付属なのだから。
デカいとは言え、この画面でゲームや映画を楽しもうとは思えない。デジカメ替わりとしてはちょっと高いけど、家族シェアで5Gじゃほとんど親父は使えない。
カーナビもMP3プレーヤーも調子悪いから、けちらずまとめて代用できるかな。
何せ『スマート』には『賢い』とか『多機能』という意味があるのだから。


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スポーツ電チャリ考

YPJ−Rイクルモードにいって『ヤマハYPJ−R』を見て、乗って結構な衝撃を受けた。電チャリもここまでスマートになっているんだねぇ。
ジテ通から車通勤になった影響が大きいのかこのところの体力減と体重増が著しい。
自転車は鍛えるためや、フィットネスとして乗っているわけではない。何か目的を持って新しい発見もしたいし。何より終わった後に楽しかったなぁと思えるのが趣味サイクリングである。
持病もちの親父にとって、高いパーツは『早く走る』ためのものではなく非力なパワーをいかに有効に推進力にしてくれるかであり。車重にこだわるのも多様な使い方に対応するツールとしての手軽さとしてである。

『電動shimano-ultegra-di2でアシストするのは邪道だ』とのこだわりを持ってるサイクリストは多いだろう。かくいう親父もその急先鋒であった。体力もない、坂も上れない、長距離ではバテバテ。でもどんなコンディションでも「電チャリだけには負けたくない」とムキになったものだ。
だがこれも考え方だが、当の本人も含め、漕ぐことをアシストすることを邪道としてさげすむ輩が、なぜシフトをアシストするDI2を邪道と非難しないのかという矛盾(正直当人は興味なく無用と思っているだけだが)。自転車の駆動系が人間の動力をサポートするものなら、どちらも同じである。違いといったらそのスタイリングの自然さとコンパクトさだけである。
ディレーラーにおっきいモーターが付いていたり、でっかいバッテリー積んでいたら電動シフトは電動アシスト同様に非難される的だろう。


Vivax Veloceポーツ電チャリがE−BIKEとしてスポーツサイクルの中に広く普及している欧州ではこんなものもあるようだ。
どう見ても普通のロードバイクである。
これはシートチューブ内に駆動モーターを後付けするアッセンブリーで、何と給水ボトルがバッテリー。コントロールスイッチがバーエンドについている。バッテリーを含んだ重量は1.8kg。ベースのセット価格は10万円しないようだ。
DI2を非難しない人が、これを非難できるだろうか。うちの自転車につくのなら親父は素直に「ほしい!」と思う(但し、取付けられる自転車にはいくつかの条件があるようだが)。

サイクルモードでヤbenelliマハブースの隣にあったBENELLIの『TAGETE27.5』。べネリってオートバイの老舗である。
7時間充電で100km走れるアシストを備えたE−MTBはフロントWサスペンションにディスクブレーキで22kgとこれも軽い部類に入る。198,000円





BESE PS1ESVの『PS1』。カーボン製のミニベロである。
BSの名車、シャフトドライブ・カーボンモノコックボディー・Wサスペンションの『トランジットT200CS』の復活を思わせる精悍なデザイン。15年前そのもののデザインは今見ても前衛的だ。
3.5時間の充電で60km走るアシストで17.4Kg。276,000円。
せっかくカーボンなんだし、この価格ならあと2kgは軽量化してほしい。まあ、ひと昔前の激安ミニチャリはみんなこのくらいの重さはあったけど。



Road E +2ャイアントでヤマハYPJ−Rのパワーユニットを積んだE−バイクが『ROAD E+』。YPJと同じユニットを使ったジャイアントの回答がこれだ。
日本未発売。英国の価格で308,000円くらい。
スペックは未定だが、電動ロードに否定的な方々に選択してもらっても、大方の方はこちらを指すだろう(アルテグラクランクはハッタリみたいだが‥‥)。
保守的な親父が見ても、Eバイクの分野では日本は明らかに後進国だ。否、保守的だから遅れをとっているのだろう。


YPJ-R2んな日本で、やっと親父が「欲しいな」と思える電チャリ(これならE−BIKEといってもいいかな)に出会ったわけだ。
230,000円はちょっと手が出しにくい価格であるが、105を使って15kgの車体は欧州車にも対抗できるだろう。





YPJ-R3コンパクトクランクあ、ここまでやるならもう少しなんちゃってに徹してほしい。精悍なスタイルにこのクランクセットはとてもミスマッチ。せめて外観は偽でも『HOLLOWGLIDE』っぽくしてほしいし、バッテリーは上記の『VIVAX ASSIST』風のなんちゃって給水ボトルみたなものがほしい。パワーユニットはごまかせないから単なるご愛敬だが。
さしずめYPJは、車体とバッテリーを極限まで軽量化し片道だけの航続距離とし、出撃したら帰ってこれない。日本が生んだE−BIKE界の『神風』である。これが投入されて1年。戦局は好転しているのかなぁ。

でもハブダイナモとか、クランクモーターを逆用してアシストオフ時に自己充電する仕組みってできないものだろうか。
それなら必要時のパワーアシストは自分の脚力の貯金みたいなものだから、人間の力を有効に引き出すという自転車機能本来のあり方に叶うと思うのだが‥‥。

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結局きました『サイクルモード2016』

サイクルモード2016年散々ケチつけて「今年はやめよっか」と思ったサイクルモードだが、結局来てしまった。
今回は特に見たいもの・ほしいものがあるわけではないので特に焦点を定めずにぶらつくことにした。







スペシャライズど復刻?期せぬ朗報というか、事前には気にもしていなかったが今回は『スペシャライズど』が出展していた。最初に来た頃は出展していたと思うので、もう5〜6年ぶりか。
こじんまりしたブースだったが、いずれにしろ大手メーカーの復活は喜ばしい。






CUBE1ルツルの細いタイヤは性に合わないので見るものは大体シクロかグラベル系になる。
入ってすぐに目を引いた『CUBE』というドイツのメーカー。日本では並行輸入くらいしか取扱いがないようだが、今回正式な代理店から投入されるようだ。
CUBEのシクロモデル。これはかっこいい。今回のぴか一はこれか。





GPS近GPSのCM11の調子が悪いので何かいいものはないか物色。ミズタニのブースにパイオニアがあったのでぽたナビを見ようと思ったがなかった。今でもやってはいるがほとんど出ないというスタッフの逃げ腰な回答。最近は自転車のナビってあまり聞かないからねぇ。
ぶらぶらしているうち、ポラールのブースで見つけたのがPROシリーズの『V650』。これはCM−11とほぼ同じ機能を持っているうえ。独自の地図でルートを作成しインプットできるようだ。30,500円という価格は魅力的だ。




コマンドシフター復刻?シガイのブースで見つけた『今回の気になるパーツ』。どっかで見たことあるようなシフター。サンツアーのコマンドシフターだ。
展示は試作品で、さらに改良して10S・11S対応も予定しているようだ。セーフティレバーに続き、STI主流の中でまたもビンテージタイプのパーツの復刻である。





バンディーハンドル東京サンエス京サンエスのブース。ずいぶん小さくなったような気がする。
今回はバンディハンドルを見せてもらった。
フリーマーケットの投げ売りみたいになんかもうどうでもいいように置かれている。「150円」とか値札が付いてないかなーなんて感じ。





コーコーダブルーム試乗ダブルーム(親父にとってはホタカ自転車なのだが)で『FARNA』に試乗。アルミロードの最軽量クラスらしい。
「STI使ったことありますか」と聞かれて思わず「ありません」と答えてしまった。使い方を知らないわけじゃないけど、実際所有のバイクはすべてWレバーである。
とにかく指でもてるくらい軽い。これだけ軽いと担いで山登りできる。アルミバイクまだまだいける。





ヤマハの電チャリロード試乗しましたコーナーで何気なく見ていたら試乗を勧められた。『YPJ−R』ロードタイプの電チャリである。
鍛えるために自転車に乗っているわけではないが、電チャリだけには負けたくないとムキになっていただけに、自分が電チャリに乗ることには抵抗がある。
YPJ−Rは外観はロードそのもの。メインコンポは105でバッテリーも小型でボトルケージダボにツールケースが付いているようなイメージ。デザイン的には電チャリ独特の違和感は少ない。




1回電チャリロードのサイクリングで100kmは走るのに、バッテリーが20kmくらいしか持たないのでは使えないと思えるが、YPJ−Rは車重も15kgそこそこ。我が家のSOMAと3kg強しか変わらない。しかもコンポは105なのでノンアシスト状態でも十分走れるとのこと。本当につらい登坂や強い向かい風時のみアシストを使うと考えれば十分行ける。しかも親父好みのアルミ製だ。あくまでも楽しく走るには魅力的だ。
何かとても後ろめたさを感じながらも、非常に心を動かされる1台である。




今回ガゼル乗りましたは『OXガゼル』にも試乗した。思ったより軽くてなめらかで乗りやすいバイクである。STIのブルホーン仕様はミニではどうしても頭でっかちのスタイルになってしまうが、ミニはハンドルがクイックなのでドロップよりブルホーンのほうが扱いやすいだろう。
やはりほしい1台である。





やっぱありました。レーシングミクはり今年もありましたねぇ








地方のブース?地方のブース?か県や地方のブースとか、グルメコーナーとかコンセプトエリアなんかがやたら多くなってきたような気がする。それはそれで楽しくていいんだけど、それらはあくまでおまけであって主ではない。主でないもののスペースが多くなりすぎると明確なテーマがない限り、展示会そのものがまとまりのないものになってしまう。




もう見ケバブじゃケバブがあったものもないから、イオンモールでケバブ食って帰ろうと思った矢先、何とケバブが来てるじゃない。
今回のテーマはっきりしてるじゃないか「自転車に乗ってケバブを食べに行こう!!」。
フードコートの出店も載せてくれていれば、外で飯なんか食わなかったのに‥‥
来年もぜひ出店してもらいたいものだ。昼飯デザートまで食べてしまった後だったので、ドンドルマ(親父お勧めの伸び〜るアイス)まで食べられなかった。




この空きスペースは?回は全体的に出展ブースが縮小した感が強かった。ブースのセッティングは面積に乗じるコストがかかるからしょうがないのかもしれないが、この空きスペースはなに??


PS
コレクションしていたシマノのA4サイズカタログがデジタルに変わってしまった。時代かもしれないがこれは寂しい。

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IQレポート

我が愛車も6回目の車検となった。
IQ1回はスケジュールの関係で1週間の入院となるので、ディーラーに代車をお願いした。
「ちょっと小さいですけど」と言われて出てきたのは『IQ(知能指数か?)』という車。
何この可愛い車、面白そう。どう見てもチョロQだ。
プレミアムコンパクトカーというコピーで、スマート路線を狙った車である。





寸詰まりが5ナンバーフルサイズの1680mmあるのに、長さが2985mmしかない。国産車ではミドルクラスのプレサージュは4840mm。ヘッド位置を合わせるとこんな状態。
同クラスのリッターカーと比べても明らかに寸詰まりである。








前座席前座席は小柄な親父からするとそこそこ広い。乗ってみるとIQは低かった(知能指数じゃないぞ)。
バケット型の低くて深いシートはちょっとスポーティーだが、プレサージュのようなシートリフターがないので、腰痛もちの親父にはちょいときつい。
ナビにAUXINがあったので、いつものMP3を聞いてみる。結構いい音。プレの誇るスーパーサウンドシステムよりよかったりして‥‥?
装備こそ少ないが質感はプレサージュよりもいいくらい。流石トヨタというところか。



そし後座席て外見からの予測以上に悲惨なリアシート。家族で買い物に出かけたが、大人3人は超きついうえに買い物の荷物が入らずに大顰蹙!。まあ、このサイズで4シーターということが奇跡といえる。二人乗りを前提にすればそこそこ広いラゲッジだが‥‥。






IQ2りはエコモードはどうにも走っていかないが、エコを解除して踏み込むとそこそこ速い。
小回りがめちゃくちゃ効く。普段必ず切り返しするところを1発で回ってしまった。正直軽より小回りが利く。ハンドルはクイックすぎるくらいで、痛い腰をカバーするたび車がロールするので首都高では怖かった。
コンパクトカーとしては面白い車だが、残念ながらフルサイズバイシクルはばらしても乗せられないのはオヤジ向きではない。





奇跡だして一番の奇跡は燃料計。
街乗りで180km乗ってもメーターが下がらない。メーター壊れてるんじゃない。
氷山と接触したタイタニックと同じくらいの速さで沈んでいく燃料メーターのVQ35からすれば、まさに浮沈メーターだ。リッターカー恐るべし。
残念ながらIQは今年の春に生産中止となっている。
1週間弱だったが面白い体験ができた。乗るたびに『ラックル速溶錠』が必要なのにはちょっと困ったが。

しかし、自分の車が戻ってきて運転席の座った時は「やっぱりこれがいいわぁ」と安堵。内装がちゃちかろうが、オーディオの音が多少悪かろうが、魚雷を食らったルシタニア並みの速さで燃料メーターが沈んでいこうが(これは大げさか)、自分の車はよいものだ。




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加瀬山(消失古墳ライド再び)


神奈川県には大型古墳がないからつまらないというイメージを僅かながら変えたのは、先年90m級の逗子長柄桜山古墳をライドしてからである。探訪基準の100m以上のものはないが、神奈川県にも70〜90m級のものがいくつかある、近隣サイクル古墳探訪としては最後の宝庫もである。
今回はぐっと近い川崎の加瀬白山古墳に行く。

R1多摩川大橋を渡る。
新川方面R1多摩川大橋川は関東でも十指に入る大河川であるが国境をなしてはいない。対岸の川崎市も律令国制では武蔵国である。
この大河川をもってしても国を分かつ関とはなっていないことを考えると、武蔵・下総国界だった古利根川・古隅田川などは当時どれだけの大河だったかうかがい知れる。
新川の高層ビル群の後ろに目指す加瀬山台地がある。



橋をリバーサイドカフェ渡ったR1の上流側に『多摩川交流センター』なるものががあった。建物右側は『リバーサイドカフェ』なる喫茶コーナーになっていた。今日はあいにく腹の調子が悪く。コーヒーのリスクが高いので断念。捲土重来を期す。
今日のコンディションにぴったりの『ガス橋通り』を排ガスを放出しながら突き進む。






『加加瀬山瀬白山古墳』を含む『夢見ヶ崎古墳群』があるのは通称『加瀬山』。多摩丘陵より続く下末吉台地の最突端にあり、矢上川で他の台地と寸断されているため独立峰のように見える。
川崎の『ギアナ高地』と呼ばれているかは定かではない‥‥。




動物公園2動物公園地上部は動物公園になっていた。
駐車場も無料、入園料もなし。近隣の子供連れには絶好のプレイスポットだ。







浅間神社くつかの加瀬山3号墳寺社があったが、小高い盛土の上に鎮座しており、これがみな古墳になっている。
麓や中腹にも古墳が点在しており、3号墳は石室が修復保管されていた。






天照皇大神宮2照皇天照皇大神宮大神宮でお参り。ここも円墳の上に社殿が鎮座している。








加瀬白山古墳的の展望台『加瀬白山古墳』は台地の西側中腹あったとされる。「される」というのは、『加瀬白山古墳』を含む周辺の台地は開削のため消失しているからである。
富士見展望台の看板には西側の森が白山古墳跡との掲示。
かつてはあの森まで台地が緩やかに伸びていたのか。




消失部分加瀬白山古墳下りて森の周囲を回る。墳丘長87mの古墳は県下でも最大級に当たるが、後円部をわずかに残し、前方部はほぼ開削されている状態のようだ。
勿論史跡として整備されているでもなし、私有地のため立ち入りもできない。
これが古墳跡かは判断しずらい。この小山が白山古墳としているのは富士見展望台の案内板だけで、他の資料では完全に現存していないとか、位置も100m以上東の白山幼稚園周辺であるとされているからだ。



加瀬山周辺古地図れ以上の侵入はできないので、
この付近でもう一つ、同時期に消失したという観音松古墳跡地に行ってみる。
現存していた時代の地図で見ると、古墳は現在の矢上小学校の校舎から慶大グランド辺りにあたる。






矢上川上川の観音松古墳跡地2遊歩道に沿って丘の北側に回る。
矢上川は思ったより自然っぽい川で、市街地の河川ではあるが、イメージよりきれいであった。
しかし、50儖幣紊呂△蹐Ω颪侶伽犬呂い辰燭い覆鵑澄?。神社の池のようにあふれかえっているぞ。




新幹線岸へ観音松古墳跡地渡ると、台地北面の全体像がとらえられる。
切り立った台地の高さは、高架線を走る新幹線がそのままトンネルに入ってしまう程だ。
県下では最も古い部類とされる軸長90mの『観音松古墳』はこの台地の南東部にあったようだ。
こちらは名前の由来となった観音松とともに完全に消失したしまっている。夢見ヶ崎古墳群とは1kmも離れていない。両古墳は不可分の関係にあったのだろう。

多摩川台りは綱島街道から丸子橋を渡る。
丸子橋からは多摩川台古墳群が見える。ここには107mの亀甲山古墳・97mの宝来山古墳はじめ多くの古墳が現存する。
夢見ヶ崎古墳群とは、多摩川低地を挟んで対峙する関係となる。武蔵国造の乱以前は、武蔵国南部の豪族がその地位にあったという。両古墳群の盟主は同族だったのか、それとも敵対勢力だったのか。





五反無名古墳やっぱ東京タワー田でR1に合流し東京タワー下を通る。
タワー下、増上寺裏手にも消失古墳(史跡指定はされている)がある。全長125mの芝丸山古墳と相似関係にあり、前方部は駐車場となっており後円部は墓地として開削されている。古墳としては100m級の大型古墳であったと思われる。





消失古墳日の走行 64km
古墳を実体験することはできなかったが、在りし日の威容や相関関係を想像しながらのツアーは面白かった。


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豊洲から築地へ

スー豊洲市場2パービバホーム豊洲にお買い物のついでに、久々に豊洲市場を通ってみた。
おやじが駆け出しの営業マンで清掃車の埃にまみれたこの地域を回っていたころ、ここには東京電力の発電所や東京ガスのガス工場があった。
工場閉鎖後、ここは東京でも数少ない広大な荒野『OUTBACK』が残った。ここが福島第一原発の放射性残土なんて問題にならないほど有害な土壌だってことはわかっていたことだから、市場はきっと来ないと思っていたら、気が付いたらあっという間に突貫工事で作ってしまった。



今、豊洲市場1OUTBACKほんの名残り話題のスポットだから報道関係など結構いるのかと思ったが、ほとんどが工事関係者と警備員だった。世間の騒ぎには関係なく、末端の工事は進んでいる。
土壌汚染と地盤の問題は計画以前から指摘されていることだった。まあ、『何をいまさら』って感じだ。
いっそのこと福島県で処理に困っている放射性残土で地下を埋め戻したらどうだろう。今豊洲が抱えている危険性から比べれば遙かに安全である。


豊洲市場豊洲全景っかくだから高いところから眺めるのもいい。レインボーブリッジまで足を延ばす。
本当に東京港のど真ん中だね。
少し傾いている?きちんと岩盤までくい打ちしていないのかな‥‥??





東京タワー京に飲み込まれそうになっている東京タワー。最近よく遊びに行くが、テレビ局の放送料収入がなくなって、経営はきついんだろうな。
おやじが生きている間は頑張って立っていてもらいたいものだ。






足かせ付パネル写真のエントランスのところに、橋ができたころのパネルがあった。自分が記憶にあったのは昭和60年くらいまでだが、工場は平成になってもあったんだね。
本日のお供は『SOMA嵯峨』。レインボーブリッジは足かせをはめられて押し歩きである。




やっちゃ場りは築築地市場地を通る。『築地』といったら『魚河岸』のイメージだけど『青果』もやっている。
以前は、アキバにもやっちゃ場(居酒屋じゃないぞ)があった。ここのが近いのだろうが、大田市場に移転統合になった。





勝鬨勝鬨橋橋を渡り、何時も『ないとらん』で写真を撮るお気に入りのスポットで昼間の写真を撮る。勝鬨橋は今でこそ個性的に隅田川を彩る橋の一つに過ぎないが、開通当時は『東洋一』を誇った大跳開橋だった。幼いころ、この橋を路面電車で通った記憶があるが、残念ながらこの橋が開いているのを見た記憶はない。






お気昼間の夜景に入りのスポット。夜景がとてもきれいなところである。
高層ビル群の照明と奥の東京タワーのライトアップ。その手前で煌々と明かりがともって活気のある市場。
その明かりも消えてしまうのは残念。
今回はラッキーにも卑弥呼との2ショットとなった。
奥には外堀通りから伸びる環状2号の築地大橋が見える。でもこれって築地市場が移転しないと開通できないの?。
頑張れ築地。移転なんて蹴っ飛ばせ。
豊洲移転でまごついているうちに、千住の『足立市場』が虎視眈々とその地位を狙っているぞ。

本日の走行 26km 
岩槻以来自転車に乗るのは40日ぶりである。これだけのブランクは病気療養以来だ。

10月1日訂正
あの船は『ヒミコ』ではなく『ホタルナ』であるというご指摘を受けた。
そういう姉妹船があったんですねぇ。同じ松本零士氏のデザイン。似ているわけだ。
お詫びして訂正します。

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我が闘走

ママチャリと安いハイテンミニサイクルからちょっとスポーツフォールディングらしい『トランジットセブン』を購入したのは学生時代のクロモリランドナーを手放してから実に30年ぶりだった。

トランジット7 TS207S−7を購入したのは2008年。2007年製造中止のデッドストック品だった。
http://livedoor.blogimg.jp/zg40kome-transitseven/imgs/0/6/06cb9374.jpg

TS−7から始まった今までの主な走行を書き留めてみた。

タイトル 走行日 目的地 走行距離 使用車両
東京古墳めぐり 2009/6/7 都内 67.0km トランジット7
城北ポタリング2 2010/3/14 岩淵水門 64.0km トランジット7
東京古墳めぐり番外編 2010/4/17 都内   トランジット7
お台場周回 2010/5/22 お台場 49.0km トランジット7
印旛沼サイクリング 2010/6/3 印旛沼 96.0km トランジット7
 
       
浦安ポタリング 2010/8/21 ディズニーリゾート 31.0km MR−4
大横川紀行 2010/10/2 松伏 85.0km MR−4
ユラリユララ‥‥ 2010/11/3 水元公園 52.7km MR−4
台場をめぐる 2011/3/5 都内 43.4km MR−4
臨港貨物線ポタ 2011/4/17 晴海   トランジット7
羽田に行ってきました! 2011/5/3 羽田 69.0km MR−4
水郷ポタ 2011/6/4 潮来周辺 45.3km MR−4
武蔵国激暑輪行  2011/8/14 秩父〜東松山 82.4km MR−4
2011/8/15 行田〜東京 89.4km MR−4
荒川CR奇行 2012/3/24 荒川 52.0km AC−02
彩湖桜めぐり 2012/4/7 彩湖 64.0km AC−02
九十九里CR 2012/5/3 上総一ノ宮 70.0km AC−02
荒川RMR 2012/5/12 岩淵水門 58.0km MR−4
朝らん幕張 2012/5/20 幕張 64.0km AC−02
利根輪行 2012/6/30 関宿閘門 108.0km MR−4
多摩丘輪行 2012/7/28 青梅・多摩湖 92.0km MR−4
奥多摩輪行 2012/9/22 奥多摩 114.3km MR−4
印旛・花見川輪行 2012/11/3 印旛沼・幕張 92.0km MR−4
初出社・初走り 2013/1/1 昭島 114.0km MR−4
彩湖試走 2013/2/2 彩湖 70.0km AC−02
第一次城山攻略 2013/2/16 府中 69.5km AC−02
第二次城山攻略 2013/3/9 津久井湖 149.9km AC−02
宮ヶ瀬輪行 2013/3/23 宮ヶ瀬ダム 106.2km MR−4
養老サイクリング 2013/4/20 養老渓谷 80.3km AC−02
藺沼(いぬま)試走 2013/4/27 手賀沼 93.2km AC−02
荒川CR 榎本牧場まで 2013/5/4 桶川 122.0km AC−02
九十九里 海と古墳 2013/5/25 九十九里・芝山 126.0km MR−4
上海上・須恵国古墳めぐり 2013/6/29 木更津・富津 107.5km AC−02
西浦古墳めぐり 2013/9/28 霞ケ浦 125.0km AC−02
奥多摩輪行2014 2014/4/12 奥多摩 103.0km MR−4
牛久大佛に行く 2014/4/25 牛久大佛 129.8km MR−4
太田輪行 2014/5/3 太田 129.3km MR−4
月の沙漠まで 2014/6/20 御宿 96.1km MR−4
雄蛇が池 2014/7/5 雄蛇が池 130.0km MR−4
狭山丘陵周回 2014/8/9 狭山湖・多摩湖 120.0km MR−4
筑波走破そして未完走 2014/8/23 筑波山 91.0km MR−4
須恵国古墳めぐり再び! 2015/1/24 木更津・富津 75.6km MR−4
荒川CR川越まで 2015/2/27 川越 121.0km AC−02
冨士山に行く 2015/3/15 鎌北湖 82.0km MR−4
長柄桜山古墳 2015/4/29 逗子 129.0km AC−02
見沼通船堀 2015/5/3 見沼通船堀公園 71.0km AC−02
クリッカー恐るべし 2015/5/6 彩湖 71.0km MR−4
SAGA 4 2015/6/27 彩湖 80.0km SAGA
水郷再び 2015/8/8 鹿島・銚子 133.2km MR−4
江戸川サイクリング 2015/8/12 関宿・手賀沼 145.0km SAGA
今回は辛口 2015/11/7 幕張 55.0km MR−4
一般参賀〜五色不動 2016/1/2 都内 55.0km SAGA
サクラサイコ試運転 2016/3/20 彩湖 72.0km SAGA
北浦周回 2016/4/16 北浦 108.0km SAGA
藺沼サイクリング再び 2016/5/28 関宿・手賀沼 144.0km SAGA
那賀・久慈古墳めぐり 2016/7/2 水戸・常陸太田 97.0km MR−4
内房プチ輪行 2016/7/16 金谷・浦賀 49.0km MR−4
BMC 岩槻へ 2016/8/20 岩槻 92.0km AC−02


北浦大橋復活BMC復路鹿行大橋*











 
は上司から『心労とかいってそんな自転車で100kmも走ったから心臓がつまったんだろう』なんて言われる羽目になった日。
それってパワハラだろ!。

そして自転車に乗れる体に戻った時、サイクリングの目標距離は100kmになっていた。
しかし、同時にそれは20kgにもなるママチャリを自在に乗りこなす気力を失う機会でもあった。

そしMR-4F2010て、それは入院中に自転車雑誌で出会った『MR−4』を購入しようと思ったとき。
そして、それは封印された学生時代の記憶。ママチャリのチョイノリでは味わうことのなかったサドルとの闘いの復活のとき。


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サイクルモードへ異考!

mv_titleの気配を感じるようになると、そろそろサイクルモードが気になってくる。
今年も11月4日(金)〜6日(日)の3日間で開催される。

http://www.cyclemode.net/

懐古趣味ではないが、新しい車がとても異様でグロテスクなものに見えてきてモーターショウに興味がなくなってから十数年経つ。代わって足を運ぶようになったサイクルモードもすでに6年た経つ。

すでに自分のバイクも自転車史の過去の1台になって久しいが、車と違って自転車はパーツの組み換えでオリジナルを作ること、古い仕様を新しい潮流へ乗せることの簡易度は車の比ではないことが唯一の救いであるといえる。
そんなわけでサイクルモードも主眼点は自然とパーツになる。

出展者はまだ未定のようだが、2015年は正直期待外れで、早々に引き上げてしまった。今年も休みが取れれば行きたいとは思うが、出展者をよく見ていかないと、当然出展しているだろうと思っていたブランドやメーカーがなくてがっかりするのは嫌である。
1坪くらいで一人がぽつんと座っているブースはともかく、そこそこのスペースを構えてブースづくりをすると経費としては最低でも数千万はかかるはずである。自転車業界の中小企業では決して安い出費ではないだろう。
ベンチャー的企業が多くなっているのは、自転車の多様性とも言えなくはないが、

モーターショウはその時々でけん引役が替わってくる。スポーツカー・4駆・SUV・ミニバン・コンパクト・エコカーなどなど。その時の人気マーケットが他を圧巻し隅に追いやってしまう。
自転車ショウはそのけん引役は常にロードバイクである。もちろんフォールディングやクロスバイクがブームになった時はある。しかしそれらがロードバイクを圧巻したことはない。
最近はシクロの盛り返しや、コンフォートタイプ・グラベルロードの台頭などアンチバリローには結構楽しいネタも増えてきたことが唯一の救いか。

i_event_03ベント紹介で『シックスホイールスタイル』なんてのがあるようだ。
親父には数年前から当たり前のサイクルスタイルだが、昔は雪山や海に行きもしないのに、スキーやスノボ・サーフボードなんて積んだ『シティー〇〇』なんてのがいっぱいいたよね。今後はサイクリングにもいかないでピカピカロードを屋根に積んだ『シティーサイクラー』なんてのが街中に氾濫するのかな。
うちの空母は700Cをそのままラゲッジに放り込めるから、ハッチを開けなければ自転車積んでるなんて見えないし、天井を気にすることもないが、なれないシティーサイクラーをやるひとはファミレスやショッピングモールの入り口には注意しようね。

スポーツバイクに興味のある人は一度は見に行くことをお勧めするが、モーターショウ感覚ではいかないほうがいい。パンフレットは『もらう』んではなく『買う』のですよ。

まあ、サイクルモードは早々に切り上げ、帰りに船橋辺りでワイズとセオサイクルを見て、さらに足を延ばしてジャイアント・トレーク・スペシャライズドのコンセプトストアまで回ったら、初めて「自転車ショウを見てきました!」って言えるのだろうか。
空きブースが増えるのならその分会場内にサイクルカフェでも作ってくれるといいんだけどね。

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BMC 岩槻へ

置き場復活BMCCIMG9548がないため、組んだまま狭い部屋で展示品となっていた『BMCアルペンチャレンジAC−02』。我家の最軽量バイク(といっても10kgを越えているが‥‥)をやっと再始動する。
最近極度の運動不足と体重増で、100km前後で音を上げる情けない状態なので、AC−02試運転を兼ねて岩槻に行く。
朝からうだるような暑さの中、久々のツリーと1枚。最終的にサドルとタイヤを変更。少しグラベル風雰囲気になった。



北千住か河川沿い遊歩道らR4元荒川を元荒川までひた走り、元荒川沿いに折れて岩槻を目指す。元荒川が文字通り荒川本流だったころは、倍以上の川幅があったろう。
土手を利用した遊歩道があり、のんびりサイクリング気分が味わえる。






金剛院山門業用のダムである末田須賀堰に出る手前に、立派な山門があった。『金剛院仁王門』は将軍徳川綱吉の生母桂昌院からの寄進を受けたものだそうで。左右の見事な仁王像は岩槻市(現さいたま市)指定文化財になっている。







BMC末田堰止湖?須賀末田須賀堰堰』によってせき止められた川筋は湖沼のような雄大さを見せている。
小さな公園の木陰でチョイ休憩。






まず浮城は岩槻サイクリングの第一ミッション。岩槻城の攻略から始めよう。
『岩槻城』は太田資清により築かれたとされ、当時の荒川流路を総構えの一部に利用して、周囲を沼で囲んだ浮城である。城構えはあの『のぼうの城』忍城を彷彿させる。北条攻めの際の城の明暗ははっきり分かれたが、城を生かすも殺すも人次第ということか。





岩槻城黒門岩槻城空堀址公園として残っているのは『新曲輪』・『鍛冶曲輪』という後に北条氏によって築かれた出丸だった。ここは土塁や空堀が残されている。今でもかなり深いが、当時は今よりさらに深く、土塁も高かったようである。
公園内には『黒門』という当時の城門が保存されている。一度は浦和に移され埼玉県庁の正門になっていたものが岩槻市に「払い下げ」になったという。この説明ちょっと違和感を覚えるのはおかしいだろうか?



懐かしい車内東武特急『きぬ』い公園敷地の大部分はかつての沼濠であり、その名残の菖蒲池を回ったところに『東武のロマンスカー』といわれた特急『きぬ』の車両が保存されていた。
なっつかしい〜。子供の頃、新幹線『ひかり』を筆頭に東武の『きぬ』・『けごん』、小田急の『ロマンスカー』、近鉄の『ビスターカー』は憧れの列車であった。今なら車で4時間程度の会津若松まで板張りベンチシートの『夜行急行ばんだい』に一晩揺られた時代である。
思わず乗り込む。中は冷房が効いていて涼しい。この懐かしいレトロな客席でおベントを食べたくなったが、「飲食禁止」であった。残念。

人形の博物館りあえず、城址公園を後にして第二のミッション、人形の博物館に行く。
まだ娘が赤子の頃、今のひな人形を探しに岩槻に訪れた。家から浅草橋はすぐなので足繁く通ったが、どうしてもよいものが見つからず、「人形だったらやっぱり岩槻だろ」ということで、かみさんと一緒に歩き回った。数軒回ったところでカミさんがここがいいといったのは小木人形という店だった。今でも口コミ評価は高いようで、人形選びだけ?はカミさんの目に脱帽。




さて、人形人形の博物館2人形の博物館1の博物館は、岩槻駅前の東玉総本店4階にある。写真撮影禁止なので東玉のサイトより画像をお借りする。
当日は受け付けもいないで、署名と入館箱に300円入れて自由見学。一人しかいないところでじっと人形を眺めていると、笑ったりウインクされたりしそうで、ちょいとミステリアス。古い人形は顔立ちからしてそんな雰囲気を醸し出す。




人形岩槻大師弥勒寺の博物館を見た後で、第三のミッション、岩槻郷土資料館に行く。薄ら覚えの地図しか記憶になかったので、うろうろしている間に『岩槻大師』というお寺の前に来た。
なんとなくお参り。すると大師がお知恵を授けてくれた。「駅前に交番があったからそこに戻って尋ねよう」。
駅まで戻り交番で聞く。郷土資料館は大師への参道を曲がらず少し行ったところであった。「だったらそのように授けてくれよ‥‥」と思ったが、やはり楽な道を授けてはいただけないものなのだ。




『岩郷土資料館槻郷土資料館』。建物そのものが展示品のような感じだが、実際旧岩槻警察署の旧庁舎を利用している。
岩槻の歩みを中心に、生活様式や暮らしの道具が展示されている。また、建物そのものが大正から昭和初期の作りがそのまま保存されていて、ちょっとしたタイムトリップ気分になる。
ここでは岩槻の県庁設置にかかわる情報や展示がないか探したが、残念ながら見つけられなかった。
その代わり、岩槻の観光地図をゲット。当時の城構えと現在の街並みの位置関係がわかったので、城攻略に再挑戦する。



先ほ岩槻城二の丸跡ど訪れ岩槻城三の丸跡た城址公園の北側に、現在の県道2号に沿って沼に囲まれた『三の丸』『二の丸』『本丸』があった。
県道に沿って進むと消防署の脇に三の丸跡の碑を発見。三の丸を落とした。ここの脇の路地を入ると大手口跡があるはずだが見つからない。
また県道の戻り、本丸を一気に突く‥‥はずだったが気が付かないうちに二の丸跡の碑を見つけた。
定石通り‥‥であるが二の丸も落ちた。


地図岩槻城本丸跡本丸制圧ではGSとコンビ二の間に本丸跡の碑があるはずだが、やはり見つからない。反対車線から何気にみたら、あった。道沿いだとばかり思っていたらスタンドの奥に本丸跡の碑を発見。
遂に本丸を攻略した。スタンドが休みなので勝鬨をあげられなかったが‥‥。




時の鐘一ルート上に『大手口跡』と『時の鐘』があるので再チャレンジ。
時の鐘は、道路沿いにはなかったので大きい割にはてこずったがほどなく発見。
大手口跡の碑は遂に発見できなかった。掃討戦に時間をかけられないので、後ろ髪をひかれる思いで断念する。(後で地図に書かれた位置と実際の位置にずれがあることがわかった。)
クエストゲームのようで結構熱が入ってしまったが、徒歩で順路道理にいけばもっとたやすく見つけられるのだろう。




さいスタ2002構遊んでしまい、時間を大幅に使ってしまったので早々に帰路につく。
帰りはR122.をひたすら南下。







岩槻日の走行 92km
暑さと運動不足でしんどかったが久々のBMCは軽かった。







人形のまち岩槻まつりメイン会場廃藩置県藩置県によりかつての武蔵国北部は『入間県』と『埼玉県』に分かれた。入間県の県庁所在地『川越』と同様に武蔵国の要衝であった『岩槻』が埼玉県の 県庁所在地とされた。これは教科書にさえ載っている事実である。しかし諸所の理由(浦和の陰謀か?)で県庁は浦和に置くことになり、そのまま両県の合併で『浦和』が名実ともに県庁所在地になった。
岩槻は主要幹線から外れたこともあり一地方都市に甘んじたまま、さいたま市に併合される。
歴史の重みなら岩槻のほうが浦和より上である。尤も歴史の重みで首府が語られるのなら明日香村が今でも日本の首都でもおかしくないが。
そんな岩槻がかつて県庁所在地であった証を見たかったがそれは見つけられなかった。
岩槻は祭りの準備で活気があった。やはり歴史と伝統の重みみたいなものが岩槻にはある。川越・行田とともに再び訪れたい街である‥‥

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アイアンキング

今回は懐かしい特撮巨大ヒーローもの。
『アアイアンキング 01イアンキング』。1972年放映の宣弘社作品である。
変身ヒーローものは1971年、特撮巨大ヒーローの『帰ってきたウルトラマン』と等身大アクションバトル系の『仮面ライダー』という2大双璧の登場により、当時の日本の子供のいる家庭のお茶の間を一気に席捲した。
『アイアンキング』は巨大変身ヒーローものの最盛期に企画された作品で、異星人や異次元人主流のヒーローの中で、巨大サイボーグ(筆頭はスペクトルマンかな)でも現科学者によって作られた少数系の部類に入る。
シルバー仮面がなんか暗くてあまり面白くなかったが、あの中世の西洋鎧のカブトのようなデザインが好きだった当時の親父が結構気にいってみていたのが後続作の『アイアンキング』である。
今見ても、この作品は明らかに他の巨大変身ヒーローとは一線を画す異色作品であることがよくわかる。

アイアンキング 06アイアンキング 12ず、『アイアンキング』とその前身『霧島五郎』は主役ではない。主役は国家警備機構のエージェント『静弦太郎』であり、『霧島五郎』はパートナーに過ぎない。巨大ヒーローが主役でない設定はPプロの『宇宙猿人ゴリ』があったが、こちらは終盤はタイトルも含めてオーソドックスに『スペクトルマン』に替えられていったが、『アイアンキング』は最後まで脇役のコンセプトが貫かれた。
その主役『静弦太郎』も反骨的で冷酷な面も持った、子供たちに優しいお兄さんヒーローではない。

アイアンキング 02に特撮巨大ヒーローものの定石である「最後に登場し、敵を倒す。」というパターンではない。
『アイアンキング』が単独で敵を倒すことはほとんどない。話の途中で現れ敵を倒せないまま、というより敵に痛めつけられ、わずかな時間で消えてしまう。後に『最も弱い巨大変身ヒーロー』の称号を受ける所以である。
まあ、話の都合上『アイアンキング』は源太郎がピンチの時、サポートするのが役目で、ウルトラセブンの『ウインダム(車じゃないぞ)』のようなものである。
敵にとどめを刺すのは生身の人間『静弦太郎』である。アイアンキングは敵はおろか周囲の人々にすら見向きもされない真に孤独なヒーローなのだ。唯一『静弦太郎』は自分のピンチを救ってくれるアイアンキングを信頼しているし、アイアンキングがピンチの時は身を顧みず助けたりもする。

さらアイアンキング 05に敵が変わり種である。最新メカの巨大ロボットを操る『不知火一族』は科学とは無縁のような古色蒼然とした集団。彼らは2千年の昔、大和朝廷に滅ぼされた一族の末裔であり、現在の大和政権を打倒すべく立ち上がった者たちであり、話は国つ神と天つ神の対立にまでさかのぼる。尤もそんな壮大なバックボーンがありながら『静弦太郎』を倒すことだけに固執しているところがちょっとせこいが、古代史マニア・古墳マニアにはたまらない設定である。但し、日本古来の民族が操るロボットは何故か西洋風であったが。




アイアンキング 11た、新たなる敵『独立幻野党』は革命革命と唱えているが、アラブの戦士風だかムスリムでもなさそうで、どんな政権樹立が目的なのかも不明である。こちらも現政府を『大和政権』と呼ぶ。『独立幻野党』は恐竜型ロボットを操り現政権を倒し新世間を打ち立てることが目的のようだが

『不知火一族』や『独立幻野党』とかどうも政治色や思想色の強い悪の集団である。しかも敵側から見ると現政権が悪の権化なのである。ユニークなかっこはしているが今見ると子供向けの悪役ではない。尤も『死ね死ね団』ほど強烈なアイデンティティはないが。

そして配役が異彩

アイアンキング 04人公『アイアンキング 03静弦太郎』は当時日の出の勢いだった『石橋正次』。特撮もののイメージには程遠いキャラだ。ドラマの中でも歌うシーンがよく出てくる。今考えると、喜んでみていたのは子供だけではなかったろう。

弦太郎のパートナーで、正体はアイアンキングである『霧島五郎』には往年の二枚目『浜田光夫』。霧島五郎はドジな三枚目だったが。そして最初のヒロインは『仮面ライダー』の森川千恵子。不知火一党の頭には任侠・時代劇の顔役『堀田真三』など錚々たるメンバーだ。そのほかゲストには岡崎友紀・夏純子・坂口良子など人気女優が出演していた。

特撮はちゃちかったが、キャストにはずいぶん予算を使っていたんじゃないか。

ストーリー展開も弦太郎と五郎の気ままな旅をしながら(実は不知火族の根拠地を探る旅なのだが)行く先々で不知火一党の罠をかわし倒していく。どことなく時代劇風のドラマ展開である。


アイアンキング 10ンディングの子門真人の歌う『ひとり旅』がとても好きであった。ストーリーの筋からいうとこちらがオープニングでアイアンキングの歌がエンディングでもよかったんじゃないかと思う。

アイアンキングのエンディング『ひとり旅』と、ファイアーマンの挿入歌『遙かな青い地底に』は、子門真人の隠れた名曲である。この『ひとり旅』なんて石橋正次の歌うギターバージョンあってもよかったのに。

30分番組なので、話がはし折られているのはやむ負えないが、石橋正次のキャラやエピソードを生かすには、1時間ものにしてバトルシーン以外の部分も掘り下げてもらいたかった。親父も含めた当時の子供には受けなかっただろうけど。特撮も現在だったらCGを使ってもう少しリアルになったろうから、その辺も含めて画像修正のリメイク版が見たいところである。


DVDアイアンキング 14アイアンキング 13を購入。久々に懐かしく夢中になった。

そろそろ変身ヒーローものから卒業しつつあった年ごろの親父にとっても、なんか決まらないヒーロー。場違い見たいな俳優さんが出ている。純粋に地球侵略の目的を持った悪役と勧善懲悪の変身ヒーローものとは違う一風変わった面白い作品であった。


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内房プチ輪行2

佐貫からR127を竹岡方面に進む。
上総湊を過ぎると海岸線沿いの夏向きロードになる。連休初日だが交通量はイメージよりはるかに少ない。高速ができたので分散されているのだろう。逆に車のスピードが速いので抜かされ間際は少し怖い。

竹岡城山の集落に入るころから前方に見える突き出した山、城山。
後半のミッションは里見氏の拠点、『造海城』・『金谷城』の攻略と日本寺の大仏参拝である。
『造海城(つくろみじょう)』。真里谷武田氏から里見氏の城となり水軍防備の要となった要塞である。中世城郭にも少し興味のある親父としては、佐貫城に次いで攻略したい城ではあったが、今回は本腰を入れた城攻めではない。完全攻略を目標にはしていない。




灯籠坂大師トンネルからいきな灯籠坂大師参道り海抜100mの急峻に囲まれた要塞はやはり大手門から行くのが最も容易なようだ。
白狐川を渡り、国道トンネルの手前に、いかにもミステリースポットの入り口らしい門?と小さなトンネルを抜ける。





石切り場?地層研究??切通しのトンネル現れるのが石切り場の深堀のようなトンネル。思わず「おおぅ」と唸ってしまう。
中は天然のクーラーのように涼しい。







大手門への道灯籠坂大師ンネルを抜けるとすぐに『灯籠坂大師』への石段が現れる(でも、大師なのになぜ鳥居なんだ?)。
山の中腹にある大師様にお参りの後、本堂の脇に、さらに上に上がる道に進む。この大師のすぐ上に当時の大手口の城門があったらしい。





攻略断念大手口からは急峻な尾根伝いで、道大手門への道2の跡はあるが藪が深く足場が悪い。
JRのトンネルの上付近で道は完全に藪に閉ざされた。
短パンに薄いトレーナーというポタリストの服装では進行は難しい‥‥というよりこの時季は古墳や古城の探索には適さないのだ。完全攻略を目標としないのはこのためだ。
まして「蜘蛛と蜘蛛の巣が絶対ダメな親父」には、これ以上の進行は不可能だ。これでよく古墳マニア・古城マニアが務まるなといわれそうだ。
蜘蛛の巣や蜘蛛そのものにまとわりつかれて、悲鳴をあげたくなるので早々撤退。
城の命脈、冬まで預け置く。

黄金井戸山の竹岡ヒカリモ発生地尾根の国道トンネルに戻り、竹岡駅を通過。不意に左手に『ヒカリモ発祥の地』の看板。
巨大な岩盤の中腹の洞窟に地下水が溜まっている。毎年春此処に大量のヒカリモが発生し水が黄金色になるそうだ。今の時季は何の変哲もない普通の色の湧水池だ。






金谷城スポーツセンター谷のフェリー港を過ぎて、鋸山の麓の金谷城址に行ってみる。但しここには見るべき遺構はないらしい。わずかに二の丸跡があるらしいが、健保組合のスポーツ施設内で関係者以外は入れない。うちの組合なら保健証もって堂々と入るのだが‥‥。いずれにしても保険証があっても蜘蛛の巣があったら先へは進めない。
『焼津の半次』並だ。猫がダメな『月影兵庫』よりはまともだと思うが。
早々に撤収。ここは冬将軍の助太刀だけでは攻略できそうもない。
最終ミッション、日本寺の大仏拝顔に向かう鋸山ロープウェイから城域全体を見ることにする。



展望台より遠望鋸山城スポーツセンター(名前にここがかつて城であった名残があった)へ向かう途中に『鋸山ロープウェイ』山麓駅がある。
山頂駅からの展望。左手のスポーツセンターが二の丸領域のようだ。縄張りは不明だが、スポーツセンターの裏手に山体崩壊らしき形跡がある。築城前からこうだったのか、築城後の地形変動なのか。本丸は左手の小高地にあったのだろう。



鋸山山頂展望台地獄のぞき?山頂駅から百尺観音、山頂百尺観音展望台を経由して中腹の大仏広場まで石段を下りる。
これはきつい。






ミニ東京湾観音発見中に変羅漢像わった石仏群が安置されているが、その中に何故か東京湾観音のレプリカを発見。








大仏山南麓から頂上付近まで大伽藍を形成する日本寺の中腹の大仏広場に到着。
ここから再び山頂駅まで登らなければならない。
自転車走行は50km程度だが、日本寺石段の往復で100km走行以上の疲労になってしまった。






再び金大トリだぁ!フェリーの東京湾フェリー乗り場まで戻り、フェリーで久里浜に向かう。
出向2分前の『かなや丸』に飛び込みで間に合う。おかげで1台だけ下層車両甲板になった。(通常自転車は2階車両甲板に専用スタンドで留められる。)
車やモーターバイクではよく使ったが自転車はこれが初めて。しかも搬出は堂々の『大トリ』であった。



横須賀線快速りもグリーン車を占拠。
筑波山輪行では体調不良で帰路も輪行を余儀なくされたが、今回の当初からの往復輪行としての計画はほぼ満足のいくものになった。今後の遠距離輪行の布石にはなりそうだ。
とはいえ装備重量12kg近いMR−4の輪行はちとつらい。車両で8kg程度なら楽だろうな。以前は10kgでも軽いと感激したものだったが‥‥。




内房輪行日の走行49km。
総武線快速・横須賀線を一回りした。


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内房プチ輪行1

錦糸町ずれは馬喰町やりたい房総周回輪行の予備演習として、休日に内房プチ輪行を実施。
日帰りで走行も50km前後。水戸周回で運動不足が決定化したため今回は走行を抑えた。





高柳銚子塚古墳り換え2人分占拠なしの君津行きで終点まで。総武快速グリーン車は平日の通勤時間帯くらいしか満席にならない。
贅沢なプチ旅行気分。自転車で2席分を占拠。グリーン料金は荷物代みたいなものだ。
姉ヶ崎を過ぎると『高柳銚子塚古墳』が見える。在りし日には墳丘長140mとも言われた千葉県屈指の巨大古墳だった。



内裏塚古墳津から出発し、富津岬を目指す。千葉県最大の内裏塚の前を通過。今日は下心?があるので寄らない。『珠名』に浮気心がばれると蜂に刺されるような気がするからである。『周淮の珠名』からすれば1300年後のとるに足らない親父などどうでもよいことか。わざわざ回り道をして内裏塚の前を通ったこと自体が『スガル蜂の珠名』の魅力なのか。






稲荷山古墳条塚・九条塚古墳稲荷山と100mを超える大型古墳も素通り。何度か来ていることもあるが、夏は古墳散策には適さないのだ。







第一海堡.第二海堡遠望津岬明治百年記念塔『明治百年記念塔』に上る。
第一海堡・第二海堡を遠望。
幼少の頃の第一海保の地図は陸続きだった。今は完全離島だが、海流によって北に流された岬の水没混痕が波間にうかがえる。





弟橘姫像津岬から佐貫に向かう途中、大貫海水浴場の手前に『弟橘姫像』がある。後ろの奇景は磯根崎。
海神に暴言を吐いて怒りに触れた倭建命のスケープゴートとなって荒ぶる海に入水した倭建命の愛妾である。
『弟橘姫』の像を見に行くから『周淮の珠名』に会わずに素通りしたわけではない。
弟橘姫の入水に至るシーンは東宝映画『日本誕生』の見どころの一つでもあった。でも司葉子はまだしも三船敏郎はもう迫力が出すぎていて、若い倭建命のイメージには合わなかったね。

 


東京湾観音称『鍵穴古墳マニア』ではあるが、数ある大型古墳を素通りしても、ここを素通りするわけにはいかない。
『東京湾観音』である。
観音様のお導きか、単に体力が温存しているためか、大坪山へのプチヒルも難なく走破。






左腕より右腕より日はうす曇りで、サイクリストにはよいが展望コンディションはあまりよくない。腕の上の展望通路に出る。スカイツリーの天望回廊より迫力がある。
腕の上に乗り小さな自分は、差し詰め『大仏開眼』の京マチ子・ジャイアントロボの大作少年並みの大きさである。
いつもしたばかり見るのだが、ふと腕の上から見上げる。すぐ上にあるふくらみは『御胸』である。ちょっと不謹慎なアングルではあるが、観音菩薩は中性であるという突っ込みは置いといて、結構グラマーなのだ。


各階ごとだれ?ご本尊に干支守り本尊や七福神が安置されているのだが、ちょうど腕展望のある13階には『ご本尊』が安置されている。
ご本尊は『子年』の守り本尊なのだ。子年の親父としては追っかけしたいくらいである。まぁ、ずっと此処におわすのだから『追っかけ』の必要はないが‥‥
ご本尊の横にいるご本尊によく似た、魚を持っている観音様は何だ?
この白い観音様は、1970年に慧眼した『釜石大観音』のレプリカとのこと。魚籃観音というそうで、デザインは長谷川昴氏。似ているというか、姉妹だな(観音菩薩は中性であるという突っ込みは置いといて‥‥)。
姉(1961年建立)のほうが長身だが妹のほうがグラマーである。

ルックダウンホール??と見つけた床の穴。水抜き穴だろうか。肘の辺りだろうが、このコンクリートの薄さを見ていると、東京タワーの『ルックダウンウィンドウ』よりもお尻がむずむずする。
でも、観音様の御胎内にいるのだから大丈夫だよね‥‥。






佐貫より東京湾観音遠望貫平野から東京湾観音を遠望ここから先は自転車初走りエリアである。



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リフレッシュ10年

平成14年車を平成16年に購入しそろそろ丸10年になる。
往復50km以上の車通勤を初めて丸3か月経ち、ほったらかしの部分もだいぶ問題が出てきた。

リフレッシュ10−1年の秋には買い替えるつもりだったが、5人で乗ることが結構あるので軽にはできない。自分の乗りたい車といったら、『WJ(2代目グラチェロ)4.6L』しかないが、安く買えても維持ができない。今のまま買い替えずにもう少し乗っていたら次は『全自動??車』が安くなるかな(いつの話だ‥‥)とも思い、家族の同意を得て現行車で保険の更新と次回の車検をとることにした。

もうしばらく乗るぞと思うといろいろ手直しも必要となる。
『ヘッドライトクリーニング』、『フォグランプHID交換』、『エンジンフラッシング』に続いて、今回のリフレッシュの最大ポイントであるタイヤ交換とボディーコーティングを実施。


タイリフレッシュ10−4ヤは平成19年初頭に新調した『プレイズPZ−1 235/50R18』から『トランパスMPZ 215/55R18』に変更。BSのお気に入りホイール『ユーロバイシス』はそのまま使いたいので必然的に18インチの選択となる。出足がとても軽くなったのは細くした効果だけでなく、ミニバンタイヤのためサイドの硬性が上がっていることもあるのだろう。実は多少なりと燃費に貢献してくれることの期待が大きい‥‥。





リフレッシュ10−2なしかかなり色褪せてきた感があるボディ。5年保証の『アンビエントコーティング』が最後と思っていたが、すでに施工から5年半が経過しており、もう少し長持ちさせるために再度フルコーティングをすることにした。







リフレッシュ10−3回は『アークバリア21』。知人のファクトリーで丁寧な下地処理をしていただいたので、仕上がりは見違えるほど。新品タイヤとホイールも磨いていただいたので、外観は新車?のようである。でも乗ると今まで通りのチープで汚れたダッシュボードにため息が出てしまう‥‥。ルームクリーニングとイルミネーションのイメチェンくらいはしたいものだ。






リフレッシュ10−5よいよこの秋、購入後5回目の車検となる。大きな自損で2回保険を使っているため、条件変更しても保険代が年1万以上上がってしまう。自動車税も上がるし、今回の車検時にAT関連修理を合わせて行うことが決まっているので、車検代も5〜6万上がってしまう。
歴史・文化遺産の維持にはお金がかかるものである。



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那賀・久慈古墳めぐり

やはり大洗海岸2この時期になると海が見たくなる。

『Premonition of Summer』を流しながら海へ向かう。

6月から7月初旬の梅雨の合間。大洗海岸のはずれに車を止める

初夏の海水浴客でごった返す前の海はいい。

但し、厚い雲に覆われた空は『夏の予感』とは程遠い。

サイクリストにとっては直射じりじりよりはいいが‥‥

大洗海岸1沿いの駐車場。だがここが目的地ではない。今の時期、バーベキューや釣り人くらいしかいない駐車場で、わがコンテナから出てきたのは周囲からは明らかに異端なMR−4。これから海とは逆に丘を目指す。

 

今回の目的は茨城県最大の舟塚山古墳に次いで県下第二位の『梵天山古墳』と第三位の『愛宕山古墳』を訪れること。特に『梵天山古墳』は初めてなので特に興味深い。

 


那珂川洗海岸か涸沼川ら涸沼川・那珂川を渡り、最初の訪問地ひたちなか市『虎塚古墳』に来た。





虎塚古墳1虎塚古墳2古墳時代末期の築造で、全長57m。横穴式石室を持ち石室内の装飾が有名。





虎塚古墳4虎塚古墳3全のため内部の公開は春と秋の数日間のみである。

 残念ながら今は見学できない。





愛宕山古墳1塚古墳愛宕山古墳2から那珂川のサイクリングコースを経由して水戸市内にある『愛宕山古墳』に行く。

かつては周濠を配していたとされる墳丘長136mの巨大な古墳は、六世紀初めの築造で、被葬者は『仲国造』とされている。後円部には愛宕神社の社がある。



愛宕山古墳4愛宕山古墳3密集地の中にあり、しかもこれだけ巨大なので全景を撮れるスポットがない。

 




舟塚古墳宕山古舟塚古墳2墳からさらに西へ10kmほど行くと『くれふしの里古墳公園(牛伏古墳群)』がある。ここを訪れるのは娘が小学校に入る前以来だ。

くれふしの里古墳公園の南の低地に『船塚古墳』という80m級の古墳があるので先に立ち寄る。かなり原型を崩しているが

当時は牛伏古墳群とつながる巨大古墳群を形成していたのかもしれない。


 

『く牛伏古墳群3れふ牛伏古墳群2しの里古墳公園』には復元された園内最大の前方後円墳『4号墳』をはじめ16基の古墳が集中する。





牛伏古墳群6園中央牛伏古墳群4の巨大はにわ『はに丸タワー』は展望台になっている。






中に牛伏古墳群5はこんなはにわの顔がある。コインを入れると何かしゃべるはずだったが今は故障らしい。

忘れていたが、だれもいない薄暗い階段の途中でいきなりこんなものに出くわしたら少しビビる。これで目がいきなり光出したらどこぞの駅の巨大土偶みたいに子供が怖がってしまう‥‥。




4号牛伏古墳群1墳は公園正面にあり遠方からも確認できる。本来建造当時の古墳は周囲から認識できることが最大の条件であったろうし、それが巨大であるほどその地の首長の権力を鼓舞するものであったはずである。

 




側道れふしの里古墳公園から常陸太田市にある『梵天山古墳』に向かう。常磐道に沿って側道を走る。下り線側は車の交通量が多く怖いが、上り線側は人通りもほとんどない貸切CRである。多少舗装が荒いところもあるが、ほぼ快適に走行できる。点在する弁当の食い残しや不法投棄を見るとこの道の使われ方がわかる気もするが‥‥





側道梵天山7から梵天山1離れて久慈川を渡ると、低地田園地帯に梵天山古墳のある台地が見えてくる。

初代久慈国造舟瀬足尼(ふなせのすくね)を埋葬したとされる梵天山古墳は墳丘長151m。関東でも150mを超える巨大古墳は十指にも満たない中で、茨城では石岡の舟塚山古墳に次ぐ県下第二位の堂々たる巨大古墳である。


梵天山3梵天山4瀬足尼は政務天皇の時代の人物のようだが、古墳が前期型とすると舟瀬足尼は4世紀初頭の人物ということになる。伝承の域を出ないが、初期の地方古墳で被葬者の名前が特定できるケースは珍しい。




 

梵天山2梵天山6天山古墳は宝金剛院というお寺の裏手にあり、境内から階段が通じている。後円部には小さな社がいくつかあり広い空間となっている。後円部頂上から鞍部までは遊歩道のようになっているが、前方部へは草に覆われ道がない。冬場なら雑草がないので行きやすいが、やはりこの季節は古墳探訪には適さない。前方部への侵入は断念する。

 



梵天山か久慈川河口流れ橋久慈川右岸を河口の久慈大橋まで下る。やはりまったく運動しなくなったせいか、向かい風で20km/h巡航ができなくなった。テンパっている脚をだましだましR245を南下。





村松虚空蔵堂2本三虚空村松虚空蔵堂1蔵尊の一つ、『村松山虚空蔵堂』に立ち寄る。虚空蔵様といえば十三参りが有名。親父は十三参りは柳津だった。娘には十三参りをしてやれなかったことをちょっと後悔。

 

村松山虚空蔵堂を出ると最初の登りで久々の攣り、しかも両足一気。最近特に3階までの階段がきついなぁと思っていたが、車通勤は致命的であった。

近くのうどん屋で遅い昼飯。

帰路大洗海岸3は海沿いを走る予定だったが、起伏は避けたいので内陸のバイパスを通り海門橋に至る。阿字ヶ浦の海沿いコースは昼飯時も合わせて?捲土重来を期す。

 




大洗海岸4ってきました大洗海岸。

本日の走行97km。

車の走行は往復257km





ルートルート2回は140km走っても脚には来なかったのだが‥‥



 
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フォグ交換

車両購入後ほどなくHID化したフォグランプ。
4hid_35w_bnrランドは88ハウス『LOUD』。ヨンダブリュストの中ではメジャーブランドであるが、一般には知られていないため大手チェーンショップなどでは取扱がない。トラブルのたびに遠方に修理に出すのもおっくうになり、3度目のバルブ切れになったのを契機にチェーンショップで購入できるブランドに切り替えることにした。
AIO_HID_TYPE2 PIAAやCATZとかレイブリック辺りがメジャーなところだけどそこそこ高い。通勤途中にあるイエローハットで見つけたのが『零−1000』というメーカーのオールインワンHIDキット。バラストとバーナーが一体化しているのでハロゲンバルブ感覚で交換できる。何よりも2個組で交換工賃・税込みで3万しないのが魅力である。LOUDだと片側バルブ交換のみで1万はしてしまう。しかも片側バルブ・片側バラストが順番に壊れてくるので、4回のパーツと工賃が発生してしまう。





loud hidしく取り付zero1000 type2けた『零−1000 802−H1106』と交換前(故障前)の『LOUD HID H11』を比較。
零−1000オールインワンTYPE2は6000k、ラウドは3500k。元々純正の3連プロジェクターレンズは黄色に着色されていたため、6000kでは鮮やかなコバルトグリーンになる。
しかし、同じ道を走るとすぐわかるのは、新しいHIDは暗いということ。
画像では撮影角度・露出度の違いがあり、一概に比較できないがLOUDはフォグだけで暗い道を走れるが、零−1000オールインワンはこれだけでは暗い道を走れない。
色温度(ケルビン)の違いもあるが、零−1000オールインワンタイプの2灯よりもラウドの片側1灯だけのほうが全然明るいのである。
新しいのは安いからしょうがないというより、ラウド自体が四駆車用だから補助灯としてのロードフォグ程度では使い物にならないためだろう。価格なりのものはあったということだ。
同じ35Wと同じレンズでこれだけの違いが出ることを実感したのはちょっと残念ではあったが、いまの車で夜中のダート林道峠越えなんてしないからこれで十分ともいえる。
今更リレーハーネスの直結100Wハロゲンという時代でもないし、何より片眼のジャックのままというわけにもいかないので、費用対効果としては満足すべきだろう。



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6.11 丸6年 検査日和 

息子の頭の上のリンゴを見事に射抜いたのはウィリアム・テルである。
2年前にやっと入れ替えたパソコンにもやはり入っていたのはインテルである。
腕の血管や太ももの血管から心臓まで管を通して心臓の冠動脈を造影する検査、つまり心臓血管造影検査のことをカテーテル検査という。親父の行く院内では『心カテ』で片付けられている。
いやはや5回目の同じ書き出しである。もはや認知症である。

2010年の6.11から6年が経った、5回目のカテーテル。検査として手首から入れるのは4回目である。
検査と同時に点滴をやるのであるが、2度も失敗。こちらは麻酔をするわけではないので結構痛い。
近年は心臓CTなどの機能が向上しているが、やはり心臓疾病などの最終確認は心カテが一番有効になるようだ。

心カテ検査はカテーテルという細い管を手首から入れる。そこから造影剤を注入してCTのような機材で撮影し、心臓血管の状況を見る。
局部麻酔なのでオペの風景は見れる。中央のモニタースクリーンには親父の心臓が映し出されている。一応生きているねー。サイボーグでもない。この情けないエンジンで150km近いサイクリングに行くのだからよく頑張っている。しかも実質カタハイである。

オペ中はCTのように撮影機材が動き回っている。「息を吸って・とめて‥‥」のお決まり行為がある。造影剤が入るときの感覚はいいものではない。検査が終わりに近づくと花火大会のフィナーレよろしく、造影剤を一気に注入する。
何といえばいいか‥‥「雪の女王が一瞬通り抜けた後に松岡修造に衝突する」ようなものである。‥‥
「もう終わりますよ」といって医師がカテーテルを抜き取る。すごい速さだ。グリスをたっぷり浸したデュラエースのアウターからインナーワイヤーを抜き取るよりはるかに速いスピードである。痛みはないがちょっとひっかかたら血管全部ぶち切れちゃうじゃないかと冷や汗ものである。

カテーテルを抜き取った後、止血ベルトで締め付けられるのは約3時間。前回は泣きべそかくほど強く絞められたのに今回は痛みが全然ない。「緩くない?」と尋ねたが「強く絞めすぎてもよくないよ」とそのまま。3時間べそをかかなかったのは初めて。
案の定、定時に止血ができていなかったため、やはりべそかくほど締めてさらに45分。そこから先生が12分間止血処理をしてやっと止まった。「ちょっと長いけど、ここで我慢すれば夜ERに来ることはないですよ」と止血の先生。12分間もおさえ続けてくれてありがとう。

何とか3時には退院できた。手は浮腫んでいたいが時間もあるので、前回けがをした足首をみてもらいに整形に行く。
「あら、前回は足のけがで来られたのに今回は手首ですか?」‥‥「足でいいんです!」
痛みはとれたが腫れが固まってしまっている。先生が見るまり少し難しい顔をして「MRIを撮ったほうがいいですね。」
‥‥「MRI」!、さっき心カテしてきたばっかりなのに‥‥。 「ステントしているの。じゃあCTかな」。「いえ、MRI大丈夫です」。「じゃすぐ行って」。足だから「息を吸って・とめて‥‥」はないだろうが、CTよりはMRIのほうがゆっくり寝られる。
CTとMRIで撮れるのは同じコンピューターにより解析画像であるが、CTはX線、MRIは電磁波を使う点で全く違う医療機器である。当然どちらが良い悪いとか好き嫌いで判断するものではないが、一般的にMRIはCTに比べて嫌がられる。
音がうるさく、縛られて(否!固定されてというべき)長い時間狭い筒に入れられるからだろう。
だが親父はMRIのほうが好きである、何より何もしないで長い時間寝ているだけだからね。

カテーテルはオペだからしょうがないにしても、MRIもCTも安い検査ではない。
丸一日病院通いと検査の一日だったが、医療費もバカにならない世の中。
某都知事の処分なんてどうでもいいから、財政の改善や社会保障の充実を審議してもらいたいものである。

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藺沼サイクリング再び

香取海と藺沼1気の良い5月の休日、再び藺沼にサイクリングに行く。
あまり目的地にこだわるわけではない。『藺沼』はすでに痕跡を求めるのも困難な400年ほど前まであったとされる巨大湖沼である。現在は湖沼があったとされる低地帯の中央を利根川が貫いている。




休憩所事先によって一仕事したため江戸川CRに合流するのは野田橋からとなった。
CRに入ってカブトムシの林に差し掛かるところ。休憩所を発見。1年前にここを通った時は全く気付かずに通過した。
そのあとにできたのかなぁ?






幾度東武線鉄橋?も通関宿水門っている江戸川CRが利根川CRに変わる分岐点にあるのが関宿閘門。江戸川だが右岸は茨城県である。、
律令国界では葛飾郡・猿島郡全域が『下総国』であった。平将門は本来千葉県の英雄だったかもしれない。
閘門を超えると湿地の小河川似に橋が架かっている。かつての総武鉄道(東武野田線の前身)の江戸川鉄橋を移植したものと書かれている。



関宿城宿城博物館は何度か訪れているので小休止のみ。








ツバメやしうどんサイクルカフェが食べたく、昼食に『道の駅さかい』に立ち寄る。
何故かサイクリストが多く、駐輪ラックまでおいてある。
奥にサイクルカフェなるスペースがあった。
洋食系やフローズン関係を販売していた。
最近できたようだが、できればゆっくりコーヒーが飲める室内ラウンジみたいのがあるともっと嬉しい。
今日は冷やしうどんが食べたかったので、従来の道の駅の食堂に行く。
トイレの中はツバメが我が庭先といわんばかりに飛び交っている。

境大橋から決壊口の碑利根川左岸を下る。この辺りは中世まで多くの湖沼や湿地帯が混在し、香取海に注ぐ常陸川の分水嶺になっていた地域である。
強固なスーパー堤防の上にある決壊口の碑のところで小休止。
ほかに看板等がないので、いつの決壊だかわからない。
利根川決壊はキャサリン台風(最近はカスリーンというようだ)が有名だけどここもその一部なのかな?
この辺りはすでに本題にある『藺沼』の水域になっている。



芽吹大橋歩道橋吹大橋の歩道橋をわたる。筑波サイクリングではここで一回目のダウンをとられ自力帰還を断念せざるを得なくなった嫌な場所ではある。
この歩道橋って元の橋が新橋の開通によって歩道橋に転用されたものとばかり思っていたが、歩行者の為にあとから掛けられたことを知って驚き。まあ確かに隣の自動車橋を歩くのは自殺行為に近いが‥‥





美人ターミネーターの鉄橋根運河分水から布施弁財天までは初めてのコース。とはいえ何ら観光ポイントがあるわけではない。
常磐道とTXの鉄橋のはざま。
この付近は『藺沼』のほぼ中心部に当たる。
今、上りのTXが風を切るように鉄橋に差し掛かろうとしている。
高速で抜けていくTXを見ても別に色気も恐怖も感じない。
電車マニアでないから‥‥否、クリスタナ・ローケンでないから??



TX和田沼跡の利根川橋梁を越えると利根川右岸が大きく開ける。
田中調整池といわれる広い田畑は洪水の時に遊水池となる。
調整池は対岸の茨城県側に稲戸井・菅生という2つの調整池があるが、古代から中世にかけて存在した『藺沼』はその3調整池を合わせたよりも広大であったと推測される。但し霞ケ浦や北浦のようなイメージではなく、湖沼と湿地地帯が混在する領域であったのではなかろうか。




新利布施弁財天根橋を越楼門えたところで利根川低地に大きく突き出た大地にある布施弁財天に寄る。
ここも前回の『藺沼試走』で立ち寄ったところ。大同2年に空海によって開山されたという。「大同2年」というのは仏教史や災害史にとってキーワードになるほど、色々な場面に出てくる。
本堂は享保年間、楼門や鐘楼は文化年間の建立である。
境内にある茶屋で小休止。アイスを食べる。



『布弁天古墳施妙見大菩薩』を祀る小さなお堂は弁天古墳というれっきとした古墳である。
前回は疑心暗鬼で撮影したが、お堂の脇から見ると前方後円墳の形状がはっきり見て取れる。







あけぼの山農業公園ポピー畑ランダ風風車が見える弁財天の裏手の『あけぼの山農業公園』に寄ってみた。今はポピーの時期になるそうだ。ということはこれがポピーなのかな。







手賀大橋び調整池手賀沼内の道路に出て、R6から手賀沼に出る。海老のような形をした手賀沼は干拓により、一番おいしい部分?を失った。
ここはもう、中世まで原型を留めていた巨大湖沼『香取海』の最も奥に当たる『手賀浦海』の名残である。縄文海進の頃には香取海と藺沼もつながった巨大内湾を形成していたらしい。
手賀沼の中央を跨ぐ手賀大橋。連続する上路アーチが見事な大橋であるが、やはり親父は北浦にかかる下路アーチの北浦大橋の優雅さのほうが勝る。
手賀大橋を渡るといよいよ帰路だが、CM−11はここでバッテリー切れ。




藺沼回の走行
144km
充電器を忘れたため、CM−11は途中で電池切れ。

備考
かつての利根川本流の名残『古利根沼』が『藺沼』と呼ばれることがあるらしいが、本稿で取り上げている『藺沼』の名残ではない。古利根沼付近は大地が迫った隘路となっており古代の香取海と藺沼を隔てた部分と思われる。


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BMC 継続待機


チェーン・他ェーンとスタンドを残して部品の装着が終了したAC−02。
エスゲWレッグは安定はいいが重い。期せずして大幅に軽量化されたのでスタンドはなしかKOBAの軽量センタースタンドでいい。
エスゲはボツ。





クランク・SPDペダルSPDペダル回は極力自家ストックの消化に努めたが、クランクとSPDペダル、その他小物を追加購入。
クランクはシルバー・クランク長165mm・5ピンがきちんと露出している??という3条件とフォローテック2が必須だったためセコが必然となった(だいぶ歯がくたびれている)。最近低グレードにまで採用されている『HOLLOWGLIDE中空構造』は好きではない。ましてあの4本アームに囁かな嫌悪感を感じるのはオヤジだけだろうか。
三ヶ島FD−6はホント、過酷な使用に対してもガタやゴリの出ない奇跡のペダルであるが、大麻常習者同じくビンディング依存症に片足を突っ込んでいるため、SPDペダルの誘惑に勝てなかった。(しかしFD−6より重たいペダルって何!)

今回ケーブルプロテクトは定Oリング番のリサドル・テールライトクセンカウルシリーズとバッシュガードは未装着。
最終的に新たな購入パーツは
FC5750クランクとPD−M324ペダル
以下は新品購入、
インナーブレーキワイヤー前後
チェーン
フレームプロテクションシール
ワイヤー用Oリング(別に必要じゃないかも)

締めて13,000円ほど。
ルッククロスが買えるお金を使ってしまった。(ベローチェ同様名前が大好きだから「クラリス」のセコクランクでも良かったか‥‥)
その他の待機品はパナレーサーロードランナー+前後チューブ・ビームスプリングサドル・ケーンクリークサッドバスター等々。

ミニVブレーキうしろディレーラー・スプロケミニVブレーキまえイヤーケーブル系、保Wレバー安部品を取り付けたが、チェーンだけはまだ未装着。完成してしまうと簡単にバラシができないのでチェーンセッティングは保留。






ボトルケージブルホーンればスピードと距離積算だけでいいから1,000円くらいでメーターが欲しいところである。



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追伸
VERO5品箱の一番下から、娘用で使っていたキャットアイサイコンCC−VL110が出てきた。細かいタイヤサイズ設定ができないが動きそう。サイコンも買わずに済みそうだ。

BMC 仮組み

bmc bygone days 2bmc bygone days 16月『嵯峨』にフレーム以外のパーツを移植し展示品となっていた在りし日のBMC。
先月、嵯峨を700C化したことによりクロスライドとベローチェライナープルカンチブレーキが戻ってきたので、ほぼ家のストックで主力パーツが組み上げ可能となった。




bmc refabrication 4bmc refabrication 1に組んでみたBMC。
ストック品の再利用なので、ブルホーン仕様となり、リア10速のフリクションタイプから9速のインデックスに変更となる。
ディレーラーはディオーレ⇒アリビオ。クランクは105だがBBは105⇒ティアグラにダウンしている。もともと全品セコで揃えているし、ちょい乗り用ならこれでも十分すぎる。



ベロbmc refabrication 3bmc refabrication 2ーチェショートVブレーキ(正式名がライナープルカンチブレーキとなる)が復活する。
我が家のお宝パーツ?である。別に我が家で唯一のカンパブランドだからというわけではない。『ベローチェ』という名前がとても気に入っている。『エクセルシオール』とか『タリーズ』という名前だったらここまで惚れ込まなかったろう。





bmc refabrication 5イヤーアッセンブリーとチェーンと保安部品をつけてセッティングすれば乗れる状態である。
我が家で最軽量のバイクである(といっても10kgはある)。ショッパー化せずそのままの状態で乗りたい。
すぐにでもスタンバイしたいが、トランクルームがいっぱいで新たな自転車の置き場がない。
駐輪場を借りるとほぼ雨ざらし状態となってしまうので、残念ながら当分部屋のインテリア状態のままになりそうである。


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livedoor プロフィール
愛車紹介
1.PRESAGE U31
愛称KARANO号
  :いまや歴史遺産となりつつある3.5L/フルタイム四駆。最近は金欠でタコメーターしか見なくなった我が家の軌道空母。2002年モデル。
2.MR−4
  :GIANTのロングセラーフォールディングバイク。リアドライブ・ミッドシップエンジン搭載??のコンパクトスポーツ。2010年モデル。

3.SOMA SAGA『嵯峨』
  :米国ソーマファブリケーションズのツーリングフレームに格安パーツを買いあさって組み付けたクロモリツーリングバイク。年式不明

4.トランジットセブン
  :今は娘の愛用となっている、BSの20インチフォールディングバイク。オヤジにサイクリングすることと、カスタムすることの両方の楽しさを教えてくれた逸材。2007年モデル。
  
5.ALPENCHALLENGE   AC02
  :レーサー志向の本格バイクを投入する『BMC』の珍しい26インチアルミバイク。ストックパーツを再編成して復活した我が家の最軽量クロスバイク。2011年FC前モデル。  
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