KARANOがれーじ

KARANO 枯野 1.古事記に登場する仁徳天皇所有のハイスピードクルーザー。毎日灘波と淡路を往復し清水を宮に運んだ。 2.我が愛車のニックネーム。毎週我が家とスーパーを往復しPBの飲料水を運んでいる。 3.枯野さん(ハンドルネーム)。 鍵穴型古墳マニア。持病持ちポタサイクリスト。

MR−4 10速化 後記

2017 MR−4ポーツバイクとしては驚くべきロングセラーであったMR−4も、遂に2017年モデルを持って生産中止となった。
走行性能としては、18年間フォールディングバイクの頂点に君臨し続けるとともに、その強烈な個性がが異彩を放ち続けてきた。
唯一ライバルといえる存在は、エアニマルカメレオンくらいだが、国内では高価格と限定販路という面で勝負にならなかった。(24インチフォールディングではターンもあるが、ライバルとは呼べない)。
先駆者のグランテック24はトランジット26に連綿とそのコンセプトを継承しているが、MR−4は一時期MR−20というミニベロを投入したものの、これは印象こそ似ているが、コンセプトとしてはMR−4と異なり後継と呼べるものではなかった。
その後も後継機種がないため、今回の生産中止が絶版ということになる。「在りし日の‥‥」と呼ばれるようになってしまうのはとても残念である。
補修用パーツは5年間保有されるとのことだが、既にないSEグレードに標準装備されていた『FOREX24』は今後もおそらく入手は困難だろう。

MR−4そういう意味では、変わり種好きのおやじにとっては、よりもってこいのバイクになったともいえる。
いよいよ我が家のMR−4もPNU−31プレサージュに続き歴史遺産登録か??。


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MR−4 10速化

北浦大橋我が家でも6ホールスタイル化による、輪行減少で影が薄くなったMR−4。2014年にMTBパーツを使って9速にシフトしたが、スプロケの大型化がチェーンのステー干渉を招いたため8速に戻す。今回はロードコンポによる10速化のチャレンジをする。






使オペツール用するオペツールは、BB9000用アダプター以外は自転車工具としては標準ツールで済む。このほかに、+−ドライバー、チェーン脱着の際に便利なチェーンフッカー、スプロケを外すロックリングリムーバーなどの保有工具を使う。
交換するパーツは
クランクセット・Fディレイラー・シフトレバー・ボトムブラケット(BB)・
リアディレイラー・スプロケット・チェーン・シフトワイヤーとなる。
予算や型式条件等の理由で、すべてストック品とセコ購入である。



まずバーコン取付SL-R400& SL-BS79はシフターを交換する。インデックスタイプのSL−R400(2x8S)⇒SL−BS79(2x10S)に。この位置ではWレバーのほうが操作性がよいので、本来はSL−7900辺りがよいのだが、バーコンつけたいなという年甲斐もない欲求のため、中古とはいえこれが一番高くついた。ハンドルの内側という最も目立たないところにレバーマウントで取り付けているので目を引くわけではないが。
使用工具6角レンチ+マイナスドライバー



FC5502クランクFC5502&FC5650にクランクとフロントディレーラーの交換。
FC−5502(53−39T/165弌砲ら FC−5650(50−34T/165弌砲妨魎后ミニなのにコンパクトなのかと言われそうだが、スプロケをロード用にしたので、現状のメガレンジ34Tをカバーするにはコンパクトが必要になる。これでもマックスローはクロスバイクよりハイギアである。
『おたくリンク』のFC−5502の取り外しにはΕ灰奪織譽好ランクリムーバーという工具を、.皀鵐ーと組み合わせて使う。


ホロBB9000BBシェルーテックIIになるためBBも換える。BBを外すのにはぅ侫奪レンチを使う。昔ながらのBBがめっぽう減ったので、これも専用ツール化しつつある。
BB取付の前に、汚れていたBBシェルはお掃除しておこう。
ホローテック2用に取り付けるのは、究極の『BB−9000』である。新品のBB−5700でも1,500円くらいだが、少し予算オーバーの2,000円也。とはいえ内心結構期待したのだが、1,000円しない中古のBB−5700と比べても特段軽い印象はない。
千円ちょっとで入手した赤いトーケンTK877EXが一番よく回った。


BB-9000取付BB締付あ、これでギア1段分軽くなる体感を期待しようとは、虫の良すぎる話である。
ツールはゥ曠蹇璽謄奪II用 BBアダプター取付け工具を使う。
通常のBBとはわん径が異なるため、専用のアダプター(イ亮脂のリング)が必要となる。






FD取付位置調整FD-R440&FD-5700ディレイラーをFD−5700(2x10S)に交換。取り外すFD−R440(2x8S)は唯一購入時からの仕様であり、フラットバー用である。フラット用で特に今まで問題なかったが‥‥
1stチェーンリングが53Tから50Tになるため、FDの台座を6〜7mmほど下げる。ピッチも変わり、お気に入りのドライブラインバッシュガードは残念ながら使えなくなる。





CS-4600取付してリアディレイラーとスプロケの交換となる。
スプロケを外すには当然ホイールを外す必要がある。
スプロケは▲好廛蹈渦鵑掘弊擬位松里浪燭童世Δ鵑世蹐Α)とロックリングリムーバーをモンキーに咬ませて抑え込むように回して外す。
現在では入手が難しいお気に入りホイール『FOREX−24』。A−CLASS(ベンツではない)の中ではBクラスのホイールだが、今でもほとんどブレがでてない。



RD-4600/10s&RD-M592CS-4600&CS-HG41S−HG41 11−34T/8S⇒CS−4600  12−28T/10S。メガレンジのHG41に比べると、ロード用のCS−4600はかなりクロスレシオ化した。
リアディレイラーはMTB系のRD−m592−SGSからRD−4600−SSに変更。これも9速化の名残をそのまま使っていた。スプロケがクロス化することによりSGSからSSタイプのディレイラーに変更できたこと、8速・9速、MTB・ロードの混成パーツ構成をほぼ10速ロード系に統一できたので全体的にオリジナルRに近いスタイルになった。


調整調整2ーンは本来ピンをД船А璽鵐ッターで挿入して固定する。
横着なおやじは─聞げる)・(挟む)のプライヤーとミッシングリンクを使って済ませてしまう。
ディレーラー調整だけは、何度やっても上達しない。いつも混成パーツということもあるだろうが、チェーンのリンク数と張りの加減で失敗していたことが多かったので、そこは時間をかけて調整する。長期間使ったミッシングリンクは基本的には再利用NGである。
インデックスの10速になると、わずかのずれでギア抜けやチェーン脱落になってしまうので、ここで手抜きをしてはいけない。
畳1MR−4畳のファクトリーでロードコンポの10速化が完了。
ひと回り試運転に出る。シフトのタッチは結構硬めであるが、MTBタイプの混成ワイドレシオよりはクイックだが滑らかなチェンジ感になった。
見た目がすっきりしたが、目立つ部分はグレードを統一したかった。カブトガニは好きではないから5700系で統一したかったところだが、後日気が向いたらということでまずは重畳。


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奥多摩再び 下つ巻

川野ロープウェイ三頭山口駅跡を後にして、再びダム堰堤に戻る。ダムが見えない堰堤の下
ダム堰堤の真下を見ると、発電所に続く道がある。発電所は当然立ち入り禁止だろうが、近くまで行けば、ダムを直下から見上げられると思い、国道から下に下りる道を下る。
ところが坂を下りきったところでゲートに遮られる。あと100mほどで道が曲がっており、その先からは、見上げるようなダムの全容が見えるはずである。


道所橋?青梅古道念だが反転。だが道は川伝いにつながっている。これはダムができる前の青梅街道で、今は『むかし道』と呼ばれているらしい
道は舗装路だが、かなり荒れている
しばらく進むと吊橋発見。道所橋という橋だ。





惣岳渓谷道所橋2ても東京都とは思えない風情である。この辺りの深い谷は惣岳渓谷というそうだ。自転車で走れる自体超掘り出しコースである。







『む縁結びのお地蔵さま馬頭観音かし道には』ところどころに小さな道しるべがある。
『馬頭観音立像』や『縁結び地蔵』など、昔よりこの周辺の住民に信仰されていたもののようだ。







しば惣岳渓谷しだくら橋らく行くと第二の吊り橋があった。こちらはさらに長い橋で定員3名。しだくら橋と書かれている。下は淵となっている。
この辺のむかし道は沿道に民家もあり生活道路になっている。軽車両が時折往来する。





不動堂惣岳不動尊らに少し進むと山の中腹に不動堂があった。『惣岳不動尊』。明治10年に成田不動尊を勧請・祭祀したのが始まりとある。
ここは関東36不動霊場出はなさそうだが、ここで不動尊を見つけたのも、お不動さまのお導きかも知れない。
のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん‥‥




未舗装路になった水根貨物線廃線跡の先、むかし道の生活道路部分は国道に合流する。むかし道のすぐ上を現在の青梅街道、その遥か上の水根貨物船のコンクリート橋が見える。
この先旧道は未舗装になる。距離はわずかとわかっているのでそのまま進む。グラベルも対応するタイヤなので気にせず走れる。





道は今でも生きているよう国道の上上りだ。国道と交差するところがあるが、てっきり国道の橋の下を抜けるものと思っていたら、国道トンネルの上だった。
再び道が舗装になると、再び遥か上に水根貨物船の鉄橋が見えた。
残念ながら、あそこを車両が走ることはもうないだろう。
これも歴史遺産といえる。




map1どなく国道と合流。青梅までささやかな幸せに酔う。(上りも結構あったけど)

本日の走行 74.1km


map2




map3




帰りにへそまんじゅうへそまんじゅうをお土産に購入した。




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奥多摩再び 上つ巻

台風青梅街道を奥多摩へ奥多摩大橋5号がもたらす前線によって不安定な天気が続く土曜日。
先週の続き、再び奥多摩にリトライ。先週は思わね天のシャワーを浴びたため、此度は用意周到、雨具一式を備えての出陣である。
今回はベースを東青梅まで前進させた。今回も仕事の都合で輪行でなくカートランポである。
先週来ているので今回は青梅街道を上りに使う。



白丸ダム発点東青梅から、奥多摩駅入り口までは21.3km、平均斜度0.7度。頑張らない走りを心がければ余裕のあるる行程だ。せっかくだからトンネルを抜けずに横の旧道を走る。白丸トンネルの旧道にある『白丸ダム』。発電用ダムだが、管理運営しているのは『東京都交通局』。まさか都電や都営地下鉄の電気をここで賄っているわけではあるまい?。






近代的消防署週は日原だったので、今週は奥多摩湖に向かう。
奥多摩駅は今回素通りで進むと市街の外れに、およそ付近の景観に合わない近代的建物。これは消防署だな。前回ここを通ったのは2014年。いつできたんだ?
奥多摩は通常の消防・救急より山岳・水難事故や捜索などのほうが圧倒的に多いだろうから、ここの隊員さんたちは国際救助隊並みにいろんなことをしなけらばならないのだろう。




素掘のまま梅街道は国道になってからかなり整備が進んだが、今でも素掘りにコンクリートを吹きかけた、昔の地方道のようなトンネルが残っている。
自転車で走っていると少し怖い(安全上です!)ところもあるが、ちょっとスリリングで近郊サイクリングとは違う雰囲気を味わえる。





副ダム川の日原街道入口交差点から、小河内ダムサイトまでは5.9km、標高差196m、平均斜度3.3度である。3年前に来た時は奥多摩駅からダムサイトまでタクシーで行った。
ビルの4階まで駆け上がれた当時と3階で必ず小休止する現在、では体力的にもかなりの差があるはずだが、軟弱に徹していたら、近辺では感動するコースがなくなってしまっている。副ダムが見える地点に到達。最後の約600mが斜度が5度強と最もきつい。




水根廃線ガード跡根貨物線終着駅『水根駅』手前のガード。以前も触れたが、もし水根貨物線の旅客線化が実現していたら、ホリデー快速の終着駅はここになっていたかもしれない。







自転車ゆりーと像小河内ダム本堤多摩湖畔の『水と緑のふれあい館』に到着。起工から76年、完成から丸60年になる小河内ダムの堰堤が、今なおその巨大な威容を保ち続けている。
ふれあい館前にあるオブジェ。『自転車ゆりーと像』。『ゆりーと』とは2013年の第68回国体・東京大会のマスコット。いわゆる『ゆるキャラ』である。八王子〜奥多摩湖畔までのロードレース開催を記念してつくられたようだ。



ドラム缶橋渡れない峰谷橋回はさらに奥多摩湖の奥に進む。
奥多摩湖に架かる橋で一番下にある峰谷橋を渡る。
湖の中央に突き出した小河内神社の峰に続く尾根をトンネルで抜けると、『ドラム缶橋』がある。橋の上で記念撮影するために立ち寄るが、あれ、両端がなくなっている。
残念ながら水量不足により通行止めとなっていた。今は樹脂のフロートになりちょっと風情がなくなってしまったが、やはり昔ながらのドラム缶橋と呼んだ方が愛着がある。

さて川野ロープウェイ川野駅付近の支柱川野トンネル、今回の奥多摩湖のポイントは『もう一つの廃線跡』を見ること。
かつては奥多摩湖の両岸を結ぶ、東京都で唯一の観光用ロープウエイが存在した。『川野ロープウェイ』といい、川野駅と対岸の三頭山口駅を、2基のゴンドラで結んでいた。営業期間は短く、経営不振で運休となり、その後運営会社が自然消滅。現在は所有者不明となっている。
川野トンネルの手前を左に曲がると当時の支柱とケーブルがそのまま残されている。
トンネルを出て右側から川野駅に上る道があるが、入口のところにある売店の女将曰く、私有地なので立ち入り禁止とのこと。行くまでの道が私道ということか?。まあ廃線マニアでも心霊マニアでもないから警告を無視してまで見に行く気もない。教えていただいたお礼をして引き返し、最終目的地、ロープウェイの対岸駅『三頭山口駅』に向かう。
『三三頭山口支柱深山橋と三頭橋頭山口駅』は奥多摩周遊道路の旧料金所の上にある。奥多摩周遊道路へはロープウエイのすぐ上流の深山橋と三頭橋を渡る。観光道路としての奥多摩周遊道路(当時は奥多摩有料道路)ができたことにより、経営不振になっとことは皮肉である。
旧料金所に隣接する川野駐車場に右岸側の支柱がある。





川野ロープウェイ三頭山口駅川野ロープウェイ三頭山口駅入口車橋から50mほど歩いたところにある石段を登ると、すぐ廃墟と化した駅舎が見えてくる。階段の先に見えるのは怖いものではなく、本物の人間である。心霊スポットとしてかなり有名で、アクセスもいいことから見物人が始終来ているようだ。





川野ロープウェイ三頭山口駅2三頭山口駅の破損はひどく、まさに廃墟マニア・心霊マニアの恰好の獲物である。
先にライダーのあんちゃん3人が潜入している。人がいるせいか、霊感オンチなのか、怖さや何かを感じるということはない。どちらかというと周囲の木々の陰から、ディロフォザウルスやブラキュラプトルでも出てきそうな雰囲気だ。
そしてオヤジの真の恐怖は全く別のところにある。石段の切れ目まで、ガラス片の飛び散った泥化した急斜面を、ほとんどグリップしないビンディングシューズで下りること。無事に下りられてほっとしたが、転んで怪我でもしたら本当に霊魂の仕業にされてしまうところだ。




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日原納涼‥‥

梅雨が明け、猛暑日とゲリラ異常豪雨の続く毎日。
涼を求めに今回は山に行く。
スカイタワー今日は隅田川花火の日日は、ベースキャンプとなる拝島駅までを車とした。
両国橋は歩道にネットが張られている。今日は隅田川花火大会の日だ。帰りに足止めを食らう可能性もある。
新青梅に入り西東京市の象徴??であるスカイタワー西東京を抜けて拝島に向かう。





車を友田水管橋羽村取水堰拝島の事業所におかせてもらい起点として出発。奥多摩街道で羽村取水堰を通過し、多摩川に掛かる友田水管橋を渡る。このルートは何度か通っているが、上流に向けて走るのは初めて。






櫛かんざし美術館ラフティング山街道を経由して多摩川右岸の奥多摩街道を通り、古里で青梅街道に合流する。
途中には『吉川英治記念館(夏季休館中)』や『櫛かんざし美術館』などがあったり、眼下の多摩川にはラフティングエリアなどがあったりする。





友田プチ山岳ツアー?御岳口管橋から、途中の御岳山口の鳥居まで13.2km。地形により下りもあるが、ほぼ緩やかな上りである。平均勾配0.8度。ならしたローディさんなら何でもない道だが、地下鉄の階段も上れない親父としては、体力温存のためママチャリおばちゃんの買い物ペースでゆっくり進む。
しかし朝市の限定特価品目当てに行くときのママチャリおばちゃんはロードレーサーより速いけど‥‥。
天候は曇りで、気温が比較的低いのはありがたいが、目指す奥多摩方面は「降っています」といわんばかりの厚く低い雲。降ってもにわか雨という予報を信じて進行。
奥多摩町に入ると山並みは深くなる、やはりただ下るだけと違い徐々に上っていく感慨はある。まぁ、ぺースが遅い分よそ見する余裕はあるし、その都度停まれば休憩にもなる。

奥多摩駅多摩駅に到着。今まではここが起点だったが、今回は中継地である。ここで飲料補給。
周囲にごみ箱がないので店内で飲料を買い飲みきったぺットボトルを引き取ってもらう。サイクリストは文字通り、飲食後のごみを処分しないと、新たな食料も飲料も補給できない。
店主曰く、店頭にごみ箱を置くとマナーのない観光客がごみをすべてまとめて捨てていってしまい、分別処理の負荷がかかりすぎるためだという。状況をイメージするに難くないが、現地調達・現地廃棄が原則のツーリングには頭の痛い話でもある。
せめてマナーは守ってもらいたいものである。


巨大な工場多摩駅から日原方面に進むと、やや勾配のきつい上り坂が1.8kmほど続く。平均斜度3.1度。居酒屋のカシスオレンジ程度だ。酒が全然苦手な親父でも何とか2〜3杯はいける。
奥多摩駅を過ぎるとすぐに街の上の中腹に、何かジブリのアニメに出てくるような巨大な構築物群が見える。調べてみると『奥多摩工業株式会社氷川工場』。『跡』ではなく、現役稼働施設である。
鍾乳洞があるくらいだから、奥多摩には石灰岩層が広く分布しているのだろう。日原方面には何十年も来ていないから忘れてしまっていた。



3.1度を飲み切る(もとい、登り切る)と、そ何の橋吊り橋こから斜度0.9度の平坦路がしばらく続く。左手に見えてきた吊り橋のところで小休止。
つり橋から先に道が続いているが、上の集落までつながっているようだ。谷は結構深く、ビルの3〜4階の高さはありそうだ。
つり橋から上流側のかなり高い部分に鉄橋が見えた。




トロッコ橋た廃線跡かと思ったが、何と現役の石灰輸送軌道であった。
免許取ったころ日原に来たときは、採掘場の中を通って細い道を通った記憶がある。2回目に来た時はきれいなトンネルになっていた。あの採掘場は今も現役で、採掘された石灰岩はこの軌道で先ほどのジブリの工場に運ばれて行くようだ。
車で何回か来ていながら発見できなかった(見つけていても関心がなかったか‥‥)ものが再発見できるのも自転車の醍醐味である。




日原トンネル日原渓谷ロッコ橋を過ぎると道は再び上り坂になる。
吊り橋あたりから懸念していた雨が降り出した。林の中ではあまりひどくなかったが、山腹に出ると結構降ってる。しかも坂は先ほどよりきつく、トンネル手前では遂にローマックスとなってしまった。
1.1kmの日原トンネルは結構きつい上がり坂である。トンネルなので斜度もわからず、曲がっていて出口もわからないまま永遠と同じ角度を上り続ける感じである。
但し今回は、苦しんだ分、帰路では同等の幸せを保証されているようなものなので、モチベーションは上がる。撮影で止まる以外の挫折は全くなかった。
日原の集落につくと再び平坦路になる。トロッコ鉄橋から日原集落まで4.5km。平均斜度4.7度。ビール並だ。下戸は1杯でダメになる。

燕岩?籠岩?入口乳洞を見ているうちに雨が収まるのを期待して見学申し込みをする。
鍾乳洞入口から望める1枚岩(籠岩?・燕岩?)の巨壁が圧巻である。







大ホール1狭い通路入る。1枚薄いパーカーを持っていたが、全身スブ濡れの体に冷気が容赦なく襲い掛かる。納涼どころか熱でそう!
日原鍾乳洞は何度か来ているし、ネット等で紹介もされているので割愛するが、前回まではこんな明るいLEDライトアップなんてなかったよ。自分で強力なライトをもちこんで見えないところを照らしてみたもんだ。




案内板はり新洞iphoneになって今までのカメラより画質がきれいになったので、結構いい写真がとれるようになった。
七色の大ホールはあまりにも有名だが、この新洞上りの頂上付近から下を見る光景も圧巻である。
龍泉洞の美しさ、あぶくま洞のスケールには及ばないかもしれないが、やはり東京が世界に誇れる遺産である。



雨がどおしようもない収まる期待もむなしく、外に出たら土砂降りの本降りであった。雨の日は乗らないというより俺が乗る日は雨は降ってはいけないという考えなので雨具はあまり持ち歩かない。売店でカッパを聞いたがないとのことなので、肉うどんで暖をとって、天に制裁を与えるべくずぶぬれ走行を決行する。
予想通り帰路はただただブレーキをかけるのみ。好天ならどんなに気持ちがよかったか‥‥これが俺が求めた幸せか!
唯一予測が当たったとしたら、氷川の街に近づくにつれ小雨になってきたということだ。案の定、鳩ノ巣辺りで雨はやんだ。鳩ノ巣から青梅までも大方は緩い下りになっている。わずかの間、ささやかな幸せが訪れるはずだったが、道路が乾いてきたにもかかわらず、自分だけは雨の中を走り続けていた。靴の中は池状態で、ヘルメットから絶えず雨水が顔に飛び散り、いつまでもメガネに水滴が残った。


神輿山車路は青梅街道で青梅市内を通り、再び滝山街道・奥多摩街道で拝島に戻る。福生で夏祭りの山車や神輿に遭遇した。
やっぱ夏である。神輿の掛け声がなぜか「ふっさぁ」「ふっさぁ」と聞こえるのは気のせいか‥‥。






日原島で車に戻ったころからまた雨が降り出した。
本日の走行92km
やはり甘く見ないでカッパとリュックカバーは携行すべきである。
悔しいのは、雨も予想したが、対応は『濡れたら温泉はいる』という安易さでシャツ・パンツとタオルは予備を持参していたことである。結局靴と靴下の替えを持ってきていなかったので温泉も断念せざるを得なかった。


PS
平地に来てから、ブレーキの利きが悪くなっている事に気付く。雨のせいだと思っていたが、ブレーキのパットがかなりなくなっていた。ベローチェ+アシマ怖い‥‥
最後まで取れないメガネの水滴は飛蚊症だったことが判明??そういえばいつの間にか増えていた‥‥

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艦(ふね)が見たい

日曜日の午後、日用品の買い出しでイオンに行く。
湾岸線元のイオンというとトピレックプラザかスナモである。イオンで買い物をしてスタバでお茶するのが決まりのパターンだ。スナモの場合は上島珈琲店だが‥‥。
今回はちょっと遠い「ショッパーズプラザ・イオン横須賀」に行く。イオン東雲より少し遠い。レイクタウンより幾分遠い。ハイオクガソリン垂れ流しの車で高速料金を考えると、地元のクインズで買い物する方がたぶん安いだろう。
夜、昭島に行く用事があったのでちょっと寄り道する。江東区から昭島市に行くのに、横須賀市を経由するのが『ちょっと寄り道』にあたるかは置いといて、横須賀に行きたくなったのは不意に軍艦が見たくなったからである。家から横須賀まで高速湾岸線を使えば1時間ちょいで着いてしまう。


景観破壊ント久々に大黒パーキングに立ち寄る。
昔は、よく夜景を見に来た大黒PA。展望デッキに行ってみると‥‥
ありゃりゃ。橋もみなとも見えないねぇ。この巨大な壁の向こうには巨人がいるのかな。ベイスターズは巨人に食われてしまったのか。
こういうセンスも粋もないのは外資系企業だけだと思ったら、地元の日系企業というから少し寂しい。




ショッパーズ屋上イオン横須賀須賀ICからよくわからないまま、現金払いの『本町中山有料道』に入ると、いきなり眼下に軍艦が数杯現れる。
有料道路の終点はヴェルニー公園の横。ショーパーズプラザが周辺のどの米軍施設や海自関連の建物より、よほど要塞ヨーサイして聳え立っている。
屋上駐車場に止める。早速軍港のパノラマが見える。
流石トピレックの屋上とは違う??



軍港めぐりスタ軍港めぐりバで昼飯にして、今日のお目当て『横須賀軍港めぐり』の遊覧船に乗る。1400円也。日曜とあってかなりの反響である。
梅雨とは思えぬ暑さにめげて、空調完備の室内にする。しかし、写真を撮るならやはり上階層だろう。





軍港めぐり4軍港めぐり1覧時間は45分。船内に自販機がないので、特に夏は乗船の列に並ぶ前に飲み物を買っておくことをお勧めする。
出発すると進行左岸に海自の横須賀地方総監部、右岸に同潜水隊群司令部、その先が米軍横須賀基地になっている。
軍港めぐりの案内人さんが面白くわかりやすく説明してくれる。




『衝突のイージス』常は空母のドッグになっているというところに停泊している艦。あれが記憶に新しい惨事、『衝突のイージス』だそうだ。
船舶の衝突は珍しくはない。しかし一方が軍船だとことさら大きく取り上げられる。民間船と衝突するような艦が、有事の際役に立つのかという庶民の不安を、マスコミが増長するからだろうか。






引退艦引退艦2に任務をこなし引退していく艦もある。『掃海艦はちじょう』、機雷除去に活躍する1000tクラスの世界最大級の木造船だ。すでに除籍されており艦番号も消されている。機密保持のため解体されてしまうのだが、既に大型木造船の建造技師がいないため、木造の大型自衛艦はこれが最後だそうだ。技術立国日本の技術がまた一つ消えていく。




船をヴェルニー公園1ヴェルニー公園2下りて、『ヴェルニー公園』を散策。幕末のフランス人技師『ヴェルニー』に因んで名付けられた公園は
フランス庭園風である。だから『薔薇』なんだろうね。
以前にテレビに出ていたのってここだったのか。特別なところかと思っていたら、何と駅前だった。




ヴェルニー記念館2ヴェルニー記念館園の一番奥(駅からは一番手前だ)にあるヴェルニー記念艦。公園名のもととなったヴェルニーが設計した『横須賀製鉄所』に設置された『スチームハンマー』や製鉄所に関する資料が展示されている。
製鉄所は造船所となったが、その当時のドッグは今も対岸の米軍基地で現役なのだそうだ。




潜水艦2すずつき艦の見える公園だけあって、先ほどの遊覧船から見えた潜水艦や護衛艦などが身近に見える。ついさっき入港したばかりの潜水艦の名前はわからないが、護衛艦は『すずつき』とわかる。
さっきの受け売りかって?。厭々、タラップにそう書いてある。護衛艦のタラップがみなあんな感じとは思えない。民間人が最も目にするところだから、親近感の演出や宣伝効果を狙ってのことだろう。
トップのボケ発言とは関係なく、現場は頑張っていることはよくわかっています。

三笠記念公園珍しい公衆電話島行きにはまだずいぶん時間があるので、ヴェルニー公園を後にして米軍施設の対岸にある三笠公園に行く。
公園の前にあった珍しい『公衆電話ボックス』、というより『公衆電話』そのものが「珍しい」。






戦艦三笠戦艦三笠2港に停泊していた護衛艦より大きく見える『戦艦三笠』。実際、三笠の排水量は15,000t。自衛隊の護衛艦は3,000〜5,000tクラスである。帝国海軍なら軽巡クラスの大きさだ。大和やタイタニックのイメージで見てしまうと護衛艦も三笠も小さい。
とはいえ三笠は当時としては、最新・最大級の戦艦だったようだ。バルチック艦隊旗艦『国親父座ろう(日本海大海戦の観みすぎか)』でさえ三笠より気持ち小さかったようだ。今でもマストに高々と『Z旗』がたなびいている。
客船タイタニックにしろ、この三笠にしろ、船はこの時期のものが最も美しいと思う。
マスト三笠3覧料(乗艦料)600円。当時の価値換算が不明だが、今の100円を30万円相当とすると、観覧料1800万円也。すべてをゆっくり見ると1時間以上はたっぷりかかる大きな艦である。
こんな大っぴらなところから砲撃していたと思うと、16世紀の海賊船と変わらない気がする。当時を再現した人形兵を見ると牧歌的ですらある。





猿島最新哨戒システム橋に上ってみる。これが戦艦三笠の最新哨戒システム。先ほど同様100円を30万円換算すると2分30万円、1時間900万円。1日2億1600万円。現在の最新レーダーの維持費とどっちが高いのか‥‥??。「バルチック艦隊に砲撃開始の直前で100円が切れて真っ暗になる。」「上官が怒鳴り下士官が慌てて100円を入れる。」くだらない想像でつい笑ってしまう。
猿島が見える。無人島ということだが、定期船が頻繁に往復し、かなり賑わっている様子だった。



いろいろお取込み中なのか、空母型が見られなかったのが唯一残念だった。
特に軍艦が好きというわけではないが、十分楽しめた。今度は家族と来たいものである。ショッパーズプラザで買い物したから、駐車場もタダになったし‥‥


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海が見たい

初夏を通りこして、既に真夏の様相を呈している空梅雨の土曜日。
恐怖の行徳橋度のことだが、この時期海が見たくなり九十九里を目指す。
今までの、車で行ってベースを起点にするのではなく直接家からの往復にする。
検索での予定走行138km。

往路は御成街道をベースにするため、京葉道路から江戸川水閘門・行徳橋を渡り船橋に抜ける。
本日最初の難関行徳橋。架け替えが進んでいると聞いていたが、まだ桁の一部ができているだけだった。
歩道が狭くすれ違いに難儀するので、車の切れ目を図って、一気に車道で渡る。
土曜日朝で車も少なくゆっくりと渡れた。

花見川度か通っているとタカをくくり、ナビなしで走ったため、御成街道に入るまでに、船橋・習志野で迷走する。
津田沼から、大久保を抜けて御成街道に入る。







御茶屋御殿跡滞の四街道を越え、定石通り自衛隊横を通ればいいものを、横着したら、また迷走。無駄な遠回りをした後、再び御成街道に入る。佐倉街道から先の御成街道は、起伏が多く、道が細くて悪い昔ながらの道の印象が強いが、市街地化により整備が進んでいる。
市街地を抜け、埃っぽい畑と林が混在する長閑な風景に替わると『御茶屋御殿跡』の看板。家康のお鷹狩りの休息場としてつくられた借り屋敷で、井戸や土塁が残されている。




OXエンジニアリング道の時は気付かなかったが、『OXエンジニアリング』を発見。千葉の校外とは聞いていたがここにあったのか。
ミニベロの名車『ガゼル』のカスタムメーカーである。但しミニベロでいえば『ガゼル』より『ピコ』が有名。しかし主力商品はカスタムメイドや競技用の車いす。最近よく見る犬用車いすも造っている。






ニチレイレディズやってますの辺まで来ると、車も少ない長閑な田舎道だが、今日は観光バスに大型セダンや外車がやたら走っている。ところどころ警備員もいる。
そういえば途中に「袖ヶ浦CC」があったのだ。なんで袖ヶ浦と全然違うところに『袖ヶ浦』なんだという突っ込みは別として、今日はニチレイレディズの中日であった。





御成街道跡康の命により敷かれた御成街道(当時はそう呼んではいなかっただろう)は起点の船橋から東金までほぼ直線的に敷かれ、そのかなりの部分は現在も一般道として使われているが、時代の流れとともに道が変わり、寸断され現在ではその痕跡を見ることもできなところもある。
千葉市山王町周辺・東金市周辺とこの八街市沖地区である。沖地区に入ると斜めに突っ切る直線道は消失し、区画整理された、碁盤の目状の道に替わっている。今は全く痕跡のない道端に斜めに建てられた看板だけが当時を知る目印になっている。



雄蛇が池雄蛇が池一のポイント『雄蛇が池』に到着。金山トンネル・観音隧道と並び、千葉県でも五指に入る心霊スポットだが、昼は自然豊かなバス釣りスポットでもある。トイレ休憩も兼ねて立ち寄るが、確かにここのトイレには夜は近寄りたくない。
前回はここから東金市街までで前進を断念、反転帰投となったが、今回は海を目指してさらに前進する。



不動堂蛇が池からまたしても迷走して不動堂海岸まで14km。
やってきました九十九里浜。
しかしこの砂!。自転車を端に停めることもできず、ビンディングシューズに砂が入るのも嫌なので、ここで海を望むことは断念。
ここから、折り返し予定地点の『サンライズ九十九里』まではあとわずか。




智恵子抄の碑智恵子抄の碑ンライズ九十九里の手前に『智恵子抄の碑』というものがあるので寄ってみる。
文学にはトンと興味ないオヤジであるから高村智恵子が療養のためこの地にいたというのは初めて知った。
実際この場所に智恵子のいた別荘があったわけじゃないだろうが、車だと事前調査をしなければ見逃してしまうようなポイントである。
‥‥自転車立てかけてごめんなさい。‥‥


サンライズ九十九里っと到着。今回の目的地、「千葉のマリーナベイサンズ」??(‥‥といわれているかは不明)『サンライズ九十九里』。
屋上にプールはないが、屋内にサウナ付きの展望風呂がある。
これがリゾートホテルではなく『国民宿舎』だということが、〇〇ベイ〇〇〇に勝る唯一の勝機か‥‥
手頃な値段で泊まれるのだが、休日スケジュールが直前まで合わせづらい我が家では『ホテルシーサイド江戸川』とともになかなか取れない宿の一つである。




外海です。九十九里浜ンライズ九十九里のすぐ横で海にそそぐ『真亀川』の河口から海岸線に出る。
河口提の突端部。目前に広がる大洋。初めての自走による九十九里到達。今回のミッション達成。





スタバ飯路は白里から大網街道1本で本千葉に抜けるルート。すでに脚は引きつり状態だが、前回の渡良瀬と違うのは、予想通り帰路に追い風になったのと、お尻の苦痛が限界点に達していないことである。
大網の市街を抜けると、最後の難関、1.5km・平均斜度4.1度の上り坂。普通のサイクリストなら何でもない軟斜路だが、今の親父には獄門坂である。しかしここを登り切ると、千葉寺までの約17kmはほとんどペダルに力を入れる必要のない僅かな下りである。
千葉市街に入ってスタバで遅昼の糖分補給。超甘が休まる。



幕張りはR14から花見川を下り、『幕張の浜』に出る。太平洋と東京湾の両方の海を堪能?できた。








本日九十九里センチュリーライド達成??の走行160.67km。距離こそセンチュリーだが12時間かけているから、最初の4時間でNGである。
でも、この800円で買ったサイコンは「26インチ」としか指定できないのであまりあてにならない。GPSがなくなってちょっと不便だ。
記憶の限りルートラボで再現した距離は158km。
前回の渡良瀬サイクリングより距離も長く斜度もあったが、帰りの追い風と尻の苦痛軽度による精神的・肉体的余裕が幸いした。


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さっぽろ紀行 番外

檜原湖幌出張から半月。
再度札幌に出張遠征。今回は10日間だが休みなしのため見れるところはどこもない。
出発時は雲の厚い天気だったが、一瞬の晴れ間で眼下に檜原湖が一望できた。
井上靖の短編小説『小磐梯』のテーマにもなった、磐梯山の水蒸気爆発によるMEGA土石流によって出現した巨大湖沼である。
裏磐梯に魅せられ頻繁に訪れていたが、この十数年訪れていない。小磐梯山頂からの絶景と大磐梯の山頂からのパノラマに感動し、いつか子供を連れて登りたいと思ていたが、その夢はちょいと叶いそうにない。


デリカD2 2回の現地での「脚」は『デリカD2』。リッタカーの指定で予約。店に行ったら「『デリカ』をご用意しました。」といわた。車を知らないオヤジとしては、当然D5と思う。コンパクトカーで予約したのにデカすぎると文句(本等は( ̄ー ̄)ニヤリッだったが‥‥)を言ったら「D2というミニボックスです」といわれた。
『デリカD2』、ハイブリッド4WDである。三菱のハイブリッドってあまり聞かなかったけど、プリウスのようなものではなく「ハイブリッドモドキ」らしい。さすが三菱!?。
でもフル4駆で17km/1L走った。北海道だからか?最近の車はそれが当たり前か?感動する方がおかしいのか。オヤジの歴史遺産はハイオクで6km/1Lしか走らない。


デリカD2 3デリカD2つは前回のFITより面白い。最近の車は、至れり尽くせりで、「衝突防止」や「はみ出し警告」は当然として、60km/hを超えると「安全運転しろ」とかインターに近づくだけで「ETC車線はだめ」とか、しまいにゃ走行後に「エコ運転を心がけろ」と指図する。これで会話が成り立ったら『ナイトライダー』のキットである。
我が家の古女房は「カードを挿入してください」「ドアが開いています」くらいしか言わない。いたって無口である。


琴似屯田兵屋て、今回琴似屯田兵屋2唯一の観光は、車のバックにある『ロートウァングの館』以上の古屋敷(というより長屋だな)。
『琴似(コトニ)屯田兵村兵屋跡』。屯田兵村については、資料館があるのだが、早朝のため、保存されている兵屋を見に行く。
北辺警備と開拓事業を兼ねた屯田兵が初めてこの地に入植したのが明治8年。その最初の入植地が現在繁華街となっている琴似栄町通のJR琴似駅から地下鉄琴似駅に至る周辺。通りの両側に、このような兵屋が200戸ほどつくられ、いくつかの屯田兵村とともに本格的な石狩地域の開拓が始まったそうだ。
野菜ぎょうざ みよしのセット回もゆっくり食事の時間がなかった。東京にないものとして、サツドラ・セイコーマートの『ホットシェフ』に続き、地元から聞いた札幌市民のソールフードといわれている『みよしの』で餃子とカレーの『みよしのセット』を食べる。みよしのセットは470円。オヤジは野菜餃子が好きなので、野菜餃子のセットで520円。
地元人はごく普通においしいよというが、赴任や出張できた人間の賛否はビミョウ。
オヤジ的には10日の出張で4回行ったから、結構はまった方である。




今回北海道の翼も往復とも「北海道の翼」エアドゥである。比較的直前に安い運賃で乗れる結果だが、北海道の発展と道内の利益還元を目標に設立した会社で、厳密にいうとLCCではない。
行も帰りも、機内安全のビデオモニターが故障で、アテンダント嬢の生解説と実演が見れた。さすがエアドゥ?






お土産2お土産1回は冗談でも『白い変人』を探してしまったが、今回はマジで買いました。
『白いブラックサンダー』。娘への土産で、味見はしていないが、ブラックという割にはすごく甘いだろうことは想像に難くない。
次は『HORIとうきびチョコ』これがとてもおいしい。特にプレミアムは甘さを多少抑えて食べやすい。これはやみつきになる。
結局今回は定番の『白い恋人』は買えなかった。この辺は東京でも買えるしね。



お土産4お土産3して、どう見てもゆるキャラではない『メロン熊』。ストラップは初代のゆるキャラ系なのか、グロ感やこわ感はない。普通のマスコットストラップである。(凶暴系もあった)。
Tシャツは凶暴系。だけどオフィシャルサイトの表紙ほどの不気味さはない。
メロン熊もゴジラみたいに、そのご時世で容姿や性格がかわるようである。
ゴジラが核実験を繰り返す驕ろ人間への大地の怒りの象徴なら、メロン熊は炭鉱閉山によって財政破綻を強いられた夕張市民の怒りの象徴?なのかもしれない。





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長い付き合いだなー‥‥けど腹立つのう

今年も自動車税の納付時期になった。
いつ納付通知書ものごとくポストに入っていた。
最近は自動車税や都市計画税などをキャッシュで払えるほど現金がないので、数年来クレジット払いである。
また支払いをしようと開封する。
「あれぇ〜っ、なんかたっけーな。」
「あっ、そうか年式だ!」
以前乗ってたグラチェロ並の高級車になってしまった。

4リッターカーの税金に耐えかねて15%近く下がる1ランク下の3.5リッターで選んだのが今の車である。15%上がったら元のもくあみである。


腹立つ重課車登録より一定期間を過ぎると重課税となる。
「古いものは金がかかるしエコでない。しかも新車が売れないと経済効果もない。そんなの乗っているあんたは非国民だ。」といわんばかりだ。

日本人の原点『もったいない』はどこへ行った。そういえば家の家電も1度2度修理しているものがほとんどになった。どれから火を噴くかの競争のようになってしまった。やばいねぇ。

車は毎年検査代のほかに10万以上の修理代・消耗品交換代を出費している。もう少し頑張って全自動車を買うという夢までもつだろうか。

腹は立つが、でもそれだけよく飽きずに乗ってきたなと改めて感心。
もう少し頑張んべか。歴史遺産の維持管理には金が掛かるのだ。


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関東三十六不動尊巡拝 

さて、第一回目の『関東三十六不動尊巡拝』である。スタートが5月なので残り7か月となっている。巡拝に合わせていろいろ見て回りたいところもあるが、今回は割愛。
巡拝は特に順不同でよいそうなので都内から始める。

ルート
〔楾不動尊⇒等々力不動尊⇒L楡追堝安頃有っ飜酩堝安頃有ダ仗整翩堝安頃有志村不動尊⇒目白不動尊

目黒不動尊2目黒不動尊1黒不動尊
 天台宗泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)
慈覚大師・円仁の開基によるとされ、日本3大不動の一つに数えれれる由緒正しき寺院である。
駐車場はあるのだろうが、山門の前にコインパーキングがあるのでそこに駐車。



目黒不動尊4目黒不動尊3本尊はもちろん不動明王、本堂の裏手に巨大な大日如来像がある。不動明王は密教最高神『大日如来』の化身とも分身ともいわれている。護摩焚きの時は「大日大聖不動明王」と唱えられている。
女坂の途中に『変神大菩薩』が祭られている。修験道の開祖『役小角』のことである。お不動さまのところには多くに役小角も祭られている。修験道と密教は密接なつながりがあり、空海のエピソードの中にも役小角が大きくかかわっている。


等々力不動尊2等々力不動尊1等々力不動尊
 真言宗智山派滝轟山明王院(りゅうごうさんみょうおういん(致航山感應院満願寺別院)
寺院の縁起には、はっきり書かれていなかったが、真言宗の中興の祖、興教大師覚鑁(かくばん)によって開かれたとあるので、12世紀頃の開基だろう。
等々力渓谷の中ほどにある。
駐車場有。目黒通りを都心方面から来るとUターンになる。

等々力不動尊3不動の滝内から渓谷に下りられる。ここにも『変神大菩薩役小角』の祠がある。下りると渓谷沿いに不動の滝がある。遊歩道や甘味処もあるので時間が許せばゆったり過ごしたいスポットである。
余談ながら、目黒通りを挟んで向かい側には墳丘長55m、高さ7mの『御岳山古墳』、渓谷の対岸を上って500mほど行くと全長約82mの帆立貝式古墳、『野毛大塚古墳』がある。


L楡追堝安
 天目青不動尊2目青不動尊1台宗竹園山教学院最勝寺(きょうがくいんさいしょうじ)
開基については1,311年説と1,609年説があるようだ。創建者の玄応和尚自体いつ頃の人物かわからない。
三茶の雑踏からわずかにそれた閑静な住宅地にある。広い駐車場があるが進入路がわかりずらい。西友付近のパーキングに止めても歩いてわずかだ。
ご本尊は阿弥陀如来。正門から入ると右手手前。世田谷線沿い(写真)から入ると正面が不動堂になっている。

目青不動尊3目青不動尊4動堂は古式騒然としているが、現在の不動明王像は明治になってから当寺に移されてきたものだそうだ。
慈覚大師(円仁)作といわれる不動明王像を直接見ることができる。





っ飜酩堝安
 中野不動尊1中野不動尊2言宗豊山派明王山宝仙寺(みょうおうざんほうせんじ
当寺の歴史によると、創建は平安後期の寛治年間、源義家によって開基されたとある。
特に駐車場の指定はないが、正面門の横に車用の通路があったので、境内の隅に停めさせていただいた。



山門には阿吽の金剛力士像が配されている。境中野不動尊3内は広い。
ご本尊は秘仏で良弁作と伝えられる『不動明王像』。
三重塔には『大日如来像』。少し奥まったところにある御影堂には『弘法大師立像』が安置されているとのことだが、今回は見ることはできなかった。





中野から足を延ばし、練馬区の三宝寺池近くにある第11番所である『石神井不動尊』に向かう。
ダ仗整翩堝安
 真言石神井不動尊1石神井不動尊2宗智山派亀頂山三宝寺(きちょうざんさんぽうじ)
縁起によると、創建は応永元年(1394年)。鎌倉大楽寺の大徳権大僧都幸尊法印により、現在の豊島橋周辺に建立され、地在豪族の豊島氏の保護を受けていたが、1477年、豊島泰経VS太田道灌の『江古田原合戦』により石神井城が落城すると、道灌によって現在地に移転された。




石神井不動尊3石神井不動尊4神井城の縄張りの中につくられた境内はかなり広く、本堂のほかに6つの別堂がある。本尊は不動明王。
旧早稲田通りの斎場の向かい側に駐車場がある。
『関東三十六不動第十一番札所』であるほかに、『武蔵野三十三観音第三番札所』・『御府内八十八ヶ所霊場第十六番札所』(目白不動尊も第五十四番札所になっている)等複数の札所になっている。


志村不動尊
 真志村不動尊2志村不動尊1言宗智山派寳勝山南蔵院(なんぞういん)
徳川吉宗によって『櫻寺』と名付けられ、毎年春に釈迦尊の生誕を祝して盛大な『花まつり』が行われる。時機を逸して残念。
R17に面した広い駐車場がある。





志村不動尊3本尊は十一面観世音菩薩。不動堂は門を入って左側、本堂手前にある。不動尊はもともと近隣の末寺の本尊だったものが昭和の初めに当寺に移されたと縁起にある。






目白不動尊
 真目白不動尊2目白不動尊1言宗 豊山派神霊山金乗院慈眼寺(こんじょういんじげんじ)
創建は天正年間〜文禄元までの間とされる。門を入ると立派な本堂がある。ご本尊は『聖観世音菩薩』。地蔵堂は門を入りすぐ右手にある。
元々白目不動尊は文京区関口の目白坂の東豊山浄滝院新長谷寺(とうほうざんじょうりゅういんしんちょうこくじ)にあったが、戦災で焼失し当寺に移された。不動明王は弘法大師作と伝えられる秘仏である。

目白不動尊3動堂横手から裏山の墓地に入れる。丸橋忠弥の墓がある。行って見るかと尋ねると「それ誰?知らなーい」とカミさん。娘と違って歴女じゃないなぁ。かくいう親父も、この名前を覚えたのは『時の行者』を読んでからだ。






本日予定の七山を参拝したが、16:30まで多少時間があるので、もう一山、帰路からあまり離れていない南国寺目赤不動尊を今回の最終番所にする。
目赤不動尊2目赤不動尊1赤不動尊
 天台宗 大聖山東朝院南谷寺(とうちょういんなんこくじ)
五色不動の中でも目黒・目白と並び三不動と呼ばれている。
創建は元和年間、万行律師が赤目不動尊として開基した。三代家光より五色不動構想により『目赤不動尊』と改名された。やはり五色不動には天海大僧正の強い意向があるようだ。



門を入ると左側に駐車場がある。不目赤不動尊3動堂は駐車場の向かい側にある。こじんまりしたお堂である。去年の正月に来た時も夕方であった。
余談だが、ここから駒込方面に600m行くと、全長45m、高さ5.5mの前方後円墳 、富士神社古墳がある






関東三十六不動巡拝1院の縁起を調べてみると不動堂は多くが元の位置から移っているようだ。五色不動を家光の時代の位置に戻すと、江戸城を中心に北斗七星の形になるという説もある。
そんな五色不動を含む8か所を初日で巡拝、ゴールデンウイークで比較的すいていた都心であるが、6.5時間(朱印の授与時間は 9:00〜16:30なので7.5時間可能)で8か所はちょっとせわしなかった。次回からは少し境内や安置仏、周辺の見どころも散策したいきたい。



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今年は関東三十六不動尊巡拝

今年『酉年』はお不動さまの年。
関東三十六不動霊場会ポスター年はカミさんの達ての願いで、『関東三十六不動尊巡拝』をすることに決めていたが、諸所の事情とスケジュールの都合で、5月の連休からのスタートとなった。
仏教徒を自称しながら、仏教をまるで知らない不信心な親父としては,『関東三十六不動尊』てなに?、総開帳てなに?から始めなければならない。
「関東三十六不動霊場会」の公式HPを見てもその辺を教えてはくれない。
http://tobifudo.jp/36fudo/
そもそも干支の守り本尊の起源すら明確ではない。しかも12神御わすわけではないので、専任守護本尊と兼任守護本尊がいらっしゃる。仏の世界も人材不足のようだ。密教と陰陽道が融合されたともいわれるが、守り本尊自体広まったのは比較的近年らしい。

真言宗豊山派 七星山光徳院4やじの守り本尊は『千手千限観世音菩薩』、つまり千手観音さまである。仏教は本来インド発祥であるからインド風の名前(というより唱える真言だな)がある。
千手観音さまは「おん・ばざら・たらまきりーく」である。一発で覚えられる。

ちなみに上杉謙信が出陣前に群臣の前で唱えるのは「おん・べい・しら・まんだやそわか」、毘沙門天の真言である。こいつが何ともかっこいい。



新本堂2回の主役は、カミさんの守り本尊、もちろん『不動明王』、お不動さま。お不動さまを梵語で唱えると「のうまくさんまんだ・ばさらだん・せんだんまかろしゃだや・そはたや・うんたらた・かんまん」となる。カミさん熱心にお不動さまに通っているが、こんな長いお不動さまの真言よく唱えれれるなー、と聞いたら唱えられんそうだ。「のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん」という略式があるようだ。これなら覚えられる。
外国人にはながーいフルネームの方も多く大概は略してファーストネームで呼ぶ。不謹慎かもしれないが理屈は同じようなものだろう。


では、なんで三十六不動なのだろう。「36」という数字はなに?。
もともと不動明王さまには三十六童子という眷属(けんぞく)がいるそうで、広辞苑によると「仏・菩薩につき従うもの」という意味があり、薬師如来の十二神将、千手観音の二十八部衆とかがあるそうだ。
三十六不動はその三十六童子から来ているといわれている。不動明王さまは一人だが眷属が別々だから三十六ヶ所を回るというのもおかしい気がする。

関東には上記のほかに「北関東三十六不動霊場」というのもある。関東の不動尊が72尊しかないということは考えられないから、それぞれの三十六寺院は商店の連合会みたいなものだろう。商店街活性化のスタンプラリーのようなものだ。
Wikiによると、関東三十六不動尊霊場(かんとうさんじゅうろくふどうそんれいじょう)は、神奈川・東京・埼玉・千葉にある36箇所の不動明王霊場寺院の総称。昭和62年に開創されたとあるから三十六霊場の総開帳は二回目ということになる。

「開創」とは、これもWikiによると、「寺院を創設すること」とあるが、それぞれの寺院は別に縁起を持っているので、あくまでこの霊場会という組織ができた年ということだ。
関東36不動て、その関東三十六不動尊霊場とはどこだろう。
第一番所 大山寺から始まって、大雄山・川崎大師・西新井大師・川越大師など初詣のメジャースポットをめぐり、締めくくりは成田山新勝寺。
五色不動などは昨年回ってしまった。

さて、目的地はわかったが、では行って何をするのか?
これもよくわからない。巡礼というなら、お不動さまを巡ることで、その地のお不動さまと結縁を結ぶということになるが、不動明王はもともと一尊である。しかしどれかが本物であとは代理人ということはない。HPでは順拝という表現が使われている。

まあ、あまりウンチクは必要ない。日本人はあるがままを受けいれ、すべてのものを神として祈る。仏さまもその中の一つであり、キリスト教徒やイスラム教徒にあまり抵抗なく接することができるのも、節操がないからでなく、太古より日本人の連綿と受け継がれる宗教観なのだろう。

gaibookせ、『関東三十六不動尊霊場』ガイドブックもあるし、モデルコース紹介や、各旅行会社でパックツアーなども組まれている。
白装束に金剛杖という大げさなものでなく、ドライブ気分で初めよう。
寺院はそれだけで一種のパワースポットになっている。少しは神聖な気分になって気分転換、日常を見つめなおすのもいいだろう。

勿論お不動さまめぐりであるから、お不動さまの真言を唱えることを忘れてはいけない。

のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん
のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん
のうまくさんまんだ・ばざらだん・かん‥‥


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無謀 渡良瀬遊水池

ゴー吉か凶かルデンウェークにどこも行かないのはもったいない。唯一フリーの3日にどこか走りに行こうと決めたのは5月1日夜。
車+自転車は渋滞に巻き込まれるので、家から直接往復にするのは決めていたが目的地が決まらない。いくつか候補もあったが結局出るまで決まらなかった。
京葉道路に突き当たる。右に行けば市原・大網方面、左に行けば多摩湖狭山湖方面。直進すれば荒サイ・江戸サイで埼玉茨城方面である。
信号一つまって直進にする。
風は南の微風。北上しても帰りがそれほど苦にはならないという判断。
「甘かった‥‥」

松伏の休憩所黄色い絨毯6に合流し松戸に出る。車はやはり動かない。チャリンコオンリーにして正解。
江戸サイを北上。今日はサイクリストが多い。江戸川CRには三郷と松伏に休憩場がある。前回も立ち寄った松伏の休憩場で休憩。





アーバンライン武アーバンパークラインの江戸川橋梁。やはり東武野田線のほうがしっくりくる。『アーバン』てどういう意味?。けして都会的でない都会人の親父から見ても、『カントリーライン』とは言わないけど(40年前はそうだった)、せめて『サバーブライン』とかじゃないの。






デカい大凧あげ祭り珠花橋の手前に来ると何やらものすごい人盛り。
春日部の『大凧上げ祭り』だ。以前通った時もやっていた。アナウンスでケバブ屋の出店の宣伝があったが、さっき飯食べちゃったばかりである。残念。
帰りまでやっているといいのだが。




東北新幹線利根川橋梁宿橋から護岸工事で一般道に抜ける。再びCRに戻ったのは『新幹線利根川橋梁』の手前。
久々の100km走行を目指して、休憩入れて、12時半には折り返すつもりだったが、関宿橋の時点で55kmを超えている。
漠然と渡良瀬遊水地を目標にしていたが、最大の誤算は遊水池までの距離を調べていなかったこと。
関宿城をスルーしてしまったので、遊水地を目指すか、バイパス橋を渡り『道の駅さかい』で飯食って引き返すかだ。お尻の痛みがかなりつらく、時間も予定の12時を過ぎているが、まあ次の日も休みだと思うと、折り返しのインパクトが欲しくなった。遊水池までは14km。痛みをこらえて強行する。この往復28kmが「甘かった‥‥」


R4新三国橋クリーンセンター利根川橋を渡り渡良瀬左岸を北上する。ユニークな煙突が見えてきた。古河クレーンセンターの煙突だ。これも『コンスタンティヌスの柱』だ。(オヤジは清掃工場の煙突を「コンスタンティヌスの柱」と呼ぶ。)
R354の新三国橋をくぐる。三国橋の三国って上野・下野・武蔵かな。下手するとこの辺りは下総まで絡んでくる。




古河城古河城本丸跡三国橋を超えると古河城案内板があった。「こんなス−パー堤防の上に城があったの」などとトチ狂ってはいけない。
ここも湿地帯にあり、かつては忍城や岩槻城のように浮城のような城構えだったのだろう。平安後期の古い築城で、古賀公方の根拠地となり、江戸時代も譜代や幕閣の重臣が城主になっている、関東の要の城だったともいえる。



実際野渡橋遊水池の中の道はそんな観光気分ではなく、脚が重く、股がビシビシ状態であったのだが、遊水池のゴルフ場を過ぎたあたりで、三国橋を渡らなければならないことに気が付いた。すでに三国橋より1.5km。コース修正などできない。上の橋までは4.5km。ここで断念と思ったが、マップを拡大すると遊水池の中に道がある。一般の車が走ってくるので行けると判断。渡良瀬川の野渡橋を渡る。



遊水池4遊水池3良瀬川の対岸の堤防を上る。
湿原の向こうに巨大な遊水池『谷中湖』が見える。
渡良瀬遊水池は、氾濫に悩む渡良瀬川の治水事業としてつくられたと思われがちであるが、そうではない。治水はあくまで表向きで、真の意味は、上流の足尾銅山の鉱毒を沈殿させることと、その鉱毒の被害を最も訴え続けてきた谷中村の抹殺にある。住民は農地をつぶされ、二束三文の補償金で村を追われた。村は強制廃村にされた。今でもこの整備された美しい公園の地中には、基準値を大幅に超える鉛などの鉱毒が堆積されているのである。
第一水門遊水池2水地には歴史的見どころも多い。中心地まで行きたかったが、時間と体力の限界となり断念。谷中湖を遠望し反転帰路につく。
すでに走行77km、もう引き返すことはできない。否、もう引き返すしかない。帰りは巨大な渡良瀬第一水門を通る。





とに大利根河畔景勝の地コースがあったかくケツとおまたが痛い。帰路は利根川左岸を下る。渡良瀬川は利根川に合流し、その先で江戸川が分岐するのだが、元々利根川の源流は今の中川水系であり、鬼怒川常陸川の独立水系となっており、渡良瀬川から太日川(現江戸川)は独立水系だったのだ。
その開削された分部の広い河川敷にモトクロコースがあった。若いころオフロードバイクで河川敷のにわかコースによく走りに来たものだった。
関宿城が対岸に見えると『大利根河畔景勝の地』の碑。ここは関宿城をバックにした富士見百景にもなっているらしい。しんどくて休憩。

関宿城道の駅「さかい」ましだまし『道の駅さかい』まで来て休憩と遅い昼食。
サイクリスト応援カフェCORG’S。サイクリストはいなかった。オヤジもここに来るとついつい食堂のうどんに行ってしまう。
道の駅さかいに約50分。十分休息したつもりだが全然回復していない。境大橋を渡ったところで関宿城南面の全景が望める。このアングルで見るとまるで平山城である。スーパー堤防恐るべし。



輪空?大凧が上がっていた行はすでに100kmを超えている。数キロ走っては休憩の繰り返し。これでは進まない。宝珠花橋対岸についたのは16時半近かった。
おお、飛んでいる。葉巻型UFO‥‥じゃない。大凧上げ祭りの大凧である。大凧は南風を受けて見事の飛んでいる。「あんなでっかい凧が元気に飛ぶような向風だからたまんねーんだよ」とは、オヤジの今の率直な感想である。
凧あげ会場の対岸に芝の滑走路がある。マップでは『関宿滑空場』とある。こちらもみな帰り支度だ。グライダーって折りたたんで専用ケースに入れて運ぶのか。『輪行』やめて『輪空』にするか。でも曳航機はどうやって格納庫にしまうのか。それともどこか別のところから飛ばしてくるのか?

風に本日の走行あと少し耐えられなくなり、野田橋で江戸サイから一般道に抜ける。しかし松伏からレイクタウンを抜けて外環までは、土手と変わらない吹き曝しである。

帰宅は20時。前年同時期に同じようなルートでほぼ同じ距離を走った時は、帰路にもまだ余裕があった。




遊水地往復回の走行150km。満足感や達成感よりもく、疲労感と帰宅時の解放感が強く残った。
出発時に一瞬輪行袋持っていこうかと思ったことはやり直感だった。袋もっていけば、ゆっくり遊水地を散策した後で、東武線一本で帰れたことを考えると、無計画と判断力の甘さが悔やまれる。




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さっぽろ紀行下つ巻

観光を市内に移す。
宮の森ジャンプ台通りや駅前に車を止めれば見どころはたくさんあるが、駐車場代もかかるので、とりあえず市街の周辺を回る。
札幌オリンピックで日の丸飛行隊が活躍した『宮の森ジャンプ競技場』。実は大倉山に行くつもりが、ナビをセットしていなかったので、間違えてきてしまったのだが。
親父のほかにはジョギングしている人が一人だけだった。オリンピックのテーマソング史上一番の名曲(と、オヤジは思っている)、トワエモアの『虹と雪のバラード』を口ずさんで歩く。(最近の人はしらないよなぁ)




羊ケ丘クラーク先生は有名な羊ケ丘のクラーク先生の銅像を見に行く。
羊ケ丘は市街の外れではあるが何にもないだだっ広い土地だが、元々は農業試験場の一角を公園にしているらしい。入園料520円とられた。
「少年よ、大志を抱け」(TOKIOじゃないぞ)で有名なクラーク先生の本名はウィリアム・スミス・クラーク。『クラーク』といったらオヤジはすぐに『デイウ・クラーク』が出てきてしまう。DC5知ってるかな。『because』や『若さをつかもう』『グラッド・オール・オーバー』は名曲だ。



北海道神宮2北海道神宮通公園のテレビ塔や時計台に行きたいが、テレビ塔ではぜひ夜景を見たいため、さらに時間調整。北海道神宮に行く。検索すると宮の森のすぐ近くだった。『宮の森』自体神宮の森という意味だから当然だ。ほとんど来た道を戻る。
北海道神宮は江戸時代以前から存在する道南の神社と違い、明治になって開拓の成就を祈願し勅によって建てられた神社である。本殿は再建されたものだが、流石に北海道一ノ宮としての荘厳さがある。


赤レンガ2赤レンガて、そろそろ夕方になったので、テレビ塔を目指す。北海道庁の近くのパーキングに車を停めて、旧庁舎の赤レンガを見に行く。
17時なので中には入れないかと思っていたら、もんが開いていた。建物もまだ人が出入りしている。18時まで開館しているようだ。お役所とは思えない。観光客は外国人が多い。中の資料展示には北海道開拓の歴史や北方領土の成り立ちなどがあったが、蝦夷共和国の資料はなかった。
榎本武揚の隠れファンとしては少し寂しい。


時計台2メトロポリス海道庁旧庁舎から時計台に来た。流石に入館時間は過ぎていたが、ちょっとイメージが違うな。高層ビルに囲まれてしまった時計台は、まるでメトロポリスに出てくるロートウァングの屋敷のようだ。






教会くなるまでは、まだ時間があるのでブラブラと創成川通りに出る。ここにも『ロートウァングの屋敷』的建物がある。ここは教会のようだ。

時間もあるし小腹もすいたので地下街に入ってお茶しようと思ったが、せっかく札幌に来たのだからラーメン屋を探してラーメンを食べる。とりあえず札幌に来てみんながすることの一つができたわけだ。




展望台?札幌テレビ塔下通路からそのままテレビ塔の3階までそのまま上がれる。東京タワーでいくと大展望台に当たる。が、東京タワーの150mと違い、高さは23mほど。我が家のマンションより低い。







夜景大通り望台に上がるころには日が暮れて、光のともった街はやはりきれいである。
大通りからまっすぐに大倉山ジャンプ台が見える。
ここでゆっくりお茶ができるとよかったのだが、残念ながら展望台に喫茶店はない。






メロン熊雪ミク景も堪能したので下りる。テレビ塔3階には東京タワー同様、昔ながらのお土産屋がある。
雪ミクスカイタウンて空港にあったやつだ。時間があってもこれは入りずらい。
メロン熊ののぼり。はっきり言って結構キモイ。これはけして『ゆるキャラ』ではない。






時計台大通りからテレビ塔レビ塔のイルミネーション。ダイヤモンドヴェールかと思ったが、札幌テレビ塔は時間帯によってライトアップとイルミネーションが交互に替わるようだ。
パーキングに帰る途中時計台のライトアップ。昼間より夜のほうがよい雰囲気である。
人口およそ200万。全国5位の大都市札幌。第一の繁華街すすき野の散策はできなかったが、半日で結構見どころ周りができた。



北海道でなければ見れないものはこれだけではない。
ホットシェフツドラ(サッポロドラッグストアー)でのお買い物と、セイコーマートの『ホットシェフ』を食べる。
ホテル帰りが遅く、いつもコンビニ飯だが、市内ではセブン・ローソンをはるかにしのぐ店舗を有するセイコーマート。ツルハドラッグは東京にもあるけど『サツドラ』は東京にはない。すすき野のラーメンは東京で食べることもできるが、セイコーマートの『ホットシェフ』は東京では食べられない。
この二つだけでも札幌に来る価値があるといえなくもない‥‥か。




黒い恋人帰り便路ももちろんエアドゥ。娘に『白い変人』買ってくるよぉと冗談で言ってきたが、ネットで見たらホントに写真があったので、ガセネタとは知りつつインフォメーションで聞いてみる。
「白い変人はありませんが黒い恋人というのはありますよ」と笑っておねー様。これはジョークではなくマジなお菓子である。白い恋人と合わせて買っていく。



兄弟タワーるま雲海の日没るの休日も取れない出張だったが、初めての札幌は結構楽しかった。あの独特の交差点の呼び名と、右折ラインのほとんどない4車線道路。歩行者点滅から車道信号が変わるまでのリードタイムがほとんどない信号機にはなれるのに結構手間取ったが‥‥





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さっぽろ紀行上つ巻

いきなりの出張で北海道へきた。
北海道の翼回北海道へ来たのは新婚旅行以来なので四半世紀以上昔である。しかもそろそろ還暦が見えてくるような歳で、札幌を訪れるのは初めてである。
北海道へ飛ぶならやっぱこれでしょ。『北海道の翼』エアドゥ。直前予約で一番安かったという本音はここではなし。
すすき野・時計台・丸山動物園にラーメン・ジンギスカン・海の幸など観光には・グルメには見どころ満載の街である。

が、出張先は市内からはるか離れたところ。宿も市街の外れである。しかもスケジュールは16日間休日なし。朝から晩遅くまで建物の中と周辺施設への移動。何ということだ。


とは茨戸川2茨戸川え、せっかく来たのだから、時間の隙間を利用して多少の見物はしたい。
拠点から近いところに『茨戸川』があるので行ってみる。かつて長さが350kmほどあった暴れ川『石狩川』は大規模な治水事業により、一気に直線化され100km近く縮められ、元の本流が湖沼化・支流化して取り残された。その最大のものが茨戸川である。





茨戸川4本第二位茨戸川3の流域面積を誇る石狩川だが利根川東遷以前はもしかしたら日本一だったかもしれない。坂東で幾たびかの治水事業でほとんど姿を消した近世以前の古隅田川のイメージとオーバーラップできると思い脚を運ぶ。
堤防によって切り離された茨戸川の下流部である真勲別川。川幅は400mくらい。かつての利根川本流、古隅田川もこのような流れだったのだろうか。




足とFITなったのはホンダのFIT。スタッドレスとナビ付きという条件だけで回してもらった車。いった当日が吹雪で市内でも積雪となった。拠点周辺は一面銀世界。FITはとても安定がよく雪道でも4WDと変わらない感覚で乗れる。ホンダのFFってすごいんだと感心した。
しかし燃費が悪い。「Everywhere高速道路」の北海道なのに16km/Lくらいしか走らない。「フィットなら20km位はしるよ」と地元の人とは言う。「オヤジの乗り方が悪いのか‥‥」
と、この車を見ていたジモティが「これ4駆ですよ」という。
でも、借りるとき4駆の指定はしなかったし、4駆のエンブレムも4駆のインジケーターもない。でも下を覗くと確かにリアにデフがあった。
札幌周辺では軽よりこの手のコンパクトカーのほうが目立つ。この辺じゃ1300でも東京の軽並みに走ってくれるからだろう。
16日間の出張で1000km走った。

さて、こ石狩河口橋2石狩河口橋こまで来たのだから石狩川の河口を見に行こう。
石狩川の最下流にかかるR231の石狩川河口橋を渡り右岸の防波堤を目指す。







石狩川河口幡町か河口に向かうら国道を離れ川沿いに行く。道は未舗装になってしまった。四駆だけどレンタだからガンガンいけない。海岸に出る道がわからず行ったり来たり。鹿が飛び出して来た時は驚いた。
流石北海道!クマじゃなくてよかった。
結局最突端まで行くのは断念。海側から石狩川最下流と手稲の山々を望む。




石狩新港2石狩新港期間の仕事を終わらせ、石狩湾新港に行ってみる。休日のためか釣り人がのんびり竿を垂れる。
いかにも工業地帯の港という感じだが、夏になると毎年国内でも最大級の『ライジング・サン・ロック・フェスティバル』が行われていることは有名。


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yozakura

yozakura2日帰りが遅くなったので、短距離ながらジテ通を復活。
前回から8日たったテニスコート。今日も終了前に来ることができた。







yozakura3いぶんと開いてきたが、まだ満開ではない。
今年は結構長く持つかな。







yozakura5温も上がってきて、平日でもささやかな宴会シートが数席設けられていた。
横十間川は護岸工事が進んでいる。結構広い川だと思っていたがだんだん狭くなってしまうのは少し寂しい。







yozakura6ローバー橋から見るスカイツリー。この川こそが、かつての『武蔵国』と『下総国』の境界である。
スカイツリーは確かに川の右岸にある。「スカイツリーはかつての武蔵国にある」というのは間違いではない。







yozakura7ローバー橋から下の横十間川は親水公園になっている。
こちらの桜はさらにまだ早い。
今年も花見ツアーはできそうにないが、娘の入学式は満開の桜の中で迎えられそうだ。







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桜と愚痴少し

ぐっ咲きはじめ2と気温が下がり、山沿いでは季節外れの大雪となった今日。
帰り道にときたま通る公園のテニスコート。

桜が少し咲いていた。
お〜、このテニスコートいつからナイトゲームできるようになったんだ?




否。自咲きはじめ分が今日早いだけだ。いつもはもっと遅くに通る道。ナイトゲームはおそらく21時までだろう。
今日は久々に21時前なだけだ。







今日明るいは街全体が少しだけ明るく見える。
テニスコートもそうだが、オフィスビルの光も多い。流石に月曜日に『ノー残業デイ』を持ってくる会社は少ないな。わが社もせめて『ノー深夜残業デイ』があってもいいかな。
残っているのが営業と管理職だけなら、もともと残業などという言葉すらないが‥‥





高い日から気温が上がれば、今週末には満開となるだろう。
桜の季節は短い。桜が終わると新緑の季節になる。
走りにはちょうどいい季節になるのだが‥‥
今年は乗り回す余暇がとれるかな〜。



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昼ポタ

自転車通勤がなくなったため、年末の下野ライド以来の自転車出動となる。
銀座の某リサイクルショップで買い物をしてから晩飯のおかずを買って帰るまでの時間、久々に少しこぐ。
お茶してから、桜田門を通りBMCの故郷、赤坂の某大手チェーンのサイクルショップに物色しようと足を延ばしたが、店がなくなっている。
HPみたら半年も前に閉店していた。
他の店に行くのもつまらないので、このままポタに切り替える。

六本木通りから麻布通りに入り、外苑東通りに入る。今日は警備がとても物々しい。しかもやたらに旭日旗がはためいている。
『今日は何の日』。「お財布の日」。「モスバーガーの日」。右翼とも機動隊や警察隊とも関係ないなぁ。

天文台跡天文台跡2シア大使館の横の路地を入ると、小高い丘に突き当たる。今はアフガニスタン大使館の一部も含むこの突き出した台地の縁に東京天文台があった。あまり物々しいので警備の警官に「天文台跡に行ってもいいですか」と尋ねたら「天文台跡なんて知りません」と答えられた。
ここは以前にも一度来ているが、この史跡の正式名は『日本経緯度原点』という。三角点などの地理的測地はここを基準とされていた。関東大震災までここは天文台だったのだ。


今日は何の日?タワーのものしい飯倉交差点をこえて、東京タワーからタワー前交差点・赤羽橋を経由して芝公園に。またまた街頭演説がけたたましい。そしてバリケード。
『今日は何の日』。「スイーツの日」、「日曜休日・土曜半ドン制定の日」。そんないい日だったのか。
それとも誰か来た?サウジアラビアの国王陛下一行が大挙して来日するからか。それも関係ないな。何故なら石油燃料の宣伝車で走り回っているんだから。



今まで最も丸山古墳3多く訪れた古墳、『芝丸山古墳丸山古墳2』。案内板には『全長106m』とある。おやじはこの古墳の大きさを「墳丘長125m」と紹介する。『東京都遺跡台帳』の『港区遺跡癸横粥戮冒環坑隠横毅蹐筏載されているからだ。
南武蔵を実効支配していた豪族の墓だろうが、125mという大きさは鉄剣『稲荷山』の120m、同時期の『野本将軍塚』115mなどの北武蔵の墳墓も上回る規模である。
「王よ(「なんだ長嶋」‥‥とは返ってこないだろう)この周囲の騒然、どう思われますか‥‥。」「とりあえずお茶にしますか‥‥」

芝公古川河口園を貫き、丸山古墳の前方部を削いだ環状3号線は、日比谷通りから先は未整備の路地となる。JRの歩行者用ガードを超えると海岸通りに突き当たる。
海岸通りから見た古川河口。首都高が寄ってたかって古川を半暗渠化してしまっている。この惨劇は日本橋川より酷い。これがかつての『春の小川』の河口である。





またBMCレインボーループまたやってきたレインボーブリッジ。
橋げた高50m。最近知ったのだが航空機規制による高さ制限は150m。レインボーブリッジの主塔高は126m。24mのクリアランス(バーゲンじゃないよ)があるわけだ。
単純ではないが、主塔發鬘隠毅娃蹐泙念き挙げたら橋げた高は74mになる。もしかしたらタイタニック号もくぐれたかも知れない。どちらにしろあり得ない話ではあるが。
もともと買い物目的だったので、ショッパー仕様のAC−02。

2層ゆりかもめダイジョウブ構造の下層部が一般道とプロムナード、して中央を『ゆりかもめ』が通る。
以前仕事でビッグサイトの展示会へ行ったときは寿司詰めであった。ちょっとした展示会で通勤ラッシュ並みの混雑。
オリンピック、ホントに大丈夫なの?






プロ第3ダイバだった第六ダイバだったムナードから見えるのは第6ダイバダッタ。
その先にあるのが第3ダイバダッタ。
ダイバ・有明のビル街の向こうにゲートブリッジが見える。
江戸の外港の守りとして9基が計画・着工された台場。第1・第4・第5は大井の埋立地の中に埋もれた。第2は航路上の障害として撤去。第3と第6が現存。第7は未完のまま撤去。第8は有明埋立地に替わり、そして第9台場は、まさに今問題のスポット『豊洲市場』の場所に築かれるはずだった。


豊洲市場豊洲再び明から豊洲へ。前回とは逆ルートになった。
周辺整備を残して、ほとんど出来上がっている豊洲市場。
なんかほかの使い道ないのかねぇ。入る前から「使いずらい」なんてレッテル張られて、立つ瀬がないよね。某元都知事さん、無駄な銀行の分まで合わせて金返して。




さて、晩ライフで買い物ついでにソラマチ飯の買い物は、押上げのライフ。晩飯買って帰るには時間があるので、ソラマチでお茶をする。
『ライフセントラル押上店』。ライフはIYやイオンと違ってこじんまりしていて地元密着感があるが、ここは少し毛色が違う。変わった商品も置いてあり、クイーズほどではないがちょっと高級感もある。


久々の半日のんびりポタ。
コーヒー代ばかりやたらにかかった一日であった。
hirupota





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MIKADOROID

mikadoroid18たまた懐かしい映画。
1991年の東宝の短編SF。タイトルからすると何かとてつもないおそれ多いもんが出てくるのかと思ってしまうが、ストーリーの中にタイトルの名称・呼称はいっさい出てこない。

ジャンルは『ホラー』になるようだ。
劇場公開されないOVだった。

主役ともいうべき怪物は『百二十四式特殊装甲兵ジンラ號』。鉄人同様、帝国陸軍の極秘兵器として開発されたが、戦況逼迫により研究施設ともども廃棄処分になった改造人間兵器である。

mikadoroid2トーリーは昭和20年3月10日から始まる。東京憲兵隊により抹消されるはずだったジンラ號計画は、あの運命の日の悪夢「東京大空襲」により研究施設、被験体ともに地下深く取り残された。
この映画で最もインパクトが強かったシーンは、実は冒頭ほんの数十秒間流れる勝鬨橋をバックにした東京大空襲のシーンである。あくまでも伏線であるこれだけが何か妙にリアルに感じる。





それmikadoroid4から45年、時代はまさにバブルの絶頂期に、この施設の上に建てられたビルの漏電によりこの殺人兵器が目覚めることになる。ビルの地下にあるディスコから帰る若者たちが次々に襲われる。
そしてついに姿を現わす『ジンラ號』。ホラー映画というなら『マタンゴ』のほうがはるかに怖い。
元々はゾンビの設定だったそうだ。でもオヤジはこちらのほうが好きだ。
落下傘を装備しているから空挺隊のように敵地に降下させるのだろうか。見境なく殺傷するから敵地に落としてから起動させないと大変なことになる。



地下駐車場に取り残され、追い詰められた彩子(洞口依子)と冨田(吉田友紀)の前に突然現れてジンラ號を迎え撃つ二人の男。彼らはジンラ號とともに生体実験で不老の体を与えられた被験体だった。3人は親友で、ともに東京オリンピックの競泳代表として競い合ったライバルでもあった。
ここでいう東京オリンピックは1964年の東京大会のことではない。その24年前、アジア初のオリンピックは帝都東京での開催が決まっていた。大日本帝国の威信をかけて誘致したオリンピックは戦時下への突入とともに中止となった。
このことを知らないと、このドラマの奥行きが理解できない。

深夜とはいえ地下駐車場で短機関銃同士の銃撃戦をやったら周りがすぐに大騒ぎになるだろうという突っ込みは水を差すだけである‥‥

逃げ場を失った彩子と冨田は、ジンラ號が壁を破って出てきた地下壕の奥に迷いこんでいく。
そこはかつて3人が改造された旧帝国陸軍の秘密研究所だった。
ここでも、小さな地下通路くらいならまだしも、地下鉄や高層ビルの杭や地下インフラの密集した都心でこれだけの巨大な地下空間が残っていること自体が怪奇であるという突っ込みを入れてはいけない。

ジンラ號に追われて、地下壕の奥に追い詰められた二人の前で最後の戦いとなるかつての親友同士。ジンラ號となった鍋島と、自らの肉体内に隠し持っていた、必殺の武器でジンラ號とともに自爆しようとする岡崎(渥美博)。一瞬時間が止まるシーンである。
この壮絶なシーンにおよそにつかない切ないメロディーのBGMが流れていく。

mikadoroid16らの壮絶な自爆とともに秘密施設の大崩落が始まる。
いつの間にか全容を現した謎の装甲兵器。「なんでこんなのが出てくるの?」というような意表をついて出てくる。本土決戦に備えてのものだったのか。早く戦線に投入していれば戦局も変わったんじゃないかと思えるような虎の子である。
クライマックスはそれなりにすごい。ここだけ見るとSFだなーと思える。どことなく『海底軍艦』や『地球防衛軍』をオーバーラップさせるシーンだ。ここでも壮大な特撮とは裏腹のものがなしいBGMが流れていく。



最後は血だらけ煤だらけになった二人が座り込んだ朝の街をズームアウトしてドラマが終わる。

この映画で最も‥‥というか唯一印象に残っていたのがエンディングの字幕に流れるテーマ曲。単調なメロディーであるがなぜか心に刻まれるサウンドである。
この曲がなければ、おそらく25年前に一回見ただけで全く忘れ去っていただろう。

キャストは『洞口依子』・『吉田友紀』・『渥美博』・『伊武雅刀』・『毒蝮三太夫』。割といい俳優陣が出ている。
『洞口依子』一人だけでホラー映画として成り立ってしまうのがすごい。プロローグだけだが、伊武さんの迫真の演技が、単なるB級映画ではないような予感を与えてくれる。

監督は『原口智生』氏。映画には詳しくないので申し訳ないが知らない。
特技監督は『樋口真嗣』氏。この人は知っている。ガメラの人だ。

音楽はアニメ音楽界の鬼才『川井憲次』氏。といってもアニメに興味のないオヤジにはトンとわからない。
唯一知っているのは『ドリームハンター麗夢 首なし武者伝説』の音楽だ。あの音楽は好きだったからね。

結局25年間この曲が頭から離れずDVD購入となる。
ディアゴスティーニに出たのに気付いていれば、そっちのほうでもよかったかな‥‥でもオリジナル曲入りの分だけいい。
73分というどちらかというと短編的な映画だ。つくられた当時は戦争とバブルを正反対の対象ととらえていたのだろうが、今見るとどちらも現代日本の大きな負の遺産としてオーバーラップしている。



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唐沢山攻略

絵図野の国分寺跡・国庁跡を見た帰り、少し足を延ばして唐沢山城址を訪れる。
唐沢山城址は現在唐沢山神社となっている。唐沢山神社のご神体は「従四位下・下野武蔵守・鎮守府将軍『藤原秀郷公』」である。百足退治の逸話が有名だが、何よりの功績は天慶の乱を鎮圧したことである。
唐沢山城はこの藤原秀郷公の築城といわれている。本丸は標高241mの唐沢山山頂から尾根を利用して展開され、自然地形を有効活用した縄張りは『関東7名城』の一つに謳われている。

栃本口から上るルートはレストハウスのある駐車場まで1500m、標高差136m、平均斜度8.9度。乗り慣れたローディーさんなら何でもないところだろうが、親父の脚ではまずドロップアウトだ。車で正解。

ヤマネコ?ストハウス周辺にはなぜか猫が多い。神社の沿革にも城の歴史にも猫の話はないので、別の理由で住み着いたのだろう。







天狗岩天狗岩入口城門跡のます形を抜けると、すぐに『天狗岩』という案内板がある。
石段を登っていくと目の前の視界が急に開いて見晴らしの良い崖っぷちに出る。ここにはかつて物見櫓があったそうだ。






南麓遠望西側麓崖からの風景。
櫓はさらに高くなっていて、遮る樹木もなかっただろうから、麓の動きが手に取るように見えただろう。






ます車井戸大炊井形から少しはいると『大炊井』という巨大な井戸がある。こんな天険にこれだけの水量を確保できる井戸があるとは驚きだ。
唐沢山城には大炊井のほかに井戸がもう1か所ある。本丸の東側の急斜面の途中に『車井戸』という深い井戸がある。深さは25m以上あるそうだ。底は見えず、現在水があるのかもわからなかった。




二の丸神楽殿四つ目掘井の先にある『四つ目掘』今
はその面影をとどめないが当時は城内最大の空堀だったようだ。
三の丸・二の丸と登っていったところに『神楽殿』がある。






二の唐沢山神社山門丸から表御殿跡を抜けると本殿に続く石段がある。
神門をくぐると本丸跡の唐沢山神社社殿がある。
拝殿と本殿がつながっており、かなり大きく奥が深い。
お参りをして本丸制覇。
社務所から裏手を通ってもとのレストハウス駐車場にもどる。

レストハウスの下に、『足尾山神社』という小さな祠がある。
足腰の不調に悩んでいる方はぜひ参拝をお勧めする。親父もご利益があるかどうかは今後の精進だが‥‥

下毛野・唐沢山ルート日の走行250km 久々の長ドライブであった。


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下毛野再び

発掘現場その後琵琶塚古墳下野古墳めぐりで見逃した吾妻古墳のリベンジを兼ねて、再び下毛野へ。
今回は前回とルートがダブるため自転車は積んでいない。
6:30AMに出発して一般道で9:00過ぎに琵琶塚に到着。順調である。
琵琶塚に寄ったのは、昨年末の発掘現場がどうなっているかを見るためである。前方部の周溝の発掘部分は埋戻しが進んでいるようだ。



『天国見山後円部頂上?謎の古墳擬き平の丘公園』の駐車場に車を止めると、すぐに復元円墳のような築山が見える。航空写真で見ると前方後円墳のように見える謎の築山。
国見山というらしい。
頂上には『銭成石』といい、この周囲の発掘で出てきた古銭が埋めてあるとのことである。




伝紫式部の墓上からI前方後円型見ると確かに前方後円墳の形にはなっているが前方部はペチャンコ。子供の遊び場にはなるだろうが、この形に意味を持たせるなら前方部もきちんと盛土してもらいたい。
栃木県埋蔵文化財センターに行く途中に『紫式部の墓』なる立札を発見。行ってみる。
小野小町が茨城出身というのはその筋では有名だが、紫式部も東国に関係する人?。『紫式部の墓』とは書いてあるが実際は無関係のようである。


回り栃木県埋蔵文化センター道をしたが、時間は10:00を回ったので『栃木県埋蔵文化財センター』に行く。HPでも管内の様子がよくわからない施設だが、何か常設展示でもらるのだろうと期待していったが、何と休館であった。







展示室しもつけ風土記の丘資料館念だが仕方ないので、早々に道路の向かい側にある、『しもつけ風土記の丘資料館』に行く。
ここは開館しており常設展示場もある。展示場内は撮影禁止になっているのでロビーから一枚。
下毛野の古墳や埴輪遺跡分布など、重宝な情報が入手できたが、下毛野氏と直接かかわる資料は見つけられなかった。



甲塚古墳下野国分寺跡2回はさっと1枚写真を撮っただけの下野国分寺跡。跡だけではだだっ広いだけで実感わかないね。
国分寺横にある『甲塚古墳』。掘削や開発で原型が大きく変わっている。
小円墳かと思っていたら墳丘長80m以上の前方後円墳であった。多くの出土物があり、先ほどの『しもつけ風土記の丘資料館』にも展示されていた。




後円部より吾妻古墳天平の丘公園』を後にして、本命の『吾妻古墳』に向かう。車だと5分もかからない。
工業団地に挟まれた後円部側の林の一角に車を止めると、古墳の案内板のところまでは歩いてすぐだ。しかし案内板の地点から見える吾妻古墳に、「県下最大」という期待感は関東大震災時の浅草十二階のように見事に折れてしまった。
琵琶塚・摩利支天どころか茶臼山より小さいイメージだ。後円部頂上から前方部を望む。頂上部も狭く、130m級の古墳とは思えない。

周溝底より後円部石室痕穴式石室は前方部の前面にあるという珍しいレイアウトの吾妻古墳。石室部分は発掘で盛土が崩落している。
墳丘の麓から撮ったようなアングルだが、ここは一段目墳丘の中央であり、石室がつくられていたのは二段目に当たる。
一段目が低く広いテラス状になっている『下野型前方後円墳』の終末型ともいうべき吾妻古墳の巨大さを実感するには、広域な周溝底を周回するのがよい。総全長160mを超える墓域の周溝底から見上げる墳丘は流石圧巻である。
繰り返すが墳丘長127mは県下最大。現存する下毛野では最大の前方後円墳である。
次に壬生歴史民俗資料館、下毛野氏の末裔ともいわれる壬生氏の本拠である壬生町の『歴史民俗資料館』に行く。壬生町は大型古墳も多く、吾妻古墳も一部が壬生町に属しているため、発掘された石室天井石や玄門石などが野外展示されている。
資料館は壬生城址公園の中にある。資料館には古墳時代の出土品や関連資料があるものと期待したが、展示場には『鳥居元忠』のイベント展示しかなかった。壬生藩城主が鳥居一族だからだろうか、井伊直虎ブームにあやかってか。





吾妻古墳玄門石石室天井石壬生といったらやはりせめて壬生氏だと思うのだが、ここも期待外れであった。場外展示されている吾妻古墳の石室天井石や玄門石を見て、かつての壬生城跡石垣や堀を回って城址公園を後にする。






国庁跡前殿下野国庁跡後に下毛野古墳めぐりで行き残した最後のミッション、下野国庁跡を訪れる。
車から出たとたん、肥やしの香り!が世界を包み込む。
ここもサッカーができるくらいの広い敷地に、復元された『前殿』がポツンとあるだけ。これだけおおっぴろげだと前殿の中に自販機やベンチ、ポスターなどがないことのほうが違和感を覚えるくらいである。手間をかけて忠実に再現していることはわかるが、ここといい、国分寺跡といいもう少しインパクトが欲しい気がする。

資料館より日光連山を望む下野国庁跡資料館地内に資料館があるので立ち寄る。ここでは発掘調査された国庁の全容や、当時の暮らし、官職の職務などの資料が展示されている。ここは写真撮影OKとのことだ。
資料館より雪をかぶった日光連山が見える。桜の時期になるとこの辺の史跡や歴史公園なども様相が一変し、多くの人々で賑わうのだろう。




吾妻下野国庁跡にて古墳を見たことで、関東全域の100m級以上の古墳は残すところ、最大最強の大国毛野の本拠地、前橋・高崎・藤岡・伊勢崎の「合併するのしないの」地域を残すのみとなった。ここは関東でも有数の大型古墳密集地域である。
支配権を伴う力関係は今も昔もあまり変わっていないようである。



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肘部管症候群(ちゅうぶかんしょうこうぐん)

前回よりはひらがなにしてもそれほど恐ろしくはない。
相変わらず黒い蚊が視界の中をうろうろして居座り続けているなか、過日家事で少し腕をひねった際に『ぴしっ』っと腕に衝撃が走った。
それ以来、肘がぐりぐりするのと小指がしびれるような感覚がなくなるような、何とも気になる症状が続いた。

子供の進学も決まり、今年は何とか早々に、『下毛野古墳リベンジ』と『上毛野古墳制覇』をしたいところだ。やはり古墳探訪は晩秋から早春までが最適期間である。腰に加えて肘も故障では何とも不安なので、整形の掛かりつけ医院に行く。歯科・耳鼻咽喉科・内科・循環器科そして整形外科。かく専門ごとに掛かりつけができてしまって何とも情けない。

「こ肘部管症候群れは肘部管症候群です。」「肘の内側に尺骨神経というのがあってガイドレールの中を通っているのがずれたり圧迫されたりして炎症を起こすんです。運動でひねったり、骨折したり、加齢による発症もありますねぇ。」
今度はかかりつけの整形で言われた。‥‥「また『加齢』かい!」

「小指や薬指の痺れはあまりないということですが、痺れが強く出てきたり、症状が悪化するようなら手術も必要になります。今のところ経過観察ですね。」
‥‥これまた経過観察ですか‥‥

血圧・心臓・五十肩、ぎっくり腰にそして目。今度は肘かい!どんどん『カレイ「加齢」』な友人たちが増えていく。俺ってそもそも仲間つくるの苦手だったはずなのに。いったん加速しだしたら友達の輪が止まらない。


車があと5年もつかを心配するより、オヤジ自身があと5年もつかのほうが不安になってきた。


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飛蚊症(ひぶんしょう)

視界の中に何やら黒いものが居座り続けている。
最初は本当に虫かと思ったが、すぐに違うことがわかった。虫ではなく、まつ毛が引っ付いたのだと思った。
しかしそれとも違うことに気付いた。目薬をつけても取れない。絶えずそこにいて、視線をそらしても図々しくついてくる。

「緑内障です。進行はしていないのですぐに影響は出ませんが、経過観察が必要です。」と診断されて2年。急に進行が始まったのかと不安になって、掛かりつけの眼科に緑内障検査を申し込む。
「緑内障検査は予約が数か月先になるけど、それは違う症状だと思うので、すぐ診察に来てください。」ということで眼科に行く。

眼科・内科・整形と最近入り浸っているが、検査やリハビリの通院は結構楽しい。年寄りが病院に入浸る。「常連のおばあちゃんが来ないのは、きょうは具合が悪いからだ」などという落語のような待合室。
小一時間ほど待って検査をする。視力・眼底・眼圧‥‥ETC。30分くらい検査が続く。
そして診断。

「これは『飛蚊症』です。普通の老化現象としておこるものです。」
『飛蚊症』??「かっ飛び性」ではない。最近燃料計しか見ないので飛ばさない。

眼球の硝子体が、老化により縮んで網膜から剥がれたものが、眼球の中にたまってしまうことを「後部硝子体剥離(こうぶしょうしたいはくり‥‥ひらがなにすると何とも恐ろしい)」といい、これが飛蚊症の原因となるとのことである。

「ときたま、網膜裂孔や網膜剥離により発症することがあり、この場合はきちんと処置しないと危険なので検査に来てもらいましたが、その心配はないようですね。これは特に薬等はないので、はがれたかすが外に出て黒い線が消えることもありますが、自然に慣れて気にならなくなるのを待つしかありません。自然に視野から消えていったらめでたく老化の仲間入りです。」


せんせー、ショッキングなことを何気なく笑顔でいわないでくれ‥‥


その後、もう約一月近くこの黒いものは親父の視線とともにいる。最近たまに見失うようになった。「お〜い。いなくなっちまったのかよぅ」と思うと、また突然出てきて居座ったりしている。

こいつが視界から気になくなったら老化現象入門編クリアということか。だったらしばらくは、うざとく付き合ってほしいな。


血圧・心臓・五十肩、ぎっくり腰にそして目。これから死ぬまでこの気の抜けない友人たちとシェアハウスしなければいけないわけだ。『華麗』に年をとりたいものだが、現実は「加齢」に年をとっていくのである。


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初詣

熊野神社年は娘の受験があるので、家族で初詣に行く。
学業の神様といったら天満宮である。近くには亀戸天満宮もあるのだが、倍率が高い??とのことで、実家に近いところの葛飾区の『熊野神社』に行くことにした。






神門野神社は葛飾区立石にある。
葛飾というと最近の人は両さんの『亀有』、ちょっと前の人は寅さんの『柴又』がメジャーであるが、ここ立石は葛飾区役所・公会堂・税務署などがある、まさに葛飾区の中枢なのである。熊野神社があるのは立石8丁目。今では立石の一番縁だが、明治のころまでは現在の奥戸街道沿いは「原村」、区役所通り沿いは「梅田村」となっていたので、熊野神社周辺が立石村の中心だった。




penntagonn石村の鎮守社だった熊野神社の歴史は古く、かの陰陽師阿部晴明により勧請されたと伝えられている。
陰陽五行説に元づく境内は正五角形の形をしていたという。この五角形を周回することはできないが、今でも周囲の住宅や一部の道路にその名残を見ることができる。





境内拝殿と茅の輪には本殿のほかに『天満宮社』・『浅間社』・『水神社』などがある。
本殿の前には『茅の輪』が設置されている。亀戸天満宮などでは茅の輪が設置される日は決まっているが、ここはフルタイム常設のようである。






もち水神社ろん本殿天満宮社の次は『天満宮社』へ参拝する。
一番奥の『水神社』。その裏は幼稚園の敷地になっている。







『ささざれ石ざれ石』。君が代にうたわれるさざれ石である。見たところ苔は生していないようだ。








何故かちび馬内の脇ではちび馬がふて寝?していた。ここも幼稚園の敷地のようだ。幼稚園が休みなので馬にとっては寝正月なのだろう。







高さ日本一内の奥まったところには『高さ日本一の五重塔』がある。
流石に日本一は高い。但し人が中に入ることはできない。文化財保護のため?、否。青銅製のミニチュアだからである。







立石様2所に立石の地名の由来ともなった『立石様』があるので立ち寄る。
昔は立石様は数メートルもある巨石で重さも数十トンもあるものだと思っていた。その重さのために沈んでしまったのだと‥‥
実際の『立石様』は古墳の石室の素材としてとして遥か千葉の鋸山から運ばれてきたものらしい。
ここから少し離れた柴又には小型の前方後円墳があり、石室が復元されている。その石室を見る限り、立石様の大きさが2尺というのもうなずける。



住宅地の奥まったところにある小さな児童遊園の中の、沈下立石様で沈んだんじゃないかと思うような低い鳥居をくぐると、さらに小さい鳥居と石柱に囲まれた中に『立石様』がほんの少しだけ見える。
囲みの中は周囲より明らかに低い。「囲まれていなかったら完全に埋没してしまっている(沖ノ鳥島みたいなもんだ)」状態だ。
古くは東海道の道しるべともなっており(ということは古墳の石室はばらされたということか?)、地元の信仰対象として大切に保存され、近年パワースポットとして脚光を浴びてきている『立石様』にも願掛けをして帰る。



安倍晴明ゆかりの熊野神社。晴明ゆかりの地は日本全国にある。この人と弘法大師と水戸黄門はほぼ日本全国を歩き回っているようである。学業第一ではあるが、健脚にもぜひあやかりたいものである。

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下野古墳めぐり〜2016走り納め 下つ巻

神徳大神宮富士山古墳臼山古墳から細い谷を挟んで東側の台地の中腹に『神徳大神宮』という神社がある。この裏手に県下最大の円墳『富士山古墳』がある。
最大直径86m。ここも大型埴輪をはじめ複数の埋蔵品が発掘されている。麓から見学ルートがあるのだが、知らないで神徳大神宮に行ってしまった。掃除のオジサンに尋ねたら「ここからは上れないんだ」といいながら「横の灯篭と石垣を乗り越えていくと看板のある場所に行くよ」「県で管理してっけど、上ってもなんもないよ」と教えてくれた。
大神宮様にお参りして帰ろうと思ったが、お賽銭箱がなかったので一礼のみ。どうもありがとうございました。
牛塚古墳2士山古墳から壬生町中心市街の外れにある『牛塚古墳』と『壬生車塚古墳』に行く。両古墳は隣接しており一度に見学できた。
『牛塚古墳』は墳丘長60mの帆立貝式古墳。看板には先ほどの富士山古墳のPRなんかが掲示してあり、特筆するものはない。





壬生車塚古墳3壬生車塚古墳2壬生車塚古墳1かい側の『壬生車塚古墳』も最大直径82mと富士山古墳と並ぶ大円墳である。南側に石室が開口されているようだが、残念ながら今回は見れなかった。
周囲には周濠跡があり周堤を含む径は120mに及ぶ。

『壬生車塚古墳』から壬生愛宕塚古墳2壬生愛宕塚古墳15分ほど走ると『壬生愛宕塚古墳』がある。
墳丘長65mは前方後円墳にしては大きくはないが、周溝がはっきり残っており、見ごたえはある。

次はいよいよ県下最大級の吾妻古墳から、琵琶塚古墳・摩利支天塚古墳と下野有数の大古墳を残すクライマックスとなる。
時間はすでに午後3時。日没の最も早いこの時期は午後4時にはすべての散策を終了しなければならない。

丸塚古墳2丸塚古墳こでトラブル。県道小山壬生線に入らなければいけないところ、下野壬生線に入ってしまった。太陽で判断という古来の方法で軌道修正したが、吾妻古墳への進入路がわからなくなった。
古墳らしき築山を発見したのでそこに向かう。丸塚古墳であった。天平の丘の近くで、吾妻古墳の後時間があれば立ち寄るつもりだった古墳である。
丸塚古墳から吾妻古墳の位置が知れたが、今から戻って散策となると最後の2大古墳を回る時間がなくなる。県下最大の吾妻古墳散策を断念し、次に向かう。

国分尼寺跡国分寺跡塚古墳から、県道小山壬生線に入るとすぐ『風土記の丘資料館』入口の案内がある。この道には『国分寺跡』がある。『風土記の丘資料館』は年末年始の休館となっている。風土記の丘資料館の先に『国分尼寺跡』がある。ここがかつての下野国の中心となった地域だ。
『下野国府』はちょうど思川を挟んで対岸の栃木市にある。なんでこんな大きな川を挟んで存在するのかねぇ。



さて琵琶塚古墳3琵琶塚古墳1、最後に栃木県を代表する2基の古墳を散策する。
『琵琶塚古墳』。最近までは県下最大の前方後円墳として有名だったが、近年の精密調査により吾妻古墳のほうがわずかに大きいことが判明し、「県下最大」の地位を譲ってしまった。それでも知名度ではやはりナンバーワンだろう。墳丘長125m、二重の周溝を巡らせている。墳丘長では都内最大の芝丸山古墳とほぼ同規模である。



発掘調査中摩利支天古墳遠望公園化が進んでおり、昨年あたりから本格的な発掘調査が行われている。
現在も発掘調査の真っ最中のようだ。前方部の中堤辺りを発掘している。
前方部先端から摩利支天古墳が見える。





摩利支天古墳1摩利支天古墳3路を挟んだ反対側に摩利支天古墳がある。思川と姿川の合流部の台地にあり、付近を通る東山道からもはっきりとその威容が見て取れただろう。
5世紀末頃の築造で琵琶塚の前世代の領主の墳墓だろう。






摩利支天古墳2丘長117mは県下第3位。下野国を代表する豪族の墳墓といわれるが、かつて大国毛野を構成する同族で、東国六腹朝臣に名を連ねる下毛野氏なのか。
五世紀末から6世紀後半は、大和で巨大古墳が終焉に近づき、河内大塚山古墳を最後に巨大古墳が姿を消す時期である。そんな時期に摩利支天・琵琶塚・吾妻とどんどん巨大化をつづけた下野国は、大和の支配体制に進んでくみしながら関東特有の独立気運を持った首長たちの奥津城だったのだろう。




本日下野1下野2の走行81.7km
ナビも地図もない状態で、うる覚えのルートと古墳の冊子・地元の案内板のみの散策は、ロス時間と余計な走行を強いられた。やはり知らない土地を効率的に巡るには、ナビまで行かなくとも最低限GPSマップは必需品である。
『吾妻古墳』をはじめ、日程的に見学できなかった『埋蔵文化センター』・『風土記の丘資料館』や『壬生歴史民俗資料館』など見逃したスポットがたくさん残っている。
捲土重来を期す。

来年も古墳ライド・古城ライドができますように。


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下野古墳めぐり〜2016走り納め 上つ巻

おやまあれま年秋から予定していた下野古墳ライド。
転勤・子供の受験・親の入院、そして自分のぎっくり腰のため、ついに年末までもつれ込んだ。
しかしこの季節は古墳探訪にはうってつけの季節だ。

午前6時半、『小山総合公園』到着の計画が8時半を過ぎた。
帰省渋滞の影響はさほどなかった。単なる「寝坊」である。
午前9時、を出発。腰の状況も不安で、全行程110km越えの予定距離を70kmに短縮。湿布とコルセットを装着しての走りだしとなった。

山王寺大桝塚古墳1山王寺大桝塚古墳2は西北西の風である。いきなり向かい風だがこのまま吹けば帰りは天国だ。何もない田畑を道を間違えながら進むこと数キロ。藤岡町の『山王寺大桝塚古墳』が最初のポイント。
墳丘長96mの前方後方墳はかなりの見ごたえを期待したのだが、残念ながらかなりの部分を削取されており、その迫力を体感することはできない。




周囲の築山古墳の回りには何もない。周囲には同規模の産廃残土らしい(もしかしたら古墳かも?)築山が点在し区別が付かない。途中の残土の築山だと思っていたものの一つは、『毘沙門山』という古墳だったようだし。
100m級の前方後方墳は全国でも大型の部類だ。大毛野に連なる下野の豪族に敬意を表すためにも、きちんと整備して内外に誇った方がいいんじゃないの。





巾着山こから都賀町の『愛宕塚古墳』まで一気に北上する。
栃木市街の外れにある独立峰の『巾着山』。流山?ケルンバット??、残念ながら古墳ではない。
市内で道を誤り30分弱のロス。スマホのマップは全く役に立たない。ナビ入れてないし、初期設定を結構いじったからか。






残土山?愛宕塚古墳2愛宕塚古墳1賀町の『愛宕塚古墳』は墳丘長90mの前方後円墳。墳丘上に愛宕神社が建っている。
この付近にも古墳だか残土だかわからない築山がいくつかある。


R2判官塚古墳3判官塚古墳2判官塚古墳193をさらに北上し、鹿沼市の『判官塚古墳』に立ち寄る。
丘長61mは特筆する大きさではないが、保存整備がきちんとしていて、石室も露出しており、結構「当たり」であった。



廣濟寺官塚古墳からそう離れていない集落の中に、円空作、『千手観音菩薩像』の看板。
天台宗廣濟寺というお寺さん。
観音堂は固く施錠されていた。
拝観料500円。守り本尊なのでぜひ見たかったが、時間の関係でスルーする





長塚古墳長塚古墳2生田街道の黒川橋を渡ると、上り坂の途中に『長塚古墳』が見える。墳丘長77m2段構築で古墳時代後期のものとのこと。
ここから亀子塚古墳へ行こうとしたが、道が悪路でしかも袋小路になっている。





看板桃花原古墳か失敗した挙句、遠回りをしたら看板があった。
看板に沿て進み、桃花原古墳に至る。
『桃花原古墳』は周壕を備えた円墳で、直径63mはかなり大きい部類に入る。





前半茶臼山古墳2茶臼山古墳1の(といっても午後1時を過ぎてしまったが)最大ミッション、国指定の史跡『茶臼山古墳』に向かう。案内板の地図は簡略しすぎて自転車で走っていたらよくわからん。
ここも数度のチャレンジで侵入口を発見。案内板のところまでも車では来られない。
真冬でも道に迷いそうな林の道を上っていく。しばらく上ると看板のある広場に出る。


MTB専用茶臼山古墳3いつはすごい。看板の遥か上に墳丘の頂上が見える。看板の前の高い土手は周堤で、その内側に深い周溝が巡っている。周堤を含む全長は140mにもなるようだ。
埴輪や大型の須恵器などが発掘されており、規模からしても相当の権力者が埋葬されたと思われる。
しかし、県を代表する古墳の一つなんだから周辺整備をもう少しやってもらえないかねぇ。これじゃあ夏はとても来れたもんじゃない。

もし自転車で来る方がいたらMTBをお勧めする。


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初めてスマホ割

F-09B用のガラケーF−09Bがいよいよダメになってきたので、遂に機種変更をすることにした。
『らくらくホン』というだけあって流石に使いやすかった。11月にFOMA販売中止が発表され、本来はこれからがガラケー所有のレアプライドの真骨頂なのだが、SPモードでガラホが幅を利かせるとガラケー持ってる希少プライドが希薄になるし、同じく不調のデジカメの代用にもしたいので、とりあえず使用実績のあるものを基本にした。





iphone7plus (2)しい機種は『iphone7plus』。初めてスマホ割対象?である。iphoneにしたのは以前職務上持たされていたのがiphone6で多少使い慣れていたのと、不調になったデジカメの代用にした際、画像がデジカメよりきれいだったのが理由だ。7plusにしたのは4.7インチでは文字を打つのがつらかったのと、7plusでもポイントとその他割引を使い1/3ほどの値段になったので、デジカメとガラケーの2機種を買うのとあまり変わらかったからである。
ガラケーの使用料が安いといわれるが、親父の現契約ではトータルで2,000円ほどしか変わらないし、外で使いまくることはないし、家でも基本SMSと通話くらいだから当面は基本アプリで十分だろう。



届い歴代phoneたiphone7plusを見ていささかビックリ。特に現物を見て決めた訳ではなく、手続きが安いので店頭でちらっと見て通販で購入した。店頭ではあまり気にしなかったが、実際こんなにデカいの!。
以前使っていたiphone6が4.7インチなので、カミさんと同じくらいのがいいと思っていたら、カミさんのは5.2インチサイズだった。
『iphone7plus』大きさは我が家の玄関についている『アイホン』と変わらない。




F-09Bp700ip209isf203歴代2うどなので歴代のケータイを並べてみた。







現存していない初代携帯『F−203』。97年ころの購入。
2代目『P−209is』、2001年購入。今でも最も気にいったデザイン。光るアンテナが結構はやった。
3代目『P−700i』FOMAになった。
そして4代目『らくらくホンF−09B』。扱いやすさでは一番よかったがカメラ機能は付録程度だった。


iphone7plusして、5代目のiphone7plus。薄さを除くとF−203の倍はある。
クリスマスイブに合わせて開通。流石きれいな画面には感動する。
画面が大きい分iphone6より文字は打ちやすいが、やはりガラケーのプッシュキーのほうが打ちやすい。手の小さい親父にはワンチャンスを素早く撮影というのは難しそうだ。サイクリングでは橋の上や水辺での撮影に使うのでガラケーのように気休めのストラップをつける。位置情報を入れた地図を入れておいたらGPS替わりにはなるかな。
でもこうなると『Phone』とは言えない。通話機能がある意味付属なのだから。
デカいとは言え、この画面でゲームや映画を楽しもうとは思えない。デジカメ替わりとしてはちょっと高いけど、家族シェアで5Gじゃほとんど親父は使えない。
カーナビもMP3プレーヤーも調子悪いから、けちらずまとめて代用できるかな。
何せ『スマート』には『賢い』とか『多機能』という意味があるのだから。


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スポーツ電チャリ考

YPJ−Rイクルモードにいって『ヤマハYPJ−R』を見て、乗って結構な衝撃を受けた。電チャリもここまでスマートになっているんだねぇ。
ジテ通から車通勤になった影響が大きいのかこのところの体力減と体重増が著しい。
自転車は鍛えるためや、フィットネスとして乗っているわけではない。何か目的を持って新しい発見もしたいし。何より終わった後に楽しかったなぁと思えるのが趣味サイクリングである。
持病もちの親父にとって、高いパーツは『早く走る』ためのものではなく非力なパワーをいかに有効に推進力にしてくれるかであり。車重にこだわるのも多様な使い方に対応するツールとしての手軽さとしてである。

『電動shimano-ultegra-di2でアシストするのは邪道だ』とのこだわりを持ってるサイクリストは多いだろう。かくいう親父もその急先鋒であった。体力もない、坂も上れない、長距離ではバテバテ。でもどんなコンディションでも「電チャリだけには負けたくない」とムキになったものだ。
だがこれも考え方だが、当の本人も含め、漕ぐことをアシストすることを邪道としてさげすむ輩が、なぜシフトをアシストするDI2を邪道と非難しないのかという矛盾(正直当人は興味なく無用と思っているだけだが)。自転車の駆動系が人間の動力をサポートするものなら、どちらも同じである。違いといったらそのスタイリングの自然さとコンパクトさだけである。
ディレーラーにおっきいモーターが付いていたり、でっかいバッテリー積んでいたら電動シフトは電動アシスト同様に非難される的だろう。


Vivax Veloceポーツ電チャリがE−BIKEとしてスポーツサイクルの中に広く普及している欧州ではこんなものもあるようだ。
どう見ても普通のロードバイクである。
これはシートチューブ内に駆動モーターを後付けするアッセンブリーで、何と給水ボトルがバッテリー。コントロールスイッチがバーエンドについている。バッテリーを含んだ重量は1.8kg。ベースのセット価格は10万円しないようだ。
DI2を非難しない人が、これを非難できるだろうか。うちの自転車につくのなら親父は素直に「ほしい!」と思う(但し、取付けられる自転車にはいくつかの条件があるようだが)。

サイクルモードでヤbenelliマハブースの隣にあったBENELLIの『TAGETE27.5』。べネリってオートバイの老舗である。
7時間充電で100km走れるアシストを備えたE−MTBはフロントWサスペンションにディスクブレーキで22kgとこれも軽い部類に入る。198,000円





BESE PS1ESVの『PS1』。カーボン製のミニベロである。
BSの名車、シャフトドライブ・カーボンモノコックボディー・Wサスペンションの『トランジットT200CS』の復活を思わせる精悍なデザイン。15年前そのもののデザインは今見ても前衛的だ。
3.5時間の充電で60km走るアシストで17.4Kg。276,000円。
せっかくカーボンなんだし、この価格ならあと2kgは軽量化してほしい。まあ、ひと昔前の激安ミニチャリはみんなこのくらいの重さはあったけど。



Road E +2ャイアントでヤマハYPJ−Rのパワーユニットを積んだE−バイクが『ROAD E+』。YPJと同じユニットを使ったジャイアントの回答がこれだ。
日本未発売。英国の価格で308,000円くらい。
スペックは未定だが、電動ロードに否定的な方々に選択してもらっても、大方の方はこちらを指すだろう(アルテグラクランクはハッタリみたいだが‥‥)。
保守的な親父が見ても、Eバイクの分野では日本は明らかに後進国だ。否、保守的だから遅れをとっているのだろう。


YPJ-R2んな日本で、やっと親父が「欲しいな」と思える電チャリ(これならE−BIKEといってもいいかな)に出会ったわけだ。
230,000円はちょっと手が出しにくい価格であるが、105を使って15kgの車体は欧州車にも対抗できるだろう。





YPJ-R3コンパクトクランクあ、ここまでやるならもう少しなんちゃってに徹してほしい。精悍なスタイルにこのクランクセットはとてもミスマッチ。せめて外観は偽でも『HOLLOWGLIDE』っぽくしてほしいし、バッテリーは上記の『VIVAX ASSIST』風のなんちゃって給水ボトルみたなものがほしい。パワーユニットはごまかせないから単なるご愛敬だが。
さしずめYPJは、車体とバッテリーを極限まで軽量化し片道だけの航続距離とし、出撃したら帰ってこれない。日本が生んだE−BIKE界の『神風』である。これが投入されて1年。戦局は好転しているのかなぁ。

でもハブダイナモとか、クランクモーターを逆用してアシストオフ時に自己充電する仕組みってできないものだろうか。
それなら必要時のパワーアシストは自分の脚力の貯金みたいなものだから、人間の力を有効に引き出すという自転車機能本来のあり方に叶うと思うのだが‥‥。

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結局きました『サイクルモード2016』

サイクルモード2016年散々ケチつけて「今年はやめよっか」と思ったサイクルモードだが、結局来てしまった。
今回は特に見たいもの・ほしいものがあるわけではないので特に焦点を定めずにぶらつくことにした。







スペシャライズど復刻?期せぬ朗報というか、事前には気にもしていなかったが今回は『スペシャライズど』が出展していた。最初に来た頃は出展していたと思うので、もう5〜6年ぶりか。
こじんまりしたブースだったが、いずれにしろ大手メーカーの復活は喜ばしい。






CUBE1ルツルの細いタイヤは性に合わないので見るものは大体シクロかグラベル系になる。
入ってすぐに目を引いた『CUBE』というドイツのメーカー。日本では並行輸入くらいしか取扱いがないようだが、今回正式な代理店から投入されるようだ。
CUBEのシクロモデル。これはかっこいい。今回のぴか一はこれか。





GPS近GPSのCM11の調子が悪いので何かいいものはないか物色。ミズタニのブースにパイオニアがあったのでぽたナビを見ようと思ったがなかった。今でもやってはいるがほとんど出ないというスタッフの逃げ腰な回答。最近は自転車のナビってあまり聞かないからねぇ。
ぶらぶらしているうち、ポラールのブースで見つけたのがPROシリーズの『V650』。これはCM−11とほぼ同じ機能を持っているうえ。独自の地図でルートを作成しインプットできるようだ。30,500円という価格は魅力的だ。




コマンドシフター復刻?シガイのブースで見つけた『今回の気になるパーツ』。どっかで見たことあるようなシフター。サンツアーのコマンドシフターだ。
展示は試作品で、さらに改良して10S・11S対応も予定しているようだ。セーフティレバーに続き、STI主流の中でまたもビンテージタイプのパーツの復刻である。





バンディーハンドル東京サンエス京サンエスのブース。ずいぶん小さくなったような気がする。
今回はバンディハンドルを見せてもらった。
フリーマーケットの投げ売りみたいになんかもうどうでもいいように置かれている。「150円」とか値札が付いてないかなーなんて感じ。





コーコーダブルーム試乗ダブルーム(親父にとってはホタカ自転車なのだが)で『FARNA』に試乗。アルミロードの最軽量クラスらしい。
「STI使ったことありますか」と聞かれて思わず「ありません」と答えてしまった。使い方を知らないわけじゃないけど、実際所有のバイクはすべてWレバーである。
とにかく指でもてるくらい軽い。これだけ軽いと担いで山登りできる。アルミバイクまだまだいける。





ヤマハの電チャリロード試乗しましたコーナーで何気なく見ていたら試乗を勧められた。『YPJ−R』ロードタイプの電チャリである。
鍛えるために自転車に乗っているわけではないが、電チャリだけには負けたくないとムキになっていただけに、自分が電チャリに乗ることには抵抗がある。
YPJ−Rは外観はロードそのもの。メインコンポは105でバッテリーも小型でボトルケージダボにツールケースが付いているようなイメージ。デザイン的には電チャリ独特の違和感は少ない。




1回電チャリロードのサイクリングで100kmは走るのに、バッテリーが20kmくらいしか持たないのでは使えないと思えるが、YPJ−Rは車重も15kgそこそこ。我が家のSOMAと3kg強しか変わらない。しかもコンポは105なのでノンアシスト状態でも十分走れるとのこと。本当につらい登坂や強い向かい風時のみアシストを使うと考えれば十分行ける。しかも親父好みのアルミ製だ。あくまでも楽しく走るには魅力的だ。
何かとても後ろめたさを感じながらも、非常に心を動かされる1台である。




今回ガゼル乗りましたは『OXガゼル』にも試乗した。思ったより軽くてなめらかで乗りやすいバイクである。STIのブルホーン仕様はミニではどうしても頭でっかちのスタイルになってしまうが、ミニはハンドルがクイックなのでドロップよりブルホーンのほうが扱いやすいだろう。
やはりほしい1台である。





やっぱありました。レーシングミクはり今年もありましたねぇ








地方のブース?地方のブース?か県や地方のブースとか、グルメコーナーとかコンセプトエリアなんかがやたら多くなってきたような気がする。それはそれで楽しくていいんだけど、それらはあくまでおまけであって主ではない。主でないもののスペースが多くなりすぎると明確なテーマがない限り、展示会そのものがまとまりのないものになってしまう。




もう見ケバブじゃケバブがあったものもないから、イオンモールでケバブ食って帰ろうと思った矢先、何とケバブが来てるじゃない。
今回のテーマはっきりしてるじゃないか「自転車に乗ってケバブを食べに行こう!!」。
フードコートの出店も載せてくれていれば、外で飯なんか食わなかったのに‥‥
来年もぜひ出店してもらいたいものだ。昼飯デザートまで食べてしまった後だったので、ドンドルマ(親父お勧めの伸び〜るアイス)まで食べられなかった。




この空きスペースは?回は全体的に出展ブースが縮小した感が強かった。ブースのセッティングは面積に乗じるコストがかかるからしょうがないのかもしれないが、この空きスペースはなに??


PS
コレクションしていたシマノのA4サイズカタログがデジタルに変わってしまった。時代かもしれないがこれは寂しい。

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IQレポート

我が愛車も6回目の車検となった。
IQ1回はスケジュールの関係で1週間の入院となるので、ディーラーに代車をお願いした。
「ちょっと小さいですけど」と言われて出てきたのは『IQ(知能指数か?)』という車。
何この可愛い車、面白そう。どう見てもチョロQだ。
プレミアムコンパクトカーというコピーで、スマート路線を狙った車である。





寸詰まりが5ナンバーフルサイズの1680mmあるのに、長さが2985mmしかない。国産車ではミドルクラスのプレサージュは4840mm。ヘッド位置を合わせるとこんな状態。
同クラスのリッターカーと比べても明らかに寸詰まりである。








前座席前座席は小柄な親父からするとそこそこ広い。乗ってみるとIQは低かった(知能指数じゃないぞ)。
バケット型の低くて深いシートはちょっとスポーティーだが、プレサージュのようなシートリフターがないので、腰痛もちの親父にはちょいときつい。
ナビにAUXINがあったので、いつものMP3を聞いてみる。結構いい音。プレの誇るスーパーサウンドシステムよりよかったりして‥‥?
装備こそ少ないが質感はプレサージュよりもいいくらい。流石トヨタというところか。



そし後座席て外見からの予測以上に悲惨なリアシート。家族で買い物に出かけたが、大人3人は超きついうえに買い物の荷物が入らずに大顰蹙!。まあ、このサイズで4シーターということが奇跡といえる。二人乗りを前提にすればそこそこ広いラゲッジだが‥‥。






IQ2りはエコモードはどうにも走っていかないが、エコを解除して踏み込むとそこそこ速い。
小回りがめちゃくちゃ効く。普段必ず切り返しするところを1発で回ってしまった。正直軽より小回りが利く。ハンドルはクイックすぎるくらいで、痛い腰をカバーするたび車がロールするので首都高では怖かった。
コンパクトカーとしては面白い車だが、残念ながらフルサイズバイシクルはばらしても乗せられないのはオヤジ向きではない。





奇跡だして一番の奇跡は燃料計。
街乗りで180km乗ってもメーターが下がらない。メーター壊れてるんじゃない。
氷山と接触したタイタニックと同じくらいの速さで沈んでいく燃料メーターのVQ35からすれば、まさに浮沈メーターだ。リッターカー恐るべし。
残念ながらIQは今年の春に生産中止となっている。
1週間弱だったが面白い体験ができた。乗るたびに『ラックル速溶錠』が必要なのにはちょっと困ったが。

しかし、自分の車が戻ってきて運転席の座った時は「やっぱりこれがいいわぁ」と安堵。内装がちゃちかろうが、オーディオの音が多少悪かろうが、魚雷を食らったルシタニア並みの速さで燃料メーターが沈んでいこうが(これは大げさか)、自分の車はよいものだ。




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加瀬山(消失古墳ライド再び)


神奈川県には大型古墳がないからつまらないというイメージを僅かながら変えたのは、先年90m級の逗子長柄桜山古墳をライドしてからである。探訪基準の100m以上のものはないが、神奈川県にも70〜90m級のものがいくつかある、近隣サイクル古墳探訪としては最後の宝庫もである。
今回はぐっと近い川崎の加瀬白山古墳に行く。

R1多摩川大橋を渡る。
新川方面R1多摩川大橋川は関東でも十指に入る大河川であるが国境をなしてはいない。対岸の川崎市も律令国制では武蔵国である。
この大河川をもってしても国を分かつ関とはなっていないことを考えると、武蔵・下総国界だった古利根川・古隅田川などは当時どれだけの大河だったかうかがい知れる。
新川の高層ビル群の後ろに目指す加瀬山台地がある。



橋をリバーサイドカフェ渡ったR1の上流側に『多摩川交流センター』なるものががあった。建物右側は『リバーサイドカフェ』なる喫茶コーナーになっていた。今日はあいにく腹の調子が悪く。コーヒーのリスクが高いので断念。捲土重来を期す。
今日のコンディションにぴったりの『ガス橋通り』を排ガスを放出しながら突き進む。






『加加瀬山瀬白山古墳』を含む『夢見ヶ崎古墳群』があるのは通称『加瀬山』。多摩丘陵より続く下末吉台地の最突端にあり、矢上川で他の台地と寸断されているため独立峰のように見える。
川崎の『ギアナ高地』と呼ばれているかは定かではない‥‥。




動物公園2動物公園地上部は動物公園になっていた。
駐車場も無料、入園料もなし。近隣の子供連れには絶好のプレイスポットだ。







浅間神社くつかの加瀬山3号墳寺社があったが、小高い盛土の上に鎮座しており、これがみな古墳になっている。
麓や中腹にも古墳が点在しており、3号墳は石室が修復保管されていた。






天照皇大神宮2照皇天照皇大神宮大神宮でお参り。ここも円墳の上に社殿が鎮座している。








加瀬白山古墳的の展望台『加瀬白山古墳』は台地の西側中腹あったとされる。「される」というのは、『加瀬白山古墳』を含む周辺の台地は開削のため消失しているからである。
富士見展望台の看板には西側の森が白山古墳跡との掲示。
かつてはあの森まで台地が緩やかに伸びていたのか。




消失部分加瀬白山古墳下りて森の周囲を回る。墳丘長87mの古墳は県下でも最大級に当たるが、後円部をわずかに残し、前方部はほぼ開削されている状態のようだ。
勿論史跡として整備されているでもなし、私有地のため立ち入りもできない。
これが古墳跡かは判断しずらい。この小山が白山古墳としているのは富士見展望台の案内板だけで、他の資料では完全に現存していないとか、位置も100m以上東の白山幼稚園周辺であるとされているからだ。



加瀬山周辺古地図れ以上の侵入はできないので、
この付近でもう一つ、同時期に消失したという観音松古墳跡地に行ってみる。
現存していた時代の地図で見ると、古墳は現在の矢上小学校の校舎から慶大グランド辺りにあたる。






矢上川上川の観音松古墳跡地2遊歩道に沿って丘の北側に回る。
矢上川は思ったより自然っぽい川で、市街地の河川ではあるが、イメージよりきれいであった。
しかし、50儖幣紊呂△蹐Ω颪侶伽犬呂い辰燭い覆鵑澄?。神社の池のようにあふれかえっているぞ。




新幹線岸へ観音松古墳跡地渡ると、台地北面の全体像がとらえられる。
切り立った台地の高さは、高架線を走る新幹線がそのままトンネルに入ってしまう程だ。
県下では最も古い部類とされる軸長90mの『観音松古墳』はこの台地の南東部にあったようだ。
こちらは名前の由来となった観音松とともに完全に消失したしまっている。夢見ヶ崎古墳群とは1kmも離れていない。両古墳は不可分の関係にあったのだろう。

多摩川台りは綱島街道から丸子橋を渡る。
丸子橋からは多摩川台古墳群が見える。ここには107mの亀甲山古墳・97mの宝来山古墳はじめ多くの古墳が現存する。
夢見ヶ崎古墳群とは、多摩川低地を挟んで対峙する関係となる。武蔵国造の乱以前は、武蔵国南部の豪族がその地位にあったという。両古墳群の盟主は同族だったのか、それとも敵対勢力だったのか。





五反無名古墳やっぱ東京タワー田でR1に合流し東京タワー下を通る。
タワー下、増上寺裏手にも消失古墳(史跡指定はされている)がある。全長125mの芝丸山古墳と相似関係にあり、前方部は駐車場となっており後円部は墓地として開削されている。古墳としては100m級の大型古墳であったと思われる。





消失古墳日の走行 64km
古墳を実体験することはできなかったが、在りし日の威容や相関関係を想像しながらのツアーは面白かった。


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